アリダ市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第82回です。本日は、アリダ市にある駄菓子屋辻本で収録しています。
本日のゲストは、旅する絵描きcocoさんです。
cocoさんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、cocoちゃんの紹介を白石くんからよろしくお願いします。
cocoさんは、1993年和歌山県生まれ、和歌山大学教育学部卒業、元小学校教員で、2023年より独学で絵画制作を始めます。
国内外問わず個展やグループ展に参加して、世界中を旅しながら新しい人や価値観との出会いで生まれた心の動きを日記のように綴るという活動をされています。
はい、ということで、以前ゲストに出ていただいた小学校の先生、小栗先生からのご紹介で、cocoちゃんの登場というわけなんですけども。
はい。
今ちょうど日本に帰国しているタイミングでというか。
あ、そうですね。そうなんですよ。小栗先生は私の大学の同期で、一緒に働いたこともある先生ですごく仲良しなんですけど。
今は去年1年ヨーロッパにいて、ちょっと今半年間くらい日本で滞在しているという。
なるほど、半年くらいいてるんですね。
あ、そうですね。
けどまた次は5月から。え、5月から?
そう、来月からヨーロッパにもう一度戻ります。
おー。で、なんか小栗先生からcocoちゃんの名前は出てて、でなんかいつか出てもらえたらなと思ってたけども、まあ海外に行ってて。
そうや、ちょうど小栗先生の回もヨーロッパにいた時に聞きました。
ね。
うんうん。
で、とか思って忘れてた頃に、あのARCのお隣辻本で。
あ、そうですね。
cocoちゃんがなんか1,2週間ずっと泊まってるみたいな。
あ、そう滞在させてもらって、いろいろ和歌山でイベントがあってちょうど滞在させてもらうことになって。
なんでこのタイミングで出演していただくということで。
ありがとうございます。
すごい嬉しいタイミングでありがとうございます。
ちなみにヨーロッパってどこら辺になるんですか?
えっとね、えっと拠点はオーストリアっていう国のウィーンにいました。
でもあのヨーロッパ圏は結構陸路でいろいろつながって旅ができるんで、いろいろなんかスイスとかハンガリー、チェコとかもつながってるんで、いろいろ行ってました。
ウィーンに部屋を借りて、そこでずっと住みながらいろんなところに行ってみたいな。
そうですね、そうですそうです。そんな感じ。
なるほど。白石くんとココちゃんは結構知り合いというか。
知り合いの知り合い。うちの弟がですね、前職の小学校の教員の時に知り合い。
そうですね。
で、その話でアーケードの前あたりにワイクマノに行ったりした時にたまたま働いてたりとか。
そうそう。
で、またこの間、ついこの間、和歌山市内でも個展をしてたんですけど、その個展もなんかちょっと行かせてもらって。
来てくださって。
弟がちょっと、いや行って行ったらいいよって。よかったよって。よかったよって言ってくれたんで、じゃあ行ってみようかということで。
すぐ来てくれましたね。弟来てくれた1時間後くらいに来てくれたかもしれない。
めっちゃすぐ行ってる。
たまたま外におって、弟呼び出して飲もうかなと思ってたら、弟はこれやんけどそこ行ったらみたいな感じで言われて。
そういうことか。なんか白石くん踊ってきたなと思ったら、お兄ちゃんだった。
よく似てると。
めっちゃ似てる。
なるほどですね。僕とはなんかそんなにがっつり喋ったことはないけど、お店に来てくれたりとか。
そうですね。なんか何かとお会いする機会は結構あって、イベントとかでもお見かけするんですけど、なかなかなんか深く喋る機会はなくて。
挨拶とか、こんにちはって感じの感じだった。
感じですよ。
感じだった。そう。だから今回こうやってお話できて嬉しい。
ちょっとどんな、ここちゃんがどんな人生を経て今に至ってるかっていうのをちょっといろいろとこれから聞かせてもらいたいんですけど。
はい、もちろんです。
まず生まれはどちらからですか?
生まれは和歌山市ですね。
和歌山市のどのあたりで。
どのあたり。和歌山駅、JR和歌山駅の近くって言ったらいいのかな。
めちゃくちゃシティの。
シティガールなのかも。
大田小学校とかその辺?
裏側なんですよ。東口の方なんで、シカゴ小学校とかの近くなんですよ。
なるほど、なるほど。ちっちゃい時はこうちゃんはどんな感じでした?
どんな感じだったんだろう。不思議な子だったかもしれない。
不思議な子。
なんかふわふわしてるねってよく言われてたかもしれないです。
今も結構ふわふわ系なんですけど。
あ、そうかも。あんまり、もしかしたら変わりなくこんな感じだったのかもしれないですね。
なんか覚えてるエピソードとかありますか?
覚えてるエピソード。なんか、何でしょうね。
なんかカーとか止まってても、あ、見て、カー止まってるみたいな。
なんか、えーとかじゃなくて、はーみたいな。
お、してたって親に言われて、あ、だいぶ私ってのんきやったよなみたいな。
なるほど。絵はちっちゃい時から描いてたんですか?
絵は、そうですね。
そうですね、なんかあの、父親が建築関係の設計の仕事してたんで、
なんかこう、紙とか鉛筆とかがよく家にいっぱい転がってたんで、
その裏紙に落書きしたりとかをするのが好きだったかもしれないですね。
なるほど。で、小中と地元で育ってみたいな。
あ、そうですね。一応なんか学校が付属小学校っていうあの。
あ、和歌山大学の。
そうですそうです。小中ってそっちに行ってたんで、バスで通学してて。
へー。
じゃあ結構、なんて言うんですか。賢いとかいいところ、いいところ小中みたいな。
いやでも、なんか抽選、私の年は受験がなくて、抽選だったんですよ。
ガラガラ抽選で、当たりみたいな。
へー。
なんかあの、小学校の体育館にみんな集まって、あのダウン?舞台の上でみんなで一人ずつガラガラ抽選して、当たりみたいな。
へー。
そういう感じだった気がします。
そんな感じ?
そんな感じ。でもなんか面白い人が集まってましたよ。自由な、自由な工夫で。
どういう工夫なんですか?
なんだろう、あの、私の時は総合の学習をすごい力を入れてて、総合の学習って何してもいいんですよ。
まあ、何してもいいけど、だからその先生オリジナルの授業を一年間で組んで、例えば学校券を買おうとか、
学校のワンちゃんを買います。じゃあお世話係決めます。犬のことについて勉強しますとか、
七曲市場でお店を開いてみようとか、なんかみんなでお店を開く授業とか、
へー。
なんかどうやって物を売るのかなとか、なんかそんな実践的な、なんだろう、知識を教えてもらえるような。
で、みんなでなんかこう考えて。
担任の先生とみんなで考えてみたいな。
っていう感じの。
っていう感じで。
の学校で。
生きる力系というか。
そうかもしれないですね。
結構実験的というか、大学の教育の研究にも使われてる学校ですもんね。
そうですね。なんかそう、私がその小学生の時はそういうことに力を入れて研究してたみたいな。
なるほど。
そうなんです。
で、その小中のココちゃんはどんな感じの人やったんですか。
あ、でももうふわふわして。
ふわふわしてた。
よくそうだな。
でもあの、授業中とかも絵を描いちゃって、めっちゃ集中して描いちゃってよく怒られてたりとか。
先生が近くに来ても気づかないみたいな。
気づかないし、なんかパラパラ漫画とか作るのめっちゃ好きで、描いて。
で、そのノートを先生に提出して、褒められるかなみたいな。面白くできたとか。でも怒られるみたいな。
どんな絵を描いてたとか覚えてますか。
いやでも本当にイラストというか、そんな子供が描くような感じですよ。なんかすごいシンプルな。
パラパラ漫画だったら棒人間とか、人間の、なんかこう人の顔とか、なんか可愛い女の子とか、なんかそんな、そんな感じ。
小学校そんな感じで、中学校も変わらず。
中学校は、あ、でもガリ弁でしたね。
なんか、そう、勉強したら、なんか褒めてもらえるみたいな感じで、めちゃくちゃ勉強ずっとしてましたね。
そうですね。
何得意でした?
何得意だったんでしょうか。
結構何でも。
そうですね、成績はめっちゃ良くて。
なるほど。
全部良かった。なんか覚えるのが得意で。
はいはい。
なんか、暗記しちゃうというか、教科書とか丸暗記しちゃって、テストとかも、あ、全然余裕みたいな。
へー、すごい。
そんな感じだったかな。
好きな教科とかは?やっぱ美術。
好きな、なんだろう、好きな教科?あ、でも英語は好きだったのかな。英語好きだったかもしれないですね。
で、ニュージーランドに留学みたいな。
あ、そうです。中学校2年生の時に、2週間ニュージーランドに留学するっていう機会があって、行きました。
向こうの学校にちょっと通って、で、なんか現地の子どもたちとワーって仲良くなって、なんかおもしれないですね。
基本ね、吊るんだら意味ないですもんね。
そうですね。
基本的にはもう現地の子どもたちと仲良くしてた?
そうですね。2週間なんでそんな長くなかったけど、面白かったですね。
なんかお弁当を持って行くんですけど、なんかおやつタイムもあるんですよ。
お昼ごはんタイムの前におやつタイムがあるんで、おやつも持って行って、10時くらいになったらみんなでクッキーとかワーって食べて、
ワーって遊んで、で、なんかまた勉強頑張って。で、お昼は持ってきたサンドイッチとバナナ食べて、遊んで、帰るみたいな。
なるほど。
そんな感じですかね。
今も海外に結構行ってるんですけど、その時になんか海外いいなみたいな感じになってっていうことですか?
でも元々ちょっと、なんだろう、私の祖父がなんだろうな、貝の研究してる人だったんですよ。
貝の研究?
なんか海の貝の研究してて、海外の人と結構その貝の交換でやり取りしてて、なんか英語を話したりとかする人で、昔も結構海外飛び歩いてた人だったんで、
なんかそれを連れてってもらったことはないけど、知ってたんで、え、なんかおじいちゃんかっけーみたいな。
え、私も英語って喋れたらあんなことできるの?みたいには思ってたのかな。
憧れが。
かもしれないですね。
貝の研究ってなんですか?大学の教授とかそういうことやったんですか?
あ、でもなんか、いや独自でやってたんですけど、なんか図鑑とかにもおじいちゃんの名前のついた貝が何個か載ってて、
なんか海南にある水族館?博物館?あそこの名誉なんちゃら、え、わかんない。
でもなんか何個かあそこにおじいちゃんの貝があります。
おじいちゃんの貝、すげー。
寄付したりとか。
あ、そうですね。
寄贈っていうんですかね。
そうですね。
ニオさんに出会って描き始めて。
おー。
で、そのシールが、
初めて描いた絵なんですけど、
そこからちょっとずつ描き始めてて、
なんかニオさんのおかげで絵を始めたんですよ。
へー。
そうそう。
で、そこからそのiPadで描くということをちょっと学んで、
描いてる時に、
その病気になって、
寝たきりだったんで、
こう、こう描いてて、
あの、上向いて。
うん。
で、
なんか、
えっと、
インスタグラムに、
なんかめっちゃかっこいい生きおじ、
おじさんが、
あの、たまたま出てきて、
ほう。
で、この人かっこいいから描いてみたいなと思って、
うん。
描いたんですね。
その、寝たきり状態の。
あ、そうそうそう。
なんか、あの、時間もあったから、
うん。
もう、1週間くらいかけて描いて、
うん。
で、なんかその絵をその人に送ってみたんですよ、
インスタで。
そうしたらめっちゃ喜んでくれて、
で、
それが岡山のシャツ工場の社長さん、
社長さんじゃないな、
えっと、工場長さんだったんですよ。
で、そこで仲良くなって、
そこから岡山につながっていくんですけど、
ほう。
なんかそこで、
あの、
旅するぬいこさんの丸ちゃんっていう子とつなげてもらうんですよ。
うん。
その、あの清本さんっていうんですけど、
工場長さんが。
で、そこから、
あの、私が旅する絵描きの掛け出しになる丸ちゃんと出会うみたいな。
うーん。
病気は回復していくんですかね。
そう。
え、奇跡的に治ったんですよ。
うん。
2ヶ月後くらいに。
おえー。
だから2ヶ月間くらいはずっと寝たきりだったけど、
はいはいはい。
治って、
うん。
で、あ、
で、なんか私その時にもう教師はやめようって決めれたんですよ。
うーん。
それは、な、なんでっていうか。
なんか、うーん。
なんかその、病気突然なっちゃったし、
なんか明日死ぬかもしれないんだっていうのがすごいこう実感して、
うん。
明日歩けなくなるかもしれないし、
やりたいことができなくなるなら、
なんか今好きなことして生きようって。
うん。
なんか踏ん切りがついて、
やめようって。
えー。
そうなんですね。
え、じゃあ、もう入って多忙やけど、
ずっとやめたいなとかそういうんじゃなくて、
その出来事がポンポンポンと、
ニオさんと出会って、絵を描き始めて病気になってがあって、
そうですね。
いや、ほんとにそう。
なんかやめなさいって言われてたのかなって感じで。
ふふふ。
ニオさんに、
はいはい。
その絵描きたいです、なんかないですかって言った時は別に、
うん。
やめようとも思ってなかった。
なんか怖くて、
そんなことはできなかった。
おー。
ただただ趣味、趣味じゃないですけど、とりあえず。
なんかちょっとやってみようかなっていう。
そうですね。
なんか始めたいなっていうことですね。
そうですね。
おー。
そんな感じでしたね。
うんうんうん。
回復は特にそれも原因というか、治療したわけでもなく?
治療したわけではないんですよ。
あのー、ずっと寝てたんですけど、
だから自分が回復してるのかしてないのかわからなかったけど、
定期的に病院に行って、
なんか脳の、あのー、圧がちゃんと正常になってきてますよ、みたいな。
もしかしてこれ、ちゃんと歩けるんじゃない?みたいな。
そうそう、それで。
で、いけたって言われた?
いけた。
えー。
いつ再発するかはわかんないけど、今は大丈夫そう、みたいな。
はー、なるほど。
お医者さんもね、不思議でしょうね。
あー、そうだね。
そっかー。
なるほど。
うん。
やめるまでの流れはどんな感じなんですか?
あー、でももうそこからやめるって決めたから、
ちょうどなんか多分学期終わりだったのかな。
なんでもう、スルスルっとやめることになってきましたね。
結構学校の先生も、
はいはい。
なんかすごい、働いたことないんでわかんないんですけど、
すごいいい仕事やなと思うんですよ。
うん。
教育に携わってっていう。
うんうん。
それよりも、その始めたばっかりの絵をやりたいってなったってことですか?
なんか、私もすごく教師ってやりがいのある素敵な仕事だと思ったんですけど、
なんだろう、なんか直感的にやりたいって思った。
なんか、そう、今までその生きてた中で、
こう、しなければならないでずっと動いてたけど、
初めてこう心からやってみたいなって思えたというか。
へー。
動いたので、
じゃあやってみるしかないかも、みたいな。
そんな感じです。
なるほど。
それでやめて、そっからどうなっていくんですか?
そっから、そっから、もういろんな出会いがありまして。
大学出て、1年留学して、6年働いてたと、30枚ぐらい、28枚とか。
そうですね。
そうですね、その29くらいだったのかな。
ちょうどその、えっとね、ゴロさんと出会うんですよね。
あの、ワイクマの。
ワイクマのの、はい。
和歌山市に多分たまたま来られてた時にゴロさんと出会って、
ワイクマの行くことになって。
ワイクマのあれですね、那智勝浦町であるゲストハウス。
そうそうそうそう。
ゴロさんも、ゴロさんも喋ってもらいましたよね。
ゴロさんも、アーケードラジオの時に出てもらいました。
ふうしろさんですね。
あ、そうですそうです。
とってもお世話になって、それで教師を辞めて、すぐそちらで働かせてもらうことになって。
和歌山で出会って。
そう、和歌山市で一度お会いしたのかな。
で、なんか何かの流れでワイクマのに泊まりに行くことになって、
その時にゴロさんと話して、
え、来てみなよ、って言ってくださって。
で、働くことになりますね。
退職してすぐワイクマのの。
そうですね。
で働き始めて。
ワイクマのの受付で働き始めました。
どうでした、那智勝浦生活。
でもワイクマのの仕事はすっごい楽しかったな。
海外の方がたくさん来られるんで、いろんな人とお話ができて楽しかったです。
留学の経験がまた生きてますね、あちこち行った。
そうですね。めっちゃ楽しくて。
その時のモチベーションっていうか、バイトしながら絵で頑張っていこうみたいな感じでいてたんですか。
そうですね。なんかちょうどその時にまたもう一つ出会いがあって。
なんか有田出身の画家さんと出会って、
その方とたまたま一緒に絵描くかって言われて、一緒にライブペイントさせてもらうことになって。
なんて人ですか。
寺本さんって言うんですけど。
寺本さん。
はい。ちょっとあまりそんなにいっぱい大ピラに出ている人じゃないけど、
画家として活躍されてる方で。
その時に初めて抽象画というか、絵の具に触れることになって。
私こっちやりたいわと思って。
それまでiPadとかでデジタルで描いてた。
そうですね。イラストだったけど、抽象画を始めてみようって思って。
で、その方と出会った後に葛浦に行って、絵を描きながらマイクマンで働かせてもらいながらの生活が始まる。
その生活はどれくらい?
1年くらいなのかな。葛浦にいたのは1年ちょっとですかね。
はいはいはい。
1年ちょっといて、次はどちらに?
次は、ラコマっていうセサミのゲストハウスで、1ヶ月ほどお世話になって、その足でオーストリアに行きます。
その足で。
オーストリアは何やった?何が理由っていうか。
えっと、パーティーのフリで最後に。