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  2. Vol.28 ホテルマン・宮崎祐二..
2023-10-28 48:56

Vol.28 ホテルマン・宮崎祐二さんに聞く「ザ・ホテルマン」

今回はホテルマン・宮崎祐二さんにお話しを伺いました。

中学・高校の同級生であり、その後20代の頃ルームシェアを共にしていたこともある彼とは長い付き合いになりますが、知っているようであまり深くは聞いたことのなかった「ホテルマン」のお仕事について、伺いました。
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回はホテルマン・宮崎祐二さんにお話を伺いました。 中学・高校の同級生であり、その後20代の頃、
ルームシェアを共にしていたこともある宮崎さん。 長い付き合いですが、知っているようであまり深くは聞いたことのなかった
ホテルマンの仕事について伺いました。 ホテルの話をよろしければ、聞きたいなあとは…
ホテルの話って言うと、一番難しいな気がするね。 例えば、ホテルに勤めて何年ですか?
高校が1994年から4年間学生を続けて、ここ出てからね。
98年の6月に戻ってきて、
99年の4月から池袋のビジネスを受けたね。
その前にアメリカにいたじゃないですか。 その時は勉強的なことはホテルのことをやってるんだっけ?
そこのスタートで言うと、高校の2学期かな? 神道みたいな話に入るじゃないですか。
高校2年生? 3年生? 2年生? あの高校のインジュクションね。
みんな大学受験するっていう人たちが多かったと思うんだけども、
もともと勉強がそんなに好きじゃなかった、得意じゃなかったっていうのもあって、
プラス、周りの同級生たちが、地元の同級生含めて留学をしだすような時期だった。
なんか俺も行けるのかな?みたいなこともありつつ、それと同時に職業として、何自分が合ってるのかなって、
ホテルみたいなことを漠然と思いついた時期があって、なんか自分ホテルに向いてるのかな?みたいな。
高校生のその時? 高校生のその時。
なんかホテルマンになりたいかなって思い出したのと、留学してみたいなって思い出したのが同じくらい。
同時で、かぶせたんだと思うんだけど、ホテルで働こうって思いながら留学しよう。
同時に考えて、親にお願いをして、大学行かない代わりに留学したいっていう。
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高校生の時に言ったんだ?相談して? そう、相談して。
うちの親も、母親は負けず嫌いだから、そういうこと言われると。
そうなんですね。よく理解されてらっしゃる。
頑張ってくれたんだと思うんですが、そこから4年間留学して。
じゃあもうそれはホテルに向けて?みたいな部分もあったってことですね。
英語の勉強とか当然あると思うんだけど、好奇心と理由づけみたいなところもあったんだね。
じゃあホテルを漠然とホテルマンかな?みたいなのを持ったきっかけみたいなのもあるんだよね、きっと。
それははっきりと覚えてないんだけど、その当時、自分の中で思ってたのは、どの職業を選ぶような考え方にこりがたまってたんだよね。
だからどの職業を選んでも、楽しいことと辛いことって同じような人しかあるんだろうなって思ってて、
何が向いてるんだろうなって、自分のその当時の想像力の中で、
人と接するのがそんなに苦じゃないと思ってたから、ホテルマンみたいな仕事向いてるんだろうな、みたいなことは思ってたんだよね。
で、母親との話を聞くと、母親が最初に就職したのがホテルだったらしいのね。
だから、そういうキラキラしたところに憧れる性質が、自分の気づかないところであったのかもしれないというふうにはしてないけど。
そっかそっか。じゃあ、お母さんがやってたっていうのは知ってはいたし、選択肢の中にふわっと何か出てくる理由としてはあったんだよね。
人と接することも、もちろん嫌いではないやるし。
ああ、なるほど。
それがだんだんと決まってくる。じゃあやろうかな、みたいなのがやるっていう方向になっていくっていうことですよね。
で、今に至るんだ。急に。
急に。
1回なんかちょっとやめようかな、みたいなこと言ってたときもあったよね。
いや、1回や2回じゃないですよ。
あ、そうですか。職人になるみたいな話とかしてませんでしたっけ?
してたっけ?
してた気がするな。椅子か何か作るみたいな。
家具?
家具。
へえ。
あれ、それは奥さんに聞いたんでしたっけ?
あれ、なんかそのこと言ってた気がする、何かのときに。
たぶんそんなこと思うとしたら20代ぐらいだよね。
ああ、そうか。
全然覚えてない。
最初の池袋のところに勤めて、それ何年でしたっけ?
2年。
契約社員。
中野に住んでた?
中野だね。
中野プラス阿佐ヶ谷も被ったかな。
06:01
ああ、そうかそうかそうか。
で、転職して。
そうね。その当時はすごい良い職場環境で温かい人たちに恵まれて、
社会人たるやっていう基礎を表から裏まで全部手取り足取り教えてもらったような素敵な職場だったんだけども、
どこか自分の中で留学までさせてもらって、
もうちょっと田舎で自販できるようなホテルじゃないと親に申し訳ないかなみたいな気持ちもありつつ、
自分がそういうところを望んでたっていうのが本当のところなんだろうと思うんだけども、
大きいホテル行ってみたいなって思いながら、
そう思い立ったタイミングで求人誌見てみたら、
舞浜のシェラトンか東京ゼンニックホテルで募集がたまたま見た求人誌になったんだよね。
どっちも行ったことなくて、どっちも想像もつかないような景色だったんだけども、
東京ゼンニックホテルを選んだんだよね。
アルバイトだったんだけども、東京ゼンニックホテルでベルサービスみたいなことをやりたいなと思って応募して、
初めてタメ池三郎の駅を長い通路を降りて、
13番の出口からパッと見たら、デカッとなって、建物の大きさに圧倒されて、「こういうところで働くことしてるのか?」ってビビりながらも面接を受けて、
大きな会社のカチッとした人たちが出てきて、案内されて面接を受けた。
その面接の中で、「ベル、ご希望されてますが、ハウスキーピングっていうお仕事もありますが、ベルに強いご希望ありますか?」みたいなことを聞かれて、
挑戦できるなら職業収取られず、チャレンジしたいと思います、みたいな回答をして、結局ハウスキーピングで採用されたっていうのが経緯だったんです。
そこに入るわけですね。
その時にちょっと覚えてるのが、たまに第六感が降り注ぐ瞬間があるんだけども。
第六感が降り注ぐ瞬間?
これ難しいんだけど説明するのが。
ただの思い込みだと思うんだけども、その時にホテルのため池三郎の13番と、
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ホテルの桜坂を折り切ったところの角っこに立った時に、首都高が上に走ってるんだよね。
そこを見上げた時の空が青くて、「あ、なんか俺ここで働いてる気がする!」っていう強い予感があったんです。
今、採用の結果を聞く前に、その帰り道を。
それをすごい覚えてて、「あ、なんか俺ここで働いてる気がするな!」っていう感覚を強く受けた。
降り注いだんですね。
作曲とか思い込みとか。
それはあったってことだね。ないわけじゃなくてあった。
それのせいかどうかわからないけど、14年そこの建物で働くことになるわけですよ。
そうだよね。それ相当な良い時間ですよ、それはなかなか。
でもその中でハウスキープに入りながらも、仕事の内容は変わっていくわけじゃないですか。
普通にホテルに入ってたらいるじゃないですか。
フロントに?
フロントに。っていうのは全然違うんじゃない?やっぱり。
最初の入り方から比べたら。
自分たちの世代っていうのがどういう世代なのかよくわからないけど、
当時はホテルの顔はフロントみたいな、古い…古いのか新しいのかわからないね。
なんかそういう考え方があって、いずれはフロントみたいな考え方を守ってて。
常にハウスキープのアルバイトで入ったっていうところが、入り口になっているっていうところが一つ、
ホテルマンとしての個性の一つで、しかもアルバイトでね。
内側から物事を見ていくんですね。
そっかそっか、そうですね。現場みたいなところでね。
指示系と言ったら、すごくボトムなところから入ってくるから、
ハウスキープの社員の指示に従って、業務を遂行していくと。
最初にやったのが、もちろん仕事を受けてからなんだけど、
ターンダウンサービスっていう、VIPのお休みの準備をするのと、
あとアイロンのデリバリー、ランドリーのピックアップ、検品、
あとお届け物のデリバリーって、そういったようなところからね。
夜勤のベースのアルバイトだったんですね。
そうだよね、夜勤やってたもんね。結構やってたもんね。
12:00
夜勤専属のアルバイトだからね。時給950円。
あーそうなんだ。なるほど。
で、やっぱりそれをやっていく中で、上に上がっていくみたいな。
自分の希望もあるし。
まあまあ、ご存知の通り、当時お付き合いしていた女性がいまして、
で、まあちょっと焦ってたっていうのが正しいのかどうかわかんないけども、
契約社員で働いてたところからアルバイトになったっていうところで、
まあ、なんか早く結婚しなきゃいけないっていう思いもあって。
へー。
そういうことね。
で、アルバイトじゃちょっと結婚できないよなみたいなところもありながら、
早く社員になりたいなっていうふうに思ってて、
だから、ビジネスホテルから大きなホテルに転職したっていう経緯も踏まえて、
結構、まあ、がむしゃらだったかなーって思います。
がむしゃらか。
がむしゃらっていうか、周りの他のアルバイトの人とはちょっと違うっていう。
熱量みたいなのが違うって感じですかね。
そんなに俺が俺がっていうアピールはしてなかったんだけど、
一生懸命やらなきゃいけないと思ってて、
あ、自分行きます?
行かせてくださいって言って、
人より早く返事をして。
それで心がけてやってたってことね。
で、ちょっとこれまでやったことないんで教えてくださいとか。
そうなるとやっぱり上の人とかはちゃんと見てくれてるだろうし、
まあ、見る人は見てるだろうし。
ハウスキーピングに当時そのホテルで採用されたっていうのが運が良かったのが、
ベルだと、契約社員、社員になりたい人たちが結構先に詰まってたんだよね。
ハウスキーピングは、自分はアルバイトでいいですっていう人たちが多かったから、
そこに順番が早く回ってきて、
半年で契約社員になれば。
なるほど。
それは入ってみてからわかったこと?
そうそう、結果的に。
で、じゃあなれってなって。
っていうような話ってちゃんと聞いたことないじゃん。
なんかユイジちゃんホテルで働いてるんだなーみたいな感じがわかるけど、
当然のように知ってるぐらいの感覚でもある。
そうだと思うんです、きっと。
じゃあそれでハウスキーピングで契約社員になって、
でもフロントに行くまではやっぱりまだあるもんね。
15:01
長いですよ。
長いですよって言ったら。
じゃあちょっとはしょって。
結果、4年後。
ハウスキーピングで入ってから4年後に、
フロントに移動っていう流れでしたね。
希望して。
当時は希望っていう形じゃなくて、
会社から指示をされて事例が出て移動するっていう風潮だったかな。
ってことはじゃあ宮崎君はフロントがいいねっていう人事みたいなのがあった?
そこの決定のプロセスは、当時ドメスティックな会社の流れだったから、
全然見えない感じ。
でもそうしたら自分にとってみたら、
なりたいなーみたいなことは思ってたわけだから。
周りの人には言ったり、近しい人には。
そういうのはあったかもしれないけども。
もうやった?みたいな感じになった感じ?
そう、頑張りますってすごい期待と不安が強い。ちゃんとやれるかなって。
すごい圧がかかるような、当時のホテルってそういう社風だった。
って思うと、それでフロントまで行ったってなると、
入った当時に思えば、行きたいとこに。
もともとだってその空を見上げた時に、ここで働くのか?みたいな夢物語じゃないですか。
そこのふわっとした情景って説明できないんだけど。
フロントまで行くんですよね。
なんだけど、辞める時も来るじゃないですか。
それがまたすごく大きな転機というか。
10年後ね。
なんでその間に辞めなかったんだろうってすごい思うんだけど。
それで辞めることによって、最初に俺に連絡が来たんですよ。
え?沖縄ですよね?
そこで沖縄ですよね?
残り10年あるんだけど、そこまで飛んじゃって。
10年あるんだけど、僕はそれが結構、え?って感じはすごい。
赤坂、あそこにいる時に遊びにも行ったじゃないですか。
上のフロアに。
クラブランジね。
そう、お案内していただいたり。
僕もその時六本木で働いてて。
おお、こんなとこで会うとは。
みたいなことは思ってたわけですけど。
あそこのクラブランジはキラキラして。
そうそう。
18:00
だからそれから思うと、あれ?辞めちゃうんだ。みたいな。
沖縄行くの?何それ?みたいな感じはやっぱりあったんですけど。
それで結構デカい決断じゃないですか。
そうね、今となっては。
ずっと行き続けることもきっとできたのに。
なんだけどそれをせずに、止めて次のところに行くっていう選択をしたのはなぜか。
あのー、そこのホテルがリブランドっていう言い方するんだけど。
経営の母体が変わってて。
国内の会社から外資系に変わって。
これはホテルではよくある話なんだけども。
日本のリブランドから外資系のブランドに変わって。
中の雰囲気も変わって。
それでも続いていくんだけども。
それはそれですごい貴重な経験だったと思うんだよね。
日本の企業っていう体験もしたし、外資系の企業っていう体験もしたりし、
それが変わっていく時の過程っていうのも目撃して、
中に入れたっていうのはすごく貴重な体験だったと思うんだけど。
長く…
後から思うと、もうちょっといろいろその期間、体験しとけばよかった。
自発的に体験しとけばよかったなって思うことも多々あって。
たまたま自分のきっかけになったのは、そのホテルのフロントで先輩だった人が、
沖縄のホテルで働いてて、同じチェーンのグループの人事マネージャーをやってて。
ハウスキーピングのマネージャーのポジションが空くんだけども、
挑戦してみないかっていう誘いをいただいたのがきっかけです。
14年いたし、そのホテル入ってから転職をしてなかったから、
これはいいきっかけかなと思って。
ハウスキーピングとしては、4年間アルバイトから入って、
残りほとんどフロントで、1年間だけクラブラウンジにいたんだけども、
マネージャーとしてハウスキーピングをやったことないから大丈夫かなっていう不安はあったんだけども、
せっかく声をかけてくれられる人がいるんだったら挑戦してみようということで、
ハウスキーピングのマネージャーのポジションが空くんだけども、
挑戦してみないかっていう不安はあったんだけども、
自分の人生の話においては大きなことだよね。
21:03
最初、単身赴任説で考えてたんだけど、
そのマネージャーの給料だとどう考えても、
これちょっと無理だよねっていう結論に至り、
一緒に住まないと成立しないよねって思ってて、
当時、子供も小学校5年生で、
ママ友達も奥さんに対して、沖縄いいな、うらやましいみたいな声がけをしてくれたから、
奥さんもそのうちになってくれた。
そうだよね。行くって結構デカい決断。もちろん自分もそうだけど、
家族にとってもデカい決断して、デカい決断。
今となっては結果的に良かったのかもしれないけど、
それを大きなえいっていう一歩を踏み出すみたいな感じは。
沖縄で良かったよ。
沖縄じゃなかった可能性も当然あるんだけど、その人はどこにいるかわからない。
北海道だったかもしれないし。
千歳だったらね。
寒くてやっていけないかもしれない。
その辺はわかんないよね。
ただそれとして実際沖縄に行って、
新たにまたハウスキーピングをやって、
そこはずっとハウスキーピングだった?
タイトル変わったんだけども、ベースはハウスキーピングだった。
ただそれもそれで、あれ?次?
また変わるじゃん。沖縄で変わるでしょ?
変わったんだって思ったらまた変わるでしょ?
そうだね。そこからは小刻みに変わっていきますね。
軽井沢行く。
そこから軽井沢でしたっけ?軽井沢行って。
軽井沢行かなきゃって思ってたら、次はまた沖縄。
那覇で戻るんですね。
沖縄行けるねって思ったら今のところですね。
三重県ね。
次はどこかなって。
ホテルマン人生のドラマをね。
聞きたいと思ったことがあって、
ホテルって、僕も行くことはありますけど、
お客さん側で言ったら完全に当たり前だけど、思ってしか見ないじゃないですか。
裏っていうのかな?仕事の中身を知ってるわけじゃないですか。
大きな流れとして。
そういうのってやっぱり、
さっき言ってたのなんだっけ?価値の話。
ホテルってすごいピン切りあって、時期によって当然値段も変わるし、
24:01
で、然るべき値段みたいなものっていうのを設定とかってどう決まってんのか。
昔はラックレートみたいな言い方してたんだけど、
時期とかそういうの関係なくて定価みたいなのがあったんだけども、
そこから、本と正月とかゴールデンウィークとか、
需要のある時期は当然高いよねと。
換算機は需要がないんだから安いよねと。
変動するのが当たり前になってきて、
ラックレートっていう定価みたいな客室はいつの時期もこのカテゴリー、このタイプはいくらですよっていうのはなくなって、
この時期、需要に合わせて料金が変動するようになってきたと。
ホテルの値段の考え方なんだけども、
自分がどこのホテルに泊まりたいかって言った時に、
私が考え方の一つでお勧めするのは、
自分のお小遣いと照らし合わせて、ちょっともったいないかなって思ったら、
もったいなくないところを選んだ方がいいなっていうのは…
それってどう判断したらいいんだろう?
実際そこで得るものって体験だったりとか、
一泊のベッドルームと食事なんだけども、
そこに対して値段の幅がすごくホテルによって違うんだよね。
ブランドに対する憧れだったりとか、
そこで提供しているサービスにすごく興味があるとか、
人それぞれ価値観はあると思うんだよね。
でも、自分のお小遣いと照らし合わせてもったいないって思った時に、
無理してそこに泊まって、ちょっとネガティブなことが起きると、
その跳ね返りがすごい危ないんですよ。
こんなに払ったのに、こんな体験してしまったっていう
跳ね返りがすごくネガティブな体験に変わってしまうので、
そのネガティブな感情を抱いた時に、
費やす時間ってすごくもったいないなって思ってて。
だから、いろんなケースで使う特別な記念日だからこそ
ここっていう使い方はいいと思うんだけども、
27:02
その中でやっぱりもったいないっていう気持ちがちょっと感じるんだったら、
もったいないって思わないところを選んだほうがいいなって。
ネガティブなこともいろんな種類はあると思うんだけど、
当然、例えばホテルに勤めてる方はそういうこと起こしたくないように、
普通にちゃんと心がけてやってるだろうけど。
一生懸命最新の知恵を払ってやってるんだけども、
何らかのきっかけで噛み合わせが悪くて、
いろんな体験をされてしまうっていう方がいらっしゃる。
起こりゆるんでね。
何か心がけてることみたいなのってある?
心がけてることは…
今日は久しぶりに会ったんだけども、
前から思ってたけど、やっぱりホテルマンが体に入ってるじゃないですか。
そう言われると恥ずかしいんだけど。
普段、例えばさっきランチ食べた時とかも、
ちょっとスッと身を引く感じとか。
これは前回で言ってるけど、
プライベートでホテルに行くと、
特に結婚式とか呼ばれてると、
スーツでよそのホテルを歩いてると、
トイレに聞かれる率は高い。
だからもう体に入ってるんだよ。
ホテルマンに見えちゃうんだよね、動き方が。
それって言ったらプロフェッショナルってことなんだよね。
どうなのか分かんないけど、ロビーでね、
よそのホテルでもだらしなく立ってるっていうのは、
ちょっとなんか…
居心地の悪さがあるから、
なんとなく綺麗に立っちゃうんだろうって。
そしたら声かけられる。
従業員に見えちゃう。
従業員に見えちゃってすごいですよ。
でも周りの人に聞くと、
みんな同じような体験してる。
ホテルの方はそういう風にしてしまうみたいな、
職業柄みたいな感じ。
なるほどね、それは面白いな。
ロビーみたいなスペースに出ると、
シュッと立っちゃう癖があるんだと思う。
例えばホテルでシュッと立ってる人に、
すみませんって言って、そこのホテルの人と思って喋りかけたら、
あ、違いますって言ったら、
あ、ごめんなさい、でもホテルマンですか?
なるほどね、面白いですよね。
姿勢とか手の組み方とか、
そういう些細なことだと思うんだけども、
スタッフに見えちゃうんじゃないか。
そういうのって、
お客さんが当たると分からないこともいっぱいあるし、
例えばホテルのフロントさんって、
常に人がいなきゃいけない状態を保っておくために、
じゃあ人数何人いるとか、
シフトか分からないけど、人の働く感じとかってあるだろうし、
30:01
当然そこはちゃんと立ってはいるけど、
みんなが仲良いわけでもないだろうし、
何話したらあれなのかな?
まず人がいないところは無人にしちゃいけないっていうのは、
これは鉄則だよね。
人がいないところは無人にしちゃいけない?
人がいなきゃいけないところは絶対無人にしちゃいけないって。
よくベルなんか置いてあるフロントとかもあったりするんだけども、
お客さんが入ってきた時に、
無人にしてちゃいけないっていうところがあって、
フロントもそうだし、
玄関から入ってきて、
最初にコンタクトがある受付みたいなところとか、
あとレストランに入ったところで、
本当にたまにタイミングが悪くて、
無人の瞬間があるときもあるんだけども、
お客さんとして入ってきて、
これは美容者として使うとされてるんだけども、
お客さんとして入ってきて、
美容者として使うとされてるんだけども、
そこに着いた時に、
無人だった時間が長いと、
すごい不安な感情が長くなっちゃうよね。
どうしたら先に進めるの?
っていう、その不安な感情がない方がいい。
そりゃそうだ。
そのままホテルの印象に繋がってしまう。
だから絶対無人にするなって。
そうしたら、
繋がってしまう
だから絶対無人にするなっていうのが 上司の指示だし
それでも他のお客様に声かけられて
どうしても無人にしなきゃいけない 瞬間っていうのは発生するんだけども
別のスタッフと連携して
そこと代わりに入っておいてください みたいなコミュニケーションを取って
でも実際起こり得るんだよね
そのお客様のネガティブな感情を 起こさないためにも無人っていうのは
そっかそっか それは言われてみればおっしゃる通りですよね
お客さんとして 自分としてはあんまり気にはしてなかったけど
そういやそうだなっていう感じが すごいするので
あの不安な感情とか
不快っていうとちょっと強すぎるかもしれないけど
すごいネガティブな感情が入り口になっちゃうと
その後の例えば料理とか
そこに繋がってくるわけだ
見える景色が変わってきちゃって
それがネガティブな感情のまま始まると
ネガティブに採点しだしちゃうんだよね
その後の体験
じゃあそこまでをちゃんと考えて
あらゆるサービス ホテルに入った瞬間なのか着いた瞬間に
そうやってちゃんと見ていくと言いますか
よくファーストインプレッションとか言うんだけど
センスオブアライバルとか
33:00
到着した時の体験を
感情で言うとハッピーな気持ちにするように
働きかけるっていうのが
こういう話していいの?
ダメなの?
共通だよね
どこの業種でも共通だと思う
ハッピーな感情でお迎えするっていうのが
基本だと思う
それがあるからこそまたここに来たいな
みたいなところに繋がってくるわけだし
そうするために到着した瞬間に
ユイナオ様お待ちしておりました
お名前で呼ぶとか笑顔で先客するとか
何かお手伝いできることはございませんかっていう
気遣いを示したりとか
そうだよね
気遣いとかもきっと自然に身についてると思うんですよ
おそらく
そういうのはもう本当に
もちろんやろうと思って
ホテルマンになろうと思った時からスタートして
学んできて
それが体に入っていることだとは思うんだけど
実際さっき言った青い空を見上げて
俺はここで働くんだなっていうところからスタートして
もう何十年も経ってるわけで
今があるけど
どうすかって変だよね
気遣いっていうところから話をもうちょっと進めると
そういうものが自分がどれだけ勉強してきたか
してこれなかったかっていうことを考えた時に
落ち着いて考えられるようになったのも
最近のような気がして
そうなんだ
だから振り返ってみると
大半の時間は目の前のことに必死になって
ただただ長距離マラソンを
迫力で走り続けてきたような感覚で
だから勉強し損ねたことを
今一度勉強していかなきゃいけないな
みたいな感覚はずっと続いている
具体的にこの勉強しようみたいなのは見えてたりする?
例えばレストランで
ずっと働いてきた人と同席した時に
動きがすっごい見られてる
動きは見られてる?
例えば一緒にレストランに行きました
バーに行きました
一緒に飲み始めましたって
飲み物がなくなる前に飲み物を持ってこられちゃう
36:01
こっちが気づいてないこと
レストランでキャリアを積んできた人っていうのは
特にバーテンダーの人とかはすごいんだけども
動きをすっごい見る
だから同じ感度で気遣いができない
それがすごい
そうかそうか
それはポジションによる癖とかあると思うんだけどね
ホテルマンってこれからもやっていくわけじゃないですか
もちろんまだ先輩がたくさんいて
そういう人から学ぶこともたくさんあるんだよね
ホテルマンって普通に定年みたいな感じ?
会社で言えばあるんじゃないかな
でも今いろんな雇用携帯あるから
やっぱりキャリアをしっかり積み重ねて
だいぶ歳いった方でもやっぱりすごい人とかってきっといるじゃないですか
ホテルマンはほんとそんな気がするんだけど
いろいろね
気遣いなのか
こんなことするんだ
なんて言ったらいいんだろう
道みたいな
言ったらちょっと変だけど
茶道とかに通じるような
おもてなしの何かみたいなのはあるのかなっていう
でも自分が見えてる範囲で言うと
そんな超巨大な人っていうのは
そんなに自分は対峙したことがないんだけど
すごい存在感のある総支配人とか
ロビーのマネージャーとかドアマンとかって
いろいろいると思うんだけど
対峙した時の感覚
受ける印象っていうのは
すごい人だな
素敵な人だなとか
器の違いを感じるなみたいな
そういう人はいるかな
いる?
初めてか分かんないけど出会った時に
この人みたいな
実際そういう感じ?
お話
この人はすごいなみたいな
いろんな種類の
対峙した時の印象を出し入れできる人がいる
39:01
出し入れできる人?
特に総支配人になるような人は
雰囲気を出し入れするって話?
分かりにくいんだけど
隣にあったホテルの総支配人が
知り合いが勤めてたから
すごく怖いという話を聞いてて
自分の働いているホテルの
上司の上司が
中央から来るから
ショールームの運転手をしてくださいと
隣のホテルに連れてきました
違うブランドの中央の人が来たので
向こうの総支配人がお出迎えするんだけど
すごいひと夏っぽい素敵な笑顔をするんです
聞いている話と全然違う
なんでこんな人を惹きつけるような
素敵な笑顔ができる人なんだろう
っていうのはすごいびっくりして
だから巨大な組織を動かすために
すごく厳しい顔もすることもできるし
お客様として迎えれる人を惹きつける
魅力的な笑顔を出せることもできる
それを使い分けることができる人たちなんだ
っていうのはすごくびっくりした
でもどこの総支配人も大成り総なり
そういう使い分けができるんじゃないかなって思う
ご自身はどうですか?
自分のことは見えない
本当に見えない
じゃあその総支配人も分かってはないかもしれない
そういう意識はしてないかもしれない
自然と自分はやってるだけであって
たまたま自分がそういうものに気になって
気づいてただけで
自覚的に見たらどうやらそうだなみたいな
それめっちゃ面白いな
なんかちょっと映画に出るような役者の人に
すごく似てるかなって
そこ長く勤めてたホテルは
よくテレビに出るような人たちも
いっぱい来てたから
俳優のあの人だっていう人が来て
お金が10万はしないけど
5万から10万くらいで
42:02
自分が受け取った金額が
1万円多かったって勘違いした
実際は1万円多くなくて
数え間違えたら
あ、合ってました
申し訳ございませんって言って
その俳優の方が
こっちを指差して
すごい人懐っこい笑顔で
ほらーみたいな顔したんだけども
すごい人を惹きつける笑顔だったなと思って
それはもう
大スターの俳優の人ができる笑顔だなっていう
見せつけられた瞬間があったんだけども
それに近い感じがあるかな
そういうのってやろうと思ってやれることでもなくて
その人がいろんなことやって
人生積み重ねてきたから
そうなってるっていうだけなのかもしれない
それはそうだよな
いろんな場面に立ち会って
経験を積んで
ついも甘いも分かってきて
そういう現場を踏んできたからこそ
厳しい顔が
厳しく
優しい無邪気な感じが
すごく無邪気な
人間の深みみたいな感じ
積み重ねでそういうものが身についてくるんだろうね
役者の人もそういうことなんだろうね
そう思うと
久々に丸の内で再会した時に
遠くで見つけた
スーツ姿の人は
めっちゃ遠くから見て
ホテルまですぐ上がった
出張でホテルから出てきたばっかりだったから
ホテルマンがいるって
もうそれはつまりそういうことですよ
あなたもだいぶ入ってる
建屋でGパンTシャツだったら
違う見え方だったかもしれない
出張モードが抜けてない
ありがとうございます
十分
いい話を聞きました
尺足りてる
尺なんかだって
まだ喋り足りてない
喋り足りてないですか
第2部に
こんな感じです
こんな感じで話を聞くんです
すごくいい話をいただいたので
いやー面白かった
自分としては
喋ってる時
俯瞰して自分が喋ってることが
性格化とか
あんまり見れない
そうそう
それはそうだと思います
自分のことはあんまり
自分じゃわかんないみたいなのって
本当おっしゃる通りで
僕も今聞く人っていうのを
やってますけど
自分でやろうっていう感じじゃなくて
稲田さん聞くの上手だから
聞く人やればみたいな感じ
ところからスタートしてるんで
え、そうかな
っていう感じ
45:00
聞く人っていうのは
数年前から
自分の中で
役割として
トピックとしてあって
え、何その話
あなたがってことですね
その言葉というかその感じってこと
職場のリーダーの一人として
話を聞くっていうことの
大切さがすごく
意識しだしたのが
3
4年前ぐらい
3年前ぐらいかな
前の
前の前の前の職場にいるとき
それをやれるかやれないかで
チームの成果が
すごく変わってくるな
っていう風に思い出したのね
結婚してさ
なんでこんなこと誰も教えてくれないんだろう
っていうことが
結婚して10年過ぎてから
いろいろあったと思うんだけど
あったんだけど
女性の話って
別にアドバイス求めてないし
自分の考えを求めてないし
聞いてくれるだけでいいんだけど
なんでこういうことって誰も教えてくれないんだろう
それは結構人生経験で
学んでいくみたいなところは
生き物的な
誰か教えてくれてもよくない?
答え求めてないんだって
本当誰も教えてくれないんだなと思って
それ人によるんじゃない?
そうなの?
そういう傾向はあるのかもしれないが
ちょっと自分の意見言い続けて
ご主人とか世の中にいっぱいいると思うの
それ求められてないんだって
教えてあげたほうがいいんじゃない?
でも言う人は言うよ
関係性が維持できるじゃん
そのコツをさ
どっちを取るかだね
そう言われても
俺はこう思うからこうしたほうがいいぜ
本当に聞くっていうことの
話を意識しだしてから
脊髄反射で
言葉を発するのをやめようと思って
それがちょっとうまく
習慣として
進んでいくと
周りとの関係性が変わってくるのよ
ちょっと景色が変わるのよ
周りとの関係性が変わると
自分が変わるのよ
めっちゃ面白い
今のも使っていいと思うよ
そういうことって
ちゃんと教えてくれる人いればいいのに
それこそだから
僕が教えるんですよ
聞く人教室をやるっていうのも
一案にあるので
それはそれとして
探せばあるのよ
どっかには
本とかには書いてあるし
女性はやっぱり話を聞いて
どちらかというと共感してほしいみたいな
方が強いっていうのはそうだなとは思うし
でもやっぱり
男性だとそれは
違うよこうしたほうがいいよって
自分の考えを言いたくなっちゃう
そうそう
それは生き物的な部分でしょうがないなとは思う
48:00
聞くほうにちょっと
振り幅を振ってみて
一旦聞いてみると
色々ちょっと見えるものがある
思えば30年を超える
お付き合いとなる宮崎さん
ちょうど彼が東京に
数日滞在するタイミングがあり
その合間に時間を合わせて
お話をお聞きすることができました
第6巻が
降り注ぐ瞬間を経て
長らくホテルマンとして
勤める彼の出住まいそのものが
ザ・ホテルマン
であったことがとても印象に
残ったのでした
それではまた次回
雄見縄さんの聞く人ラジオで
お会いしましょう
48:56

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