素直な気持ちで子育てをした方が、子育てのいろんな悩みとかも越えられるし、幸せに子育てを味わえるよう的なのが、さやちゃんのマインドでまず合ってた。
そうだね。
合ってるよね。
合ってる。
で、その絵をどうしたらいいんだろうかって話を前のポッドキャストで話したときに、世間体なのだよと、さやちゃんが強く言いました。
まずは世間体だね、みたいなね。
そう。さやちゃんの体験とかも踏まえながら、なんかその世間体とどう関わればいいのかとか、うまく落とし込めずにあの回終わったんだよね。
そうなの。
うわー、言葉にできないって言ってね。
でもそれぐらいのテーマではあるよね、世間体なんてさ、すごくなんか親玉のような気もするし、だからもっともっともっとなんか1年通してこの子と喋ってもいいかもしれないしって思ってたところ、収録の後にさやちゃんが、なんかちょっと言語化できたよっていうラインが来たから、今日はそれを喋ってもらいます。
ありがとうございます。なんかこの間は私が子育て支援センターに行くのが苦手みたいな話をして、それは子育て支援センター自体のことを否定しているとかじゃなくて、私自身の在り方としてその子育て支援センターへの生き方というか向き合い方っていうことについて前回の収録でお話ししたんだけど、それがようやく言葉にできたというか、これだって思えたっていうことがあって。
それ言っちゃっていい?
いいんだよ。
それはですね、ズバリ割り切るということです。で、それね、なんか私の子育て支援センターに対する向き合い方だけじゃなくて、いろんなことに当てはまるなって、今日ややちゃんと会って改めて思ったの。
今日また?
なんか別にややちゃんがどうとかそういうことじゃなくて、そういえばいろんなところにつながるなって。
もう割り切ろうみたいな。もう割り切って今日過ごそうみたいなさ、そういうのって結構あったりしない?
諦めるに近いのかな。でも、諦めるではないんだよね、私の思いは。
確かに諦めるって感じちゃいそうだけど、母親としてのさやちゃん、第一子のときに特にこれ聞いてるお母さんたちと同じぐらい悩んでたと思うんだけど、その第一子の段階で割り切るがうまく切り替えられたの?
そうなのかもしれない。そのときはどう思ってたかは忘れたけど、割り切ることができてたんだろうなっていうのを思うことができる。
割り切るとは、そういうのが苦手な私なりに考えると、嫌な感情とかってずっと持ってても本当にどうしようもないものだから、その日の同じ美味しいブドウが目の前にあっても美味しく感じられないぐらい引きずっちゃうことってすごくもったいないし、切り取れるものは切り取っちゃおうみたいなものかな。
そうだね、なんかそんな感じなのかな。私としては子育て支援センターに行くのが苦手だけど、その日工作とかワークショップがあったらいけるみたいな感じ。だから目的をしっかり持って割り切るっていうことがはっきりした答えだったんだよね。
この前も目的って言ってたね。
だからそれは多分違うことにも言えて、例えば行きたくない嫌なところがあったとしても、今日は何か楽しいことがありそうだから行くとかっていうのも、同じ場所で嫌なところではあるけど、自分が目的を持って割り切れさえすれば行く流れにつながっていくわけじゃん。
だから諦めると言うと、ちょっと自分の気持ちも落ち込むような感じあるけど、割り切るはむしろ楽しくしちゃおっかみたいな感じ。だから諦めるではなくて割り切るなんだよね、私は。
割り切るぐらいなら行かなくてもいいじゃないかとかちょっと思っちゃうけど、
そういうことか。でも行きたいっていう目的があるから、そのために行けばいいってことだよね、単純にね。
割り切るっていうことも、人それぞれ違うのか価値観が。
そうね。
そしたらあれなんだ、いあいちゃんと私の割り切るも違うんだ。
なんか多分生きてきた背景違うからね。
さあちゃん基本的に、とっても素敵な父ちゃん母ちゃんのなんか、じいちゃんのなんか、のびのび育ってきてる分の、多分辞書が結構ポジティブめな言葉で説明されてると思う。
そういうことか。
そんな気がする。
そっか。でもあきらめるではないでしょ?あきらめるではない気がしない?割り切っていく。
まあ割り切っていくはそうだよね。
これはね、難しくていいんですよ。ちょうどいいんですよ。
そうそう。
ホットキャストにいいテーマなんですよ。
だからね、私はそう思った。
例えば義理のお母さんとかが、離乳食これがすごくおいしいから食べさせてあげなよ、みたいな言ったとするじゃん。
それは相手のご実家とかで。そしたら、それあんまりあげたくないけど、今日は割り切って食べさせるかみたいなさ。
ここだけ頑張るか、みたいな。
それも含まれてるね。目的とはまた別のところの、それは目的とはちょっと違うもんね。
そうだね、確かにね。主体が誰かとかだねってことは。
お母さんか、子供か。
でも基本的に子育ての場合さ、どこかに連れて行くとかって、お母さんの気持ちのことが大きいじゃん。
お母さんが連れてきたくないなとか、体調優れないなっていう時はやっぱり行かないから。
そうなってくると、お母さんが行きたいか行きたくないかとか、お母さんが食べさせてもいいか食べさせたくないかみたいなところ。
その割り切りがあると、さっきの私の説明の仕方じゃないけど、心にかかってくるストレス値が減るから。
そうだね。
割り切らないで置いた分だけ、1日中ちょっとグレーな気持ちがずっと何しててもかかってきちゃうから。
割り切ったとしても?たとえ。
割り切るとグレーな部分がもう排除できた段階で、自分の素直な気持ちで生きていることができるのを1日の大半占めるけど、
割り切りというスイッチを持ってなければ、1日もやがかかったような1日のまま、私の子育てに反してたとか、私が大事にしたかったこれを守れなかったっていう気持ちをずっと持ったまま、
散歩行ったり、ご飯作ったり、ご飯食べたり、なっちゃうっていう割合が増えちゃうからかなーとか思いながら聞いてた。
確かに。割り切るっていうことをしてない人もいるかもしれないしね。
だとしたら、その選択ってさ、できなくない?って思った。
そうだね。結婚前とかは、自分の暮らしがあったり、一人暮らししたりとか、家族の文化が強かったりとか、
いろんな価値観の違う人と触れて、人は人の考え方だよねっていうスイッチを持たないまま子育てに入るってことはとっても多いよね、さやちゃんのように。
そうそう、だからあれだ。大事でやっぱ悩むのってさ、結婚とかして、夫婦の生活が始まって、子供が生まれましたってなるとさ、母親自身の生活リズムがめちゃくちゃ変わるじゃん。
夜寝れないとか、ずっと赤ちゃんと一緒とかっていうところでさ、そうすると割り切ってこなかった人にとってはたぶんしんどくて、それがなんでしんどいかっていうと、自分の思い通りに今まで生きてきたわけじゃん。
ある程度、やっぱ自分独身とかのときは自分の好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、会社行って、帰ってきて、何しよっかなみたいなして、みたいなのが崩れて、誰かに会わせなきゃいけないってなったときに、割り切るってことってしなくても生きてこれるから。
だからしてこなかった人もいるかもしれないって思った。
子育ての後って、自分が無になる感覚で、私も出かけるタイミングもわかんないし、好きなご飯を食べられないしとか、すごいゼロになる感じを体感したから、それと世間体が結びついてくるの?
だから、複雑系コミュニケーションなんだと思う。
わからないよ。何を言ってるのかわからないよ。言ってごらん。
だからさ、子育てとは、人間が生きていく上で、いろんな感情やいろんな行動を一気にしなければならないという時代?時期?だから、もう一つだけじゃないってことじゃない?
そっか。悲しいとかも含めた時期なんだけど、それを悲しみのある時期と受けとれない。悲しみもあって、当然の時期と受けとめられない。
世間体一つ取るじゃん。子育てしながら世間体を取りますってなった時に、そこにはいろんな人間関係があって、ここは割り切れるけどここは割り切れないとか、世間体だけじゃないことがまた発生したりとかしてくるわけじゃん。
だから多分、世間体だけでは語りきれないものが子育ての中にはめちゃくちゃあるっていうのが複雑系コミュニケーション。
これはね、複雑すぎてね、これを経ってまた多分日常の中でお互いが、これがって思うところがあるから、また今日の世間体は?つって巻き話しても面白いかもしれない。
ヤイちゃんすごいなって思う。そうやっていろんなことを考えられる。繋げてっていうか、なんだろうね。私じゃない思考だなって思う。
繋げる仕事ではあるんだ。
そうだな。
だからね、繋げるでいくと、これ子育てを素直に味わおうっていう大本命の目的のある話だからさ、この番組は。
素直に味わうために世間体をどう操ればいいのか。つまり割り切るである。
私も割り切るはできるようになってきたから、ちょっと楽になったのかもっていうのがあるかもな。子育て11年目にして。
11年か。
でも本当にそうかも。価値観が違う人とその人を攻撃する気持ちをずっと思わなくてもいいし、
ダメな自分が見つかったとして、それをずっとダメだと思ってる必要もないし、そういう部分はみんなあるから。それが少し私もちょっと楽になってきたヒントではあるからってことかな。
あと悩んでる暇とかなくない?あんまり。1個悩んでたとしたら、次ここでどうしようみたいなこととかが子育て中ってあったりしない。
そうすると、そこまで深く考えられなかったりするのかもしれない。お母ちゃんって。
それが深く考えられずに次進めばいいけどね。それはずっとこんがらがり続ける可能性あるから。
そうだね。そういうこともあるよね。
そういうこともある気がする。
あるあるある。
それがね、それがちょっとこの次の回で、この前私がにじいろの説明会で感じた、お母ちゃんたちがいっぱい泣いてた。
泣いてたね。
これは予告編の話だから結構しゃべれないけど、そこにもすごいつながってくる気がする。
うまく考えが進まないまま、いっぱい糸を持ってたら、全部こんがらがって、ちょっとしたことで受け止めてもらったときの安心感、涙が出ちゃうみたいなのは、そこにもつながる気がするから、それはまたね。
わかった。
すごいね。すごいじゃん。つながっていくね。
じゃあお便りの話に行ってみてもいいですか?
もちろんだよ。
今回のテーマ、世間体にも通ずるかなと思いました。
ちょっと読み上げてみます。
時と場合にもよると思いますが、みんなで何かやろうと言ったとき、やりたくないと子供が言ったときはどうしますか?
やらなくていいよなのか、少しやってみようなのか。
やらない、参加しないを選択することは簡単だけど、日本で生きている以上、そして学校生活では避けて通れない道だと思います。
嫌なこともなんとなくやらないと周りに迷惑がかかってしまう。
けどやりたくない気持ちもわかる。やりたいの中には失敗したくないという気持ち、やってみたいけど言えない気持ちがあることもわかっています。
さやちゃんならどうしますか?
知りたいです。とのことです。
おい、難しい。
これね、何個も選択肢があるんだよね。
一つじゃないんだよ。
教えて、その選択肢。
うん、教えるね。
いいよ、そんなもったいぶらかった。
いやだから、これほんと難しくて、やるかやらないかどっちがいいですかっていう、すごい単純なことだったら、たぶんやったほうがいいと思うんだよね。
だって経験がさ、増えればその子だって豊かになるはずだから。で、親はそれを見てまたいろんなことを学べるはずだから、たぶんいろんなことを抜きにしてシンプルにはやったほうがいい。
やるに越したことはない。
ただ、そのやるっていうことをやらないっていうことを決める前後の動きもすごく大事だなと思っていて。
今日おうちで何があったかなとか、前やったとき失敗してるなとか、なんかね、そういう複雑系コミュニケーションが絡んでくると思う。
今日出てくるのは複雑系コミュニケーションね。
宮本さんありがとう。
宮本さん?
そう、それでそういうふうに前後の動きがあって、そこを組んだらできたりすることもあるから。
だからその物事自体にやらない理由がないこともあるわけ。
その前のお父さんとかお母さんと喧嘩したとかなんか言われて嫌だったことが、そのことに対しての否定反応だったりするから、
なんかその会話の中とかでこんなことが嫌だったんだよねって、もしかしたら子供がポロって言うかもしれないし、
そういうところをただ拾うだけで、あ、それが嫌だったんだねとか、前失敗したのが嫌な気持ちだったんだねとかっていうことが拾えると、すんなりやることもあったりする。
背景をちょっと感じ取ってみる。
そうそうそうそう。どうしてやりたくないのは基本聞くとして、その前後の動きがあるかもしれないよねっていうこと。
あとはなんだろうな、負けたくないとか、負けそうだとか、そういう時もやりたくないとか、やりたいにつながる時があるよね。
例えばプライドが高い子とか、負けず嫌いな子とか、そういう子は勝負をする前に、負けたら嫌だから、失敗したら嫌だからって思ってしまうことがある。
だから、もしその子の性格を見てそういう性格だとしたら、負けることもあるよみたいな話をする。
みんな負けたりしてそこで強くなっていくんだよって、これもありきたりなアドバイスかもしれないけど、
そういうことを伝えてあげると、負けてもいいんだなとか失敗してもいいんだなっていうことを学べるし、
それやったことによって勝つかもしれないしね、本当に純粋に。
だから結果的にやってみるっていうのが一番いいんだろうなって思うけど、その寄り添い方だよね、大人の在り方といいますか。
それが保育園とか小学校とか幼稚園とかだと、大人がどう関わるかが大きくなってくるので、
お父さんお母さんがそこは手放さなきゃいけないかもしれないじゃん。
何を手放さなきゃいけないの?
やるかやらないかを見守ること。
やらなきゃいけないんだよね、が強すぎちゃうところがあると、たぶん背景聞いたりとか自然にできないよね。
その子の基本スタンスが勝ち負けにこだわる子なのかとか、勝ち負けがすごく怖い子なのかとかっていうのは、
確かにその行くべきだが強すぎちゃうってところはあるかもしれないね。
そう、だから難しいよね。
家だったらある程度背景とかも気にしながら、その子の性格を汲みながらとか、やるやらないって選択できるけど、
これが保育園とか幼稚園とか小学校だと、やるやらないってなかなか向き合えないじゃん。
先生たちもそうだし、子供たちも選択しにくいっていうか。
だから、そこに関してはどこまで介入できるかもポイントになってくるだろうし、親がどこまで介入できるかがポイントになってくるだろうし、
どこまで寄り添ってくれる大人が親以外にいるかっていうところもポイントになってくるだろうから、
その寄り添ってくれそうな大人がいるのであれば、あとはすり合わせだよね。
たとえば、保育園に一緒に行って、その時だけ見守りたいですっていうのが通るのか、
お家の人はもう来ないでくださいって言われるのかとかにもよるし、
こういうところが特性としてあるので、こういう関わり方をしてくださいって親が伝えたことを、
しっかり保育者とか先生がやってくれるかとかっていうところにも寄ったりするから。
さよちゃんならどうしますか?知りたいですってことですが、さよちゃんならそういうふうにしてきたんだね。
来たくないとかブレーキがかかった時とかに、こういう風な背景があるよなとか、こういう経験があったよなとか、
その時、先生とかとちょっと話してみるっていうのをやってたんだ。
そうそうそう。まずは第一は子供と話すんだよね。その目の前の子供が何でやりたいかやりたくないかみたいなところを話すっていうところから始まって、
あとはどうにもできないじゃん。動くか動かないかって本人の問題になってくるし、
でも私ができることってなんだろうって考えた時に、そういう風に誰かと関わってすり合わせすることっていうのができるかなっていう。
本人と話す時にはさ、基本的には言った方がいいと思うんだけど話聞くよみたいな感じを最初から出すの?
いや、それはなしだ。なしだと思う。フラットな気持ちで聞く方がいいと思う。
子供ってそういう風に大人の思惑みたいなのを絶対分かってるから。だから大人がこうしたいんだなって思うことって大体子供って分かってるから、本当無に近い状態で。
さやちゃんはそもそも行く行かないとか、そこのジャッジの前に本人の話を聞こうになるんだけど、うちも不登校こそなってるけど、
たぶん世間って強すぎるから、行った方がいいとか、学校だけじゃなくて、世間情報だからなんとか子供の気持ちを仕向けなきゃって、その下心がしっかりある状態で、でもフラットに聞いてるふりになるから、全然別物なんだと思うんだよな。
それはバレてるからね、子供にね。
だからさ、そこに行くまで超難しいよねって思うんだよね。毎回収録しててね。
そうだよね。
さやちゃんのとこに行くまでのハードルがめっちゃ高いなって、このお便りくれてる人とね、さやちゃんのマインドになれるまでのエビリストのような山があるように感じちゃっててね。
そうなんだ。でもさ、なんかさ、そんな、私も人間なので、そこまでみんなと大差はないと思うんですよ。本当にそれはね。で、なんかその、いい悪いだと思うんだよね。ジャッジするみたいなところが結構大きいのかなって思う。
ジャッジ。
なんか悲しい、泣くのは悪だとかさ、怒るのは悪だみたいなのがさ、あるじゃん。少なからず。だけどそれって別にいいとか悪いとかじゃなくないみたいなのが基本ベースにあると、その感情を否定もすることないし、共感することもないって言ったらなんかちょっと違うかもしんないけど、ただあるものとして見るみたいな。
だからそもそもさ、さやちゃんのこの話聞いてるとさ、子育てに関してはそこを割り切ればいいんだよとか、ジャッジしなければいいんだよなんだけど、その大人自身がもうずっとそれで生きてるじゃん。
そうだね。
ジャッジの中で生きてる。割り切らないで生きている。
そうだね。
からさ、子育てについては割り切ればいいんだよとか、そういうことなんだけど、そもそも生き方がそうだからさ、ついていけなくなるんだよね。
だから一番大事なのはお母ちゃんのケアだよね。お母ちゃん自身がどう生きたいかをもう一回見つめ直すってことが、たぶん一番の近道なんだと思う。
これは次のエピソードへの伏線となりました。きれいな伏線が入りました。今収録ちょうど30分ぐらい。
もう30分?
次のエピソードでそのお母ちゃんのあたりを聞いてみましょう。
聞いてみましょう。
またね。
バイバイ。