1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. vol.11-1 老舗旅館「鳳明館」..
2023-10-11 22:29

vol.11-1 老舗旅館「鳳明館」女将・大曾根美代子さん「鳳明館について①」

今回は、東京都文京区・本郷にある老舗旅館「鳳明館」の女将さんでいらっしゃる、大曾根美代子さんにお話を伺いました。

120年を超える歴史を持つ「鳳明館」は、まさに昭和の時代を今に伝える老舗旅館。その鳳明館で女将さんとして働く大曾根さんに、鳳明館の歴史や魅力、そして現在行っている様々な取り組みについて伺いました。

鳳明館Web : https://www.homeikan.com/
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。今回は東京都文京区本郷にある老舗旅館
鳳明館の女将さんでいらっしゃいます大曽根美代子さんにお話を伺いました。 120年を超える歴史を持つ鳳明館はまさに昭和の時代を今に伝える老舗旅館
その鳳明館で女将さんとして働く大曽根さんに、鳳明館の歴史、建築の面白さなどなどお話をお聞きします。
僕がその鳳明館3月に来た時に、実際にもともとは知ってはいたんですけども、やっぱり止まらなきゃ入れないんじゃないかみたいな、止まることで中に入る
ことができるっていうイメージを持っていたので、ただちょっと以前からイベント的なことをよくされていて、そういうの行けば入れるのかなと思ってた際にたまたま機会がありまして、行けるんだったら行こうと思って
来たのがそのきっかけで、そこでお話を見学させていただいて、これはお話聞きたいなと思って
小木さんにちょっといいですかって連絡したらいいですよと報告いただいたので、とても嬉しく
そうなんです、そのハードルが高いので、そのハードルを低くしなきゃいけないっていうのはやっぱり常に感じています。
高いっていうふうに感じますか?
出入手してるってこと、そのものもご存じないということが多いんですね。
そうなんですよね、なので、でも一つ一つそうやってイベントなどやられていくことで、きっと皆さんにも一つずつ一人一人に伝わっていくでしょうから、すごくいい試みだなと思いましたし、私もこうやってお話聞けることで、これを聞いてくださっている方にも伝われば、使えるんだ、利用できるんだっていうことで利用してもらえればなと思っています。
ありがとうございます。
じゃあですね、ちょっと聞きたいこととしてはですね、この豊明館っていうのは120年歴史としては、すごい長い歴史を持つ豊明館ですけども、成り立ちみたいなものでどういった感じになるんでしょうか?
まず最初に本館から説明させていただきますと、本館は明治の30年にまず下宿として建築されまして、
最初下宿なんですね。
その後、下宿と旅館の兼業というのを経て、戦後旅館専用に建築された館なんですね。
実はこの文京区の本館というのは、明治時代から大正時代までは本館下宿街としてにぎわっていて、昭和に入ってからは今度本館旅館街としてにぎわっていたという歴史がありますので、
03:00
そういった歴史的な景観を今に伝えているというところで、実は東京都の旅館として第1号登録有権文化財になっています。
すごいですね、そうなんですね。
じゃあもともとは下宿、そして旅館になっていて、実際やっぱり町にもいっぱいそういった旅館ですとかはあったんですよね。
そうです。
というかもう本当に、この下宿街が形成されたというのは、明治の初期、10年ぐらいに東大とかいろんな大学が本郷に移築したりとか、新しく建築されて、当然その下宿のニーズが高まったということがあるんですけれども、
実はですね、私も驚いたんですけれど、法明館が建築された明治30年代ぐらいには、なんと本郷下宿街といったら東京で最大の下宿街だった。
そうなんですね。
なおかつ、明治の末期にはこんな狭いエリアに500件以上下宿があった。
500件!?
ちょっと想像つかないんですけど、下宿だらけというか。
そうです。
上から撮った写真、記憶写真とかが、それはちょっと昭和なんですけども、本当にもう下宿がぎっしり森川町のあたりに集まっているという写真が残っていまして、そういった歴史があるという街なんですね。
それだけ学生さんといいますか、そういった人たちが集まって、密集してと言いますか、そういう形で。
ただその学生さん、もちろん最初はその学生さん用の下宿だったんですけども、東京大学があるということがあって、もう学問に必要な出版社があったりとかですね。
あと、そういうアカデミーの環境ということに加えまして、実は根津というのは色が違ったところですね。そういったロマンティックな環境もありまして、その多くの文豪が暮らしていたという歴史がありました。
そうですよね。例えば曹石ですとか。
そうなんです。
名前はいっぱいありますけども。
たくさん住んでいらっしゃったという、そういうところが本郷下宿街の特徴の一つですね。
一応ここは今お話を伺っているのは本館になるんですけども、別館という形であるんですよね。
大町別館、森川別館。それぞれ建築の感じが違うと言いますか。
そうなんですね。大町別館は、創業者の実は自分の自宅として最初に建てたんですけれども、やっぱり旅館にしようということで旅館にして。
大町別館の面白さというのは、昭和20年代後半のトレンドだった一個建ての名残があることで、その時は当然居住スペースというのは必要だったんですけれども、
なぜか玄関の横には洋室の大刹那があって、しかもステンドグラスもあったり。
そういった今でいう昭和レトロみたいなところが楽しめるというのと、あとやはり池がありまして、
06:05
個人の手宅だったり池だったり壺庭があったりというのが特徴になってますね。
ステンドグラスとかってやっぱり当時としてはすごく新しいというわけではないですけれども。
いや、モダンな感じです。
モダンな感じ、そうですよね。
そうか、やっぱりそういうのは珍しい感じなんですよね。
はい。
森川別館というのは。
これがまさに昭和の座旅館なんですね。
というのは、この森川別館だけは最初から団体客を止めるために建てられた旅館なんですよ。
だから玄関とか廊下とかすべて広々としていて、大勢の客さんをいっぺんに収容できるように建てられた旅館なんですね。
それだけじゃなくて、ちょっと自慢したいのはですね。
今実はタイガドラマでドース・テギアスっていうのが公演されてるんですけれども、
そこの徳川家康の主天皇の一人が本田忠勝っていう人なんですけれども、
本当に戦国時代のスーパーヒーローなんですけど、この人の孫の時代から江戸屋敷があったところなんですよね。
だから非常に歴史的に唯一の正しい敷地になっているっていうのが森川別館。
そういうことですね。
はい。
一応順番的には本館がまずあって、大町別館、森川別館という順番でできたという感じですね。
最初はもともとは本館だけだったのかもしれないですけど、必要性があってと言いますか、また旅館として新たに作ろうということで。
要するに旅館の需要が非常に高まったということなんですよね。
最初戦前は旅館県、ごめんなさい、下宿県旅館としてやってたんですけれども、
戦後になって、東京大空襲でほとんどの旅館が消失しちゃったんですよ。
でも戦後、靖国神社に参拝する遺族の方とか、鎮上にする農協の方とか、ともかく東京にたくさんの方を募集してたんですけれども、宿泊施設が圧倒的に足りないので。
そういうことですね。
なのでもう下宿よりも宿泊施設、旅館の方がいいということで旅館に変えたというのが一つと、
あと実はその旅館として創業したというのは、最初の下宿の創業した方とは違う、実は私の祖父なんですけれども、
それが一番昭和の25年に旅館として設立されたんですけど、その当時実はですね、修学旅行専用ダイヤっていうのが組まれて、
ダイヤっていうと?
要するにもうこういう修学旅行の専用のダイヤが組まれていて、
鉄道が?
そうですね、はい。なのでたくさんの修学旅行生が地方から東京に来たんですね。
なので修学旅行っていうまさに団体旅行のニーズが非常に高まったので、旅館の方がもちろん利益が高いっていうこともあって、
旅館兼業に変えつくを本館をしたんですね。
09:02
その必要性があって、
需要が非常に高まって、
そういうことですよね。
ダイヤが組まれるくらい人がいっぱい来るっていう場所だったってことですね。
そうなんです。でもそれどころか森川別館の鉄筋ができた当時なんかは、
ダイヤだけじゃなくて修学旅行専用列車っていうのがもう製造されたぐらいで、
製造されたぐらい?
製造されたんですよ。
あ、そうか。
そこにはなんと1200人が収容できたんです。
1200人?
電車で。
電車で?
ですのでそれが観光バスにすると20台分なので、
もうその当時私が子供の時は本郷通りとか大きなバス通りには観光バスがまるで列車みたいにいっぱい連なってたっていう、
そのぐらいこちらは本郷っていうのは旅館街として人気があったんですね。
じゃあ大曽根さんもそれを実際に見て連なっている様子っていうのを見てらっしゃって、
それでも当たり前と言ったらそうですよね。
そうです。
そういうことだったんですよね。
私は実は土台町別館に生まれ育ったんですけれど。
そうなんですね。
もうそんなに旅館なんか全然珍しくなくて、
もう犬も当たれば旅館にあったんじゃないですけれど、
もう住宅したのにあちこちに旅館があってっていうのが本当に日常でしたね。
大曽根さん日常も子供の頃からたくさんの人が行き交う旅行者さんと言いますか、
泊まる方、宿泊される方がたくさんいらっしゃったような感じで。
そうですね。団体客なので修学旅行してる人に制服だったりとか、
高級ホースターの方は格好着だったりとか、
スポーツ団体の方はスポーツのユニフォームだけ。
じゃあ格好を見れば分かるんですね。
同じ格好してる人がともかくたくさん歩いてるっていう、
そういった街のにぎわいが印象的でしたね。
そうなんですね。面白いですねそれは。
そっか、だからこそ古くの旅館街という形でこの辺りっていうのがあったっていう形ですよね。
そうなんです。
実際やっぱり東京大学があったってこと、今もありますけど、
本郷通りっていうのは古本屋さんと言いますか、本屋さん。
古書店街でもあったりとか、いろんな個人商店さんもいっぱいやった。
そういう街だったんですよね。
あの旅館街っていうのは別にやっぱり学生街だったんですけれども、
学生街のにぎわいっていうのは、実はその当時は学校法人がなかったんですよね。
で、学内にそんないろんな写真屋さんやろ本屋さんやレストランやコーヒー屋さんがなかったので、
学生が外に出てったので、たくさんのパン屋さんから斬草から、
アカデミックなところ、古本、古本、神田みたいな古本街だったんですけれども、
とは別にパン屋さんだったり斬草だったり、町中華があったりとか、
12:02
いろんなお店があったっていう、いかにも昭和っぽい街でしたね。
学生さんたちが使われるようなところ、個人商店さんがいっぱいあったという、
本当に懐かしい昭和の街並みみたいなのがそのままあったってことですよね。
で、実際その、今この宝明館っていうのが、古き良き昭和というのはそのまま残っているような感じですけれども、
その宝明館の特徴っていうようなものってどういったものになるんでしょうか。
一番明確にホテルライクな、モダンな和風の旅館の違いっていうのは、
私が感じてますのには、玄関で靴を脱いで上がるっていう、そのことだと思っているんですね。
なんでかっていうと、今のいろんなモダンな旅館さんって靴のままお部屋まで入れると思うんですけれども、
靴を玄関で脱ぐっていうことで、それでもアットホームな雰囲気っていうのは自然に生まれますし、
外の方が入らないっていう安心感っていうのがあります。
で、また物理的に靴から足を脱ぐっていうことで、なんか解放された、快適さだとか、
そういったのが、なんか昔ながらの洋装旅館なんじゃないかなっていうふうに思ってます。
やっぱり靴脱ぐっていう、そのことだけといったらあれですけど、やっぱり一つ行為でちょっと気分が変わると言いますか、
帰ってきたと言ったらあれですけど、ちょっと気分が変えたことで、なんかいいなって思えるような。
最初僕がここに来た時も、あ、そっかっていうのは気づきとしてはありましたね。靴を脱ぐっていうこと一つ。
特にイベントとかやってる時もその一体感があるっていうか。
そうか、そうですね。
そういったところが、その古き良き旅館の一つの大きな特徴だと思います。
あともう一つはですね、建築、昭和の旅館建築という魅力から言いますと、
まず一つには出来っていうことがあるんですけども、職人の技が決勝とも言えるような、
凝った出来というのが特徴だと思うんですが、これがですね、高級旅館ではないので、
拡張高いっていう出来というよりは、むしろ遊び心に溢れてる楽しい出来っていうのが、
豊明館の特徴だって思っていて。
で、例えば一番見事なのは、天井に、もう天井いっぱいにジャノミ合わせが広がっているような、
ドラマチックな飾りだったりとか、あとこういったいろんな山があるんですけれども、
そこにはですね、もう多種多様の縁起物があるんですよね。
鶴、亀、コウモリ、ショウチクマイ、エビス様にひょうたんっていって、
これはやっぱりお客様の幸せを願うっていう気持ちが現れてると思いますし、
縁起物だけじゃなくて、なぜか、たぬきが竹馬に乗っていたりとかですね。
もうその、もうなんかただもうお客さんにくすって笑ってもらいたいのかなって思ったりとか、
15:03
今、ゴイ石に使われている、何ていうの、黒石っていうのがあって、
それが敷き詰められている床は、ただ並べるだけで十分なのに、
ゴイ石で作ったお花のモチーフが点在してるんですね。
そういうのは非常に女子受けする。
もう本当に女性の方が喜んでいただけるデザインということで、
こういったお客様がそれをご覧になって、もう笑みがこぼれるみたいな、
そういった楽しさっていうのが、この旅館建築の特徴なんじゃないかなって私は思ってます。
すごく遊び心があふれる。
そうですね。
見学させていただいた時に、お部屋を一つ一つ見ていくと、全部違うじゃないですか。
この部屋はこんな感じなんだ、この部屋はこんな感じなんだ、ちょっと探検してみると、
いろんな発見があって、これは面白いなっていう作った方の。
そうですね。
私が社長だったら、アパホテルみたいに全部同じにした方が儲かると思うんですけれども、
多分これは旅館として創業した、私の祖父にあたるんですけれども、
非常に建築に造形が深くて、不審増落だったっていうことも影響してるかもしれないですね。
不審増落っていう言葉があるぐらい好きだっていう。
というのは、自ら棟梁と一緒に木場に買い付けに行って、
そうなんですね。
この出来の面白さの一つっていうのが、木材ありきの出来で、
ともかく木場に行って、面白い床柱とか、何か船板とか見つけてくると、
それをスタートの地点として、そのお部屋をデザインするっていうプロセスを踏んでたらしくて、
例えば入り船の間っていう間があるんですけれども、
それはまず船板を見つけて買ってきて、船板なので、
じゃあこれはこの船をテーマにしたお部屋にしようということで、
天井には船のへさきの模様があったりとか、飾りさんには当然お船が透かし模様であったりとか、
そういったところのオリジナリティに富んでるっていうところが、
訪民館の楽しさだっていうふうに思います。
じゃあ木場に行く前は全く何かないのに、
行って出会ったらこれだみたいな感じで、そこから出来ていくんですね。
そうなんです。
それがすごく本当に今の確立された建物とかホテルとかは全く違いますね。
そういった本当に遊び心といいますか、そこから始まってる空間作り。
あともう一つはやはり昭和の初期だったので、
木材が豊富だったので、もう本当に名牧とか奇牧だとかがたくさん豊富に使われているってことと、
ともかく欅から雑魚まで足したような木材が使われているっていうのは、
今はもうこういった木材を手に入れるのが非常に難しいので、
18:00
こういったところも昭和の割と20年代とか30年代に作られた旅館の良さじゃないかなというふうに思います。
柱の印象っていうのは非常にやっぱり印象深く覚えてますし、
部屋それぞれすごくグネッと曲がったといいますか、不思議な木だなというのはやっぱりそれも当時にあった方法ですね。
でも玄関なんかそれこそ90年近いような木の板が使われていたとか、
本当に価値が高い木材がふんだんに使われていて、
これはですね、多分宿泊費が10万円を超えるような高級旅館にも負けないのではないかっていう。
そういったのを楽しむって意味でもやっぱり豊明感。
空間に足踏み入れるだけで、わーっていう楽しさの一つ。
そうですね、豊明感の中でやっぱり本館が一番そういう点では比類がないということで、
大町別館、森川別館って言うとちょっとだんだん種類が少なくなっていったりとかするんですけども、
その分デザイン性の面白さが出てきたりとかありますが、
本当に木材に関心がある方は本館にぜひ来られるといいと思います。
ありがとうございます。
もう一つですね、これは強く言いたいんですけれども、
この旅館、伝統的な旅館の良さっていうのは自然に開かれているということなんですよね。
っていうのは木造建築って換気がすごく大切なんですね。
なんで換気にものすごく配慮された設計なので、館内にいながらにして風を感じることができて、
それが風だけじゃなくて匂いだったりとか、金木草の匂いだったりとか、鳥の鳴き声だったりとか、
そういった自然を体感できるっていうのが、この昭和の旅館の良さだというふうに思いますし。
そうですよね。
はい。
いわゆるホテルという、今の現代風なと、やっぱり強いのってなかなか難しいですし、
敷居を感じることができるっていうのが、やっぱり部屋にいながらちょっと窓開けたら見える空間とか、
お庭とかそういったところで感じることができるっていうのは、また贅沢だこれも。
そうなんです。
そうですよね。
はい。
そうか。
なるほど。
で、今となってみれば昭和レトロという言葉があるので、そういう感じではあるんですけど、
当時としてはいろんな出来ですよね。
古い日本的なものもあれば、ちょっとポップなタイルの装飾ですとか、お風呂ですよね。
お風呂とかも見せていただいて、こんなお風呂は見たことないっていうのもありましたし。
そうですね。
っていうのは伝統的な木造建築っていうのとはまた別に、昭和にタイムトラベルするっていう、昭和レトロ、
昭和レトロポップみたいな、そういったものも楽しんでいただけるのがホーメイカンで、
一番如実にわかるのが水回りのタイル装飾なんですよね。
21:01
特にその中でも一番インスタ映えするというか、なかなか素晴らしいのが本館の流宮風呂なんですけれども、
その流宮風呂にタイだとかカメだとか海藻のタイルがいて、まるで本当に流宮城にいるかのようなデザインになってるんですけれど、
これは多分その流宮風呂っていうのは半地下にありまして、しかもお水なので、この半地下と水をマップさせたソリューションというか、
それが流宮城だったんじゃないかと思いまして。
そっか、そこから来てる感じですね。
っていうふうに私は勝手に思ってます。
それが70年前にそれを思いついたっていうアイディアの斬新ですねっていうのがすごいなっていうふうに思ってます。
それが実際に空間として作ってしまうということもすごいなと思いますね。
下宿街、旅館街として多くの人が訪れた本郷。
その町で生まれ育ち、豊明館と共に生きてきた大住さん。
遊び心あふれる建築や自然を感じる空間づくりなど、豊明館ならではのお話を伺いました。
そしてお話は後編に続きます。
22:29

コメント

スクロール