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2022-06-01 35:26

第4回『わがまま 気のまま C'mon C'mon』

先週末、マイク・ミルズ監督作『C'mon C'mon』(邦題:カモン カモン)を観たてらださんは、「コミュニケーションの苦悩と幸福をそのまま閉じ込めたような映画」だと思ったそうです。
鑑賞後の誰しもが自身を省みることになるであろう本作。
白黒で映し出される現代アメリカの街並み、子どもたちへのインタビュー、数々の書籍の引用、監督が描き続けているテーマ、「わがまま 気のまま」な人々……。
この映画が語ることについて、僕たちなりに受け取ったことを話してみました。

・あらすじ
NYを拠点にアメリカを飛び回るラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、LAに住む妹ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)が家を留守にする数日間、9歳の甥・ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を見ることに。それは彼にとって、子育ての厳しさを味わうと同時に、驚きに満ち溢れたかけがえのない体験となる。それぞれの孤独を抱えたふたりは、ぶつかりながらも真正面から向き合うことによって、新たな絆を見出していく―。(映画『カモン カモン』公式サイトより引用)
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00:01
先週、C'mon C'monっていうね、映画を見てきたんですけど。 うん、マイク・ミルズ。はい、マイク・ミルズの監督のね、映画を見てきたんですけど、見たときは、いや、めっちゃいいなって、そんな強くは思わなかったんですけど、後からこう、じわじわと効いてくるような映画だったなっていうふうに。
なるほど。 思ってて、で、ちょっと自分の中でも結構、考えさせられたことがあって。 うん。
いいじゃないですか。
うんうん。 作品だったのでね、ちょっと思うところがたくさんあるんですけど、製作がね、A24っていう、まあ今も。 そうね。
映画好きな人やったら知らない人は多分いないぐらいノリに乗ってる製作会社なんですけど、A24、まあホラーの印象とかも強い人がいるかもしれないんですけど。 やっぱね。
ミッドサマーとかね、ヨルゴスランディモスとかの、撮ってますから、ムーンライトとかさ、レディーバードとか、ああいうのを製作してる会社でもあるので。 そうだね。
やっぱこういうね、家族、なんか家族ものってあんまり言いたくないんですよね、でもこれを。 うんうん。
なんかでもやっぱこういうのを描かせたら、やっぱいい作品やなっていうのを。 多いね。 うん、撮ってくるなぁって感じましたね。
A24って、例えばMCUとかね、そういうビッグバジェットの映画に比べたら全然低予算だけど、ドインディーっぽいようなものをこうね、ある程度の予算でいい感じに作ってくれるっていうのでね。 そうね。
語りがいのある作品というかね、なんかいい作品を製作してくれるっていうのが、やっぱいいよなっていう感じがするよね。 そうですね。
今回のカモンカモンとかは、白黒映画。 うん。
結構あと映画として変わってるとこで言えば、実際のこの子供のインタビューみたいなのが挿入されたりとか。 うんうん。
あとまあ書籍の引用が結構多用されたりとか。 うん。
そういったところとかはやっぱりこうちょっと攻めてる。それがやっぱ一個一個すごく意味があって、効いてくるなっていうのがあるんで。
まあちょっとこの後詳しくは喋るんですけど。 うん。
カモンカモンの感想を言いつつ、ちょっとそこから派生して僕が考えたことみたいなのをね、今回は語っていきたいと思います。
この番組心の砂地は様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
03:05
私てらだです。 シャークンです。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心の砂地。
いやだからほんま見た瞬間俺ランディ・サフェージみたいになってますね。
あんまおらんけどね。派手さの引き出しにランディ・サフェージしてますね。
ランディ・サフェージみたいになってますね。
でもやっぱ天竜とランディ・サフェージの試合も見るよね。
心の砂地。シャークン。
はい、というわけでまずはちょっとカモンカモンのね、概要を説明していきたいんですけれども、あらすじをね紹介したいと思います。
ニューヨークを拠点にアメリカを飛び回るラジオジャーナリストのジョニーは、
ロサンゼルスに住む妹が家を留守にする間、9歳の老いジェシーの面倒を見ることに、
それは彼にとって子育ての厳しさを味わうと同時に驚きに満ち溢れたかけがえのない体験となる。
それぞれの孤独を抱えた二人は、ぶつかりながらも真正面から向き合うことによって新たな絆を見出していく。
というところですね、これは公式サイトからインをさせていただきました。
で、先ほどシャークさんもおっしゃってましたけど監督脚本がマイク・ミルスっていうね、
まあ映画も撮ってますけどそもそもグラフィックアーティストの方。
そうですね、ストリート系の。
はい、出演がホワキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマンとか多数あるんですけれども、メインはこの3役ですかね。
そうね、ほとんどこの3人しか映ってないもんね。
そうね、いやでもホワキン・フェニックス、僕そんなにいっぱい作品見てるわけじゃないですけど、
インヒアレント・バイスとかジョーカーとかの印象だと結構このなんかもごもごしゃべるイメージがあって、
その中でこのもごもごボイスがさ、逆にこう今回はちょっと安心できるこのおじさんの演技に生かされてる感じがあって、
ああ、こういう役似合うんやっていうのが。
まあ、なんかそういう映画でいろんな役見てるっていうのもあって、
こう、余計ね、ホワキン・フェニックスが出てるっていうのにはそういうところに意味があるんだろうけど、
いろいろあったんやろうなっていう感じの中年の感じが良かったね、やっぱりね。
そうね、だからその昔から穏やかのおじさんでは決してなかったんやろうなっていうのがすごく、
ホワキン・フェニックスの他の出演作を見てる分そういう深みみたいなのが出てしまうっていうのはあって。
ああ、やっぱね、人としてのあれがちょっと、ホワキン・フェニックスがやってるってことがこの映画を特別にしてる何かっていうのは間違いないでしょ。
はい、あとまあその妹のね、ビブね、ジェシーの母親のウディ・ノーマンもなんかすごくいい役だったなというか。
よかったねー。
ちょっとかっこいい感じの雰囲気のお母さんなんですよね。
06:00
マイク・ミルズの趣味なんだろうけど、ミニットメンのシャツ着れたりとかでさ、もともとパンク系の人だったんかなーみたいなね、そういう感じもしたりとか。
そういうパンクな感じだったんやろうなっていうのがあって。
一切ね、語られることがないんだけども、そのホワキン・フェニックスもさ、前のパートナーの話みたいなのしてるんだけど、そこが何かって一切出てこーへんやんか。
あーそうね、ぼかしてあるよね、かなり。
でもなんかさ、映画を見てると、一切言ってないのにそこが伝わってくるやんか。あれやっぱこう、演技ってすごいなって思うね。
家族っていうものがもちろん与えてくれる幸福みたいなのはあるとは思うんですけど、それ以上に家族っていうものがあるからこそ背負い込まなければならないもの。
母親の介護もそうやし、ビブの夫が今送局性障害でっていうのこととか、それによって一人で育児しないといけないっていうこととか、むしろそういうことの方が多く描かれてるんですよね、このカモンカモン。
そこの解像度みたいなのが異様に高くて、マイク・ミルズもこの作を作るにあたって結構自身の子育てとかも踏まえたらしくて、そこがありきでっていうのがすごく伝わってくる映画だったので。
ある種家族という病みたいなのを描いているっていうか、マイク・ミルズ最近の作品、最近って割と仮作だからあれだけど、人生はビギナーズもこの前の20th Century Womanも全部家族の話だったりしていて。
そこって多分マイク・ミルズ自身が本当に中年に差し語ったタイミング、40代とかになってからそういう映画を作ってるっていうのが、すごく彼にとってそういう意識があるんだろうなっていうのが今回特に感じたね。
人生はビギナーズはお父さんの話だったし、20th Century Womanはやっぱ母の話だったから、今作カモンカモンが自分に寄せてきた感じだな、ある種集大成的な作品になっちゃうかなっていうのは思ったかな。
今回カモンカモン見た人はぜひね、人生はビギナーズ、20th Century Womanも続けてみるとよりいいんじゃないのかなっていうのはすごく思うね。
そうね。なんかこう父と母の話が来て、今度子供っていう感じがね。
そうだね。
順番を踏んでここに来た感じだね。
マイク・ミルズって冒頭ちょろっと言ったけど、そういうXガールのロゴ作った人でもあるし、アメリカのそれこそソフィア・コッポラとかスパイク・ジョーンズとかともすごい近しいところにいて、一緒に仕事をしたりとか。
バージン・スーサイズのね、サントラのジャケットのドローイング描いてるのもマイク・ミルズだったりとか。
09:02
言ったら若い時はニューヨークノリノリの文化に尖った人だったはずなんだけど、そういう人が中年になって、ソフィア・コッポラとかもそうなんだけど、みんなそういう映画作り出してるっていう現象はあって。
あんま使いたくない表現かもしれないですけど、そういうオシャレさみたいな音楽の使い方とかは完全にそういう匂いが残ってる感じがしますね。
さっきのTシャツもそうだし、奥にちらっと映ってるレコードとか、いろいろ小物とかはそういう意味があるんだけど、その辺にも。今回音楽もナショナルの兄弟がクレジットされてたね。
ナショナルね。あんま通ってきてないですよね、ナショナル。
僕は聞いてわからんかったバンド代表ぐらいに名前出るぐらいの距離感。
ナショナルね。僕もあんま、でもかなり話題になってなかった。
当時はそれこそニューヨーク、USインディーみたいな、ヴァンパイアウィークエンドみたいな。
あー、ヴァンパイアウィークエンドか。
その辺。ナショナルもうちょっと前からいるんだけど、その辺のって結構言われてたよね。
今のナショナルがどれほどどういうのかって僕もかなりわかりかねてるけど、ずっとね。
言ったら前ウェスアンダーさんの話をしたことがありますけども、その時周りの人っていうかね。
日本でもやっぱそういう、ある種オシャレのアイコンとしてずっとやってきた人っていうのが、
今回このブラック&ホワイトっていうかね、ホンマ白黒映画で、
オシャレはもちろんオシャレなんだけど、そういう話を一切してないやんか。趣味趣向とか。
そうですね。やっぱノイズになるからっていうのもあるんやろうけどね、そういうものは。
そう言ったらすごいミニマルなものを撮ってるっていうか。
やっぱり20th Century Humanとかはすごい好きな映画だけども、
ちょっと僕は個人的には一番下の息子っていうのを、
マイク・ミルズが自分の少年時代っていうのに投影してるんだろうなっていうことを僕は勝手に思ってて、
そこがスケボーをやって、ハードコアのライブ行って、
すごい戦影的な姉達に育てられてみたいなさ、
ちょっとこう、インテリのやだみみたいなさ。
鼻につく感じみたいな。
まさしく鼻につくなと思ってはいたんだけど。
まあなんかさ、そこは僕やっぱちょっと逃れられない部分があるかなと思ったところがあって、
批判的なものを差し込むのであれば、
シャークさんコレーダー監督の名前も出されてたと思うんですけど、
コレーダー監督とかと決定的に違うところってこの貧困の匂いがあまりしないというか。
そうだね。
今回のカモンカムについてもあまりお金の事情みたいなことは問題にはなっていないですよね。
だからどうしてもやっぱりそのあたりは不必要だったっていうのもあるかもしれないんですけど、
ちょっと鼻につく人は鼻につくのかもしれないと。
確かにね。
日本とアメリカでそういうシングルマザーとかのケアとか、
それが違うっていうのが大きい理由としてはあると思うと思うんだけど、
12:02
確かにホワキンフェニックス演じるジョニーがラジオジャーナリスト、
多分なんかポッドキャスト的なことをやってるみたいなイメージで俺は取ったんだけど。
っぽいよね。
本当にこいつはこれで生きていけてんのかみたいなさ。
いまいちそこの金の出どころみたいなのがわかんないみたいなのもあったりとかして。
食っていけてんの?みたいな感じが。
これは単純に英語圏の文化にあんま触れてない私がイメージできないっていうところもあるかもしれないんだけど、
その辺はちょっと感じるとこあったかな。
そういうとこはあるんですけど、
僕がこの映画で結構本当にいいなって強く思ったところはあんまりちょっと触れてきてなかったりですけど、
ジェシーね、9歳の方の多いの。
映画の持ってるご都合主義みたいなのがあんまりないなと思って。
っていうのも友達がいなくて、ちょっと個性の強い自由な子っていうので、
映画の中だとやっぱり描かれがちじゃないですか、マイノリティ的な感じがして。
定番っちゃ定番よな。
定番っちゃ定番なんですけど、
こういう子供が実は何か特別な才能を持っていて、
それで通じつま合わせがされるみたいなパターンってかなり多いと思うんですよ。
でもジェシーってあんまりそういうのがなくて、
むしろ変わってる中の平凡みたいな子でもあるなと思ってて。
最近インポコロにハマってるんだよねみたいな。
ネットにハマってる危うさみたいなのもあるし、
音の鳴る電動歯ブラシが欲しかったりとか。
結局普通の子なんですよね。
で、何か特別な才能を持っているわけじゃない。
そういう通じつま合わせがされてなくて、
でも肯定されるっていうことが僕はものすごくいいなと。
だからそれで結局ジェシーが何か特別な才能が開花して、
良かったねって終わっちゃったら救いがないじゃないですか。
そうだね。この段階でもネタバレっていう話でもないんで、
話に関してはちょいちょいこれから喋っていっちゃうんですけど、
途中、ホワキンフェニックス演じるジョニーと一緒に
ラジオを録音していくみたいな作業を手伝ったり、
マイク持って雑音を録るみたいなシーンがあるんだけど、
例えばそういうところで才能を発揮するみたいなこととかは別にないもんね。
うまく録れてるわけでも別にないし。
そうなのよ。マイクの扱い方すごくリアルだよね。
ただ音聞こえてすげーってなって楽しんでるだけっていう感じがね。
いやーでもあれ、ちょうどあの年の子ぐらいの落ち着きのない感じと、
話通じるけど話通じない感じというかさ。
僕は正直ちょっとあんまりうまくコミュニケーションできへんから、
ああいうこと。
だからある種ちょっと苛立ちみたいなのも、
15:02
すごく登場人物が抱えてるのと同じようにすごい感じたし。
だから任されてね、母から。
任されてホワキンフェニックスが一緒に、
一日いるだけでもめちゃめちゃ疲れたみたいなもんさ。
見ててすごいその疲れが伝わってくるから、
結構うんざりみたいなさ。
そういうとこまで入っていけたから。
そうね。結構まあやっぱジェシー可愛いみたいな感想もあんねんけど、
そういうこっちゃないというか、
そういう感想を否定するわけではないんだけど、
ああいうシャークさんが言う落ち着きの無さみたいなもののリアリティがやっぱすごい。
まあそういう人の持ってるしんどさと愛らしさっていうのがすごく伝わってくるなっていうのが好きでした。
なんかやっぱめちゃめちゃ可愛いところは可愛いように撮ってるんやけど、
やっぱそこでギリ創殺されない感じみたいな感じだな。
あるねそれは。
途中でジャクリン・ローズの母親たちっていう。
本の引用みたいなのが差し込まれるところがあるんですけど、
そこの差し込まれたのがものすごく刺さるんですよね。
母性っていうもの、個人的な政治的な失敗のための究極のスケープゴートであるっていうような部分の一節が出てくるんやけど、
なんかそこの部分がさ、いやもうほんまにそうやんみたいな。
言ったらその政治的な失敗だったりっていうもののさ、しわ寄せを全部その末端の育児に関わる人たちっていうのが辻褄合わせしていかないといけないっていうことですよね。
安全なものを保障していかないといけないっていうのが、まさに本を読んでるとも伝わることではあるんだけど、
映像をもってしてその一節が差し込まれるから。
いやもうしんどいよ育児みたいな。
そのビブの振動さみたいなのがめちゃくちゃクリーンヒットするっていうのは。
なんかでもそういうのが入ってさ、次パッてどっか一緒に行ってるシーンとかでさ、
引きでもうすごい完璧なショットみたいなのが出るやん。
海辺でさ、2人で歩いていくとかさ、街の中を歩いていくシーンとかさ、もう超美しいやん。
あれってうわー素敵だなーみたいなさ、すごい愛おしいなってなるやん。
その2人の関係とそれでも彼らがコミュニケーションをしている感じっていうのが一緒の場所にいて。
やっぱその寄せるとこと引きでグッとさ、撮るとこみたいなの強着がすごくて。
あーそうね。
まあ海辺とかもそうやし、街を引きで撮ってるとことかもすごいよね。
あの迷子になるシーンとか。
いやすごいね。
すごいよね。このやっぱ2人だけの世界やったみたいなところが引きになって、
急にやっぱこの街の中に迷子になるっていう、なんていうのこの世界に凍り込まれた感みたいなのはね。
多分それってほんと育児とかそういうことが、言ったら3人とか2人だけの世界みたいな感じになっていくけど、
いざこう社会っていうのが出たら、この中の街中のここなんですみたいなさ、そういう感じで描かれてて。
18:05
うわー俺は映画を見ていると思うね、ああいうのを見るとね。
映画の素晴らしさですね、ああいうショットがあると。
素晴らしいなと思いましたね。
気になったところで言うと、ジョニーが独身であるっていうことを結構強調される。
一発目から言われるからね、そこにね。
別に独身が別に悪いってわけではないんですけど、
ジョニーっていうのが前半語ったみたいな、家族の存在から切り離されている存在であるし、
なおかつ、ジャーナリストでその街に住んでいる子供たちにインタビューをするけど、
ジョニーはインタビューをしたらもう関係性は折れだけど、
その街ではその子供たちは明日も生き続けるっていうものとして、
またちょっと街からも切り離された存在、特別な存在として描かれてるっていうところがあって。
そういう存在がジェシーと触れ合うことによって、でもまた別れるわけじゃないですか。
それで忘れてしまうよっていうのが、より苦しいところでもあるよね。
まさにそういうことを知ってる人やから、ジョニーは。
そうなんだよね。だからこそああいう子供たちのインタビュー、これからのアメリカの話みたいなのを、
自分よりすごく若い世代に聞いていってるってことを仕事にしてるっていうことと、
自分のいった憎しん関係にある子にいざマイクを向けた時には語ってくれないっていう見事ですよね。
やっぱそのジョニーがコミュニケーションを取ることに対してすごく誠実であるっていうことが、
ジェシーとの関係だけじゃなく仕事にしてるところからも伝わってくるっていうのがものすごく僕は良くて、
なんかそのジョニーのインタビューしてる子供っていうのは、
ジョニーにとっては今日会うだけの人だけども、明日もその街に住んで生き続ける存在だっていうのって、
すごく僕も海外旅行とか行った時に強く思うことなんですよね。
エンタメとして消費しちゃうのやばいなって思っちゃうんですよ。
そこで会った人たちをさ、自分の非日常を味わわせてくれるエンタメみたいに思っちゃうのって最悪じゃないですか。
ある種、もっと例えばスラム街とか行ってとかスラムツーリズムとかですごく批判されたりするけども、
まあそういうラインっていうことだよね。
21:03
だからまずリスペクトがないといけないコミュニケーションを取るんだっていうことっていうのを絶対忘れちゃいけないなっていうのを、
なんかジョニーも言ってるっていうのがすごく僕の中では来ましたね、心に。
僕たちがポッドキャストをやっているように声を刻んでいくっていうさ、
ことをこれからのためにっていう仕事をしてるっていうのも、なかなかね、っていうとこかな。
コミュニケーションを取っていくっていうことについて、特に子どもとのコミュニケーションを取っていくっていうことについて、
すごく自分の中で指標になった作品でもあったし、ちょっと年取ってもう一回見たいなって思う作品でもありました。
そういう見方がどんどん変わっていくような感じがするタイプの映画ですよね。
カモンカモンの感想はこんなとこなんですけども、ちょっと次のパートで停止してね、僕が考えたことを自由に語っていきたいと思います。
カモンカモンのさ、映画館から出るときに、大学生ぐらいのカップルがたまたま前にいて、
その彼氏の方が、親の気を引くためにああいうことするのめちゃくちゃわかるわーって言ってて、全然わからんと思ってしまったんですよ。
別にそういうことをするのを否定してるわけじゃなくて、僕は全然してこなかった子どもなんですよ、どっちかっていうと。
親から低下からんで楽屋は敵に言われるタイプの子どもをやってたので、あんまそういうことをしてこなかったんですけど、そういうことを感じる人もやっぱいるんだなーって。
カモンカモンのジェシーって、友達がいないっていう設定もあるんですけど、結構大人からは全員から好かれてますよね。
母親のビブとか、あとおじのジョニーが好きになるっていうのは当然わかるんですけど、ジョニーも手が離せない間はその同僚とかに預かってもらったりしてたじゃないですか。
彼もすごく愛されて、食卓というのも結構中心にいるっていう感じだったと思うんですけど、
ああいうちょっと自由でわがままな子がなんやかんや大人差しから愛されてるっていうのがすごく僕の中で刺さっちゃったんですよ。
ああ、わかる、こういう子。好かれるよね。
で、なんでかっていうと、あんまり身内のこと言うべきじゃないかもしれないけど、すごくジェシーと兄が似てるんですよ。
結構兄も言ったらそういうタイプ、自由で、ちょっと言い方悪く言うとわがままな感じ。
で、ちょっと親とかからは大変ねって感じだけどやっぱり会話の中心にいるし、みんなから好かれるタイプ。
24:06
で、僕っていうのは親から言われたことは結構しっかり守りたいし守ってるっていう自覚があるタイプだったんですけど、
結局そういう人よりもそういうことを守らずに自由にやる人の方が結果として好かれてないって幼心に結構思うことがあって。
確かにな。例えば学校生活とかでヤンキーとかの方がちゃんと先生に構ってもらえるみたいなね、そういうこととかもあったりするよね。
そうね。
そういうルールを守る人っていうのはあまり手をかけてくれないみたいなところはあったりするよね。
そこから逸脱していく人をどうにかみたいな感じでやっぱ引っ張られるっていうことがやっぱ団体とか集団の中で動いたりするから。
だから結局そういう人の方がコミュニケーションをちゃんと取ってもらえるし、大人って結局聞き分けのいい子なんて好きじゃないやんって思って寝てた時期があったんですけど。
なるほどね。確かにね。
じゃあ僕がそういう人嫌いなんですかって言ったら、これが変な話で僕も結構自由でわがままな人って好きになっちゃうんですよ。
この好きになっちゃうっていうのは恋愛的なものも含めてかもしれないけども、友達としてもね、人間として結構好きになっちゃう人ってそういう自由でわがままな人が多いんですよ。
なるほどね。
で、なんでかなって考えた時に、確かにこのルールを守ってる人って、ただルールにのっとってるだけやからその人の考えてることが見えてこないじゃないですか。
なんだけど、ルールから外れてる人ってとりあえず何がしたいかわかるじゃないですか。
確かにね。
だからそっちの方が意思があるように見えるんですよね。何考えてるかわかるほうがコミュニケーション取りやすいから、あなたはこうしたいのねっていうことがわかるけど、ルールを守ってる人って何考えてるかわかんないんですよ。
っていうのがあって、何を考えてるかわかる人がやっぱりちょっと安心してしまうんやろうなって。
確かにね。子供の時に一番言われるのは、静かにしなさいみたいなことだと思うんだけど、その癖みたいなのがたぶん集団生活の中でついちゃってて、そういう主張するみたいなの、なかなか苦手みたいなのはね、日本だと特にあるのかなっていう感じはするし。
わがままな子もそういうふうにしたほうがいいっていうのを、ずる賢くわざとそういうことをしてるしね。結構演じてやってることも多いと思ってるしね、僕はね。
ああ、なるほど。作戦的にやってるんや、意外と。
うん、っていう人多いと思うね。
まあやっぱりそうなのよ、結局有利に働く場合が多分多いなーって、大人になっても結構感じることが多くて、僕の会社で4月から組織が新しくなったので、結構メンバーも新しくなったんですけど、
27:10
その中で一人、仮にAっていう名前の先輩がいたとして、このA先輩っていうのは結構好き放題いうタイプの先輩というか、好き放題、いやもう仕事しんどいとかそういうことを言ってもなんやかんやみんなからまた言ってるよみたいな感じで愛される感じのキャラクターの先輩なんですけど、
それで組織の上司が、A君みたいに好き放題言ってくれる人ばっかりだったらわかりやすいんだけどなーみたいなことをポロッと言ったんですよ。新しい組織やからみんな何考えてるか何がしたいかわからんけど、A先輩みたいな人やったらわかりやすいんだけどなーみたいなことを言って。
マネージャー側からするとね。
いやまあ、わかるけどなんかすごい違和感あるなと思って。
で、その時思ったのは結局、こっちから聞かずに何考えてるかわかる人がいいっていうのはさ、コミュニケーションの宝器でもあるよね。すごく。
こっちから聞かなくてもわかるのが楽やから、そうじゃない人には一時聴いて回らないと何考えてるかわかんないからしんどいっていう話で。
そうだねー、たぶん。カモンカモンもそういう映画だったもんね。やっぱ向き合うことっていうののしんどさっていうのをずっと描いてる。
そうね。
だからそれが例えば愛する息子であっても愛する老いっ子であってもめちゃめちゃしんどいことをやるか。
だから余計仕事の関係とかさ、愛を持てない人に対してもっとコミュニケーションで難しくなってくるっていうところまで考えようと思ったらできるよね。
いやそうなんですよね。やっぱその表面的な相手が発するだけのことを受け取るだけのコミュニケーションって、やっぱ間違ってるわ。
間違ってるね。
だからなんかその、僕も結局そのわがままな人といるのが意外と居心地いいみたいな、向こうの発するものを受け取っておけばいいみたいなさ、そういうサボりなわけなのよコミュニケーションの宝器が。
こういう受動的なコミュニケーションをやめることが、昔聞き分けのいい子として構ってもらえなかった昔の自分を救うことなんじゃないかっていうのは。
うーん、そうやな。やしその、わーわー言う人もさ、言ってることが全てじゃないやんか。
そうね。それ以外に思ってることもね。
そう。彼がそういう集団の中でわーわー言ってるのが、あ、こういうこと言いたいんだなっていうのはわかりやすいけども、さらに彼は多分そうじゃないこととかも思ってるはずなんだけど、そこも彼はそういう人だからっていうふうに、それこそ向き合ってないように捉えちゃうっていうのも一つの怠慢なんだよね。
30:08
あー、なるほど。
上司の人が好き放題言ってくれる人だったらわかりやすいんやけどなって言ってるんで。
まあほんまにポロッと出た言葉なんだろうけども、マネージー側としてね。なんかほんとそうだよね。何も向き合ってないからこそそういうこと言っちゃうんだろうなって思うね。
うん。まあ仮にその好き放題言ってたとしても、一対一で話すと全然違うことを言うかもしれないしね。
そうそうそうそう。本当はそうは思ってないけど出ちゃうっていう人もいるし、また家門家門の話に戻すけど、たぶん息子のジェッシーもそこがもっと生理ついてないからさ、わーって全然関係ない話しちゃったりとか、
自分の表現方法がわかんないから違う方向に行っちゃうとかさ、わざといなくなったりとかしてしまうとかさ。それって生理がついてないっていうのはあるけど、
たぶん大人になってもその生理ってついてるかついてないかってなかなかどうなんかしらっていうところもあると思うんだよね。
そうだよな。どこからがそういう表層に出てくるコミュニケーションで、どこからが自分の本心なのかっていうのって、
乖離すると本当にどんどんしんどくなっていく部分でもあるし。
そうだね。僕たちは、フォアキーンフェニックスがやってたように、マイクっていうのはわかりやすい。マイクを向けるっていうことをね、どんな人にもこれからの人のために僕たちはマイクを向けないといけないみたいなね。
そこしかないんだろうね。そこって本当に、たぶんそれしかないっていうさ、いろんなどこの世界中、アメリカだけでもさ、いろんなとこ行くやん。ニューヨーク行き、ロサンゼルス行きみたいなさ、ニューオリンツとかも行ってたかな。
そうか、いろんなとこ行ってもやることっていうのは、向かい合ってマイクを向けることでしかないっていうさ。だからそれがたぶん、マイク・ミルスが考える、生きていくために必要なまず第一歩っていうことなんだろうね。
そうだよな。相手の言ってることに誠実に耳を傾けることっていうことから始めていかないといけないということですね。
でもマイクを向けたからといって、それを拒否されることもあるし、それを返されることも全然あるよっていうさ。
それはあるんだよな。
でもたぶん僕たちは、そういうふうに自分の心を開き続けるっていうことしか方法はないんだと思うんだよね。
ヒントはこの映画がやってたように、本で読む言葉とか、いろんなものがヒントはでもたくさんくれるよと。でもやることとしては、そういうふうに心が開いて向かい合うしかないっていうことなんだろうね。
そうだね。子供のインタビューって本当にやってるっていう話をさっきちらっと話したんですけど、拒否することも普通にやっぱりいたらしくて。
33:03
そうだろうね。
それでこそってなったらしいですね。その場でマイク見ると。
そうだね。やっぱそれどっちもいるよね。途中でいっぱい本が出てくるっていうのは、実際にそうやって向き合うだけでもダメだよっていうところでもあるというふうに僕は受け取っていて。
ちょっと読み聞かせた文学とかでグッと刺さっちゃうみたいなこととかも、それこそ僕たちが掲げてるような考え続けることっていうのも大事だし、ただ日々としてはね、そうやってマイクを向け続けるしかないんだろうなっていうふうにはそう思って。
我々はそうしていくしかないということを。
そうだね。素晴らしい映画でした。
TwitterでのトークはハッシュタグKOKOSUNAです。よろしくお願いします。ツイートしていただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
また本編で出てきた固有名詞などはnoteにも御収がありますのでそちらもご覧ください。noteのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
次回はですね、足立光先生の漫画を取り上げたいなと思っております。タッチとかミウキとかH2とか、たくさん長編の傑作がある足立光先生ですけれども、ショートプログラムというですね、短編集がありますのでそれを主に紹介して語っていきたいなと思っております。
ツイッターなどもチェックしていただければツイートしておりますのでそちらもご確認ください。
ぜひ。
アットマークKOKOSUNAでやっております。
はい。
それでは皆様ごきげんよう。
35:26

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