大宰府にある水城は日本と百済の連合軍が白村江の戦いで敗れた後に、新羅や唐から攻めてくるのを危惧して造られたものです。
その数年後に新羅の王子が大宰府にやってきて、大宰府を歩いていたとは驚きです。
白村江の戦いの5年後には新羅と日本は仲良くなっていたんです。
大宰府にやってきたのは金泰廉という王子様一行で、船をつけたのは那の津。
つまり博多港。ここへ7隻の船に700余人が上陸しました。
その内の半分が役人で、後の半分が商人だったそうです。
金王子と役人は都へ行き、奈良の大仏ができたお祝いをし、残った商人は大宰府で商売をしていたということです。
その時泊まったところは、西鉄二日市駅の近くにあるにある客館でした。
商人は唐の工芸品や香料・薬品をもってきました。そして日本の絹などと交換したのです。
その時かれらが使った佐波理という匙などは、この客観跡から出土しています。
「古代の福岡を歩くレポート」
八女市にある、北部九州最大の前方後円墳=岩戸山古墳の資料館が新しくなります。
そのなも「岩戸山歴史文化交流館~いわいの郷~」。
11月29日(日)には、オープニングイベントも行われます。→ http://www.city.yame.fukuoka.jp/iwatoyama.html#info
交流館係長の大塚恵治さん曰く「古墳っておもしろいね!」と思ってもらえる場所にしたいとのこと。
岩戸山古墳に並べられていた巨大な石の人形や馬形、盾などの展示を見て郷土の歴史を知ると同時に、火おこしや石包丁作りや、古墳型のクッキーやチョコを作って椎の実コーヒーを飲んだり…といった体験も計画されています。
その根底にある深い思いは放送データでどうぞ。
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白村江の戦いの5年後には新羅と日本は仲良くなっていたんです。
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つまり博多港。ここへ7隻の船に700余人が上陸しました。
その内の半分が役人で、後の半分が商人だったそうです。
金王子と役人は都へ行き、奈良の大仏ができたお祝いをし、残った商人は大宰府で商売をしていたということです。
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商人は唐の工芸品や香料・薬品をもってきました。そして日本の絹などと交換したのです。
その時かれらが使った佐波理という匙などは、この客観跡から出土しています。
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