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永井さん、よろしくお願いいたします。
永井さん、自己紹介をお願いいたします。
はい、私はですね、群馬県川端村という人口3300人のところで、酒造り、日本酒造りをしております。
水場商と谷川酒というブランドで、日本酒を作っております。
6代目、永井酒造代表取締役、6代目の永井則吉と申します。
現在、一般社団法人awa酒協会という協会の代表理事を務めさせていただいております。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
永井さん、awa酒協会ですか、スパークリングに関して、
リスナーの人で、まだご存知のない方もいらっしゃるかもしれないので、ちょっと説明していただいてよろしいでしょうか。
はい、実はawa酒協会自体は、7年前に発足をしました。
awa酒協会の元になったお酒で、自分で開発したのが、水場商ピュアというスパークリング日本酒なんですが、
瓶内二次発酵という形の俗に言うシャンパンのお酒で、
自分で開発したのが、水場商ピュアというスパークリング日本酒なんですが、
瓶内二次発酵という形の俗に言うシャンパン製法と言われているものですけど、
瓶内二次発酵をして5気圧を超える、しかも透明なスパークリングを日本で最初に開発をして、
それが2008年なんですが、その商品をずっと一人で頑張って売っていたんですが、
チームジャパンで世界の完敗者を目指そうと。
その当初、東京オリンピックが決まる決まらないという話の中で、
東京オリンピックにはスパークリング日本酒で、世界の選手たち、また世界の各国代表の
要人の皆さんが日本に来た時に、ウェルカム酒として、また完敗酒として使っていただこうという形で、
チームジャパンのスパークリング日本酒のチームで、AWA酒という、
酒というのは世界の日本酒が酒と言われて、SAKEという酒ですから、
AWA酒で、AWA酒という、チームを2016年の11月に発足させていただきました。
なるほど、わかりました。
中谷さん、そもそもこのスパークリング日本酒というところに魅力を感じた、興味を見出したというのは、どういうところからなんでしょうか。
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本当に日本酒はですね、ようやく海外にも出荷をして輸出というのが伸びてきてはおるんですが、
まだまだ以前にしても、95%近くが日本の市場なんですね。
日本酒がなかなか完敗酒で選ばれるケースが少なくて、
皆さんも多分自分の飲み方とか、普段飲んでいるスタイルを見るとですね、
やっぱりスパークリング系のものが飲まれているケースが多いと思うんですね。
スパークリングワイン、ビール、あとはハイボールかもしれませんけど、
そういうもので完敗という形でされると思うんですけど、
やっぱりその日本酒で完敗という時に、どうしてもやっぱりスパークリングの日本酒、
しかも本格的なものっていうんですかね。
ワインでもスパークリングワインの最高峰と言われているものがシャンパンと言われている、
フランスのシャンパン町で作られたスパークリングワインでございますけど、
それと匹敵するような日本酒の米で作った、しかも日本初の地域初のですね、
スパークリングのものを作りたいと。
で、それがある意味この地域から選ばれる完敗酒、またその地域から世界に選ばれる完敗酒、
そういったことを目指してですね、教会を作らせていただきました。
なるほど。
日本酒で完敗してもらいたいというところですね。
うん。
わかりました。
実際、名古屋さんそのやっぱり現地に視察とか、フランスに行かれたりとかもあったんですか。
そうですね。私が2003年からですね、完成したのが2008年で、
5年は実は開発にかかりまして、のべ700回ぐらい失敗をしてですね、
もう本当に試作中にですね、3000本ぐらいは実はお酒を割っているんですね。
で、やっぱりその失敗している間にですね、本当に5年間のうちのその3年目が終わったあたりに、
もう本当に自分でやり尽くし感があってですね、もうどうにもならんと、
もう諦めるかどうか、何回も諦めかけたんですけど、
とにかく自分がそのシャンパンと肩を並べる商品を作りたいと思ったので、
じゃあもう現地に行こうと。で、現地に行って、本物の現場と製造現場を見させてもらうところも含めて、
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もう研修させてもらって、それでも自分が開発できなかったら、
もう本当に諦めようというぐらいの覚悟を持って、
実は満を持して、その3年目ぐらいの開発のときに、
実は一番最初のシャンパン日本に研修ですね。
1ヶ月間、本当にメゾンと言われているシャンパンのメーカーさんと、
本当に数社回らせてもらって、あと研究所も回りましたし、
1社では本当に何日も現場で作業も体験させてもらったりとかしてですね。
それの中に大きなヒントがいくつかあってですね。
あったおかげで、日本に本当に参考書がなかったので、
とにかく手探りでやってましたから、やっぱり現場にヒントがあったという形ですね。
なるほど、なるほど。
長井さんの今も定力のところを軽くご説明していただいたんですけど、
長井さんは実際に蔵元で生まれて、ここまでのキャリアというのはどのような感じだったんでしょうか。
僕は酒蔵の次男房で生まれてですね。
もう本当に生まれたと、物心ついたときから、
次男房だからお前は外に出てきなさいっていうずっと教育を親から受けていて、
親の口癖はですね、お前に山の木一本もあげられないんだけど、
財産あげられないんだけど、一つだけいいものあげるって言われて、
それで親が言ったのは自由だっていうことをずっと言われてそうだったんですから。
僕はでも本当は物作りが好きで、やっぱり実は大学は全く家業とは別の建築のデザインのほうに住みまして、
建築学科のデザインのほうを勉強してたんですね。
それで、うちの亡くなった父が蔵を建て替えるというところで、
水場商というブランドを立ち上げて、蔵を建て替えるというときに、
ちょうど私は大学2年のときですけど、そのときに本当に家業の酒造りをもう一度やる機会というか、
客観的にですね、僕は建築をさせてもらうので喜んでやります。
昔から、もう本当に文部高校に着いたときから家の手伝いを嫌々ながら手伝って、
本当に酒造りは全く興味なかったんですよ、最初は。
だから、建築のデザインさせてもらえるんだったら、僕はチームに入らせてもらいますみたいな感じで、
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それで学生時代にそういうチャンスをもらう。
で、そのときに改めてその酒造り、ものづくりという観点で、
家業をやっぱり見ていたり、どうしていくかということを考えたときに、
酒造りすごいなというふうに自分の中である意味落とし込んだというか、
建築って実は、アートとテクノロジーが混ざってアーキテクチャという語源が生まれたんですが、
僕は酒造りは本当に建築とひっかくしながら考えたときに、
アートとサイエンス、アート&サイエンスだと思ったんですね。
いや、これなんかすごい共通項があるし、なんて素晴らしいこと。
アートの感覚とか感性がなければ、いい酒造りを全くできなくて、
サイエンスだけの酒造りってやっぱりつまらない。
美味しいんだけどつまらない酒になってしまうんで、
やっぱりその建築のアート&テクノロジーと、やっぱりアート&サイエンスというのが
僕の中で一体になったというかね。
で、初めて酒造りってすごいなって思ってですね。
それで実は、僕の今でも酒造りのベースはアート&サイエンス、
アンドクラフトなんですけど、そこが自分のやっぱりベースになっていて、
それをいかに世界的な価値に、日本酒文化を世界的な価値にしていくかっていうのが
もう30年くらい前からの自分の夢で、それを実現させようと今でも思っています。
なるほど。初回からアート&サイエンスっていう素敵なワードが聞かれて非常に楽しかったです。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
今回も最後まで聞いていただきありがとうございます。
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それではまた次回。お会いしましょう。