小林 そうなんですよね。だからキントンハイブとしては一緒にいなかったんですけど、実はキントンハイブの楽屋裏では僕と加藍さんその日一緒にいてね。
加藍 そうですね。松田さんとかも一緒に、伊豆田さんとね。
小林 松田さん、石井健太郎さん、あとはジョイゾーの笹川さんと。
加藍 はい、笹川さんと。
小林 美月松井さんと、にぎやかしコーナーを僕ら4人5人でやらせてもらって。
加藍 やってましたよね。
小林 そうですよね。だからある意味ハイブ同期。
加藍 うん、確かに。
小林 確かに。ありがとうございます。懐かしいですね。
加藍 ねえ。あの時だって飯塚さんも石井さんもまだエヴァンジェリストじゃないですもんね。
小林 いや、そうそうそうそう。
加藍 松田さんしかエヴァンジェリストじゃないですよね、あのメンバー。
小林 いや、ほんとそうですよ。ほんとそうですよ。だから表に出てきたの、健太郎、石井健太郎さんともよく言いますけど、あれがお互い初めてで。
加藍 うんうんうん。
小林 逆に言うとよく言うんですけど、もちろん金月松井さんも含めてですが、当時あの壇上に揃った5人がもう6年、7年変わろうとしている中、まだある意味現役kintoneプレイヤーとして
加藍 そうですね。
小林 生き続けている5名ってなかなか素敵よね、みたいなのを。
加藍 そうですね、確かに。
小林 中に会話しました。
加藍 うん。
小林 だから先に言っちゃうと、あの楽屋裏で小林さんを熱くハグしたのとかね、やったねみたいな熱い青春ストーリーがあふれていますが。ありがとうございます。
で、あそびゅーさんから今はどんな立場になってる、変わってるんですか、この6年。
加藍 そうですね、6年っていう歳月が流れましたし、一番大きいやつはやっぱコロナになったっていうのが一番大きいですかね。
あれがきっかけでムーブドっていう会社に副業という形で最初入りまして、お声掛けいただいてお手伝いすると。
で、コロナがそれで直前始まって、その直後ぐらいに始まって、回転休業状態になって、お休みになったんですよね。
一時的な出社停止休業扱いになって、それをなんやかんややって、いろんなところとやってる間に1年ぐらいした間で、その後あそびゅーの状況とかも変わって、オフィスの引っ越しとかもあって、
元いたオフィスから原宿と外縁前の間にあったオフィスから大崎のすごい大きいオフィスに入りまして、そういうのもあって状況がだいぶ変わってきましたと。
なのでコロナが落ち着いた頃、ちょうど2年ぐらい副業期間があって、その後、その間にあそびゅーの方でも正社員から業務委託にチェンジして、
2足の嵐でやっていて、あそびゅーを2022年か、2年の末ぐらいに11月に卒業したタイミングでムーブド専任でだいたい2年ぐらいやってたって感じですかね。
今は100パームーブドさんっていう。そうですね、ムーブドとしてやりつつ、それでこの配信が始まるのが多分8月末ぐらいだと思うけど、このタイミングでムーブドも卒業して。
いきなり、冒頭で始まって、そうなんですよね。
あそびゅーさんっていろんな方使われていると思うんですけど、私も使うこと多いんですけど、あそびゅーって会社が知らない方向けに、コロナが受けた影響も含めて、どんな状況だったのかっていうのをお伝えいただくとどうですか。
業界としては観光系のスタートアップ企業になっていたので、これから売上が結構伸びてきたぞって言って、新しい投資とかも決まっていたタイミングでコロナが始まって、売上が90何%以上ダウン。ほぼゼロに落ちるっていう。
90何%になったわけじゃないんですよね。じゃなくて、ほぼ売上がゼロっていう状況になって、観光系とか旅行系のところはあの当時みんなそうだったと思うんですよ。飲食系とかも。
急にね、やっぱり外出禁止みたいなところ、外出を控えてくださいっていうようなことを言われたっていうタイミングになったんで、それで大変なことになりましたよねっていう。だからそのあれで急遽、社員の半分を休業扱いにして、何とか要するに固定費を下げつつ、乗り切ろうっていう動きの中で色々と状況が変わったっていう感じですかね。
なるほど。そこから徐々にシフトしていった、小林さんの生き方も変わっていったみたいな感じですね。
そうですね。だからあれがなければ、引き続き多分あそびゅうにいたと思いますよ、私は。
あー、そういうことか。確かに、確かにありうりの。
なるほど、ありがとうございます。
はい。
じゃあ、ここから未来の話は後半にもお聞きするとして。
はい。
あそびゅう小林さんの当時、2018年19年頃に戻ってもらって、配布登壇のきっかけってどんなことがきっかけだったんですか。
直接のきっかけは、その当時もうすでに松田さんとかにはお会いをしていたので、そういう人たちから出てみたらっていって、色々とお声掛けをいただいたっていうのが直接的なきっかけですけど、
ある程度、Gintoneの活用は、配布登壇するのは2019年ですか、2017年から関わってきて、2年活動して、ある程度落ち着いてきてたんですよね。
っていうのもあって、配布とかもその前年とか出てたし、レイズとかも見に行っていたので、そういうのもあって、出れるんだったらちょっと出てみようかなっていう、
そういう機会なんて早々あるもんじゃないしっていう。そんなに強い動機ではないんですけど、ちょっとやってみようかなぐらいの軽い気持ちで応募したら、見事に選んでいただきまして、
で、登壇にあるよあるよという間に行ったっていう感じですかね。
やっぱりその当時からの背中押し師の松田さんがその辺は動いているわけですね。
そうですね。色んな方からにもお声掛けいただいて、ぜひ出てみたらって。で、会社の上司に当時の上司に相談したら、ぜひ出てみたらどうですかって言われて、じゃあ会社が出ていつになったら出てみようかなっていう。
当時って色々コミュニティに関わり出したぐらいから、カフェとかでなんかLPみたいなのされてたんですか。
いや、全くそのまでは、登壇するまでは一切経験がないですね。
そうですよね。そこはだから、懇親会とかコミュニケーションの中で、上司さんやってること面白いよみたいなことを感じてくれた人たちがいて、みたいな感じなんですかね。
そうですかね。僕その当時はまだカフェも行ったことなかったんで。
ただ、キントーンの勉強会みたいなのがサイボーズオフィスで何回かされてたのに、行った時に松田さんにもお会いして。
それもなんか最初だったか何回目かだったか忘れましたけど、その登壇の前に松田さんとか渋谷さんとか松井さんだとかはもうすでに出会ってたんですよね。
いろいろとお話を聞かせてもらう中で、っていう感じですね。
カフェには行ってないけど、コミュニティー界隈の人にはやっぱり接触が始まっていたっていうのはありますかね。
僕も記憶が正しければ日本橋の業務改善系の勉強会で名刺交換したっていう。
そうですそうです。
えー面白い。じゃああれなんですね。徐々にっていうよりもいきなり、世の中的にはいきなり喋る小林審也が現れたみたいな。
うん、そうだと思います。それまでもう社内の勉強会とかそういうのはやったことありました。
社外でしかも大勢の前で登壇するなんていう機会は、そんなことをやるなんていうことは夢にも思わなかったね。
なるほど。
最近結構ちょっとずつ、営業ってわけじゃないですよ。表情が出てきてる人がそのまんま配分に出てくるってパターン多いじゃないですか。
カフェとかで、コミュニティーとかXとかであの人よく見るなーっていう状態。
本当に突然ポーンって出てきた感じ。
そういう感じだと思いますね。
あの当時はでも、コミュニティー界隈から出てきたっていう登壇者ってまだまだ全然少なかったと思う。
面白い。ありがとうございます。
登壇が決まりました。そこから苦労した点とか、この辺工夫した点ってあったりしますか。
まずその後ちょっと結果だけ言うと、見事キントン5東京のチャンピオン代表になられてデイズに向かうわけですけども、
まずは5で苦労した点、工夫した点っていかがでしょうか。
苦労した点っていうか、あの当時は過去のアーカイブとかも全然公開されてないし、
記事とかもそもそもあんまり出てこないし、
だから雰囲気が、観客としてその前年に行った時の雰囲気しかわかんなかったから、
だからどういう感じのものでいいのかっていうところは、まずわかんないですと。
だからそもそも大勢の前でのピッチコンテスト的なことも一切やったことがなかったんで、
これまでのただ直感的には、やっぱり普通の社内の勉強会の資料作りだと絶対ダメだろうなっていうのは直感としてあったんで、
そこから結構かなり急ピッチで勉強は入れましたね。
すごい、プレゼンの勉強ってことですか。
プレゼンの勉強じゃなくて、プレゼンテーションの勉強はその後、
その喋り方とかそういうものは真似をするのに参考に、YouTube動画とか参考にはしましたけど、
スライドの作り方っていうよりかは、人に何をどう伝えるか、
人に伝えて、自分が伝えたいことをちゃんと理解してもらうためにはどうするかっていう文脈から僕は再勉強したって感じですね。
このタイミングで再勉強してるわけなんですね。
そうですね。ちょうどいい、つんどくにあった書籍の中にぴったりのやつがあったんで、
これじゃろうって言って読み始めて、今もベストセラーで売れている伊藤陽一さんの
1分で話せっていう、エレベーターピッチの極意みたいなのを書いてある書籍なんですけど、
あれを見て、やっぱり一つの主題と三つの副題、構成要素っていうのを学んで、
これだ!って思って、その要素でプレゼンテーションを作り上げたっていう感じですね。
すごい。
なんか、あってなイメージですけど、もともと論理立ててしゃべるであったりとか、
そういうことを得意とか、思考的にそうじゃないですか。
そこをさらに学び直したっていうのは初めて聞いたから新鮮でしたね。
絶対に物足りないだろうなっていう直感としてあったので。
たまたまいろんな経緯があって、学生時代の話も聞くことがあるから、
学生時代に論文書き続けてさっていうところがベースなんだよみたいなのをね、
昔聞いたことがあったから、そういうのがずっと礎であんのかなと思ったら、
でもここでしっかりアレンジかけてるわけだ。
そうですね。やっぱり自分のやつはどっちかっていうと、
マニュアルとかたくさん作ってきて、それまで経験があったし、
社内の勉強会で新しい規定のこととかルールとかがあると、
それを伝えるっていうことをやってたんですけど、
それっていうのはどっちかっていうと連絡事項っていうか、
皆さんに理解してもらうためにどう伝えるかって話じゃないですか。
じっくり使ってもらってっていう、どっちかっていうと講師的なポジションで、
ものを教えるっていうことはそれまでもあったんですけど、
面白いですね。
なるほどね。
そうなんですよね。
結構じゃあそこは、
時間的なエネルギーも含めて、
大変だった感じなんですかね。
そうですね。
どっちかっていうと、
ハイブの登壇資料を作るのは、
割とサクサクいったんですけど、
アワード用に作り直すときに、
結構苦労したっていうのはありますかね。
なるほど。
例えばこの辺、
大きく変えたよっていうところってあります?
伝え方とか。
伝え方とか、
さっきも言った通り、
構成そのものは変わってないんですけど、
やっぱり伝えるメッセージの3つの方のメッセージは、
バラッと変えたんですよね。
アワードじゃなかった、
ハイブの方は、
ハイブの方の3つのキーワードは、
とにかくシンプルに作れっていう話と、
シンプルが3つ目か。
アイコンとアプリ名を本気で考えましょうっていう。
アイコンとアプリはすごい重要だって話と、
あとは2つ目は、
よく現場を観察するってことと、
あとは3つ目は、
アプリはシンプルに作ろうぜっていうメッセージだったんですよね。
それが、
アワードの方だと、
モンスターを倒すっていうようなストーリーに、
切り替えて、
目的にこだわるっていうメッセージは変わんないんですけど、
人を頼るって話と、
これをやらないって決めるって話と、
あと常に、
状況を観察して疑うっていう。
仲間作りの話と、
仲間作りの話と、
あとモンスターを倒すために何をしないか、
何をするべきかってことをちゃんと決める。
行動の方向性をちゃんと決めるってことと、
現場をちゃんと観察して、
なぜあれがそうなっているのかってことを、
ちゃんと疑おうっていうような、
ことのメッセージにちょっと切り替えたんですよね。
より人に寄っていってるみたいな感じがしますね。
そうそう、人に寄った感じ。
アプリ寄りのアピールから、
より人の生々しいっていうか、
努力したいところにより入り込んだ感じがしますよね。
より入り込んだ感じ。
これ今、
スライドっていうか多分記事とか振り返りながらで、
今振り返ると、
もうちょっとここを改善したいポイントがあったなと思って、
あったりしますか?
それしかないですね、逆に。
本当ですか?
僕らはめちゃくちゃ痺れて、
日本語を聞いてたのに。
今だったらもっとこれできるなみたいなところは、
たくさんありますよ。
多分目的にこだわるってメッセージは、
今も僕はお客さんに対してそういった話をしてるんで、
同じメッセージだと思いますけど、
やっぱ3つの内容はもっと絞り込めるなっていう話とかが、
あると思いますね。
もっと聞いてる側の人に参考になる情報は何なんだろうって考えたら、
もっと多分違うメッセージは出てくると思います。
なるほど。
例えば。
小林さんだって今だったらどういうこと伝えたいなって。
えっとね、パッと今振り返ってて思いつくのは、
徹底的に作り、徹底的にやるっていうメッセージの一つあるかなと。
僕このHiveの時にはちらっと話をしてたんですけど、
さらっと流したんですけど、
一回アプリを作るかどうかわからないけど、
その当時の会社のプロセスに合わせて、
とりあえずこういうアプリが必要だよっていう、
会社全体でkintoneアプリを作ったらどういうアプリが必要になるのかっていうところを
徹底的に洗い出したんですよね。
単純にその当時のアプリの数だけで言うと、
多分200近くとりあえずベースは作ったんですよね。
そこから今何にフォーカスすべきかを周りの人と話をしたりとかして、
優先順位をつけてってアプリを作り込んでったから、
最初に全体を徹底的に見渡すっていうことが、
まず一つ伝えることとしてはあるかなと思うんですかね。
記事探してると出てくるんですけど、
データモデル図というかマインドマップとか。
そうです、マインドマップ的なものが。
すごいですよね。
つぎはぎでどんどん今やれることじゃなくて、
ゴールを最初に描いてからっていう。
そうですね、目的にこだわるためにゴールを見据えて、
今何をすべきかを決めるって逆算思考でやるっていうことが、
まず一つメッセージとしてはあるんだよな。
あとはもう一つは変わらないんですけど、
現場に徹底的に寄り添ったアプリ作りっていうのは、
もう一つメッセージとしてはありますかね。
ハイブの中でも言いましたけど、実際の作例を出したね。
画面がどういう風に遷移した時に、
この使う側の人がどの順番でお客さんにヒアリングをしてるのかみたいなところを徹底的に観察して作り込んだみたいな話とかは、
今もたまに言ったような話、ハイブの事例とかでも出てきますけど、
ここがまず一つありますかね。
徹底的にやる。徹底的に現場に寄り添う。
徹底的に現場に寄り添うってこと。
観察するっていうところのメッセージの変え方っていうところですかね。
あとはシンプルに作るっていうのはもう変わらないかなってことかね。
あの当時はそれほどめちゃめちゃカスタマイズしてますとか、
プラグイン使ってますとかってなかったと思うんですけど、事例の中でも。
今って基本的にほぼほぼ大体みんな有名どころのプラグインとか関連サービス使ってるじゃないですか。
で、カスタマイズもAI使ってやってますみたいなこともこの前出てましたけども、
そういう空な関連になってるところに対して、
僕は多分あえて基本機能だけで全部設計をするってことをまず最初にやってるんで、
それを伝えますかね。
でも未来を見据えるとやっぱり色々装備したくなりがちだけど、
そこは最後、それをシンプルに作るんだよっていう、
こうあり方を徹底的に残しておくってすごい良いですよね。
そうですね。結局設計する時に何を考えなきゃいけないかっていうと、
そのアプリは何のデータを扱うものなのか、蓄積するものなのか、
それとも誰かに受け渡すものなのかみたいなところを考えると、
可能な限り一つのアプリってシンプルに作った方が絶対に効率はいいんですよね。
だとすると最初からなんか超便利なプラグインとか入れまくると、
今度プロセスがいざ変わりました、変えざるを得ない状況になりましたって言った時に、
なかなか変えづらくなるっていうのがあると。
特にJSカスタマイズとかでガリッとやっちゃうと、
それを触れる人がいなくなってしまったら、もう捨てざるを得ないっていう状況になるんで、
そうなるとデータとかも場合によってはご破産になりかねないっていう。
実際僕はHiveの登壇する前の遊びをkintoneにやった時には、
まさしくゼロリセットをしたっていう取り組みだったので、
僕は導入者でもないし、開発者でもないんだけども、
結局JSカスタマイザーとかがゴリゴリされてしまったがゆえに、
もうデータも使えないし、プロセスもぐしゃぐしゃになっていて、
Excelに先祖返りしていたもののkintoneを復活させたっていうストーリーだから、
だからこそシンプルに物事を考えて、まずはカスタマイズとかせずに、
基本機能だけで実現できるkintoneアプリとそのプロセスは何なのかってことを徹底的に考えるってことを、
メッセージとして伝えますかね。
kintoneにない機能ありきで物を考えたらダメだよっていう。
変えること前提でってことですよね。
将来どういう形になっても変えられるだけの余白を残しておくっていうのが重要かなっていうところですかね。
今は伝えるとすれば。
このHiveを先ほどちょっと僕しゃべっちゃいましたけど見事代表になり、
デイズの結果はどうだった?
デイズはね、残念ながらアワードは取れなかったんですけど。
ありがとうございます。
あの時は牛が死にましたが。
え?
牛が死にましたが。
そうですね、牛が死にましたでしたね。
ゆうぼくさんが四国代表が、中部四国代表がアワードに選ばれましたね。
あのプレゼンセンセーショナルでしたけどね。
確かにね。
結構ショッキングな内容でしたよね。
確かに確かに、それ印象残ってる。
そんな小林さんですが、もう今も変化変化で起きまくってるって話いただいてますけど、
Hive後に改めて起きた変化。
ご本人かな、小林さん自身どんな変化が起きてたんでしょうか。
コミュニティってものにやっぱり飛び込んだっていうのが一番大きいんじゃないかなと思いますよ。
カフェに関わるようになったりとか、
翌年のカフェジャパンの代表をやらせてもらったりとか、
そういうコミュニティの活動がものすごく活性化したっていうのが、
たぶん一番大きい変化なんじゃないかなと思いますかね。
元々は、さっき登壇とかあんまりしてなかったって話だったんですけど、
Tintone以外のコミュニティ活動であったりとか、
またそういう運営に関わるようなことってされてたんですか。
コミュニティは、僕はTintoneのカフェコミュニティ、Tintoneコミュニティに入る前から、
常室コミュニティの方には顔を出していたんですけど、
別に登壇するっていうんじゃなくて、ただの参加者として入っていたっていうのがありますが、
それもやっぱりTintone5の登壇がきっかけで、
割と登壇して喋ったりだとかする機会っていうのは、
最近なんですよ、あの当時は結構発生したので、そこがやっぱり一番大きいんじゃないですかね。
コミュニティにグッともう一歩二歩深く入り込むようになったっていうのはあると思いますね。
この時って、今思うとどんな思いでそういうアクションしたのかとかって思い出せます?
コミュニティ運営に一気に関わったって。
いや、コミュニティ運営は別にやろうと思ったじゃなくて、やっぱり巻き込まれ、
登壇と同じでやっぱりそそのかされたって、巻き込まれたっていうのが一番大きいと思いますが、
ただコミュニティの人たちが、飯塚さんとかも含めてあったかい人たちばっかりだったんだよな、当時から。
だから、喜んで飛び込んでいけるっていうのが、素地があったっていうのは大きいんじゃないですかね。
じゃあ最初はやっぱり何かしら巻き込まれとか、押されてっていうところだけど、入ってみたらもう楽しくて続けてるみたいな。
そうですね。
やっぱなんかビジネスの情報交換会とかとは全然性質が違うじゃないですか。
単純に本当にみんな筋トーンが好きとか、筋トーンに関わってる人が好きっていうような、
これリタでもなくて本当に純粋に楽しんでる人が多かったんで、そういう意味ではそういうのに刺激を受けたっていうのは、
大いに刺激を受けたっていうのはありますよね。
それ何だろう、小林さん自身の素でやれてるところと、ご自身が変化、成長した、
その行動だけじゃなくて内面的にも変化、成長したみたいなところってあったりするんですか。
そうか。自分ではあんまり意識したことがないですけど、多分行動変化の中で徐々に変わったな、
今振り返ると変わったんじゃないかなと思うのは、どっちかっていうと僕は結構巻き込まれる方ではあるけど、
巻き込む感じではなかったっていうのがあって、それは性格的にも今はそうなんですが、
ただ何だろう、そそのかせるようになったっていうのは大きいんじゃないですかね。
自分もそそのかす側に回るようになったっていうのは。
確かに。何名かそそのかしたって話も起きてる。
積極的に人に会いに行くようになったっていうのは大きいんじゃないですかね。
今もそういうところはありますけど、人ではなくて結構ことの方に僕は注目するタイプなので、
そんなに積極的に自分から誰かに会いに行こうみたいなことってほとんどなかった。
友人関係以外では。
でも今は結構積極的に呼ばれる、いろんなところのカフェにぜひ来てくださいって呼ばれて、
この子と出てたりもするし、僕から普通に誰か、あの人の話聞きたいなと思ったらそこに会いに行くしってことはやるようになったんで。
フットワークは軽くなりましたよね。
そうなんだ。フットワークは逆に重かった頃はわからんからではだいぶ変わったってことですよね。
そうですね。
今のように東京にほとんどいませんなんていう生活はほぼなかった。ほぼ東京にしかいませんって感じだった。旅行以外で出ることはほぼなかったんでね。
確かに言われてみればひたすら一人時間とか過ごせそうですもんね。
永遠に過ごせる。
本何冊とかゲームとかあればひたすら数日話さなくても全然ホワイトさんはホワイトさんとして生きていけそうだもんね。
いや生きていきますよ。コロナ中は僕何にも暇じゃなかったですよ。やることいっぱいあって。
ただ休業中とかもめっちゃこのタイミングでいろんなことやりたいなと。
本めちゃくちゃ読んだりとかyoutubeめちゃくちゃ見たりとかゲームやりまくったりとかしてましたからね。
確かに積極的に人に会うことはなかったって言われてみれば不思議だけど確かにそういうとこあるような。
一人遊びはもう大得意ですね。
確かに。
関わるkintoneもどんどん変わってきました?そこってずっとね、最初遊びに関わるところからいろんな他の会社さんのkintone触れるようになったりとかして。
kintone的なポイントでも何かご自身の変化とかあったりとかあったら教えてほしいじゃないですか。
変わったとも言えるし変わってないとも言えるって思うのは、僕がやっぱりそのハイブに登壇したきっかけさっきちらっと言いましたが、
一回もうやけの腹になったkintoneを復活させる時にいろいろ考えたことっていうところで掴んだ本質、目的にこだわるとか全体設計するとかシンプルに作るみたいなところは、
当時と変わらず持っていますと。
一方で変わったことって言えば、さらにそれをどうやって人に理解してもらうかみたいなところは、やっぱりお客さんと相対したりとか他の人と相対してる中で、
単純にシンプルに作った方がいいですよっていう風に教える、要するに答えを教えるティーチングではなくて、kintoneはやっぱりティーチング以上にコーチングが大事なんだなっていうところに途中で気づいて、
コーチング的なスキルを身につけるようになったっていうのは大きな変化じゃないですかね。
すごいですね。そこは、でもよく言われてはいるもののそこの変化って、そこにこわいすさん自身が気づいた、原体験とかなんだったんですかね。
もともと僕はそのコーチング的要素があったのかなと思うんですよ。誰かと一緒にいても容易に答えを教えるっていうことはなかったんで、こうすればいいよっていう風に手を出すっていうことはあんまりしてこなかったんですよ。
アソビュー時代にインターン生とか使ったのと一緒に仕事した時とかも、答えは教えなくて、方法を教えるっていうことは結構重視してやっていたので、それがさらに強化されたといえば強化されたって感じですかね。
なるほど。
それってさっきのkintoneをよりシンプルにみたいなのと一緒で、相手の方の未来とかを想像してそういうことをしてるんですかね。
結局答えを教えられると人間って身につかないよね。特にkintoneのような自由度の高いツールみたいなのは、ベストマッチな答えっていうのはその本人とかその環境においてベストマッチなだけの話であって、別の環境に行ったら全然ベストじゃないってことはよくあるじゃないですか。
だから答えとしてベストを教えるんじゃなくて、参考事例としてベターな方法は提示はするものの、そこをベースにしてあなたが自分で考えなきゃいけないんだよってところはすごく意識して教えるようになったって感じではありますね。
似たような状況だけど違う状況と向き合った時に対応できる力とか想像できる力とかそういうことですかね。
具体と抽象の往復をさらにできるようになったんで、それをどう人に理解してもらうかっていう意味でコーチングのスキルとかは身につけるようになったって感じですかね。
すごいですね。
だからHive以前だとあんまり伝えるところって、インプットはしてでも伝えるところって直接的にしてなかったって話から伝える力がそのぐらいでアップデートされて、今度さらに目の前にある人を引き出す力みたいなのがアップデートされるみたいな感じですね。
それは大きいと思います。
以前はマニュアルとかたくさん作ってたって話もさっきちらっと申したんですけど、そういうのを勉強会って基本的にこういう場合にはこうこうこういう方法でやってください。
この場合はこういう方法でやってください。
これをやっちゃダメですよっていう、明治的にルールとかを教えるっていうことだったので、別にそこに考える要素、むしろ考えなくていいですっていう状態までプロセスを作り込んでルールを作るってことを徹底してやってるっていうことが多かったんですよね。
そこからスタートアップの会社とかになるとルールとかなんてないわけじゃないですか。
そういう中でバタバタとやってる中でだんだん身についてきたものが、そのkintoneの登壇をきっかけにしていろんな人と話をしたりとか、今度は提供する側になって、
真の意味で、これって要するにコーチングってこういうことなのねっていうところで目覚めて、明治的にスキルとして身につけるようになったっていうのは多分そういう感じじゃないかなと思うんですね。
本当にじゃあ内面的にもすごいアップデートかかってる感じ。
かつ、あまり今日の話だって出てこなかったですけど、プロ雑用であり、あとは経営社長の右腕、片腕っていうポジションに長くやってきているわけだから、
数値とか係数に関わるところも見方とか勘どころもすごい持たれている方だから、そういう人が地域を本当に新しい街とかだし、行政と同意行為を見せるときに経済的な見せ方も含めてすごい活躍するわけ山ほどありそう。
そうですね。改めてだから日本としての日本らしい組織カルチャーとか、悪くよく言われがちですけど、村社会とは何なのかみたいなところ。
それが西洋的な資本主義的なビジネスとどうコンフリクトを起こしているのかみたいなところとかも今自分の中でいろんな書籍とか人の話を聞いて分析をしているところなんですけど、なんか見えてきてるんですよ。
へー、さすがです。
そういうのをきちんと体系化して人にお伝えして、その地域コミュニティを活性化させたりとか、あえている地域のなかなかDXとかも進まないような企業さんとか小さい会社さんがどうやったら技術を使いこなして、かつ会社の雰囲気だとかを壊さず、いろんなものがアップデートできるかみたいなところは関わっていきたいなってところですかね。
素敵です。
さらにフィールドが広くなったって感じですね。
うん。
すごい。これからも注目ですな。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっといろいろ問い回っている方だと思うんですが、これを聞いて、もしくは久々に小林さんに会いたくなったらどこに行けば会えるんですか?小林さん。
どこに行けば会えるというか、僕はどこにでも行く人なので。
なるほど。
時とタイミングと、私はこれから無職になるので財布との相談ですが。
呼んでくれと。
そう。呼んでくれたら飛んで行きますっていうのと、基本的な活動の中心地はやっぱり東京なので、基本東京では会えると思います。
ありがとうございます。
じゃあさらにフットワークを軽くいろいろ動いていただきたいなと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ最後にこれをお聞きのリスナーの方、および今回キントンハイブスピーカーに聞くっていうコーナーだったので、これからキントンハイブに登壇される方、もしくはこの秋のデイズをそわそわしながら待っているキントンハイブ代表になった方に向けてもメッセージいただければと思いますが、いかがでしたでしょうか。
そうですね。ハイブに登壇しようと思っている人とか、あるいは登壇しようなんて微塵にも思ってないんだけど、なかなか自分のkintoneの取り組み、いい取り組みしたなって思う人は、とりあえず今すぐハイブのホームページを開いて応募するっていうボタンを押してくださいっていう。
いいですね。
選ばれるかどうかは、そうそうわかんないし、許可取るのも別に後でいいから、とりあえず押すのはただのって、今すぐ押しましょうっていうところがまずメッセージですかね。
ありがとうございます。
あとハイブ登壇、これからアワードを控えている人とかは、もうそこはね、楽しんでくださいという一言しかないです。楽しめと、全力で楽しめと。終わった後の酒はうまいぞ。
見える風景を。
っていうところですかね。
そしてあの幕張、開品幕張の前のハブで会いましょう。
ハブで会いましょうってところだと思いますね。
ありがとうございます。
いやーめっちゃ楽しい話を色々ありがとうございます。
ありがとうございました。
色々話を聞いてる感じでしてたけど、そんな変化が小林さんの中でもあったんだっていうのを改めて聞いて面白かったですね。
僕も今回聞き出していただいて、改めて自分を振り返るなんて本当に良い機会でした。ありがとうございます。
ありがとうございます。では今回のゲストは小橋しんやさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。