この古墳は2017年に世界文化遺産登録をめざす「宗像・沖の島と関連遺産群」に入ります。
現在着々と準備が整えられています。
この新原・奴山古墳を一望に見渡せる場所があります。昭和学園という学校の前からの眺めが一番です。
ここからは目の前に玄界灘が広がり、大島も見えますし、はるか水平線の向こうに沖の島があるという場所です。
ここの古墳群は5世紀前半から6世紀後半に造られた古墳で円墳35基、前方後円墳5基、方墳1基あります。
昭和学園から歩いて古墳の中へ入りますと、手前の円墳が一番新しく、中央付近に古い前方後円墳があります。
中でも最も古いのは22号墳で全長80メートルもある巨大な古墳です。
この古墳は宗像の君の墓だといわれるものです。
他の古墳は沖の島の祭祀を奉齋した宗像一族の墓だといわれてます。
古墳の回りには赤・白のたくさんのコスモスの花が満開です。
ご案内してくださるのは福津市総合政策部・世界遺産登録推進室の池ノ上宏さんです。
「古代の福岡を歩くレポート」
国民健康保険のルーツ=定礼(じょうれい)
住民がそれぞれ「一年分として一定の金または米を医者に渡し、何度でも医者にかか れるようにする」システムが、福津・宗像エリアにはありました。
定礼・常礼(じょうれい)と呼ばれるこの相互扶助は、江戸時代~昭和30年ごろまで続いていて、預ける金額や米の量は各家の収入に応じた分量だったそうです。
鐘崎などは漁師町なので、米や金でなく「鯛網」と呼ばれる漁で獲った魚だったとか。
なかでも村人がお金を出し合って病院も作った神興共立病院は、昭和10年、内務省社会局が調査に来て、国民健康保険制度の参考にしたようです。
今は定礼公園となっている病院跡(通り堂)と、唐津街道畦町宿の定礼医・高村先生の記念碑を中心に、ボランティアガイドツアーも行われています。
案内は福津市観光ボランティアガイドの末廣公香さん。
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現在着々と準備が整えられています。
この新原・奴山古墳を一望に見渡せる場所があります。昭和学園という学校の前からの眺めが一番です。
ここからは目の前に玄界灘が広がり、大島も見えますし、はるか水平線の向こうに沖の島があるという場所です。
ここの古墳群は5世紀前半から6世紀後半に造られた古墳で円墳35基、前方後円墳5基、方墳1基あります。
昭和学園から歩いて古墳の中へ入りますと、手前の円墳が一番新しく、中央付近に古い前方後円墳があります。
中でも最も古いのは22号墳で全長80メートルもある巨大な古墳です。
この古墳は宗像の君の墓だといわれるものです。
他の古墳は沖の島の祭祀を奉齋した宗像一族の墓だといわれてます。
古墳の回りには赤・白のたくさんのコスモスの花が満開です。
ご案内してくださるのは福津市総合政策部・世界遺産登録推進室の池ノ上宏さんです。
「古代の福岡を歩くレポート」
国民健康保険のルーツ=定礼(じょうれい)
住民がそれぞれ「一年分として一定の金または米を医者に渡し、何度でも医者にかか れるようにする」システムが、福津・宗像エリアにはありました。
定礼・常礼(じょうれい)と呼ばれるこの相互扶助は、江戸時代~昭和30年ごろまで続いていて、預ける金額や米の量は各家の収入に応じた分量だったそうです。
鐘崎などは漁師町なので、米や金でなく「鯛網」と呼ばれる漁で獲った魚だったとか。
なかでも村人がお金を出し合って病院も作った神興共立病院は、昭和10年、内務省社会局が調査に来て、国民健康保険制度の参考にしたようです。
今は定礼公園となっている病院跡(通り堂)と、唐津街道畦町宿の定礼医・高村先生の記念碑を中心に、ボランティアガイドツアーも行われています。
案内は福津市観光ボランティアガイドの末廣公香さん。
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