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2018-10-16

第93回「緑に挟まれる」

引き続き小国・楽風よりお届けします。

北川がぜひ早川に体験してほしかったという「緑に挟まれる感覚」。
人工物の一切ない草原だからこそ味わえる感覚です。私たちは、都会では時間に追われ、尽きることのない未来への不安に悩まされています。それでも使命を果たすために社会に戻っていかなければなりません。そのためにも、時には深い緑の中に入って力をもらうことが必要です。

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kitagawa@kiqtas.jp


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北川八郎 人生を変える出会い
こんにちは、あやかわ嫁です。
北川八郎 人生を変える出会い、今日は93回をお届けします。
北川先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、今日もお国の楽譜から収録していますが、
これ今、8月に収録してるんですが、これ何時ぐらいまで明るいんですか?
7時ぐらいまで明るいんですか?
多分7時過ぎ、夕焼けがとても綺麗ですね、7時過ぎまで。
東京の方では、6時半ぐらいで日が落ちてると思うんですけども。
今日も夕焼け、期待できそうですか?
多分、美しいと思いますね。
期待できそうですね。
僕、あやかさんに来てもらって嬉しかったのは、
あそこの緑の中に挟まれている感覚というものを味わってほしかったんですね。
緑に挟まれる。
草原っていうか、緑に。
一面、あそこから、
一面、あそこから見るとほら、何にも見えなかったでしょ。
何も遮るもないですね。
造形物、人間の造形物っていうものがなくて、
山と、なんか、人、草、植物と、それと青い空と、白い雲と、
あの間に挟まれた感覚と言いますかね。
なんか地球に生まれたっていう感覚。
だから都会に生きてるという感覚ではなくて。
人工物ないですよね。
そうそう。だからまず今までずっと言ってたのは、これもそうなんですけど、
今の寄付もそうなんですけど、
人工物の中に東京では挟まれてる、生きてるっていう感覚しますね。
それから時間で生きてると言いますかね。
秒単位で生きてるというかね。
そうすると僕もちょうど、さっき緑に挟まれてるとき思ったんですけど、
人工物一切なかったのが元の僕らじゃないですか。
その時って今僕らが抱えてるストレスとか、
いろんな悩みの9割以上はなかったんじゃないかって思ったんですけど。
なかったと思います。何でもない。
でも幸せの時間っていうのがあると思うんですよね。
白い雲と果てしない緑と風と柔らかさと、
その中にただのだけの人間に、
じゃあ何を感じて、何を感じたかな。
あの中で僕ちょっと感じて欲しかったんですよね。
緑の中で。
綾香さん何を感じるだろうっていうかね。
まあ同じものを感じなくてもいいんだけれども、
なんか地球の中の人間というよりも生物の一つというかね。
そういう感じでしたね。
でも本当、なんかあの中にいるとストレスって言いますか、
あとやっぱり不安とか恐怖。
まあ安らぎと自然の流れに任せるというか、
恐れを抱かないという心とかいうのが、
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そうですよね。
消えてきたのではないから、そんな感じはするんですけどね。
だからみんなが目が優しくなるとかね。
風に吹かれていつまでもじっと佇みたいとか。
なんか自然に対するね、イフのような、
自然に対するね、イフのような、
自然に対するね、イフのような、
自然に対するね、イフのような、
自然に対するね、イフのような、 イフのような恐れはあるかもしれないけど、
なんか普通の僕らが普段の日常の不安、不満とかなさそうですよね。
特にこう聞いてみたのは、
まあ都会にいるときずっと、
まあ早川さんだけではなくて、
ほとんどの方がこう、
未来に立ちふさがっている、
目に見えないけれども、
未来に確実にいるような不安という巨大な憎悪をみんな感じていると思うんですね。
こういうときはそうじゃないけど、
でも少し社会に出ると皆さんが、
みんなこう、未来に対する不安と言いますかね。
見えないんだけれども、
巨大な巨像のような不安があると言いますかね。
尽きることのない不安があると思うんですね。
ところがこっちに来るとそれが、
ないですね。
こう、消えていく。
じゃあその違いは何なんだろうっていうのが、
僕こう、そこで感じてほしかったんですね。
なぜ都会にいると、
尽きることのない不安に、
こう、とらわれるのか。
で、こっちに来ると、
まあそういうものはどうでもいいって言いますかね。
このせいを、
なんかきちんと全うしておけば、
な、何かにこう、
神、神という言葉を使うのはあれですけど、
そういうものに触れて、
きちんと生きていけるんじゃないかなというような、
なんか安らぎに繋がる、
優しい気持ちっていうかな。
中に生きていけるような、
景色がこっちにあると言いますかね。
だから時々この、
遠い景色の中にこう身を鎮めなさいと、
僕はよく言ってるんだけども。
文字通りですね。
本当に遠い景色の中に挟まれるっていう、
時間っていうのは、
僕素晴らしいと思うんですけどね。
でもそうすると、
まあ自然の中にこう自分をっていう、
なんて言うんだろう。
尽きることのない不安の原因は何かって言ったら、
まあお金に対することと、
健康に関することじゃないでしょうかね。
まあその中に人との対立というものや、
なんか人から嫌われるとか、
人を傷つけたとかいうのもあると思うんですけども、
あそこにいるとそういうこう、
対人関係の煩わしさはなくて、
ただあるのは鳥と、
それから緑と風と、
それから流れゆく雲と青い空と、
回る地球と言いますかね。
宇宙を回る地球、
地球っていう、
時間というものが、
本来はこうただ地球が回ってるから、
動いてるから時間が生じてるとかいう、
そんな気づきもあるような感じはするんですね。
都会では時を見ないといけないしね。
JRも分担員とか、
バンバンバンバン来るから、
すごいそこには恐れと不安が来る。
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なぜその不安に生じるか。
お金があるのに、
なんかあってもなくても、
みんな不安が上がられていくって言いますかね。
だからうつとか多くなってくるのも、
対人関係のなんか、
そうですね。
大事なっていうものが、
軽くなってくるんじゃないかなと思うんですね。
でも確かに対人関係っておっしゃいましたけど、
やっぱりなんか都会にいて、
物とか何かいろんなのにあふれて、
結局なんだろう、
気づかないうちに何か誰かと比較したりとか、
能力だったり物だったり、
いろんなこと比較するから、
やっぱり疲れちゃうのかなってのは思いますよね。
今日みたいな、
本当にさっき先生おっしゃった、
自然だけの場所見ると、
そういう意味での比較っていうことがあんまりないですよね。
両手を開けて、
あそこの、あの、
丘の上に立てるというかね。
都会にいると両手を上げてると不安なんですよ。
どっかを持ってないとこうっていうか、
両手にお金と地位と名誉と、
それこそ刷られるんじゃないかみたいなこともありますしね。
それだけじゃなくて、
社会に生きるというときは、
何が必要か、
通行手形としては、
地位と名誉とお金と、
なんかそういう、
いろんな考えないとね。
人間社会に通じるものを必要とするけれども、
こちらではそれがないと言いますかね。
あの、
安らしさと思いやりと、
深い呼吸をしていれば、
我々には即に安らぎが来ると言いますかね。
だから、
あそこの丘に立つときは、
両手を押さえてたら立てないんですね。
丘、石の上に立ったと思うんですけども。
両手を開けとくと言いますかね。
片手は自分のために、
片手は人のために開けるっていうのが、
あの、
丘の上に立つと分かると思うんですけども。
でもなんか不思議じゃないですか、先生。
それ、
なんか、
今の話だけ聞くと、
こう、
やっぱり都会よりも、
その自然あふれるところの方が、
まあそれこそね、
あのクオリティオブライフというか、
生活の質、
まあ豊かっていう感じしますけど、
やっぱりまあ日本でいけば、
例えば東京とか大阪とか、
いわゆる本当のもうね、
あの全国的な都心が一番、
そこに一番人が集まる。
それは大事なことなんですよ。
でも、
というのは私たちは、
あのこう、
全て自分で作ることができないから、
あらゆるものは人の手を得たものしか、
こう、
あの、
身につけられないし、
だからそれをしようとする、
という意味では、
社会性がないといけない。
そして経済が回るわけですからね。
でもそこにあんまり気取られなくて、
人のためにやってると、
そういう雲が自然に入ってくる、
ということに気づく、
そこの法則に気づく、
と言いますかね。
というか時々、
こういう深い自然というか、
なんか奥深い緑というか、
なんか遠い景色の中に身を浸すと、
その辺の、
あの、
隙間がどうやったらいいのか、
というのが、
直感、
と言いますかね。
で、見えてくる、
シンキングがいらない、
というかね。
確かにシンキング。
それを経験すると、
今度はまた、
都会に戻れる、
というかね。
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そこですよね。
うん。
計算しない生き方ができるようになってくるのではないかな。
純粋性というか、
馬鹿に詰めているような、
はい。
そちらの方が、
人の心を打つことも大事だし、
社会性に、
社会に生きるし、
ストレスのない生き方を、
できるようになっていくのではないかな。
もうね、
社会に戻らないという生き方は、
なかなかね、
あの、
難しいから。
社会に戻る必要が、
ですよね。
世の中に出る必要がありますよね。
世の中というか、
社会性、
社会生活の中に、
やっぱ、
戻らないといけないんですね。
やっぱ、
人間は人間の中に、
あの、
純粋性で生きていけない、
というのが、
あるものだからですね。
とはいえ、
どうですか、
先生。
ね、
今、
鎌倉にも、
あの、
ベースもあって、
割と、
こう、
自然もあったり、
のんびりはしてますけど、
それでも、
こっちの大郡にいるときよりも、
まあ、
もちろん、
帰ってきたりとかしたら、
なんか、
やっぱり、
向こうにいるときは、
結構、
エネルギー使ったりとか、
やっぱり、
ありますか。
あんまり、
先生の中では、
変わらないつもりですか。
そうですね。
まあ、
今日、
飛行機乗って、
鎌倉建ても、
なんか、
昨日と同じような感じで、
いきなり、
なんか、
あの、
建物が、
であろうと、
新宿であろうと、
人混みなくなっても、
平気なとこはあるんですけど、
なんと思わない、
っていうところが、
ありますね。
度胸があるっていうんじゃ、
ないんだけども、
なんか、
お国も、
どこも、
一緒っていうか。
そうなりたいですよね。
やっぱり、
まだまだ。
人を救った人のため、
という、
志があるから、
まあ、
あの、
鎌倉、
東京、
っていうのを、
特に、
こう、
行こうっていう、
まあ、
いつも言ってる、
今世の使命、
使わないといけないな、
と思いますね。
やっぱり、
そういう軸があると、
違いますよね。
で、
こちらで力をもらう、
というかね。
で、
神に近づく、
というか。
やっぱり、
そういうのはありますか?
こっち帰ってくると。
手を差し伸べられる、
というか。
だから、
力が見上がってくるから、
またそれで、
都会に行って、
多くの人々に、
手を差し伸べていこう、
といいますかね。
気づきを与えていこう、
と思いますね。
でも、
今、
ちょうど、
ちょっと直感的に思ったんですけど、
もう一個は、
自分の生まれ育った地、
というのは、
やっぱり、
それはパワーというか、
エネルギーって、
ありますよね。
ありますよね。
それが逆に、
緑一つない、
大都会だとしても、
自分の生まれ育った所だと、
やっぱり、
ホッとするって、
あるじゃないですか。
目に見えない、
エネルギーというのは、
最初に、
幼い時に、
身につけてしまうから、
時々は、
ふるさとの景色、
というのが、
とても大事ですよね。
大事ですよね。
だから、
みんな言っているのは、
豪土というのは、
山があってこそ、
豪土の、
なんか、
誇りというものが、
あるような、
特に日本はね。
だから、
みんな、
山が素晴らしいと、
言っているけれども、
山というのは、
そういうような、
神気、
神の木と言いますかね、
神気と、
霊気と、
我々に、
勇気みたいな、
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を与えて、
三つの木ですね。
くれますよね。
そういう、
山に入るというのは。
自然、
そして、
ふるさと。
そこにばかり、
手はあけないと思うんですね。
人間として、
果たさないといけないのは、
やはり、
ここの性を、
全うしないといけない、
と言いますかね。
そのためには、
もう一度、
社会に戻って、
生活というものを、
高めるのではなくて、
対人関係を、
良き対人関係を、
構築していくというのが、
後世の学びだと、
思うんですよね。
そのためにもね、
こう、
タイミング、
タイミングで、
ちょっと今日は、
難しい話をしましたね。
また、
繰り返し、
聞いてもらいたいですけれども、
自然とふるさと。
やっぱり、
いろいろ、
栄気を養うというか、
そういうことが、
大事かなと。
イライラする人、
怒りの人は、
時々、
この深い景色の中に、
おいでよ、
と言いたいですね。
本当ですね。
いつまでも、
ここにいなさいとは、
言いませんけれども。
逆に、
僕なんかも、
今日、
こっちに降りたというか、
ずっと、
ぼーっとしちゃいますよね。
シンキングが止まる。
いいですね。
この深い緑というのは、
本当に、
目の自然、
緑、
景色の中の、
9割ぐらい、
8割ぐらい、
なので、
シンキングは、
あんまり、
していないですが、
また、
次回、
どんな話が聞けるのか、
楽しみにしたいと思います。
さあ、
この番組では、
皆様からの、
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もしくは、
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TAS、
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お寄せください。
今日は、
第93回を、
お届けしました。
北川先生、
ありがとうございました。

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