1. 岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ▲
  2. #189【ゲスト回】生き残るため..
#189【ゲスト回】生き残るために、どうすれば▼濃尾地震から135年。岐阜県地震防災の日に話し合いたい地域のこと▲
2026-10-25 43:11

#189【ゲスト回】生き残るために、どうすれば▼濃尾地震から135年。岐阜県地震防災の日に話し合いたい地域のこと▲

10月28日は岐阜県地震防災の日。濃尾地震の発生した日にちなんで設定されていますが、今年は発災から135年の節目でもあります。災害に抗うために何から始めるといいか、識者と語り合います。

【ゲスト】小山真紀(CoIU教授)

【聞き手】山田俊介(岐阜新聞社報道部)

★みなさんの備え、地域のこと、ぜひぜひメッセージフォームへどうぞ!(→⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeToaghzx1YR_2IYtxmJbt9Fofj5tsKLvYuLp4zFiC9VgQzTA/viewform?usp=sf_link⁠⁠⁠⁠⁠)

★公式X(→⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/Gifunp_kkkg⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

【関連リンク】◆Co-Innovation University (→https://coiu.ac.jp/)

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
いいですね。ちょっとこれ本当に今日からマネしてくれるというか。
岐阜新聞の社員が、紙面には載らない岐阜のこと、岐阜じゃないことを骨混じりに語り合うポッドキャスト、ききかぢ、報道部、山田俊介です。
ゲスト回です。岐阜県日田市にあります、高IU、高イノベーション大学競争学部長寿の小山真樹さんです。小山さん、よろしくお願いいたします。よろしくお願いします。
小山様、地域防災ですとか災害時の人間行動、被災後の生活再建ですとかを研究されています。
今日聞きかじっていただきますのは、生き残るためにどうすれば地震防災の日に考えるということで進めていきたいと思いますが、
10月28日がちょうどあの岐阜県地震防災の日なんですよね。
1891年に農備地震が起きた日ということで、この日が地震防災の日ということになっているんですけど、
今年でちょうど農備地震から135年という節目でもありますということで、改めて防災についてこの番組を通しても考えていこうというのが今回のテーマなんですが、
なかなかこれだけいろんなところで大きな地震が起きているという中で、危ない、気をつけなきゃ、何とかしなきゃ、何か対策しなきゃという意識はそれぞれに根付いてきているとは思うんですけど、
じゃあどうすればというところのなかなか答えが見つからないというのが現状でもあるのかなと思うんですけど。
特に地震災害については日本全体で見ると毎年のように大きな地震が発生しているんですけれども、
自分がすべての人が年に1回経験しているかというとそういうわけではなくて、
そうすると、日々の生活であったりとか、子育てしていたらお子さんのことだったり、介護していたら介護される方のことだったりとか、
そういうことをお仕事している人だったらお仕事のこととかでそっちを優先してしまうというのは当然だと思うんですね。
そうするとわざわざこれをやるというところになかなかこの行動につなげるというのが難しいというところはある。
これは人間の特性としてそういうことはあるかなというふうに思います。
平時のことでいろいろ手一杯になっていて忙しい忙しいとなっている中で、
その有事のことを考えるというのは結構億劫になってしまうみたいなところがあるわけですかね。
そうですね。特にですね、これがですね、たまには旅行に行こうかとかですね、誰それのコンサートに行こうとかっていう滅多にないというか、
たまにのことでも楽しいことというか自分がやりたいと思っていることだと人は動けるんですけど、
うわーめっちゃやりたいと思うことでないとなかなか腰が重くなっちゃうっていうのがあるかなと思います。
03:00
結構防災のために日頃からの地域の繋がりをどう作っていくかという中で、
いろんな地域活動をやってみる取り組んでみる団体さん自治会さんとかねあると思うんですけど、
だからその一つ一つが住民にとっては結構面倒なことだったりするじゃないですか、
っていうところもあって、いわゆる愛を死活に向かうっていうところと比べるとちょっと億劫になる気持ちは確かにわかるなぁとは思いますよね。
防備審議から135年経つということで、まもなく135年が経つということで、
135年も前なのでもう人も社会も街も制度もそっくり変わっているわけですけど、
この節目に当時の被害状況ですとか過去にどんなことが地域であったのかっていう知るきっかけの節目の一つにはなるかなとは思うんですけど、
それと合わせて今教訓として伝えないといけないなというふうに思ってみえることとかありますかね。
それで言うとまさにですね、むしろ振り返ってもらいたいというか、地域の歴史なので、
災害対策っていう目線だけじゃなくて、私たちの街でこんなことが起きてきて、そこから人はこういうふうになってきたんだっていう人のなりわいとか生活とか文化とか、
そういう目線で振り返ってもらうといいかなと思ってるんですね。
例えば野火地震の場合だと岐阜市に震災記念堂っていう記念のお堂があったりとか、
あと実は当時の小学校には小学校ごとに記録紙が作られてたりとかするんですよ。
ところが残念ながらもう135年ということで、
灯灰号とかもあるじゃないですか、その関係でもう失われてしまっているものもあるようなんですけど、残っているものもあるんですね。
でもこれは人が覚え続けてないとそうやってなくなってしまうので、
対策対策っていうだけじゃなくて、やっぱりそういう歴史的なところも含めて思い出す日、
そういうのをちゃんとメンテナンスしていくというか、
そういうのがあったよねってみんなで見ていく日っていう風になっていくっていうのはとっても大事かなと思います。
それが土台になっていくっていうことですよね。
その対策をする上でかつて地域に何があったのかっていうことを知っていくことが今の対策にもつながる部分が。
そうなんですよ。当時の人がそれに対してどういう風に向き合ってきたのかとか、
学校でその先生方がどうしていったのかとか、
そうやって今の先生方にとってもすごい参考になると思いますし、
とっても大事かなと思います。
06:00
そういった歴史を知ることっていうこともありますし、
あとはそうして知ったことを通じて、今じゃあ何を気をつけないといけないかなっていうことを思い浮かべたときに、
いろいろやらなきゃいけないことが出てくるとは思うんですけれど、
そういった備えっていうのが結構地域ごとに違ったりするのかなというところもあるのかなと思いまして、
というのも岐阜県って広いじゃないですか。
この街の方っていうのもあれば中山間地域もあり山間部もありっていう中で、
この備えっていうのもそれぞれちょっと変わってくる部分ってありますかね。
そうですね。やっぱり中山間地域はコミュニティがまだ強く残っているっていうところの一方で、
都市部だとなかなかご近所付き合いがなくなっているっていうようなところもあったりしますよね。
そうすると近所の助け合いみたいなところっていうのは、なかなか今都市部だとあえて考えないとやりにくいっていう部分が出てきたりっていうのがあるのかなと思います。
そうするとやっぱりおのずと備えとして考えないといけないところっていうのも変わってくるのかなっていうのもありますし、
今例えば岐阜市だと市内にタワーマンみたいなのも建っているじゃないですか。
電気が止まると水もポンプ止まりますので上がらない。
しかも換気とかも止まっちゃうので。
しかも歩いて何十回もお水持って上がるのかっていうと。
ちょっと技術じゃないですもんね。
そうするとあの人たちが全部降りてくるっていう、電気止まってる間は被災生活したて生活をするみたいなことになるようになりますよね。
じゃあその人たちはどこに入るんですかとかですね。
これは山間地だとだいぶ違いますよね、状況が。
そうですね。山間地にはない町のほうならではの課題っていうところですよね。
本当に町の様子もこの何十年から変わってきましたもんね。
そうですね。
特にタワーマンがどんどんできてるっていうのは大きな変化ですよね。
こうして135年前もそうですけど近年も大災害、地震が頻発している中で、
その地震の恐ろしさってものは身に染みてっていうところもあるでしょうし、
いろんな報道を通じてだったりだとか、いろんな被災された方の言葉であったりだとか、
いろんな形で知ってはいるとは思うんですけど、
ただそれが普段の行動に結びついているかというとまた別の話になっているというところで、
この何か対策しなきゃなと思ってはいても、
先延ばし先延ばしにしてしまうところがあるのかなと思ったんですけど、
これってどうですかね、ちょっとその個人の意識だけの問題なのかなっていうところが
考えたいところではあるのかなと思ったんですけど。
これはですね、個人の意識でできる人はやれるんですけど、
09:05
意識でできる人、全員が意識でできるかって言ったらそういうわけじゃないんですよね。
例えば子どもさんでね、宿題だってきちきち夏休みの宿題を毎日コツコツとか早めに終わらせるみたいなことができる子もいれば、
結局出せない子もいれば。
めちゃくちゃわかります。
そうですよね、進め方それぞれですもんね。
とかもう最終日に泣きながらやるとか。
そうですね、全部溜め込んじゃってるみたいなね、ありますよね。
人間ってそういうものなので、やれって言ったらみんなができてしかるべきだっていうのはなかなかやっぱり、
しかも罰則があるわけでもないですし、やっぱりペナルティーがあるとか、
インセンティブがあるとかってやるときとは動きやすいですけど、
自分の意識だけの話でやるっていうのは非常に難しいんですよね。
それだけでやるには。
だからそれだけでは限界があるので、
それ以外のやり方ってことをちょっと考えていかないと対策の実施率を、
今だいぶ言わずにというか、やりましょうって言ってできる人はやってきてる部分があると思うんですよ。
そうするとその段階でも頭打ちになってしまって、
それ以上やっぱり効果をドーンと上げようと思うと、
やっぱりそれではそれ以外のやり方っていうのを入れていかないと難しいのかなというふうに思います。
あの取材にあたってですね、
COIUのノートありますよね。
書かれたノートとか配読したんですけど、
その中で防災とはいえ、
有事の時のことだけを考えるんではなくて、
平時の社会のあり方が大事なんだよってことが書かれていてですね、
そういう視点で考えるとですね、
平時にちょっとやっぱりいろいろやらなきゃいけないこと、
現代社会いろんな忙しさがあるでしょうから、
なかなかその有事の対策っていうところに目を向けにくかったり、
手を伸ばしにくかったりするっていうところがあると思うんですけど、
先ほどの話でその備えましょうって呼びかける以外に、
どんな仕組みがあるといいでしょう?
例えばですけど、
高齢者の独居の方とかって、
当然家って持ち家の場合は建てて、
そこからずっと住んでだんだん老朽化していくっていうことなので、
割と高齢者が古いお宅に住んでいる、
弱いお宅に住んでいるというケースが多くなるじゃないですか。
その時に今福祉の方の話で、
見守り活動だったりとか、ちょっとおしゃべりしましょうだったりとか、
そういう文脈の話がありますよね。
その時にお話しするだけじゃなくて、
例えば家具固定ボランティアも一緒にやりましょうみたいな話で、
おしゃべりしながら家の点検とかですね。
そういうのをやると楽しみじゃないですか。
おしゃべりが好きな人であれば。
そうですね。月頃からのサロンとかでつながっていて、
12:02
そのつながりの延長線上でっていうことですね。
災害対策だけとか、福祉だけとかではなくて、
結局同じ場でそういうのを抱き合わせでやっていくことで、
関係性も広がるし、協力していくことっていうのも、
いろいろそこでのお話の中でまたさらに広がったりっていうことはあると思うんですよね。
確かに。やっぱりその日常の延長線上にないと、
なかなか取り組みにくいっていうのもあるでしょうし、
ちょっと防災っていうものを特別として、
ある意味してしまっているようなところもあるのかなと思うんですよね。
なので日常の暮らしの中に組み込んでいくということが必要になるっていうことですね。
そうです。
例えば10月28日なので防災の日になぞらえて、
毎月28日を点検日にしたりだとかっていうところを点検日とするんですけど、
それはあくまでも日頃のつながりの中で枝葉を伸ばしていく中に防災の取り組みもあるというようなイメージですかね。
そうですね。
だから防災の話だけにしないというか、必ず何かとセットになるっていう。
ああ、そうですね。
だから詐欺対策は詐欺対策とか、福祉は福祉とか、
お金の話はお金の話とかってバラバラ、それぞれ縦割りでやるけど、
でもそれだったらそこで抱き合わせてやっていけば回数も減るしっていうと変な話ですけど、
それでまた防災に興味がなくても詐欺対策をどうしようと思っている人がいたら、
それで合わせてこれを入れるとこっちもできるよとかですね。
そういうことも機会が増える。
接触機会を増やすというか、何かしらのきっかけを増やしていくっていうのがやっぱりこれからは大事かなって。
確かにそうですね。
私も取材でいろんな防災の地域の取り組みだったりとか、詐欺対策だったりとか、
いろんなところに顔を出させていただくことがあるんですけど、
全部やっぱり地域社会を考えてのことだよなって思うと、
一まとまりの中でいろんなことをやってみるっていうのがいろんな対策につながって、
それが一つ防災にもつながるっていうことなのかなと思っているので、
そうやって延長線上で広げていけるといいですよね。
何を組み合わせていけるかっていうのは、その地域でどんなことをやっているかとか、
そこの例えば行政で次にどんな取り組みをやろうとしているかだったりとかそういうのに関わってくると思うので、
それぞれの地域だったりとか団体だったりとかっていうところで、
15:00
一緒に考えていければいいのかなと思うんですよね。
バラエティはいっぱいあると思います。
今日これやってみようかな、こないだこれやったから今度はこれやってみようかなっていうふうにつながっていくっていうことですね。
今度は何とかの集まりやるんだったら、そこでちょっと時間ちょうだいよとかですね。
カットインしてこういうこともやってみるっていうのはね。
あとはちょっとこれがなかなか難しいなと思うのが、
今結構そういう地域のつながりっていうものが弱まってきてしまっているみたいなことが言われますよね。
そのコミュニティだとか災害時の人の行動っていうところが研究対象になっている中で、
その顔の見える関係っていうのをどう作っていくといいのかなっていう。
先ほどの話で言うと、すでにある集まりの中で枝穂を伸ばしていくっていうところだと思うんですけど、
なかなかそこにたどり着いていない人だったりだとか、結構つながっていない人っていうのも現状いらっしゃるなと思うんですけど、
どうなんでしょう、そこも含めて地域の力を強くしていくためにはどうしていったらいいと思われますか。
ベタなんですけど、やっぱり挨拶とか。
それ思います、そうですよね。結構そこからですよね。
私今アパートというかマンションというかに住んでるんですけど、
引っ越してきた時に最初に挨拶して回っておくと、どんな人がその建物の中に住んでいるのかが分かるので、
挨拶しやすくなるというか、そうすると何かあった時でもつながり合えるかもしれないっていう可能性を保持した上ですごくするかなっていうのがあったりして、
今なかなかそれももしかしたらないのかもしれないなと思ったりしますね。
特にですね、ここは新しく開学したんですけど、学生の多くは下宿なんですね。
都会から来ている学生さんとかもいるんですけど、地元だと鎮近所の人に挨拶なんかしたことがないっていう方が、
こっちに来たら地域の人は普通にみんな挨拶するので、
そうですよね、すれ違いさんめっちゃされますよね。
それでも今では挨拶するの普通になりましたみたいな。
そうですよね、結局習慣化されればするようになるんでしょうし、
なかなかそのきっかけっていうのが年分ほど少ないのかなっていうところはありますよね。
そこをあえてこんにちはとかおはようございますとかっていうのを自分でやるようにしていくっていうのが一つあるのかなって思いますね。
でも人間ってやってないことをやるのって結構勇気がいるって言ったり、
踏んじりをつけないとみたいなところがありますよね。
喉元まで出るけど出てこないみたいなのがあると思うんですけど、
18:05
私昔バスとかで譲ったりするじゃないですか、
気恥ずかしくてなかなかどうぞって言えなかった頃はあって、
その時にでも人がやってるのを見て、友達とかがやってるのを見てやっぱりいいなと思ったんですね。
それを自分もやりたいと思ったけどやっぱり最初それでできなかった。
自分でこれは何をやってるわけでもないんだけど、これは罰ゲームだと自分に言い聞かせて、
こういう時にはこれをやらなければいけないと自分に貸して。
一人罰ゲームみたいな。
知りる理由を自分でうまく構築するみたいなことですね。
良いことをしようと思うとそれに対してしゃに構えた自分みたいなのは言いにくいけど、
これはこういう理でやらなきゃいけないんだってなれば自分の中でいいわけ。
私は良いことをしようとしてやってるとかじゃなくて、これはやることになっているのでみたいな。
一瞬恥ずかしくなって踏みとどまっちゃうことってありますよね。
それを乗り越えるための何か自分の中での負荷みたいな。
理由が。
一人罰ゲームって良いですね。ちょっと実践したくなるキャッチコピーというか。
何回もやってるとだんだんそれが自分の中に入ってくるので、
全然打ってならずにできるようになっていくので。
もうそれ普通ですみたいな感じでだんだんなっていくわけですね。
良いですね。ちょっとこれ本当に今日から真似してくれるというか。
でも本当このいろんな方が今地域社会の中っていらっしゃるじゃないですか。
先ほどの東京の高齢者の方であったりだとか、障害のある方であったりとか、
外国籍の方だったりとか、子育て中の小さいお子さんのいる方だったりとか、
本当それぞれ事情が様々だなっていうのは思うんですけど、
一方で誰一人取り残さない社会を作るということも言われていて、
それを防災という中で地域で進めていくとき、最初の一歩になるのがまず挨拶ということですかね。
そうですね。やっぱりお互いが知り合いというかですね、
メンバーシップというか所属意識みたいなのが、この人たちはみんな仲間だという意識があると、
そこはやっぱり助け合いが生まれたりとか、その中であんまり悪いことが起きにくくなるというか、
そういうのはあると思うんですよね。そういうのを作っていくというのが大事で、
その最初が挨拶かなと。さっきも言ったみたいに、やりたくないことをやろうというのってなかなか難しいじゃないですか。
21:02
本当にだから義務としてもこれはやらないといけない、こういう例えば法律で決まっているとか、
そういうことだったらあれですけど、そうじゃなくて自主的なところでこれをみんなに共生するみたいなのっていうのは難しいですけど、
今コミュニティ活動がそういう状況になっちゃっているので、そうするとやっぱり難しくなっちゃうんですよね。
どうしていくのかといったら、やっぱり一つはやりたくなることと合わせていくということで、
特に災害対策というか、事前のじゃなくて事後の災害対応の話って大規模イベントとだいぶ近いんですよね、オペレーションが。
だから例えば運動会とかそういう地域のイベントをみんなで作るっていうのは、それで顔の見える関係できるし、
企画の何とかで楽しく何とかをするための集まりだったらやりやすいじゃないですか。
ご飯どこから調達してとか、誰呼んでどんな企画やってとか、そういうのをやっていく中で関係性ができていくっていうのは一つあると思うんですよね。
あとそこのやり方として難しいのが、昔はコミュニティっていうのはこの日にこれをやらねばとかって本当にわりとねばならない形式になったんですけど、
今やっぱり働き方も多様なので、得意な人が得意なことをできるようなちょっと柔軟性のある形での実行委員会というか、そういうのができるといいんですけどね。
確かにそういったイベント自体は結構地域地域にまだギリギリ残ってたりだとか、ちょっとそれも後継者不足とかっていう風で難しくなっている地域もある中で、
例えば市民運動会って地域ごとに岐阜市とかだとやってたりとかしますし、そこにちょっとそういう防災的な要素を織り込んでいく、
競技の中にそういうものを一つ入れてみたりっていうことも確かに主眼ですよね。
地域地域で残ってきているものを繋いできた取り組み自体は、その地域が誇れるものだなとも思うんですけど、
一方で中にはこれ何のためにやってるんだろうっていう疑問を感じながら参加している住民の方も結構いらっしゃるんじゃないかなっていうことを思ったりすることは、
取材を通じて思ったりするんですけど、そこにこれはこうだからやる必要があるんだよっていう、こういう意味合いが生まれてきて将来その辺に繋がるんだよっていうようなところを、
対話を通じて染み渡らせていくっていうことが一つ必要なんじゃないかなっていうのは結構思ったりしますね。
なのでそういった取り組みの中に織り込んでいくっていうことも一つなんでしょうけど、
あとは結構これもよく言われるのが担い手不足ですよね。
地域の活動を維持していくためにその担い手が減ってきてしまっている地域、
24:02
どうしてもその一人当たりの負荷っていうのが増えてしまっているっていうところもあるのかなっていう中で、
ちょっとしんどくならないというんですかね。
被弊してしまうじゃなくて、前向きに参加していけるような防災活動にしていくためにはどんな仕組みというのが構えられますかね。
そうですね、そもそも何をやらないといけないけど何を残すことと残せないことっていうところもあると思いますし、
あと最近よく言われるのは関係人口というもので、地域の中にずっと居住し続ける常にいる人だけではなくて、
私も今あの日だと岐阜で二拠点なんですけど、二拠点居住みたいな形で、ひょっとしたらいるときに起きるかもしれないしないときに起きるかもしれないそういう人がいたりとか、
あと学生さんは2年生から全国の連携拠点にまた散らばってボンディングシップという長期のインターンシップをしていくわけなんですけれども、
でも彼らも日だしに対して愛着が湧くじゃないですか、1年間いるっていうことは。
本当にこの日だしの真ん中にありますもんね、市役所の近くにあってっていう風で。
そうすると例えば二拠点とかで行き来はそんなにはしないかもしれないけど、例えば古川祭りの時には来るかもしれないし、
それがやっぱり何かしら災害が起きたってなると、全員じゃないかもしれませんけど、やっぱり何か日だしに協力したいって思う人たちがいる状態っていうのがやっぱりできていくっていうのはあると思うんですよ。
そういう形で常にいる人だけでないとできないことっていうのも当然あるんだけれども、
そういう助けてくれる外との関係性とかそういうのを作っていくっていうのも一つはあると思うんですよね。
そうですね、なのでその昔から住んでる人だけで解決しようとしていくんじゃなくて、
そこに交わる人の力をいろいろと取り込みながら混ざり合いながら進めていくっていうことが大事になってくるっていうことですね。
そうですね、割とこれもちょっと卵が先か鶏が先か的な話もあるんですけど、地域っていろんなところで魅力があるんですけど、知らないじゃないですか、関わってないと。
そうですね。
それが例えば災害が起きた後、ボランティアとかでいろんな人が入っていきますよね。
そこで初めて行ってっていう中でも、そこで現地の方々と関係性ができて、そこで地域の魅力をすごい感じて移住しちゃう人もいるんですよ。
確かに、惚れ込んでってやつですね。
そうなんですよ。それが逆転みたいなところがありますけど、そういうこともあるので、やっぱり人とつながり続けるって結構大事なんじゃないかな、新しい人たちと一緒に暮らすっていう。
27:09
そこの地域だけの関係性だけではなくてっていう、そういうのも結構大きい意味があるんじゃないかなって思います。
いい意味で旧来のものを崩していくというか、他の要素と交わることで、これからの時代を生きていくために必要なものを一緒に形作っていける、そんな可能性が生まれていくということですね。
そうですね。
それは当然、地域を否定するということとは違って、やっぱりそれはそれで価値観があるので、地域の中だけでやりたいという人たちは、それはそれでそういう考え方もあるかなと思いますし、
人といろいろつながってやっていきたい、やっていけるところに何か希望というか、何かを見出しているということがあれば、そういうふうにやればいいと思うし、
当然それは地域の中の方がどうしていこうかと思うかというところにもよるのかなとは思いますけどね。
なのでそこも一緒に関わって対話していく中で、一緒に答えを探していくということですよね。
誰かが押し付けたり決めつけたりするわけじゃなくてということですよね。
そう、私たちの地域がこうありたいと思えるかどうか。
そうですね、なかなかそういうことを語り合う場自体がない地域も結構出てきてしまっているんじゃないかなとは思いますしね。
何かそうやって挨拶をきっかけにして、ちょっとそうやって対話が始まるきっかけを作れるようになっていくといいんだろうなと思いますよね。
あとは今回のテーマをですね、生き残るためにはっていうところが先生のノートからいただいているんですけれど、
生き残るっていうことが終着点ではないと言いますか、
その先にやっぱりみんなが安全安心に暮らせる幸せな地域づくりっていうのが続いていくっていうような話をそのノートの中でもされていましたけれど、
例えば被災してしまった場合に、被災前の状態に戻すだけではなくて、
一人一人が自分らしく安心して暮らせるより良い日常を目指すときに、
この生活再建への支援っていうのがまたちょっと変わるところもあるのかなと思ったんですけど。
そうですね、生活再建の、自分がどう考えるかっていうことだと思うんですね。
私がそのノートで書いたのは、生き残るのその先へっていうような書き方をしてたと思うんですけど、
例えば地震が起きました、そこで生き残りました、で、良かった良かったって終わりじゃないんですよね。
30:00
その後やっぱり、その後もう生活が続いていくので、
家が壊れた中でこれでも、今は助かって良かったけど、じゃあ家建て替えるのかどうするのかとか、
そういう、でももう例えば70、80とかになってたら、今から家を建て替えるのはだったりとか、
でもまだ同じところに建てるのか、建てるとしたらですけど、じゃあどこに住むのとかですね。
その先も考えていかないといけないこと、その先の人生とかっていうのって結構大変なんですよ。
だけどこれが起きてしまってから考えることってものすごい難しいんですよね。
例えば、自分の家を再建するだけだったら、自分はどうするかなので良いんですけど、
でも最初って例えば家族が亡くなったりとかして、本当に日々の毎日の家の片付けだったりとか、
いろんな処分を、これは処分してどうこうだってやってると、それだけでも何ヶ月も過ぎちゃうわけですよ。
その先へ行くのがものすごく難しい、そういう状況に追い込まれてしまうっていうのが、
今年ですと熊本地震の被災地の様子ですとか、報道ベースではあるんですけれど、
いろんな被災者の方の経験だったりとかその声を通じて知りましたけど、
やっぱり会ってしまった後のことがものすごく大変っていう、そこから抜け出すまでにものすごく時間を要するっていうことですもんね。
でもそれが起きることはもう分かってるんですよ。
そうですね、起きてしまったらもうそういうことになるっていうことですよね。
しかも例えば、被災した家屋は工費の解体、撤去っていうのがあるんですけど、
それをやるときにも資材が入ってたらダメなんですよね。
自分の財産が入っていると。一緒に壊すわけにいかないので、それ全部一回出さないといけないとか。
それを例えば独居の高齢者の方がそれを一人で全部できるのかっていうと、そもそもっていう話があって。
でもそういうことが起きるのはもう分かっているから、だから起きた後どうするか。
今の仕組みでそれは解消されるのか。解消されないとしたらどういうことが必要なのかっていうことを、
やっぱり起きる前に、何が起きるかはだいたい分かっているので、それを一緒に考えるっていうのが必要なのかなと。
この時に災害、災害って言うとみんなあんまり聞きたいっていうのがあるかもしれないんですけど、
事前復興まちづくりっていう考え方があって、これは個人の世帯の話っていうよりは地域全体の話なんですけど、
ある意味はスクラップ&ビルドになるわけですよ。
今お家が建っているのは個人の財産なので、行政の区画整理とかになればあれですけど、
そうじゃなかったらこの町どうするって言っても個人それぞれの話だからどうにもならないみたいな感じになると思うんですけど、
33:01
でも災害が起きて、例えば地震が起きていっぱい被災するっていうことになった時に、
じゃあこの町どうありたいか、どう復興していきたいかっていうのは起きる前だったら考えられるし、
逆に何でも言えるんですよ。
まだ起きる前であればイメージを膨らませる余裕があるっていう比較的いろいろ忙しい中だとは思いますけど、
あと方向性としてみんなで助け合える町みたいなのを実現したらどうするかとか、
あとその家のこと、復興住宅みたいなところもどうしていこうかとか、
その商売を続けられるためにどうしようかみたいな話も起きる前だといろんなことが言えるんですけど、
起きた後だと被災してそれどころじゃない時にそんな話をして、今そんな話をするなみたいな話になっちゃうので、
そもそも話し合うことが難しい。そもそも話し合うことが難しいし、
でも再建早くしたい人は再建しちゃうから、先にどんどん進められる人は進めちゃうんですよね。
そうするとすごいまだらな町とかになっちゃって、こんなはずではみたいな。
最初からそういうことを考えていればもうちょっと違う町のあり方があったかもしれないけど、
でも起きてからなりゆきに任せてしまうとそうなってしまうっていう。
だからそうですね、事前の対話、語り合いの中でちゃんとそのイメージを起きた後のイメージも持っておくっていうことですよね。
当然その通りになるかどうかはわかりませんけど、
でもそこでイメージを共有しておくとか、それをベースにまた話をそこから始めるっていうことはやりやすくなってくるので。
なかなかその先のことを考えるってすごく難しいことでもあるなと思いながらも、
そうやって前もって考えておくことがその先何が起きるかはわからないですけど、
そこに対処していくための力になり得るっていうことですよね。
あとそうですね、これちょっと推計にはなるんですけど、
2018年の7月に西日本豪雨がありまして、岐阜県でも関市の上野のあたりとかで被害が出たりとかした中で、
小山先生その時に被災後の気持ちの回復について研究もされてますよね。
研究の中で見えてきたそういう気持ちの回復に時間がかかる傾向だったりだとか、
そういったハードだけでなくてメンタルだったり人の面での難しさっていうところをどういうふうに感じてみえますか。
やっぱり人とつながりがないと回復が遅いっていうのがあって、
例えばボランティアさんが来てくれて一緒に手伝ってくれたりとかするとそれでほっとしたり気持ちが上がったりっていうのがあったり、
36:00
社協さんが地域でサロンをやったりとか、その中で音楽をみんなで楽しむとかそういうのをやったりするんですけど、
それがやっぱりすごい良かったというか、それで気持ちの回復が進んだとかですね。
そういうのがあるので、やっぱりここは関係性と人とのつながりっていうのが大きいかなと思いますね。
経済的なところも当然あるんですけど。
安心して過ごせる状況っていうのを作っていたかどうかっていうことだったりとか、その後作れるかどうかっていう。
そうですね。これも二つあって、一つはやっぱりコミュニティの中での関係性というか、
助け合いができる関係があるかどうかっていうところと、もう一つは外の人たち、支援に来る人たちとかですね。
そういうところがあると思います。
難しいのはですね、コミュニティの中でも被害程度ってまばらじゃない。まばらというか段階があるじゃないですか。違ったりしますよね。
そうすると被害を受けていても、あそこに比べたら全然軽いから、でも大変なんですよ。
でも大変だっていうと、あそこに比べたらまだマシだから、大変だ大変だっていうのもはばかられるとかですね。
そういうので、関係性があるからこそ言えないことっていうのもある。
助けてって言えない。ちょっとお手伝いしてとも言えないみたいなところもあったりっていうのもあるので。
そうすると、中だけではなくて言いやすい外の人には逆にお願いしやすいとか、ちょっと愚痴も言いやすいとか。
確かにそうやって気持ちを解放できる場所みたいなのをちゃんと作っておく必要があるんでしょうね。
それはやっぱり日頃からそうなんでしょうし。
そうですね、そうなんですよ。
何かが起きてしまった時ほど塞ぎ込みがちになってしまったりとか、心を解放するっていうのが難しくなったりする。
そういう状況に追い込まれるっていう。
そうですね、頑張らなきゃっていうのがすごい。
甘えちゃいけないというか、自分たちで何とかしなければって人に迷惑かけてはとか。
そうですよね、そういう時ほどしょび込んでしまいがちになるんだろうなっていうのを結構想像しますよね。
これは本当に助けが必要な人ほど助けてと言えないっていうのは福祉の方でも同じようなこと言われてますけど。
そうですね、その話がよく聞きますね。
それを素直に本音を伝えられる状態に何とか持っていけるように、日頃から繋がりを持っていく、信頼関係を作っていくことで、
39:04
ちゃんとその本音だったり言わねが欠ける場所を作るっていうことが結構大事になってくるんでしょうね。
それも含めて平時からの取り組みっていうことなんでしょうね。
そういうのがやっぱりソーシャルキャピタリズム、社会関係資本とか言いますけど、そういう関係性を持っているかどうかっていうのは色んな意味で大きいですよね。
なかなか今、どうしても孤立孤独の問題が言われていたりだとか、結構何でも一人で解決してしまうように思ってしまいがちなんですけど、
それってあくまでも何にもないときだからこそ言えるんじゃないかなっていうのは結構思っていて、
その状況で何があったとき大丈夫なのかなって周りを見てて不安になるなって思うことがあるんですけど、
やっぱりそれは大丈夫じゃないよって思っておかないといけないなと思いますね。
そうなんですよ。だから平時のときに一人迷惑をかけるなって言い過ぎちゃうと人に頼れない社会を作ってしまうので、
人に頼れない社会になると、でも社会ってそもそも人が助け合うのが前提なんですよね。
確かにそうですよね。
社会って。ということは社会がどんどん弱くなるというか、何かあったときにだからもう全体として維持できなくなっちゃうので、ちょっと怖いなというか危ないなっていうふうには思いますね。
そうなんですよね。何かが直撃してきたときにそのままボキッと折れてしまうのが今の社会なんじゃないかなっていう、
なんとなくしなやかさを失ってないかなっていうのは結構取材をしていても感じるところですね。
ただ何とかそこに抗っていかないといけないなということで、最後に防災というテーマではあるので、
今日この一つだけやってもらえるとしたら何から始めましょうかっていう。
それは挨拶ですね。
そういうパソコンになるわけですね。パソコンになりますかね。
そうですね。やっぱりつながり作るのきっかけをまず作るところからっていうことですよね。
そうですね。それは対策とかでは備蓄もとかね、ただ耐震カーとかもありますけど、でもそれ一個だけって言っても一個やって安心していったらダメで。
確かにそうですよね。結構やること多いですもんね。
そこへのきっかけみたいな挨拶なんかはだからそこへのきっかけっていうか、全てに関係するって意味ではそこからかなみたいな。
いやでも本当まずそこからだなって思いますね。
この地域、岐阜県っていう地域の中でもちょっとだんだん失われつつあるのが挨拶なのかなっていう気もしているので、
そこから始めていくといろんな方が多様な、いろんな方がいらっしゃいますけど混ざり合って強い社会を作っていく始めになるかなっていうことですよね。
そうすると雨がものすごい降るときは対策されましたじゃないけど、今晩ちょっと危ないらしいですよみたいな話も声かけやすくなりますよね。
42:08
だって言葉も交わしたことない人の家にピンポン行かないんじゃないですか。
いやそうなんですよね。つながるっていうことに一定のハードルがあるんだろうなと思うので、それをちょっと下げるためにも日頃のそういうつながり挨拶をまずきっかけにしてっていうところですよね。
そういったちょっと暮らしの延長線上で防災のいろんな取り組みも広げていけるといいということですね。
はい、ということで135年という節目を機にいろんなお話を伺ってまいりました。
またこの番組ではメッセージフォームを用意しておりまして、それぞれの皆さんの防災の取り組みですとかその地域の中での今の様子なんかも教えていただけるといいのかなと思っております。
番組の概要欄にリンクを貼っておりますのでまたよろしければお寄せください。
はい、小山先生ここまでありがとうございました。
ありがとうございました。
ここまでのお相手は岐阜新聞社報道部の山田俊介でした。
そうしたまたありがとうございました。
ありがとうございました。
43:11

コメント

スクロール