ヒゲ先生の背景
それでは引き続き、小学校教員のヒゲ先生にお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
はい、ということで、早速いろいろ僕も思い出がなんか蘇りながら学び始めているところなんですけれども、
今5年経ったと、教員になってということなんですけれども、
実は前職があったりとか、そんなお話も聞いてるので、ここまでに至る生い立ちとかキャリアみたいなことを、まずこのパート2ではお話聞いていきたいなと思っていて、
なんとなく自分の頭の中にある知ってるハッシュタグだけ並べると、まず今日も半袖でめちゃ焼けてるっていうのが明らかに感じられるんですけど、
まずなんかサッカーみたいなハッシュタグがあります。結構いいところまで極められてたと聞いていて、
過去の栄光になっちゃうんですけど、中学高校とかはいいとこまで行ったかなと。
なんかいわゆる全国大会的なところに。
中学が実は北信越5県の選抜にポッと選ばれて。
すごい、ポジションはどこだったんですか。
左サイドハーフ。
いや、ちょっとあんま詳しくないんだけど。
北信越の選抜はすごいですね。
ポッと選ばれちゃって。
なんか海外に行ったりとか。
そうですね。
フランス、中学時代フランス行って、高校時代はブラジルに。
バリバリ、今もやってます?
いや、もう怪我をしちゃってからずっと、軽いフットサルぐらいしかやってないんですけど。
そうなんですね。
じゃあ、もしかしたらプロリーグ的な線もあったかもしれない。
サッカー大好きだけど。
大好きですね。
中高、大学も含めて。怪我はいつされたんですか?
高校の3年生の時ですね。
そうなんですね。最後の大会前とかそういう感じなんですか。
インターハイ、夏の目前みたいな形で。
一番切っちゃいけない膝の腱を切っちゃって。
ゾーンと折っちゃって。
その時はベンチから応援して。
そうですね、もう最後の大会。一応チームは全国出たんですけど。
もう悔しい思いをしましたね。
一番ドラマだったら描きやすいシナリオの。
本当そうっすね。
あれですね。
ヒーロー。
なるほどなるほど。
そこから教職の免許を取ろうみたいな動きって、
どれくらいのところからイメージされてたんですか。
実際小学校、高学年、5、6年生の時の担任の先生が本当大好きだったっていうのは、
もうずっとその当時からずっとあって。
教員を目指そうとはその時は明確には思ってなかったんですけど、
やっぱりその高校3年生で怪我をして、
サッカーができないってなった時に、
その当時の高校の担任の先生にも、
ずっと何しようかな何しようかなって相談をしてて、
じゃああんた何になりたいのってなった時に、
ふと小学校の時の先生が頭に浮かんで、
ちょっと教職の免許取ってみるかっていうのがきっかけですね。
それが大学選びに。
そうですね。
感じなんですね。
ですかですか。
じゃあ割と先生っていうキーワードがありながら進学されて、
ただそこからすぐに先生にはならなかったんですか。
そうですね。
教員への道のり
4年生の時にインターンをして、
営業職っていうのがすごく興味を持って、
本当ざっくりだったんですけど、
ご縁あって、まず最初一般企業の方に。
インターンしてた先にそのまんま。
営業職のインターンっていうので、
職業、簡単に言うと職業体験みたいな。
なるほどなるほど。
を少しの期間やっているうちに、
面白いまではいかなかったんですけど、
これやってみようかみたいな感じで。
仕事探してるときに、
ご縁あって。
えー。
何をされてたんですか。
卸売業の営業やってたんですけど。
卸って結構いろんなものがあると思うんですけど。
パッケージがメインで、
例えばアパレルさんとかだったら、
店舗にある備品とかパッケージングとかを、
デザインから入って、
ものづくりまでやるっていうので、
最初やってたんですけど。
なるほど。
じゃあ結構何か、
卸売っていう一つの業態としては卸なんでしょうけど、
何かやってることは割といろんなことされてる。
そうですね。
クリエイティブな感じ。
かっつけて言えば。
めっちゃ楽しくて。
今日ね、スタジオにしてるのが、
日本橋の横山町っていうところで、
今日はやってるんですけれども、
ここまさに卸業屋街だったりしますけど、
なんとなく親近感はある。
確かに当時はよく来てたかもしれないですね。
そうなんですね。
本当に衣類問屋さんが、
めちゃめちゃな数いて、
もう1日中ダンボールが取られてるような街なんですけど、
割と下町感はあれど、
実は何か、
海外の超ハイブランドのオーナーとかが、
ファッと来たりとか、
実はクリエイターが多い街だと思うんですよね。
何かその辺のイメージは少し湧くんですけれども、
デザインであったり、
物を売ったり、
いわゆる実業というか、
ビジネスを。
それここに何年くらいやられていたんですか。
まず最初会社にいたのが4年で、
その後スタートアップで、
デザイン会社をやるっていうところに、
声をかけてもらって、
今までやってたことが、
部署やってほしいって言ったところで、
新しく入らせてもらったんですけど、
そこで3年ですかね。
スタートアップ企業の、
いわゆるクリエイティブ職的な。
部署作りみたいなところを。
まだあるんですか。
あると思います。
そうなんですね。
そっかそっか。
のべ、
7年くらいは、
いわゆる社会人経験を生まれて、
というところですよね。
そこで何があったんですか。
先生って教職の免許は持ってたんですけど。
節目じゃないですけど、
そこで30歳を迎えて、
なるほど。
ちょうどコロナで、
考える時間も増えてきて、
本当、夜寝る前とか、
ぼんやり、
これから不安もありながら、
何してやりたいことなんだろうな、
っていうことを考え始めたときに、
またまた先生の顔が浮かんじゃったみたいな。
教育と社会の関係
なるほど。
いつかやりたいみたいなことはずっと思ってたんですけど、
30歳みたいなところで、
いい限りかな、ということで。
30歳とコロナですね。
すごいしょうもないトリビア的な話だったんですけど、
スクールの語源って、
スコーレっていう言葉だって聞いたことがあって、
これは暇っていう意味らしいんですよ。
とか余暇とか。
つまり、
暇があると、
人は学びたくなるっていう、
ようやくそういう流れが出るっていうことを聞いたことがあって、
なんで、暇じゃないとダメなのかもしれないですね。
そういうときに、
いろんな心の隙間に教職が出てきたのかなっていうのを
ちょっと今思ったりしてましたけども、
そういうキャリアの方って、
今は小学校の公立の先生ってことですけど、
どうですか、比較的多い、少ないで言うと。
数で言うと少ないと思いますね。
ゼロではない?
ゼロではないです。
でもやっぱり割合少ないですね。
そうですね。
ちょっとふわっとした質問をしちゃうんですけど、
一般企業の経験があるからこそ、
教育と社会とか、
もしくは一般ビジネスとは切り離されている
教育現場みたいなもので、
なんか今感じてることとかありますか。
そうですね。
でも、
学校の中って、
いわゆる社会の縮図みたいな感じはすごく感じてて、
子どもたちにとっての最初の一歩、
社会の最初の一歩みたいなところが学校みたいなところはあるので、
それを直接、
社会ってこういうことだよって教えるわけじゃないんですけど、
私がいろいろ経験したことが、
子どもたち見てて本当に、
社会の小さいことやってるんだなっていうのはすごく感じてて、
一般企業と先生たちのやってることは、
かなり内容は違うんですけど、
スキルが活かせないかっていうと全然そんなこともなくて、
今までやってきたことが、
僕は本当に活かせてるなっていうのは感じてるので、
そこまで大きな差はないのかなとは思うんですけど、
一般企業の方からしたら、
先生特殊みたいなイメージはすごいあると思うんですけど。
そうですね。
本当にいろいろ聞きたいことがあって、
今日もニックネームなのをいいことで聞いていきたいんですけど、
なんかシンプルに先生になろうって、
社会人というか一般的なビジネスパーソンが思ったときに、
まずなんか給料が下がりそうだなと、
その割に忙しそうだなとか、
いわゆるモンスターペアレンツ的な人とかも普通にいるだろうなとか、
まあまあハードルありそうだと思ってて、
当然その一方でやりがいとか、
過去の憧れの先生を思い浮かべるとか、
いっぱいいろんなことはあると思うんですけど、
これは結構躊躇したかもみたいなハードルとかってありました?
いや、そこまでなかったかもしれないですね。
じゃあやってみようって前向きな感じでやってきたんで。
どうやったらなれるんですか?なんか応募するんですか?
まず自治体のところに、
自治体じゃないな、県か。
県とか東京だったら都とかに採用試験があるので、
教職免許持ってた上で試験をやるんですね。
そうですね。採用試験合格して、ようやく次の4月からっていう形。
その段階ではなんだろう、
どの学校にみたいなことは特に決まってなく。
全くないです。
そうなんですか。
教職への道
配属はすべてお任せって感じなので。
じゃあやってみようってことで試験を受けられて。
そうですね。
なるほどな。
これもちょっとわりとズバリ聞いちゃうんですけど、
やってみようがちなんで自分も、
なんかその気持ちはわかるなと思いながら、
でも結構職業の選択って、
まあまあ重たいテーマな人もしていて、
例えばなんだろう、
別に一生涯それをやり遂げなくても、
また別の仕事もできるかもしれないし、
かつその先にまた戻ることもできるかもしれないみたいな。
意外となんかその、
試験を受けて通ればなれるんだみたいなことを、
今伺って思うのが、
そういう中長期として見たときに、
別になんだろう、
一生涯やらなきゃいけないみたいなプレッシャーが、
あるわけではないんですか。
そうですね。
ああ。
まあでも今のところは、
もう辞めるみたいなところは全く考えてないんですけど。
はいはいはいはい。
まあでも気持ちの持ちようとしては。
そうですね。
ってことですよね。
なんかそれがいいなと思っていて、
あの、
なんとなくやっぱその、
公務員っていう別の呼び方があると思うんですけど、
だからそう聞くと、
すごくこう、
勤め上げていくっていうような、
あのフレーズが近かったりとかやっぱりするので、
なんかそこに対する抵抗とかがありそうなんですけど、
あの、
まあ変なし、
ビジネスの世界で生きてると、
なんか別にお金にもう困ってない人とかも、
わんさがいるじゃないですか。
っていう中で、
あ、ちょっとなんか3年ぐらい先生やってみようかなとかもありえると思うし、
あの、
なんか聞いてくださってる方にはね、
そういうことを検討するチャンスもあっていいのかなと思って、
ただまあ教職を持ってないってなると、
やっぱ大学に今行くしかないんですかね。
そうですね。
今は通信とかでも取れると思うんですけど、
まあ免許がないと、
実際指導はできない。
なるほど。
決まりはあるので。
講師みたいな形でも。
それは大丈夫だと思いますね。
なるほど。
なんかいつか呼んでくださいとかやってることがあれば、
なんか、
あの、
結構ちゃんと小学生のパワーやっぱすごいなって。
そうですね。
ぜひぜひ思いますし、
なんかあとこれもちょっとそんなに詳しいわけじゃないんですけど、
ヨーロッパの教育事情とかを少しリサーチしていくと、
まあ国によっては、
やっぱりこの大学を出た後にすぐに教職員になれないっていう国も結構あるんだなっていうのをやっぱ見ていて、
ちゃんとビジネス経験を積んだ人じゃないとそもそも資格がないみたいなことを、
なんか国として掲げてるっていうこともあるようなんですけど、
なんかそういう海外の事情とか聞いてどう思います?率直に。
いや、もう、
賛成って言っていいのか分かんないですけど、
そうですよね。
会った方がいいですよね。
いきなり大学出て、いきなりここの担任ですみたいな。
結構ハードル高いと思って。
ともすると会社の中で言うと、
新入社員っていう年次出し立場だと思うけど、
なんかクラスが会社だとすると、
割とこう社長とか大統領とか、
なんかそういうような立場でいきなり立ち振る舞っていくっていうのも、
楽しさもあり、そもそもハードル高いなっていうようなことでもありそうですよね。
なるほど。
やっぱりそこは僕も賛成派だったりするので、
面白いなと思いますし。
これもなんかほんと雑に聞いちゃうんですけど、
やっぱり大学の4年間っていうのは、
やっぱりすごくなんだろう、
そこでしか学べないなというか、
免許ってやっぱりその4年必要だと思いますっていうのは聞いてみたいんですよね。
取得ですか?
取得。
どうだろう、でも、
僕の周りにいた大学生よりかは、
忙しい日々っていう感じでしたね。
必修科目。
はいはいはい。
ギチギチに詰まってて。
でも確かに4年ある必要かというと、
そんなことはないと思うんですけど。
なるほど。
缶詰状態でしたね、大学。
逆に何だろう、働きながら教職員免許を取ってる人とかっていなかったですか?
どうだろう。
でもそういう方は多分通信になるのかな。
年生には多分いなかったと思うんですけど。
そうですよね。
教育学部も通信制度はあるんですね。
じゃあ行けるのか。
行ける可能性ありますね。
ありますね。
面白いです、ありがとうございます。
本当にいろんなこと聞いちゃってるんですけど、
ひげ先生自体はどうなんですか?
あんまり異端扱いされてないですか?
どうでしょうね。
自分で言うならですけど、
異端扱いというよりかは、
面白がってくれる人の方が多いので、
今までの過去の一般企業上がりみたいなところも、
面白い方向で取ってもらってるので、
いろんなチャレンジをしていく姿とか、
そういうのは斬新なことやってるねっていうのは、
いい環境ですね。
本当に周りに恵まれてるかなと。
このパート最後の質問にしようかなと思うんですけど、
今、クラスを教えるっていう風に
すごい情熱を注がれてると思うんですけども、
学校っていう職場で考えたときに、
いわゆるマネジメントの仕事みたいなのとか、
学校自体を企画していくみたいなことも、
あるのかないのか想像がついてないんですけど、
ある意味、学校の職場の中で、
ひげ先生的には教えるっていうこと以外の道も
今後ありそうですか?
教える以外ですか。
顔がなさそうな顔してることだけはちょっとわかった。
僕は教室で子供たちと一緒にっていうのを
メインにやっていきたいっていう気持ちはすごく強いので、
もちろん学校運営側のお仕事とかもあるんですけど、
今んところ、やっぱり子供と一緒にっていうのは、
メインでずっとやってきたらいいですよね。
できないんでしょうけどね。
どうなんでしょうね。
僕はもちろんひげ先生だけを、
そんな人がいっぱいいたらいいなっていう意味で
コピーしていきたいわけではないんですけど、
やっぱりいろんなバックグラウンドを持ってる人が、
学校運営全体に関わっていくことの重要性はある気がしていて、
やっぱりより薄くなっちゃうかもしれないですけども、
広く影響していける可能性っていうのはあるのかなと思ったりしたので、
ちょっとそんな質問もしてみましたが、
しばらくはかっつりとクラスを担任される記憶で、
満ち溢れてると思うので、本当に当たった方は
やっと思いますが、ありがとうございます。
教育システムの比較
かなり込み入った話も含めて答えていただいてありがとうございます。
ということでパート2は以上となります。
ありがとうございました。