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episode.45 中編 らくだ舎 千葉智史さん&千葉貴子さん
2024-03-20 54:14

episode.45 中編 らくだ舎 千葉智史さん&千葉貴子さん

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episode.45 中編

ゲスト▷ らくだ舎 千葉智史さん&千葉貴子さん

今回のゲストはらくだ舎の千葉智史さんと千葉貴子さんご夫妻です。

中編では貴子さんのルーツを中心にお話していただきました。

talk topics

私も八方美人/ヤンキー文化/高校は放送部/編集の仕事/生産者のかっこよさ/20代後半からどう生きるか/色川村へ/地域おこし協力隊

番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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感想

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00:23
そして、たかこさんのお話ですね。
たかこ はい、ショート目、ショート目。はい、了解です。いえいえ。
まず、生まれは?
たかこ 生まれは茨城県の、今、いろいろ合併して笠間市っていうところなんですけど、
茨城県の県庁所在地が水戸市っていうところなんですね。
水戸市は、茨城県のだいたいおへそっていうか、真ん中辺なんですけど、
そこから、電車で15分の智部町っていう、旧智部町っていう、
そこは水戸市のベッドダウンみたいな感じの田舎町なんですけど、
水戸市なんかに全然、田舎っていう、関東平野なので、畑とかが広がってて、ぽつぽつお家があって、
っていうような、そういう雰囲気の町でした。
じゃあ、そこで、小中高まで過ごしてみたいな。
小中まで過ごして、高校は水戸市に行く感じですね。水戸市の高校に行って、
で、大学で東京に出るっていう、そういう感じです。
なるほど。で、そのままストレートで、編集の会社に。
茨城 そうですね。で、大学、どれくらい相当にするかなって。
人物像的に、どういう人やったんかなって。
茨城 なるほど、なるほど。どんな感じだったかっていうと、小学校とかで言うと、
小中、割とこう、いい子っていうか、ちょっと似てるとこもあるんですけど、八方美人で私も認識してたんですけど、
割と八方美人で、いろんな人と仲良くしたいっていうのは、すごい共通してるところがあって、
で、そのあぶれてる人みたいのも気になっちゃうみたいなのとかはあったのと、
あとは割とこう、小学校時代で言うと目立ちたがりだったと思います。
目立ちたがりとか、委員長とか、そういうのやりたいタイプっていうのが結構強く小学校の時は出てて、っていうのはありましたね。
でもなんかそんなにヒエラルキーがバリバリにあるような感じでも小学校はなかったから、割とみんな仲良い感じではあったし、あんまり荒れてもいなかったかなと思いますね。
で、中学校に入って、ちょっとヒエラルキーがめっちゃ出てきたんですよね。
ヤンキー、茨城県も結構ヤンキー文化のある県なので、がっつりヤンキーが出てくるんですよ、中学になると。
03:01
どれくらいのヤンキーなんですか?
暴走族予備軍ぐらいの感じですからね。そのまんまストレートで行くと暴走族になりますみたいな感じ。
つながって、卒業した先輩、暴走族がいて、その射手みたいな予備軍みたいのが中学校にもいるよね、みたいな感じになってきて。
で、その人たちが牛耳ってるって感じでもないんだけど、そういう人たちがいて、おしゃれな人たちがいて、普通の人がいて、みたいな。
いろいろやっぱり文化していきますよね、中国に入るとね。
タカノコさんはその中では?
男の中で私は割と暗めっていうか吟味の方向性で、そこからやっていくんですよね。
で、なんか成績もよかったんですよね。普通に勉強するのは別に嫌じゃなかったから、家でも結構普通に勉強しなさいというような家だった。
父が県庁で働いてたんですよね。県の公務員してて、母は専業主婦だったんですけど。
だからまあ勉強はやるのが普通っていう感じだったのでやってて
で中学とかだと張り出されはしなかったけど結構なんか成績とか分かっちゃう感じでもあったから
あの人は成績がいい人だって
で成績いいとちょっとバカにされるみたいな
逆に
逆になんかそういう雰囲気があって
でなんかちょっと言わないようになるべくバレないようにみたいな感じでコソコソしてましたとかね
でなんか文化部だったんですよ合唱部だったんですよね中学校
合唱部ってヒラルキー下なので中学校で言うと
やっぱり体育会系がテニス部とかがやっぱ花形でテニス部とかサッカー部とか野球部とか
長寿だとテニスなのかなやっぱり
でやっぱり文化部系はこう地味な人たちになるので
あんまりそういうのを意識せずだったけど別に運動が好きじゃなかったんですかね
当時はだからなんか合唱部を選んで地味に生きた中学時代って感じだね
で高校生になると高校が新学校に行ったのでそうなるとなんかあんまりヒラルキーもなく
そして女子校だったのですごい高校は楽しくて
みんな仲いいし割とこう文化祭とか体育祭とかも盛り上がるっていうか
みんなでやろうみたいな感じの雰囲気があったし
いい学校だったな
勉強すごく優等生でありつつもなんか他に好きなことあったりとかしたんですか
私は漫画家になりたいって思ってたんですよ
中学ぐらいからすごい絵を描くのが好きでなんか漫画絵なんですけど
06:05
を友達となんか交換日記みたいにしてすごい描いてて
すごい上手な友達がいてその子の真似をして描いたりとか
でこれを続けることが漫画家になるための道だみたいに思ったりとかしてて
漫画はすごい当時から読んでたってほど読んでないけど
買ったりとかもしてたし漫画家になるぞって思って
ストーリー漫画だいたい完結しないんですけど
最初のとこだけ書くみたいな投稿するぞみたいなことを思うだけと思って
ノートに書いてみたいなことはしてましたかね
そうですね中学校ぐらいはそんな感じで
高校に入ってからはちょっと漫画家になるぞはちょっと
なりを潜めつつはありましたけど
高校の時は放送部に入ったんですよ
なんでなのかちょっとあれですねなんか
割とこうアナウンスってアナウンサーがいると思うんですけど
小学校の時の経験で司会をなんか何か
卒業生を送る会とかの司会を任されるっていうシーンがあったんですよ
なぜなら多分目立ちたがりだったから小学校の時
それが結構なんか上手にできた記憶が多分自分の中であって
それでなんか高校に入った時にちょうどその時
茨城県が高校生の国体みたいな
何て言うんですかね何かありますよね何て言うんでしたっけ
言い忘れ言い方忘れちゃった
高校生のインターハイかなインターハイの全国大会なのか
多分全国大会レベルのやつが茨城県開催だったんですよね
それでアナウンサーアナウンスも高校生がやるっていうので
募集が今かかってますみたいなのを
高校の時の担任の先生が放送部の顧問の先生で
それをなんかみんなに告知したんですよね
高校に入ったその瞬間というか入学して間もない時に
でそれに興味ある人は放送部に入りましょうみたいな感じで
でなんかそれを餌にじゃないけどなんか面白そうだな
そういうのやってみたいなって何かその時に思って
その担任の先生がやってる放送部に入ったんですよ
放送部ってありました高校で
放送部あったんですかね
記憶に全然ないですね
活発にやってるところと多分活発にやってなかったら
09:01
お昼の放送とかやるぐらいだと思うんですけど
活発にやってるのは結構ちゃんと大会とかがあるんですよ放送部には
でそのアナウンスと朗読っていう
喋りを競う大会と
あと番組を作るっていうのの
二部構成であってその高校生の放送部の大会って
番組の方はラジオドラマラジオドキュメンタリー
あとテレビの方はテレビドラマテレビドキュメンタリー
っていう部門があって
それに作品を出品して競われていくっていうのがあるんですけど
それに割とのめり込んだっていう
アナウンス部も自分で取材をして
それをアナウンスするんですよね
こういう何か思いをしものがあって
それでこの人はこういう意図でこれをやったと
そうですみたいなその記事を作るのと
アナウンスするのっていうのが両方やるっていうのがあって
ドラマ部門の方はそんなに私は興味はなかったんですけど
ドキュメンタリー部門ラジオドキュメンタリー部門に
私はアナウンスをやりつつ
番組作りの方はラジオドキュメンタリーを
2年間くらい作ったのかなんかやって
それもすごい結構面白くて
なんでか全然わかんないんですけど
女子高生だったのにDVをテーマに
ラジオドキュメンタリーを作るっていうのをやったのをすごい覚えてて
20年前とかってDVって何ですか?
始まりだからDVって言葉が生まれた頃だったと思うんですけど
生まれてちょっと知られ始めようとしているぐらいの時に
なんかそのDVの活動されてる方が
水戸市にいらっしゃることを聞きつけて
その方にそのDVって何なのかとか
女子高生ではあるけど付き合いだしたりとかする時期ではあるじゃないですか
そのデートDVみたいなそういうのも
今その当時はなかったかな言葉
でも女の子が今ほど強くもなかった時代でもあるので
女の子が自分を守るためにそういう知識はやっぱり必要だみたいな
なんか気持ちも多分あったと思うんですけど
そういう話を聞いて
ラジオだから顔出しじゃないから聞ける話とかもあるなとか
その時思ったりとか
なんかそういう取材して話を聞いて知らないことを知っていくみたいな面白さは
高校生の時に多分すでに得たものだったなっていうのは思いますね
すごい真面目な高校生な感じがしますけど
別になんかふざけたりもしてましたけどね
その時将来そういう放送の道へみたいな感じもあったんですか
そこまでは全然思ってませんでしたね
12:01
今思えばそこでそういうの面白かったんだなっていうのはありますけど
ただ単に部活が楽しいっていう感じでやっていて
大学に普通に行けば進学するような高校だったから
あんまり何も考えずに大学行くつもりだったんですけど
その時に一瞬美大に行こうか迷うという時期はあって
母がちょっとデザイナーの端くれみたいなことをしてたので
デザイナーっていう職業が割と身近にあったんですよね
その母も女子美大の短大を出てたっていうのもあるので
ちょっと美大絵を描くのは好きだし
漫画家も多少は残ってた将来の夢としてあったし
絵を描くのを勉強するのはいいなとかって思ったんですけど
美大って基本的にデッサンが試験にあるんですね
鉛筆で描くデッサンが
デッサンのために1年間くらいデッサン教室に
受験のために通わなきゃいけないっていうのが基本的にあるんですけど
それにちょっと耐えられないなって私は思って
そんなにデッサン自体が得意でも好きでもなかったし
そうなるとのめり込んでた部活を早めにやめないと厳しいとか
両立が多分難しかったので
考えてデザイナーになりたかったら
将来的にそっちに進むことはできるんじゃないかなと思ったので
大学は普通に何かとにかく職業の選択肢が広いところに行こうって
その時に思って
結局社会学部っていうめっちゃ広そうなところを選択するっていう風になっていきました
東京の大学に
私は池袋の立教大学っていうところに行ったんですけど
でも池袋も別に都心ではないからね
都心でね
意外に緑にも残っているような
ちょっと田舎 東京の中ではちょっと都心の中で性比べしたらちょっと田舎ね
垢抜けてないみたいな感じはあるけど
でも都心ですね
池袋自体に行きたかったわけでもなくて
ただ立教大学の図書館がめちゃめちゃ素敵なんですよ
この図書館のある大学に行きたいって思って
すごい選び方もなんか超賢い感じの
なんかハリーポッターっぽい感じのすごい素敵な図書館があるんですよ
旧図書館なんですけど
っていう見学に行って
この図書館いいってなって
っていうひどい理由でそこに行かせてもらいましたね
親のすねはかじれるものは全部かじろうって思ってたので
15:02
申し訳ない
大学で社会学部っていうことでどんなことされてたんですか
社会学部は結構その今この本屋でも人文学系の本がすごくラインナップあるんですけど
割と重複する部分はあったりもして
社会学っていう学問があるんですよね
割と近代史っていう感じではあると思うんですけど
人類のこの社会はどういうふうになりたってきてみたいな
ちょっと哲学とも結びつく部分は今あるんですけど
それの全体的なところを学びつつ
最終的にゼミの先生は消費社会学っていう
社会学の中の消費社会学っていうのを専門にされている先生のゼミを選んで
私はそこを割と勉強したっていうか
勉強したって言えるのかなっていう感じがあるんですけど
私は本当に結構不真面目に割と大学は過ごしていたので
不真面目というか結構大変はするわ
授業はひたすら寝てたなっていう感じはあって
友達のノートをめちゃくちゃ写したり
コピー屋っていうのがあるんですけど
ノートコピーしたの売ってるんですよね
あそことか行ったりしてなんかひどかったなとは思いますが
大学の時はどんなことに興味あったとか
大学の時はまたサークルに打ち込むんですよ私は
サークルがフィリピンに行くサークルだったんですけど
どういうことですか
フィリピンリレーションシップサークルっていう
なんですかそれ
ARCに似てるんですよPRCっていうサークルに所属していて
何やってるかわかんないですよねそれだけだと
それがフィリピンのすっごく田舎の島と山の地域と2カ所あるんですけど
村にホームステイしながら交流したり植林したりするサークルだったんですね
すごくかいつまんで言うと日本軍が昔焼いてしまった山
っていうのも本当だったのかなと思いつつも
そこに学生たちを連れて最初は先生が植林するぞみたいなことをやったっていうところが始まりで
それを代々引き継いでるうちにサークル化して
国際交流サークルみたいなものになったっていうサークルだったんですけど
現地の教会の神父さんが受け入れ先の長みたいなことをしてくださってて
その方とやり取りをして何日に何名行きますとか
そういうのを全部学生がアレンジして
毎年受け入れてくださるホームステイの先がいくつかあって
18:03
ホームステイしながらいろいろ活動するっていうことをしてました
何でそれに入ろうと思ったんですか
海外に行きたいと思ったんですよね最初
大学生まで海外行ったことなくて
大学に入ったらやっぱり外国行ってみたいな
みたいな気持ちがあった時にすごく感じのいい先輩に誘われて
そうかサークルでそういうのあるんだみたいな感じで興味を持って
でもきっかけというか一番はやっぱりその人のいい
魅力的な先輩がたくさんいるサークルだったっていうのはあるかなと思います
そうなんですか
割とのめり込んでサークル活動ばっかりやってて
サークルの代表とかやったりとか忙しく過ごして
割と授業は真面目にやってなくて
今受け直したいってすごい思っているっていう感じではあります
その後就職活動
そうですね普通に私は割と真面目に就職活動をしてたとは思うんですけど
私たちの頃って就職氷河期が終わった後ではあって
どちらかというと需要があるような時期に入ってたんですよね
なんですけど割とこううちの大学っていいとこの坊ちゃん嬢ちゃんが多い大学だったので
本当に一流大手企業にみんなバンバン就職していくような大学だったんですけど
私は全然その波に乗れなくて普通に多分エントリーとかしてたとは思うんですけど
でもいろんな会社に多分よくわからなかったから全部出しつつ
自分の中では編集者になりたいなっていうのはちょっとあったんですよね
その当時後輩とかから編集者とか向いてそうって言われたのを間に受けて
文章を書くのも好きだったし国語は子供の頃からずっと得意だったんですよね
卒論とかも書いたんですけどとかも割と楽しく書けたし得意だなっていう気持ちはあったので
文章を書くの得意と編集って本当は結構違うんですけど
編集者いいなかっこいいみたいな気持ちで出版社とかも受けてたけど
全然出版社ってすっごい狭きもんなので全然受からずっていうのが続いて
同じ会社ですね編集制作会社をその中で見つけてすごい中小企業
200人規模だったよね当時はねの会社だったんですけど
そこを見つけてそこは唯一私も通った会社で
1分の1とは全然違うレベルなんですけど
そこが通ってくれたからそのまま入りました
21:01
そして2人が出会ってというわけなんですよね
そして出会った
この出会いからラクダ社までは高子さんのお話を中心に聞かせてもらった方が
そうですねこのままの流れで
入った会社で佐藤氏はさっき言ったように何でもいいって言ってたから経理
僕は最初経理で3年経理の部署にいて
その後でカタログの編集の部署に転属になってたっていう
私は編集希望だったんだと思います多分
何でもいいですよ何でもやりますよと言いつつ多分編集希望で
さっきの大学時代でフィリピンと
もう一つ私の中で大きいターニングポイントになったのが
山形県の高畑町っていう有機農業の発祥の地って呼ばれている場所があるんですけど
そこにその2泊3日とかなんですけど農業支援キャンプ
キャンプって言ってたけど別にキャンプじゃないんですけど
2泊3日で支援しに行く収穫を手伝いとかしに行くっていうのを
学生たちだけでやってる活動があって
それに年一で参加し始めたんですよね
そこですごく衝撃を受けたというか
この食べ物を作るのってすごい素晴らしい仕事だし
有機農業っていうものもすごく素晴らしいし
その農家さんたちのかっこよさっていうのにすごい痺れたというか
哲学を持って何かやってる姿とかに感銘を受けて
こんなにかっこいい大人が存在するんだよ
世の中にはってその時にすごい思ったんですよ
その高畑の人たちの農業が
やっぱり第一次産業って
今はその当時よりマシになってると思うんですけど
下に見られているというか
あんまり衰退していってるようなイメージの産業だったと思うんですよね
そういうこんなにすごい素晴らしい仕事をしていて
食べ物がないと人間は生きていけないのに
こんな風に認められてない
世の中からあんまり認められてないっていうのはおかしいんじゃないかって
すごいその時に学生の時に思って
学生だと支援しに行くとは言っても役立たずなんですよね
基本的には農業の現場でやらせていただいているという感じで
本当役に立ってないなって当時思ったんですけど
いつかこの人たちの役に立てるようなことができたらいいなって思いを
その時持っていて
入った製作会社っていうのが
編集製作会社で
カタログの編集が結構大きい事業の柱としてある会社なんですね
24:04
そのカタログが生活共同組合で
和歌山だとコープ和歌山っていうのがあると思うんですけど
首都圏だといくつかそういう生活共同組合って存在してて
その中の3番手ぐらいの大きさのところのカタログを作る仕事を
全部一手に引き受けて受注している会社だったんですね
その生活共同組合って
そういう有機農業の生産者の方とか
いろんなものづくり
食品づくりをすごく真面目に取り組んでいる
全国のいろんな産地の人たちとつながりあって
直接物を仕入れて直接
生協の組合員って呼ぶんですけど
消費者に届けるっていうのをやっている組織なんですね
なので私が将来役に立ちたいなこういう人たちのって思ったことの
直接その高畑の人たちが生活共同組合のメンバーだったわけではないんですけど
すごく似たような人たちを支援する仕事だなっていう
大枠で見た時に思っていて
そんな思いを多分面接の時にすごく語っていたので
そのまんまそのカタログを作る部署に私は配属されて
編集の仕事を勉強しなさいっていうルートに乗っていったっていうのがあります
最初からもう編集の仕事をずっとしていて
途中から佐藤さんが合流してきてみたいな
いくつかカタログ作る仕事の事業があったり
その企業の広報系の事業部があったりとかいくつかあったんですけど
その中で佐藤さんは3年後私のチームの部下としてやっているみたいな感じになって
私がそのトレーナーとして彼を指導するっていう立場になってしまったんですよね
でなんかああみたいな感じに
当時付き合ってたんですけど一応内緒にはしてたので
会社では仲のいい同期だねみたいな感じでいたので
転作を家でするみたいなことをすごいしてて
ギスギスした家みたいな感じになったりしてたような気がする
なんで言ったこと直ってないのとかすごい言って怒ってたような覚えがありますが
じゃあ佐藤さんもその仕事を通して
なんかそういった生産者さんに触れて
そういう方を支援する仕事もなんか楽しいなみたいな感じだったんですか
そうですね僕はこの仕事始めてからですけどね
彼女みたいなバックボーンはなかったんですけど
やっぱやっていく中で意義深いなと思いましたし
27:05
そのカタログ制作というかその会社に入るまでは
そのセイキョウという存在も名前は聞いたことあったけど
コープだなぐらいしか僕も認識なかったんですけど
そのセイキョウという仕組みがすごいいいなというか
お客さんじゃないんですよね
基本的にセイキョウを取ってる人って
組合員っていう言い方をするんですけど組合に入ってる人なんですよ
なんで仲間というか同じ理念のもとで
買うっていうことを通じてその活動とか
その相手を支えるっていうのが基本理念としてはある
ただその大きくなっていく中で
それが組織が大きくなっていく中で
どうしてもいろんなものが規模が大きくなりすぎてしまって
入ってくる人もどんどん増やさなきゃみたいな時に
消費者全として入ってしまう人も多いし
組合の人としてセイキョウをやってる中の人も
そう認識してしまう場合が少なからずあったりして
それは結構問題だったりはするんですけど
とはいえそのやり方というかその人の集まり方が
すごいいいなと思いましたし意義もあるし
そこにコミットできることが単純に喜びというか
すごいやりがいを持ってやれる仕事だなというのは
常々感じてたので
いい仕事に巡り合わせてもらったなというのは
やりながら感じてることで
ただやっぱり編集とか制作の仕事の方が
ともするとお客さんセイキョウの人よりも
より理念とか思想を強く持ってしまうというか
それはなぜなら言葉にしなければいけないし
そもそもカタログを作る意味って何なのかみたいなことを
考えた時にやっぱそういう表現ではダメですよねとか
もっと売るんじゃなくて組合員さんとどうコミュニケーションを取るか
みたいなことが大切ですよねみたいな
立場が逆転してしまうケースがままあって
それにフラストレーションというか
なんでこっちがそんなことを言いながらやってるんだろうなみたいのは
一方で感じていた課題というかジレンマではあって
それが大きくなっていくっていうのが
和歌山に移る一つの契機というか
理由になったんですよね
取材に行って記事を書くという仕事もしていたんですけど
30:02
それは編集というよりライティングも両方やれという会社であったので
そういう中でいろんな地域
それこそ和歌山に取材に来たこととかもあったかな
あったと思うんですけど
そういう地域でやってる生産者の人たちを取材に行くたびに
やっぱりこういう地域で地道にやってらっしゃる生産者の方々のかっこよさ
素敵さっていうところにどんどん引かれていくのはお互いあったと思うんですよね
やっぱりこれからずっと東京に居続けるっていうんじゃなくて
地域の方に私たちも軸足を移したいよねっていうのは
結構早い段階からというか仕事していく中で
どんどん希望が生まれてきた部分ではあったかなと思いますね
やっぱねかっこいいんですよね
生産者の人とかが現場に行って話してくれる言葉とか
その何て言うんですかね
ただずまいとか全体が言葉を持っている感じがすごいして
重みもあるしそこの響き方も全然違うなと思って
やっぱりそれを言葉にして書くときに
よく言ってしまうんですけど
僕らはその言葉を持って帰って
当時新宿の近くというか東新宿ってところが職場だったので
そのビル街の中で土に触れて
土に根差している人たちの言葉を文章にするわけなんですけど
めっちゃクーラー効いてるし
なんかここでそういうことをやってるのが何なんだろうなみたいな
やっぱ考え始めるとどんどん止まらなくなっていくというか
このままでいいのかなみたいなことを感じ
どんどん気持ちが大きくなって
自分たちもそっち側どちらかというとそちらに足を置いて
街に足をつけて暮らせたらより良いんじゃないかなっていうのは考えて
僕の場合は多分3年くらいかな
そんなことを考え始めて
3年くらい地方に移住したいなというか
したほうがいいんじゃないかなというか
都会に続けるっていうのもあんまり想像できないなっていうのを考えて
いろいろ出ていく方法を探したっていうのが
3年くらいかけてゆっくりっていう感じかな
20代後半30歳になる前に選択しなきゃいけないんじゃないかみたいな気持ちが
なんとなくあったっていうのがありますかね
33:03
会社でのステージもだんだん変わってくるようなタイミングでもあったし
これからどう生きていくかっていうのは
20代後半にずっと話し続けてたテーマだったなというのは思いますね
お仕事休みの日はいろんなところ行って
先探したりとかそんな感じですか
結構情報はインターネットで探しつつっていう感じだったですけど
さっき高子が言った通りで
結構現場に出ていく仕事もありがたいことに
僕らそれぞれやっぱり出張に出る人と出ない人というか
いろんな状況とか環境の中であるんですけど
幸い出て行かせてもらえる立場にその当時いて
なんで農家さんに限らず
例えば中小企業の思いのあるメーカーの方に取材に行ったりとか
っていうのを全国各地とまでは言えないんですけど
複数行ったりしてたので
ここで暮らすとしたらどんな生活になるんだろうなとかっていうのを
行った先々で考えたりとかちょっとお話し聞いたりとかしながら
ここはもしかしたら自分に合いそうかなとか
会うってどういうことなんだろうなみたいなのを考えてたっていう感じですね
その中で色川を選ぶきっかけというか出会ったのは
そうですね出会いとしては
日本仕事百科っていう求人サイトって言っていいと思うんですけど
結構僕好きでよく見てたんですよ
それはいわゆる求人記事なんですけど
結構その人とか土地とかその仕事を掘り下げて語るようなメディアで
すごい面白いんですよね
例えば家具職人を募集しますとか
いろんな仕事があるんですけど
例えば醤油作る人誰かついてくれませんかとか
っていうのも単純に仕事内容だけじゃなくて
いろんな今の醤油作りの状況とか歴史みたいな話とかも含めて
読み物としてすごい面白くてよく読んでたんですけど
それでたまたま色川の地域おこし協力隊の募集記事が出てきて
それが場所との出会いでもあるし
その協力隊という仕事との出会いでもあるし
僕もその当時和歌山多分僕は行ったことなかったと思うので
全然行ったことない土地だなって調べて
そっかそっか三重の隣かみたいなそんなレベルで
出会ったっていうのが最初ですね
で行ってみようと思っていて
36:02
結構数あるそういう仕事の中で
その色川の地域おこし協力隊は何が良かったんですか
そうですねなんか
今までの仕事が行きそうだなっていうその募集要項の中で
編集的な視点というか実際にその地域新聞を作るとか
やってきたことが活かせそうだなっていう仕事の部分と
当時都会から出るって考えた時に
結構性質として天の弱なので
あんまり都市に近い移住の仕方を
想像できなかった
例えば移住の有名なところでは長野とか
滋賀とかいわゆる東京に出やすい場所とかっていうのが
人気の場所として上がりがちなんですけど
なんかそういう流れに乗りたくないみたいな
謎のその反骨精神みたいなのがあって
出るなら遠くだみたいなのがあったので
そういう意味でも和歌山って遠いなみたいな
逆に魅力として移ったというか
それは後おいでの理由付けなんですけど
やっぱその都市的考えから
物理的距離が離れてる方が
精神的な距離も離せるなっていうのは
住んでみての実感としてはあって
例えばチェーン店が少ないとか
単純に広告みたいなものとかも少ないし
なんかそういう影響力が
より遠い方がより弱まるような気がして
最近ちょっと新宮もまた変わってきてますけど
当時全然チェーン店もなかったし
コンビニとかもほとんどなかったと思うんですよね
中国が行く当時ですけど
来て住んでいく中で増えていったような印象があるので
かなり情報の波及が
これだけインターネットとかがありつつも
遅いというか
っていうのは結構魅力的に映ったんですね
というのが都市的な選んだ理由の一つとしてはあるのと
あと色川っていう場所に限って言うと
すごい懐かしい感じが初めて訪れたにもかかわらずして
石垣積まれてる棚田の風景とか
出会う人たちとのコミュニケーションみたいなものに
39:02
なんか謎の懐かしさを感じて
それは結構色川の最初の印象として
すごい心に残ってるものとしてあって
あんまりいろんなところを選びすぎ
選択肢を増やしすぎると
多分選べなくなるだろうなっていうのもあったので
その中自分の感覚が合いそうなところで
ここなら行けるんじゃないかなっていうので選んだ
協力隊に運よく採用してもらったので
その仕事をやろうっていう風になった感じですかね
そうしたらいきなり夫婦で移住してっていう感じですか
佐藤 そうではなくて 佐藤の方が先に嫌気がさせてというか
霧が良かった
佐藤 霧ってあると思うんですけど 仕事の霧が良くて
私はすごいプロジェクトの下中にいたっていうのもあるので
まだどこがベストかって分からないよねっていう前提の下で
いろいろ探してたっていう感じではあったので
候補の一つとして地域おこし協力隊でまずは
佐藤が選権隊として行っといてという感じで
先に辞めて協力隊になって
私は東京にいながら仕事をしながら
ちょっと長い休みが取れそうなところって
年間何個かあると思うんですけど
それで何か春夏秋冬5日ぐらい休みを取って
広川に来ていろんな人に会ったりとか
どういう場所なのかっていうのを
だんだん知っていく期間が1年間あってっていう感じですね
1年後に本当は協力隊が終わるその3年間までを
検討期間として設定してたんですけど
その1年間で私がちょっとずつ広川を知るうちに
なんかずるいみたいな気持ちになってきて
すごく楽しそうだなと
広川楽しそうだし
私も早くここで暮らしたいって気持ちがどんどん強くなっていって
私もちょうど1年後にちょうどキレがいい
仕事のキレがいいタイミングがやってきて
ここだっていう感じのところがあったので
もう辞めて私もこっちに来るって決めて
その時はまだ結婚してなくて
こちらに来るとなったら
ちゃんとした形にした方が分かりやすくて良いだろうというので
広川に私が来てその年に結婚したという感じですね
高子さん的にこの広川の気に入ったポイントというか
ここだったらっていうのって決めてとかあったんですか?
なかなかやっぱり肌感覚っていうところが一番だとは思うんですけども
最初に来た時は遠いなって思って
42:02
それは私にとってもプラスというか
よしよし遠いぞみたいな
私も天の弱なので
この遠さはいいなみたいな感じに思ってたんですけど
あとやっぱりいろんな人に出会う中で
やっぱり空気感とか価値観とかがすごく合うというか
気持ちよく暮らしていけそうな雰囲気っていうのを
その時に感じたし
このコミュニティとして強さを感じたというか
山の中の地域だからこそ
みんなで自分たちでやっていかなきゃいけないみたいなのが
多分ベースに広川の人たちってあって
そこに移住者たちも自給自足を志す人たちが加わって
自分たちで頑張ってやっていこうみたいな感じがすごくある地域だなって
その時に感じたんですよね
それはすごくそんな地域がまだ残っているんだっていうことも衝撃的だったし
憧れる昔ながらの暮らしとかスタイルみたいなものが
こんな保存されているっていうか
さっきの精神的に遠いことが
消費文化とか消費社会とかに巻き込まれずに
残っててくれた場所みたいに感じた部分があって
こういうところはこのままいったら多分人口はどんどん少なくなっていって
しまわれていく集落になっていくのが
日本のスタンダードだと思うんですけど
そういうところが1個でも2個でも残っていてほしいなっていうふうに感じて
そしてその小浦川地区は多分残れるんじゃないかって感じたんですよね
私もその中の一人としてやっていけたらいいなっていう気持ちがあったし
単純にここでだったら絶対暮らしていけるという謎の確信がやっぱりあって
何の違和感もなくここだろうなっていう感じでやってきたって感じですね
なるほど
1年後に
1年後に
佐藤さんは地域おこし協力隊ではどんなことされてたんですか
僕は一言で言うと住民活動のサポートっていう
ないんだっていうのがあって
募集要項とかも本当にいろいろ書いてあったんですよ
説明が難しいんですけど
要はその協力隊
最近協力隊としてやっぱりよく見るのは
協力隊が引っ張って何かをする
例えば事業を起こしますとかそれこそゲストハウスを始めますとかっていうのが
45:05
切り取りやすい協力隊の活動として多分主流だと思うんですけど
というよりは例えばゲストハウスやりたいって人がいたら
その人の下支えをするみたいなこととか
実際にはやってないんですけど
というので色川にいろんな活動があるので
そこの活動の下支えをするっていうのが
一応活性られたミッションで
例えばさっき言った地域新聞みたいなものとかは
協力隊が企画とか編集をするんじゃなくて
一応その地域の中で班があって
広報通信班っていう班があるんですけど
その班のやりきれない部分をサポートする
例えば取材行くとかっていうのも
全部が全部住民ではできないから
協力隊がやる部分もあったりとか
編集の部分だけは協力隊が今も引き続きやってるんですけど
みたいな形で全部を協力隊が担うとか
協力隊が旗を振って引っ張るんじゃなくて
住民がやりたいとかモチベーションがあることを
どんどん回っていくようにお手伝いするっていうのが
一応仕事としてはありました
大きいところで言うと地域新聞と
あと毎年1回色川だよりっていう冊子を発行してるんですけど
それは昔の聞き取り 聞き書きの記事が載ってたりとか
今の色川の活動を紹介するみたいなもので構成されるんですけど
そういうものの聞き書きとか
聞いた文章の書き起こしみたいなことをやってたりとか
あとはそのいろんな
例えば色川の産品を持って
例えば勝浦のイベントに出展しますみたいな
雪祭りみたいなイベントがあるんですけど
そういう時に一緒に売りに行くみたいなものを
協力隊が売りに行くんじゃなくて
住民がみんなで売りに行くのをお手伝いするみたいな
そんなようなことが各地各集落あって
お手伝いをする
プラスもう一個大きいのとしては
行事の体験というか
各集落それぞれの行事がどんなもので
どういう人たちが担っているのかみたいなのを
実際に参加させてもらったりとか
お手伝いしながらまず体感して
その上でさっきの記事にしてみたりとか
自分たちなりにコミュニティを
どういうものかっていうのを考えていくみたいなことが
メインの仕事というか活動でした
48:00
そういうのは地域の人たちと千葉さんの間に
千葉さんって急に
里地さんの間に行政の人が入って
その仕事を振ってくれるみたいな感じなんですか
そうですね
それもイロカに決めた理由と関わってくるんですけど
イロカの協力隊は地域住民が
手動で導入してるもので
今は行政の人も結構関わってくれてるみたいなんですけど
僕入った当時はまだ
行政の人ほとんど出てこなかった
というかいるけど知らないみたいな
ぐらいな感じだったんですよね
もう基本的に住民の人が
自分たちで協力隊の導入から
その日常の活動のサポートまでするから
入れてくれと
行政は何もしなくていい
で行政がそれならいいよって言って始まったみたいなので
間には行政は入ってないんですよ
形式的なやり取りはあるんですけど
入らないっていう
お互いの約束の中で進んでたものなので
っていうのが良かったんですよね
協力隊って今はもう結構増えてますし
いろんな働き方多分あると思うんですけど
僕が入るって10年前でも
まあまあたびたび問題にはなってたというか
協力隊入ったけど根付かずに出ていっちゃったとか
ともするとネット上に住民の悪口を書き連ねた
協力隊が炎上しちゃうとか
僕の時もあったんですよね
そういうのを目にしてたので
せっかく入る場所に居続けられる要素って何かなって
考えた時に
構成員としては協力隊と行政と地域
住民と多分3カ所あるので
少なくとも住民と協力隊がうまくやれてれば
住み続けられるじゃないですか
仕事はできなくなるかもしれないけど
なので住民の人たちが協力隊のことを
ちゃんと考えてる場所に
もし協力隊で入るとしたら
それは結構マストな条件かなと思ってたので
それがエロカーだと
すごい偉そうだけど理想的な形で
協力隊を導入してるなと思ったので
ここでやったらやっていけるかなっていうのは
結構大きくあったと思いますね
協力隊の面接なんかも住民の人がやってくれて
そこでいろんな話ができたっていうのは
結構初めて行く場所だし
どんな人いるかわかんないから不安じゃないですか
っていう時に住んでる人たちが面接してくれるっていうのは
51:04
すごいプラスに感じましたねその当時
なんでここならやっていけるかなっていうのは
入る前もそう思ったし入ってやってみても
それはすごい実感としてやりやすかったですね
3年間は地域おこし協力隊の住民の方のサポートの仕事をして
そうですそうです
その期間が終わってからはもう独立して
仕事してっていう感じなんですか
そうですね
協力隊は3年間期間があって
その後どうするって決まってないので
何かやらなきゃいけなかったんですけど仕事をね
だけどそんなにその協力隊期間で何かを考えてはなくて
何か仕事どうにかなるかなって思ってたんですよね
そんなホントしてたらさっきちょっと高子が言ったみたいに
ヨロゼはこれからどうしようかなって思ってるんだみたいな話が
それは協力隊の任期中にあって
でよかったら引き継がないかみたいな協力隊終わったら
みたいな話が
54:14

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