1. 心の砂地#
  2. 第62回『あんたはだれや』
2024-02-20 45:20

第62回『あんたはだれや』

自身の作品である「セクシー田中さん」の連続ドラマ制作について、トラブルが表面化する中で、漫画家の芦原妃名子さんが亡くなった件について、考えたことをお話ししています。

テレビ、出版社の構造上の問題(出版社は売りたい、テレビはすぐ作りたい、時間がない)、SNSでの誹謗中傷の問題、(法律上問題はなくとも、)メンタルケアの問題、お金の問題、作品のクオリティの問題、創作に創作を重ねる、という解釈の問題……。

今回は主に、正しく「この作品は何でできているのか」ということに焦点を当てて、作り手、受け手の意識について考えてみました。


◆今回の収録パートナー

ずーみん (同じ鍋のモツを食う)

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2023 artwork:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@sekiyanabemotsu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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00:01
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。本日の収録パートナーは、ポッドキャスト番組、同じ鍋のもつを食うより、ずーみんさんに来ていただいております。
ずーみんです。よろしくお願いします。
はい、ということで、ちょっといきなりね、ちょっとてらださんが体調不良ということで、大躍ということで急遽お願いしたんですけども、ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
今回のエピソードと、次回のエピソードと、2回お付き合いいただくということなんでね、改めてよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ということで、本日も始まります。心の砂地。
君のこと好きだって気づいてた
だけど僕は怖くて言えなかったんだ
春の青さと夏の輝き
君と二人ずっと歩きたいだけ
今回話したいのが、これもね、かなりニュースとかにもなっているし、みんないろいろ考えてたりとか、いろんな思いがあったりするんだろうなっていう話題をちょっと話そうと思っていて、
『セクシー田中さん』というね、ドラマが去年の10月期の日テレで、「日曜ドラマ」っていう枠でやってたんですけども、そこで原作者の方と、その制作側にいろんなすれ違いとかがあったっていうような話があって、
結果として原作者の芦原妃名子さんという作者の方が亡くなられてしまったっていう、かなりショッキングなニュースがあったんですけれども、それについていろいろ考えることがあったんで、これがどうのこうのっていう、例えばどう思うかっていう、どう思うかっていうことを考えた話はあるんだけど、
なんかそこから感じたこととか、自分なりに思うことみたいなのを話していきたいなと思ってて、
いきなりこういうお話をずみさんに聞くっていうので、なかなか難しいあれなんですけれども、
一緒にいろいろ話していけたらなぁと思っております。
はい、お願いします。
いろいろ詳細は正直、あまり詳しくは、いろんな時系列があって、あった事象だけ簡単に説明すると、ドラマが10話まであったんですけど、そこの9、10話、最終話、最終話前の話数の脚本のクレジットが原作者の芦原妃名子さんになっていて、
03:07
それまでは違う脚本家の方が書かれていたんですけども、終わりだけそうなっていると。
その後に脚本家の方が自分のSNSで、原作者の方が書きたいっていう申し出があって、ちょっと残念なんですけど、そういうことになりましたみたいな投稿があって、
原作者の芦原さん側も、こういう事情でみたいな話を、またSNSを解説されて説明されたりみたいな、そこがどうかっていうのは未だにちゃんと説明がされてないので、ある程度出版社である小学館であるとか、放送してたテレビ局であるとかっていうのの声明は出たんですけど、
具体的に本当どういうことで、どういう流れでっていうことに関しては、はっきりと説明されてないなっていうのが僕の印象ではあるんですよね。
ただ、実際に原作者の方は亡くなられてしまったっていうことで、そういう騒動があってから亡くなられてしまったっていうことで、
たぶんここで精神的なダメージとかがあって、そういうふうなことになってしまったんじゃないのかなっていうのは、このニュースいろいろ見た中ではそうだろうなっていうのが受け止め方としてあるなと思ってて。
で、ここで今例えばSNSがワッといろんな話がされる場なんで、誰が悪いんかみたいな話になったりとか、そもそもこの構造上の問題というか、原作があってそれをドラマにする、しかもその原作が終わってない作品で、そこが原作者が思ってたものと違うものになってしまうっていうことだったりとか、
そこで交わされるSNSでの誹謗中傷の問題とか、そもそもそれぞれのクリエイターたちのメンタルケアの問題とか、構造上の問題の中に含まれるお金の問題だったりとか、作品のクオリティの問題とか、作品を解釈するっていうことの問題だとか、
これいろいろだとかっていうことでいろいろ説明したけど、これ全部それぞれ繋がってはいるんだけど、違う問題だなっていうふうに僕は思ってて。だからこういう点ではこうだし、こういう点ではこうだっていうのが、特に例えばTwitterXでは時数制限がある中で、
しかも情報が錯綜している中で、みんなやっぱり気持ちを吐き出す場になっている現状だから、その辺がすごく広がってしまって、今回よきにすごく考えられる問題とか、構造の問題とか、こうした方がいいんじゃないかっていうことがどんどん進むのはいいことだと思うんだけど、
06:03
一つね、やっぱりそういう一人の作家さんが亡くなられてしまったっていうことの、しかも創作においてそういうことが起きてしまったっていうことのすごいショックというか、この記事とか報道とかSNSのリアクションを見てすごくみんな傷ついたし、考えたり、気持ちが収まらなかったりっていうことがあるとは思うんですよね。
思うのは、まずさっきも言ったんですけど、細かく分けて考えようっていうのは、こういう、この問題だけじゃなくてもいろんな話をするんだけど、その辺がやっぱり発信する人とかこうやって語る人もごっちゃにして考えがちだし、すぐ言いたいっていうことがあったりとか、気持ちが言葉と追いついてなかったりとか、なんかそういうことがあってすごいややこしくて、
そこを整理するっていうことが一つあるのかなっていうふうには僕は思ってるんですよね。すごく僕が思うこと、まず思うことっていうのが細かく整理しようっていう話で、その次にやっぱり創作者のこだわりとかってめっちゃすごいあるもので、
作品っていうものでも創作物っていうのはもうその人そのものだっていうふうなのが僕の考えなんですよね。作品とその人は別っていう考え方もあるし、しそれも一理あるっていうふうに思うんだけど、その人が作った何かに対する思いっていうのはその人そのものと同じぐらい大事なもんだっていうのがすごいあるんですよね。
特に漫画家さんとかでも言ったらもう髪の毛とか輪郭とかの線を一本引くか引かないかとかまでもこだわりがあるのが当たり前じゃないですか。
僕らも例えば一つの作品、好きだった漫画家、アニメになる、実写映画になる、舞台になるとかでも、ここの髪型ちょっと長いな、違うなとか、服の着こなしちょっと違うなとかでもさ、ちょっとこう、「えっ?」てなったりすることあるじゃないですか。
いや、ありますよ。
し、創作物はその人そのものなんだっていうことをすごい思ったりはまずするんですよね。
で、本当にテレビドラマっていうものに関しては、僕もちょっと仕事でそういうドラマの現場とかそういうとこ見たりとかをしてるんですけど、ものすごいスピードで作ってるんですよね。
で、多くのテレビドラマが始まったときに10話までの脚本が全部決まってるってことはほぼほぼないんですよ。
だから1話2話3話ぐらいまでは一気にいくんですけど、5話6話ぐらいまではまだできてなかったりするんですよね。
09:04
そういう程度のプロットみたいなのとか流れは決まってても、完全な決定稿、これでいきますっていうのはまだその段階でできてないことがほとんどなんですよ。
だから1話2話放送して反応を見ながらまた書いていくっていう感じが最近だと特に多いんですよね。
でもそのスピード感でやってるから、書いてそれを撮って、毎週放送しないといけないっていうだからもうすごい過密スケジュールなんですよ。
そうですよね、編集もしないといけないし。
そうそうそうそう。だからテレビドラマもその制作走り出したところっていうのはもうかなりその言ったらチェックだとかどうするかっていうのってめちゃめちゃ時間がなくて、
それまでにたぶんいろいろしっかりクリアにしとかないといけない問題っていうのがあって、今回がどうだったかわかんないんだけど、
やっぱりそういうギリギリの現場で現場の人はやってるから、そういうズレみたいなのは一つ起きやすいっていうのは僕が知ってることとしてはめっちゃあるなっていうのをすごく思ったんですよね。
でも創作者の人にとってはそんなことって全然関係ないよなっていう。
そうですよね、その場にいるわけでもないし。
見てる僕らも全然そんなことは気にしないじゃないですか。気にしなくてもいいことやんか。
これなんか違うぞって思っても、現場このスピード感で作ってて、2話の段階で本当は5話まで行きたかったけど行かれへんかったとか、現場のこと知らないし知らなくてもいいしっていうさ。
そうです。
っていうのとか、いろんな。
その他ね、じゃあそこに対してどういう風な準備をしていくのかとか、どこまで整理されてるのかとかいうのはこれからね、よりやっていかなあかんのやけど。
で、僕が今回このエピソードですごい考えたのは、そういう事情はある。
僕はたまたま知っている。
けども、例えばこの絵について何か話すとか、こうじゃないのかとか、怒ったりとか、それを表出すること自体は表現の自由もあるし、自由に言えばいいのかなとは思うんだけど、
なんかそこがすごくワッといろんな言葉が出過ぎたところっていうのが、言ったらSNSでの誹謗中傷の問題っていうのにも繋がってくるんだけど、
今回のこうしたことになってしまった一員ではあるなっていうのは僕はすごい思ってて、いろんな話があるよ。
もちろんテレビ、出版社、一番大元になってるとこがちゃんとせえよ、っていうのはもちろんなんだけど、
僕がすごい感じるのは、どっちかというとそういう言葉を外に出して、ちょっとそこが一人の人にプレッシャーがかかってしまうっていうことがすごい考えて、
12:12
ただ、やっぱそういう言葉をなんか、普通に例えば楽しくSNSやればいいと思うんだけど、何か外に出すんだったら、やっぱりちゃんと調べるべきなんじゃないかなっていうふうには思ってて、
これはどんなことに対しても、僕はちゃんと調べてから言おうぜっていうのをすごい大事にしてるんですよ。
どうやってこれが成り立ってるのか、なんで成り立ってるのかっていうのを鑑賞者の僕らももちろん作る側の人も、
それは本当に一番初めの作品、原作となる作品を作る人も、さらにそれを解釈して違う作品を作る人もみんな、
これが何の上に成り立ってんのかっていうことをちゃんと自覚するっていうことを、ちょっとスピードが速すぎて、世界の。その辺がちょっと甘いんちゃうかなってすごい思ってるんですよね。
例えばちょっとしんどいことがあると、イラッとしたりさ、怒ってなんやねんとかさ、それが例えば自分の仕事とかで何かトラブルがあったとかなんやねんって思うこともあるし、
それを例えばSNSに書くみたいなことは全然僕もあるし、ずーさんも多分あると思うんですけど。
はい、あります。
それはそういう表出としてあると思うんだけど、じゃあそれをちゃんとコミュニケーションというか、ちゃんと伝えるっていうこととかを考えるのであれば、
そこがなんでそうなのかっていうのを、めっちゃちゃんと見るってところしか始まんねえんじゃねえのかなっていうふうに僕は思っていて。
なんかそういうことをね、思ってるんです。
はい。
っていう感じでちょっとバババッと僕が思ったことをいろいろ喋ったんですけど。
はい。
ずーさん的には聞いててどうでしたか?ここまでで。
そうですね。私はちょっと漫画もドラマも見てなかったので。
今回の作品についてはね。
そうですね。なので実際知ったタイミングっていうのが、
芦原先生ご自身がXにポストされてるところで、一番最初の状況を知ったっていう感じ。
で、その時点では芦原先生のことしか見てないから、正直その周りにいる人たちがみんな悪なのではっていうふうに思ったりはしましたね。
分かれへんしね、そういうことが。
まあ芦原先生もその今の状況っていうことを伝えるためにおっしゃったし、
15:03
実際それは先生が感じられたことだから、たぶんそれは間違ってないと思うんだよね。
うん。
もちろん。ただそう思うよな。
そうですね。脚本家の野木亜希子さんも。
はい。『逃げ恥』とかのね。
その亡くなられた後に結構ポストされていて、
脚本家目線でこんな感じで今はやってるんですよとかっていうのを見ていた中で、
原作者の方と脚本家さんっていうのは会えないっていうのが慣例ですというふうに書いてあったのを見て、
そこで実際に顔を合わせて話せないってなると、
その間に入る人によっては、
お互い思ってたのと違ってたその歪みみたいなのが生まれやすくなるのかなっていうふうに思ったりもしました。
いやまあ本当そうだよね。
本当にその構造上の問題っていうか、
それでずっとやってきてるっていうところに何か問題があるよなとは本当思いますよね。
うんうん。
そうね。
そうですね。
で、僕はすごいちゃんと調べようみたいなんていうのは、
これは全然違う文脈なんだけど、
すごい僕とかってライムスター宇多丸さんとか町山智浩さんとか、
そのTBSラジオで映画評論とかをされてた人に、
自分もこうやって音声で発信を今してるわけなんだけど、
すごく影響を受けていて、
その宇多丸さんとか町山さんの何に一番影響を受けてるかっていうと、
ちゃんとやろうっていうところだったんですよね。
例えば宇多丸さんとかをはじめ、
「当たり屋家業」って当時おっしゃられてましたけど、
日本で当時、00年代後半とかに作られてた大作映画みたいなところの、
ちゃんとしてないところみたいなのを、
ここはこうなんじゃないかみたいなのを、
冷静に一個一個ちゃんとやっていくっていう、
突っ込んでいくっていうのが、
当時はまだ牧歌的な時代だったんで、
そこを言ったらある種のすごいレベルの高い悪口みたいな感じで、
楽しんでたところも僕らもあるし、
でも実際そうだっていう映画批評としての形もすごいレベル高かったと思ってたし、
町山智浩さんとかも『2001年宇宙の旅』っていう、
一般的に難解だと言われていた映画っていうのが、
ちゃんとアメリカの文献とか調べたら、
モノローグとかをカットしてるだけで、
こういう話だっていうことがちゃんと出てくる。
それを監督がこのモノローグない方が、
マジックが出るからカットしようって聞いてるんだっていうことが、
18:02
ちゃんと調べたら書いてある。
けどそこに当たらずに、
自分の気持ちというか、それも大事なんだけど、
これはこういう解釈でみたいなのを好き放題言うっていうことに、
それおかしいよねっていう。調べたら出てくるじゃんっていう。
今まで映画が映画の中で見たものだけで語れって言われてたのが、
別にそれはみんな社会生活とかしてて、
どっかで話せたりもするんだから、
映画の外から学んだことを映画の中に持ち込んで批評してもいいだろう、
そっちの方が正しいだろうっていう考え方で批評をされてて、
それにすごい僕は影響を受けてるし、
今もそれはどっちもいると思うんだけど、
正しいなぁとは思ってるんですよ。
だから僕がすごい感じたのは、
10代とかの時に僕らが宇多丸さんとか町山さんの話を聞いて、
うわっ、ちゃんとやるっていうことで、
ちゃんと突っ込むっていうことがこんなにも大事なんだっていう。
そうやってちゃんと意見をしていくっていうことで、
実際にそれが影響力を持って、ちゃんと伝わっていくんだっていう。
ちゃんとすることの素晴らしさと、
その言論とか批評というものが、
どれだけ大事かっていうことを僕らは学んだんですよ。
だから正しく何かを発信するには、
ちゃんと調べて、自分なりに解釈とかこうじゃないかっていうことの想像力とかは大事だけども、
ある事実から絶対に嘘をつかない、みたいなことっていうのはすごい大事だなって思ってて。
だからこういうショッキングな事件なんだけど、
ちゃんと突っ込むっていうことを考えてほしいなって思ってて。
心の砂地。
最近も、ココスナでも喋ってたんですけど、そういうことがあって。
竹宮恵子先生っていう少女漫画家さんがいて、
いわゆる少女漫画の黎明期に萩尾望都先生っていう方だとか、
大島弓子先生、木原敏江先生が、
手塚治虫とかが今の形の漫画を作りました。
男性ばっかりだったのが、少女漫画でもそういう手塚治虫とか、
その周りにいた石森先生とかの影響を受けて、
同じように少女漫画の表現を広げた人たちっていうのが、
大体同じ世代で、
実際その人たちも手塚治虫の時はそうのように、
大泉の「大泉サロン」と、後で名前を付けるんだけど、
同じアパートで暮らしていて、
切磋琢磨して作っていったっていう。
その萩尾望都先生、竹宮恵子先生が一緒に住んでて、
「大泉サロン」というところに住んでいたっていう、
21:01
先生たちの総称、花の24年組と呼んで、
24年組以前以後とか、
24年組の人たちの表現がっていう感じで、
けっこう普通に使ってて、
そういうことがあったっていうのがあって。
竹宮恵子先生がちょっと前、
5,6年前くらいかな、2015,6くらいと思うんだけどに、
『少年の名はジルベール』っていう、
自分がその24年組と言われるようになった。
少女漫画のキャリアを始めた頃の、
萩尾望都先生と一緒に暮らしてた頃の邂逅録。
実際にヒットの要因となった『風と木の詩』っていう作品を、
作り出すまでのエッセイみたいなのを出されて、
それを見たときに、すごい、
言ったら美しい物語だと僕らは思ったんですよね。
その意思のある若者たちが一緒に暮らして、
新しい少女漫画の表現をやっていこうと、
切磋琢磨していく。
実際に作って、その後の少女漫画に多大なる影響を与えたっていう。
実際これも、その話とかをドラマ化しようみたいな話とかも、
すごい聞いてたらしいのね。
で、僕らも是非見たいみたいな。
例えば、あの頃の『あまちゃん』の、
能年玲奈・橋本愛みたいな感じの関係で、
竹宮恵子・萩尾望都を若手の女優さんとかがやって、
そんなドラマ見てみたいみたいな、期待とかもあった。
で、思ってたんだけど、一昨年、もうちょっと前か。
そのジルベルが出た5、6年後ぐらいに、
萩尾望都先生側から『一度きりの大泉の話』っていう本が出て、
それが、『少年の名はジルベール』っていう、
竹宮恵子先生が書いた本のアンサー本だったんだけど、
実際、萩尾望都先生側からすると、
もうその時のことはずっと語ってないし、
もうこれからもしたくないから、この本を書いたっていう本で。
実際、竹宮恵子先生と萩尾望都先生は一緒に住んでた時期があったんだけど、
途中で完全に割れてて、
その後、一度も交流はない。
で、そこがなぜなんかっていうのを、
萩尾望都先生サイドから書いてる話であって、
だから、その24年組って言われるのも、
ちょっとこう、しんどいっていうことが書かれたりするんですよね。
で、なんかそこに、僕はもう、すごいショックというか、
勝手に僕らが、
言ったらドラマティックに、
やっぱ天才だから、竹宮恵子先生が。
すごい良い文章で、
竹宮先生側からすると、
萩尾さんへの気持ちを書いた、
謝りみたいな気持ちもあったと思うんですよ。
で、実際に萩尾さんにもその本を送ってたりするらしいんだけど、
でも、萩尾さんから来たら、
もう何十年と、
結立した後の相手から、急に本が送られてきてみたいな。
24:02
それがすごいショックだったみたいなことが書いてあって。
で、それに僕はもう本当に、
勝手に僕が、
自分で想像して、
自分で考えたことっていうのを、
好き放題好きなように消費して、
すごい反省したんですよね。
そこですごい思ったのは、
いわゆる二次創作とか。
そういうもんとかでも、
たまに作者の人が、
二次創作やめてくださいっていう作家さんとかも
言ったりするじゃないですか。
そういうこととかも、
気持ちがちょっとわかった気がしたのね。
そういう反省があって、
ずっと抱えてきたような何かみたいなのが、
今回の話とかでも、
僕の中ですごい通するところがあって。
それは萩尾さんが書いてくれたからわかったことだし、
ちゃんと調べようよっていう中にもなかった。
もし調べてたら完全に割れてて、
萩尾望都先生も解釈として本を書いてたりするから、
すごい仲が良かった3人が割れていくみたいな、
漫画を書いてたりもするのね。
そうか。
そういうのとか、
精査すれば見えるヒントみたいなのがあったりするけど、
わかんないこともあるし、
そういう二次創作、N次創作みたいなもんとかの、
考えることっていうか、
勝手に僕らが解釈するっていう、
それこそ僕とか何か作品を取り上げて、
批評するみたいなことを、
ここのスタジオでやってるわけなんですけど、
はい。
そこに対する背負わなきゃいけない覚悟みたいなのは、
すごい感じたんですよね。
公式から出てないと、
その情報は追えないから仕方ないのかなって、
思う部分もあるんですけどね。
僕は結構そういう、
あんまり好きな表現じゃないんだけど、
例えばコンテンツって言葉は僕あんま使わへんんだけど、
消費するもんみたいな感じにしちゃうのが嫌でやっぱり、
作品と。
コンテンツって、なんか作品って言葉よりもなんかすごい、
あるものを消費していくっていう感覚がすごいあるから、
言わないんすよ。
確かに。
いろんな作品とかものを紹介する番組だったりするんだけど、
「心の砂地」は。
それが嫌だからコンテンツ紹介番組って僕は一回も言ったことないんですよね。
27:01
で、これも繋がってくるんが、
たまに何か他の人とかが、
僕がやってることとか、
心の砂地を紹介してくれるときに、
そのコンテンツを紹介してる番組みたいなことを言われることがあって、
で、すごい褒めてくれてたりとか、
いいこと言ってくれてたりするんだけど、
コンテンツってことは僕は使いたくないから嫌やなって思ったりして、
すごい、
他言ってることはあってる、
あってるのはありがたいと思うけど、
一個それがあるだけで、
モヤモヤして、
ちょっとこの人のこと嫌かもとか思っちゃうんすよ。
でも、
分かります。
これって本当に例えば、
これが例えば漫画を描いてドラマになるっていうことだったら、
これがもっと大きいことなんやなって。
そうね。
僕も僕なりにプライドを持ってやってるし、
本気でやってるからそう思うんだけど、
全然違う次元の話だと思う。
もっとテレビサイズとかになるまで、
僕の番組が紹介されるとか、
僕やってることがなるまでいかへんから。
広がり方も大きいし、
自分が思ってることの解釈で、
ずれていくことの乖離もとんでもなくでかいと思うんだよね。
うん、そうね。
そこは、
そうだよなっていうと、
今日の配信終わるまでに、
自分の体験でこう、
どういうことがあったかなって考えると、
そういうことがあるだろうなってそう思ってて。
リスペクトの話。
リスペクトの話で考えてた時に思い出したのが、
星野源さんが、
オールナイトニッポンでお話しされてたんですけど、
新曲は、この曲を聴いてた時に思い浮かびましたとか、
この曲が好きでずっと聴いてて、
誰に影響を受けてるんですっていうお話をご自身でされていて、
実際に影響を受けたって言ってた曲をラジオ上で流して居合ったんですよ。
確かにそれを聴くと、
源さんっぽさがある、
ここに影響を受けてるのすごいわかるっていうのが聞いててわかって、
そういうふうにきちんと話せる場があるというか、
ちゃんと聞けると、
それは二次創作に当たるのかはちょっとわからないんですけど、
この作った、新たに作った人も、
きちんとしてる人なんだなっていうふうに感じました。
特にやっぱ音楽の世界っていうのは、
なんかまあ気持ちいいリズムとか、
30:03
メロディの流れとか、
パターンっていうのがある程度あるし、
ポップミュージックの歴史として、
このリズムが気持ちいいよねっていうのが流行ってる時は、
みんなそのリズムに合わせて何をするかっていう、
ある種大喜利的なとこが僕はあるなと思ってて、
リズム大喜利だったり、メロディ大喜利みたいな、
っていう文脈があって、
から一番その辺がすごいダイレクトっていうか、
いわゆる最近だとリファレンスっていう言葉をよく使ったり、
影響、パロディ、オマージュ、サンプリング、
もっと次元の低い言い方をするとパクリとかいうことになるんだけど、
この影響があって、
このサンプリングまでは、
言ったらリスペクトがあってやってますよっていうことで成り立ってる文化で、
多分ポップカルチャーってそういう先人たちの影響を受けてどうするかっていう、
アンサーと更新と破壊みたいな、
多分選択肢はだいたいそれで、
進化させるか破壊するかみたいな、
それか全く無視するかみたいな、
破壊に近いかなみたいなところもあると思うんだけど、
そういうのがあるから多分、
音楽好きな人とかやってる人とかって、
漫画とかそういうもんで言うと二次創作的な想像力、
やってることは一緒なんだけど、
そこに対してすごい寛容なんですよね。
これ何々だなーって言って、
それに何々かようとか言ったりとか、
星野さんがやってたやつとか、
これプリンスの歌謡だな、
「プリンス歌謡だな」とか、
実際に星野さんがラジオでかけてとか、
アース&ウィンドファイヤーだなこれ、
アース&ウィンドファイヤー歌謡だなみたいな、
そういう解釈とか結構あったりとか、
その辺の、もちろん揉めることもあるんだけど、
それこそサンプリングっていう、
そのまま音源録音して、
自分の曲に加工して使っちゃうって、
結構めちゃめちゃなことやってる。
そういうことがあるんや。
ヒップホップとかって言ったら、
ここのドラム気持ちいいねって言って、
そのドラムを持ってきて、
鳴らしてその上にさらに、
自分がラップしてるのに乗せてるって、
結構めちゃめちゃなことやってるのよ。
で、これは漫画でさ、
例えば大友克洋の漫画、
コピーして自分の漫画で貼って、
使うとかって、
商業誌では基本許されない。
そうでしょうね。
でも音楽だとそんなことが全然余裕であって、
みんなが同じドラムの音源を切って貼って、
使ってたりして、
それがリスペクトあればオッケーだよね、
みたいなとこがあるから、
33:00
当たり前やろみたいな感じで、
思ってしまってることがあるんだけど、
でも未だにそういう、
ずっと使われてるソウルの曲の人たちとかが、
これは権利必要だろうとか言って、
すごい裁判になったりみたいな、
定期的にあったりもしてて、
当たり前になってること、
いや、それおかしいことだよねみたいな、
ちゃんとやらなあかんよねみたいなことは、
定期的にあって、
そこは結構考えるとこではある。
もちろん本当に、
すごい丹念込めて録音した音楽を、
録音ボタン押して録って、
もう録音ボタンも押して、
もう音源を波形だけ切って貼ってるみたいな、
今だとね、みたいなとこって、
そこのかかった労力みたいな、
その70年代とかに、
一生懸命録ったドラマーの気持ちとかは、
そこにあんのかって言うと、
たぶん別にそこまで気にしてないから、
そうですよね。
そういうのはあるなあ。
だから、
だからそういう、
これが何でできてるんかとかを知らずに、
僕たちはすごい消費してるってことは、
めちゃめちゃあるんだろうね。
僕が一番リアルタイムでびっくりしたのは、
東京事変の能動的3分間って曲があるじゃないですか。
3分。
後ろに3分のやつが出て、
バーみたいな。
すごい良い曲なんだけど、
あの曲出た時に、
降参とかって言うんだけど、
度肝抜かれて、
何で度肝抜かれたかって言うと、
去年、
2009年に出てて、
2008年に出てた、
Madonnaの『4 minutes』って曲が、
まんま同じ演出なんだよ。
後ろに4分って出て、
それがガーって落ちていって、
『4 minutes』爪が甘いんが、
ちゃんと4分ジャストでは終わんないっていう感じなんだけど、
演出としてはもう完全一緒。
それはアウトなのでは。
僕は当時、
そんなまんまやっていいのかって思ったのよ。
しかも東京事変の方が、
ちゃんとしてるのよ。
3分完全ジャストでしょ。
そこも、
林檎さんの上手いのが、
その辺が、
マイケル・ジャクソンとかのオマージュとかMVでやってて、
他の曲なんだけど、
マドンナとマイケルとかって同い年で、
近いとこなんだけど、
その辺のカルチャーのオマージュなんですよっていう、
僕からすると言い訳っぽいことは表現してるのよ。
たぶん、
椎名林檎にとってはそれはリスペクトなんだろうけど、
俺は盗んだと思った。
当時は。
36:00
そうですね。
マドンナとジャスティン・ディンバーレイクとティンバランドがやった『4 minutes』を盗んで、
やってるなって思って。
で、今回、
そういえばあったなと思って、
能動的3分間、
マドンナとかで調べたら、
今のGoogleが終わってるからっていうのもあるんやけど、
びっくりするぐらい、
その情報ヒットしないんですよ。
だから、能動的3分間が『4 minutes』のオマージュですよねみたいなんて、
すぐまとめみたいな感じで上に出るとか思ってたら、
全く出なくて、
能動的3分間のwikiとかに書いてあるやろとか思ったら、
めっちゃ細かくレコーディングの風景とか、
こういうのでって書いてあるんだけど、
一つも記載がなくて。
それはwikiの限界っていうか、
っていうのもあるし、
認識してた人は、『4 minutes』自体は売れた曲だし、
みんな知ってることではあるんだけど、
ただ、今例えば東京事変が好きで、
能動的3分間が好きっていう人が、
若い人々が、
『4 minutes』の次の年だからこれやってる、
まんまやってんだよってことは、
たぶんほとんどの人が知れないだろうってことはすごい思って。
そうですよね。
なんかね、あの時結構思うとこあったなぁ。
その何十年もたってのオマージュとか、
結構な相当似てるような作りをしてるとかだと、
わかるかなって風に落ちやすいじゃないですけど、
1年の差っていうのが余計に、
本当にリスペクトがあったのかって思ってしまうところでは、
あったりします。
擁護する部分で言うと、
ポップミュージックって早くやったもん勝ちっていうのは、
もうやってんだみたいなんてあるのよ。
評価点としては。
特に今とかはもうだいぶ時間差ないから、
リリースされたらすぐSpotifyで聴けるみんなとかだから、
もう本当にアメリカで流行ってるビートと日本で流行ってるビート、
ほぼもうズレはなくなった完全に。
たぶんこの段階だと、
アメリカの超トレンドとかってまだ全然ズレがあったのよね。
だからもう次の年にそれやってるっていうのは、
たぶんセンスいいっていう評価もされる方もあるんだよな。
反射神経がいいっていう。
実際今のもうこういうコピペ時代になってると、
もうみんな同じドラムパターンコピペして使って、
そこでラップしてみたいなことがもう当たり前になってるから、
このビートは別に著作権みたいなもん。
あるんかないんか分からへんけど、
まあフリーでしょみたいな感じの感覚とかもあると思うけど、
でもなんか俺は3分って出して、
39:01
カウントダウンで降りていくっていうのをそのまま持ってくるっていうのは、
ちょっとなーとか思ったんだよなー。
そうですねー。
そうそうそう。
これって本当に難しい問題で、
創作の上に成り立つ創作っていうのの難しい話とかさ、
例えばドラマとか映画とか映像の話でもさ、
教師が主人公、医療者、弁護士、高校生活の恋愛とかって、
みんなやってるけど、
ここにたぶん生み出した誰かいると思うね。
一番初めに高校行ったら壁ドン映画みたいな元を書いた人って絶対いると思うね。
でもあまりにもみんなが影響を受けて真似しすぎたから、
フリーになっててみんな使っていいような感じになってるんだけど、
これは誰のものなんかっていうことを、
なんか考えたほうがいいんちゃうかっていう。
全く考えたことなかったですね。
当たり前。
でもそれってありふれてるから、僕らが別にそこに何も引っかからんっていうだけで。
その能動的3分間とかは大きいからえっと思うけど、
たぶん弁護士とタッグになって法廷ものをやっていくみたいなドラマってたぶんものすごい数あるけど、
絶対にたぶん一番初めの何か決定的なものがあってやってるはずなんだけど、
そこを知らんとやっていいっていうのは、数があるから。
もうまあみんなやってるよね、何々ものだよねっていうんだからやれてるっていうだけで、
たぶん一番初めにやった人は、忸怩たる思いあるんちゃうかなって思うねんな。
それをどうやって掘っていくというか、
最初見つけるのかなり難しそうな感じが。
し、たぶん能力として見合わへんからさ。
そこをじゃあ改めて一番初めから見ましょうみたいなんとかって。
それよりもじゃあもうこれは当たり前っていうみんなの感覚なんだから、
そうじゃないことをしようとか。
そういうことにたぶん時間を割くはずで。
それからもっと決まってるこの人とこの人の主演でやるから、
こういう絡みにしようとか、そういうことのほうがたぶん大事になりがちで。
それは面白いものを作るっていう命題のもとでは大事なことだと思うんだけど、
僕は一番初めから作る大元の人はさ、
こうがあってこうがあってっていう前提はちゃんと踏まえておかなあかんのじゃないのっていう。
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そこへのリスペクトっていうのはもろやらんでいいよっていう。
もちろん同じ構図でやるとか、同じセリフこういうオマージュを入れてますとかいう直接的な表現じゃなくてもいいけど、
そういう歴史がなんでこうなってんのかっていう。
あなたは何を思ってこれを作った方なのっていうことを、
なんか本当はめっちゃ大事にせなあかんのちゃうかなってそう思ってて。
っていうのがそう思ったことかな。
まあでもスピードが速すぎるんだろうね。
そうですね。
僕が言えることとしては、そういうのをちゃんとやっていく。
僕個人としてはね。
自分にグッと引き寄せると毎回、
なんでこんなとこから歴史の話から俺始めてんやろうとか自分で思うこともあるんやけど。
飛ばすこともあるんだけど一応一番初めの原点に当たるみたいなこととか。
もちろん何かを引き寄せるときにそもそもそれをちゃんと読み込んでないみたいなのはもちろんないようにするんだけど。
さらにじゃあこれが何でできてるのかっていうことみたいなのは、
まあそれは人とのコミュニケーションにおいてもそうだし、
人が作ったと同じ、その人そのものである作品っていうことに向き合うんでも
同じなんちゃうんかなっていう態度でやっていこうかなとは思ってますね。
今日はそんなところで。
ちょっとお付き合いいただきまして。
はい、ということでですね。
次回は、結構今日はずーみんさんにお話を聞いていただくみたいな感じでやったんですけど。
多分今回の問題というか、でもものすごい名前が上がってると思ってて。
原作者は全く納得してないという発言が残っている。
が、作品としては超傑作という作品がございまして。
それがあのうるせえ奴ら2ビューティフルドリーマーという84年の映画なんですけども。
それを今回ずみさんにも見ていただきまして、いろいろお話ししていこうかなと思っております。
よろしくお願いします。
次回も楽しみにしていただければなと思います。
よろしくお願いします。
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ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。
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