どういうことという。
ありがとうございます。
今日はですね、リアイベの主催を、つっきーさんいろんなところでね、活動されてるので。
私、最終的に横浜の方でホワイトリングの店を経営してるところで泊まってる。
あ、いらっしゃる。いらっしゃった。いらっしゃった。
つっきーさんいらっしゃった。
これで聞こえるかな。どうぞ。
どうも、つっきーと申します。
つっきーさんだ。ご無沙汰しております。
聞こえる?聞こえます?
聞こえてます。
大丈夫ですか?ちょっと、AirPodsじゃなくて、U線でやってるんだけど、ラグあるかな?大丈夫かな?
あ、どうだろう。私一応スピーカー直ですね。ハンズフリーというか。
あ、マジですか。そっちの方がいいかな。ちょっとじゃあそうしよう。少々お待ちください。
大丈夫?
はい、これで大丈夫ですね。
普通、今、通常通りでお送りいたします。
ありがとうございます。こんさん。
いやいや、とんでもないです。ちょっと、今日はですね。
いやもう、1時間で足りるかわかんないんですけど。
これちょっとね、いろいろツッコみたいに聞きたいことがたくさんありますので、
皆さん、よかったらコメントなどもいただけると嬉しいです。
なので、早速ですね。
早速、つっきーさん、今私、最終情報がホワイトニング店経営者なので、
いろいろとまだわかってないことがあるので、ちょっと自己紹介からお願いしてよろしいですか?
自己紹介。今俺何やってる人間なのかよくわからないんですよね。
めっちゃ面白い、めっちゃ面白い。
あ、ともりんさんこんにちは。あ、ともぞうさんもこんにちは。
はい、あ、ななえさんは?
はい。
そうですよ。
ライブ始めるとこんなにすごい人が来る。
本当ですか?嬉しい嬉しい。
あ、ニーナさんとかクリスマス仕様の方がみんないらっしゃった。
まこさんもななえさんもニーナさんもありがとうございます。
本当に今、皆さん一緒にハードル上げましょう。
ツッキーさんが今何者なんだろうってちょっと自己紹介に戸惑ってるので、何者か教えていただきましょう。
はい、じゃあちょっとですね簡単に自己紹介させていただきますと、山形出身の現在37歳でございます。
大事な情報がそこに。
年下。
もともとですね、山形県の方で警察官を16年、捜査を刑事を10年していたんですけども、そこから一連発狂してですね、東京の方に出てまいりました。
2年半前ですね。
当時は、それで警察官を辞める時にですね、やっぱりこのままでは良くない何か新しいことを勉強しようと思って、その時ちょうど起動に乗り始めた。
人気が出始めてきたNFTとか、仮想通貨とかですね、その辺を少し触りまして、それでWeb3業界にちょっと関わった。
その時にコンサートお知らせになったというような経緯がございます。
東京に出てきてからは、本当にいわゆる営業会社であったりとか、あとはメタバースのプラットフォームであったりとか、
あと今はですね、令和の虎というところに出ている秋社長という方がいらっしゃるんですけども、秋社長の会社で新規事業の立ち上げとかですね、営業だったりとか、いわゆる何でも屋さんですね。
ベンチャー企業の何でもやる係というのをさせてもらっていて、その中で社内ベンチャーの一つとしてホワイトニングというのもやらせてもらっていた感じですね。
そうなんだ。
現在はベンチャー企業の何でも屋さんで、最近は本当営業してるし、みたいな。
秋社長がやりたいと思ったことを形にする人間、社長がやりたいと思ったことを現実にする、形にするみたいな、そういうことをしてます。
さすがです。
ありがとうございます。
素晴らしすぎる。
私、ツッキーさんと出会って3年ぐらいしか経ってないってこと?
何なら、当時コンさんなんていうのは雲の上の存在だったものですから、私がすればね。
何言ってんですか。全然ですよ。一回の主婦ですよ。まだまだ。
なんで急にホワイトニングなんだろうなってずっと思ってたんですけど、秋社長のところからだったんだ。
秋社長、どこ経由でみんな知ってるか、レーバルトラが一番分かりやすいと思うんですけど、本業、今何なんだろう本業、もともとパフォーマーというか、
うちの自治体の方にも、すごいパフォーマーなんですよ。ごめんなさい、語彙力ない。
世界的に有名なパフォーマーなんですけど、そこから始まって起業家という形で、いろいろ事業をしているとは思っていたものの、まさかのツッキーさんがその右腕と言いますか、
これやりたいなってことに対してツッキーさんが、ヘイヘイ喜んで、みたいな形にしていくと。
ヒロ芸人と畳人みたいな感じですよ、完全に。
すごい、それはすごい。ホワイトニングの横浜で店舗を経営している前後とかにもやってたんですか?
ホワイトニングをやろうぜっていう時は、ホワイトニングにフルコミットしましたし、その後に猫探偵業をやろうとして、それも一回私が一人でやってみて、
あ、なんとか人間ができるということで、別の人間に、私が一応地盤を作ってから他の人がやり始めているとか。
今じゃあ営業をやってるけど、営業も自分がやれる基盤を作って、今他の人にもそれを展開しているとか。
もう、どこから突っ込んだらいいかわかんない。
だって、私がツッキーさん見てるのは、大体イベントごとでどこかしらのブースにいるか、もしくは運営の全体的なスタッフやってるかってイメージ。
確かに。あとは大体、酒飲みながら歌ってるかですよね。
あ、そうそう。めっちゃ周りを見ながら、この人たちの年代だったらこの曲がいいだろうって思ってチョイスしてくれる。
すごい。何でもなくても、一人で全て成り立ってるじゃないですか、本当に。
そうなんですよ。ただですね、私の悩みとしてはですね、割と何でも80点出せるんですよ、私。
いやもういいな。
だけど?
120点出せるものがないというね。
あー、なるほど。なんか、そうですよね。それこそ、ツッキーさんの周りめちゃめちゃ尖ってる人多くないですか?
周り尖ってるんですよ、みんな。
秋社長もそうですし。
例えばほんとね、ミジコンとか小敷プロジェクトに入らせてもらってますけど、村上さん尖ってね、ポンコツだし。
違う違う違う。
尖ってる部分違う。ダメダメ、ドラムとか言わないと、言ってあげないとそこ。
尖っててポンコツ。
尖っててポンコツなんだよ。
いやー、あれはすごいわ。尖っててポンコツはね、あれはね、10代の女子だったらモテてたと思う。ほんとに。
そうですね、まもなく50歳に向かえるおじさんはちょっと締めてくるんですよね。
ちょっと心配になるよね。地方なのか、天然なのかが分かんなくなる年代になってくるからね。
村上さんはかっこいいところです。
0.01%。
だけどなー、めっちゃかっこいいんだけどなー、おかしいなー。
そんな中で、つきさんいろんなことやってるうちの一つとして、今回皆さんレターにも貼ってあるんですけども、中島裕子さんの講演会を開催するに当たったんですか?
コンさん、ついにそこに触れてしまいますか。ありがとうございます。
早々に触れないと。それを言わないと探偵業はやっぱり刑事をやってたからですか?とかそっちのほう横道めっちゃそれるもん。最初にね、言ってしまいますよ。
そもそも中島裕子さんとはどうやって知り合いになったのか?あれですか?彼女ですか?妻ですか?
あ、それに近いですね。心の中では彼女というか、何回か結婚はしてるんですよ。
ちょっと待って、大丈夫、大丈夫だ。たぶん大丈夫なはず。そっか、そっかというか、そもそも出会ったのがこっち来てからなんですか?
そうなんですよ。ちょっと真面目な話をさせていただきますと、中島裕子さんというのはどういった方とおっしゃると、東京インフルエンサーアカデミーというインスタグラムの学校を主催されてる方なんですね。
この方自体、発信力というものを使って人生を変えていきましょうと。
本当に女性が輝くためには欲張りというのを実現して、そのためには発信というものをしてですね。
インスタグラムというツールを使って人生を変えていこう、みたいな趣旨で、主に発信力というところをメインにされている方なんですけども。
もともと裕子さんってボイシーパーソナリティもされてるんですよね。
私がボイシーをいろいろ聞いてて、カモさんとかニッションさんとか聞いてる中で、たまたまおすすめ欄にとても美人な方が上がってきたんですよ。アイコンが。
ただただアイコンが美人だったんで聞いてみたんですよ、その方のお話を。
大事。
そしたら?
そしたらとてもきれいな声だなと思って。
そこから、裕子さんは本当にわかりやすくて、自分の夢とか欲とか自分の価値観とかすごい忠実な方だったんですよね。
それがやっぱり私つきたに足りないもので、それですごい裕子さんの話聞いてたんですよ。
そしたらたまたま裕子さんが当時2年前にクラウドファンディングされていたんですけども、出版の関係で。
ちょうどそれでカモさんコミュニティの方でも裕子さんは割と活動活発的にされてて、それで直接会う機会があったんですね。
裕子さんのイベントに参加させていただいて、その流れで裕子さんと5、6人でシリシャバーに行く機会があって。
そこでお話ししたときに、あ、俺この人から学びたいと思ってですね。
で、その裕子さんの学校に入ることを決めたというような気があって。
もうファン以上なんだ。ファンもだけども。
ディーバかな。女神かな。
そうですね、本当に。
もっとこういう感じです。
もっとこう伝えたいって思いから、今まで多分裕子さんご自身もリアイベとかしてきたと思うんですけど。
なんかそれでも、そこでなおかつ、いやいや、私がやりましょうと。私が来たと。裕子さんの魅力を最大限に活かすリアルイベントを開催しましょうということで、今回はいはいと企画を立ち上げた感じですか。
やっぱりね、裕子さんにその後こうまた裕子さんの講演会とかをお邪魔させてもらったんですけど。
やっぱりこの方なんかですね、本当にパワースポットみたいな方なんですよ。
やっぱり自分自身が。
どんなふうにパワーを感じるんですか。得られるんですか。
裕子さん自身は言葉にすごい力があって、やっぱり自分の言葉に自信を、なんだろうな、もう私はできる。私は何でもなせるっていうことを多分信じきってるんですよね。
で、やっぱりこうなんだろう、すごいまっすぐ前を見て、まっすぐ前っていうか未来を見据えた状態でいろんなお話をされるんですけども。
近くにいるだけで、本当にその空間にいるだけでパワーをもらえるような感じだったんですね。
そうだったんですね。そしたら、今これ出会ってから、入ってからどれぐらい経つんですか?
1年ちょっとですね。去年の6月、7月ぐらいにTIAに入ったんで。
そこからの変化として、ツッキーさんとしては、いろんな活動を経て、本名に変えたりアイコンを変えたりしながら活動を経て、
どんなふうに自分の中の行動とかに変化が起きたんですか?
そうなんですよ。結局自分のことを出せるようになってきたんですけど、そもそも何だろうな、それでいろんな行動はしてきたわけですよ。
人の応援だったりとか、あとはいろんな顔を出したりとかしてきたんですけど、
結局自分が発信するようになった結果、俺挑戦から逃げてるなっていうところに今度変わってきたんですね、自分のマインドが。
要は応援をしてますで満足していたものの、結局それっていうのは、挑戦してる人の真似をしていろんな行動を動いてるように見せてきたなって。
でも実際じゃあ自分が挑戦できるのかどうかって考えたら、人から応援をもらう覚悟がないなと思って。
受け取る覚悟がないんだな、俺まだって。
その理由っていうのが、自分自身がそこまでしてやりたいこと。
人から応援をもらって、その責任を負ってまでやりたいこととか、叶えたいものっていうのはまだ俺にはない。
そこにやっぱり気づけたんですよね。
で、そこから結局何で俺は挑戦していいかわからないし、何をやってばいいかわからないっていうときに、
たまたま今年の4月に中島優子さんが、今回5冊目の書籍を出版されるんですけども、
そのプロモーション活動として47都府県で講演会をやりますと。
主催者を募集しますっていうアナウンスがあったんですよ。
で、そこでたまたま東京が空いてて、
もうこれって俺のためじゃんと思っちゃったんですよ。
いやもうそうだよ。運命だよ。
俺だ、ここって思って。
で、その場で手を挙げて、
俺ちょっと今回東京を主催させてくださいっていう風に言わせてもらったんですよね。
そんなきっかけだったんですね。
それが今回の優子さんの講演会をするきっかけだったんですね、実は。
うんうんうんうんうん。
すごい、だって東京なんてすぐ埋まりそうなものをよく空いてましたよね。
空いてました。
ね。
やっぱり俺のために来てた。
そこは愛が繋がりましたね、本当。
ありがとうございます。
そっかそっか。
それでなんかそこに、ただそれも挑戦の一つではあると思うんですけど、
ツッキーさんの中でのやっぱり自主、自分が主催するっていうところがやっぱり
一個のハードルとして自分の中の殻を破るぞっていう一歩になったんですかね。
そうですねそうですね。
やっぱりなんだろう、自分の中で挑戦っていうものがやっぱり挑戦はしたい、挑戦者になりたいっていう思いはありながらも、
じゃあそれをどこに向けていいかがマジ分からなかったんですよ、これまで。
で、なんだろうな、やったことないことを触ることが、
例えば一つではNFTに触れてみるとかWeb3界に入ってみたっていうのもとかAI触るとかも挑戦にはなるわけですけど、
でも俺たぶん違う、そこじゃないと思って。
でもやっぱり自分が一つ人前に立つとか、みんなを引っ張る、みんなから応援を集める。
やっぱりそこが自分が目指す挑戦者の姿だったんですよね。
だけどもそれをするためのものがない。
なぜならばまだ俺やりたいことがないからみたいな。
最初から聞いてる人はざっと経歴聞いてもらったんでわかると思うんですけど、
外側から見るとめちゃめちゃ挑戦してると思ってるんですよ、そもそも。
山形でずっと公務員ですよ、警察だって。
ちゃんと順当に位を上げていって、このままでいいのかって思って、
警察官からいきなりWeb3に行ってるわけですよ、東京プラスWeb3みたいな。
それだけでも私はだいぶチャレンジングなことしてるなって思いますし、
かつエンターテイナーの秋社長ですよ。
いろいろ思いついたらこれやろうぜ、これやろうぜって多分どんどん思い浮かぶ方だと思うので、
秋社長のもとでそれこそホワイトニング、探偵業、営業、いろいろやってるのもすごいチャレンジングだと思ってたんですけど、
きっとツッキーさんの中にある、みんなの期待というか、みんなの応援とか、
そういったものを背負って何かを達成するっていうところが、きっと肩としてあったんでしょうね、きっとね。
そうですね、多分そうなんですよ、それで皆さんからコンサートに言ってくださるのめっちゃ嬉しいし、
やっぱりツッキーっていうかツキタっていう結構動いてるよね、いろんなことやってるよねっていうふうに言っていただいて嬉しいんだけども、
ただ自分の中で全然不意に落ちなかったっていうのがあったんですよね。
で、やっぱり一つのきっかけが、さっきポンコツって言って大変恐縮なんですけども、
うちの村上さんという方がですね、
やっぱりちょうど去年の7月にバンドデビューを果たしたんですよ。
で、それは東京キネマクラブという本当に老舗の大ステージで200名を集めて挑戦されたわけですけども、
やっぱりあんときに村上さんのことを近くでめちゃくちゃ応援をしたもののですね、
なんかこうもやっとしたんですよね。
いわゆる村上さんのことがかっこいい、すげえおめでとうの他にですね、いわゆる嫉妬的な気持ちですね。
わかる、わかるな。すごかったもんね、村上さん。
かっこいい。
そうそうそう、いわゆるうらやましいなとか、
うらやましいって言うとあれか、でもどっちかって言うと、なんで俺そっち側じゃないんだろうなっていうところですね。
そこで一つ、そっかやっぱり俺って本当に自分のやりたいことっていうのを自分で見つけて、
進んでって周りの人から応援をもらいながら、周りの人にも影響を与えながら進んでいきたいんだなって。
なんか前に立ちたいんだなって。
それをその時に思ったんですよ。
そう、だけどもじゃあ何をしたいのかなかった。
からすごいちょっと去年って結構苦しい、苦しんでたんですよその後実は。
まさかの、
でもそうだよな、去年の7月に村上さんのちょっとかっこいい姿見て、
これすごいこんなに人の心を、こんなにも多くの人の心を動かしたの村上さんすげーの反面、
あっち側行きたいっていう、いいなっていう気持ちから、
じゃあ何をしたらいいかの手段まで行き着かなかったわけですね。
本当にそうです。
難しいですよね確かに。
そこで今今回、
いいよねもう30分近く話すから今回ようやくそれが見つかったと。
一応始めるきっかけの部分はやっぱりさっき言ったみたいに、
本当にチャンスが巡ってきたから手を挙げたっていうところにはなるわけですよ。
別にきっかけとしてもともと何としてもゆう子さんの講演会を主催したいと思っていたわけではなくて、
ただ目の前にそのチャンスが来た。
ただやっぱりゆう子さんの思いを人に届けたいとか、
ゆう子さんの思想が届けば日本が良くなる。
幸せな人が増えるっていうのは自分で思ってたから。
だからこそタイミングが見つけた。
このタイミングだよか。
手を伸ばせ、それ掴めみたいな感じでさせてもらうことになったんですけども。
ただ結果的にそこに今やっぱりやることになって、
自分の思いとかも乗せれる。
きっかけが今回できたもので。
それで今回この講演会に本気で向かっているという感じですね。
もともとはゆう子さんの47都道府県を巡る講演会だったんだけども、
ちょっとここにもう一つ刺激というかポイントを入れられるなっていう、
ひとつまたツッキーさんのオリジナルの要素が入れられて、
ゆう子さんも各都道府県の主催者ごとにもしかするといろいろ違いはあれども、
東京は東京の講演で多分そこにしか出せないイベントを
今回企画したというところですかね。
そうですね。
やっぱりゆう子さんがおっしゃってくださったのが、
もともと47都道府県でゆう子さんの講演会の主催者が47人いるわけなんですけど、
ゆう子さんからとりあえずビデオメッセージが途中届いたんですね。
その内容が本当に主催者の方が主役になってくださいっていうのがゆう子さんからいただいたんですよ。
前提としてはゆう子さんのあくまで書籍の反則活動なんですね、今回は。
一冊でも多くの本を売る。
そのためにゆう子さんが全国を回るっていうのが前提ではあるんですけども、
やっぱり夢を叶えるっていうのがゆう子さんの思いとしてあるので、
主催者の方がここで何か一つ夢を叶えてくださいっていう風にいただいたんですよ、お話を。
それまでは完全にゆう子さんの講演会だから、
俺は黒子に手伝おうと思ったんですね。
中嶋ゆう子さんどうぞお願いします。
だいゆう子さんありがとうございましたって終わろうと思ってたんですけど。
ただゆう子さんからそのようなお言葉をいただいたので、
じゃあ俺ここで何やりたいかなっていう風に考えたときに、
一番最初に思い浮かんだのがどうしても私の母親だったんですね。
ここで出てくるんですね。
それで、俺母親呼びたいと思って、
速攻で母親に連絡取ったっていうのがありまして、
今回の講演会はちょっと母親をゲストというか、
ゲストでもないですね、
普通に母親にまず呼んでいい席に座ってもらって、
つきたを見てもらう。
この講演会を見てもらいたいってちょっと思ったんですよ。
これそうですね、ご質問もある通り、
お母様を呼ぶって、
保育園とかもあったし、
学童保育とかもあったけど、
やっぱりまだまだ、
女性が仕事はしてるけど、
生社員で友働きってとこまでは
行ってなかった時代だったと思うのよ。
ああ、なるほど。
うちの母はもうちょっと年上ですけど、
やっぱり最初に、
パパが抱っこ紐とかおんぶ紐つけてるの、
うわー、すげーって思ったって言ってたもん。
ベビー顔、パパが押してる。
すごいって。
うちの父が全然何もやってなかったわけでもなく、
うちの父も全然抱っことか家事とかできる父親なんですけど、
やっぱりまだまだ保育園の対応とか学校に行くのって、
保護社会とか行くのママの仕事だよねって。
まだその流れがあったような時代の中で、
たぶん子育てとか家事、育児は母親の仕事っていう固定関連がまだまだあるような、
今もまだ残ってるような時に、
やっぱ全部やらなきゃって思ってたと思うんですよ。
きっとね。わかんないけど、想像ね。
子供のためにやってたのよ、たぶん。
子供を言い訳にしてほしくないと思うけど、
子供のためにやってて、
自分で守らなきゃって思ってずっとやってた結果だと思うんですけど、
だからこそ、出て行くってなった時に、
自分が壊れる前に出て行ったって選択は、
すっごいしんどかったと思うの。
泣きそう。想像したくないもん、子供を置いていくとか。
でもそうじゃないと自分が壊れるって思って、
ちゃんとそこは一線を越えずに守ったんですよ、たぶんご自身。
その結果今また再会できたわけだけど、
たぶんもう一生会えないと思ってたと思うの。
その覚悟を持って出たと思うの。
そうよね。
でも私それ逆に自分が置いてかれた方だったら、
絶対そこまで理解できないし、
なんで置いてったんだよってずっと恨むと思うの。
きっとね。
会えなくなる。
そうだと思うのよ。
だから本当に嬉しかったなと思うの。
だから泣きそうなの。
すごい救われたと思うの、ツッキーさんに。
そうよね。
グレなくて警察になってるからね、帰ってね。
逆にね。
感動したと思うよ、本当に。
嬉しかったと思うし、申し訳ないって気持ちもあったと思うし。
だからもう、生きてるだけで親孝行って本当に思うし。
ただやっぱり、コンさんそう言ってくれるとめっちゃ嬉しいんですけど、
じゃあそこからの少年来たの方の物語を話をするとさ、正直に。
14の時に母親が出てったわけですけど、
その時って一回両親から言われるんですよ。
離婚しようと思ってるって。
それに対してやっぱり拒否するわけですよ。
嫌だって。
だけどそれに対して受け入れてもらえないんですよね。
もう親の中では決まってるから。
だから本気の感情を出して嫌だって。
本気で感情で拒否をしても、それはまず受け入れてもらえなかった。
で、その後にうちの母親が今度出てくる日があったんですけども、
当たり前みたいに朝いつもと同じように見送ってもらったんですよ。
で、家を出て学校に行くわけじゃないですか。
家に帰ると母親がいないのわかってるんですよ。
だけど、でも家に帰るじゃない。
で、家に着いて速攻で母親の部屋見に行ったら、何もないんですよ。
そりゃそうなんだけど。
で、その時の景色がいまだに俺は頭の中から離れないんですよ。
実は。
ただ、その時って何も心動かなくても多分めちゃくちゃ蓋してるんですよ、感情を。
だけどその時の時間が止まったような景色ってのはずっと今は頭が離れない。
多分かなりショックだったんだろうなと思って。
で、なんとなく親が今度お金っていうところが一つ問題になってたなっていうのが自分の中では思ってたんで。
なんとかお金のかからない生活をしないといけないなっていうところで。
そっから高校受験、公立高校に入るためにめっちゃ勉強したんですよね、最後。
で、山形って公立が新学校だから受験して公立に行かなきゃいけないんですよ、山形は。
で、その時に勉強して公立行って。
だけども、その後今度公立入って新学校だったんですけども、みんな大学行くんですよ。
だけど、うちってお金がないじゃんって思ってたんで。
そっから就職するって道に選んで。で、たまたま無理やり警察になったんですよ、なんときって。
だから別に警察になりたくなったわけじゃなくて、
あくまで親のせいで私は人生を狭められたって父親は思ってたんですよ。
選択肢をかなり狭められた中で生きていたって。
で、それもたぶん母親としてはそんなことを思わせたくなかったと思うんだけども、
でも結果的に自分を大切にせずに家を出てた母親は、子供自体も自分を大切にできなかったって思ってるんですよ、私は。
で、結果的に私はグレなかったからよかったねとか、結果的に再開できたからよかったねって思ってるけども、やっぱり当時傷ついてるんですよ、かなり。
だからこそ、やっぱり母親、お母さんが自分を大切にし続けてもらいたい。
要はあなたがずっと笑っててくれないと子供もいずれ幸せにならないよっていうのが、今私の中の持論としてあって。
だから今回の講演会でやっぱりそういったことも伝えていきたいんですよね。
いやーほんと、こうね、そうなの、これね、これはね、そうなのよ。
いやーもう今ね、なんかもう、とりあえず書籍出そうか、月さんね。
これは出せるぐらいのドラマ化希望だよ、ほんとに。
それぐらいに、いやー、事実は小説より気なりとはよく言ったものだと思うけど、
さっきからね、お話を伺ってると、まず多分月さん、長男だと思うのよ。下に妹がっていうことをおっしゃってました。
14だから、まった7かの時だと思うけど、物事のなんとなくの理解、お金があるなしでどうしたらいいか、私立はお金が高いとかの理解なんてできてるし、
だから公立選んだっていうのもそうだろうし、そこから就職しないと下の子二人が進学できないとか、そこまで多分考えたと思うのよ、長男だしって。
いろんな多分、考察の選択肢は多分いろいろあったと思うけど、そこで公務員とか警察か、警察消防か自衛隊か、それこそ現場系かな、
飛び職とか大工さんとかそっち系のところになると思うんだけど、そこの選択肢もがって狭まったわけだよね、きっと大卒よりそこで。
みんなが大学で遊んでる時に自分は仕事をしているっていう感覚も多分あっただろうし、すごくなんか、
本当によく恨んですごい、なんで捨てたんだよ、なんで俺の人生めちゃくちゃじゃないかみたいなことを言っても多分良かったと思うし、その覚悟もあったと思うの、母としては。
だって実際そうだろうね。わからんけどね、ツッキー家がどうだったかわかんないけど、そのツッキーさんの今の話を聞いてるだけだと、
いろいろツッコミだから、お父ちゃん何やってたんねんみたいなところのツッコミとかめちゃめちゃあったんだけど、きっと、
少なくとも子供たちを飢え死にはさせないだろうっていうところの判断から、きっと自分が引き取るんじゃなくて、まずは、
置いてくって選択肢になったなと思うけど、置いてくような形になったんだと思うのよ。それは絶対罪だと思ってるから、
本当になんか、たぶん恨まれても仕方ないっていうところもきっとあったと思うの。
その気持ちは全然持ってていいと思うの、私。たぶん。死ぬまでね。辛いかもしれないけど、死ぬまで。そこは全然、だってそれ否定しちゃったら、
ツッキーさんの中の、14の時のツッキーさんの、すごい辛かった、たぶん自己防衛で蓋をしたことが、
それを否定しちゃうと、私はちょっと辛い。それは辛いと思うので、そういう14の自分とかを、どこかのタイミングでぶつけても、私はいいと思っているよ。
それぐらいのことを母親はしたんだってことは、分かってると思う。お母さんも。
で、ちょっとここはね、分かんないけど、だからイベントに誘うとかって、もう奇跡に近くて、すごい。
許してくれたとか云々というより、本当にこんなことやってるんだってことにも、もうすでに驚いてると思うし、
今こういう人たちと一緒にお仕事してるんだって、付き合いがあるんだってことにも感動すると思うし、
そのお話もね、ゆう子さんのお話もとてもいいと思うし、すごくとてつもない機会とかプレゼントになるんだろうなってことを、やっぱり聞いてて感じましたよ。
ありがとうございます。
本当に。
何だろうね、私、つっきりさんと年そんなに遠くないのよ。多分2歳とか3歳ぐらいの差なんだけど、超母親目線だよ。
何でやねんって自分で思ったわ、今。
そうだよね。
なっちゃう。
そうね。
なっちゃうよ。
この話するとだいたい年違ったけど、みんな抱きしめてくれるもんな、みんな。
本当に。
そうなるよ。つっきりさんの中の、本当に14だよ。それがさ、あきちゃんの頃とかだったら全然覚えてないけどさ、14でもう記憶力も定着してる時だったらさ、
いやー、そこを不良になってパラレラパラレラしてもおかしくないですもん。それぐらい出してよかったと思うんですよ。
でも。
つっきりさんは多分ご家族、残ったご家族のためになのか、自分自身のためになのか、やっぱりそこが生き抜いていったっていうのは本当に素晴らしいことだし、
なんかもう、ゆうこさんの言葉にもあるように、ゆうこさん多分ママ向けとかだと思うけど、多分これ関係なく誰でも全然チャンスがあるし、
チャンスって結構転がってるし、いろんなタイミングでコロコロコロコロ転がってるし、なんか変わっていいんだとか、結構自分の好きだなってこっちの方がいいなって思う方に進んでいいんだ、
一歩踏み出していいんだっていうところを、多分今回のイベントでも、つっきりさんがこれ主催してくれるイベントで多分多くの人が感じ取ってくれると思う。
ありがとうございます。
そう言ってもらえるの嬉しいな。
こんさんもやっぱりね、ママだから、ママ目線でそういうふうに声をかけてもらえるの嬉しいですね。
すごい応援になるというか、背中押してもらえるというか。
つっきりさんからじゃないと見えない視点があると思う。
だって、ママじゃないじゃんってなるじゃん。
あなたママじゃないじゃんみたいなところから入るんだけど、実際に子供の立場からして、ママは笑顔になった方がいいじゃんって。
ママが幸せじゃないと僕らも幸せになれないじゃんっていうことを体験したからこそ伝えられるメッセージがあるから、
やっぱりそこで届く層はいると思う。
そうですね。だからぶっちゃけ私とつっきりさんの議論、極論で言うとパートナーシップとかどうでもよくて、
こうやってどうでもよくて、実際にママがただただ自分を大切にしてる。
ママが笑ってる。それだけでまずいいと思ってるんですよ。
その結果なんだろうな、ママさんが笑えない状態になるんだったら別れた方がいいし、離婚すればいいし、
ママさんが笑えない状態になるんだったら子供と少し距離を置くっていうのもいいと思ってて。
それ以上にママさんがまずは自分を大切にする。
それがやっぱり一番みんなが幸せになると思ってるんですよね。
それは多分ね、私じゃないと言えない話だったりするんですよね。
本当そうなのよ。子供の目線からじゃないですか。いい歳だけど。