00:00
Aグループは、ジョブ銀行側、僕らはメイティスギフ側を通って行きます。
よろしくお待ちしております。スマスタブルに。
おはようございます。 ありがとうございます。
お、いいですか?
はい。
じゃあ、ありがとうございます。
頑張ります。
ありがとうございます。
スマサシしてもらっていいですか?
ああ、はいはい。
じゃあ、先生、すいません。
これ、目をつけてもらって。
すいません、つけにくいかもしれませんが。
こんな感じ。
いけますね。
これでもう入るんですか?
入ります。もう入ってます。
わかりました。
旅行団回しながらずっと始まっちゃってるんですけど。
先生、ちょっと簡単に自己紹介してください。
自己紹介ですか?
何から言えばいいですか?
年齢的なこととか。
そうですね。パーソナル情報的な。
私は1968年生まれて。
57になったんですけど。
岐阜市で生まれて。
高校は県議省だったりしたんですけど。
その後、岐阜では。
高校を卒業してすぐに朝日大学の私学部附属の村上記念病院に当時はあって。
今は朝日大学病院なんですけど。
そこのいじかに勤務をしまして。
そこで4年くらい働いて。
その後は名古屋に行ったっていうところなんですけど。
名古屋を経て、今は広島にいらっしゃるということですね。
広島で今どんな活動をしているのか。
広島は2019年に、広島修道大学の大学院で研究をするために社会人として入学をした。
それをきっかけに広島に縁ができて。
その後もいるという感じなんですけど。
その後、その時に知り合った人たちと。
今はLGBTQプラスサポート団体と言いますか。
にーなりかっていう団体をやっておりまして。
そこで交流会とか、居場所づくりを中心としたことと。
あとは講演活動とか、イベントなんかを主催したり。
昨年は広島プライドパレードって初めてやったんですけど。
03:05
そういうのにも参加してっていう感じですね。
それでは事務局長をやらせてもらったりとかしてっていうところです。
今日はこれどんな状況かというと。
岐阜でプライドウォーク。
LGBTQプラスの方だったり、ここに賛同する方っていうのが集まって。
岐阜の街をみんなで歩いていくということで。
今年で3回目ということですが。
今日はこのプライドウォークに北谷さんが来られるということで。
そこで取材の機会をいただきつつ、せっかくなので一緒に歩いちゃおうということで。
私もレインボー柄の小肩を一ついただいて、一緒に歩きながら足動きをしているという。
ねえ、聞いて、ここ。
高校生の時にね。聞いて聞いて。
高校生の時にね。
よくサボってここで着替えて遊びに行っていたマクドナルド。
このマクドナルドずっと前からありますもんね。
だってもう40年くらい前くらいあるもん。
そんな場所なかったから。
まだ新岐阜って言われてた頃ですよね。
あそこにスズタンっていうレディースの服屋がずっとあったの覚えてないですよね。
そういうことばかり思い出しちゃう、この辺だと。
こうやって久しぶりに岐阜を歩くと。
去年も参加されてみたのに、ちょうど1年ぶりぐらいですかね。
そうそう。屋長さんに行くと、さびれ方にちょっと泣けてくるというところで。
去年はね、すでに高島屋が閉店した後だったんですよね。
ちょっとなかなか元気ないよねっていうことが言われてたりして。
ほんとですね。
元の人としても心配にはなっているところなんですけど。
でもやっぱり何て言うでしょう。
故郷に戻ってくると、いろんなことを思い出されるんでしょうけど。
こういう場所が好きだったなとか、安心して過ごせる場所がこういうところにあったな
みたいなことを思い出したりもしますか。
安心して過ごせる場所って言うと、私らで言うとさっきの居場所みたいなことになるから。
岐阜だと、いわゆるクローゼット時代なので
まだ自分がセクシャリティーを自覚をしてとか
それで活動してっていうのはなかなかできない時だったので。
この辺の思い出としてたら、高校生の時とかに
おしゃれな服を求めて柳川に行ったり
裏側の通りに小さい路面展があったりするので
そこでいろんなところに顔を出していた思い出がすごいですね。
06:02
そっちの方が強いですね。
クローゼットっていう言葉が出てきましたけど
あんまり広まりきってない言葉なのかなという気もするので
クローゼットっていう言葉を簡単に教えてもらっていいですか。
そうですね。クローゼットっていうのは
自分のセクシャリティーを誰にも打ち明けたことがなくて
自分が例えば私だったらゲイっていうアイデンティティを
今では持ってるって言えるかもしれないけど
そういうアイデンティティ的なものがまだ芽生えてなくて
自分自身のことなんだけどそれを受け入れるなっていうような状態ですかね。
よくカミングアウトするってことは
カミングアウトオブザクローゼットっていうんですけど
クローゼットから出るっていうところっていう言葉から来たりしてるんですよね。
クローゼットから出るってことですね。
そうですね。
だからいわゆる今回もしも山田さんが取材をしてくださって
この後例えば紙面とかにのせて新聞に載せてもらえるようになったら
私は例えば岐阜の時代に知り合った人たち
同級生とか近所の人とか
あとは親類ですね。
初めてこの年になって何十年も経ってようやく
カミングアウトができてクローゼットから出るっていうことになるのかなと思って
実は私にとっては大きな出来事にはなるのかなとは思うんですね。
だけどなかなか岐阜の中でも
やっぱりクローゼットの中にいる人の方が圧倒的に多いとは思うので
どうですかね。
期間中の場合は言えないっていうことが
やがて岐阜を離れていくっていう理由になったりとか
そうですね。
それは一番大きいですね。
やっぱり
岐阜を離れるっていうのは
名古屋なんでそんなに遠くはないんですけど
名古屋に出る時にはやっぱり
自分は同級生とか岐阜時代に知り合った人とかも
全て連絡をシャッとして出ていくってことを決めたんですよね。
それは何か分からないけど
そうしなければいけない気がして
自分の中でその中途半端に嘘をついて
自分のことを隠して付き合うということに耐えられないというか
岐阜の時には
例えば病院で働いている時なんかは
09:00
独身男性なんて本当にいなかったので周りに
そこの病院内で彼女を作って
疑似恋愛なんていうんですかね
そういうことをしてきたりとかしたんだけども
そういったこと全てが嫌っていうか
当時も性癖指向であったりとか
恋愛対象というのは
周りとは違っていたんだけれども
やっぱりちょっと周りに合わせないといけないような
どういう言葉で言っているのかちょっと分からないところもありますけど
今もそれはあまり変わっていないかもしれないけど
もっともっともっと強い時代だったので
結婚する人がたぶん90何%の時代だったと思うんですよね
そんな時代にまだ過不調性がすごく残っていた時代に
自分のことを打ち明けられるなんてことは
たぶん到底考えられていなかったので
そうするしかなかったという感じですかね
なんかこういうもんでしょうみたいな
普通という言葉の圧力っていうのが
今だって残っているところはあるんでしょうけど
今以上にやっぱり多様性なんていう言葉が
なかなか認められていなかったところでしょうし
多様性って言葉もたぶんなかったし
LGBTなんて言葉もないし
多分まだゲイっていう言葉もないですね
その時はホモしかないし
言葉が増えりゃいいってことでもないんですけど
でもやっぱり周りに何の理解も知識もない時に
自分がそうであるなんて言えるような
っていうのはたぶん
難しい
難しいというか選べないですよねそっちを
なので
そうですねだから
もうだからその
当時はゲイっていうことはなかったので
ホモ活動するんだぐらいな感じで
名古屋に逃げたっていうところですね
やっぱり地方都市として都市に行けば
なんていうのかな
例えば少し監視からは
同級生の目とか近所の目とか
そういうものからは逃げれるですねまず一つは
だから
都市って単純にやっぱり人口が多い分
そうですね
頭カスが多い分
逆に言うと田舎は少ないので
ちょっと周りと違うことをしてしまうと
それによって
想像を絶するような効率感というか
12:00
そういうものにさらされてしまうリスクっていうのが
すごくある
ですね
今だってそういうところは
変わりきっていない部分が大きいんでしょうけど
昔ってこういう
お見合いを持ってくるおばさんとかも
いたわけじゃないですか
そうですね
連談というかね
そうそう
そういったことからもね
思い
らしいっていうところですね
選択の自由なんていうものは
そこにはないでしょうしね
どうですかね
名古屋に出るにあたって
岐阜の頃の友人だったりだったり
同級生だったりとかって
その関係とはもう一回も
全部断ち切っているんですか
そうですね
で
なんだけども
なんかその中でも
私どっちかっていうと別に
高校時代からも
割と先頭立って皆が遊びに行こうっていう
タイプの人間だったのに
パタッと
連絡を取らなくなるわけじゃないですか
で
私がひっつけたカップルとかも
いるわけですね
そこが結婚になった時は
実家の方まで来て
連絡取ってくれっていうような
こともあったんだけど
他の結婚式とか行ってないのに
それだけ行けないってなって
それだけはちょっと心残りっていうのも
それは覚えてるんですけどよく
残したい
繋がったままにしたい関係も
そのタイミングで結構経ってしまった
申し訳ないなっていう気持ちは
そこだけ残ってるっていうところが
ありますね
だけど
またその後の話で
名古屋でちょっと
ゲイバーとか観光バー
観光バーっていうのは
誰でもどんなセクシャリティの人にも
来れる場所なんですけど
観光バーとかもやり始めた時に
実は同級生が
たまたま来て
同級生の友達が来たのか
それからその同級生が
来ることになって女性なんですけどね
そこでいろいろ
自分のことが
バレちゃってもいいよ周りに言っといて
っていうようなことは実はあって
でも私からはカミングアウトはしてないんですけど
偶然そういう
名古屋でもそういうことがあるんだな
と思ったんですけどね
どうですかそこでは
お店に勤めたり
お店を自分で出されたり
っていうのは
なんていうか
自分を隠さずにいられるだとか
居場所として
確立できたところっていうのが
あったのかなと思うんですけど
気持ちだったりとか
暮らしだったりとか
どんな変化がありましたか
名古屋に行って
ゲイバーとかをやりだした頃ですか
それはもう本当にゲイの人で
自分の中だけでしか
生活しないことを得らんなので
15:01
とても別に
自分のセクシャリーとかに悩むとか
そういうことはなくなった
たまにある実家からの連絡とか
そういう時に
憂鬱になったりすることはあったんですけど
引き戻されるときとか
そうですね
お店をやることによって
例えばいろんなことを
相談されるじゃないですか
若い子から
カミングアウトに関することが
一番多かったんですけど
例えば若い子で
カミングアウトをして
何かすっきりしたとか
良い良い部分ばっかり言うような
誰かがいて
誰々ちゃんも言ったから
自分も言うみたいなことの時には
割と私は
そういったことをもう一年
考えてみてって
立ち止まって
いざめるタイプだったんですね
言ったら一時的には
すっきりするかもしれないけど
それを言われた方は
その態度が変わるっていうことも
やっぱり往々にしてあって
そういうことで
結構大きく
傷つくっていうのをいっぱい見ているので
やっぱりそれはちょっと
慎重になるべきだ
っていう風で
カミングアウトを勧めたことは一回もないですね
お店をやっている私だって
言ったことがないのに
姉に行ったのも35歳の時で
姉にしかカミングアウトは
したことがないんですよね
すごく重いものですよね
そう
セクシャリティを打ち明けるっていうのは
やっぱり相当な
ことなんですよね
今ほどやっぱり理解が
広がっていない時代に
当事者の方にとって
安心できる場を作るって
大変なことだったんじゃないかな
っていう気をつけて
見えたことがある
私も最初そういう風に考えていたんですけど
その本にもいろいろ
その辺のことを書いてあるんですが
あの
なんていうんですかね
吉田工事っていう
繁華街があって
そこで
始めたんですけど
その
継葉であるってことで何か言われたりとか
嫌がらせを受けたことは一度もなくて
そこの街自体は
外国人の人が
お店をやったりとか
そういう
認識ができたことによって
偏認識に
街が移ったところもあって
吉田工事はやっぱりそうやっていろんな
一種混合化
っていう書き方をしたんですけど
実は本の中では
外国人であったりとか
ゲイバーであったりとか
そういった人を受け入れていく
っていう土台がすごくあって
その不動産屋も
酒屋もカラオケの業者も
みんな多分
何もこちらからは言ってないんだけど
18:01
そういうお店だってことはもう分かっていて
そうですね
っていうような
ことがあったんで
その商売ある上では
全然問題はなかったですね
お店も
当時から例えば
観光バーとか入れると40軒ぐらいは
あったんで
なんていうのかな
横の繋がりとか
付き合いは大変な部分は
ないわけじゃなかったんですけど
大きなにするっていうことの
ハードルの高さを考えると
そうやって自然と周りが寄り添ってくれている
すごく
寄り添っているって言われると
またちょっとこれは違うんですけど
なんて言ったらいいんですかね
別にその
その街で商売することに一軒一軒に
なんていうのかな
寄り添う
別にそれはなんか
一つ一つ
単独でこうやっていっているんだけど
偏見
嫌がらせとかそういうことは
ないっていうことなだけで
寄り添うっていうのは
またちょっと違う
そうですね
お店の中
ゲイバーのその
横の繋がりの中でお客さんを紹介し合ったり
とかそういった助け合いは
あるかもしれないんですけど
それ以外のところとそういった助け合いは
ないので別に
そう
ちょっとまた
そこが違いますね
今柳瀬商店街のアーケードの中に
入っていますけど
名古屋の頃に
結構その自治で
周りの仲間を亡くされたり
そういうこともあったっていう
伺ってるんですけど
何でしょう
その時の経験が
もちろん広島に移ってから
繋がったり
そうですね
広島に移って
その後大学院で
広島で大学院で
繋がれたりとか
やっぱその
その決断の経緯
その辺りちょっと振り返って
そうですね
まあ
私は
元々
学位がなかったんですが
そのちょっと
母の介護とか
いろいろあって
なんて言うんですかね
会社をやっていたんですね
芸場を何軒かと観光場と
美容室なんかも経営していて
それも全て営業上道して
いわゆる
ファイヤー状態に入ったんですね
21:03
不動産地位帯とかの
収入もあるしっていうところで
時間ができたので
勉強したい
そのために
じゃあまず最初に
外国人に日本語を教える
日本語教師養成講座に
まず行ったんですよ
学ぶってことは楽しいし
っていうことが思って
でもその日本語教師養成講座を
行っていて
だけどやっぱり
ちゃんとこう
がっつり
専任としてやるには学位が無いし
あとその
なんだっけ
国際交流基金が例えば
があってそれは日本語パートナーズ
って言って
アジアに日本語を売りに行くみたいなのが
クールジャパン政策の一つとして
あって
それにも応募して
たまたまその学校から
自分が割と2次とかまで
通ったんですけど
でもやっぱり行ける国
学位が無いから行ける国が少ないとか
いろいろそういうので行けなかったので
それが悔しいからと思って
発作的に
大学学部に行こうって
決めてそこからなんか若い
学生のことを勉強するって
いうのになって
なんだけど
そこの大学は
なんて言うんですかね
留学生だけで持ってるような
大学で
ちょっとレベルが低くてですね
学んでいたとしても
ちょっと不完全燃焼で終わって
もうちょっとやっぱり
勉強ちゃんと勉強したいなって思った時に
大学院行こうって決めたんですね
学部では
言語学で
論文会談ですけど
だけど
大学院には
言語学ちょっと
違うなっていうところで
やっぱり自分自身のこと
のことで
研究の課題にしようって
いうことで
芸は
と
のことについて
研究しようっていうことになって
それで
先生探しが始まって
それで
鹿口先生が
見てくださるっていうことになって
まあ
広島まで行くかってなったんですね
今ちょうどあの
柳瀬ブルースの歌姫がある
また記念撮影たいので
知ってる
ここここここ
ここの上
ここにねロッテリアがあって
ロッテリアありましたね
ここがさっき言ってた
マルシンっていう
24:00
ママがやってた
タオル屋さんで
そこの2階に
あの
花時計っていう喫茶店があって
そこで高校の時バイトしてて
ここで柳瀬で
その1
県議賞ってその頃
市内持ってる
厳しい高校で
市内持ってる先生が
そこの
生徒指導の先生に見つかってね
来たの客で
それから次の日から
私柳瀬って
あだ名だった
柳瀬
髪の毛坊主にさせられて
そう
ああもう
やめた
こないだはまだここ残ってたんだって
ここのね骨継ぎにママが行く時でね
いや年取ったと思って
なんかこう
懐かしい
そこの隣の銀
軽いけどさ
なんかねクラブとか
コストクラブとか
スナップとかがガーって
あっちかな西柳瀬かな
向こうがのみや貝なんだけど
向こうが風俗系の西柳瀬
そっちのことなのか
こっちもそうなってるのかもしれないけど
西柳瀬は日本一のシャッター貝
っていう
全国ネットのバラエティで
取り上げられて
池浦金津園がまだ全然
元気だった頃だから
そう
西柳瀬は
今ちょっとそういう広まり方をしてしまったので
奥谷流せって言いました
別の売り出し方を
探してるみたいなんですけどね
広島のお話の続きを伺って
捕らえ学院で
学んで
変わったことだったりとか
やっぱりですね
なんかその
なんていうのかな
捕らえ方が変わったっていう
自分の中での変化が
めちゃめちゃ変化が
25歳くらいからは
ゲイコミュニティの中で
生きてきたので
なんて言ったらいいのかな
そこのこと
しかない
一般社会のことが
全然抜け落ちていて
もう
ゲイの人っていうのは
男性として生まれて
男性としての
ジェンダーボーナスを得て
生きてきているので
性的指向さえ
言わなければ
別に
仕事にもありつけるし
収入も別に
っていうところなんだけど
それはもう
その
27:00
性的マイノリティの中でも
マジョリティの側の人間
なんですね
だからカミングアウトとか
そういった問題はあるんですけど
パートナーシップ的なこととか
なんだけど
その
他のセクシャリティの人は
実は全然そういうことはないし
っていう
レズビアの人はどうなのかとか
そういったことが
ようやく
しっかりと考える機会を
持てたっていうところですね
今例えばこういって
パレード
ギフのパレードの場合は
たまたまゲイの人もたくさんいるけど
他の
パレードだとやっぱり少ないんですね
それは別に
男性としての
さっきも言ったように
ボーナスを得て生きているから
困っていない
実際には
隠していさえすれば
そうそう
だって別に正社員にもなれるし
正規の仕事も得られるし
お金はあるし
遊ぶところもあるし
出会える場所もある
空間も
さっきも言ったような
ゲイシーンって言うんですけど
ゲイバー
性的な出会いの発展場
そして
クラウイベント
ゲイナイト
マッチングアプリも盛り上がっているし
その前
インターネットがないときは
掲示板があったし
その前は
雑誌もあったじゃないですか
ゲイ雑誌が何冊もあった
出会いとかそういうことには
割とツールがあって
でもそれ以外の人は
全然そういったものがない
ですよね
だから
またそういったことを
少し歴史的にも
学ぶし
海外はどうなんだっていうことも
学ぶし
他の例えば
教員の話も聞いて
大学の教員でも全然
こういうことの理解がないんだとか
知識がないんだってことも学んだりもしながらも
だからそういった
差別はしてないけど
でも結局
何も分かってないから
どうなのっていうような
こととか
いっぱいこうやって商売はしていても
私は本名で
活動したことはないし
初めて広島に来て
大学院も通いながら
講演もさせてもらえるようになって
大学院時代にですね
初めて本名を出す
インターネット上に
そうそうインターネット上に
講演の顔と名前が載ったら
同級生から連絡が来たりとか
すごいんだなインターネットの力だと思ったり
30:00
今もね
本名で
他のメディアに出られて
活動自体も
それもまだ広島だけなんで
広島の地元メディアで
そうですね
あら何ですかその
自分のふるさとのメディアに出られるっていうのは
初めてなんですね
だから結構緊張してるっていうか
今日もさっき井の子さんとお茶しながら
どうやってしゃべるのか
ブルーだわとか思いながら
実は明日中日の
取材も入れてもらってるんですけど
中日の場は
女子大工事メインに
してもらうっていうか
こっちはやっぱり
自分がクローゼットの時の
若い時の
子供のから若い時の時代を話すってなると
なかなか
自分のことをなかなか
話すの苦手だしなとか思いながら
苦手な方からしても
ここを聞いてしまって
いいのかみたいな葛藤って結構あるんですよね
全然全然
聞いてもらっていいんですけど
結構なんかこう
割と
どう言ったらいいのかな
二人は何でも知ってるからなんですけど
どっちかって父親が
仕事をしない
DVの父親で
そっちの方が
自分の中で大きな悩みだったから
その
もちろん
セクシャリティだけのことに
悩めるんだったら
よかったんですけど
別にその
父親が例えば
今日は穏やかで
仕事にさえ行ってくれれば
自分のことぐらい
受け入れるっていうか
そういう感じでいたんで
だから
ずっとセクシャリティですごい悩んでたっていう話を聞くと
それだけ悩めて幸せだなって
思いがあるんですよ
だからその
蓋をしてしまっているところを
うまく話せるかな
ってすごい言っていて
そうなんですね
そう
そう
本当に
そういうことが
やっぱ多面的じゃないですか
いろんな面があって
本当そうなんですよ
その一面だけを悩みとしているわけでも
いなくて
それだけで悩んで生きているんだったら
いいんだけど
ニナリカって二人の共同代表でやってるんですけど
二人で公演に行かせてもらう場合は
もう一人の
広島出身の
ゆうすけくんが
ライブ一人を話して
私は生の多様性の基礎の
擬音語の方を説明する係なんですよね
それと別れているから
あれなんですけど
そうそうそう
どっかで
冷たいものでも飲みながら
喋るといいけど
前行ったさ
かき氷屋ってもう潰れてた?
さっき通ってきた?
あそこでかき氷食べる?
まだないよね
そうしないとお店がない
33:03
じゃあ戻って
かき氷食べながら
外でかき氷食べるんだけど
そんでいい?
座ろう?
なかったの前も
カズとこの辺歩いたんだけど
ないよね
ここ金鉄だって
金鉄百貨店だったよ
ここら辺に
東映の
映画館があって
ねえねえ
ここまっすぐ行く?
どこに行く?
栗きんとんを買いたいんでしょ
栗きんとんは
弁天堂行ってみますか
栗小餅が
有名ですね
やってる?
並んでないけど
やってないかな
やってる
並んでない時は
栗小餅が売り切れちゃった
栗小餅って何?
栗の粉が
お餅にかぶしてある
ってやつですね
でも買ってない
売り切れてるのかな
お店は
やってるみたいですよ
その商品がないんですかね
その商品がないかもしれない
弁天堂産物
これに並んだもん
そうなんだ
あるんじゃない?聞いてみよう
じゃあ自分4個買おうかな
でもこれいつまで?日にち
栗小餅が無くて当日
あ、ありますね
あれっぽいですよ
今日買ったの?
食っちゃった
4つ?
ごめんね
自分で買おうかな
ありがとうございます
栗小餅はもう無くなった
あとで
あるんじゃない?
4個
4個
4個食べなさいよ
本当にダイエットに
急いでる
ただ餅が固くない
やめとくわ
本当に今頑張ってるから
4つ食わないか
じゃあ1個残してあげたら
よかったね
ごめんなさい
欲にがられるタイプなので
懐かしい
本当に先週って感じだ
この辺に水戸あったんですよ
水戸が
こんな大きい建物ができる前に
水戸って
新地府の方のイメージが
あそこはもっと早かった
メルサ
名鉄メルサだったんだけど
そんな長くないんですよね
もうずっと空きビルになっちゃって
もう今日はね
いやー本当に
どうです?
ぐらっとしてみて
この柳瀬の街というか
36:00
泣けてくるね
まだ今日人がいたからまで
良かった
毎日毎日通ってたし
バイトもしょっちゅうしてたから
平日も必ず
懐かしいけど
仕方ないのかもしれない
イオンとかで
全部
なくなっていくって感じですかね
昭和62年生まれて
ちょっと多分世代が
違うと思うんですけど
なんかもうね
柳瀬で遊ぶっていう
感覚はあんまりなかった
名古屋に出てしまったり
そうなんですか
駅前のカラオケで遊ぶかな
ぐらい
柳瀬とか
柳瀬はでもあんまり行ってなかったかな
やっぱり駅前でちょっとカラオケ
入るぐらいの感じだったんですね
生まれ育ちも
川南じゃないので川北も
あんまりやっぱね
ピンとこないんですよ柳瀬って
賑わってる時も知らないし
寂れてからもそんなにめちゃめちゃイメージが濃い
そうなんですね
62年生まれってことは
今何歳ですか
今3時10ですね
それでも90
ギリショーは生まれって
そうですね
ちょうど変わる時
ちょうどそのあたり高校卒業だから
62年
そうですね
なるほどね
でもギリショーもなんか
晩からの色が濃いわけですね
なんていうかその頃っていうとまだ
まだ全然大罰がもう
全然許されてた頃で
春の高校バレーで
県議賞の
ダンスの監督が
パーマかけてて
びっくりして
県議賞も変わった
パンチパーマの方
おしゃれパーマだったの
県議賞の監督がだよと思って
変わったなと思って
昔だったらそういうの許されない
チャラかったもん
ほらみんなここで食べてるの
かき氷
なぜか
かき氷食べてる
お疲れ様です
自分でかけるレインボーですよね
私も食べよ
自分でかける
だってあと30分
かき氷ください
はい
また歩き戻りながら
社会もどんどん変わって
パートナーシップ制度が
できたり広がったり
そうですね
配慮は感じられる部分
どうですか
当事者の方が
行きやすくなるように
39:01
向かっている部分も
なくはないのかなとは
どうですか
でもまあ
今年例えば
最高裁が
各地で
行われてた
同性婚裁判の
最後の最高裁で
大法庭で
判断があって
今年って言われてたんですけど
どうやら今9月だから
多分もう間に合わない
来年かもわからないんですけど
さあどういう風ですかね
時の政権にどう
気を使うっていうのは
当然あると思うので
パートナーシップだけでは
結局何も別に
何もってことはないかもしれないですけど
若い例えばパートナーが
パートナーシップ宣誓制度を
出して
生かされるといったら
やっぱりなんか支援住宅
に住めるとか
もしもまあどちらかに
お子さんがいて
で
なんていうのかな
その幼稚園の送り迎えとかに
役に立つかもしれないし
まあっていうのは
あるかもしれないけど
でも結局普通に
法律婚とは全然
違うわけで
そこをしない
っていうのが
どうなんですかね
どうしても出てしまうのかな
なんでそっちになるのかな
っていうところで
法制度自体が変わらない
以上は
制度ができたとしても
根っこの部分が変わってない
それによって
当事者の方が苦しんで
出てしまう部分が変わらないまんま
なんじゃないかな
本当ですね
夫婦別姓とかも
そうですけど
一体何を守りたいのかなって思う
そう
そんななんかこう
明治の時に生まれた
明治の制度かなんか
わからないけどっていうところで
その時代から変わってきているものに
合わせて即して
入ればいいのか
思いますけどね
なかなかそういう方向に進まない
そうですかね
久しぶりにリフ来られて
改めて街を歩いて感じたこともあるかもしれないんですけど
今後の社会どれにしていってほしい
だったりそういった願い
少しご自身の言葉で
語っていただけるといいのかな
42:00
今後の社会
地域社会
なかなか地域コミュニティってどうしても
かつてに比べるとやっぱりつながり
元々の息苦しさの世話になっていたような
つながりってのは薄れてきているとは
思うんですけど
それはそれとしてまた別の課題があるとは
思うんですが
地域社会に理解がまだ
広がりきっていないという課題も
あると思うんですが
今こう感じていて
ここがもっとこうなっていけばいいのにな
というところですかね
そうですね
私も
広島市で
つながり座という交流会と
もう一つおりおうて広島
という
交流会を2つやっているんですね
1ヶ月ごとに
つながり座というのは
どの世代の人も来ていい
という
交流会なんですけど
もう一つおりおうてのほうは
セクシャルマイノリティの
LGBTQプラスシニアサポート
といって
40歳以上の
ものを
やっていて
それは
なかなか
若い子の輪に入りにくい人とか
という
気にする人もいるので
やっぱりそのシニアのほうの
ものをやっていたりとかするんですけど
そうですね
というのをやっていたり
本の中で
最後に高齢期の
ピアサポートということを
書いているんですけど
その場合は
ゲイは
ゲイの人だけのことになってしまうんですけど
ゲイバーってどこの県にも
一つは絶対にあるので
そういったところって
ゲイの人って
若い時に
出会いのために
自分の身体を
持てる
短髪とか髭とか
持てる身体に
作り上げたりとか
ルッキズムとか
エイジズムとか
そういう
矢をなく
受け入れているし
他者にも突きつけてきて
そういう
出会いをしてきているんだけども
でも
若い時にすごく
モテた人
ゲイカーストの中では
一番上だったような人とかでも
やっぱり年を取っていって
ということを分析しているんですけど
ゲイバーとかも
若せんって言って
若い人同士で
出会う場所
お店とか若せんバー
若せんバーとかをやっている
お店の
マスターとかも
お客さんは若いままなんだけど
自身は
45:00
例えば40代とか年を取ってくると
どうしても
そこの世代差が
生まれてきたりとかして
早く40代でお店を
閉めるところもあったりとか
そうじゃなくて
何歳になっても
行ける場所であったら
閉める必要もないし
また
例えば深夜になったら
夜のお店じゃなくて
昼間に開けるお店にして
何曜日に
誰々と誰々が来るように
サイクルにしていって
例えば
その日
来るべき人が来てなかったら
その人の家に
見守りサポートをしてくれる
会社とかが入っていて
その人を見に行ったりとかする
というような
ソーシャルサポートの場所にする
というような提案として
書いてたりとかするんだけど
なぜそんなことをするかというと
やっぱり
今例えば
社会保障というか
各地にあるような
老人を
サポートするようなところは
あるかもしれないけど
そういうところのサポートを受ければ
いいかもしれないけど
それをまたそこで
自分のセクシャリティのことについて
隠したり嘘をついて
シニアになっても
老年期になったとしても
それを私たちは
強いられるわけじゃないですか
だからそうじゃなくて
そういうことを全部分かった上での
サポートというのはやっぱり一番受けたいことだし
だけど今まだ
同性婚もない世の中だと
それはかなわない
ということだから
そのコミュニティの中で
なんとかしていくしか今のところないんじゃないか
というようなことでやってるんですね
だから
なんだろうな
別に
今どこの国でも
受け入れ家が進んでいて
他の国の外国人を
排斥するような
流れにあるんですけど
そうじゃなくて別に
どんな見た目でも
どんなセクシャリティでも
どこの国でも皮膚の色がどうでも
みんなが別にそれに
特に関心を持たずに
生きて
住んでいる地域で
サポートしながらサポートされる
そんなに
遠慮しなくても生きていけるような
土地になるのが
一番土地っていうか
場所になるのが一番なのかもしれないですけど
だけど具体的に
48:00
どうすればいいのかって言われると
とても難しいんですけど
それが一番理想ですよね
そうなんですよね
いろいろと障壁が
あるようなんですけど
なんでそもそもその壁があるのかな
っていうのが
もっとそれぞれの選択肢が
あっていいはずなのに
ここはオッケーなんだけど
ここはちょっと黙っとかないと
後々苦しいことになっちゃうよ
みたいな風に
社会が設計された状態が
ずっと続いてしまっているのが
どうなんだろうなっていうのは
私も思いますね
この性的指向
政治についても
なかなか
誰にも話せずにいる人って
実際にはまだ
かなりの数になっているんじゃないか
と思うんですよ
だいぶカミングアウトしやすく
なってきたっていう
実情はあるのかもしれないですけど
ただまだ
言えずに困っている方
または
自分が今どういう状態なのか
わからずに
とりあえず今悩んでしまっている
いろんな状態の方がいらっしゃると思うんですけど
今回の配信を通じて
今困っている方
悩んでいる方に向けて
語りかける言葉
そうですね
自分も
幼い時から
小学校時代にもしかして
自分は
同性が好きなんじゃないか
っていうのに
気づき始めて
でも人には誰にも
相談できず
ある時
本屋さんで芸雑誌を見つけて
他にも
自分一人ではなくて
たくさん
同じセクシャリティーな人がいるんだ
っていうのが気づいたことで
少し
なんていうのかな
世界が広がってきた
その後
自分でお金を稼げるようになって
ゲイバーとかにも
行けるようになった
っていうところで
今の場合だと
インターネットとか
情報はたくさんあると思いますので
それが正しい情報か
そうでないか
見極めながら
出会いとかも
マーチングアプリとか
たくさんあると思うんですけど
その中でも
いろんな人がいる中で
この人は
どういう人なのか
良い人なのか良い人でない人もいるかもしれないので
見極めながら
なるべく外に出て
51:01
コミュニケーションを取ってもらうことが
大事だと思うんですね
自分だけで悩まずに
同じセクシャリティーな人に
恋愛だけじゃなくて
そういった話し合いとか
友達とかを作っていく
ということを
あまり諦めずにやってもらいたいな
という風に思うし
それは今の時代
地方都市であっても
少し出ていけば
もしかして同年代の
人なら話せるということなら
そういった友達も見つかるかな
と思うので
諦めないで
コミュニケーションを
求めてもらいたいなと
思います
確かにそうなんですよね
コミュニケーションを
諦めなくてすぐに
社会というのが一番
理想的なんじゃないかなという
一人になってしまうと
もうずっと袋を閉じずに
ぐるぐると
出口のない迷路を
さまよい続けるような
ことになるのはやっぱり辛いですしね
いろんなコミュニティがあるとは思うんですけど
まずその
当事者団体のところに出かけてみるとか
そういうことっていうのは
どうですか
そうですね
岐阜でも
先ほどパレードも一緒に歩いた方の
団体もありますので
節はさんのパスポート
だったかな
そうですね
パスポートもありますし
岐阜はまた名古屋とも近い
名古屋まで行けばまたたくさんあるので
その中別に対面の
対面でいきなり行くのは
怖ければ
Zoomでもある
交流会から
始めてもらうのもいいかなと思いますね
今だと電話相談とかも
いっぱいあるので
LGBTQプラス
それが地元じゃなくても
別に他の
東京でも大阪でも
名古屋でもあるところに
電話してもらって
まず
いろいろ聞いてもらって
つないでもらうのも
いいかもしれないし
モヤモヤしてるときに話を聞いてもらうだけで
だいぶ楽になるかなと思います
そっちが大きいでしょうね
まず吐き出すっていうのが
結構
自分の中で溜め込んじゃってた
だなってことに
自覚的になることが
スタートラインを切る一つ
なのかなとは思うんですよね
自分では結構わからなかったりするので
実はすごい抱え込んで
しまってたんだなって
誰かに吐き出すことで気がつく
そういうところもあるんじゃないかな
とか思ったりするので
今日はちょっと
岐阜駅を出発して
柳瀬商店街まで歩いてきて
今柳瀬ブルースの歌詞
地面に埋まっている
三河剣一さんの
3つ曲の歌詞があるんですけど
54:00
そこまで歩いてきて
歩きながらお話を伺ってきました
ということで
また北西さんぜひ来てください
わかりました
よろしくお願いします
今度は私もかき氷食べながら
ゆっくりお話伺えたら嬉しいです
ということで北西さんありがとうございました
ありがとうございました
ここまでのお相手は
地震分射砲道具の岩田俊介でした
それではまた