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はい、おはようございます。移住家族のコバヤシキです。この番組は、東京で暮らしていた私たち家族が、淡路島に移住していく家庭や島暮らし、田舎でフリーランスとして生きていく様子をお送りする、現在進行形の田舎移住ドキュメンタリーラジオです。
もうすっかりですね、淡路島は夏が戻ってきまして、めちゃくちゃ暑いですね。暑いです。暑い報告をしたんですけど、ちょっと今車の中なんでね、雑音が入ったりしたら申し訳ないんですけれども、車の中は暑いですって感じです。ちょっと暑い暑い言ってますが、今日も収録をしていきたいと思います。
今日なんですけども、トークテーマはですね、地方移住したら3年で月収20万、2つなら離婚と尻を叩かれる2つの理由というような内容でですね、お金の話と、ちょっとまぁ何ですかね、我が家の事情というか、我が家こんな家庭ですみたいな話をしたいなと思うんですけど、えっとですね、今我が家の状況というか、まず家訓の話をしたいんですけど、我が家の家訓ですね。
なんで我が家の家訓の話をするかというと、家訓が設定されてるんですよね。私まだ30ですけど、30代の夫婦って家訓あるんだって笑われたりもするんですけど、家訓があって、どういう家訓かっていうと、自由と責任という家訓なんですよね。自由と責任です。
なんでそうなのって感じなんですけど、これはね、妻と結婚した時の理由が、妻の結婚の決め手みたいなところがあって、それは何かっていうと、あなたと結婚したら私のまま自由にいられるかもしれないみたいな話をされたんですよね。それで彼女は決めたというふうなことをおっしゃってたんですよね。
おっしゃってたっていうか、めっちゃ上の人みたいな感じで、もうやばいな。すり引かれてるとか吊り込まれてます。おっしゃられてます。我が家の国王なんでね。お妻様は。東京から島に移住したら年収が3分の1になっちゃったんですよね。東京の頃は年収で言うと500から600くらいはあったと思います。
7年も働いたら結構そんくらいいく感じだったし、あとすごく産業が多かったんですよね。結果7年間ずっと走り切った感じで、暇な時がちょっとしかなかったんじゃないかな。4年目か3年目かに、わりとシステムエンジニアなんで、システムが安定的に稼働していて、新しい案件も特になくて、わりと定時退社みたいな感じがあったんですけど。
そんなのはほんと数ヶ月、3,4ヶ月しかなくて、結果的にはエンジニアってそういう感じあるんですけど、新しいところに人が足りないから行ってくれとか、あとは直近辞める2年前は業務コンサル様、大手のコンサルティングファームさんとかと一緒にお客さんと3社で大きなシステムを作っていくっていうような仕事を、
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新宿の16階の会議室にこもってやってたりしたんですけど、結構業務量が大変でしたね。コンサルをサポートというか、システムインテグレーターというんですけど、お客さんの要件を聞いて、お客さんの要件をシステムに合わせてやっていくっていう、
すごく労働集約的な働き方なんですけど、IT系なんですけど、そういう仕事がすごく業務量が多くて大変だったんですよね。残業代がすごく加算で、結構1ヶ月10万ぐらいとかプラスで残業になったりすることもありますし、たまには動機法でしたっけ、45時間以上のときは申請してくださいみたいなやつを申請したりとか、
そういうことをやったりとかもあったし、結構大変だったんですよね。そんだけあって年収が少し高くなっていたって感じがあります。ただ、会社辞めてみるとザグッと下がって200万ぐらいになったんですよね。会社辞めて何になったかというと地域保守協力会を経ていて、3年後に起業する予定なんですけど、3年後とは言わずすぐやりたいというか、もう個人事業主になったんですけどね。
やっぱり3分の1になるわけじゃないですか。年収がザグッと下がっているわけですよね。我が家の家訓のところの話はまた別の回で撮ろうと思っているんですけど、我が家は身分制度があってお金が持っているやつが言っちゃうみたいな話なんですよね。家にお金を入れている人が一番偉いよみたいな感じで、妻は看護師でそれなりに収入があってすごく頼りがいがある妻なんですけど、
だから私は稼げなくなったらすぐに離婚できるんやろうなみたいな感じで、現役の頃から妻も今3級に入ったんですけど、2人目を産むので。収入は今はないんですけど、休んでるんでね。
現役の頃はもう私より全然稼げない。家訓手当がすごいんで、看護師はすごいですよ。本当に年収高いです。びっくりしました。
そんな時に、我が家はそういう状況なんで、東京で働いていた時は割と世帯年収は平均より高かったと思います。平均って何なんだって、中央値の方がいいんですかね。平均だとちょっと良くないんだけど。
中央値で言うと、世帯年収400万だとちょっとカツカツですみたいなニュースも聞いたりするんですけど、世帯年収で言うと友達歴してますし、多分800万から900万くらい、1000万あったのかな。
多分1000万もあった年もあったかなと思いますね。子育て入ってくると妻も休んで、私も休んでみたいな時があって、年収下がった時もあるんですけど、
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2人が友達歴していた時は、子供がいない時ですね。2人それぞれ500万ずつ稼いできてるみたいなところがあって、世帯年収1000万くらいがあったので、割と空に困らない状況だったんですね。
普通に家賃12万くらい払っても全然、2人で友達歴してる分には結構大丈夫な状況でございました。
ここはちょっと合わせて聞きたい方に、今日入れております概要欄にリンク置いてあります東京での暮らしぶりというかお金の事情。
今回合わせて聞きたい方は子供1人も生まれた状況ですけども、移住前のお金の事情っていうのは詳しくここで話しているので、ぜひ聞いてみてください。
ちょっと長くなっちゃったんですけど、3年で月収20万満たすのは離婚との修理を叩かれる2つの理由があって、
1つはですねこの年収が大きく下がってしまった、私の年収が大きく下がってしまったよということですね。
これね妻から考えたらどういう状況かというと、なんで私があなたの食べる分まで稼がないといけないの?みたいな。
ほな、1人でシングルママ、シングルマダじゃないけど、やっても全然やっていけるのよ、ほな、みたいな。
お前は自分の食べる分ぐらいは稼げよっていうのはすごくごもっともない意見だと思います。
ごもっともない意見だと思います。
こういうことがあるので、まず資料叩かれていますというのは年収が下がったということですね。
もう1つは、地方移住に際してはすごく妻に助けられた期間があるんですね。
それは単身不倫の期間です。
妻が東京で子供を見ながら働いていて、私は先に青島にちょっと移住をして、家を借りたりとか、
新しい私の駆け出しの仕事に集中させてくれる期間を作ってくれたりとか、
4ヶ月ぐらいシングルマザーをしていたんですよ、東京で。
看護師という劇務がコロナもあったし、
うちの妻はICU勤務で、命と隣り合わせの勤務なので、
毎日神経をすり減らしながら焼きもあって、このモーメントを見ているというのは
ぶっちゃけめちゃくちゃ申し訳ない状況だったんですね、4ヶ月というのも。
妻は私も妊娠していたんですよね。
こんなことを聞いたら普通、よくそれで奥さんと子供を置いて移住したなとよく言われるんですけど、
私も本当にそう思います。
結構ここはすごく悩みどころだったんですよね、移住を踏み切るにあたって。
今私が掴みかけている仕事のチャンスの時期で言うと4月ぐらいだったんですけど、
そこに飛び込むか、またの機会にするかみたいな感じですごく悩まかしかったんですね。
よくよく考えたら4月からでいいですかみたいな交渉してもよかったんじゃないかなって、
今考えたらそれでもよかったのかなとか、
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他の友達の地域方式の交渉状況を見ているとそれもいけたんじゃないかなってすごく思ったんだけど、
4月から着陸だったんでそこに飛び込むしかないって感じで妻とも相談をして、
じゃあこの日は私が頑張るよって。
で、向こうでお前頑張れよってつつましく行くるよみたいな感じで、
一人で羽伸ばしてるんじゃねえぞと復帰をさせていただきながら資料を叩かれていたっていう状況で、
4月から7月、8月とずっと私は一人で仕事をずっと続けてやってた感じなんですけどね。
それでもやっぱり収入って成果にはすぐに反映しないわけで、
妻にはおいおいおいおい、あなた今月いくら稼いだんだいと。
いや今月も20万いってないですと。
おいおいおい、お前しっかりしろよと。
そんな感じで資料叩かれているわけでございます。
結果的には地域方式というよくて3年という任期があります。
任期終了後に3年で月収20万という最低限のラインを見立つ場合は離婚だぞと。
そういう感じで資料叩かれているという状況でございます。
なので私がなんで資料叩かれているのか、2つ理由がありますというようなお話で、
1つが年収が3分、東京の頃に比べたら、東京で会社員やっていた頃に比べたら、
今私まで個人事業主やってますが年収が3分の1になってしまったというようなこと。
言ったら家族に迷惑をかけているわけですよ、経済的に。
なのでしっかりやらないといけないよなということで、
妻に資料叩かれているというのが1つの理由です。
2つ目は妻に助けられた期間があると。
移住とか転職というか独立ですかね、個人事業主になる駆け出しの期間、
今は駆け出しなんですけど、妻は妊娠をしていながら子供を見て仕事もして
稼いでいてくれたという期間が約5ヶ月ぐらいありました。
今はアジマに一緒に移住してきてもらって、3級で休んでいるんですけどね。
育児が始まったらそれはもう大変なんですけどね。
そういう中であるというような形があります。
私は妻にあがらないというような感じで、本当に助けられたということがありますので、
今度は自分がしっかり稼いで、子育て資金とか子どもたちの養育費とかね、
あと生活費を納める責任というのを果たす番であるというような状況なので、
妻には尻を叩かれていますという形ですね。
本当にね、こんなめちゃくちゃのろきょみたいな感じになっちゃいますけど、
いい妻だと思っています。
自由と責任っていい架空だなと思うんですけどね。
なかなかね、しんどい時もあるんですけど。
なかなか2人で子供を育てながら、このアジマの田舎で頑張っているというわけでございます。
しっかりね、私は稼がないと責任を果たす番なので、頑張っていきたいなという状況でございます。
何かの参考にならないかもしれないですけどね。
そういう状況なんだということをですね、
我が家ですね、小林家は奥さんがすごい強いんだねというところが伝わったのかなと思うんですけど、
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すごい優しい妻でございます、本当はね。
そういう謎のフォローを入れておいて、今日は終了にしたいと思います。
また次回の収録でお会いしましょう。バイバイ。