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#9「甲子園は、わが人生」▼連載「阪口慶三 魂の57年」。東邦→大垣日大の名将、その軌跡をたどる▲
2024-03-02 32:56

#9「甲子園は、わが人生」▼連載「阪口慶三 魂の57年」。東邦→大垣日大の名将、その軌跡をたどる▲

 長年にわたり、岐阜県の高校野球をけん引してきた大垣日大高校の阪口慶三監督。昨年、甲子園で40勝を挙げ、79歳で監督を退任しました。名将の軌跡をたどった連載「阪口慶三 魂の57年」の担当記者を交えて、功績を振り返ります。


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阪口慶三 魂の57年 ①22歳で東邦監督に 打倒中京、反骨心が原点https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/348880※記事を読むには、岐阜新聞Web会員への登録が必要です。過去1年間に岐阜新聞Webで掲載された記事を閲覧できるようになります。登録は無料です。詳しくは⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠から。★出演

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00:03
岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ、こんにちは。報道部の山田俊介です。
坂井萌花です。杉原杉人です。よろしくお願いします。
平日撮ってきてますけど、ちょっと10分くらいで作っていってるので、もうちょい喋りたいかなみたいな話題もあったりもするので、
土曜日だけ土曜版という感じで、少し長めに番組作ってみようかなと思いますので、
今日はね、いつもの2人に加えて、運動担当から杉原さんに来てもらいまして、
お願いします。
今回紹介するのが、阪口慶三 魂の57年という5回続きの連載が運動面で掲載されまして、
阪口慶三さんというのが、高校野球界の名称中の名称というか、知らない方全国的にいないんじゃないかというぐらいの方で、
去年のクレベルと退任をされてということで、それに合わせて連載も掲載されたということで、
なかなか5回続きで書くのも大変だったと思うんですけど、そうは言っても書ききれないぐらいの方だったと思うので、
阪口慶三さんの歩みを振り返りながら、連載に沿っていろいろお話をしていきたいと思います。
阪口慶三さんっていらっしゃるんですけど、大垣日代の監督さんだった方ですけど、
この間退任をされて、高校野球界のレジェンドというか、甲子園大会で春夏通算40勝という、別もない大記録を残して退任された方ですけど、
その退任にあたって、今回杉原さん連載にまとめたということで、杉原さんにも記事にも書ききれないことがいっぱいあったと思うので、
これまでの取材なんか振り返りながら、記事に5回連載に沿っていろんな話をしていけたらなと思っています。
残した功績が大きすぎて、寂しさというかね、ほっかり穴開いた感じが未だに、一ファンとしてもあるんですけど、どうですか、取材者としてというか。
そうですね、これだけ57年という監督生活、22歳から始まっているわけですけど、本当想像できないぐらいの歴史というか長さというか。
03:14
この連載のタイトルがさ、坂口慶三魂の57年ってありますけど、この57年という数字を使える人なかなかいないと思うんですよね。
そんだけ長くやってきて、また実績も相当なものを残されて、5回続きの連載だったんですけど、
岐阜の大垣日大の監督になられた後のことしかあまりなじみがなかったので、東宝高校の頃から入っていますけど、まず22歳で監督になっているんですね。
大学卒業したばかりですよね。
1967年に就任で、これは前の監督の退任に伴ってバッテキーみたいな感じなんですね。
そうですね。最初はコーチとして入るっていう風に聞いてたらしいんですけど、蓋を開けてみれば監督だって言われて、本人が多分一番驚いたみたいなことを言ってましたけど。
こんなことあるっていうね。大監督のイメージしかないので、最初の頃は本当に大変だったんだなっていう。
坂口さんが正直野球どころじゃなかったって言ってた頃があるっていうのは、まず想像つかないですけど、この頃のこととかってどんな表情で語ってたっていうか、振り返ってみると。
まだ22歳、結構前のことなのであれなんですけど、本当に辞めてくれとか、何度受けたんだっていうことを何人かから言われたみたいで。
面と向かって言われてるわけですよね。
そうなんです。影で言われてるわけじゃない。それも嫌だと思うんですけど。
面と向かって言われたみたいで、当時思い出して今でもあれ大変だったなっていうのが伝わってきましたね。
ここで折れちゃう人はたくさんいると思うんですけど、でもここで折れないのが坂口圭三さんだったっていう風にね。
そうですね。
連載でも書いてあるんですけど。
だからそうですね、いろんな仮格好が連載の中では散りばめられてますけど、後世に行けばクレームもなくなるだろうと。
強いチームを作ってやるって書いてありますけど、なかなかこんな風に思えないじゃないですか、普通ね。
06:02
普通ならもう辞めちゃいますよね。精神力ならば辞めちゃいますけど、それはやっぱり名称たりゆえんなのだかなっていうのは思いますね。
愛知県ですからね、その兵庫をひしめく。
中京が前世紀だった頃って。
中京も春夏連覇成し遂げてたりとか。
甲子園で春夏連覇なんてすごいですよね。
そこと戦わなきゃいけない。
そこを勝たないと甲子園行けないっていうのがね。
中京だけには負けるなって言われ続けてたみたいなことも書いてあって。
月曜日に学校に行くのが嫌だった。
あんなことを言ってた頃があるなんて。
ちょっと読んでて聞くことのあることがね。
そうですね、当時の校長が野球かなり好きな校長だったみたいで。
余計思い入れがあって、絶対負けるな月曜日だけにはっていうのを毎週のように言われてたっていう。
言葉もね厳しくなってくるわけですね。
何度も遠ざられたって書いてありますけど。
また時代も時代差ですしね、よりきつくというか。
ここで反抗心、反骨心を持てるのが高口さんっていうことなんですかね。
ここで出てくる言葉がまたなかなかインパクトがあるんですけど。
中京がステンレス軍団ならば東方はプリキー軍団って。
ちょっと今の時代で捉えると分かるような分かんないようなところもあるんですけど。
プリキーって確かにね。
なかなか言わないですよね今まで。
ちょっとあんまり聞かなくなりましたけど。
でも確かにね、ステンレスに立ち向かうためにどうしなきゃいけないかみたいなところでね。
3枚重ねればいいじゃないかと。だから中京の3倍練習しようみたいなことでね。
この辺のエピソードが後に言われる鬼の盃口の起源になってるっていうのがね、すごい興味深かったですけどね。
これ3年目でもう甲子園行っちゃうんですもんね。
そうですね。すごいですよね。
すごいですよね、改めてですけどね。
選手たちもこれについてたってことですよね。
そうですね。
甲子園で春夏連覇したチームの3倍練習させる鬼の盃口ですよ。
そうですよね。
相当きつかったんじゃないかなと思うんですけどね。
そうですね。みたいなところで1回目が終わって2回目に続いていきますけど。
ここであれですよね、就任3年目、1969年の夏、愛知県大会春決勝がターニングポイントになってますよね。
09:06
だから相手が中京だったわけですよね、ここでぶつかると。
この時のこととかってやっぱりかなり思い入れ深く話をされてたりとか。
そうですね。なんか劇的な試合だったみたいで、さよならなんですけど、今でも覚えてるっていう風に。
打球の伸び具合を今でも思い出せるくらいってことは相当この試合に賭ける思いっていうかね。
そのために緊張感を持って望んでたことを今でも思い出せるっていうくらい。
ここで勝って決勝に進んで、決勝はボロ勝ちだったんですね。
本当はこの準決勝で勝ったところで涙が出そらったらしいんですけど、
ちょっとそれはまだ早いかなっていう風になって。
ちゃんと堪えるところがすごいですよね。
泣いちゃいますもんね。
泣いちゃうでしょ、そのまま。
そんだけ目の飾りというかね、勝ちたい勝ちたいと思い続けてきた相手、中京ですもんね。
こういう経験を重ねていって、一気に強くなっていくんですね、これね。
1970年夏、71年、73年春、いずれもベスト8行ってて。
77年夏に準優勝していると。
もう一気に強豪ですね。
一気に強豪になりましたね、ここで。
相当すごかったんですね、この頃の東方ってね。
そうですね、本当。
ちょっとね、課題も見えてきた頃でもあって、
80年から86年の春夏4度甲子園に出てますけど、いずれも1回戦敗退だったということなんですね。
88年に春、準優勝してるんですよね。
そうですね。
ただこれがちょっと、坂口さん本人にとっては反省の機会になっているというかね、
なんで負けたのかということを内省しているというふうに書いてあるんですよね。
これがちょっとその記事によると、鬼の坂口を振り返ってというかね、見直す機会になっているということみたいですよね。
あと一歩で勝てなかったというのが結構あれですよね、その本人の中で。
準優勝したんじゃなくて、決勝で勝てなかったということなんですね。
そこで肌と気づいて、ちょっともう萎縮してるんじゃないかというふうになってきているというか、そういうふうに思ったんですよね。
のびのびとしたプレーで、実力を発揮させればいいんじゃないかということで、
ここから坂口さん、笑う練習を始める。
12:00
笑う練習、それまで全然練習中も笑わなかったんですか?
ほとんど笑わなかったんでしょうね、聞いている限りだと。
本当に鬼だったんでしょうね、鬼の坂口。
だって笑う練習しない訳ですもんね。
それだけ厳しく指導してきたんですよね。
練習始めたばっかりの頃とかだいぶぎこちない感じで笑っていたんでしょうね。
笑い方がわからなかったと言ってましたもんね。
忘れちゃった。
どういうふうに笑えばいいんだろう。
厳しくやってたってことですよね。
その笑いが、仏の坂口になる訳ですかね。
仏の坂口になっていくんですよね。
笑う練習も、ちゃんと笑えてるかどうかっていうのを周りの人に確認したりとか、
部長さんとかに聞いて、笑えてるかとか言って。
笑えてるかって聞くんですね。
そういうことも言ってましたね。
聞かれる方も緊張しそうやろうね。
笑えてますって言ってましたね。
それぐらい厳しくやってきたと思います。
でもその会あって、次の年の1989年の春、選抜決勝までまた進むんですね。
この試合がなかなか劇的だったんですね。
10回の勝者なしからの逆転劇でしたね。
ランナーなしからは、なかなかひっくり返せないですよね。
恋支援とか行くと、そういう試合ってたまに起きますよね。
魔物が住んでるとかって言いますよね。
本当に手繰り寄せた感じがね。
東宝は上宮、大阪の学校に3対2でサヨナラ勝ちして、戦後初の日本一に輝きました。
すごいね、これ。
連載何回も読み返しちゃって。
読み返しサビにさ。
ドラマにしないとだよね。
ドラマにしないとですよ。
テレビさん動かないといけない。
キャストを考えて、ドラマにしないと。
伸びるよ、これ。
絵はぜひ映像で見たいなと思いますけどね。
興味深いですね。
この時はやっと大泣きできたわけですよね。
ずっと我慢してきたんですよね。
監督を始めて、公支援の頂点をつかむまでに22年。
22歳から44歳で優勝だから。
そもそもなかなか優勝できないですからね。
20年でできたんでしょうね。
だってずっとできない監督さんとか学校だってあるわけですからね。
結果的に東宝高校とか24回公支援で25勝していて、優勝1回、準優勝2回って。
15:08
名勝ですよ。
すごいなあ、改めて思いますけど。
そういうところまでが東宝高校の歩みだったんですけど。
連載3回目になると、いよいよ理不の大垣西大の監督になりましたっていうところの話が始まっていきますけど。
これが2005年で60歳の頃だったんですね。
そうですね。
東宝には38年か。
38年って。
ただあんまりその理由について多くを語らないみたいなところもあるんですかね。
これだけの監督なので、オファーはいくらでもあったみたいなんですけど。
そうですよね。他にもいろんな誘いがあったと思うんですけど。
その中で一番早く声をかけてくれたのが大垣西大だったっていう。
入ってからがなかなか大変だったみたいですね。
ここでも大変だったですね。
こっちでの大変さがね。
記事によるとキャッチボールすらまともにできない。高校野球に見えなかったみたいなことも書いてありましたけど。
大分を正しい生き方から教えなければならなかった。
ちょっとあれですかね。やんちゃな感じだったんですかね。
そんな感じだったんでしょうね。この話を聞くと。
最初の夏の県大会からどうなんですか。
そうですね。前の年の県大会の和気にしちゃいがベスト4回戦敗退だったんですかね。
なのでそんなに弱いチームでもなかったっていう。出力だけ見れば。
出力はあったと。
その前は8強で。
強いんですよね。普通に。
ちょっと叩き直せばっていうかね。やれるって実感もあったんでしょうね。
そうですね。全てがやっぱり東方の基準で見てっていうことですよね。
東方の基準で見るとキャッチボールまともにできないし、ユニフォームの着方も良くなかった。
38年いたところですからね。
それを比べちゃいましたね。
でもそれがあだとなったと。
そうですね。
そうですよね。ちょっと選手もついてこなくてみたいなことがあったみたいですけど。
これがまたちょっと新しい坂口慶雄さんの誕生につながるんですよね。
18:01
そうですね。褒めて育てるってことですね。
やたら褒めるって感じになっていったんですからね。
そうですね。
これがハマったってことですよね。
成長につながっていって。
岐阜に来て初めて夏の県大会っていうのが。
4回戦敗退ではあるんですけど、
坂口さん的にはちょっと良い手応えも感じてたっていう。
そうですね。あくまでも選手の様子を見て。
だからそうなんですよね。
少しずつ自力をつけていって。
手応えも感じ始めつつあって。
この最初の夏の県大会からわずか2年後ですよね。
2006年。
大垣に次第の監督に就任して2度目のアチ。
ここから黄金時代に入っていくということなんですね。
早いですけどね。
駆け上がるスピードが。
ついていけてないですもんね。読み手もね。
これ県大会。
東海大会では準決勝敗退ではあったんですけど、
ここでの戦いぶりが評価されて。
当時は希望枠って懐かしい響きですけど。
今はないですからね。
失点の数とか守備力なんかを重視して出場を決めているわけだそうで。
この秋の大会がエースで初めての選抜に、
大垣に次第としては初めての選抜につながっていくということで。
坂口監督ご自身としては25度目の甲子園と。
ここで着光を浴びるわけですよね。
全国メディアがやってきては坂口さんを追いかけるわけですけど。
坂口さんって言うと鬼の坂口のイメージがまだついている中で、
やたら褒めまくる坂口さんを見てちょっとびっくりされたというかね。
これでやっと明日ともいいじゃないけど、
仏の坂口という坂口さん像が定着していくわけですよね。
初出場なんですけど、いきなり決勝いっちゃうんですよね。
そうですね、本当に。
なかなかないですよね、初出場と決勝がいっちゃうわけで。
なかなかないですよね。すごいですよね。
その時の選手が自信満々だった。踊るような勢いだった。
踊るようなっていうのは坂口先生の選手が活躍した時によく使う言葉で。
踊るが出れば。
踊るが出れば相当調子良いですよね。
21:00
ただ決勝は惜しかったですよね。
ちょっと終盤に繰り返されてね。
東海大会の時に負けた徳橋企夫がまたやるという。
強かったですね、これね。
強かったですね、徳橋企夫はこの時全盛期というか、いい時代で。
このコメントが精一杯のプレーを責めるつもりはない。これがここ焼きです。
これもまたグッときますよね。
こういう姿を見て続いていきたいと思うんでしょうね。
やっぱり頑張った分だけ言葉で返してくれる監督さんだったんでしょうね。
ここで大垣一代の監督としての坂口さんというのが完全に定着をして、
またその選抜を皮切りに、どんどん甲子園出場というのを重ねていくんですよね、これからね。
これ数えてありますけど、こんなに出てましたか、これ。
2007年の夏から2023年の夏までの間に10回出てるんですね。
そうですね。
確かにね、大垣一代か、県議省かみたいな争いになったなっていった感じは記憶にありますけどね。
ただそんな中でも、やっぱり坂口さんとしては印象に残るのが、2022年の春と2023年の春夏、この3回。
お孫さんとね、一緒に。
お孫さんが出てるっていう。
これもなかなかあり得ないことですね。
親子高とは言うじゃないですか。
たまにプロの選手とかでも、お父さんがプロ野球の選手だったっていう人がね、
お父さんがコーチしてるところに入るみたいな、あったりしますけど。
これ祖父孫高ですよね。
祖父孫高、言わないですもんね、なかなか。
使う機会がなかなかないので。
自分のこの孫を選手として起用するって、結構周りの反応を見るとちょっと使いにくいところあるんじゃないですかね。
あんまりその辺の話ってしてなかったんですかね。
そうですね、あんまり、ほとんどあれですよね、特には触れないというか。
その話題自体も無かったというか、ちょっと嫌がったとかちょっとあんまり拒むような形もあったので。
どんどんそのお孫さんの方がね、バッターとして当格を表していって。
普通に考えると使わざるを得なくなったぐらいの力が尽きましてね。
最後の更新ってなったこの2023年の夏が一緒に出てますけど、これ予判売ってましたもんね。
予判でホームランも売ってましたもんね。
やっぱりこれドラマにした方がいいですね。
ドラマにしたほうがいいんですかね。
無いものそんなの。
私カメラで入ってたんですけど、実は。
そっか、そうですよね。
実は実は、こっそりカメラで。
24:02
うわぁ、こんなことってあるかなというか。
監督の孫やからって結局メディアも注目するし、それに伴った実力がないのって夢でもみんな見るじゃないですか。
でも撮るんですよ。
あれさ、撮った瞬間とか慌てなかったの?
もううわぁってなりますよ。うわぁとか。
そうなってほしいなって思うけど、実際になるとすごいテンパりそうじゃない?
基本的にギフ大会なんかはどっちのチームもギフのチームで、どっちも応援しながら見てるんですけど、やっぱり写るなって思いますよね。
いいってことだよね。
持ってるんだな。だから正真正銘、杉原さんがおっしゃったように、使わざるを得なかったんだろうなという選手なんで。
実力で横浜の座を勝ち取って。
これさえたら文句ないなっていう感じ。
祖父孫中がね、そうして出来上がったわけですけどね。
この2023年夏の大会が最後の甲子園となって、初戦の大海には勝って、ここで春夏通算40勝を達成して、2回戦では赤敗するんですけど、ちょうど節目の数字を達成して甲子園を去ると。
で、その1ヶ月半後に対任発表と。
そうですね。
その時どうでした?この対任発表っていう知らせに触れて、担当記者としてさ。
そうですね。なかなか、本当夏負けた時にまた来年も次戻ってくるってことはおっしゃってたので、まだやるんだろうなっていう風に誰もが思ったと思うんですけど。
そう思ってましたもんね。
信じられない気持ちもありましたよね。
対任会見とかもね、本当に晴れやかな表情をしてましたけど、その時もいろんな質問を流れかけてみて、どうでした?印象に残る言葉だったりとか。
やっぱり各紙面でも紹介されてましたけど、甲子園は我が人生っていう。
坂口さんのためにあるような言葉ですもんね。
これだけ甲子園に行って、甲子園で勝った監督っていうのもね、なかなか本当に数えるほどしかいないので。
深いですよね。深い言葉だなと思って聞いてましたね。
2005年に就任して、それ以降で岐阜県からこの甲子園に一番出てたのは大垣日代。
11回出てるっていうね。そこに県議省であったりとか、中京であったりとか、岐阜城北であったりとか、
軍友各挙のこのね、岐阜の高校野球会をリードしてきたっていうかね。
27:02
形作ってきたのはやっぱりこの坂口さんだったっていうことですよね。
周りの監督さんとかも結構寂しかったんじゃないですか。
そうですね。就任当初から若い監督とかは坂口さんのところに練習見に来たりとか。
転学に来るんですね。
あったので、やっぱり坂口先生を慕ってる監督の方が多いですよね。
ノックを最後70本打ったと。70本打ってるのがすごいなっていう。
57年間の監督人生に枠を下ろすわけですけど。
なかなかここまで長く続けられる人もいないだろうし、
実績がこれだけ伴って最後を得るっていうのもなかなかできないでしょうし、
そういう監督さんに取材をするっていう機会が得られるっていうのも縁というかさ。
ありがたかったですね本当に。
取材した立場として印象に残ってることだったりとか。
本当あれですよね。試合、グランド出るとやっぱり優しい本当に。
男にでもいるおじいちゃんみたいな。
グランド取材に行くとジュースとかもくれるんですけど、
どっちがいいみたいな感じで選ばせてくれたりとか。
選ばせてくる?
選ばせてくる。どっちがいいみたいな感じで。
なんかいい絵だね。
選手たちはどういう風にこの引退というものは捉えてるんですかね。
やっぱりあれですよね。
こんだけ長くやられてきた方なので、本当に引退すると思ってないでしょうね。
だから驚きというか戸惑いもあったかもしれないですけど。
でも後を託された高橋先生も、
佐口先生が就任された時からずっと一緒にいる先生なので、
本当に佐口先生みたいなスタイルだと思うので、
それは大丈夫なんじゃないかなと思いますけど。
継承していって。
継承していって。
なんか今日はもう完全に一ファンとして喋ってますけど、
いまだにポッカリ焼いてますよ。
全然埋まらない。
嬉しいですね。
球場に行くと私たちカメラマンは、
私がカメラマンと言っていいのか分からないですけど、
長いレンズを使うんですよ。
なのでベンチの中の監督をちょこちょこ見てたりするんですけど、
目力がやっぱりすごくて怖いなって。
鋭いよね。
30:02
それはもちろん試合中もそうだし、
後悔がの経験というか、
あの時間も選手を興奮してたりとか、
目がキラッとしてる。
キラッとしてる。
試合になるとすごいスイッチが入るというか、
オンとオフの切り替えというわけじゃないですけど、
ガラッと変わりますよね。
仏の坂口に最後はなるわけですけど、
目は鬼だなと思ってましたけどね。
時代に合わせて柔軟にやられる方だなっていうのはね。
今は褒めて伸ばしたのがスタイルなので。
スポーツの指導というか、
部活動の在り方というのもどんどん変わってきてて、
かつてはね、水飲むのもダメみたいな風に言われた頃とかあったでしょうし、
坂口さんはその頃からずっとやってこられてる方で、
そのままのスタイルではダメだということを自分で気づいて、
うまく時代に合わせて変化していって。
その時代時代の子どもたちに合った言葉を投げかけて、
伸ばしてこられたということでね。
さっきも言いましたけど、
言葉一つ一つぐっとくるなという感じで、
連載の中に鍵かっこがたくさん登場するんですけど、
連れてみたら39箇所鍵かっこが出てくるんですよね。
坂口さんの言葉だったり、思いの部分ですね。
それぐらい言葉でふるい立たせて、
子どもたちをやる気にさせて、そうした結果を作ってきて、
まだに寂しい感じがありますけど。
今年は選抜は岐阜県から出場がないので寂しい感じがありますけど、
夏に向けて、他の学校を含めて、
坂口さんが退任された後の岐阜の高校野球会がどうなっていくのか。
間違いなく、岐阜の高校野球会のレベルを上げられた方の間違いないので、
これをきっかけにしてもらって、
さらに他の選手を高めていったらいいなと思いますけどね。
本当に甲子園に出るんじゃなくて、
甲子園で勝つチームという風にやってほしいなと思っています。
楽しみですね。
これからまたどうなっていくのか。
また新しい監督で、小学2時代がどう進化していくのか楽しみですね。
32:56

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