ウエストロサンゼルスでの一人暮らし
こんにちは、Kaoriです。 今日も週末なので、収録してみようかなと思って撮っています。
あの少し前に、気まぐれFMさんって私の好きなポッドキャストがあるんですけど、そちらで初めての一人暮らしっていうトークテーマで話されていた回があって、それをこの間聞いたんですけれども、
それで私もすごい懐かしい気持ちになったので、ちょっと自分の一人暮らしの話をしてみたいなと思って今撮っております。
私が実家を離れた経験、一番最初は高校留学で1年間離れたっていうのがあったんですけど、
その時はホームステイだったので、 実際の初めての一人暮らしってなると、カリフォルニア州での大学時代です。
何年かっていうと1995年。
エリアとしてはウエストロサンゼルスです。
住んでる方とか、ちょっと詳しい方だとわかると思うんですけど、フリーウェイの405っていうフリーウェイと、あと10っていうフリーウェイがあって、
405は南北に縦のフリーウェイで、何車線あるんだろう。片側が本当に5車線?もっと6、7車線くらいあるのかしら。
すごく広い、めちゃめちゃ混雑するので有名なフリーウェイなんですけど、405と、あと10っていうダウンタウンLAとサンタモニカの方までつなぐ10っていうフリーウェイがあって、
その交差するエリアかな?に住んでました。
最初は下宿をしていたんですけれども、一般家庭一部屋借りて、その後アパートに移ったっていうのが最初の一人暮らしになります。
アパートの間取りと設備
窓りは、ストゥリオっていう、日本で言うと多分ワンルームにあたると思います。
独立したベッドルームがあるわけじゃなくて、広い縦長の部屋で一番奥にベッドがあって、
手前と奥とでカーテンの仕切りができるみたいな感じの窓りの部屋でした。
なんかね、玄関入るとすぐカウチとコーヒーテーブルがあるエリアがあって、
右手にキッチンがあってカウンターで区切られている感じで、丸いダイニングテーブルと椅子が2脚あったかな?
で、キッチンは電熱線の大きいやつみたいな、ぐるぐる巻きのコンロと、あとオーブンがついてて、
で、キッチンはディスポーザーもついてたかな?
冷蔵庫もあって、一番奥にベッドがあって、その同じエリアにチェストと鏡がついたチェストみたいな感じだったかな?
で、奥の右手にトイレとお風呂、浴槽とトイレが一緒になっているタイプのバスルームがあって、
洗面所と、あとウォーキングクローゼットなんかもついていました。
で、あのちょっと面白い設備があって、なんか暖房がついてるんですけど、
なんかね、その暖房の温かい風が出てくる場所が、なんかちょっとこう暖炉っぽいあしらいになってて、
しかもなんかこう電気がつくようになってて、
暖房をオンにすると、そのローラーみたいなのが奥に仕込んであって、
それが回るんだけど、ちょうどこう、全然うまく説明できないけど、
暖炉の火がゆらゆら燃えてるように見える仕掛けになってるっていう、
ただ音符が出てくる普通の暖房なんですけど、なんかそういう仕組みになってましたね。
はい。で、そんな感じで、スタジオだから一番間取りとしては安い部屋だったんですけど、
私にしたらすごい全然もう十分な広さっていう感じでした。
で、これだけ言うとね、なんか良さそうなアパートって思うかもなんですけど、
もう全体的にめちゃくちゃ古くて、家具とかはもうね、いろんな人が出たり入ったりするようなアパートなんで、
もう結構ボロボロだったような記憶があります。
はい。で、アパート自体のアメニティというか設備は、
コインランドリーが共有で数箇所に設置されているのを、
自分の部屋から一番近いところを使うっていう感じになってて、
で、ゴミは24時間捨てられる場所があったり、
で、中庭にね、プールもついてたけど、
なんかね、いつもちょっと怖そうなおじさんがね、
治安と生活費の管理
陣取ってるのでね、なんか泳いだことはないっていう感じでした。
はい。で、1階部分が駐車場になってて、
よくあるあのリモコン式のゲートがついてて、
で、家賃がこの当時で700ドル台くらいだったように記憶しています。
で、当時は円も強かったんで、
1ドルね、100円切ってたんですよね。もう信じられないけど。
そう。で、家賃どうやって払ってたかなぁと思ってるんですけど、
小切手で払ってたような気もする。
引き落としだったのかなぁ。
でも小切手を管理人さんの部屋に渡しに行ったような記憶もあるので、
でもそれは最初の契約の時だけだったのかなぁ。
ちょっとね、記憶がもう曖昧ですけど、
バンクオブアメリカに口座は作った記憶があって、
そこに送金をしてもらってたので、
でも小切手だったような気がしますね。はい。
なんか話してると急に結構その契約してた銀行の中、
あの支店の中の様子とかカウンターの雰囲気とかすごい思い出してきました。
当時はあんまり治安は良くない時期だったと記憶しています。
私が住んでたエリアのウエストラサンゼルスっていうのは、
学生さんも結構多いエリアなので、
比較的落ち着いてる治安はいい方のエリアとは言われてはいたけれど、
でも夜、あの授業ね、夕方の授業とか夜の授業とかもちょっとあったりしたので、
夜帰ってきて、車で帰ってきて駐車場に車止めて、
その1階ってやっぱもう薄暗いので、
そこから自分の部屋がある階までエレベーターで上がるんですけど、
そこに上がるまでとかエレベーター待ってる間とかは結構緊張感あったなっていう感じはしてました。
エントランスもロックがなんかいつも壊れてて、
直してもらえる、直しすぐ直してくれるんだけど、またすぐ誰かが壊しちゃうって感じで、
全然機能してなかったなっていうイメージですね。
なんか周りでね、ちょっと危ない目に遭ったよみたいな話はそんなに珍しいことではなかったので、
私自身はそんな危険な目には遭わなかったけれども、
でもなんかそういう時代だったかなっていう感じ。
だからこのアパートに引っ越す前は家探しとかもしてたので、
下宿してた先に撮ってる新聞のクラシファイアドっていうのかな、
売ります買いますみたいな情報がいろいろ載ってるところ、不動産とかもいろいろ載ってるんですけど、
そういうので探してた時もあって、
これすごい条件めっちゃ安いって思うと治安がだいたい悪いエリアみたいなことはよくありました。
実家から出してもらえる生活費の上限っていうのは決まってたから、
もう家賃と高熱費と食費と、
あとグラフィックデザインを私は専攻していたので、
画材がまあまあ高いんですよね。
事業料も当たり前だけど留学生はレジデントの人に比べたら高いんで、
予算内に収まるように単位ちゃんと取り切って卒業できるようにっていう風に組んで、
デザインの事業もマックを使ったね、
フォトショップとかイラストレーターとかコークの事業とかもあったけど、
まだまだ手書きのマーカーテクニックとか、
タイポグラフィーとかデッサンとかそういったデザインガッシュ買ったりとか、
フィルム写真の事業とかも取ったりしてたしとかで、
結構ね、その事業によって必要な画材が変わってくるので、
画材屋さん行くたんびにお金が飛んでいくし、
ボードにね、ガッシュで書いて、筆でね書いていくんだけど失敗したらまた新しいボード買ってってやらなきゃなので、
そう、ってなってくとやっぱり切り詰められるのって食費だけなんで、
一人暮らしの食生活
サンドイッチばっかり食べてたなーって感じですね。
作って学校持って行ったり、
あとあの、缶のスープとか買ってそこにマカロニ入れて食べたりとか、
見たことないメーカーのインスタントラーメンもよく食べましたね。
あとなんかおもちゃみたいなちっちゃいライスクッカーとかも持ってたかな。
スーパーは近くにあったボンズっていうね、大きなスーパーを一番使ってたかな。
あと日系スーパーもないかもしれないんですけど、
ヤオハンとかニジヤとかそういうのをよく使ってました。
あとは、そういうスーパーに行くと掲示板があって、
大体物の売り買いがそこで行われてたりするんですけど、紙媒体で。
大学にもあったかな。大学の掲示板とかでもテレビとかビデオとか、
街を離れる人とか大学離れる人が大体売っていく。
それをまた新しく来た人が買っていくみたいな感じで、
順々に巡っていくっていう時代だったんで、
A4くらいの紙に売りたいものの写真が大体貼ってあって、スペックが書いてあって、
下半分っていうか下4分の1くらいに縦に切り込みが入ってて、
自分の名前と電話番号が書いてあって、
それをちぎって持ち帰って、家から電話するっていう、そういう時代でしたね。
意味わかるかな、これ。
そういう文化があったんだけど、日本もそういう時ってあったのかな?
きっとね、あるはずですよね。
携帯が普及したり、インターネットとかが普及する前は。
私は結構それで家のものとか、あと車もそのルートで買いましたね。
友人との思い出
あとなんかトレーダージョーズとかも近くにあったから、たまに行ってたかな。
友達と当時遊びに行くっていうと、お金もないから、
だいたいもうコーヒー、スタバでコーヒー飲むとか、
あと行ってたのは多分サンタモニカブルバードのテラス席が結構広めのスタバによく行ってましたね。
あとなんかウエストウッドブルバードっていうところの通り沿いに、
ボーダーズっていうコーヒー飲みながら本が読めるっていう本屋さんがあって、
そこはめちゃくちゃ通ったんですけど、
さっきチラッと調べたらもう経営破綻してなくなっていて、ちょっとショックでしたね。
あとはもう友達と家を行き来するっていう、
もうとにかくお金がないのでお金をかけずに友達と話すっていうのが一番の遊びだったかな。
あとはね、海が近かったんでサンタモニカのあっちの海岸沿い遊び行ったりとか、そんな感じかな。
同じアパートにめちゃくちゃ仲良くしてた友人が住んでたこともあって、
彼女が得意料理がラザニアでよく作ったよって言って持ってきてくれたのを思い出しますね。
すごい美味しかったんですけど、シンガポール人の子で、
同じ大学の友達で、専攻は私と違ったから授業は一緒に受けることはなかったんだけど、
一番最初に友達になった子で、
私が廊下に座り込んで、教室が授業始まるのをあくまってたら話しかけてくれて、
ここでやってんのかなとかって、教室ここでいいの?みたいに話してくれたのがその子だったって感じですね。
今ね、アメリカ人の方と結婚してテキサスかどっかに住んでたはず。
その彼女がね、いろいろその家のセッティングしてくれたり、
このアパートを紹介してくれたのも彼女だし、
一緒にブロックと板とか買いに行って棚作ったりね、
食器買うならここが安いよとかね、いろいろ連れてってくれて、
仲良くしてくれたお友達ですね。
あと同じグラフィックデザイン専攻で仲良かった子は、
韓国系のアメリカ人の友人もいて、
彼女はね、そこのアパート最後引き払う時、
空港まで送ってくれるっていうのでね、来てくれたんだけど、
さあ行くよっていう時に最後エレベーター乗ったら、
エレベーターがね止まっちゃってね、めっちゃ焦ったっていう思い出もあります。
なんか結局すぐ動いたんだけど、でも何分間か閉じ込められちゃって、
その時はもうね、飛行機行っちゃうみたいな、
なんか携帯とかないから、そうすごい焦った記憶があります。
はい、なんかこの頃の話は思い出すというのがいろいろ出てきちゃうので、
ちょっとこの辺にしておこうかなと思いますけれども、
なんかここの住所まだね、頭の中で記憶に残ってて、
調べてみると、リノベしてねめちゃくちゃオシャレになっててね、
全体、アパート全体、当時もだいぶ古かったと思うけど、
すごい綺麗になってて、家賃はね2,3倍になってましたね。
なのでもうちょっと私には住めないっていう感じになってました。
ということで、今日はねちょっと初めての一人暮らしっていうテーマで、
思い出したことをちょっとつらつらと話してみました。