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小江戸バラトの日記。この放送は、私の日々の物件探しの活動報告や、不動産賃貸業について思ったこと、その他、全然関係のない話をしています。
はい、いかがお過ごしでしょうか。小江戸バラトでございます。本日は1月30日、木曜日、午後10時30分を過ぎております。
久しぶりの放送となり、第89回目の放送になりますね。
早速、本日の工作活動報告でございます。
私は今、1棟目の小建物件の募集をかけているんですけども、まだ入居者様が決まらない状況ですので、大募集中でございまして、
今日行ったことは、複数社に所条件をお伝えしてですね、一般契約を交わしですね、募集のお手伝いを各種不動産屋さんにお願いしてお電話しましたね。
営業活動です。引き続いて残り、明日も何社か当たってみたいなと思います。
そして、週末はまた近隣の不動産屋さんにもお声掛けしたいなと思いつつも、早く決まってほしいなと毎日説に祈るのみでございます。
物件探しの方は、ただいまですね、いつも通り予算と地域を決めて、お問い合わせを2、3してですね、
今日は、エスタマー県エイチ市の物件でですね、4LDKぐらいのエイティー市というですね、東武線の駅からさらに40分ほど歩くというですね、なかなか微妙な土地ではありますものの、
この地域で結構大きな国道が、その物件のすぐ近くに国道があり、工場がいくつかあるので、量としていいんではないかなと思って、ちょっとこれからリサーチしてみたいなと考えている状況ですね、その地域。
それで、国道のほかにもですね、高速道路のインターが、簡易自動車道という結構大きな新潟の方に行く高速道路のインターチェンジがいっぱいあってですね、物流の拠点で工場もそっちの方にもあって、いいかちょっと期待できるんじゃないかなと思いつつもですね、
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ちょっとわけあり物件かなぁと、なんで1年以上も売れ残っているのかがわからないんで、そこが引っかかっていますね。今度は家の近くなんで、時間、もう少し調べながらですね、開拓したいなと思っております。
はい、工作活動報告は以上となります。
続いてですね、今日は久しぶりにブック紹介でいきたいなと思います。
今日は天路の旅人という本でございます。新潮社より2022年10月に発売された著者は沢木幸太郎さんです。
沢木幸太郎さんは深夜特急という20年以上前の面白い産物、1986年頃、80年代にノンフィクション作家として活躍されて、今も第一線で活躍されている方でございます。
沢木幸太郎さんは1947年生まれ、東京生まれで横国卒、横浜国立大卒業ですね、その後レポライターとしてデビューされたそうです。
はい、それでこの天路の旅人という本は、約3年前に出て、第二次世界大戦の末期ですね。
敵国中国大陸の方までですね、実はスパイとして潜入していた西川さんというスパイがですね、実は中国大陸に渡ってスパイ活動をしていたんですね。
それでインドの方に地図がないからということで、陸軍の養成か何かでラマ像というオレンジ色の毛さんみたいな坊さんの修行をしながらですね、
なんとインドの方までですね、ヒマラヤ山脈を越えて、ネパールとかそっちの、まあ今で言うとシルバっていうんですかね、そういったヒマラヤ山脈をガイドする専門家のような人と一緒にしっかり行けないような土地をですね、
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常人的な体力で、なんと8億服ぐらいしたらしいんですね。
本当の話、しかも1920年代ですので装備も今と違ってなかなか過酷な状態で、靴も履いてたのかどうかは分からないんですけれども、
何度も危ない目に遭いながらですね、誰も行ってないとされる日本人未開の地に足を踏み入れたという、
もともとのあった本を沢木孝太郎さんはご本人、岩手の方にいたそうなんですけど、生前にインタビューをして本にしたという話で、
深夜特急で有名になったりあって、旅に関してはこの沢木孝太郎さんは感度が鋭くてですね、ルポライターとしての力が発揮されているなと思いました。
それでこの本の西川さんのインタビューを、こうなって本として出版する前にですね、残念ながら西川さんは抱えたれてしまうんですね。
そんなこんなでまとめて出た一冊なので、結構な大長編で、ページ数で500ページ以上あったと思うんですけれども、読むのは面白いので興味のある方、深夜特急の好きな方は是非おすすめなんですけれども、
中でもやっぱりお金と食べ物とお坊さんなので、言葉を習得してお経を覚えてスパイ活動するという、すごいなという強靭な精神力の持ち主だなと思いましたね。
それでお金も結局国をまたぐので意味をなさないから、物々交換をしやすいものに思って歩くというのがサバイバルで、あと栄養保険のためのお茶とキャプドグみたいなのを持ってたそうなんですね、食べ物は途中途中で現地調達していったらしいんですけど、
それで一番いいのは持ち運びの便利で価値があるものって、今でいうとお金なんですけど、当時は共通の通貨とかないので、お茶の他にも、食べ物ではお茶の他にも、実は縫い針、針ですね、糸を通すの、針を持っていくと品質の高い針というのはすごく重宝されたというのが私の印象に残っています。
はい、今日紹介したのは、天路の旅人という本でございました。
だいぶ長々とお話ししまして、これから加藤先生のレイディオの方に移りたいなと思いつつも、そろそろ終わりの時間の前に一言ですね。
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わらさんの、当院のわらさんのレイディオ、スタンドFMのレイディオで昨日か昨日にお話しされていて、残念なことに経済評論家の森永卓郎さんが所沢のご自宅で亡くなったというお話をされていて、
私もすごく寂しい気持ちでございました。
年収300万円時代のなんとかという本で、大ベストセラーになり経済評論家として活躍されていたので、すごく残念でございましてね。
テレビにはだいぶ叩かれて、ちょっと過激な発言などがあったりするとですね、ちょっと言い過ぎなんじゃないかなと思いつつも、
すごく範囲コロンを着せぬ発言が私は大敵でございまして、ご冥福を祈るばかりでございます。本当に心からご冥福を祈ります。
それで、実は所沢という江多摩県小江戸の近くでB4館というですね、ミニカーとか並んでいる博物館を運営されていらっしゃってですね、いつか行きたいなと思っているうちに結局まだ行けずにいるんですけれども、
実は長男の森永光平さんとは私、昔勤めていた会社の同僚でございまして、彼が新人の時からですね、それほど親しくはなくて、廊下で会って挨拶したり、机が近かったっていうのもあって、顔はわかるかなと思ってですね、
彼は新人、新卒である会社に、今も存続する大きな会社なのでね、あれなんですけど、そこに入ってきてですね、2008年か7年か9年か忘れましたけれども、その時に三鷹井出身でも生計や、私の生計とかでもなくてですね、
東大での会計士とか、成り物入りがたくさんいる中で入ってきたのに、最角がとんでもなくすごいな、新人だなと思って、そういう模索がたくさんいる中で、彼は残念ながら学歴とか経歴がすごいわけでもない普通の新人だなと思ったのに、
入社してすぐにですね、外国の方に配属になったりとか、ある部署の長を務めたりとして、どんどんどんどん活躍して、気がついたらいなくなって、別の会社に転職して、今は10年以上前に独立して、
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彼のyoutubeとか格闘技の活動を見ている中でですね、お父様の森永卓郎さんが、がんに起こされ、1年以上前からですね、闘病しているという話をして、彼自身もつらいなぁと思う中、よくわかったのが、実は私の父も1年くらいですね、闘病して、今から4年以上前なんですけど、
水槽岸で堕開していてですね、ずいぶん自分と重なる部分があったんで、ずっと心配というか、心落ち着かない1年くらいでしたね、本当に、あったので、でもその間も森永卓郎さんは、
いろんなセミナーとか執筆活動、経済アナリストとしての活躍は続けていてですね、ラジオも出て、趣味の格闘技でもチャンピオンになったりとかですね、すごいなぁと思っています。
はい、そんなこんなで、今日珍しくですね、10分以上の放送をさせていただきまして、本当にいつも以上にうまくて、ごめんなさい、とりとめのない話で、本当に申し訳ないんですけれども、喋りたいことを、ちょっとダラダラとお話しさせていただきました。とにかく最後までお聞きいただきましたことを心よりお礼申し上げます。
はい、それではまた!