前回に引き続き、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話しを伺います。
今回は、お話しを伺っていく中で浮かんできた疑問点についてからお聞きしていきます。
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サマリー
新川瑜龍さんは、釣りの魅力や仏教の教えを通じて、自身の経験を基にした人生観について深く掘り下げます。特に、ヘラブナ釣りを通じた心の成長や、困難を受け入れることの重要性に関する洞察が印象的です。釣りとお経を通じて集中力の重要性を語る一方で、お経の技術的な側面や成長についても触れています。また、修行の過程やその難しさを体験談と共に共有し、お坊さんとしての学びが続くことを強調します。スーパーチャーミング坊主である新川瑜龍さんは、仏道と俗世をつなぐ姿勢や、仏教の教えを日常生活に取り入れる重要性について語ります。ヘラブナ釣りのエピソードを通じて、自身の信仰や人生観を深く探求する内容が展開されます。新川瑜龍さんは、仏教を生活に役立てるための取り組みや海洋産骨の思想についても語り、その重要性を伝えようとしています。さらに、ホダラク浄土と千葉の暴走半島の関係についても触れ、仏教徒としての意味を深める内容となっています。
新川瑜龍さんの人生
ゆいなわさんの聞く人ラジオ、皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
前回に引き続き、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話を伺います。
今回は、お話を伺っていく中で浮かんできた疑問点についてからお聞きしていきます。
いつか聞きたいことが浮かんでくる中で、一個あるのは、その矯正のお話、何でそれをしようという、その世界をやろうと思ったのか。
あ、だから本当にたまたま就職した先がそこなんですね。
もうそこなんですね。で、死下の世界に入ろうとしたのは何で?
あ、死下の世界に入ろうとしたのは、私兄弟4人、女の子なんですよ。姉が2人と、私がいて妹がいて、母が1人で育てたんですけど、
そうするとですね、やっぱね、手に触をつけないと生きていけないっていうのがすごく感じられたんじゃないですか。
姉は美容師とスタイリストなんですけど、だから、なんかこう、自分の手でなんか食っていける国家資格がないとダメだと思って、
で、たまたま、かかりつけの歯医者さんに、え、歯科衛生師になるのよって最初言われて、歯科衛生師かーと思ったんです。
それってなんかこう、人とすごい関わるし、んーとか思ってて、で、手先が器用だったんで、なんか違うのがいいなーとか言ったら、歯科技工種がいいんじゃないって言ってくれて、
で、調べたら、独立開業している人たちが9割で、年収1000万以上がほぼだ、みたいなことが書いてあったんですよ。嘘だったんですけど。
業界に入ってみたら、嘘かーってなったんですけど、それ書いてあったから、これ目指そうと思って、高校生の時に。
そういうことだったんですね。
で、たまたま見学しに行った先、会社見学みたいな、企業見学みたいなのを学生の時に行ったんですよね。
そしたら、何人かで行ったんですけど、ワイヤー、歯科教授ってワイヤー使うじゃないですか、ワイヤーここで曲げてみてって、そこの院長先生がおっしゃって、何人かで曲げたんですよね。
そしたら、君才能あるからうちに行きなって言ってくれて、えーってなったんですけど、私そこだから就職希望してなかったんですよ。
で、他に見学しに行った子たちはみんな就職希望してたんですけど、その子たちじゃなくて私に声かけてくれたんですよ。
だから、あーそうかーって思って、やりたいことじゃなくて、できることを職業にしないとダメだって私はいつも思っているんですね。
やりたいことは趣味でいい、できることっていうので金を稼ぐっていうのが、私の中では職業でそうだと思っていたから、
じゃあこれで食いますと。そうかそうか。
だから強制しかない。あーそういうことですね。
なんかそれも導かれてるっぽい感じがしますね。そうですね。
お聞きすると、やっぱりそうやって言ってくださって、いいよね才能あるっていうところで、
あ、そうなんだってところでそこにスーッと入ったというか。そうですね。
ここはだからなんか素直に育ちましたね。
そうですよね。10年後なんですけど。
あーそうだと思います。素直に育ちましたね。
そう、いろんなことがありながら、今の道も、やっぱり誓るべきところに来ている感じ。
そうですね、そこは。
いつでもそういうチャンスが来たら、手を差し伸べてくれたものに対してつかめるようにっていうのはいつも思ってるし、私自身。
それも仏教の教えでもありますけども、
そこでつかむかつかまないかっていうのがすごく大きなところなんだけど、
じゃあ両手がいっぱいだったらその手ってつかめないから。
あーそうですよね。
だから私、これまだ私勉強不足で、お釈迦様それ言ってるかどうかわからないけど、絶対言ってると思いますよ。
いっぱいになっちゃったら、必ず手放すこと。なんでも。
と思ってます。そうしないと次のものは入ってこない。
釣りの魅力
次のステージだから必ず何かにみんなしがみつきたい。今のポジション、今の仕事とかね。
今の何かにしがみついていたいという気持ちがすごくある。怖いから、もあるし。
でもそれをバーンって手放したら、それ以上のものが必ず待ってるっていうのは、
それは人生経験の創造だったかな、ずっと。
嫌な思いも途中でするけど、嫌な思いももちろん。でも結果的には結果往来だから、
すごくそれはみんなに言いたい。こだわらないとか執着しない。それは仏教の一番の教え。
執着しない。全部手放すっていうのが。でも手放したら結局入ってきちゃうんですよ。
あーそうか。
入ってくるんですよ、いいものが。入ってくるときにそれが自分がどういう人間かによって何が入ってくるか決まるというか、
ダメなものが入ってきちゃうときはやっぱり自分がダメな行いをしているときが大事だし。
そうだわ。いやーちょっとめっちゃいいって言葉しかで今当ててたんですけど、めっちゃいいですね。
その言葉自体で実際にそれを人生としてやってきてるから、だから言えるみたいなところも当然。
それはあると思います。経験してきたから。
ここはなんか、なんですかね、だいたいお坊さんになる人って生まれてお寺に生まれたご子息とかご祖父が多いと思いますけど、
私みたいに他の社会から来て、いろんなことがあって学んできた人っていうのも、それとお釈迦様。
お釈迦様もね、王族に生まれたのに。
あーそうか。
全部手放して、すごい苦しい修行されて、80歳まで生きて、みたいな感じじゃないですか。
その80年の中にいろんなことがあって、スーパー金持ちから何もなくなったっていうことを経験されたじゃないですか。
それってやっぱり経験できないことだったから、いろんな学びがあったんでしょうし、
最初から貧しく生まれたら貴族の人たちの気持ちってわからなかったと思うんですよね。
でも貴族の人たちにすごく支持されたのは、その人たちの気持ちもすごくわかったからなんだと思うんですよ。
それなりの底の位置にいるときの苦しみって絶対あるから。
私が強みとしているのは、経営者の人たちの苦しみだったりとか、つまづきだったりとか、壁っていうのがすごく理解できるような。
そうですよね。実際自分もそこにいたってこともあるし、止まれない、走り続けなきゃいけないっていう気持ちがわかるから。
でもそこにどれだけその気持ちを持っていかないかとか、
持った瞬間に手放しちゃっても全然かまわないんだ、止めたっていいんだっていう。
だって全然そんなことしたって世界回るから。
っていうことを言えるのは、私の経験だからかなと思うし。
それは私の強みだと思います。
ちょっとこれね、ずっと聞けちゃうんですけど、もう1個テーマとして聞く人は、お仕事と好きなことを聞いてるんですけど、
じゃあ、あらかさん好きなこと何ですか?っていう質問になったら何て答えますか?
釣り。
ですよね。私もちょいちょい釣りの話してましたけど、釣りが好き。
釣りと猫。
釣りと猫。
じゃあ、釣りの何が好き?
釣りの魅力というか、なんで釣りが好きなんですか?っていう質問だったら何でしょう?
なんで釣りが好きなんですか?
もう兄弟全員女の子だったんですけど、父は男の子が欲しかったんでしょうね。
遊びは全部男の子がするような遊びを教えられました。
虫を捕ったり、キャッチボールしたり。
物心ついた時から、物心つく前から釣りは連れて行かれる。
赤ちゃん生まれてすぐ。
そうなんだ。
赤ん坊の時から釣りみたいな感じだったんですよね。
だから、釣りって結構私の中で日常というか、
身近にもうあった。
あったし、なんて言ったんですかね。
こっちでコントロールできない要素が強すぎるじゃないですか。
それがやっぱりすごくいいですよね。
コントロールできないものを知るってすごく大事なことだと生きていくんじゃないですか。
全部コントロールできるじゃないですか、今。
でも、コントロールできないんですよね。
そこに対して自分がどうしていくか、試行錯誤していくのか。
だからといってコントロールできないんですよね。
もう委ねるっていうか。
運もあるでしょうし、
何なんだろうか、最後ヘラブナに行くって聞いてます?
知らないです。どういうことですか。
釣りって、海で釣りするのが基本ですけど、
そこはやっぱ試行錯誤だったりとかもするんですよね。
運もあって、潮の道引きとかもあったりとかするんですけど、
自然との一体感
最後はね、釣りが大好きな人はヘラブナに行くんで。
ヘラブナは、もうね、
ヘラブナの気持ちとかと全部、
それこそ世界と一体にならないと釣れないんですよ。
どういうこと?何それ?
この世のすべてと一体になって、
ヘラブナの気持ちとも一体になって、
そこでヘラブナの食べますよみたいな気持ちを悟って振っていくみたいな。
だから、すごいちゃんと合わせないと釣れないんですよ。
そこに、何だろう、煩悩が乗ってもダメなんですよ。
殺伐とした意図から伝わってしまうし。
なので最後ね、一番釣りが好きな人はヘラブナのところに行き着いちゃうんです、らしいんですけど。
みんなだから、管理釣りもありとか沼とか行くと、
だいたいおじいちゃんとかがヘラブナを釣ると、
一日で触ったらパンってやってるんですけど、
あれは悟った人たちです。
そうなんだ。
現代に生きている人たちは普通に海とかでやったほうがいいと思います。
でもほら、やっぱそれこそ、なんで釣れないんだよって言ったって、
どこにもやつ当たりする場所がないっていう。
自分との戦いみたいなもんですよね。
そう、自分との戦いです。
そこはね、やっぱり天気だって変えられないし。
そうですよね。
時にいっぱい釣れたりとかもします。
そう、全然もう訳がわからないじゃないですか。
それこそ昔はここで釣れてたイカがだんだん釣れなくなってきて。
それも大きな流れで見たら地球が変わってきているんだけど、
そんなの私一人の力で止められないじゃないですか。
そうですね。まさに大きな力、自然の力ですもんね。
止められないんですよ。
だから釣れない方は釣れたりするし、
わかんないんですよ。
初めてやった人はすごい釣れたりするし。
そうですよね。
わかんないんです。
なんで測り知れないものの中に生きているなっていうことを知る。
でもやっぱり海が道引きするっていうこと。
そうですね、それがすごく大きいですよね。
そこに好きっていう、好きというのか何なのかもはや一体なのかな。
なんか一番落ち着きますね。
お経と集中の深い関わり
お経を読んでいるとき以外で落ち着くのって何だって言ったら、釣りしているときですね。
お経を読んでいるときは落ち着くんですか?
落ち着きますね。すごく集中できるというか。
お経と一体になる、わかんないですけど、その感じってあんまり。
昔社経とかしたことがあって、やっぱり社経とかしているとすごく集中して、
気づいたら一時間経っているみたいなことってあるじゃないですか。
お経を読んでいるときもそういう。
お経を読んでいるときは、やっぱりなんだろうな。
トランス状態ではないけど、それ近いというか。
声に出して。
一人で読んでいるときももちろんなんですけど、
他のお坊さんたちと読んでいるときっていうのが一番、
すっごい一番気持ちが集中できるというか。
そうか。
なんだろうな。
違う空間に行っているみたいな気持ちになる。
そうかそうか。
よくというか思うのは、
お経を読んでいるときに、
何考えているのかなと思うことがあったんですよ。
でももしかしたら考えるとかじゃない?
じゃないと思う。
声を出して、自分の声と他の人の声も一緒になっていて。
考えているとしたら、
そのときにその人たちが一緒に何かの願いをご希望しているときでしょうから、
それが叶いますようにっていうふうに思っているというのが一番あると思いますけど。
最初はそういう気持ちで座りますし、
誰かの願いがきちんと届けられますように。
叶えたるぜみたいな感じの気持ちでやっています。
そうなんですね。
そういう気持ちでやっていますし、
それに対してすごく集中するので、
そこでものすごい集中。
声を出しているのが、
お経の技術的挑戦
歌っているときとあまり変わらないのかもしれませんね。
歌ったりしないけど、
ダンスとかもしないけど、
無になって、
集中しているけど、
体と口は勝手に動いていて。
そういうのって、
お坊さんになられてからしばらく時間がたって、
より高くなったり深くなったりする実感ってありますか?
経験値は積んでいるわけじゃないですか。
どんどん経験は積み重ねていって、
お坊さんとしての修行をやっていく中で、
知識も身についていて、
お経も上手くなっていくというか、
なると自分としてより高みに上がっている感覚ってあったりしますか?ないですか?
最初は何を読んでいるのかが全く理解できない。
これを読んでください。
まず読むってことができないと話にならないからっていうことで、
振りがな振ってあるものをずっと読んでいく。
つっかからないように。
音程とか浴用もあるんですね。
それをただただ覚えるだけだったんで、
そこにやっぱり何か気持ちが乗っているというよりは、
一生懸命間違えないように読むっていうことだけだったけど、
今はそれをどういうあれなんですよっていうのを
お正様が教えてくれているので、
今全部ではないですけど、
ちょっとずつこの教はこういう、
ここはこういう意味で、
ここはこういう意味でっていうのを教えてもらっているところなので、
理解ができるものに関しては、
そういう気持ちで読んでいるっていう感じですね。
まだ理解ができないけど読んでいるみたいなものもあります。
そういうことですね。
すっごいあるんですよ。
めちゃくちゃいっぱいあって。
全部音程違うし。
歌みたいなのとかもいっぱいあるんですけど、
超音痴なんで、
本当にびっくりするぐらい音痴なんで、
半音上がるとか半音下がるとかわかんないんですよ。
そういうのもあるってことですね。
全部あるんですよ。
これは特に、
必ずここはこういう節の回し方があってとか、
半音上がって半音下がってみたいな、
裏声みたいなところがあったりするんですけど、
全然わかんないみたいな。
口がこの音とか言われるんですけど、朝から。
指導を受けたりするわけですね。
口がこの音とか言われて、
もうわからないと思って。
例えばお師匠さんとかは、
そういうのをずっとやってきている中で、
当然もうそらんじるというか、
全然違う?
全然違うんですよ。
気持ちがちゃんと乗ってないと、
それが届かない仏様にって言われて、
なびやかにとか言われたりするんですけど、
スタッカートみたいなこと言われるんですけど、
ん?みたいな。
お師匠さんはミュージシャンなんですよ。
バンドとかもやられたり、
ピアノとかも弾かれるから、
すっごく耳が良くて。
音への何か。
ものすごくちゃんとしてる。
半音とか全然わかんないですよ、私。
長さとかもわかんないですよ。
私の声質も、
あんまり奥行きのある声質じゃないし、
歌に全然向いてないんですね。
だから、
違うとか言われました。
そっか。
そういうことがあるんだ。
お坊さんになって何が一番辛いって、
それが一番辛いです。
本当に辛いです。
お経における。
お坊さんになって辛いことって何もなかったですけど、
それだけ辛いです。
言われてることが理解ができないというか、
耳がついていかないし、
それと同じ表現が全くできないから、
それだけ辛いです。
修行と学びの継続
それは思いかけないことですもんね。
思いかけないこと。
こんなことあるの?
そこみたいな。
全然わかんないです。
でもそれをやっていけば、
どこかにはたどり着きますもんね。
一曲というか一つの音響を覚えるのに、
1ヶ月かかります。
私毎日毎日すごいやっても、
それでも音程外れてると言われるんですけど、
それくらい難しいですよね。
でも今の時点でもう覚えてるし、
できるってこともあるんですよね?
できてると私は思ってるけど、
まあまあしなほうぐらいの感じで、
やっぱりうまい方たちはもうね、
全然違いますよね。
全然違います。
そこに自分の色をつけていったりとかを、
たぶん他のお坊さんたちもしているんでしょうけど、
ああ、そうか。
お師匠様から教わるっていうのが普通なんで、
誰が師で教えたかということによって、
ちょっとやっぱり違う歌い方になったりとか、
っていうのがあったりするみたいですよね。
ああ、なるほど。
そうなんですよ。
ああ、面白い。
面白いですよね。
面白いです。
知らなかったことです、私も。
歌うんかいってなりました。
楽器もあるんですよ、いっぱい。
ありますよね。
いろいろだから、
例えば駒行の中でもいろいろな。
あれも作法もある。
あれは全部覚えなきゃいけない。
あれを覚えるのは修行です。
そういうことか。
作法を全部覚えるでしょ。
今覚えてるんですか?
覚えてます、あれは。
一通り。
一通り覚えてる。
お師匠様が昨日やってた作法とかは覚えてますし、
一応見ながらやりますけど、間違いないように、
何を言って、次に何を触って、何を唱えて、
っていうのを全部やっていくっていうのが修行です。
それ2ヶ月間まるまるやっていくんです。
そっかそっか。
最初はできないけど、できるようになるじゃないですか。
できるようになってきたみたいな感じ。
そうです。最初、あの作法が1回4時間かかったりするんですよ。
全部でやるのに、通しでやるのに4時間かかったら、
最後2ヶ月後には1時間でできるようになるんですよ。
ちゃんとスラスラ読んで、つかからないように読むし、
次何やるか全部頭に入ってるから、
できると1時間でできるようになってくるんですけど、
最初は本当に帰れないというか、
学校に通って朝4時くらいから、
夕方4時くらいまでやるんですけど、
それじゃ間に合わない。
3時とか2時とかに来て、やんないと帰れないみたいな。
なるほど。それを経て、今からみたいな。
それがベース。
基本ベースがあって、そっからまた派生して、
他のお経本でアレンジしていくっていうのがあるので、
じゃあ修行終わったから一人前なの?とか言われると、
そうではなくて、
調理士免許と一緒で、
調理士免許持ったからって言って、
ミシュランじゃないですか。
そこからスタートみたいな。
なんで、修行終わった、信号集においては、
修行終わったのっていうのは、
調理士免許もらったぐらいのイメージ。
そういうことか。
全然もう、ただ厨房に入らせてもらえるぐらいの感じ。
皿洗いです、まだ。
そういうことですね。
そうです、全然まだ皿洗いなんで。
そっか。
こっからです、お家を持たせてもらうまでからですって感じですよ。
そっか。
いやー、だからまだまだこれから当然、
まだまだまだ全然です。
本生で終わんないっていう。
そうですよね。
いやー、すごい。
学びというか、当然新しいことが目の前に出てきて、
これ知らないぞみたいなことがあるし、
やってたことをもっともっと紐解いたら、
全然違うことがあったみたいなことが結構あります。
そっか。
それ次第はやっぱりもともと学びたいという思いで入ってきてるから、
面白い。
面白いです、面白いです。
ですよね。
全然面白いです。
ですよね。
知識的な欲求を満たすってすごく幸せなことで、
なおかつ自分が成長していってて、
おそらくこの世で終わんないぐらいに続くじゃないですか。
そうですよね。
ゴールないじゃないですか。
一個一個にちょっとずつゴールがあるんですよね。
そうなんだ。
修行終わりましたって言われたら、
仏道と俗世の関わり
本山からあなたはちゃんとお坊さんとして資格として認めますよって言ってもらったりとか、
そういう大きい法要がありますって言って、
他のお坊さんと一緒に拝むことができたりとか、
法要もたくさんいろんな法要があるので、
じゃあこれを1年かけてこれを覚えましたって言ったら、
じゃあ次の年仲間に入れてあげますよってことが起きたりするわけですよ。
そうなんだ。
それがまだまだ分かんないぐらいいっぱいあるんですよね。
めちゃくちゃあって。
そうなんです。
それがすごいいっぱいあるので、
信仰宗のお坊さんはやることが本当に多くて、
他の宗派はまた別資格で、
信仰宗は法要がちょいっぱいあるんですよ。
お釈迦様のためとか、
いろんなことがすごくたくさんあって、
その中に全部いたがって。
大好きな釣りのこと。
コントロールできないものを知ることの大切さ。
そして最後はヘラブナに行き着くという印象的な言葉からは、
自然や人生に対する深い思いが感じられました。
そしてお話は、
スーパーチャーミング坊主って何?ということを伺っていきます。
最初に言ったスーパーチャーミング坊主っていうのは、
じゃあそれ何?っていうのはどういう?
その何っていうのは、
私は仏道を通して生きていく様だと思います。
仏道を成人ながら、仏になっていきながら、
どうやってこの世の中で生きていくかっていうことを、
生きている人って感じですね。
そういうことか。
そうだと思います。
そこが何だろうな、
ものすごく仏教の敷居が高くなっちゃうお坊さんではなくて、
俗世の人たちと、俗世、藩族みたいな感じだから、今でも。
みんなの気持ちも分かるし、
おこがましいですけど、
空海が、お大師様が分かりやすく解説していったのと一緒で、
お大師様の言葉とかを、今の人たちにもっと分かりやすく伝えられたらいいな、みたいな。
そっかそっか。
本当だったら、お坊さんになったらこっちの世界にどっぷり入って、
きちんと仏教っていうものに身を置いて、
すべての欲を放って、っていうのがあれなんでしょうけど、
そうではなくて、この世の中の人たちのことも分かるよね。
気持ちも分かるよね。
でも、向こうのすごくいいことも伝えられるよねっていう。
そっか。
そこの部分でありたいと思っている。
そういうことか。
それがスーパーチャーミング坊主っていう言葉に表されている。
表されていると思う。
スーパーチャーミング坊主の意義
みんなが、お坊さんとお話しするのちょっと緊張しちゃうわとか、
なんだ、こんなことを聞いていいのかなとか。
思っちゃいますよね。
思っちゃうじゃないですか。
なんか敷居が高いとか。
そんな感じがあると思うんですよ。
でも、見かけたら気軽に話してほしくて。
そうか。
だから、私も手発しなくていいんですよ、修行終わっているから。
そうなんですね。
紙があっても全然構わないんですけど、
手発しているのは、こうしておけば誰が見てもお坊さんだって分かるから。
普段着もできるだけ和服とかを着るようにしていて、
そしたらお坊さんだって分かるから。
ただのパンクロッカーみたいな感じで。
なんかこの人仏教となるかなみたいなのが分かるようにしていて。
だからといって、じゃあノーメイクで疾走な感じだと、
お坊さんだみたいになっちゃうから、
だからキラキラしさせてるんですよ、全体的に。
そこは自己演出的な部分があるって感じ?
もともとそういう疾走な感じ、そんな好きじゃないっていうのももちろんありますけど。
自分の気持ちも上がるようにっていうのもありますけど、
なんかそこで、
お坊さんみたいな風になってほしくなくて。
話しかけられそうみたいな。
はいはいはい、そうか。
気軽に話しかけられそうってなったり。
私自身もそんなまだまだ駆け出しなんで、
できますみたいな雰囲気出せないんですよね。
そうかそうか。
聞かれたことに対して、分からなかったら素直に、
じゃあお坊様に聞いておきますって言える感じ?
一休さん的な?
一休さん的な、はい。
一休さんってスーパーチャーミングじゃないですか。
そうですよね。
あれを目指してます。
そういうことか。
ずっと誰かの弟子、仏様の弟子ですし、
他の人たちからも愛されて話しかけてもらえて、
そこにみんなに伝えていくものがあればいいなと思うし。
なるほど。
っていうふうに思っています。
そういうことか。
それがスーパーチャーミング坊主っていう言葉で、
ひとつキュッてなんか表現されてるってなると、
すごくいいなと思いますし、面白い。
仏教って仏具とかがあるじゃないですか。
ああいうのってひとつひとつに何かあるんですよね。
意味があるというか。
あります。
そういう感じで、この仏具にはこういうストーリーというか、
という感じでスーパーチャーミング坊主っていうものには、
今のお話しいただいたストーリーとか、
あらかさんの思いとか、物語がそこに含まれてるみたいな感じで、
なんか分かった感じがします。
分かりました?
分かった感じがします。
そういうことかという。
勝手に略されてスパチャさんって言われてるらしいな。
知らないとこで。
スパチャさん。
だいぶ略されて。
スパチャ、あいつスパチャだって。
嬉しいですよね。
そうか。
そうやって、この土地南放送でいろんな方とだんだんつながりがあって。
仏教の未来と広がり
すごいよくしていただいてて。
そうでしょうね。
みんないい方ばっかりでびっくりしました。
そっか。
世界ってこんないいものだったかなって思えるし。
いやー、素晴らしい。
なんかこれからこうしていきたいとかってありますか?
こうしていきたい。
そうですね、仏教の教えをもっとライトにみんなに伝えていって、
それがみんなの生活の生きていく、役に立てばいいなと思ってるので、
何かしらの形で皆さんと接点が持てるようになればいいなとは思ってはいるんですけど、
それがYouTubeなのか、何なのかみたいなのはちょっと考えてはいるところではありますね。
そっか。
例えばYouTubeだったら、表現していくとかそういうことをどういうイメージですか?
本当にユイナホさんみたいな感じで誰かを呼んで、世間話しながら、
でもそれってお釈迦様がこう言ってたよ、みたいなことをしていくとか。
そういうことか。
分かりやすく、その物はこういう教えがあって。
あったよ、みたいなこととか、そういうのがあったらいいなと思ってはいる。
素晴らしい、それはぜひって思いますし、
例えばYouTubeとかって今の人たちにすごく親和性があるとかみんな見てらっしゃるから、
それであらかわさんがメインで立って、そういうことをやっていくとみんなも親しみやすくなるでしょうし。
それがいいなと思ってはいるんですけど。
それめっちゃいいですね。
なかなか忙しいのはある?
忙しいというかあれなんですよね。やろうと思っても立ち上がるまでだと結構時間かかるんですよ。
取りためてあるものとかもいっぱいあるんですけど。
あるんですね。
お釈迦様と私の問答じゃないですけど。
やりとりは?
これなんですか?って聞いたときに、これはこうだよって教わってるのとかすごくいっぱい取りためてるんですけど、
編集が全然できてなくて。
そうか。そういうところも確かに出てくるとみんなが普通に聞けるような状態があると面白いですよね。
あるんですけどね。
めんどくさがりっていうところもすごくある。
そうか。それ出して聞きたいですね。
本当です。
普通にあるといいなっていう感じ。
去年1年貯めたものがあるんで。
そうなんだ。そういうのを聞ける状態というか、触れられる状態になると、
それを今も活動を続けながらいろんな方にこうやってるんですよみたいになると、
すごく価値ある感じがします。
そうですよね。
頑張って編集します。
そうですね。なんかそれは面白い感じがします。
頑張って編集します。
めんどくせーっていうのが一番。
でもそれとはまた別にこれから今やっていく先のことも当然あるわけだから、
それを一つ一つやっていかなきゃいけないから。
うまく自分の生活に組み込めていくといいですよね。
表現活動が。
あともう一個、やっぱりみんな仏教って葬式のイメージがあったりとかすごくしていて、
だから私がみんなに知ってほしい生きていく人たちの教えが本当は仏教だからっていうところに
たどり着かない人たちが圧倒的大多数なんですよ。
そうか。そうですよね。
圧倒的大多数で、なお今はかじまいとか寺離れとかすごくあるじゃないですか。
あります。
で、はかじまいしちゃって産骨とかしちゃったら、あと戒味をいらないみたいな人とかすごくいっぱいいるじゃないですか。
戒味はいらない。
だから戒味をつけなかったんだから自分は仏教徒じゃないみたいなことを言う人いるんですよ。
でもそんなことは全然なくて、そんな細かい話の、
それって大きい仏教の中の亡くなった方を弔うって
本当にごく一部のイベントだけなんで
そこだけやんなかったからって
教徒じゃないとか言わなくていいっていう
すごい後ろめたい気持ちにならなくていいぞと
全然そんなことじゃなくてやっぱその仏像ってところがすごく重要だから
そういうことに気づいてほしくて
海洋産骨をすることにしました。
することにしました?
これから海洋産骨をして差し上げる
サービスって言うとちょっとおかしいじゃないですか。
お坊さんだからおかしいんですけど。
サービスじゃないんでおかしいんですけど
結構墓じまいをして
お墓がなくなっちゃいました。お寺がなくなっちゃいました。
仏教の生活への役立て方
だから私仏教徒じゃありませんって人たちすごく多いけど
そうじゃないんだよって知ってほしいから
じゃあ産骨をしました。何のためにこれをするんだよっていうこととか
これは本当にごく一部のことで
他に仏教っていうのはあなたたちが生きていくために
教えを説いているものだから
もっともっと生活に役立ててよっていうのを伝えていきたくて
そこの一つの足掛かりとして
産骨。私は海に巻かれたかった。巻かれたいし
そういう人たちがどこにでも手を合わせていく
どこでも手を合わせて
それが供養だから
それが栄光だし供養だし
だからそこができるようにお手伝いをしていけたらなと思っていて
今ロゴとかを考えています。海洋産骨の
できるロゴ?
サービス?
サービスじゃないですけど
受けますよっていうような形の
受け皿を今作っていて
そうなんですね
私はお寺があるわけじゃないですし
会社に株式会社にはしないと思いますけども
そういう誰かが検索したらそれが出てこられるような感じで
やっていく
なるほど
どういうイメージですかみたいな話をしたら
それも出来ますもんね
こういうストーリーでやる
本当はこうなんだよみたいな
天国に行くってめちゃくちゃいいことなんですよ
お坊さんになる儀式をするんですよ
葬式って
だからお坊さんになる名前をもらうからみんな買い物をしけるじゃないですか
別にお坊さんにならなかったからって仏教徒じゃないとは言い切れないし
もっともっと生きていく中での仏道が大事だから
そうか
話とか
海に私は1年中行くので
その時に
弔った方たちの栄光を
私が生き続けている限りはできるし
そうか
それ繋がりますねすごくいろいろと
なるほどな
っていうのをこれからやっていきます
今年かな
もう着手している
ロゴを作った
立ち上げる感じにはなっている
素晴らしい
時間がある程度経ったら開かれて
実際にやられるということ
ぜひ教えてください
ありがとうございます
僕の話では何なんですけど
父が海洋産骨して
もう亡くなって5年間もなくなったんですけど
立山で亡くなったので
葬儀屋さんにお願いして
父の思いで
父は船乗りだったんですよ
海洋の船長がやってて
なので海が好きで
子供の頃僕もすごく海行ってたんですけど
父の希望で海洋産骨にしてくれって言って
してたので
今お話聞いて
ああと思って実際やったので
そういうのもっと
うちの母も同じくそうしてほしいって言っているので
例えばやりたい方とかも
一つの窓口としてあったりするといいですし
それのための教えというか
こういうことですよっていうのが
わかりやすく紐解かれてはいいでしょうし
めっちゃいいですね
みんな結構海に帰りたい方
割といますよね
この辺の方って結構海が好きだから
海が好きだから来たって人もいっぱいいますし
この半島がホダラク浄土っていう
お釈迦様が
観音様か観音様が
目指された極楽浄土だと
すごく似てるんですよね
インドの半島の先っぽを目指して
そこに浄土があるっていう風に
みんな目指して行ってたらしいんですけど
千葉の暴走半島の先端
立山っていう場所って
ホダラク浄土にすごく似てて
ここから行くっていうのは
すごく極楽浄土に行くぞみたいな
感じなんですよ
仏教徒にとっては
本当に綺麗な黄金の夕日の道を渡っていって
あそこの先におそらく浄土があるんでしょうし
それは初めて聞きました
穏やかな波のところで
船に乗って渡っていく
大好きな釣りのこと
日々の修行
そして生涯をかけて向き合う仏教を通じて
自分らしい生き方について
等身大で語ってくださった荒川さん
これからもご自身の思いを形にしながら
様々な活動に挑戦されていくことと思います
また改めて荒川さんのお話を
ホダラク浄土の考察
伺える日を楽しみにしています
荒川さんありがとうございました
それではまた次回
湯見縄さんの聞く人ラジオでお会いしましょう
38:37
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