1. 真夜中のことだま映画トライアングル
  2. #026「ゆうばり国際ファンタス..

今回は間もなく3年ぶりに現地開催されるゆうばり国際ファンタスティック映画祭の偉大な歴史についてご紹介させていただきます。


〜参考文献〜

■『ゆうばり映画祭物語』

著者:小松澤陽一 発行:株式会社平凡社

■『復活!ゆうばり映画祭』

著者:ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会

🎧Podcast番組『真夜中のことだま映画トライアングル』🎬映画で繋がった3人のパーソナリティー(片山大輔・松本大樹・ツユーキー)が映画制作、映画の歴史、最新映画等、映画に纏わる様々な話をしながら、夢や希望・企画等を言霊にして実現させていく番組です✨2022年1月より毎週月曜spotify等で配信📻

■番組パーソナリティ🎙

・ツユーキー

https://twitter.com/qkx8624fzrvswtx

・松本大樹

https://linktr.ee/matsumotodaiki

・片山大輔

https://twitter.com/gspdaisuke

番組へのご質問・お便り等は以下まで↓↓↓

kotodamatriangle@gmail.com

00:02
ツユーキー
真夜中のことだま映画トライアングル
片山大輔
真夜中のことだま映画トライアングル
ツユーキー
はい、皆さまこんばんは。松本大輝です。よろしくお願いします。
松本大樹
こんばんは、つゆきです。よろしくお願いします。
片山大輔
はい、片山です。よろしくお願いします。
松本大樹
はい、今回はですね、ゆうばりファンタスティック国際映画祭特集ということで
実は私、手前見せると申し訳ないんですけれども
自分のですね、最新の監督作、極童系VTuberダルマという作品が
いろいろあったんですけれども
今回本当にありがたいことに、このゆうばり映画祭に選んでいただいて
ツユーキー
ゆうばりチョイス部門で、現地上映はないんですけれども
松本大樹
国内上映していただけるということでですね
本当にありがたいなという感じなんですけど
素晴らしいですね
ツユーキー
本当感謝という感じなんですけれども
松本大樹
このゆうばり映画祭って、前々から僕知ってたし
ファンタ系の映画祭で、昔はすごい大きな規模で開催されてて
ツユーキー
いろんな世界中から映画人が来てたっていうのは何となく知ってたんですけど
松本大樹
詳しいことまで全然知らなくて
ツユーキー
今回はそれについてちょっとご紹介するっていうか
松本大樹
実は本も買ったりもしてですね
ツユーキー
どんな本ですか?
松本大樹
ゆうばり映画祭物語っていう
読みたいなと思ってたやつ
ツユーキー
そうなんですよ
小松沢陽一さんっていう、ゆうばり映画祭の立ち上げに関わった
映画祭のプロデューサーの方
東京国際ファンタスティック映画祭っていうのが
かつてあったんですけど
それもやられてた方なんですけど
その方が書いた本
これめちゃくちゃ面白かったんですけど
それを読んだりとかですね
松本大樹
他にも実行委員会さんが出してる本とかも読んだり
ツユーキー
結構あるんですね
片山大輔
そうなんですよ
ツユーキー
その歴史を知ると
こんなにすごい映画祭だったの?っていうのが
松本大樹
知ることができたんで
ツユーキー
それを自分だけで独り占めするんじゃなくて
ちょっと皆さんにも
知ったことをシェアさせていただいて
もしかしたら参加される監督さんとか俳優さんも
ゆうばりって聞いたことあるけど
松本大樹
どういう映画祭なのか
ツユーキー
成田地とか歴史っていうの知らない方も
松本大樹
いらっしゃるかもしれないので
ツユーキー
そこらへんを今日は
松本大樹
ご紹介できたらなという回でございます
ツユーキー
僕がちょっと喋ることが多い会員になると思うんですけども
松本大樹
お二人は寝ないように
寝ませんよ
寝ないです
片山大輔
なんで寝ると思われてるんですか毎回
03:02
片山大輔
寝ませんよ
松本大樹
ちょっとそこだけ注意しながら
寝るようだったら途中で切りますので
片山大輔
奥らかいやないですか
松本大樹
よろしくお願いします
片山大輔
ということで
ツユーキー
真夜中の言霊映画トライアングルスタートです
松本大樹
まずはですね
ツユーキー
ゆうばりの映画祭について話す前に
松本大樹
ゆうばりの街についてどんな街なのか
向こうのとこからですね
ツユーキー
そうですねおっしゃる通りなんですけども
ゆうばり位置的には北海道のほぼ中央に位置していて
松本大樹
空港から新千歳の空港から車で1時間ほどの場所にあるんですけれども
ゆうばりの語源っていうのがゆうばり川から来てるんですけど
その語源があいぬ語でゆうばろですね
ツユーキー
光線の巻き出るところという意味なんですけれども
これ明治の初期ですね
松本大樹
明治7年に北海道開拓史に雇われた地質学者
ベンジャミン・スミス・ライマンという方がですね
北海道に来て調査をして
ゆうばりに石炭が埋蔵されてるってことを指摘したんですね
片山大輔
なるほど
ツユーキー
その後その日本人の技師が調査をして石炭を発見して
松本大樹
これはすごいってなって
当時明治国家っていうのは近代化を急いでいて
ツユーキー
石炭っていうのが国の中で一番重要な産業だという風にしていて
松本大樹
育成保護してきたんですね
ツユーキー
その国の養成のもとにゆうばりでどんどん炭鉱が開港していくんですけれども
松本大樹
そういった中で一つの炭鉱ができるとそこに鉄道が通ったりとか
集落が生まれていったりとかして
ゆうばりはどんどん栄えていくわけですよね炭鉱の街として
炭鉱開港時にですね人口っていうのが300名ほどだったんですけれども
ツユーキー
これが昭和18年ゆうばり市になるんですね
松本大樹
この街がゆうばり市として登録されるんですけれども
ツユーキー
その頃にはなんと7万人を超える
松本大樹
こんなに増えました
ツユーキー
はい
片山さんがいる三田市が今10万人近い
片山大輔
ちょっと待ってください
僕最後に記憶してたのは15万人やったんですけど
ツユーキー
そうなんですね
片山大輔
5万人も減ったの
ツユーキー
そうそうそう
だから今の三田市よりちょっと少ないぐらい
松本大樹
そんな感じでゆうばりっていうのは炭鉱で栄えてきたんですけども
ツユーキー
炭鉱で一つちょっと問題があって事故がよく起こってたんですよね
片山大輔
落盤とか
松本大樹
そうですねガス爆発が起きちゃって
そこで炭鉱で働いてた人が亡くなってしまったりとか
06:03
松本大樹
怪我を負ってしまうみたいなことが多かったんですけれども
ツユーキー
そういった中でその炭鉱で働く人たちは
松本大樹
もうだんだん助け合うようになっていくという中で
ツユーキー
友子制度っていうのがあって
要は誰かが怪我をすると
その一緒に働いてる人組合からその寒波を募って
その人の生活を保護すると
松本大樹
そういう制度があったりとかですね
ツユーキー
あとその暮らしていたのが長屋なんですね
松本大樹
こういうちょっと今お二人に画像をお見せしてるんですけども
ツユーキー
ゆうばりの長屋に暮らして
この炭鉱で働く人たちは暮らしていて
松本大樹
一つの道にこういうふうに16個の長屋があったということなんですよね
ツユーキー
1個がその中が八畳間と台所だけという
すごい狭い空間だったんですけれども
こういうふうに隣の家とは仕切りの壁を挟んでるだけなので
松本大樹
ほぼ声とかがもう筒抜けの状態で
ツユーキー
隣の人が何してるか分かるっていう
開放的な暮らしだったんですけど
それが肩を寄せ合って生きるゆうばりの人たちの
松本大樹
助け合いの精神を育んでいったというふうに言われてるんですけれども
ツユーキー
そんなふうに街ができていったんですけれども
そういった環境の中で炭鉱での仕事っていうのが
かなり過酷なものだったんですけれども
その人たちの唯一の娯楽っていうのが
これ映画だったんですね
松本大樹
なんとですね
最盛期にはこのゆうばり市内に
17館映画館があったと
ツユーキー
すごいですね
死の中に17館もある
しかもこの炭鉱で働く人たちっていうのは
抗体制で働くので
松本大樹
映画館も24時間営業してたらしいんですね
すべての映画館が
ツユーキー
これはすごいな
夢の国ですね
片山大輔
夢の国
ツユーキー
ずっと思えん
この時代にタイムスリップしたいな
松本大樹
すごいな
ツユーキー
感じなんですけれども
昭和34年には年間の映画入場人員が
松本大樹
232万人
興業収入は1億円ということで
ツユーキー
これがですねもう絶頂期というか
松本大樹
みんなずっと映画を見てたっていう時期だったんですけれども
ただ翌年の昭和35年に
この映画っていうのはちょっと限りが見えてくるんですね
ツユーキー
なんでかっていうと
松本大樹
なんでだと思いますか
第二次世界大戦ですか
昭和35年
あれ違う
35年言ったら
あるものが
ツユーキー
あるものが普及するんですよね
松本大樹
テレビ
テレビがですね
ツユーキー
普及してしまって
09:01
松本大樹
だんだんみんな映画じゃなくて
テレビを見るようになってしまうと
ツユーキー
しかも追い討ちをかけるように
松本大樹
昭和37年に
ツユーキー
政府が石油の輸入を自由化するんですね
そうなってくると
松本大樹
エネルギーが石炭から石油に変わっていってしまって
ツユーキー
石炭産業っていうのがどんどん社用産業になっていく
ですね
松本大樹
ゆばりからどんどん人口が流出していくという
こういった中で
映画館も徐々に閉館していくみたいな感じで
どこの都市でもこれは起こっていて
地方都市
ツユーキー
こういう地方都市になると
映画館っていうのが全くなくなってしまって
自然と落とされてしまうっていう
全国ではそういう状況だったんですけれども
松本大樹
ゆばりはちょっと違っていて
ある男が立ち上がるんですね
ツユーキー
当時ですね
ゆばり市の教育委員会の
松本大樹
社会教育課長だった
中田哲次さんという方なんですけれども
この人何をしたかというと
映画館をですね
ツユーキー
市営にして町に残したんですね
松本大樹
市が要は管理してるってことですね
ツユーキー
昭和38年に完成する市民会館っていうの
松本大樹
建設を担当されてたんですけどこの人は
ツユーキー
その当時の市長に内緒で
松本大樹
その市民会館に
35味の映写機を植え付けて
映画館として使用できるようにしたと
ツユーキー
市民会館を映画館にしちゃったという
松本大樹
すごい人なんですけど
ツユーキー
翌年には映画鑑賞会っていうのを発足させて
松本大樹
要は市民の方々に
会費300円で映画を見られるようにして
1000人以上を超える市民が登録してですね
とにかく市民の人に映画を見続けてもらおう
ツユーキー
ということでとにかく映画が好きだった方なんですね
松本大樹
この人がですね
出世して昭和54年に市長に就任します
中田定生さんが
この市民会館が正式に市営の映画館になるんですよ
ツユーキー
市営の映画館ってすごいなって思うんですけど
松本大樹
潰れることないですね
市が頑張ってる限りは続けられるっていう感じなんですけど
もっとすごいのがこの中田市長はですね
ツユーキー
当時映画館の番組編成を自らやってたんですね
市長が自ら配給会社の札幌支社を訪れて
松本大樹
市民会館で上映する作品を
うちによこしてくれて交渉をしに行ったりとか
市役所での仕事が終わった後に
映画の洗剤を切ったり貼ったりして
ツユーキー
上映作品の新聞広告とかチラシを作って
片山大輔
市長がですよ
僕そんな市長やったら毎年投票しますよ
12:00
松本大樹
選挙ありましたけどこの間
参院選あったけど
映画についてどう考えるかみたいな
片山大輔
そんな人いませんもんね
松本大樹
人間に会っていいですよね
もちろんやるべきことちゃんとやった上で
片山大輔
もちろんそうです
ツユーキー
市役所で仕事が終わった後にこういうことをしてたので
個人的にもやっぱり映画が好きで
文化として残したいという思いがあったんでしょうね
この方がですね
そういった感じで夕張が
松本大樹
エネルギーが石炭化石油に変わって
ツユーキー
どんどん加速化していって
急激に衰退していく中でやばいとなって
擁立された新しい市長さんだったんですけれども
この人は石炭産業に未来はないという風に
最初から言っていて
観光の方に舵を切るんですね
こういう石炭の歴史村とかですね
いろんな観光施設を作って
松本大樹
観光客を呼び込むなどして
危機を乗り切ろうという風に
するんですけれども
ツユーキー
この時に観光需要を作るために
映画祭がいいんじゃないかというのを
松本大樹
考え始めるんですね
もちろん自身が映画が好きだという方なので
ちょっと画像を見せるの忘れてた
いいっすねヨドガーさんみたいですね
ツユーキー
そうなんですよ
松本大樹
似てるなって思ったんですね
ツユーキー
今お二人に市長の顔を見て
しかもこれ仮面ライダーか何かに
仮面を出演した時の写真だったんですけれども
松本大樹
仮面ライダー出たんですか市長
ツユーキー
出たみたいですね
松本大樹
その時の写真をお見せしている状況なんですけど
映画祭やりてーってなって
ツユーキー
この市長さんが
東京国際映画祭のプロデューサーだった
これも同じ北海道の札幌出身の石田達郎さんという方に
相談しに行くんですね
松本大樹
映画祭やりてーんだけどみたいな話で
石田さんってフジテレビの社長だった方なんですけれども
ツユーキー
中田さんから
松本大樹
街の活性化プランとか
当時松下幸さんという会社が
ツユーキー
この夕張に本格的なスキーリゾートを
開発しようとしていたという話をしたところ
松本大樹
この石田さんがですね
それなら海外に
ツユーキー
スキー場と映画祭が結びついた
松本大樹
興味深い映画祭があると
ツユーキー
それをお手本にしたらいいんじゃないか
という話をするんですね
松本大樹
それがアボリアツ国際ファンタスティック映画祭
ツユーキー
という映画祭なんですけれども
15:00
松本大樹
1993年に国内のみの映画祭になってしまって
ツユーキー
名前もジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭
松本大樹
という風に変わっちゃって
ツユーキー
今はそもそもこういう国際映画祭はないんですけれども
松本大樹
当時すごい映画祭だったんですね
ちょっと簡単にご紹介すると
スティーブン・スピルバークス
を発掘したことで有名で
スピルバークが24歳に撮った
ツユーキー
ギヒトツという作品がありますよね
松本大樹
これを第1回のグランプリに選んだということで
ここからスピルバークが世の中に出ていくということで
スピルバークもインタビューで
僕はアボリアツが好きだ
ツユーキー
なぜなら僕を発見してくれた最初の映画祭だから
ということを言っているんですけれども
審査員も初回からカンヌ並みで
ロマン・ポランスキーだったり
松本大樹
アントニオンだったりとか
スピルバーク・ロバート・デニーロとか
ツユーキー
その2回以降もどんどん有名な監督が
出てくるんですけれども
松本大樹
そういった監督たちの審査によって
ツユーキー
作品が世に認められた監督は
松本大樹
他にスピルバーク以外にも
デイビット・リンチとかジョン・カーペンター
リュック・ベッソン・ニール・ジョーダンとかも
早々たる今活躍している世界の
巨匠たちがこのアボリアツから出てきた
ツユーキー
元々このアボリアツというのは
フランスのアルプスの標高
1800mの大自然の真っ只中に
リゾートタウンを作ったんです
画像を見るとすごい綺麗なんですけれども
まずこういう感じのところを
松本大樹
お二人に馬車も通ってたりとか
死ぬ前に一回行ってみたいなって
滑りに行きたいですね
片山大輔
滑りに行きたい
松本大樹
こういうリゾートを作ったんですけれども
ツユーキー
実は作った当初っていうのは
なかなか知名度がなくて
集客に苦戦してたらしいんですよね
だからこの集客に
松本大樹
効果がある映画祭をやることで
ツユーキー
このアボリアツを観光地として
もっと売っていこうみたいな目的で
松本大樹
始めたということだったんですけれども
ツユーキー
それで成功した映画祭だったので
この中田賞は夕張を
日本のアボリアツみたいな映画祭に
松本大樹
しようということで
当時ふるさと創生資金という国から
お金が出てたんですけれども
1億円突っ込んで
さらにいろんなお金を出して
2億円の予算で
第1回夕張ファンタスティック映画祭を
開催するんですけれども
18:01
松本大樹
この記念すべき第1回開催なんですけれども
当時ちょっと運営が大変で
まだ大きなホテルっていうのが
ツユーキー
お客さんを収容できなくて
松本大樹
ホテルを急遽ちょっと部屋増やして
増築したりとか
あと面白いなと思ったのが
JR北海道さんからですね
寝台特急列車を借りて
片山大輔
列車をホテルにするって
ツユーキー
ちょっとロマンありますね
それで泊まった人って一生の思いになる
松本大樹
映画祭に行けるっていう
ツユーキー
そうなんですよ
松本大樹
そういったご苦労があって
ツユーキー
1回目の映画祭を開催するんですけれども
この開催したのがですね
1990年の2月なんですけれども
その1ヶ月後にですね
夕張の最後の単行がもう閉まってしまう
中田市長はここの開催に
こだわってたみたいで
単行から変わるんだと
映画に変わるんだっていう節目として
この映画祭をどうしても開催したかった
第1回からもすごい花々しくですね
いろんなゲストを
早々とあるゲストを呼ぶんですけれども
第1回の審査委員長がアメリカの名優
片山大輔
ジョン・ボイトさんという方
ツユーキー
これもしかしたらピンと来ない方も
名前だけでピンと来ない方もいるかもしれません
松本大樹
この写真の
画像を見たらすぐ分かりますよね
ツユーキー
この人かって
いろんなミッション・インフォーシブルとか
いろんな作品にも出ている方なので
絶対映画好きの方なら
この人見たことあるっていう感じだと思うんですけど
彼が審査委員長
この時に
当時ジョン・ボイトというのは
来た時は奥さんと別れたばっかりだったんですね
娘さんのアンジェリーナ・ジョリー
を連れてきて
一緒に来るんですよ
松本大樹
ちょうどそういう時期に来てて
アンジェリーナは
ツユーキー
後のインタビューで言ってるんですけど
映画祭関係者の方々が
松本大樹
好きに連れて行ってくれたりしてたと
ツユーキー
私もその時すごくセンシティブな時期だったんだけど
松本大樹
徐々に打ち解けていって
ツユーキー
父親とも夕張というのは
水いらずで過ごせた唯一の場所だった
この時間はよかったっていうことを言ってるんですけど
そういった感じで
松本大樹
一回目開催をして
ツユーキー
このジョン・ボイトの
21:00
ツユーキー
一回目の挨拶も感動したんですけれども
松本大樹
開会式でジョン・ボイトが言ったことが
ツユーキー
苦難にあいながらもこの街に残り
松本大樹
住み続けている人たちがいると
傷つき苦しんだ人間ほど強く優しくなれる
ツユーキー
それが夕張だって言ってるんですけど
要はこのジョン・ボイトが
今大変な状況にあると
松本大樹
単語がしちまっちゃって
ツユーキー
失態していく中で
住民の人たちが笑顔をつかむような思いで
この映画祭を開催するっていうことを理解してたんですね
松本大樹
理解しててこのスピーチをした
ツユーキー
すごく夕張の方々も感動したって書いてあったんですけれども
第1回の動員も
松本大樹
8740人ということで
ツユーキー
これ週刊のキャッパから考えたら
松本大樹
予想以上の成功だったっていう感じなんですけれども
ツユーキー
そういう感じで1回目成功してですね
2回目3回目4回目と
松本大樹
どんどんパワーアップしていくというか
すごい世界中から映画人が集まってくる
映画祭として成長していくんですけれども
ツユーキー
ここでちょっとどうしてもご紹介したい
松本大樹
夕張から羽ばたいていった
羽ばたいていった監督ということで
片山大輔
きっとあれですよね
松本大樹
かてまさん好きな
片山大輔
僕も松本さんも大好きな
松本大樹
嫌いな人いないでしょ
いないでしょ
これがクエンティン・タランティーノ監督ですね
彼はですね
ツユーキー
僕は世界中の映画祭に参加をしたが夕張が一番楽しかったという
松本大樹
ことを言ってるんですよね
この第4回の映画祭で
タランティーノっていうのは来日するんですけれども
夕張に到着するとですねタランティーノ大興奮して
もうちょっと
そう状態というか
ツユーキー
いろいろ本とか見てたり
松本大樹
雪だるまの被ってるやつとか
ツユーキー
ハッピー着てるやつとかすごい写真が
いろいろたくさんあったんですけれども
なんでこんなにタランティーノ興奮したのかというと
まず彼はロサンゼルスの育ちなので
松本大樹
雪国に来るっていうのが初めてだったみたいな
ツユーキー
雪をもう間近で見た
その興奮みたいなのが
いっぱい興奮に移していったという
松本大樹
感じなんですけれども
ツユーキー
このタランティーノが持ってきた
レザーボアドックス
松本大樹
これが夕張で評価賞を受賞するんです
ツユーキー
これがタランティーノ自身が
初めて映画祭で獲得した賞ということで
松本大樹
なのでタランティーノは
すごく夕張に感謝してる
自分を見つけてくれたということで
ツユーキー
感謝してるってことなんですけれども
24:00
松本大樹
タランティーノがすごく映画祭楽しんでたんですけれども
ツユーキー
一番楽しんだのが映画祭最終日の
サヨナラパーティーっていうのがある
松本大樹
これ今でもやってるみたいなんですけど
その後に中田師匠が寮邸みどりというところで
開催した宴会だったんですね
そこでカラオケをしたりとか
すごく師匠と楽しんだっていうことなんですけれども
ツユーキー
この小松沢さんですね
松本大樹
この本を書いた小松沢さんっていうのが
その後にですね
2003年にキルビルですね
タランティーノがこの夕張にかなり影響を受けた
オマージュを捧げたこのキルビル
っていう作品を撮ったときに
試写会に招待されたと
一番有名なゴーゴー夕張って
ツユーキー
栗山千彩さんが出てくる
キャラクターの名前に夕張を入れるという
松本大樹
このゴーゴー夕張はですね
脚本の段階では雪夕張という
ツユーキー
姉妹がいて
松本大樹
これを柴崎幸さんに演じてもらう予定だった
片山大輔
全然違かったですね
ツユーキー
みたいですね
こういうのも大好き
僕本当にバカにされるんですけど
片山大輔
タランティーノの作品の中でキルビルが一番好きなんですよ
松本大樹
そうなんですよ
片山大輔
いつも栗山さんに言われるんですけど
僕は未だに嘘でしょって思ってます
作り手側からしたらそうなんかなって感じはします
そうですね
ツユーキー
世代なのかな
一番盛り上がってたキルビルが国内で上映されて盛り上がった時
自分も青春時代だったので
時代もあるのかもしれないんですけど
そんな中で小松沢さんが試写会で見た時に
一番感動したのが
終盤で
いわゆる青葉屋のシーンですよね
僕本当に
松本大樹
ここで
青葉屋にオウレンシーたちが入ってくる
ツユーキー
片山さんの大好きな
松本大樹
ホテイさんの
ホテイさんの
ツユーキー
ギターに合わせて
このシーンが
松本大樹
ジュラシックパークのラストくらい
ツユーキー
5本の指に入るくらい好きで
テンション上げたい時にYouTubeで見るくらい
本当に好きなシーンなんですけど
これを
松本大樹
この宴会をすると
ツユーキー
この時に
小松沢さんは
松本大樹
タランティーノがこの映画祭に来てくれる時に
最後に両手緑で
ツユーキー
演歌をしていた
27:01
ツユーキー
インスピレーションを受けている
すごく感動した
松本大樹
最後に
決闘シーンは雪の中でやりますよね
ツユーキー
そういったこともあるし
泣きながらキルビルを見ていた
片山大輔
小松沢さんの頃
ツユーキー
そういう感じでこのキルビルって
僕も大好きな作品で
今回上映していただくダルマに
こういうキルビルオマージュも入れてますし
それが
ユーバリーがなければこの作品は生まれなかったことを知って
松本大樹
僕もすごく感動したという感じではあるんですけど
ツユーキー
あとちょっと別の作品で言うと
小松沢さんが書いてて面白いなと思ったのが
タランティーノがユーバリーに来た時に
宴会参加するんだけど
いつも夜の11時になると必ずホテルの部屋に戻って
行ってたらしいんですよ
それが
なんとこのパルプフィクションだったんですね
翌年カンヌでパルムドールを受賞する作品です
要はこのパルプフィクションの
脚本の仕上げっていうのをユーバリーでやってたっていう
それもちょっと感動だなっていう
パルプフィクションの仕上げっていうのを
ユーバリーでやってたっていう
それもちょっと感動だなっていう
松本大樹
そんな感じでタランティーノはすごくユーバリーを楽しんで
ツユーキー
以降このユーバリー映画祭を
協力的にサポートしていくんですけど
次の第5回のゲスト
というか審査員がある予定してた人が
松本大樹
ちょっとダメになってしまって
ツユーキー
タランティーノ誰かいないっていうので
松本大樹
頼んだところにデニスホッパーをですね
ツユーキー
デニスホッパー
片山大輔
デニスホッパー
松本大樹
紹介する審査員として
ツユーキー
そうなんですよ
デニスホッパーが言ってるインタビューで面白いのが
松本大樹
クエンティンは電話で1時間以上もユーバリの街と
ツユーキー
映画祭の魅力を話し続けていたよと
最後にこうまで言ったんだユーバリの雪は世界一美しい
神が雪を降らせている場所だと
デニスホッパーは電話でタランティーノと
松本大樹
ユーバリの雪は世界一美しい
ツユーキー
そういう感じなんですね
この第5回
松本大樹
タランティーノが来た次の第5回が神回で
これはデニスホッパーだけじゃなくて
ツユーキー
なんとこの時にかつしん太郎さんが
松本大樹
審査員として
ツユーキー
来るんですね
実は当時かつさんというのは
すごいなと思ったんですけど
松本大樹
対魔事件を起こして禁止中だったんですよね
30:02
ツユーキー
有名な記者会見で
松本大樹
パンツの中で入ってて
俺はこれからパンツ履かないみたいな
記者会見で発言が有名になった
ツユーキー
この小松沢さんが
何も当てがないのに
松本大樹
かつさんのところに訪ねて
来てくださいと
その時かつさんは寝転んだまま
ツユーキー
タバコを吹かしながら話を聞いていた
松本大樹
ユーバリはこういう映画祭です
もうダメかなと思ったんですけど
実はこのユーバリ映画祭
ツユーキー
去年クエンティン・タランティーノという監督が
松本大樹
作品を受賞しましたって言ったら
ツユーキー
突然かつさんがムクッと起き上がって
タランティーノのレザボラドックスってやつ
松本大樹
あれ本当に面白かったなっていう
めっちゃ追いつきましたね
ツユーキー
彼の作品の持つ斬新性を分析し
松本大樹
熱く語り始めたって書いてあったんです
ツユーキー
だからタランティーノが来たことが決めてとなって
評価してたんでしょうねかつさんも
松本大樹
自分も参加するってことになったんですけど
そうなんですよ
ツユーキー
この時はデニス・ホッパ、かつしん太郎
あと台湾のホーシャオシャンという監督
松本大樹
この監督もユーバリに来て本当に気に入って
ツユーキー
自分の作品ミリニューアンマンボっていう作品を
ユーバリで撮ったりも後にするんですけど
そういったレジェントたちが審査員に名を連ねて
始まったと
開会式でかつしん太郎が
松本大樹
参加されて
開会式でかつしん太郎さんが
挨拶してるのこれ面白いんですけれども
ツユーキー
ユーバリ素晴らしいと
松本大樹
こんな綺麗な街に来ていいのか
この雪は素晴らしい綺麗だ
粉じゃなく雪だと
ツユーキー
私の出直しのためにユーバリ映画祭っていうのは
呼んでくれたのか
松本大樹
明日から私は雪を吸いますと粉じゃなくて
そして審査をしますって言って
ツユーキー
会場は爆笑の渦だった
松本大樹
すごいなって
ツユーキー
こういう人を呼んで
すごいなっていう感じなんですけど
その年の映画祭っていうのは大盛り上がりで
松本大樹
かつさんが来たっていうことで
当時竹中直樹さんだったりとか
ツユーキー
塚本純二監督とか
若手の人たちがかつしん太郎の部屋に集まって
松本大樹
夜な夜な盛り上がっていた
ツユーキー
すごいメンツですね
片山大輔
やばいメンツですよ
松本大樹
そんな感じで
ツユーキー
これが絶頂期だったと思うんですけど
すごくこういう風にユーバリ映画祭っていうのは
松本大樹
盛り上がっていったんですけれども
33:02
ツユーキー
2003年にですね
悲しい頃にこの頑張ってきた中田市長っていうのが
お亡くなりになってしまうということなんですよね
松本大樹
さらに2006年に
ユーバリ市っていうのは財政破綻してしまいました
ツユーキー
当時632億円の巨額負債を抱えるということで
メディアはですね
松本大樹
単行無き後に
こういう観光開発に
財政破綻してしまったという
巨額負債を積み上げてしまった原因だという風に
ツユーキー
盛んに翻弄したんですけれども
松本大樹
当然こういう状況になってしまったので
ツユーキー
映画祭もこの流れから一旦中止ということで
松本大樹
なってしまったんです
これ本当に財政破綻ってなかなかイメージ
できないなっていう感じなんですけど
ツユーキー
要はもう
松本大樹
映画祭の中で
ツユーキー
市がやっていることが
松本大樹
できなくなってしまうということなんですね
ツユーキー
行政が作成した再建案
これを読んでいたんですけどすごく
市民会館図書館美術館全て閉鎖と
市役所の職員を半分にリストラ
観光施設の従業員全員解雇
施設を民間に売却
松本大樹
7校ある学校
孤立学校は3校に統合
ツユーキー
老中ホームなど施設も全て閉鎖
松本大樹
保育園を値上げという
ツユーキー
とんでもない状況ばかりがあって
ある市民の人がですね
国は俺たちに死ねと言ってるのかという風に
叫んでいるという
松本大樹
そんなすごい過酷な状況だったんですけれども
そんな中で映画祭も
ツユーキー
なくなっちゃったんですけど
市民の人たちが立ち上がるんですね
もう一回映画祭を
松本大樹
やった方がいいんじゃないか
要はですね
ここに書いてあるんですけど
この2ヶ月間あまり映画祭が中止になった
ツユーキー
ということが当然だという意見がある一方で
中止を惜しむ声とか協力のメッセージ
松本大樹
というのが
ツユーキー
私たちの元に来ていると
映画関係者だけじゃなくて全国の市民から集まっているんだと
この映画祭にこのまま幕を下ろしていいのだろうかと
歴史を捨て去った後に
松本大樹
新しい何かを再生できるのかと
ツユーキー
夕張市民である私たちは映画祭を復活させることこそが
これからの夕張再生の象徴であるという風に
松本大樹
市民の人たちがこういう声明文を
メディアに出して
ツユーキー
沢田直也さんという方が中心となって
松本大樹
NPO法人夕張ファンタを設立するんですね
ツユーキー
そこから復活に向けて
松本大樹
歩んでいくということなんですけれども
36:02
松本大樹
だから一回
こういう風に
中止になってしまったんですけれども
ツユーキー
市民の方々が思いで立ち上がって夕張を
もう一回
街として復活させるためにも映画祭を復活させなければいけないということで
松本大樹
立ち上がって
もちろんこれまでのように
世界中から映画人たちを呼んでみたいな
予算をかけてみたいなことはできないんだけれども
縮小した形で続けていこうということで
まずですね
夕張応援映画祭というのを開催してですね
本当にいろんな映画会社だったりとか
ロッキーもですね
ロッキーザファイナルがですね
夕張のためにわざわざポスターを作ったりもして
夕張復活頑張れみたいなメッセージを出したりとか
して見事に復活をする
ということなんですけれども
ツユーキー
それで毎年毎年
松本大樹
こういう風に続いてきたということで
すみません長々と話していましたけど
片山大輔
こうやって知ればやっぱり思い入れが
松本大樹
そうなんですよ
ツユーキー
だから本当に冒頭申し上げましたけど
松本大樹
このダルマって映画も延長とかがあったりしたんですけど
ツユーキー
そういう作品を選んでくれて
この歴史を見ると本当復活の象徴の街と言いますか
松本大樹
そうですね
ツユーキー
映画祭自体も1回中止になって
そこから復活してますし
それこそ今もコロナがあって
松本大樹
リアル開催というのがなくなってしまって
ツユーキー
今年また3年ぶりに
松本大樹
開催というのもありますし
ツユーキー
こういうカツさんであったりとか
ジョン・ボイットとかそうですし
プライベート大変な人たちも呼んで
温かい気持ちで呼んで
松本大樹
すごい優しい街だなって思うんですけど
ツユーキー
そういった中で本当に
松本大樹
この作品を選んでいただいて
ツユーキー
大好きなキルビルを育んだ
松本大樹
ですよね
映画祭に行けるっていうことは本当にありがたいなと思って
なので今回ですね
ツユーキー
僕らのダルマというのは
現地上映がないんですけれども
松本大樹
オンライン上映しかないし
別にコンペではないので
ツユーキー
グランプリとかに関わることではないんですけれども
直接行って選んでくださってありがとうという
松本大樹
思いだけ伝えたいなと思って
渡山さんとカイドさんも連れて
現地に行ったり
ご挨拶だけでもできたらいいな
ツユーキー
というふうに思ってるんですけれども
片山大輔
あとは全員が関係ないですけど
39:00
片山大輔
うちの祖母が夕張出身
渡山さんにちょっと夕張の血が流れている
だからうちの祖母のお母さんが
松本大樹
炭鉱で働いてた
片山大輔
だから夕張映画祭は
知ってはいたんですけどまさか夕張に行くとは思わなかったですね
このタイミングで
しかも祖母がまだ生きてて
松本大樹
絶対行かないとダメですね
片山大輔
映画は盛んだって言ってましたよね
映画はずっとやってたと言ってましたよね
映画の街でもあるんですよね
ツユーキー
この映画ですよね
上映はないんですけどね
松本大樹
コンプでもないんですけど
映画の街でもあるんですよね
映画の街でもあるんですよね
ツユーキー
コンプでもないんですけど
片山大輔
上映する?って言ってくるかもしれない
松本大樹
1回くらいしてくれるかもしれない
ツユーキー
パソコン持って行く?
片山大輔
手に繋いでね
ツユーキー
僕らは一応用意してましたよ
片山大輔
ちょっと見たい人来てください
それも醍醐味なんじゃないかなって思う
ツユーキー
それやってもいいかもしれない
片山大輔
怒られるかもしれない
松本大樹
フールーフで見ないと
それこそ24時間やってた
歴史があるわけですから
時間伸ばしたらいいじゃないですか
2時間くらいね
そうですね
ツユーキー
行くべきですね
感謝だけ
この1回上映
世の中に出すチャンスを与えてくださって
ことに対して感謝の思いだけは伝えに行かないとな
松本大樹
ってことが大事ですね
自己委員の方にお礼だけ言えたらいいな
僕たちは達成したかなって
あとカイドウさんにレッドカーペット歩いてもらって
片山大輔
写真撮ってね
松本大樹
写真撮ってちょっと上げていただいて
そうですね
勝手に歩いて
コンペ部門じゃないので
ツユーキー
そうですね
そういうことができればいいなって思いますし
この映画祭シリーズも
他の映画祭とかもやってもいいかなって
松本大樹
思うんです
ツユーキー
やっぱりこういう映画祭のイベントって
すごく大変だなって思うんですよね
松本大樹
神戸でも斉藤さんインディベントの映画祭やってますけど
見てたらすごい大変そうですし
ツユーキー
やっぱり思いっていうか
松本大樹
映画への思いだったり
いろんなご協力がないとできないことだと思うので
ほんとやってる人たちリスペクトだなと思って
42:01
松本大樹
なかなか大変なことばかりだと思うんですけど
そうですね
ツユーキー
ただそういう映画祭があるおかげで
松本大樹
僕らも世の中に出ていけるっていう
ツユーキー
作品に見てもらえるチャンスが広まるっていうところがあると思うんで
松本大樹
はい
本当にありがとうございます
映画祭やってくださっている串田さん
ありがとうございます
片山大輔
本当にいいですね
映画そう思ったら歴史ありますね
松本大樹
はい
そんな感じでございます
ありがとうございます
長々と話してもらいましたが
夕張映画祭ここまでです
また現地で面白い映画とか見れたら
またここまでやらせてもらうかもしれないですけど
ツユーキー
よろしくお願いします
松本大樹
ということで今回は夕張の特集でした
ツユーキー
ありがとうございました
43:23

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