1. こひもとの読書録
  2. 自我が個人じゃなくてM1に宿る..
2025-02-04 26:46

自我が個人じゃなくてM1に宿る「漫才過剰考察」を読んだ感想①#6-1

「情けは人のためならずっていう言葉とかあったりするじゃん。それって現代で、情けをかけることは人のためにならないっていう意味でとらえる人が多いんだけど、実はそういう意味の言葉じゃなくて、本当は、情け、つまり人に何かをすることって、人のためじゃなくて自分のためなんだよっていう意味らしくて、そういう教えとかを思い出した(笑)」


■目次

令和ロマンだけど超リアリスト

お坊さんのラジオ

みせ残は伝説


■読んだ本📚

https://amzn.to/40YAQHD


■文字で読む

https://kohimoto.com/labo/culture/book/17002/


サマリー

このエピソードでは、高平久留間の「漫才過剰考察」を通じて、M-1優勝に対する新しい視点と若者の影響を探っている。特に、自我が個人ではなくM-1に宿るという考え方や、漫才への執着が人生の充実感をもたらすことについて考えている。また、自我の意味やM-1の重要性を中心に、仏教の教えとそれに基づく自己実現についても考察しており、リコとリタの関係に焦点を当て、他者を助けることが自己の幸福に繋がるという視点が示されている。

漫才過剰考察の背景
こんにちは、KOHIMOTOの藤本優香です。
小比奈タミキです。
このフォトキャストは、普段は私たち2人で力を合わせて、
ウェブ制作の会社を営んでいて、よく本を貸し借りしあって感想とかを話すので、
それを電波に載せてみようという番組です。
今回の本は、お笑い芸人令和ロマンの高平久留間さんの漫才過激考察です。
過激?
過剰?
漫才過剰考察です。
なんか、去年のM1も見たし、
そちらなんか若干、そんなめっちゃコアなファンとかではないけど、
お笑い好きだよね。
なんか結構劇場とかも、去年も何回か行ったりしたよね。
行った。吉本のやつとかね。
なんか、そんな中で、そんなにめっちゃこの本に書いてあるほど、
めっちゃネタとかをいっぱい見てるってわけじゃないから、
今回、素人目線で感想を話していきたいなって思ったよね。
自分が見る側の視点で思ってたこととかもありつつ、
車がそれをもっとすごい詳しく考察してるっていう、それが面白かった。
そうだね。最初の前書きがめっちゃ印象的だったなって思って、
こんなことを思ってたんだって思って。
具体的にはなんか、自分はすごい才能とかがめっちゃあるわけじゃないけど、
うんうんでどんどん勝ったりしてって、
あれ勝っちゃった、勝っちゃったみたいな感じで、
なんかすごいM-1とか漫才に運命を感じたみたいな、
なんかうまく説明できないな。
なんか自分の人生はあんまり目立ったこととかなくて、
幸せとは感じなかった、でも不幸とも語れなかったって言ってて、
だけどテストとかであんまり努力もしてないのに、
合格したりしてみたいな、流されていったっていう風な始まり方をしてたよね。
なんかあんまり努力もしてないのに、漫才、M-1じゃない漫才の大会で優勝しちゃったり、
1年目からM-1の準決勝行くとかは結構なせる、
誰でもなせることじゃないけど、あれ準決勝行っちゃった、なんでなんでみたいな感じで、
なんかもう俺が仕組まれた運命なんだみたいな感じのことが書いてあったよね。
そういう車に対してそんな、むしろすごい人だなって思いながら見てたけど、
自分はそう思ってなかったんだなっていうのが読んでて思った。
なんかでも、漫才過剰考察って言ってる本だからすごい漫才について書いてるんだけど、
M-1優勝と若者の視点
こんなにも何かに執着できる人生ってすごいいいなって思った。
確かに。
執着してるんだけど、優勝して泣いたりとかはしなくて、
なんかすごい超現実主義者だなって思って、M-1見て。
なんか電話ロマンしかり、なんか若い世代の人たちって結構なんか、
自分の人生にすごい、なんだろう、宿観的っていうかはメタ視点みたいなのを持ってる子が多いんじゃないかなって思った。
確かに若い子の方がそうなのかな。
なんかM-1優勝して涙一つ流さないなんて可愛くないみたいな、
一番最初の優勝の時すごい生意気みたいに言われたりしてたと思うけど、
なんかこの若い世代とかってネットとかでいろんな情報を浴びてるから、
なんかそれがもたらす自分の人生の影響とかメリットデメリットとかが分かって、
なんかそれを脳内処理してから感情や行動が伴っていくのかなと思って、
だから優勝直後はそれが脳内処理しきれなくて呆然みたいな。
だし、たぶん勝っちゃった、終わっちゃったみたいなのが正直な感想だったみたいな言ったりもしてたから、
なんか優勝してしまったという戸惑いみたいな本にも書いてあったけど、
めっちゃ新しい感想だし、なんか優勝したら嬉しいって、
いや嬉しいっしょっていうのって世間が決めたこと、
なんかそれが当たり前でしょって世間が決めたことではあるから、
そう思わないって流されないっていうか、すごい自分の感情に素直なんだなって思った。
確かに、なんか勝ったら、勝つことは目指してたかもしれないけど、
なんかこの本読んでたら確かに本当にその1回目の優勝は自分でも意外だったんだなっていうのが読み取れるから、
本当に正直な感想だったんだろうなって思うよね。
なんかちょっと話がこの本から逸れるけど、優勝した後、
YouTubeのメタタクシーっていうラジオでラッパーのキッド・フレッシノと話してるのを聞いて、
なんかレイワロンマンって出早しがキッド・フレッシノで、
それとかも話してて、えーそうなんだって思ったんだけど、
なんか今後も仕事はセーブするし、テレビは出たいものだけ出るし、
なんか吉本の僕でお金稼ぎしたい人たちは僕に無理矢理しない方がいいですよって話してて、
そのラジオでいいと思いますみたいな。
なんか普通に優勝してもまったり過ごし、休む時間は欲しいと思ってるとか、
なんかすごい今時だなって思った。
今時だけど尖ってもいる。
なんかなんだろう、自分の身を削ってまでやることを選んでるっていうか、
それもメタ視点なのかなって。
確かに、なんか本当にその仕事とか増えたりとかもいい面もあると思うけど、
人生の中の幸せとかも同時に考えたり。
できる。
してそうだね。
いいことだよね、めっちゃ。
なんか、あとその優勝前の、初めて決勝行く前のインタビューみたいなのの本に載ってたんだけど、
そのインタビューでファイナリスト経験がある人は決勝の空気はこうだから、
このボケよりこっちがいいんじゃないかみたいに考えられるかもしれないけど、
実際にあの場所を僕たちは知らないから、
だから自分たちに関して何かするっていうよりも、
他者だったり全体的なことだったりを予測する方が正しい努力かなと勝手に思って、
過去のM1を見返したりして、スマホでWikipedia見ながら、
この点数がこうだったから、なんでここまで爆発が起きなかったんだろうとか考えてますねみたいな感じで、
それでその一番最初の決勝行く前のインタビューで言ってて、
なんかそのガムシャラに努力するんじゃなくて、
その適切な努力みたいな方向を定めるのがすごいなんか長けてるなって思った。
そうだね。
それもなんか若者っぽい。
確かにそこに無駄な努力もガムシャラにやることもかっこいいし、
昔美学みたいなお笑い芸人だとそういうのも美学ってされてそうだけど、
もちろんそんな時間とか使わないで、ちゃんと適切に目標に向かえるなら、
それの方がいいよね。
なんかそこら辺もなんかすごい自分思ってるんだなって、
努力の嗅覚がめっちゃ鋭いなって思った。
目的に対する。
自分たちが出たことないから、仕上げる自体もできないっていうのとか読んでて、
確かにそうだなってなんかすごい納得した。
あとなんかさ、2回目の決勝行く時にさ、
自我と社会の関係
それとは別に予選に行ったら1回目の王者だから、
結構面白くなくてもお客さんが笑ってくれるみたいな。
なんか面白いってインプットされてるから、王者、M-1王者だから。
だからお客さんが笑ってくれちゃうから、
自分たちの中でこれは面白くないなって切り捨てる、
なんだろう、シビアさを、
切り捨ててネタを変えるとかそういうシビアさを、
2回目のM-1の前は結構持つようにしてたみたいなことがこの本に書いてあったと思うんだけど、
なんかそういうところにも通ずるなって思った。
それすごすぎる。なんか自分だったらただただ喜びそう。
見てるぞって。
わかる。
嬉しいかもってなりそう。
なんかさ、何だっけ、ユリカのラジオで中谷が、
車はお客さんの雰囲気とか他の人のネタのどこで笑うかとかを見て、
そのネタのパターンがAのネタでもAの中のAパターンとBパターンがあって、
今日はBパターンで行こうとか、
同じネタの中でも分岐がめっちゃあって、
それをなんかやってるらしくて、すごって思った。
すごい。
なんか本当に。
芸人さんのラジオとかたまに聞いてワロマンの話してるときあるけど、
なんかみんな一目置いてるじゃないけど。
天才みたいな。
しかももはやネタみたいになってるよね。
もうなんか車に聞けばいいみたいな。
セカンドに出てる人とかもみんな車に聞いたりしてる。
車に聞けばいいじゃないけど、
車自身はM-1で一回目出たとき優勝したいって思ってなくて、
最高の決勝にしたいって思ってて、
なんかここで自分が、
このファイナリストが出るから、
ここでこの順番でこの人になったらすごいいいんだろうなとか、
僕たちが一番目に出たら会場温める役に徹しようとか、
すごいなんか自分のためっていうか、
M-1のためにめっちゃ動いたり考えたりしてて、
それが結局優勝にもつながったりしてたけど、
優勝してもM-1が最高の大会じゃなかったから、
もっとM-1を良くしたいって次の年も出てたりしてて、
優勝した感想で、
なんでこんなに怒る?なんで自分にこんなに怒る?
優勝したのにM-1に。
達成感より不満が勝つとは。
それだけM-1の成功説に願っていたんだな、僕は。
自我が個人ではなくM-1に宿ってしまっていたんだ。
とか書いてあって、
自我が個人じゃなくてM-1に宿るってなんかやばいと思う。
やばすぎる。
でもなんかこれってなんかすごい、
社会と個人のつながりみたいのにも通ずるものがあるなって。
多分いろんな人が思ってると思うんだけど、私も思って。
M-1のためにやることってリタではある。
それがなんかリコにつながるじゃないけど、
個人の充実にもつながるじゃないけど、
充実とか個人の達成につながるっていうのをめっちゃ思った。
あれをさ、ショーレースっていう競争の舞台でやるってすごいな。
そうだよね、自分が勝ったなきゃいけないところでさ、
M-1を盛り上げるためにさ、
他の漫才師の人にさ、こうした方がもっとよくなるとかさ、
自分の持てる限りのアドバイスをしまくったりしてたらしくて。
仏教の教えと自己実現
それは他のエバースとかのラジオとか聞いてても、
車が1回目の大会の時に、
エバースが純潔でやるネタとかを車に相談したら、
あのネタがありますよねみたいな感じで言われて、
そのネタをやったりとかしたりしてたらしくて。
後輩に相談して。
しかもそこでさ、ちゃんと本気で勝てると思うアドバイスを。
そうそうそうそう。
すごいよね。
すごいすごい。
だからなんか、これなんかかなり話が変わるけど、
なんかこの間なんか、なんかのポッドキャストで、
あの、なんて言うんだっけ?
寺にいる人。
お坊さん?お仕事?
お坊さん。
お坊さんが出てて。
なんかお坊さんがいろんな悩みみたいな、ビジネスパーソン悩みみたいなのに答えてるラジオがあって、
いろんな人が30代40代とかになって、
自分は何のために生きてるのかとか、
何のために生まれたのかみたいなのを、
その仕事っていうのをただやってる毎日で、
意味が見出せずに苦しむみたいなことってあるあるかなって思うんだけど、
思うしそういう悩みに答えてたんだけど、
なんかその、
リコとリタって、なんか一見その、なんか違う?
対義語みたいに思えるけど、
なんか仏教の世界ではリコイコールリタになってて、
なんかその、
自分が何のために生まれたのかとか、
世界に何が残せるかとか何ができるかとかで苦しんだりすることって、
その自分が世界のために何かをすることで、
なんか自分の生きる意味を見出したりして、
それが自分の人生に結局、なんだろ、充実させたりとか、
満たしたりとか、幸福につながるみたいな。
だから仏教の中では、なんかリコとリタは対義語じゃなくて、
同義語だし、
なんか自分、世界イコール自分になっていく感覚が、
その幸福をもたらすから、
なんか世のため、人のため、
なんかとか言われたりするらしくて、
なんかそれ、リタもリコの一部であるっていう、
なんか教えが、
情けは人のためならずっていう言葉とかがあったりするじゃん。
なんかそれって現代で使われる意味って、
その情けをかけることは人のためにならないっていう言葉じゃなくて、
本当はこの情け、つまり人に何かをしてあげることって、
人のためならずじゃなくて、
自分のためなんだよっていう意味らしくて、
なんかその教えとかを思い出したこの本。
確かにM-1のため、M-1のためをもってみんなに貢献したら、
結果的に自分の優勝になった。
そうそう、なんか世界のために、
他者のためにとかいろいろやってたりすることが、
結果的に自分のためにもなったみたいな。
自分の、もしかしたらM-1で優勝するっていうのは、
成果だけにフォークスしてるかもしれないけど、
自分が面白い、人生、その過程って多分人生の面白みみたいなのを、
すごい見出せる、夢中になってやったりとか。
そうだね、確かに。
なのかなってなんか思って、
すごいなんか、多分そういうつもりで、
なんか車をやってるわけではないと思うんだけど、
なんかそういう祝図みたいのをなんか連想したかな。
確かに今の、なんか投票とか、
また話がちょっと漫才と忘れちゃうけど、
投票とかもさ、誰かに投票するっていう時に、
多分みんな自分が関係してることとかに投票したくなったりとかすると思うんだけど、
最近はなんか、自分じゃない人、
自分と反対の人とかもいた時に、
そういう人のこととかも考えて、
もっとこの方が良くなるなっていう風になったら、
自分がその立場になった時にも、
自分にとってもありがたいことになったりするんだろうなって思って。
確かに。
思ったりしてた。
確かに、すごい、めっちゃ偉い。
でもそうだったかもね、車の動きは。
動きがね。
動きはなんかすごい見習うべきところがある。
なんか、なんだろう、なんかそのKOボーイで、
すごいずっと戦力とかも優秀で優勝してみたいな、
なんかその裏があるんじゃないかとか、
いけすかないみたいな感じで一見思われそうな、
なんかちょっとスマートな感じとか。
だけどなんか実はめっちゃなんかいいやつっていうか、
めちゃめちゃなんか熱い、
本当にピュアに漫才が大好きで、
M-1が大好きでっていうのが伝わってきたね、この本。
そうだね。
このさ、M-1の自分が一回目に優勝した時に嬉しくなかったとこの下りの中でさ、
M-1の大会と表現
自分が一番手になっちゃって、
もう優勝することはないから盛り上げるのに徹しようみたいな感じで、
できることやって、
2回戦決勝に上がって、
夫人もめっちゃよくって、
すごい良い大会になるぞって思って、
その時にさやかが見せ算やった時に、
その時のことをこの本の中で、
なんかさやかが見たことないPDFを配った、配りだしたって表現してて。
なんかそれまでお笑いの教科書みたいのを配ったようなM-1のあれだったんだよね、その大会が。
喋っくり漫才とかコント漫才とかが、
すごいまとまってつながっちゃって、
この種類のお笑いだっていうのを見せてるような大会の最終決戦の前の流れだったのが、
ちょっと一旦そのお笑いの教科書回収しますねみたいな感じで回収して、
いい感じだったところにさやかが見たことないPDFを配りだしたんだよね。
それはめっちゃこの表現面白かったし、
この時のさやかを見てた自分も、
なんかめっちゃこれで負けたかもって思ったけど、
あの時のさやかはめっちゃかっこよかったって思った。
分かる。
なんかやりたいことをやったのがかっこよかったよね。
それになんか一晩経って冷静に考えたら、
見せざめっちゃ面白かったよね。
したんだよね。
なんかあの時は頭が疲れて、
なんだろう、なんかちょっと呆然としちゃったけど、
めっちゃ面白いネタだったよね。
面白かった。
でも予想外すぎた。
確かに。
だから、
でも結果的に今もこうやって語り継がれてたりはするし、
面白かったよね。
面白かったし、確かにかっこよかった、あのさやかは。
そしたらちょっと、
もうめっちゃすぐ時経った。
ちょっと30分くらい経ったから、
一旦ここで終了にして、
後半の本の感想は、
ちょっとまた後半で話していければと思います。
ではではお聞きいただきありがとうございました。
26:46

コメント

スクロール