運転中のイライラ
こんにちは、清鷹です。今日はですね、 期待は不幸の始まりというお話をしてみたいと思います。
この間ですね、子供を久しぶりに車に乗せてですね、走ってたんですけど、それで言われたことがですね、
お父さん、ちょっと車乗ってる時、誇りすぎやでって言われたんですよ。全然僕気がつかなかったんですけどね。
結構イライラしてたんだと思うんですよね、車を運転している時に。
で、ああそうかと、気をつけないといけないなというふうに思ったんですけど、 それをよくよく考えてみるとですね、
自分ではどうにもならない、周囲の環境ですよね、道路の環境というのか、交通の状況というのか、
それをですね、コントロールができると思ってて、イライラしてるっていうことなんじゃないかなと思ったんですよ。
で、これどういうことかというとですね、 自分でコントロールができるっていうふうに思っちゃってるのかなぁと。
例えばその相手はこういうふうに動くだろうとかね、対抗者はこういう動きをするだろうとか、
そんな感じなんですよね。でもその通りにならないから怒ってるみたいな。信号はこういうふうに変わるだろうとかね。
そういう期待を持って運転をしてるからですね、期待通りにならなくてイライラしてるっていう。
でもそれってね、うまくいかないから怒るし、失望もするし、みたいなところなんだと思うんですけど、
そこってもう自分でコントロールできないところなんですよね。だから自分ができることっていうのは、周りのその環境、交通の環境とか状況を見てですね、
自分が止まるか走るか曲がるかするだけなんですよね。そこしかコントロールできないんですよね。
そこの境界線の引き方、自分ができることとできないことの境界線の引くラインがですね、ちょっとおかしかったんだろうなぁというふうに思いましてですね、
ちょっと反省をして、そこから周りの状況に合わせることだけがですね、自分ができることなんだというふうに思い直してですね、それで最近運転してるんですけど、
そしたらそんなに怒ったりもしない。というか、そもそも僕がそんなイライラしてるとか怒ってるっていう、運転中に怒ってるとかいうことって自分では気がつかんがなかったんですけどもね、
ちょっと周りに子供に言われてですね、ああそうなんかというふうに思ったというところで、ちょっと今回いい勉強になったなというか、いい研究になったなというふうに思うんですよね。
期待の境界線
コントロールできることとできないことっていうところですよね。コントロールできると思ってしまうから、期待をしてしまうから不幸になってしまうわけなんですよね。
うまくいかなかったら怒ったり失望したりイライラしたりしてしまいますし、うまくいったらうまくいったらそれは当たり前なんだということなんですよね。
当たり前だということで感動も嬉しさも何もないという、そういうところ。ちょっと期待、自分に対する期待度が高すぎた。
特に運転に関してですね、運転というのが、車で走るときの状況としてそういうことがあったんだろうなということがですね、一つ反省点だったというところなんですよね。
この期待するっていうところはですね、本当にその期待のですね、ラインをどこに持ってくるか、境界線をどこに持ってくるかとか、期待の水準をどこに持ってくるかっていうところがですね、
すごくこの人間の幸福度に関係してるんだろうなというふうに思ってましてですね、その部分についてはですね、ちょっと次回以降ももうちょっと具体的な、他にもですね、具体的な例っていうのもですね、
機案に出しながらですね、お話を続けてみたいなというふうに思っております。ということでですね、今日は
期待は不幸のもとということで、
車を運転しているときにですね、ちょっと期待値が高すぎた、僕のその期待コントロールできる範囲としての期待が高すぎたっていうことでですね、それをきっかけにちょっといろいろ考えたことということをお話しさせていただきました。
それではまた次回お目にかかりたいと思います。さよなら。