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episode.82 旅する絵描きcoco 前編
2026-06-24 39:02

episode.82 旅する絵描きcoco 前編

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今週のゲストは旅する絵描きcocoさんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


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ガラガラ抽選で入学/中学時代はガリ勉/ニュージーランド留学/アメリカから採用試験応募/多忙な教員生活/仁尾さんがきっかけ/二ヶ月寝たきり/退職と那智勝浦


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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サマリー

今回のゲストは旅する絵描きcocoさん。和歌山県生まれで元小学校教員という異色の経歴を持つ彼女は、2023年から独学で絵画制作を開始し、国内外で個展やグループ展に参加しています。幼少期は「ふわふわしている」と言われる不思議な子で、絵を描くのが好きな一方で、中学校では「ガリ勉」になるなど、様々な顔を持っていました。 大学時代には交換留学でアメリカへ渡り、その準備のために様々な国を旅しました。心理学部を目指していましたが、教育学部に入学し、卒業後は小学校教員として6年間勤務。しかし、過労による病気をきっかけに、人生の転機が訪れます。病気療養中に絵を描くことの楽しさを再認識し、教員を辞めて絵描きとしての道を歩み始める決意を固めました。 退職後は那智勝浦のゲストハウス「Why Kumano」で働きながら、抽象画に出会い、本格的に絵画制作を開始。その後、オーストリアへ渡り、現在は世界を旅しながら絵を描く活動を続けています。cocoさんのこれまでの人生は、偶然の出会いや自身の直感を大切にしながら、常に新しい世界へと飛び込んでいく、まさに「旅する絵描き」としての生き様そのものです。

ゲスト紹介とcocoさんのルーツ
アリダ市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第82回です。本日は、アリダ市にある駄菓子屋辻本で収録しています。
本日のゲストは、旅する絵描きcocoさんです。
cocoさんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、cocoちゃんの紹介を白石くんからよろしくお願いします。
cocoさんは、1993年和歌山県生まれ、和歌山大学教育学部卒業、元小学校教員で、2023年より独学で絵画制作を始めます。
国内外問わず個展やグループ展に参加して、世界中を旅しながら新しい人や価値観との出会いで生まれた心の動きを日記のように綴るという活動をされています。
はい、ということで、以前ゲストに出ていただいた小学校の先生、小栗先生からのご紹介で、cocoちゃんの登場というわけなんですけども。
はい。
今ちょうど日本に帰国しているタイミングでというか。
あ、そうですね。そうなんですよ。小栗先生は私の大学の同期で、一緒に働いたこともある先生ですごく仲良しなんですけど。
今は去年1年ヨーロッパにいて、ちょっと今半年間くらい日本で滞在しているという。
なるほど、半年くらいいてるんですね。
あ、そうですね。
けどまた次は5月から。え、5月から?
そう、来月からヨーロッパにもう一度戻ります。
おー。で、なんか小栗先生からcocoちゃんの名前は出てて、でなんかいつか出てもらえたらなと思ってたけども、まあ海外に行ってて。
そうや、ちょうど小栗先生の回もヨーロッパにいた時に聞きました。
ね。
うんうん。
で、とか思って忘れてた頃に、あのARCのお隣辻本で。
あ、そうですね。
cocoちゃんがなんか1,2週間ずっと泊まってるみたいな。
あ、そう滞在させてもらって、いろいろ和歌山でイベントがあってちょうど滞在させてもらうことになって。
なんでこのタイミングで出演していただくということで。
ありがとうございます。
すごい嬉しいタイミングでありがとうございます。
ちなみにヨーロッパってどこら辺になるんですか?
えっとね、えっと拠点はオーストリアっていう国のウィーンにいました。
でもあのヨーロッパ圏は結構陸路でいろいろつながって旅ができるんで、いろいろなんかスイスとかハンガリー、チェコとかもつながってるんで、いろいろ行ってました。
ウィーンに部屋を借りて、そこでずっと住みながらいろんなところに行ってみたいな。
そうですね、そうですそうです。そんな感じ。
なるほど。白石くんとココちゃんは結構知り合いというか。
知り合いの知り合い。うちの弟がですね、前職の小学校の教員の時に知り合い。
そうですね。
で、その話でアーケードの前あたりにワイクマノに行ったりした時にたまたま働いてたりとか。
そうそう。
で、またこの間、ついこの間、和歌山市内でも個展をしてたんですけど、その個展もなんかちょっと行かせてもらって。
来てくださって。
弟がちょっと、いや行って行ったらいいよって。よかったよって。よかったよって言ってくれたんで、じゃあ行ってみようかということで。
すぐ来てくれましたね。弟来てくれた1時間後くらいに来てくれたかもしれない。
めっちゃすぐ行ってる。
たまたま外におって、弟呼び出して飲もうかなと思ってたら、弟はこれやんけどそこ行ったらみたいな感じで言われて。
そういうことか。なんか白石くん踊ってきたなと思ったら、お兄ちゃんだった。
よく似てると。
めっちゃ似てる。
なるほどですね。僕とはなんかそんなにがっつり喋ったことはないけど、お店に来てくれたりとか。
そうですね。なんか何かとお会いする機会は結構あって、イベントとかでもお見かけするんですけど、なかなかなんか深く喋る機会はなくて。
挨拶とか、こんにちはって感じの感じだった。
感じですよ。
感じだった。そう。だから今回こうやってお話できて嬉しい。
ちょっとどんな、ここちゃんがどんな人生を経て今に至ってるかっていうのをちょっといろいろとこれから聞かせてもらいたいんですけど。
はい、もちろんです。
まず生まれはどちらからですか?
生まれは和歌山市ですね。
和歌山市のどのあたりで。
どのあたり。和歌山駅、JR和歌山駅の近くって言ったらいいのかな。
めちゃくちゃシティの。
シティガールなのかも。
大田小学校とかその辺?
裏側なんですよ。東口の方なんで、シカゴ小学校とかの近くなんですよ。
なるほど、なるほど。ちっちゃい時はこうちゃんはどんな感じでした?
どんな感じだったんだろう。不思議な子だったかもしれない。
不思議な子。
なんかふわふわしてるねってよく言われてたかもしれないです。
今も結構ふわふわ系なんですけど。
あ、そうかも。あんまり、もしかしたら変わりなくこんな感じだったのかもしれないですね。
なんか覚えてるエピソードとかありますか?
覚えてるエピソード。なんか、何でしょうね。
なんかカーとか止まってても、あ、見て、カー止まってるみたいな。
なんか、えーとかじゃなくて、はーみたいな。
お、してたって親に言われて、あ、だいぶ私ってのんきやったよなみたいな。
なるほど。絵はちっちゃい時から描いてたんですか?
絵は、そうですね。
そうですね、なんかあの、父親が建築関係の設計の仕事してたんで、
なんかこう、紙とか鉛筆とかがよく家にいっぱい転がってたんで、
その裏紙に落書きしたりとかをするのが好きだったかもしれないですね。
なるほど。で、小中と地元で育ってみたいな。
あ、そうですね。一応なんか学校が付属小学校っていうあの。
あ、和歌山大学の。
そうですそうです。小中ってそっちに行ってたんで、バスで通学してて。
へー。
じゃあ結構、なんて言うんですか。賢いとかいいところ、いいところ小中みたいな。
いやでも、なんか抽選、私の年は受験がなくて、抽選だったんですよ。
ガラガラ抽選で、当たりみたいな。
へー。
なんかあの、小学校の体育館にみんな集まって、あのダウン?舞台の上でみんなで一人ずつガラガラ抽選して、当たりみたいな。
へー。
そういう感じだった気がします。
そんな感じ?
そんな感じ。でもなんか面白い人が集まってましたよ。自由な、自由な工夫で。
どういう工夫なんですか?
なんだろう、あの、私の時は総合の学習をすごい力を入れてて、総合の学習って何してもいいんですよ。
まあ、何してもいいけど、だからその先生オリジナルの授業を一年間で組んで、例えば学校券を買おうとか、
学校のワンちゃんを買います。じゃあお世話係決めます。犬のことについて勉強しますとか、
七曲市場でお店を開いてみようとか、なんかみんなでお店を開く授業とか、
へー。
なんかどうやって物を売るのかなとか、なんかそんな実践的な、なんだろう、知識を教えてもらえるような。
で、みんなでなんかこう考えて。
担任の先生とみんなで考えてみたいな。
っていう感じの。
っていう感じで。
の学校で。
生きる力系というか。
そうかもしれないですね。
結構実験的というか、大学の教育の研究にも使われてる学校ですもんね。
そうですね。なんかそう、私がその小学生の時はそういうことに力を入れて研究してたみたいな。
なるほど。
そうなんです。
で、その小中のココちゃんはどんな感じの人やったんですか。
あ、でももうふわふわして。
ふわふわしてた。
よくそうだな。
でもあの、授業中とかも絵を描いちゃって、めっちゃ集中して描いちゃってよく怒られてたりとか。
先生が近くに来ても気づかないみたいな。
気づかないし、なんかパラパラ漫画とか作るのめっちゃ好きで、描いて。
で、そのノートを先生に提出して、褒められるかなみたいな。面白くできたとか。でも怒られるみたいな。
どんな絵を描いてたとか覚えてますか。
いやでも本当にイラストというか、そんな子供が描くような感じですよ。なんかすごいシンプルな。
パラパラ漫画だったら棒人間とか、人間の、なんかこう人の顔とか、なんか可愛い女の子とか、なんかそんな、そんな感じ。
小学校そんな感じで、中学校も変わらず。
中学校は、あ、でもガリ弁でしたね。
なんか、そう、勉強したら、なんか褒めてもらえるみたいな感じで、めちゃくちゃ勉強ずっとしてましたね。
そうですね。
何得意でした?
何得意だったんでしょうか。
結構何でも。
そうですね、成績はめっちゃ良くて。
なるほど。
全部良かった。なんか覚えるのが得意で。
はいはい。
なんか、暗記しちゃうというか、教科書とか丸暗記しちゃって、テストとかも、あ、全然余裕みたいな。
へー、すごい。
そんな感じだったかな。
好きな教科とかは?やっぱ美術。
好きな、なんだろう、好きな教科?あ、でも英語は好きだったのかな。英語好きだったかもしれないですね。
で、ニュージーランドに留学みたいな。
あ、そうです。中学校2年生の時に、2週間ニュージーランドに留学するっていう機会があって、行きました。
向こうの学校にちょっと通って、で、なんか現地の子どもたちとワーって仲良くなって、なんかおもしれないですね。
基本ね、吊るんだら意味ないですもんね。
そうですね。
基本的にはもう現地の子どもたちと仲良くしてた?
そうですね。2週間なんでそんな長くなかったけど、面白かったですね。
なんかお弁当を持って行くんですけど、なんかおやつタイムもあるんですよ。
お昼ごはんタイムの前におやつタイムがあるんで、おやつも持って行って、10時くらいになったらみんなでクッキーとかワーって食べて、
ワーって遊んで、で、なんかまた勉強頑張って。で、お昼は持ってきたサンドイッチとバナナ食べて、遊んで、帰るみたいな。
なるほど。
そんな感じですかね。
今も海外に結構行ってるんですけど、その時になんか海外いいなみたいな感じになってっていうことですか?
でも元々ちょっと、なんだろう、私の祖父がなんだろうな、貝の研究してる人だったんですよ。
貝の研究?
なんか海の貝の研究してて、海外の人と結構その貝の交換でやり取りしてて、なんか英語を話したりとかする人で、昔も結構海外飛び歩いてた人だったんで、
なんかそれを連れてってもらったことはないけど、知ってたんで、え、なんかおじいちゃんかっけーみたいな。
え、私も英語って喋れたらあんなことできるの?みたいには思ってたのかな。
憧れが。
かもしれないですね。
貝の研究ってなんですか?大学の教授とかそういうことやったんですか?
あ、でもなんか、いや独自でやってたんですけど、なんか図鑑とかにもおじいちゃんの名前のついた貝が何個か載ってて、
なんか海南にある水族館?博物館?あそこの名誉なんちゃら、え、わかんない。
でもなんか何個かあそこにおじいちゃんの貝があります。
おじいちゃんの貝、すげー。
寄付したりとか。
あ、そうですね。
寄贈っていうんですかね。
そうですね。
学生時代の coco さん:小学校から高校、大学へ
で、その中学校生活を経て、高校は、付属は中学までですよね?
あ、そうなんですよ。中学校までなんで。
高校はどこ行くんですか?
あ、受験して、えっと金浦に行きます。
あ、賢い。
いやいやいや。
ずっと賢い。
そんなことない。
あ、でもまあ中学校の時ガリベンだったんで、まあなんか金浦は行けて、
そうですね。
でもなんかあの、勉強する意味がよくわからなくなって、
なんか、え、何のために勉強してるんやったっけ?ってなって、
モチベがゼロになっちゃって、
高校入ってすぐぐらいですか?
あ、そうですね。
で、なんか勉強しなくなっちゃって、
高1、高2は全然せず、
えぇー。
高3で焦ってちょっとやりだすみたいな。
勉強せず何やってたんですか?
何もしてなかったな。
あ、でも一応なんか、
部活はダンス部で、
なんかダンス部に入ってましたね。
へぇー。
はいはい。
絵描いたりはその時はもうあんまりしてなかったんですか?
あ、全然してなかったですね。
ほんとに小学校の時と中学校ちょっとみたいな。
なるほど。
そんな感じでしたね。
で、進学って感じですか?
そうですね。
で、高3で受験で、
必死に勉強したけど、
ちょっと心理学部に行きたかったんですけど、
うーん。
うん、落ちちゃって。
で、なんか第二志望だった和歌山大学の、
教育学部も心理学科があるから、
へぇー。
行ってみようかなって、
で、和歌山大学に。
はい。
それ心理学は何なんですか?
どういう。
なんだろう、なんか興味がずっとあって、
うん。
心のこと?
なんか、うん、すごい、すごい昔から興味があったんで、
へぇー。
なんとなく、で、やってみたいと思ってて、
うん。
でもまあ、教育学部に行くことになるみたいな感じですね。
うーん。
で、で、話題。話題って。
あ、そうですね。話題で。
え、どうでした?大学生活は。
大学生活は、なんだろう、
どうしても留学がしたくて、交換留学が。
で、交換留学でアメリカに行ったんですけど、
そのための準備とかで、なんかあんまり、
あんまりその部活とかには入ってなかったかもしれない。
え、留学の準備ってどういうことはあるんですか?
なんか、英語の勉強?
うん。
その、TOEFLっていう、
あー、なかるっすね。
あの、そうですね。向こうの大学に行く用の、
試験とかの勉強とか、
あと、まあ何回かその海外もいろいろ行ったりとかもしてて、
ヨーロッパ行ったりとか、
そのウィーン、ウィーン行ったし、
なんかね、和歌山県の派遣事業みたいなので、
なんかウィーンに2週間行って、向こうの大学生と交流するみたいな事業があって、
応募して、とか。
あとなんか、大学の先生友達で、
その人の知り合いのベルギーの、
なんかお家にちょっとベビーしたしに行ったりとか、
なんか、いろいろなんか、
その時から、あの、ふらふらしてましたね。
どうやってそれは見つけるんですか?
その、
あー、なんか、
なんか、どっかに張り出されてるわけでもないですし、
あー、全部でも人捨てというか、
あー、私、
そうですね、
なんか、自分で調べるのすごい苦手だけど、
なんか、
人からこう繋がって、
お話が来たりとかがあって、
で、行くみたいな、
全部行くって言ってたんで、
自分から興味ある、行きたいって言ってたっていうのはあるんですか?
あー、
話してた、話してたというか、
えー、どうなんだ、
いや、そんなこともなかったかもしれない。
なんかにじみ出てたんですか?
でも本当にたまたまそういう、
なんか、
縁があったのかな、
ですね。
うんうん。
周りの人にも恵まれてっていう感じですね。
あ、もう人にはもうずっと恵まれていて、
はい、
そうですね。
なんか、ふらふらしてると言いつつ、
なんかこれ、
その、経歴だけ見てたら、
なんかすごい、
エリート街道をめっちゃ、
そんなことない。
ずーっと来てるみたいな、
全然。
感じなんですけど、
その時なんか将来的に、
何しようとか、
そんなの思ってたり、
ありました?
あー、
でも将来の夢が全くなかったんですよ。
えー。
なんか、
その、
エリートみたいな、
その、そういうのも、
うん。
やらないと、
認められないとか、
やらないといけないからやってるみたいな、
やりたくてやってるっていうよりは、
うん。
やっといた方がいいかもとか、
うーん。
なんだろう、
なんか、
あんまり自分の心から、
やりたいからやってるではなかったから、
とりあえず、
できることを、
必死に頑張るみたいな。
えー。
なんか空っぽだったと思います。
めっちゃ。
中身空っぽで、
こう、武器を揃えるみたいな。
とりあえず揃えておく。
うーん。
みたいな。
そんな、
そんななんか、
空虚な感じだったかもしれない。
空虚な感じ。
あ、でも、
頑張ってましたけどね。
うんうん。
頑張ってたけど。
その時なんか、
何が好きやったとか、
どういうことで遊んでたとか、
そんなんって覚えてますか?
大学生の時ですか?
大学生の時。
何で遊んでた?
ゲンチャーで走り回るの好きだったな。
あはははは。
なんかいろんな場所に、
うん。
カフェとか、
カフェ巡りが好きだったかも。
えー。
うんうん。
え、ココちゃんが大学の時って言うと、
十数年前。
そうですね。
私今32なんで、
何年前?
13、4年前とか。
あ、そうですね。
え、
その頃ってなんか、
どの辺行ってたとか。
あはははは。
でも、
アリダまでゲンチャーで来てましたよ。
えー。
どこ行くんすか?
え、なんかカフェかな。
え、でも海とかも行ってたかな。
あー。
海、
あと、
ラブラックカフェ。
あー。
アリダだったら。
出来て、
ちょっとしたぐらい。
かもしれない。
うーん。
そうですね。
どこ行ってた?
はしごカフェとか。
あー。
あと、
どこだろう。
え、でもめっちゃ行ってたと思います。
うん。
いっぱい調べて。
いっぱい調べて。
今日ここのケーキ食べたいとか。
おー。
そんな感じで。
うーん。
うんうん。
バイトとかはしてなかった?
バイトは、
塾校と、
塾、
ねえ、何してたっけ。
あはははは。
塾校と、
居酒屋もやってたんかな。
はい。
塾校と居酒屋をしてましたね。
うん。
その後、
学校の先生になっていくんですけど、
その辺はどういう流れで。
あー、
なんかもう、
本当に、
なんか、
流れというか、
その、
教育学部だったんで、
周りの人がみんな教師になっていくから、
うん。
し、
なんか私、
その、
留学してたのが、
大学4年生だったんですよ。
うん。
4年生の年に知ってて、
いや、
違うわ。
そうですね。
4年生の年に知ってたんで、
なんか将来のことを、
向こうで決めないといけないみたいな状況だった気がして、
うん。
で、向こうで多分採用試験の、
あの、
申請書とか出したんですよ。
へー。
アメリカから出して、
かっけー。
へー。
確かに。
めっちゃギリギリだった気がします。
うーん。
ギリギリ届いて、
みたいな。
だからあんまり考える暇もなくて、
うん。
とりあえずみんな、
みんな頑張ってるし、
採用試験。
うん。
私も受けと、
受けて、
その道に行くんだ、
みたいな。
なんか考えずに、
もうとりあえず。
え、結構話題の教育学部の学生さん達って、
ほぼほぼ、
学校の先生になるみたいな感じなんですか?
うん。
私の時は、
結構そんな感じだったですね。
うん。
周りの人はみんななってたんですね。
はい。
なるほど。
じゃあ周りもなるから、
私もって感じで。
そうですね。
そんな感じで。
まあ子供も好きだし、
うん。
なんか、
いいかなって。
うん。
そういう気持ちもあって、
やってみようって。
で、合格して。
小学校教員時代と病気、そして絵との再会
そうですね。
はい。
あら。
あら。
そして学校の先生編が、
はい。
始まるわけなんですね。
始まるわけなんですよ。
どうでした?
あー、
あー、
大変でしたね。
大変でした。
え、どういう大変さっていうか。
あー、
なんだろう。
やっぱり、
結構多忙でしたね。
うん。
朝7時、
あのね、
1年生の担任をしてた時は、
朝7時出勤、
うん。
7時半までには出勤しないといけなくって、
はいはいはい。
子供が結構早く来るから、
うん。
教室開けないといけなくって、
で、あの、
帰りは、
日にもよるけど、
まあ9時は過ぎるんですよ。
えー。
で、
割と私は、
初めの方は11時とかまでいて、
うん。
授業作ったり、
親御さんの対応とかでも、
結構時間が取られたりとかもしてて、
結局授業作り出すのが、
まあ、
8時、9時になって、
うん。
やって、
で、帰るみたいな。
えー。
えへへ。
めっちゃ大変ですね、学校の先生。
そうですね。
きっと場所にもよるし、
なんか効率のいい先生もきっといるけど、
うん。
まあなんか、
再現ないというか、
うん。
やることがもう無限にあるんで、
はいはいはい。
なんかこう、
そうですね。
うん。
やりだしたら、
えへへへ。
そんなことになっちゃう。
うん。
うんうんうん。
学校の生活がどれくらい続くんですか?
それが、
まあ、
ちょっと体調崩したりもしたんですけど、
うん。
結局教師としては、
6年いたのかな。
おー。
うん。
そうですね。
え、
6年続けてる、
時のなんか、
なんていうんですかね、
この、
バイオリズムというか、
あははは。
いきなり辞めたいみたいなモードやったんですか?
うーん、
なんだろう、
なんかすごいしんどいのはあったんですけど、
うん。
うーん、
辞め、
その就活もしたことがなかったし、
そのみんな先生になる中でなってるんで、
うん。
他の世界を知らなくって、
はいはいはい。
辞めたら死んじゃうと思ってた。
本気で。
おー。
生きれないって思ってて、
うん。
え、怖くって怖くって、
辞めれなかったですね。
うんうんうん。
だし、
まあ子供も可愛いしね、
うん。
やりがいもまああってっていうことですね。
やりがいもあったしな。
ただやっぱ体が、
やっぱり正直というか、
こう、
体調が、
そう、
悪くなっちゃう時もありまして、
うーん。
そう。
で、
そうですね、
うんうんうん。
え、
体調悪くなったのはどれぐらいのタイミングで?
えー、
えーとですね、
もう本当に最終局面。
あ、
もう終わりの方というか。
最終局面に、
なんかこう、
えっと、
脳の、
脳の、
髄膜が破れちゃうみたいな病気になっちゃったんですよ。
おー。
脳脊髄液減少症みたいな。
あ。
うん。
それ何か過労でみたいな感じなんですか?
わかんなくって、
その、
原因不明というか、
うん。
先生も、
なんか病院行った時に言われたんですけど、
なんか外症でなるものみたいな。
うん。
頭に怪我をして、
交通事故とか大きい怪我でなるものだから、
うん。
なんでなったのかわかんないけど、
でもそれしか考えられないみたいな。
えー。
そ、そうなんですよ。
で、脊膜が破れちゃって、
うん。
脊、ごめんなさいね。
ちょっと、
ちょっと、
そう、ちょっとなんかこう、
腰から上が起立できなくなっちゃって。
え?
どう、
あの、だから座ったり立ったりができないんですよね。
ほう。
なんかそうするとめまいと吐き気が起こって、
うん。
あの、耐えられないみたいな。
え、じゃあもうずっと寝たきりみたいな。
あ、そうですよ。
寝たきりの、
突然なったんですよ、そして。
うん。
で、なんか、
うーん、
手術とかもできないので膜だから。
うん。
だから、
一生このままかもしれないねって。
え、そんな軽くは言われないでしょ。
軽くはないけど、
なんかそういうことがあって、
でもなんか私割と前向きだったんですよ。
あ、そうなんだ。
じゃあできることしようと思って。
うん。
あ、じゃあなんか介護用のアーム買ってきて、
うん。
ベッドにつけて、
iPadここぺってして、
絵描こうと思って。
うーん。
で、絵を描いてて。
うん。
で、
あ、なんか、
ちょっと話が先に行っちゃったけど。
あ、そうですね。
前後がありますけど、
その、なんかその、
ことが起こる前に、
うん。
あのー、
三木町発光ビルジングっていう場所。
はいはいはい。
あの和歌山市にあるんですけど、
リエさん?
はい。
オーナーのリエさんとすごい仲良くしてもらってて、
うん。
大学生の頃からすごくお世話になってて、
うーん。
そこで、
行った時にたまたまニオさんに出会って、
うん。
で、ニオさんに、
なんか私、
その、
これからどう生きていけばいいか分かんない時に、
うん。
ちょっと、
ニオさんや!と思って。
顔見知りやけど、
ちょっと話しかけてみようと思って。
その時もすでに、
ニオさん、
あの、マーケット和歌山やってたり、
あ、そうです。
イベントやってたり。
そうですそうです。
そうそう。
なんかすごいご活躍されてて、
うん。
きっと何かヒントがあるはずだと思って、
へー。
なんかそれで、
私、
なんか昔絵が、
描くの好きだったんですよね。
みたいな。
おー。
なんか仕事みたいなのないですかね。
って。
へー。
教師の時に。
すごいいきなりですね。
そう、いきなり聞いてみて。
でもニオさんはそれでも、
ああ、
そんななんか、
あの、
コーヒーカップの絵描きますか。
うん。
って言ってくれて、
お金を払えないけど、
うん。
広めてあげることはできるよ。
って。
うん。
言ってくれて、
なんかそれで絵をちょっと描くようになったんですよ。
iPadで。
へー。
それは何年前、
何歳ぐらいの時ですか。
それが、
え、何歳だろう。
本当に教師を辞める直前なんで。
病気より前?
病気よりちょっと前なんですよ。
ちょっと。
そうそう。
ちょうどタイミング。
ごめんなさい、時差がね。
いやいや、
ちょっと時系列が。
そうそうそう。
ちょうど描き始めて、
そう。
で、ニオさんに会って。
あ、えっと、えっとね、
絵描きとしての新たな道と那智勝浦での生活
ニオさんに出会って描き始めて。
おー。
で、そのシールが、
初めて描いた絵なんですけど、
そこからちょっとずつ描き始めてて、
なんかニオさんのおかげで絵を始めたんですよ。
へー。
そうそう。
で、そこからそのiPadで描くということをちょっと学んで、
描いてる時に、
その病気になって、
寝たきりだったんで、
こう、こう描いてて、
あの、上向いて。
うん。
で、
なんか、
えっと、
インスタグラムに、
なんかめっちゃかっこいい生きおじ、
おじさんが、
あの、たまたま出てきて、
ほう。
で、この人かっこいいから描いてみたいなと思って、
うん。
描いたんですね。
その、寝たきり状態の。
あ、そうそうそう。
なんか、あの、時間もあったから、
うん。
もう、1週間くらいかけて描いて、
うん。
で、なんかその絵をその人に送ってみたんですよ、
インスタで。
そうしたらめっちゃ喜んでくれて、
で、
それが岡山のシャツ工場の社長さん、
社長さんじゃないな、
えっと、工場長さんだったんですよ。
で、そこで仲良くなって、
そこから岡山につながっていくんですけど、
ほう。
なんかそこで、
あの、
旅するぬいこさんの丸ちゃんっていう子とつなげてもらうんですよ。
うん。
その、あの清本さんっていうんですけど、
工場長さんが。
で、そこから、
あの、私が旅する絵描きの掛け出しになる丸ちゃんと出会うみたいな。
うーん。
病気は回復していくんですかね。
そう。
え、奇跡的に治ったんですよ。
うん。
2ヶ月後くらいに。
おえー。
だから2ヶ月間くらいはずっと寝たきりだったけど、
はいはいはい。
治って、
うん。
で、あ、
で、なんか私その時にもう教師はやめようって決めれたんですよ。
うーん。
それは、な、なんでっていうか。
なんか、うーん。
なんかその、病気突然なっちゃったし、
なんか明日死ぬかもしれないんだっていうのがすごいこう実感して、
うん。
明日歩けなくなるかもしれないし、
やりたいことができなくなるなら、
なんか今好きなことして生きようって。
うん。
なんか踏ん切りがついて、
やめようって。
えー。
そうなんですね。
え、じゃあ、もう入って多忙やけど、
ずっとやめたいなとかそういうんじゃなくて、
その出来事がポンポンポンと、
ニオさんと出会って、絵を描き始めて病気になってがあって、
そうですね。
いや、ほんとにそう。
なんかやめなさいって言われてたのかなって感じで。
ふふふ。
ニオさんに、
はいはい。
その絵描きたいです、なんかないですかって言った時は別に、
うん。
やめようとも思ってなかった。
なんか怖くて、
そんなことはできなかった。
おー。
ただただ趣味、趣味じゃないですけど、とりあえず。
なんかちょっとやってみようかなっていう。
そうですね。
なんか始めたいなっていうことですね。
そうですね。
おー。
そんな感じでしたね。
うんうんうん。
回復は特にそれも原因というか、治療したわけでもなく?
治療したわけではないんですよ。
あのー、ずっと寝てたんですけど、
だから自分が回復してるのかしてないのかわからなかったけど、
定期的に病院に行って、
なんか脳の、あのー、圧がちゃんと正常になってきてますよ、みたいな。
もしかしてこれ、ちゃんと歩けるんじゃない?みたいな。
そうそう、それで。
で、いけたって言われた?
いけた。
えー。
いつ再発するかはわかんないけど、今は大丈夫そう、みたいな。
はー、なるほど。
お医者さんもね、不思議でしょうね。
あー、そうだね。
そっかー。
なるほど。
うん。
やめるまでの流れはどんな感じなんですか?
あー、でももうそこからやめるって決めたから、
ちょうどなんか多分学期終わりだったのかな。
なんでもう、スルスルっとやめることになってきましたね。
結構学校の先生も、
はいはい。
なんかすごい、働いたことないんでわかんないんですけど、
すごいいい仕事やなと思うんですよ。
うん。
教育に携わってっていう。
うんうん。
それよりも、その始めたばっかりの絵をやりたいってなったってことですか?
なんか、私もすごく教師ってやりがいのある素敵な仕事だと思ったんですけど、
なんだろう、なんか直感的にやりたいって思った。
なんか、そう、今までその生きてた中で、
こう、しなければならないでずっと動いてたけど、
初めてこう心からやってみたいなって思えたというか。
へー。
動いたので、
じゃあやってみるしかないかも、みたいな。
そんな感じです。
なるほど。
それでやめて、そっからどうなっていくんですか?
そっから、そっから、もういろんな出会いがありまして。
大学出て、1年留学して、6年働いてたと、30枚ぐらい、28枚とか。
そうですね。
そうですね、その29くらいだったのかな。
ちょうどその、えっとね、ゴロさんと出会うんですよね。
あの、ワイクマの。
ワイクマのの、はい。
和歌山市に多分たまたま来られてた時にゴロさんと出会って、
ワイクマの行くことになって。
ワイクマのあれですね、那智勝浦町であるゲストハウス。
そうそうそうそう。
ゴロさんも、ゴロさんも喋ってもらいましたよね。
ゴロさんも、アーケードラジオの時に出てもらいました。
ふうしろさんですね。
あ、そうですそうです。
とってもお世話になって、それで教師を辞めて、すぐそちらで働かせてもらうことになって。
和歌山で出会って。
そう、和歌山市で一度お会いしたのかな。
で、なんか何かの流れでワイクマのに泊まりに行くことになって、
その時にゴロさんと話して、
え、来てみなよ、って言ってくださって。
で、働くことになりますね。
退職してすぐワイクマのの。
そうですね。
で働き始めて。
ワイクマのの受付で働き始めました。
どうでした、那智勝浦生活。
でもワイクマのの仕事はすっごい楽しかったな。
海外の方がたくさん来られるんで、いろんな人とお話ができて楽しかったです。
留学の経験がまた生きてますね、あちこち行った。
そうですね。めっちゃ楽しくて。
その時のモチベーションっていうか、バイトしながら絵で頑張っていこうみたいな感じでいてたんですか。
そうですね。なんかちょうどその時にまたもう一つ出会いがあって。
なんか有田出身の画家さんと出会って、
その方とたまたま一緒に絵描くかって言われて、一緒にライブペイントさせてもらうことになって。
なんて人ですか。
寺本さんって言うんですけど。
寺本さん。
はい。ちょっとあまりそんなにいっぱい大ピラに出ている人じゃないけど、
画家として活躍されてる方で。
その時に初めて抽象画というか、絵の具に触れることになって。
私こっちやりたいわと思って。
それまでiPadとかでデジタルで描いてた。
そうですね。イラストだったけど、抽象画を始めてみようって思って。
で、その方と出会った後に葛浦に行って、絵を描きながらマイクマンで働かせてもらいながらの生活が始まる。
その生活はどれくらい?
1年くらいなのかな。葛浦にいたのは1年ちょっとですかね。
はいはいはい。
1年ちょっといて、次はどちらに?
次は、ラコマっていうセサミのゲストハウスで、1ヶ月ほどお世話になって、その足でオーストリアに行きます。
その足で。
オーストリアは何やった?何が理由っていうか。
えっと、パーティーのフリで最後に。
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