この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャーク鮫君です。今回はゲストに、別冊移す話の河童さんを迎えています。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
お久しぶりです。
前回は、M46、2026年2月5日配信の黒田硫黄をなすこの瞬間回ということで、結構空きましたね。
空きましたね。なんか結構いっぱい出させていただいていたので、すごい嬉しいです。
久しぶりに呼んでいただけて嬉しいです。
どうでしたか、最近は。
元気です。
元気です。
ホモソのイベント、お疲れ様でした。
ありがとうございました。配信でご覧いただいたということで。
はい、すごいいろんな学びのある、3時間ぐらいありましたっけ。
3時間ちょうどぐらいでしたね。
でしたよね。すごい濃い3時間でしたね。
ありがとうございます。ちょっとまたそういう話もね、いろいろできたらなと思うんですけれども、
今回はその男性性ネタではなく、雑談系のお話をやっていこうかなと思うんですけれども、
ちょっと久々に、そういう感じで思ってることをしゃべるエピソードを川端さんと撮りたいなと思って、
どんな感じの内容にしようかなって言ったら、
よく言われてるけれども、いまいちピンときてない言葉たちについてしゃべるのどうですかっていう提案がございまして、川端さんから。
それがいいんじゃないかと。
今から僕たちはよく言われているが、いまいちピンときていない言葉についてしゃべっていきます。
夏ぐらいからぼやーっとずっと私が考えていたことで、
今年の7月27日に私が投稿したスレッツをちょっと読み上げさせていただきたいんですけど、
常にご機嫌な方の人間ではあると思うが、自分の機嫌は自分で取るの意味をあんまりちゃんと分かれていないという投稿なんですけど、
これゼロいいねということで。
ゼロいいね。この時代にメタ社がやっているインスタグラムに連携したテキスト、SNS、スレッツでゼロいいね。
でも自分の機嫌は自分で取るっていう意味あんまり分かってない人絶対私以外にもいると思うんですけど、どうですかね。
あんま好きではないよ。何を言ってんのっていう感じがする僕はね。
ピンとこなくて、常にご機嫌であることは大事なことだと思うんですけど、あんまりちゃんと意味が分かってないというか。
確かに。じゃあみんな取ってもらってるもんだと思ってんの?これまじでよう分からんねんな。
考えれば考えるほど。
分からんねんなこれ。
何て言うんだろう。不機嫌な人っていらっしゃるじゃないですか社会の中で。
そういう人たちに対してのちょっと皮肉みたいなことなのかなとは思うんですけど、
なんでここ数年でこの言葉がどっと流行ったのかみたいなところをちょっと考えたいなみたいなのは思っていました。
それはあるよね。いわゆるご自愛みたいな言葉っていうのが、
多分コロナ前ぐらい過労死だったりね、労働環境の問題、働き方改革みたいなところっていうのは、
俺らは働きだして1年目でやっとそれが来たみたいなね。
なるほどね。電通の。
そう、電通の僕と同い年の高島篤さんっていう子が2年目から。
えっ、高島さんと同い年なんだ。
同い年なんだよ。
そうなんだ。
ほんまにこれはよく言ってるんだけど、同い年会みたいなエピソードとかであるんだけど、
僕は本当に代わりにこの子死んだって思ったんだよね。
自分死ぬかもなって思ったけど、
僕は大阪にいたし知らんけども、
この子代わりに僕らの中で誰か死ぬかもしれんっていう代わりにこの子死んだなって思ったよね。
あー苦しい。
なんか私ちょうど本当1ヶ月前くらいに高島篤さんのXなんか、当時ツイッターだと思うんですけど、
ツイッターのアカウント残ってるじゃないですか。
あれをなんか見てた時期があるんですよね。
あーなるほどね。
すごい苦しくなっちゃいました。
うーんそうだよね。
あまりにも普通の女の子のつぶやきすぎて。
いやそうなんだよな。
ただそれで遺族のお母さんとかがすごくいろんな発信とか、
メディアといろんなお話をされたりとか、
そういった運動をしていただいたおかげですごく進んだってことは絶対あると思うんだよね。
そうですよね。
なんかそういう中でだから、
10年代後半、10年代半ばくらいまでは本当に全然人権なんて社会に出たら二の次になりますみたいなことが当たり前にあった?
うんうんうん。
っていうのがちょっと、やっぱりそんなこと言ってるのやっぱりやばいんだよねっていうことに、
社会がちょっと正気を取り戻すみたいなことを進んでいく中で、
だから自分とどう向き合ったらいいのかとか、
だからもちろんであと経済というか、
働いていく仕事以外の事故みたいなものに、
ある程度労働とかを頑張りながらも変えられないからね。
その仕事の量とか自体は変わんないから、
ある程度めちゃめちゃ頑張らなあかんし、
今もハードな関係がいっぱいあるっていうことは続いている中で、
じゃあどういうふうに向き合ったらいけばいいんだっけみたいなところに、
なんか言葉とか、だからむしろもっとバキバキにいけみたいなメディア。
はいはいはい。
まあそれはホリエモンだったり、
ああいう人たちの登場とか、
今の経済メディア系のもの、
今YouTube番組になっているものとかのところに行く人と、
だからもうちょっとちゃんと言葉というか哲学だったり、
何か他の学びとか、
いわゆるセルフケアみたいなことだったりとかっていうのに向かうっていう、
2つの流れがあったと思ってて。
はいはいはいはい。
だからこれはすごい、
10年代後半っぽい言葉だなって僕は思う。
その時の匂いがする。
どっちもの界隈、違うような感じがするけども、
どっちもに自分の起源は自分で取るっていう、
2つの僕たちが取った方法みたいなもの、
どっちもにこれは通用するような言葉っていうふうに感じることはある。
なんか今聞いてて思ったんですけど、
この言葉に対して自分が分からんなって思ってた理由みたいなのが、
多分ケアの言葉だと思うんですよ。
それこそセルフケア。
自分を大事にみたいな言葉なんだが、
一方で構造的にそれが無理な時ってあるじゃんっていう、
ちょっと矛盾をはらんでいる。
危険が取れない状況の時ってあるじゃんっていう、
その2つが一緒にあるから、
うわーってなっちゃったのかもしれないなって聞いてて思いました。
だから非常にこの言葉はいいようで、
自己責任論的な言葉でもあるっていう。
だから危険が取れないということは、
あなたが愚かなのであるという意味も、
なんか後ろにはらんでいるような感覚があるんだよね、この言葉を。
しかもこの言葉をバッて何か書いたり言う時っていうのは、
例えば上司が部下とかに自分の機嫌は自分でとるみたいなことを言うと、
非常にハラスマント的な匂いをはらむものになる。
ちょっと個人主義っぽい感じがあるんだよね。
セルフケア的な言葉にも聞こえるし、
使い方によってはすごく自分で助かるしかないんやみたいな。
でもそういう一面がある一方で、
この言葉を使う人って結構丁寧な暮らししてそうな人多いじゃないですか。
そうだね。
そういうなんか血がはぐさが不思議だなっていうのはちょっとあるかもしれない。
これはね、むずくて、
なんか丁寧な暮らし界隈みたいなやつって、
結構マッチョっていう。
えー、あんなマッチョじゃなさそうなのに。
だから自然派みたいなのとか、ミニマリズムとか、
なんか丁寧な暮らしのVlogみたいなんてやってる人とかって、
結構マッチョがストイックにそぎ落とすにはマッチョ性が必要だったりするから。
あー、なるほどね。
で、丁寧な暮らし界隈の話で、
俺なんか定期的にこの人の名前出していじってるんやけど、
松浦八太郎っていうおじさんがいるんだよね。
はいはい、存じ上げてますよ。
松浦八太郎、十何万の鉄のフライパン使ったりしてどうのこうのみたいなんだけど、
むっちゃマッチョなんよね。
うん、むっちゃマッチョですね。
だから、なんかやっぱあれをやろうとするときには、
自分の機嫌は自分の手とる体である自分であらなければならない。
そして、みたいな。
なんかそういう、後ろの長いただし書きみたいなのがたぶん続く感覚があると思うんだよね。
でもなんかそこも込みで、
なんかそれが好きな人はその言葉を好んで使うのかなっていう。
うんうん、確かに。
あと、私は平野咲子さん大好きですけれども、
平野咲子さんも白鳳堂出身じゃないですか。
なんかその、なんだろう、出身がマッチョっていうか。
まあ、そうだよ。
そうなんですよね、丁寧な暮らし代表の方ではあるが。
ああ、そっか。
バーテナーになると咲子が丁寧な暮らし代表があるなんや。
え、なんかそんなイメージでした。
丁寧な暮らしっていうよりは、なんか柔らかな人間というか。
いや、でも咲子もだから、同い年やから咲子って勝手に言ってるけど。
だから、俺が大学生ぐらいにと言うから、同いやから、もう全てを見てるわけ。
出てきて。
同い。
そうそうそう。
なんやけど、自分でマガハとかそういう系のところに出てきた人なんだけど、
ポパイとかそういうところの文脈に入ってるけど、
あれとかって後々本人がやってるんだけど、
全部自分でバキバキに持ち込んで書いたりするんだよね。
かっけー。
だから、でもなんか生まれた時からアルデンテっていう、
そのブランディングとかも超完璧みたいな。
なるほど、なるほど。
しかもそのみんなが手に取ってなかったロイヤルホストとか、
チェーン店とかのところとかも行くみたいな。
その辺も素晴らしいよ。
たぶん平野さんが出てきたことで評価されるようになったものとか、
オッケーだよねってなったのもめっちゃあるから、
すごいと思ってるんだけどもちろん。
超あります。ほんとに超あります。
ほんとにあるんだけど、
でも半分、なんか俺とかがバカにしてる、
バカにしたかった20代の時、同いやし。
あったのは、なんかそう、いやむっちゃマッチャンみたいなところを、
いやお前はたぶんバケモンやからできるやんみたいな。
はいはいはい。
みたいなところがあるっていう。
丁寧な暮らしの人と、
海外のヤタロウとかいじってんのもそういう感じ。
お前はお前でバケモンになる環境にあるとかあれやけど、
それでなんかその、
20万とかする鉄のフライパン振り回して、
庶民にかわすのは暴力ちゃうかみたいな。
あー。
そうそうそう。
なんか、そうですね。
自分の機嫌は自分でとるは、なんかそういうことかも。
そうそう。
うん。
なんか、ちょっとそういう、
はらんでるところがある。
そうですね。
だからか。
なんか自分、
なんかなんだろう。
大切なことだというのはわかるんですけど、
自分の言葉じゃないなという感覚があり、
たぶんそれは私のネガマッチョではないからというのが、
一つ答えとしてあるのかもしれないですね。
確かにこの言葉って糸井重里的な、
なんかコピーっぽいよね。
確かに確かに確かに。
うまくはあるもんな。
そうそう。
ハマりいいし、
パッとするというか、
確かに機嫌ってなんか悪くなるって、
相手の、誰かが嫌なことしたから機嫌悪くなっちゃうけれども、
自分でとれるんだみたいな、
なんかちょっと気づき。
はいはいはい。
うん、そうですね。
なんでまあ、
そういうセルフ丁寧な暮らしに繋がるようなセルフラブみたいな、
うーん、感じにできるみたいなところがあってね。
そもそもその、機嫌というものが表に出ないやろっていう、
いやなんか、難しいですけどね。
難しいです。
機嫌って何?
機嫌って何なの?
考えれば考えるほど分かんなくなってきちゃって、
まともな人間は機嫌悪くならないだろそもそもみたいな。
そうね、機嫌悪いなーっていうやつって、
まあ基本的にはやったらあかんことやってんなーやんな。
ね。
機嫌悪いなーって思うときあるけど、人に。
そう、機嫌っていうものを感じるときって、
人といるときだなーと私は思って、
そうだね。
だから一人でいるときに、機嫌悪いなって自分に対して思わないというか、
じゃあ人といるときに機嫌悪くなるのは普通に良くないじゃんみたいな感じがちょっとあるんですよね。
それはじゃあ自分で取る、自分で取るとはみたいな。
よく分かんなくなって。
自己完結言葉でしてるがゆえにものすごい、
じゃあ他の場面は他者に渡すんですか?
この言葉を他者に渡すんですか?みたいな、
すごいドンキっぽい感じで出てくるんだよな。
だからコピーっぽいっていうのもそうっていう。
一つのコピーで殴ってくる感じみたいなのがすごい嫌。
そうですね。
コピーとしては素晴らしい。
なんかさ、俺検索したやんか。
自分の機嫌は自分で取るっていつからなんだろうって調べたら、
Googleは2020年前後に急速に広まり定着したって、やっぱコロナ禍とかで広まったって言ってて、
そのときにお笑いタレントのミヤゾンなどがテレビ番組の中で発言したって。
本当ですか?
自分の機嫌は自分で取る、人に取ってもらおうとしないという言葉が。
聞いたことないんだけど。
ブログを通じて名言として紹介されたみたいな概要が出てきて。
調べたら確かに放送日時みたいなところで、
寺の人とか判明を受けたみたいな反応とかしてる人結構いるんやんか。
えーそうなんだ。ミヤゾンなんだ。
これはまだ分からへん。まだ分からへんねんけど。
そんなことない可能性は全然あるんやけど。
ミヤゾンのやつなんてなったらめっちゃおもろくなって。
おもろい。
話変わってくる。話変わってきますよ。
一滴球的な言葉なのこれって思うとめっちゃおもろいのよ。
へーおもしろー。
あ、じゃあなんかそんな考えないでよかったのか。
ミヤゾンが山とか登りながらしんどいもん。
もっと登んないといけないのがしんどいなーみたいな。大変だなーみたいな。
でもやりたくてやってる仕事だからなーみたいな。
自分の機嫌は自分で取る。うん。みたいな。
じゃあいいかも。
だから俺ら前半でいろいろやいのやいの言ったけど、
なんかそんなもんっぽい。
で、みんなどっちかっていうとミヤゾン的な感じで使ってるっぽい。
あ、なるほどね。
だからそんななんか意味はないというか。
そうそう。
あーご機嫌でいたいなぐらいな教室ってことですよね。
そうそう。
ご機嫌って多分言うとちょっとなんかはずいとかなんかダサい顔みたいなのがあるのが、
ちょっとパキッと言ったほうが2020年代のトレンドとしては言いやすくて、
うーんって感じなのかなー。
なるほどね。
じゃあ、なるほどです。
あの、理解しました。
そうですね。まあまあいろいろでもね、あるよね。
そうですね。
丁寧な暮らし界隈の言葉で言うと、
私あの、生きてるだけで偉い。もうなんかあんまりピンときてなくて、
偉いか?と思って。
その、いや偉いんですけど、生きてるだけで。
でもなんかこれを言ってる人ってみんな生きてるだけではなくないかって思っていて、
これを使っている人ってみんななんか楽しそうに暮らす工夫をしている人たちだし、
幸福の追求はしてねと思って見ているんですよ。
なるほどなー。
だからなんか、生きてるだけで偉いとはみたいな、なんかすごい思ってました。
これはね、むずくて、これはそのばたやんの気持ちもわかるんやけど、
俺の実感ね、35歳独身男性の実感として、丁寧な暮らしとかの人、
俺はいじったけどさっき、そっち行く人って、
一回、やっぱ丁寧な暮らしじゃないことで壊れてるやつが多い。
なるほど。
だから仕事とかに暴殺されてるとか、部屋ぐっちゃぐちゃになってるとか、
そういうのがむっちゃ嫌で、一回ほんまギリギリまで行って、ゼロにしてミニマリストになるとか、
なんかほんまにそうじゃない自分みたいなのが嫌で、ガンとギア引いてそっち行く人っていうのが多いんだよね。
それは結構、俺はそこちょっといじれないところというか、
それはあなたのことは尊重するって思ってる部分でもあるんだけど。
なるほど。
で、やっぱそういう人って、キワキワになった人とかにどんな言葉をかけたらいいのかっていうときに、
もうパンパンの人に頑張ってるよっていうことはすごいしんどいんだよね。
でも本人としてはパンパンだから、こうしてもらってるとか言っても届かないみたいな、
ただこの人のことを肯定したいっていう気分を伝えなければ。
っていうときには、やっぱ生きてるだけで偉いよって本当に言うことがあるんだよね。
なるほどね。
だからちょっとパンパンになった経験があるやつとか、
そういった匂いをする人に対して、かけれる言葉としては、
いやもうほんまに生きとってくれたらいいみたいな、生きとるだけでいいよって言いたい。
死なないでくれてありがとうみたいなことですよね。
そうそう。
そうそう。っていうので使うっていうのがあるのかなっていうのが。
なるほど。
そうですね。これは完全に私の考えが浅かったという。
いやこれはでも、俺もなんかわかるよ。
昔はなんかわからんなって思っとった。
それこそ生きてるだけで丸儲けって、ようわからんなって思ってた。
アカシアさんも。
儲けではなくないかみたいな。
思ってたけど、今は35になると儲けているって思う。
え、儲けているとまで思うんだ。
儲けている。
それでもなお生きてるはかなり儲けているみたいな。
なるほどね。
っていうのは、なんかそういう人間の死とかを見る機会とかも出てくるし、
なんかね、わかってくるね、感覚は。
今になっては俺からするとそうなのかなっていうのは聞いてちょっと思ったところではある。
でもわかんないっていう人もいるし、あと単純にそれはそれでチャラく使える言葉でもあるっていうところではあるからね。
生きてるだけで偉いみたいな。
聞いてて思ったのは、とっても大切な言葉じゃないですか。
人の幸せを願ったりとか、相手を肯定したいときに使う、
とっても大切な言葉なのに、SNSとかであまりにも消費される言葉として使われすぎてるから、
それに対してちょっと職商気味になっている人もいて、難しいなというのは思いました。
だから俺今聞いて思ったけど、今もう自己肯定感って言葉俺もうお腹いっぱいで嫌い。
言い切った。
3年前ぐらいに心の砂地でも、高々デビュー4,5年目のっていうエピソードがあるんやけど、
これって自己肯定感という言葉が当時出てきて4,5年目だから、そんな言葉に振り回せんなみたいな話をしてるのね。
高々デビュー4,5年目の若手のやつがど真ん中にいるみたいな感じで、人間に必要なものだなんて思うなみたいな言葉を言ってるんやけど、
でもやっぱ加速して、自己肯定感高いどうのこうのとか低いとか、
自己肯定感が低いからじゃないみたいなアドバイスを出して返して、みたいな言葉とかで使われるぐらいまでいったんだけど、
でもさっき和田彩音が言ってるような、SNSとかそういう適当にいっぱい大事じゃないように言葉を使っちゃった人がいっぱいいるせいで、
なんかすげーちょっと厳しい言葉になったなみたいな、もともとあんまりいいニュアンスを持っていなかったが、やっぱ思った通り、
この言葉が出たことで良かったことよりも、あんまり良くなかったことの方が大きくなっちゃったから、
ひとつのことに名前をつけるっていうことは、名前をつけるやつには責任がやっぱいるよなっていうことは、
俺なんかすごい思うタイプで、なんかそういう感覚があるね。
SNSによって本来深刻だったはずの言葉が軽くなってしまっている事例ってめちゃくちゃあると思ってて、
それこそフロキャンセル界隈って、あれって結構セルフネグレットに使われたりとか、結構鬱の前兆だったりするじゃないですか。
実際私もよくフロキャンしちゃうんですけど、しちゃう時って本当に結構精神的にしんどい時がやっぱり多くて、
でもフロキャンという言葉がとてもライトに当たり前に使えるようになっちゃったことで、
なんかちょっと笑い話で終わっちゃうみたいなところはあるなと思ってて、
でも私はフロキャンという言葉があったことで、あ、私だけじゃないんだみたいな安心を得られたという良い一面もありつつ、
ちょっと軽視してしまうっていう一面もあると思うので、
なんかSNSって難しいなというのは、ちょっと話しとれちゃったんですけど。
いやいやあるよね。だからそれもフロキャンっていうポップに言うことで、
笑い飛ばしてくれやみたいな良さっていうのも同時にあるはずなんだが、みたいな感じ。
でもそれを軽くしちゃうと、本当にしんどいことなんだよみたいなことを、
ただフロキャンしてふざけてやってるだけだろうみたいに思う人もいるかもしれないみたいな。
そうなんですよね。
なんかそういう、そういうのはある。だから名前、だから今日言ってるピンときてない言葉とかって、
そういうことを指していると思う。
何かに名前がついたけれども、でもなんかちょっとそれは良くないんじゃないかみたいな引っかかりがあるから、
そういうことがあるんじゃないかな。
確かに。なんかやっぱ強い言葉が1個あると、みんな思考をすっ飛ばして、
そういうもんだって結論みたいな感じになっちゃうじゃないですか。
そうね。
なんかちょっと一旦考えようよみたいな一面があるなとは思います。
そうね。
自己肯定感ね。確かに私も大学生の時よく話してました。
自己肯定感低いじゃんみたいな話を。
はいはいはい。2016年の10月から急に言われてるんだよ、自己肯定感って。
トラック数が急にガーンって伸びてるんだけど。
10月からって何でなんでしょうね。
これでも逃げ恥の放送開始と全くリンクします。
へー、逃げ恥なんだ。
そう。で、その2016年の10月に出てる文部科学省の教育再生会議の資料で、
日本の子どもたちの自己肯定感が低い現状についてっていう資料が出てんのよ。
へー、そうなんだ。
で、おそらくそれを、多分脱校式ってないから、
多分その辺を含めて乃木さんは逃げ恥に入れ込んだんじゃないかな。
あー、なんかそんな気がしますね。
で、多分それで言われたから、一気に当たり前に使われる言葉になったみたいな。
まだ10年ぐらいの言葉ではあるかな、言われるようになったね。
え、なんか、名前がついたことで急速に認知度というか解像度が上がっていった言葉の一例としてフレネミーがあると思っていて、
最近急にフレネミーフレネミー言われてるじゃないですか。
言われてるねー。
でもフレネミーって、なんか名前、もとからあった言葉ですけど、流行る前からずっとあったじゃないですか、そういうのって。
でも名前がついたことで急にうわーって流行ってるみたいになってて、ちょっと不思議だなって最近思っておっちゃってます。
確かになー、フレネミーは嫌やなー、使い方として。本当に良くないと思ってる、あれは。
一番でもなんか、ああいうダメな言葉とラベルすることで一番悪用もされているし、
名前がついたことによって社会があんま良くなくなっている方なんじゃないかなーっていう言葉であんまつけちゃうなー、あれはいいなー。
なんだろう、さっきも言ってましたけど名前つけるのって本当に罪で、なんかやっぱ思考なくしちゃうじゃないですか。
これってどういうことなんだろうって考える前に、あ、フレネミーだってこう蓋をしちゃう感じがちょっと気がするんで。
あんま良くないんですよね。だから関係とかに関して名前をつけるのはかなりセンシティブに本当はやらなあかんことだし、
こういう人のことを何々って言うんだってみたいな、誰かをラベリングするみたいなもので新しいことができたときに、
誰々って何々だよねとかいうのの超暴力的さ、それって直球で差別行くから。
そうですよねー。でもなんか一方で、なんかよく人と話してるときに、いやこの感情に名前欲しいよねみたいな話するときあるじゃないですか。
その名前欲しいみたいなところだけはなんとなく気持ちがわかるから、なんかそこにフレネミー的なちょっとこうビビッドな名前がついたものがあると、
みんながこうそこに注目がワッといってしまう気持ちもわからない気持ちもないなっていう。
そうなんだよね。気持ちとしてものすごくわかるがゆえに、まあ一番大事じゃない?そこがみたいな、こだわりが。
わしはなんかやっぱ名刺にすごいこだわりがあるから。
ね。
心の砂地って、例えば一切名前が登場せえへん、7年間配信してて一切存在しなかったことになってる人とかいるわけ。
この人の名前出たら全部切りますっていう人とかいるわけ。それは俺が完全に許せないから。
なるほどね。
うん。し、この言葉は絶対に言わないでくれみたいなのが俺の中ではあって、絶対どんな人が言ったとしても絶対に編集で落としてる言葉とかあるんだよね。
あ、そうなんだ。
っていうぐらいこだわりがある。やっぱそれが当たり前に使われてる言葉だけれども、そんなことを俺が編集して俺が世に問う文章の中には絶対に入れないという意思をあるみたいな。
これでもすごい異常なこだわりなんだけど、でも本当は僕そんぐらい当たり前だと思ってるみたいな。
でもわかります。わたしも意識して使ってない言葉何個かあるんで。
なんか自己肯定感とちょっと近いところにあると思うんですけど、わたし自分を愛せないと誰かを愛せないとかよく言うじゃないですか。
だからあれはあんまりピンときてないですよね。
これってなんかのセリフとかなんかな。
確かに。
なんか一説っぽいよねこれってね。
でもなんかちっちゃい頃から知ってません?
いやちょっと結構年ちゃうからな。
そっか。なんか誰から聞いたかは全く覚えてないんですけど、ことわざみたいな感じで、なんか学生時代から知ってた気がするって。
いやなんか俺これもね働き出しってぐらいの言葉な気がする俺からすると。だから自己肯定感と同じぐらいに出てきたような気がする。
なんか俺結構そういうナルシスティックなものが良いみたいな態度で今はいるんやけど、それってやっぱ大人になってからそういうものが基本的にはあんまり良くないよねみたいな。
ナルシストって良くないよねみたいな。自分を愛すってこと差分よねみたいな。なんかもっとすごい世界が冷笑的だったというか。
なるほどね。
自分の肯定が強いみたいな人のことをいじってるみたいなところがあったから。なんかでも今はいいと思ってるんだけどみたいな。
なんかその感覚が出てきたのは働き出してぐらいだから。やっぱそうなんかな。この自分を愛せないと誰かを愛せないみたいなのがそんぐらいに出てきてる気がする。
やっぱちょっとセルフケア的な一面があるのか。
そうだと思うんだけどな。
ほんとに自分は愛した方がいいと思うし、その方がヘルシーだと思うんですけど。でもなんか自分を愛せないと誰かを愛せないのかなってその因果関係がなんかちょっとあんまりわかんなくて。どうなんでしょうね。
難しい。ここに入れていい、僕たちが見たい読み合いを見せるとしたら、自分を愛せないと健康的に誰かを愛せないっていう言葉を入れるとしたらしっくりくるけども。
なるほど。
ちょっと大事なとこが抜けてないかみたいな感じかな。
でも健康的に誰かを愛せないって聞くとすごくしっくりきました。
たぶん誰かを愛せることは、自分が愛せないから誰かを愛せるんだっていう方邦画あると思うから。自分を愛せないと誰かを愛せないにはそこが抜けちゃってるじゃんみたいな。
そっか。愛せることはできるけど、愛し方がどうだろうかみたいなことですよね。
例えば今の推しみたいな経済とかって、自分の愛というよりは自分は愛せないけれども、自分の気持ちを誰かに託したいみたいな人も割といるんじゃないかなみたいな。
なるほど。ちょっと逆になってるというか、誰かを愛することで誰かを愛している自分を愛せるようになるみたいな。
そうだね。
逆の矢印になってしまう場合もあるよみたいな。
それがたぶん今みたいな、例えばアイドルのことしか自分はめちゃめちゃだけどこの人のことだけ応援しますみたいなことで、
でも逆にアイドル側からあなたたちを愛するよっていうことで、自分もちゃんとしなきゃみたいな感じで世界が本当にヘルシーで回るみたいなことは理想的なんだけど、
でもこれはちょっとユートピア的すぎる。あんまないこれ。
確かに。ヘルシーかと言われるとちょっと言い切れない部分もありますね。
そうそう。
確かに。確かにですね。
だから俺はいいこと言ってるような気がしてるんだけどね、やっぱ自分は立たない、自分が立ってない、自分の自我みたいなものはない、あなただけの人生なんですみたいなのって結構危ういやん。
そこがなあ、そこにあんまりかける言葉っていうのがあんまりないような気もするから、なんかそういう意味でまあまあまあみたいなね。
翻訳すると、日本語ですけどもともと、翻訳すると自分を愛せない人の部分はなんかまず子としてあるべきであるみたいな、自立した私であるべきであるみたいなところから誰かを愛したらヘルシーだよみたいな意味合い
なのかなと思ったら今すごく納得がいった。
お互いの自己愛のない部分を埋め合う感じになるとだいぶ泥沼な感じするじゃないですか。
そうだね。まあでも難しいけどね。だからこの愛って、なんか俺は結構愛ということを乱暴に使うことで世界をむちゃむちゃにしてるみたいな、むちゃむちゃに何でも愛っていうことがおもろいんちゃうかと思って。
私も愛って言葉大好きです。
だからすごい乱暴に愛とかラブとかめっちゃ言うんやけど。
めっちゃ言う。私もめっちゃ言います。
めっちゃ言うんやけど。
だって愛してる友達めっちゃいるから。
そうそうそう。いや俺もそう。でもなんか本当に俺は愛と思ったら愛って書くみたいなことはあるんやけど。
いや本当に嘘はついてない。
そうそうそう。なんやけど、でもこれ俺らが変な友軍であることは間違いないと思う。
それぞれ。
そうなんですか。
自己流の祭りをやってるだけで、これ変な方なのよ。
そうなんだ。
だから愛でかおやからやっぱこれは。愛でかおと。
愛でかみ。
愛でかみの二人でやってる話だからスッと行くだけで。
多分この言葉を使いたい人とかっていうのは愛情というものに対してはもっともっと特別なものだと思ってる。
人に愛って言っていいなんてものじゃないっていうぐらい、
そういうすごくそこに大事な距離感があるっていう人とかにとって、
もしかしたら愛みたいな要素があなた自身にあると、よりあなたが豊かになるかもよみたいな背中を、
この言葉で押してくれるっていうことが結構あるから流通してるんだろうね。
はいはい。だから人には人の愛ということですね。
そうそう。人には人の愛。だから俺らは使いすぎやから。
毎日愛やからあんまおらんねんこんなやつら。毎日愛だから。
ただ話あってるだけやからね。僕とアルタでね。
私も今日道歩きながら愛やなーって思ってました。
なんでなんだよ。あるけどね。俺もある。
基本的にはマジで言いたい。でも言うと、全部言いたいんやけど、
でも言うと意味わからんことになるから、
だいぶ制限して人の多分15倍ぐらいは言ってるみたいな。
でも15倍なんですね。
そうそう。
だってこの間とかも小劇場とか行ってさ、見て、見終わってさ、
近いところだったら演者さんとか外に出てたりするやん。
役者で見に来た人と喋ってるやん。
すごいいいなって思った演技してる人とか見て、
パッと目とかあっても、いや、愛やぞお前って思いながら、
でも言う意味わからんすぎるから、別に。
目で愛を。
明らかに気づいているのに、わけわからん。
ただ目があった人みたいな感じで帰ったりしてるんやけど、
本間は握手して愛ですわーって言って帰りたいって思ってる俺は。
いいですね。私もたまに愛してる人が多すぎて、
家でジランダ踏んだりしますよ。
愛してる人が多すぎる。
おかしいって。異常なやつ二人で喋ってるよ、俺は。
そんなことないからね、みんな。
みんなそうじゃないのか。
そうじゃないらしいわ。
そっか、そうです。失礼しました。
なんか、え、これは半分私の問題もある。
というのはあるんですけど、
よくあの、最近時代的に使わなくなったかなーとは思うんですけど、
あの、減るもんじゃないし。
減るもんじゃないし。
減るもんじゃないしかー。
いや、まあわかるんやけど、俺あんま聞いてないんかなー。
えー、あんまり馴染みないですか?
えー、どういう時に言ってんやろー。
なんか、例えばですけど、キスとかその先のことをすることに関して。
これやっぱりそうやんなー。
そう、まあ減るもんじゃないし、だし、
それこそあの代表例として、クリープハイプのラブホテルっていう曲の歌詞に
減るもんじゃないしっていう、
減る、1回くらい減るもんでもないしという歌詞が出てくるんですよ。
いや、俺、それちょっとだから、挿してあれなんやけど、
なんか俺エロ漫画でしか見たことないなーって思ったけど言わんかったやん。
なるほどね。
うん。そんな話じゃないかと思ったんやけど、
でもエロ漫画の話やったから、合ってたかみたいな。
あー、でもまあニュアンス的にはそうですよね。
とかなんか多分、昔の魔法のアイランドの携帯小説とかに出てきたような気がします。
確かにね。いやだからそれって、だから、
なんかそういう恋愛の中で起きる行為のことを、
減るもんじゃないし、1回までね。
あ、そうそうそう、そうですそうです。
うん。
減るもんじゃないし、1回で。
減るもんじゃないし、1回だね。
そう。で、なんかこれに関しては、
まあ私は別にどっちのスタンスでもないんですよ。
なんか減るもんだろ、とも思ってないし、
減るもんじゃないだろ、とも正直あんまりどっちとも思ってないんですけど、
その、何がっていう。
あー、確かに確かに。
何のことを指してるのかが、なんかあんまり、
なんか心なんですかね。
あー、だから。
そもそも、減るものがないっていうことですか。
あー、んー、まあなんかだから残機?
残機?
残機ってあるの?
残機と捉えたらみたいな話じゃない?
あー、残機とかなくないですか、その。
ない、ないよ。ないけども、なんか減る気がするんじゃない?
あー、なるほどね。
いや、だから、あれでしょ。
これだから、わかりやすくしてくれたアニメがあるよ。
だからソウルジェムでしょ。
あー、え、でも、え、でもソウルジェム、え、ちょっとどういう意味ですか。
だからソウルジェムだと、
また巻きで、はい。
ちょっと闇感情とかがあると、ソウルジェムというものが濁ると。
で、それが濁りきると魔女というものになってしまうっていう表現で、
マドカマギカというアニメではあるんですけども。
はいはいはい。
だからあれってだからその減るもんじゃないしみたいなもんを、
濁るっていうところでもうちょっとわかりやすく置いてくれたような感じがするよね。
なるほど。確かに、確かにそうですね。
そうそう、だからあのマドマギぐらいとか、俺大学生やからさ、マドマギの時。
マドマギ以降とかって、なんかそういうなんか良くないことしたとか、
飲み会とか先輩とか後輩とかで喋る時とかに、
アニメ見てない人でも、それはソウルジェムが濁るんですよみたいなこと言って、
ソウルジェムというのはみたいなんで、
知らんヤンキーみたいな先輩とかでも、
あ、それなんかわかりやすいなみたいな感じで、
いいの?
ソウルジェムが濁るっていうことを流通させてたんやけど。
え、羨ましい。そうなんだ。
だから、減るっていうよりは濁るっていう方がより、
うん。
そういう感じに近いよね。
確かに。でもこれを、ここから先はかなり私の問題なんですけど、
人に対しては、人がも、友達とかが、
減るもんじゃないし、まあいいかって言ってたら、
減るよって思うと思うんですよ。
確かに。
何かわかんないが、減るもんがあるよって思うと思うんですけど、
自分に対しては、いや減らんやろって思ってしまう矛盾を抱えていて、
はいはいはい。
人のことになると解像度上がるのに、
自分のことになると急にわかんなくなることって、
こういうこと以外にもあるじゃないですか。
うーん、確かにな。
ほんと全然ちょっと主題からずれちゃうんですけど。
いやいや、あってる。
いやまし、なんかさっきの窓が間際の話に戻すとまたわかりやすいけど、
窓間際の奴らってみんな自分に対しては減らんやろって思ってて、
他人に対しては減るよって思ってる奴らの話やから。
確かに。
うーん、それは結構ばたやんの特殊な感覚ではないような気がするね。
うんうん、え、なんかすごいソウルジェム、すごいですね、汎用性。
ソウルジェム論。
あれ、そっか、結構魔法少女の話だけではなかったのかもしれない。
そう、まあまあまあそうだな、すごいシステムだなあ。
まあなあ、減るよ、もうちょっとその減る何かをちょっとまず、
減るもんの話だけにすると、減る何かを、何を。
確かに、濁るじゃなくて、あえて減るということを選んだ人がどこかにいるわけじゃないですか。
うーん。
なんなんだろう。
それは、あなたの総量みたいな、なんか俺結構人を食べる食べないとかよく言うんやけどさ、
人食っちゃう人ってマジいると思ってて。
費用ではなく、費用として。
そうそう、まあ費用として、なんか人のいいとことか、人のエネルギーみたいなものとか、
いいとことか、まあ盗むでもいいわ、盗むよりもっと返せなくして、
お前の栄養でお前のことをしてるから食べるってこと言うんやけど、
人食べちゃう人ってやっぱいいって。
だからそういう人と絡んでると、お前食われんぞみたいなことっていうところに、
の感情は減るよっていう言葉とほぼニアリー・イコールぐらいはあるよね。
あー、なるほどね。
うん。
それは何が減るよとか食わるよって言ったら、あなたの総量とかあなたのいいところとかかな。
あなたがあなただと思っている輪郭が、だから本当に食べられてるわけじゃないから、
腕が取れたりとか食われたりするわけじゃないんだけども、
絡んだりなんかその人に食べられることで、あなたのいいと思っているものが失われるよみたいな、
あなたの輪郭が減ってるよっていう感じのことで使ってるかな。
確かに。あなたが減るだったらなんかわかる気がします。
確かに。
だってあなたが減ってるよって思うときあるもん。
そうなんだよな。
でも、これって確かに減るもんじゃないし一家は、わかってるよね。逆に言うとね。
そう、わかってる。
わかっているっていう、そうそう。
良くないっていうことはわかっている。
ただ、私はわかんないという、不利をするという宣言。
だから、数えられるものが減らないという言い訳じゃないですか。
そうだね。そこで何もなかったっていうことをしてるってことだ。
そうそう。数えられないということを前向きに捉えているという。
なるほどな。
それはあるかもですね。
私、年々体よりも心の健康の方が何倍も大事であるということを身をもって感じているんですけど、
心は減りますよね。
そうだね。
でも、やっぱり心が数えられないばっかりに減らないことになっているという。
確かにな。そうなんだよな。
そこは身体と精神がつながっているからこそ、結局は減っているのではみたいな。
精神が減っていて、心身に何か起き出す。
それは減っていますみたいな。
それは他人に対しては減ってるよねみたいなことには。
そうなんだよな。私、他人に対して思うんだよな。
まあな。難しいけど。
でも、そういう意味では今まで出してきた言葉より、これはかなりいろいろ捉えてはいるわ。
この言葉で指している何かはかなりある気がする。
確かに。かなりハイコンテクストなだけで読み取れるものがめちゃくちゃあるというか。
まあ、減るもんではないんだな。
減るもんではない。
数えられるもので減るものはないという。
数えられないから減るもんじゃないということにするみたいな感じだね。
かっこということにする。
そうです。窓マギだったという。
窓マギは減るもんじゃないしっていうことをずっとやってる作品みたいな。
謎に窓マギの解像度が上がるという。
窓マギ勝ちぜ。
おもろい。
はい、ということでね。やってみましたけども。
ここまで聞いていただきまして誠にありがとうございました。
感想お待ちしております。
Spotifyのコメントからお便りフォーム各社SNSの投稿などお待ちしております。
番組のフォロー、高評価もぜひともよろしくお願いいたします。
ということで今日は川端さんありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆様ごきげんよう。