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スピーカー 1
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、音好きの人たちがフラッと集まって、みんなが友達になれる喫茶店をコンセプトに、全員3人組が緩く話してまいります。
ふと一息つきたいときに聞いてくださいね。
6月17日、第51回の配信です。
今日は、ゆうこりんとそらんやんの2人でお届けします。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
お願いします。
さて、今日はですね、待望の哲学シリーズ第2回です。
哲学シリーズとは、先月から始めたものなんですけども、
日常生活であんまり考えないようなことを、本を軸に、このキサクロでちょっとゆっくり考えてみましょうよ、という内容だよね。
スピーカー 2
そうそう、普段素通りしてしまいそうなことを深掘りしてみたら、
人によって結構ね、見方とか違ってて、気づきもあって、面白いかなと思ってて、
でね、たぶんね、友達同士ではあんまり話さないテーマかなと思うんだけど、
キサクロという場では、そういう対話も楽しめる場所でありたいなと思って、
このコーナー、このシリーズ、楽しんでいきたいと思ってます。
スピーカー 1
なるほどね、たしかにね、あんまり面と向かってね、人生とはとか話さないもんね。
それがなんか気楽な感じでね、話せるといいんじゃないかなって思っておりまして、
ちなみになんですけど、私自身は哲学については比較的興味関心は高い方なんだけど、
個人的な取り組みに閉じていて、みんなで哲学について話そうとかっていうことに関しては、
実はあんまり今まで関心がなかったんですね。
ただ、ちょっと前に読んだ、父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書、
スピーカー 1
っていう法哲学者の方が書いた本を読んで、この考え方が180度変わりました。
もっとみんなで話したほうがいいんだなっていう。
スピーカー 2
すごい本だね。
スピーカー 1
この本は法哲学者をされている著者が、
自分の息子たちとの関わりを題材に法案を制定するために必要な哲学、
例えば、権利って何か、権利の定義って何かとか、あとは人種って何だろうとか、
そういった概念について、現代ではどこまで論じられていて、
それをもとにどのような法律とか裁判事例があるのか、
あとは今はどんなことが議論のトピックになっているのかっていう話が結構網羅されていて、
すごい分厚い本なんだけど、
私この本を読んで、憲法とか法律っていった、私たちが社会で守らなければならない、
守るべきとされている取り決めについては、
哲学っていう土台の下で成り立っているんだっていうことを改めて感じたときに、
一人で考えているだけじゃなくて、
みんなで土台について話すこととか、
みんなで考えを共有するってことがすごい大事なんだなっていうふうに思ったんですね。
例えば、法律を定めるときにさっき言った、権利って何ですかとか、
私たちにとっての自由って何ですかとか、
そういう概念をもとにしてどういうものにすべきかっていうことを考えていくと思うんだけど、
そもそも自由の定義が人によって大きく異なる状況だと、
共通で守る法律を作ったとき、
土台にしているものが全然違うと、
話している内容がよくわからなくなってくるっていうことが起きるんじゃないかなって。
スピーカー 2
うん、本当だね。
だから、普段私たちが当たり前のように使っている概念って、
そもそもどういう定義なのかとか、
スピーカー 1
それってやっぱり世界が変わっていくとか、
時が流れていろんなものが変わっていく中で、
現代の日常生活に落とし込むと、
やっぱこういう考えもあるし、こういう時どういうふうに考えればいいんだろうとか、
定期的にメンテナンスしていかなきゃいけないようなものだとも思ってて、
なんかだからそれをやっぱり一人で考えずに、
周りの人とああでもない、こうでもないって話すことが、
すごい長い目で見ると、
世の中を良くすることにつながるのかもしれないって思って、
人と話すモチベーションがね、上がりました。
スピーカー 2
おー哲学ね、楽しい、楽しいというか大切だよね。
なんかさ、法律って結構スパッと区切らないといけない部分とかもあって、
なんで20歳が大人になる年齢なの?とか思ったこととかもあって、
そういうのもおそらく哲学的な大人とは何かとか、
成人とは何かみたいなものがベースにはあるんだろうね。
スピーカー 1
かもしれないね。
スピーカー 2
そういうのとかもね、考えると、なんか広がりそうだね、いろいろ。
スピーカー 1
そうだね。
そうなので、今日は私とユーコリンで基本的には愛心は話すんだけど、
なんか自分はこう思うなとか、
どういうことも大事にしながら聞いてもらえたらいいんじゃないかなって思っているし、
なんか考えたことを、もし気が向いたらお便りで教えてもらえたら嬉しいなっていうふうに思ってます。
で、今回のテーマは愛について考えようっていうことで、
今日は以前キサクロでも取り上げた、
世界は雑魚でできているの著者、近渕優太先生がこの春に出された新しい本、
リタ・ケア・絆倫理学、私を生き直すための哲学、
この本を題材に、愛の中でもケアするとか、
リタ行為について話せたらなっていうふうに思っています。
で、なんでこの本を持ってきたのかっていうと、
まずこの本を読んで、私の中でこう思ったっていう生理があったので、
それを先に伝えておくと、
スピーカー 1
愛っていうのはめちゃくちゃ広い概念だなっていうふうに思っていて、
で、なんかその部分集合としてのいわゆる愛情行為というか、
ケアとかリタ行為が含まれているのかなっていうふうに思っています。
っていうふうな結論に落ち着きましたと。
だから、この本を読むと、そうなのかもしれないっていうふうに思うんですけど、
愛のないケアとか、愛のないリタ行為っていうのは、
そもそもケアとかリタの条件を満たしていないので、
それはちょっと違うんだっていうスタンスで、
あくまでも今日のスタンスで、今日は話したいなっていうふうに思っておりますと。
つまり、何の話だっていうふうに思うんですけど、
そんなことを今日ね、ちょっとずつ話せていけたらなっていうふうに思っておりますと。
スピーカー 2
近内ゆうた先生の本、いいよね。第2弾。楽しみ。
なんか難しい哲学概念出てくるけど、
結構本の中で身近なことを絶妙に織り混ぜて、結構刺激をされる本だよね。
スピーカー 1
そうなんです。この本、すごい刺激されるんですけど、
そうなんです。この本かなり密度が高い本なので、
この回で話せるこの本の内容は、
私が特に印象に残って話したいなって思った、ごくわずかな部分になりますと。
尺がありますので、尺の都合上、詳しい説明も省いて、
ここは詳しいことを知りたい方は本を読んでくださいみたいなことを言ってしまうんですけど、
その点については今日はどうかご容赦くださいと。
あともう一つなんですけど、この回はもともと2回に分ける予定だったのね。
スピーカー 1
この本はとても密度が高いから。
でも大変ありがたいことにお便りがたくさん来ていて、
お便りを早く紹介したいので、
1回にもまとめてしまおうというふうに決断しましたと。
1回にまとめるって決めた時から、台本の制作からかなり努力はしてるんですけど、
この回は長くなりますと。
でも本当に申し訳ないんですけど、この回はちょっと長いと思いますと。
でもこの本の魅力とかケアのことを、
ゆっくり伝えられたらいいなっていうふうに思っているので、
最後まで聞いて損はありませんと。
スピーカー 2
はい、ありがとうございます。
これほどの密度をまとめてくれたそらやん、ありがとう。
スピーカー 1
はいよ。
スピーカー 2
本当お便りもどんどん来ていて、ありがたい限りです。
スピーカー 1
そうなんです。
スピーカー 2
詳しくは本を読んでくださいっていう部分もあるけど、
きっと哲学の本って、
本を読みながらゆっくり一人で考える時間も楽しいかなと思うので、
興味持ったらね、読んでみてほしいなと思います。
スピーカー 1
そうね。
じゃあ、この本の紹介をまずざっとさせていただきますと、
この本はさっき言ったケアとかリターで言った内容って、
内容の本質について近内さんなりに切り込んで、
つまりさ、ケアってこういうことなんじゃない?
っていうことをみんなに問いかけることで、
この社会でケアとかリター行為がより機能することを目指していきたいよねっていう、
そういった内容の主張が込められている本だと私は思っておりますと。
近内先生自身も本の中で述べているんだけど、
ケアしたつもりが傷つけ合ってしまったみたいな、
良かれと思ってしたんだけどな、みたいなことって、
日々の生活で少なからず起きてしまっているんじゃないかなっていうのがあって、
それを防ぐためにもケアそのものについて厳密に一つ一つ紐解いていって、
それで良い機能にさせていきましょうっていうふうに考えています。
スピーカー 1
だから人間としてはそんなに修了生活をしていた頃の機能と生物的には変わっていないんだけど、
周りの環境はそのスピードに比べると激変してしまっていると。
それはもう一人では立ち打ちができないっていうふうに、
地下地先生はそういうふうに考えていて、
そうすると、この現代を生きていくためには人類にはケアが、
生存のために必要不可欠だっていうのが、地下地先生の最初の主張です。
スピーカー 2
なんか今見渡してみて、何もかもがこの背後に関わった人は何人いるんだと思うと、
なんか愕然とするというか、何一つないね。
自分だけで成り立つものが。
確かにな、なんかね、ケアなしに成り立たないね。
スピーカー 1
成り立たない。
私はここを読んで、私は結構この主張には納得をして、
周りに迷惑をかけないようにみたいな考え方をしてしまうことは多々あるんだけど、
スピーカー 1
もうそもそもケアされているのだから、もう当たり前なんだから、
逆に私はケアされたなっていうふうに思ったら、
迷惑をかけてしまったっていうんじゃなくて、
スピーカー 1
私もどこかでケアをしようっていうふうに切り替えることが、
人類の生存において大事なんだなって。
スピーカー 2
いいね、いいね。その考え方の切り替え、いいね。
私も結構ね、周りに迷惑かけるんじゃないかとか、
萎縮するときあるけどね、もう人類に不可欠なんだもんね。
そういう心理的ブレーキ外して、ケアをし合うっていう前提で生きていくほうがいいよね。
スピーカー 1
そう、しかし先生の主張はそういうことなので、
我々にはそもそもケアが必要なんだっていう前提で、
今日は話を進めていくんだけど、
それには納得しつつも、やっぱりさっき話したケアしたつもりが傷つけてしまったとか、
この人たぶん私のためにやってくれたんだけど、すごい辛かったなみたいな経験を得たりすると、
でも俺は一人で生きていくみたいな殻にこもってしまうよなっていう。
そうなると人類にはケアが必要なのに、一人で生きていくっていう人が増えていくと、
ケアの関係性が成り立たなくなって、生存が厳しくなっていくみたいな。
私はどちらの経験もあるから、さっきみたいな気持ちの切り替え大事だなって思いつつも、
でも、ケアしたつもりが人を傷つけてしまったらどうしようみたいな気持ちになるなっていうのはめっちゃわかるなって思う。
ゆうこりんはそういうことで悩んだこととかってある?
スピーカー 2
悩んだことっていうか、失敗したことは結構あるよ。
例えばさ、友達が悩み相談してくれたときに、
ここは笑い飛ばしたほうが気が楽になるんじゃないかと、笑い飛ばしたところ、すごい相手を傷つけたりとか。
結構悩みといえば、私ちょっとそういうところがあって。
スピーカー 1
その友達にとっては、真剣に受け止めてもらえたほうがケアだったんだけど、
ゆうこりん的には笑い飛ばしたほうがケアになるんじゃないかっていうところで、マッチングミスが。
スピーカー 2
そうなの。
スピーカー 1
難しい。このケア行為のマッチングミス、なぜ起こるのかみたいな話を、
塚内先生はオンラインゲームのバフ・デバフシステムで説明をしていますと。
私ここは超得意分野なので、ゲーマーの私として説明させていただきますと、
バフ・デバフシステムとは一体何なのかっていうと、
バフっていうのは、それを与えられたプレイヤーにとって有利なことが起きるもの。
例えば、そのバフを持っていると攻撃力がむっちゃ上がるとか、
敵の強い攻撃を受けても効かなくなるとか。
デバフはその逆で、それを与えられたプレイヤーにとって不利なことが起きるもの。
このデバフっていうものを持っていると、さっきと逆で攻撃力がめっちゃ下がるとか、
敵のちょっとした攻撃でもめちゃくちゃヒットポイントが、体力が減るとか。
オンラインゲームってチーム制のものもいくつかあって、
4対4とか、6対6とか、100対100とか、
自分の魔法とか、魔法だけじゃないんだけど、
いろんなものを使って、同じチームのメンバーにはバフを与えて、
逆に敵対するチームに対してはデバフを押し付けることで、
ゲームを有利に進めていくことが求められるんですね。
このバフ・デバフシステムって、みんな当たり前やんみたいに思うかもしれないんだけど、
実際には結構複雑で、
とある状況ではバフとして機能していたものが、
ある状況ではデバフになってしまうっていうことが、結構往々にしてあるんだよね。
例えば、敵の炎の攻撃、火炎放射みたいなのがブワーってくるみたいな、
それを受けてもヘッチャラになれるように、
チームのみんなにあらかじめ水をめっちゃかけておくみたいな魔法があって、
あるとして、そうするとさ、この炎攻撃を受けてもヘッチャラになりますと。
それって、この水をめっちゃかける魔法は、みんなにとってバフになると。
スピーカー 2
でもこれが、火炎放射とかじゃなくて、
スピーカー 1
電気攻撃、雷ドバーンみたいに来るやつだったら、
水なんか被ってたら、もうめちゃくちゃ痛くて、すごいHP減っちゃうみたいな。
そうなると、この水の魔法ってチームのみんなにとってはデバフになってしまいますと。
お前なんでそんなことしてくれたんだよみたいな。
ほんとだ。
そう、だからバフとデバフって状況によっても変わるんだけど、
例えばプレイヤーの職業とか、格闘家とか魔法使いとか剣使いとか、
職業によってもバフ、デバフって変わるし、
それなんかよりも、キャラクターの種族、
エルフなのか、ドワーフなのか、犬なのか、猫なのかとか、
そういうのでも、同じ魔法とか何かしらを与えたとしても、
その人にとってはバフ効果になったりとか、デバフ効果になってしまったりとかっていうのがあるんだよね。
ふむ。ゲームで例えてもらうと、
スピーカー 2
いろんな属性もあるし、状況もいろいろだし、
もうあらゆるものに対してバフになるみたいなものって、きっと存在しないんだよね、たぶんね。
そうね、存在したとしてもすごい少ないみたいな。
そうね。
スピーカー 1
だから、バフ上げるっていうふうに、
いや、これはデバフだよこの野郎みたいな、
ゲーム内でもバフがデバフに、デバフがバフになるみたいなことって、
たた起きているんだけど、
近内先生はこれはケアの世界でも同じことが起きているんじゃないかっていうふうに、
おっしゃっていて、
ケアが起きているのか、
いろんな属性が起きているんじゃないかっていうふうに、
でも、同じことが起きているんじゃないかっていうふうに、
おっしゃっていて、
ケアがうまく機能したときに、相手にバフがつくとすると、
ケアがうまくいっていないときは、
あの人のバフになりますようにって思ってあげたものが、
相手にとってのデバフになってしまったのではと、
それがケアしようとした結果、傷つけてしまったっていうことなのではないかなっていうふうに、
なんでこう、人に良かれと思ってしたいっていうふうに思っていることが、
バフになるかデバフになるかがこんなにもわからない社会になってしまったのかっていうと、
さっきみたいに、職業とか種族とか状況によってバフデバフが変わるっていうのと同じように、
社会が発展、細分化して、
今多様性がすごい重んじられている時代になってきているなっていうふうに思うんだけど、
対峙する相手によって、そのバフになるケアみたいなものが、
自分とか自分の周辺が望んでいるもの、
嬉しいなっていうふうに思ってきたケアと、
あまりに違いすぎるっていう状況が増えてるんじゃないかっていうことを、
塚内先生は話しています。
ここもちょっと詳しいことを話すと、
世が開けてしまうので、
さすがにね、24時間配信みたいな、
VTuberみたいなことできないから、
見入った話は本をご参照くださいっていうふうに感じなんですけど、
私、またここの例えでかなり納得した部分があって、
私たちが思っている以上に、
この社会って多様な価値観の中で社会を形成していて、
私たちが思っている以上に、
相対している相手のことを理解できてないんだなっていうのを、
ただでも、ケアをしようとして、
結果、相手にとってデバフになってしまったとしても、
ケアをしようとした気持ち自体は、
人類の生存にとって必要なものであることは間違いないから、
それは否定されていないんですけど、
人類の生存にとって必要なものであることは間違いないから、
それは否定されるべきものではないなっていうのも、
私はその時に考えたかな。
スピーカー 2
そうだよね。その気持ちは必要だけど、
ゲームルールがもう超複雑だよね。
スピーカー 1
複雑。
スピーカー 2
なんかね、狩猟時代というか、そういう時代だったら、
とてつもなくお腹が空いてるっていう時だったら、
食べ物を分け与えるとか、
そういうある意味単純なケアでね、
ハッピーになれると思うんだけど、
もうね、結構基本的欲求が満たされた状態の社会においてはね、
相手に必要なケアがとっても見にくいなと思う。
スピーカー 1
見えにくい。
しかもなんかさ、狩猟生活の頃はさ、
自分の身なりにいろいろな評価をされるみたいなこともなかったけどさ、
今とてつもなくお腹が空いててご飯をあげた方がいいかなっていう人もさ、
私真剣なダイエットしてるのに、なんでこんなことするのよみたいなことも起きてしまうのかなみたいな、
この現代社会だと。
スピーカー 2
いや、ほんとだね。そっか。
そうだね。お腹空いてそうなのにね。
スピーカー 1
いや、デバフかいみたいな。どう考えても腹減っとるやろがみたいなさ。
そっか。
スピーカー 2
難しいね。
なのに美味しそうなものをね、目の前に出すとデバフかもしれないね。
デバフかもしれないっていうね。
ダイエットしてる人にとってはね。
そっか。
そっか、そうだね。
スピーカー 1
そんな感じで、社会の発展に人類の進化が完全に追いついていないがために、
ケアは現代社会を生き抜くために人類にとって必要不可欠だっていうことが、
しかし人々の価値観がより多様になった結果、
ケアのマッチングミスが起こりやすくなってしまったっていうところが、
司会者先生の主張なんだけど、そこまで話を進めてきたと。
スピーカー 1
大学の授業の講義に必要な教科書を、自分の隣の席に座るお友達が忘れてしまったと。
しかしながら、その講義のルールとして、教科書は必ず持参する、自分自身で持参するっていうものがあると。
もしかしたらそのルールを破ると成績がちょっと下がるとか、そういうのがあるかもしれない。
で、隣の人教科書持ってないから、先生が何ページ開いて、ここの解説はこうで、こうで、あーで、みたいに話してるんだけど、
もう隣の人はちんぷんかんぷんと、めっちゃ困ってると。
そうなると、そのルールとして教科書は必ず自分で持参するっていうものがあるから、
忘れた相手が悪いのは、ルール的にはそうなんだよね。
でも隣の人は、もしかしたらうっかり忘れてしまったとか、うっかり忘れてしまったみたいな、すごい困ってると。
忘れたくなんかなかったけど忘れちゃった。で、めっちゃ困ってる。
で、困ってるのを見ると、なんかさ、しかも自分の隣でめっちゃ困ってる。
でも自分はさ、教科書持ってるみたいな。で、なんとかしてあげられたいなーみたいな気持ちが浮かぶ人もいるだろうと。
そういう気持ちを抱えた人は葛藤するよね。
自分で教科書を持ってこなきゃいけないっていうルールはあるけど、
隣で自分はそれを守って授業を受けられてると。
で、隣の人はルールは守ってないがゆえに、でもちょっとめっちゃ困ってる。
スピーカー 2
葛藤する。
スピーカー 1
葛藤するよね。
葛藤するよね。
これはなんかすごい簡単な例だけど、簡単な例でわかりやすい例なんだけど、
そうやって私たちが社会生活を円滑に営むために守っていること、守ろうとしている心が時にケアを邪魔することがあると。
めっちゃ困ってるから一緒に見るって言いたいけど、でも教科書は必ず持参するっていうルールがあるんだよなみたいな。
それでさ、なんで二人で見てんだお前ら。原点!みたいなこと言われたらさ、どうしようみたいな。
ていうかそういうことしていいのかなみたいな。
その多様な価値観によって人々が求めているケアが人によってかなりだいぶ違うっていうことと、
この道徳心によってケアする時の葛藤みたいなのがあるっていうのが、私たちにとってケアを悩ましくさせているのだと。
スピーカー 2
そうだね。教科書を忘れたのは自己責任だみたいにさ、いうこともできるし、
スピーカー 1
できるできる。
スピーカー 2
ある意味、忘れたことに対してこの人が反省するためには、ここは心を鬼にするべきなんだみたいな考え方もあるかもしれないし、
スピーカー 1
それも道徳心だもんね。
スピーカー 2
そうだよね。でもこの葛藤を抱えてる人ってなんか人間味あるっていうか、いい人だなって思う。
スピーカー 1
悩んでるからね。めっちゃ困ってるからね、隣の人。
今回はそうした葛藤の結果、教科書を一緒に見ようっていう風に提案することにする。
つまり相手にケアをすることを決断したとしますと、それをすると私たちの心の中で一体何が起こっているかっていうと、
ケアした側の心の中で何が起こっているかっていうと、自分が守るべき、自分が大切にするべきと思っていることよりも、
相手が大切にしたいと思っていることを優先するという心の動きがあるのだと近渕さんはお話ししています。
大学のルールを守る、授業のルールを守るっていう模範的な学生であろうとするっていう考えから一旦離れて、
隣の席の相手の今日の授業を有意義に過ごしたい、たくさん学びたいっていうことを優先するっていう。
スピーカー 2
ケアしてもらって、隣の人よかったねとか、客観的には軽く言えちゃうけどさ、ケアしてる当事者は結構な葛藤を乗り越えたんだなって思うね。
スピーカー 1
教科書を貸すっていうことは割と些細なことではあるんだけど、実際の他の例だともっともっと難しい葛藤があるかもしれないから。
この時の心の中の、ケアした側の心の中の動きをもっともっともっと突き詰めていくと、
自分の大切なものよりも相手の大切なものを優先するっていうことをして、結果ケアが発生したっていうことは、
自分の認識している世界のルール、模範的な学生であるっていうことが一番良しとすべき、私が守るべき世界のルールであるっていう風に考えていたのを手放して、
相手の世界のルールに寄り添うっていうことだと。つまり、自分の中にある価値観とかを変容させているんだよね。
教科書を貸すっていうただその一つのことで、自分の価値観が変わっている。
この自己変容によって相手の大切なものを大切にできるっていう状態が生まれると、初めてケアがバフ効果として成立するのではないかなっていう風に近内先生は話していますと。
ケアの本質は、この自己変容がキーになっているんじゃないかなっていう風に。
スピーカー 2
そっか、表面的には相手への思いやりの行動って見えるだけかもしれないけど、その裏側の心には、自分の大切なものを差し置いて、相手の大切なものを優先するっていう自己変容が存在しているのか。
そこまで相手の大切なものを考えられているっていうのが、ケアの本質なのかなと思った。
スピーカー 1
だってさ、ちょっとさ、想像してみてさ、私はどっちかっていうと教科書忘れちゃう側の学生だから、あれなんだけど、
大学でさ、もう本当に10分前に授業にやってきて、ちゃんと予習も復習もして、
カバンの中はすごい整理整頓されていて、先生の言うこともしっかり聞いていて、みたいなさ、本当に模範的な学生さんっているじゃん、友達に。たまーにいるじゃん。
います。
本当に。
はい。
でさ、その子の隣でさ、教科書を忘れてさ、申し訳ない気持ちになるっていうかさ、
この子は本当に毎回きっちりきっちり、きっちりやって、それをさ、すごい大切にしてるわけじゃん。
模範的な学生であるっていうことを、その人がさ、私みたいなチャランポランな人間がさ、
あー今日もまた教科書忘れちゃったーって言って、おろおろしてるときに、
そらやん見る?って言ってくれたら、めちゃくちゃ自己変容してるよね。
してるー。
してるよね。
スピーカー 2
ほんとだね。
スピーカー 1
でもね、30分は考えると思うよ。こいつに教科書見せるべきか否かみたいな。
だっていつもこの人さ、1分前ぐらいに駆け込んでくるしさ、
たまになんかさ、30秒後ぐらいになんか、遅刻してません?みたいな感じで帰ってきてさ、みたいな。
カバンの中いつもぐちゃぐちゃだしさ、みたいな。
スピーカー 1
で、時々うっつらうっつらしてるしさ、みたいな。
スマホも見てるしさ、みたいな。
そんな子に対してさ、ね。
スピーカー 2
すごく秩序を大切にしているのにね。
スピーカー 1
そう、素晴らしいことか。
スピーカー 2
チャランポランな人に寄り添えるなんてね。
スピーカー 1
そういう自己変容がキーになっているのではないかと、ちょっと極端な話だけど、今回に関しては。
このあたりの説明はもっと詳しく本にも入っているので、そこに触れるともうちょっと以下略なので、ここではちょっと割愛したいんだけど、
もちろんね、その自分の属する社会のシステムを守ること、自分の信念のもとに日々行動すること、みたいなのは大事なんだけど、
世の中にはいろんな社会システムはあるし、いろんな信念の人がいるから、そうした中で葛藤する瞬間ってきっと誰にでもあって。
私たちがその葛藤を乗り越えて、ケアをして相手を助けるっていうことで、自分たちの中での自己変容が起きると。
そうして自己変容を起こした人がたくさん現れて、それが社会に積もっていくと、なんかやっぱちょっとこのルール行きづらいから、
ちょっと見直してみたほうがいいんじゃないかなとか、そういうことにもつながっていくのかなっていうふうに思って、
より生きやすい社会になっていくのかなとか、あとはなんか、私もあの子みたいにちゃんと5分前に来るようにしようとか、
円滑な授業のために自分も頑張ろうみたいな、そういう自己変容も大事じゃん。
そういう感じで、あそっか、なになにちゃんはこのルールをすごい大事にしてたんだっていうことに気づく瞬間とかもあるかなと思って、
より生きやすい社会になっていくのかなっていうことを私は思ったりしました。
スピーカー 2
そうだね、ケアし合うことで、ケアされた側の価値観がなんだか融合し合っていくイメージもつくかな。
信念も必要だけど、それはちょっと固い感じで、まっすぐ伸びていっちゃってる、あっちのほうまでいっちゃってるって感じするけど、
ケアって結構ふんわりしてて、相手と融合して、ゆるやかに人々が生きやすい方向に膨らんでいくものなのかなっていう、中傷的だけど、そういうイメージを持った。
スピーカー 1
そうね、大事なこととして、教科書は忘れちゃいけないんですけど、
忘れちゃいけないんですけど、例としてね、ただ守るべきものがあるけど、それを一旦置いて相手の世界に入るっていうことがケアの本質なんだっていうことを分かりやすく伝えるための例なので、
そうなんだけど、だから、つまりケアってすごい難しいっていう、自分のことも変えなくてはいけない時が発生もするし、
そもそも相手にとって正解なのか不正解なのか、バフなのかデバフなのかっていうことを理解することもなかなか難しいと。
本にも書いてあるんだけど、今回のテーマ、愛に立ち返ると、愛するっていうことをしようとすると、マニュアルがないと。
相手を大切にしようっていう思いが愛だったとして、相手を大切にしようっていう思いの上で相手のためになることをしようとすると、
相手にとってのバフかデバフかを理解することがすごい難しいし、自分の考えも変えなきゃいけないと。
それって、まあ難しいよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
近内先生もケアって多分こういうことだと思うんですよねっていうふうには教えてはくれたけど、
じゃあ相手にとってのバフかデバフかをこのチェックリストを満たすとわかりますみたいなことは伝えてくれてないわけじゃん。
そのマニュアルはないわけじゃん。
スピーカー 1
しかも自分の考えを変えるなんてさ、割と合理的ではないじゃん。
カロリー使うし、エネルギーも使うし、非合理的だし、やってみて、いやデバフだったよこの野郎みたいな不確実性もあると。
非合理で不確実性ばかりの病気がケア行為なのだと、IR行動ケアなのだと話していて、
いやー、それってすごい勇気のいることだなって思ったと。
そう思うと、自分がすごいケアしてもらったなって思った瞬間の高度さみたいなのを感じることもできたし、
デバフだよこの野郎とか思っちゃったりとか、相手に傷つけてしまったって思った時も、
それは私がケアの難しさと対面した結果なんだなって思えばいいんだなっていうふうに。
思ったところもあって、私にできる範囲で、とりあえずこの考え方に沿って少しずつ適切なケアができる人間に
なっていきたいなっていうふうに思ったという、IR行動として今回はケアを取り上げたんですけど、
試行錯誤でもあり正解のない領域なんだなっていうのが、私の最近の実感でしたと。
スピーカー 2
ケアって深いね。
私もそらやんが、ケアの本質は自己変容がキーって言ってたのが、結構気づきだったというか。
スピーカー 1
私も気づきだったよ。
スピーカー 2
自己変容ってなかなか難しいんだよね。
でも、相手の大切なものを自分の大切なものよりも優先するっていう思いが大きい時に起きるっていうのは、
どうかと思うと、愛っていう概念が自分の中でより深まったよ。ありがとう。
スピーカー 1
自己変容ってなると180度自分の考えが変わるみたいなのを想像してたけど、
ケアがうまく機能したたんびに自己変容が起きる。
ガラッとした自己変容が起きるとちょっと人間としてはわけわかんないことになっちゃうけどさ。
たぶん、自分を構成する100の要素のうち2の要素が変容すると、もうちょっとケアできるパターンが増えましたとか、そういうイメージなんだろうね。
なぜさ、教科書を貸すたびに自分が180度変わってたらやべえやつじゃん。
スピーカー 2
いや、そうだね。なんかね、自分が大切にしてるものって、やっぱ大きいものもあれば、それぞれこまごましたものもあるんだけど、
いや、これを変えないと相手の大切なものを守れないって思った時にね、自分を変えれる勇気というか、そういうものがあるのがケアかと思って。
スピーカー 1
例えばさ、なんかすっごい夜中にさ、友達がさ、悩み相談があるって言って電話してきた時に、
次の日朝、めっちゃ早くちょっと会社行かなきゃいけないなみたいな時に、やっぱ葛藤が起きるじゃん。
スピーカー 2
起きる。
スピーカー 1
でもやっぱ、私はこの子のこと大事だから、ちょっと寝不足でも、この子の話聞こうみたいに思った時に、それもまたちょっとしたさ、自己変容っていうかさ、
そうだね、そういうのもね、ケアだね。
うん、そう。
で、その子がさ、もうほんとに、例えばさ、めっちゃショックなことがあって、どうしてもこの話をこの時間に聞いてもらわないと、明日から笑顔でやっていけないっていうふうに思ったら、
私のちょっとした寝不足なんて、大丈夫っていう気持ちに、
いや、眠いけどさ。