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喫茶おじさん/おまえの話がいちばんわからない
2026-04-08 22:52

喫茶おじさん/おまえの話がいちばんわからない

#2-26(86)

 

4月8日は花まつり/書籍:喫茶おじさん(原田ひ香)/無職50代喫茶店巡り小説/「全然わかってないなぁ」/喫茶おじさんとして「わかってないなぁ」が突き刺さる/「わかってない」を話したい/自分がわかってなかったから、そうしたほうがいいよって言ってしまう/「わかったほうがいい」っていうのは本当か?/「○○したほうがいい」っていうのは大きなお世話/100分de名著/テミスの不確かな法廷/わかることが大事であるという前提を疑う/結局「お前の話が一番わからない」/次週、ナポリタンの話

 

2026年3月21日収録


毎週水曜日配信

 

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サマリー

今回の「喫茶おじさん/おまえの話がいちばんわからない」では、原田ひ香の小説「喫茶おじさん」をきっかけに、「わかっていない」というテーマについて深掘りします。主人公が周囲の人々から「わかっていない」と言われ続ける姿に共感したパーソナリティは、自身も過去を振り返り、多くの「わかっていなかった」経験を語ります。さらに、「わかったほうがいい」という考え方自体に疑問を呈し、知らなくても幸せな場合もあること、そして「わからない」という状態を無理に理解しようとすることの難しさについて考察します。最終的には、他者に「こうすべき」と押し付けるのではなく、自身の経験として語ることの重要性を説きます。

オープニングと新年度の挨拶
続・喫茶店つくるつくるラジオ 本当に始まったシーズンさ
つくるプロセスリアタイに見立てて ノウハウあるフリしてる 早いでない
つくるつくるラジオ いい感じで始まるよ
何かが生まれる予感などしない
こうとメリのおしゃれな顔に メリのおしゃれな顔に 続・喫茶店つくるつくるラジオ
パーソナリティは喫茶店コニカドニカ店主予定のこうと
友人は話し相手のメリです。
続・喫茶店つくるつくるラジオは 喫茶店開業を目指しているのに
全く踏み出せない僕自身が メリとリスナーの力を借りて
喫茶店つくるのぐずぐず具合を突破していく様子を
ぐずぐず撮っていく番組です。 よろしくお願いします。
いい感じで始まりました。
もうね、新年度入ってますね。
新年の新生活が始まっている時期ではないかというふうに思いますよと。
4月の8日かな、たぶん。
ですね。
花祭り?違ったっけ?
ん?ひな祭り?
花祭り。
あ、花祭り、はいはい。
4月8日は花祭りって言いましてですね。
はい。お釈迦さんのね。
あ、そうそうそうそう、お釈迦さん。
お釈迦さんの日なんですけどちょっと今日は
お釈迦さんの話が出てくるか?後半。
出てくるの?
お釈迦さん、ちょっと出てこないね。出てこないですけれども。
小説「喫茶おじさん」との出会い
えっと、喫茶おじさんの話をしようかなと思ってるんですが。
はい。
喫茶おじさん。
へー。
文庫本なんですけれども、原田彦さんっていうのかな、著者。
原田彦さんの書いた喫茶おじさんっていう本がありまして、
これはね、たまたまちょっと前に立ち寄った本屋さん。
ちっちゃい本屋さんなんですけど、
ちょっとお目当ての本があって立ち寄った時に、
たまたまそのちっちゃい本屋さん、なんかいろいろさ、
人文書ランキングとか文庫ランキングとか小説ランキングとかさ、
お店によってそういうのを飾ってあったりするじゃない、本屋さんって。
そこのね、ちょっと小説ランキングだったかな、忘れてたけど、
そのね、第8位にこれが立てかけてあって、
喫茶おじさんだからタイトルが、
俺じゃんって思うわけですよ。
だからそれでね、帯を見ましたらですね、
この主人公ね、松尾順一郎っていう主人公なんですけど、
57歳、罰位置無職。
夢と大金をかけた店を失った男に再び扉は開かれるのかっていう。
なんかね、会社を辞めて、
喫茶店を退職金とかのをかけて店を開いたが、
早々にそれをつぶしてしまって、
で、今無職で、
趣味で喫茶店巡り、純喫茶巡りを始めたみたいな、
そういう男のおじさんの物語の小説で、
僕は結婚してないんで、罰位置とかそういうのではないですし、
この人は、主人公は罰位置で再婚もして子供もいたりするんで、
そういうところはもちろん僕とは違うんですけど、
なんか無職でフラフラしてるみたいな、
57歳ですからね、この人は。
会社辞めてみたいな。
のがなんか、俺じゃんって思って。
今更終えないですね。
内容的には、ちょっとした喫茶店案内本にもなってて、小説なのに、
なんか12章ぐらいに分かれてて、
その1章ごとに必ず2つの喫茶店が出てきて、
このおじさんが巡るんだよね、喫茶店を。
で、その喫茶店は実在の喫茶店で、
あ、実在なの。
そう。店名こそ出てこないんだけども、
なんかそこに出てくる描写で、
もう誰しもが簡単に特定できるようになってるんでね。
だから見方をすれば純喫茶ガイドブックとしても取れるしっていうので、
で、その章ごとにですね、いろんな人に会うわけですよ。
その前の別れた奥さんとか、今の奥さんとの子供、別居してる娘とか、
一緒に働いてた時代の同僚であるとか、
そういう人と出会って話をするという構成になってるんですけども。
それで最終的には今日何話したかっていうと、
ナポリタンの話が出てくるんですよ。
喫茶店定番のナポリタンの話が出てきて、
一つのナポリタンの作り方が物語の中で紹介されていて、
それをね、そんなやり方があるんだって僕思ったんですよ。
それを後半、最終的にはそれをみんなにも紹介したいなっていうのが目的で話し始めてるんですけれども。
「わかってない」という言葉への共感
ちょっとその前にこの小説の中の話を少しだけしていきたいなと思ってて。
もしかしたら2話にまたがる。
そんなことないかな。1話で終わるかな。
でもナポリタンの話も含めたら2話になるかなということで、
途中で変な感じで切れるかもしれないしっていうことは毎回言っておきますが。
ちょっと話に戻って、別にこの小説の中の話はあまり関係なくて、
さっきも言ったようにいろんな人と会うんだけども、
会う人会う人に、お前は分かってないよなって言われるんですよ、この人。
奥さんと別居していて、奥さんと娘が一緒に住んでて、自分は一人で住んでるんですけど、
娘と会った時とか会話がされるんだけども、最後の方にやっぱりお父さんは分かってないよねって言われたり、
昔の同期と会った時に、その最後にお前は分かってないよなってみんなに言われるんですよ。
この主人公は何が分かってないって言うんだ俺はみたいなことを、何が分かってないんだろうって毎回思うっていうね。
前半のエピソードは分かってないなっていうのをいろんな人にとにかく言われ続けるっていう。
もちろんそれが何が分かってなかったかっていうのは、後半の部分で少しずついくずつ明かされていくんだけども、
この分かってないなあが、僕は最初読んでて刺さるわけですよ。
喫茶おじさんとしてね。
僕もだから今自分の過去を振り返ると、分かってなかったよなって思うことがすごく多い。
これは多分どっかでも話したと思うけどね。
一緒に働いていた人に、すごい機嫌を悪くしてたことによって周りの人が不機嫌な僕に気を使って実は動いていたみたいなことを
後から知って、ああそういうの全然分かってなかったなあとか。
昔、知り合い友達に投げかけた言葉であるとか、今思い出すとあれはちょっと良くなかったかなとか思ったりとか。
それとか会社みたいな組織で雇われていると見えなかったことみたいなのが、会社を辞めてからどんどん出てきて、ああそうだったんだみたいなのがたくさんあったりとか。
本を読み始めたのも、僕会社を辞めてからがほとんどなんで、本を読み始めたことによって、分かってなかったなあということがたくさん出てきたっていう。
そういうことと、この喫茶おじさんがね、いろんな人に分かってないなあって言われるのがすごくリンクしてですね、そうなんだよっていうのを感じたっていう話なんですけど。
ちょっとメリも含めて聞いている人、こいつら何の話を始めてるんだって思っていると思うし、そうか、何の話をしてるんだ僕は。
分かってないなあっていう話をしてます。
分かってないなあって言われることの内容というよりかは、分かってないなあって言われること自体のことを話したいって感じですかね。
分かってないということ自体を話したい。
そうですよね。分かってないなあって言われている内容のことじゃなくて、これを分かってないなお前っていう話じゃなくて、分かっていないっていう自分、それを指摘されているっていうことを話したい。
そう、たぶんメリは今分かってくれると思うんだけど、指摘されていることはあんまり関係なく、分かっていないという事象のことに関していろいろ考えたわけですよ。
そういうこと、そういうこと。
それを話したいと。
「わかったほうがいい」という考え方への疑問
で、後輩とかとご飯に行った時に、僕は会社にいたから分からなかったことがあるって思ってるわけじゃん、自分は。
会社を辞めたからとか、本を読み始めたから分かったことがたくさんあったよっていう気持ちがあるわけよ。
で、一緒にご飯行ってくれてる人はさ、僕にとってはすごい大事な知り合いなわけじゃない、友達なわけじゃない。
こうやって一緒にご飯を食ってくれるわけだから。
それを伝えたくなってしまうわけよ。
その人は働いてるわけだから。
僕がメリに言うのと一緒だよ、たぶん。
メリ今仕事で一生懸命やってるわけじゃん。
そうすると、「いや、働いてるとね、分かんないことってたくさんあんだよ。」みたいなことを言うてしまうわけよ、僕がその友達とかに。
もちろん良かれって思ってるんだよ。
だから今のうちから本を読んだりとか、会社外の人に会って、全然違う考え方みたいな人とかと話をしたりとか、
もしくは仕事以外の打ち込む趣味みたいなものを見つけたりすることをやったらいいよって言うてしまうんですよね。
僕みたいにやめて、おのずとというかね、僕の場合はおのずと。
なんか自分で内戸建てみたいなのがなくなったわけだから、自分でなんかしなきゃいけないとか。
知り合いとかも家にずっとこもってたらね、もう本当に一人になっちゃうから。
自分から乗り出していかないといけないっていうのに押されて、やめたからこそ僕はそういうことに出会えたみたいなことなんだけれども。
会社にいながらも、ちゃんと意識的にそういうことをやったらいいんじゃないのみたいなことを言ってきたわけさ。
それがね、果たしてそうなのかっていうことを最近思ったというか。
なるほど。そんなことを言っている自分が実はわかってないんじゃないかみたいな。
そうなんです。それも含めてっていうこと。
わかってないから、いい状態のこともたくさんあったりするというか。
またちょっと別のね、最近読み始めた本からもちょっと影響を受けてるんだけど。
わかっていないから、ある種の幸せというか、本当に趣味を持たなければとか、会社以外の知り合いがあんまりいないとか。
だからこそしたほうがいいよって僕は言うんだけれども。
そういうことを考え始めてしまったら不安にもなるし、そんなことを知らんかったら楽しく仕事をしたりとか、今いる人たちと楽しくやってたわけであって。
別に何ら困ってもなかったわけで。
だからそこをこうやっていくことが本当にいいことなのかっていうのが1点と。
それと、やっぱりわからないことはわからないんだよっていうこと。
そこにいるとわからないことだからわからないのであって、それをわかる状態にするみたいなことが原理的に難しいみたいな。
っていうことでもあるなって思ってて。
それはもう僕の立場でその人たちに、そういうことをやったほうがいいよ、つまりはいろんなことをわかったほうがいいよっていうことは、おかしいことなんじゃないかって思うわけ。
おかしい。
「わからない」ことの原理と発想
僕が言うのはね、その本人が何かを感じてね、誰かに言われた、それも含めて何かを感じて、
あ、俺わかってなかったんだとか、だからわかろうとするみたいなのは全然いいことなんだけど。
僕が、いや僕はこうなったからわかったんだよ。
だから君たちもこうなる前にわかったほうがいいよっていうのは、全然何か違うことなんだろうなって思ってて。
それでもあれじゃないですか、こうさんがわかったほうがいいよって言って、推奨するというかその行動を相手に促してるみたいなところがよくないんじゃないですか。
自分はこういう体験をして、いいと自分では感じたんだっていうことを自分のこととして話すのであれば、別に話していいと思うんですよね。
自分は辞めて気づいたことが多かったから、なんか働いてるうちからでもやっとけばよかったなって思ったっていうその自分の思ったことの共有だったらいいけど、
やったほうがいいよっていうのは言った人はおせっかいで、
そう、おせっかい。
別に、こうさんが言ってるように知らなくてもいい場合だってあり得るわけだから、
後からその人が気づいて、あの時こうさんああやって言ってたな、やっぱ自分もそうなったな、そういうふうに思うようになっちゃったな、やっとけばよかったなみたいなのはありだと思うんですけど、
気づきになるから、
その時にやったほうがいいよっていうことがよくないんじゃないかなと思った。
そうそう、本当にその時にやったほうがいいよっていうのは本当によくない。
でも別に黙っとく必要もないっていうか、自分の体験として自分はこう思ったから、別に相手が相談してくるまで待ってなくても、
それはもちろんいいと思うんですけど、相談してくれた時に共有するっていうのはいいと思うんですけど、
別に黙っとく必要性もないかなと思います。
なるほどね。
人にね、そういうのはやっぱりよくないんだよな。
だから自分のこととして言えばいいんだと思うんですよ。
自分はそれですごくよかったなって思ったって言って、気づけて、いろんな本を読むことによっていろんなことがわかるような状態になったから、すごいよかったんだっていう。
だからあなたもって言ったらダメなんですよ、たぶん。
だから自分はすごいよかったで終わらせときゃいいんじゃないですか。
そうか、まあでもそうだな。
なんか自分で言った時点でさ、なんかマウントっぽくない?
そんなことねえか、それは考えすぎなのか。
マウントっていうか、マウントって思ってる時点でもう自分がちょっと上位みたいな思ってるってことじゃないですか。
でもね、これは僕は100分で名調である回で見たのは、人間は常にマウントをしあっているっていう考え方もあるっていう、どんな場合においてもね。
まあそれは確かになーって思ったりもするんだけども。
なんかむずいね、むずいというか面白いんだけどね、すごい。
最近NHKのドラマで松山健一の出てたやつで、テミスの不確かな法廷っていう裁判官のドラマをやってたんだけど、ちょっと前に終わったのかな。
そこでね、決め台詞じゃないけど、何回も繰り返す台詞として、「わからないことをわかっていないと、わからないことはわからない。」ってその人が言うんだよね。
わからないことをわかってないと、わからないことはわからない。
だから自分が何をわかってて何をわかってないかわかってないと、自分がわからなくて知りたいことをわかることはできないっていうことを言ってるんだと思うんだけども、それはそれの通りなんだろうけど。
それがわかることを良しとした発想だなっていう感じなんだよね。
そうじゃねえだろって思いながら。
そうじゃねえだろ、僕に対して。
それはもう、わかってなきゃいけないっていうことが、わかることが大事だよっていうことを、やっぱりこの言葉はすごく示してるんだと思うんだよね。
でもさっきも言ったように、わかってないことを、その環境にいたらわからないことをわかろうとするっていうのは原理的におかしな話なんで、
それをわからなきゃいけないというか、わかることが良いことだよっていうのはおかしいだろうっていうことを言いたいんだけどね。
まとめと次週予告
これ聞いてる人大変なことになってるよ。
お前の言ってることわかんねえよって言われてると思うんだけどね。
そんなことを考えながらですね、この本を読んでましたっていうことなんですけど、
ナポリタンの話はどうしたっていうことになりましたので、
この後ですね、たぶん一回区切って、
ナポリタンの話は自習していきたいと思います。
さようならー。
さようならー。
また自習。
また自習。
22:52

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