1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v136-2ライター/編集者・鷲尾..
2024-12-30 32:13

v136-2ライター/編集者・鷲尾諒太郎さん~その場をドライブするための予備知識

前回に引き続き、ライター/編集者・鷲尾諒太郎さんにお話を伺います。
今回はまず、鷲尾さんの「好きなこと」から伺います。

鷲尾さんポートフォリオ:https://www.foriio.com/rwashio
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サマリー

ライター・編集者の鷲尾諒太郎さんは、人とのコミュニケーションや飲み会の楽しさについて語り、柔軟な考え方や人間関係の重要性を探ります。また、仕事を通じて価値観が変化する様子にも触れています。このエピソードでは、ライターや編集者がインタビューを行う際の準備と即興性のバランスについて話し、予備知識が対話を深めるための重要な役割を果たすことを理解します。特定の専門知識がない場合でも、文脈を捉える力が大切であることも強調されます。本エピソードでは、AIの言語理解や人間のコミュニケーションにおける文脈の重要性について探求し、特にノリを捉えた発話の進化に関する洞察が語られます。また、良い記事や取材には想定内のメッセージと予想外の発見が共存することが強調されています。

00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさん、こんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
人とのコミュニケーションの楽しさ
前回に引き続き、ライター・編集者・鷲尾諒太郎さんにお話を伺います。
今回はまず、鷲尾さんの好きなことから伺います。
鷲尾さんの好きなことは何ですか?
難しいですね。好きなこと。
人と話しているのが好きなのだと思います。
飲むのも好きなんですけど、一人では基本僕は飲まないんですよ。
一人では飲むことはなくて。
お酒が好きっていうわけではきっとなくて、きっとっていうか間違いなくなくて。
誰かとダラダラ話せるツールとしてはやっぱりお酒っていいじゃないですか。コーヒーもそうかもしれないですけど。
というので、飲み屋が好きなんです。
今の仕事もそうですし、本も話してるわけではないですけど、
僕が知らないことだったりとか、人の意見だったりとか、知識を間接的にもらえるものだと思いますし、
人と会話してるとやっぱり、へーとか、知らなかったみたいなこととか、単純に面白いとかがあるのが、
そういう意味も含めて、誰かの話を聞いてたりとか、いろいろが好きなんだと思います。
そういうことですね。そういった意味でも本ももちろんそれにもあたるし。
もうそのうちの一つなんだろうなぁと思ってますね。
あれですか、結構飲みに行ったりとか、友人とかで行ったりとか、飲み屋さんで知り合ったりとかもあったりとか。
大勢飲み屋で知り合ったお友達、飲み仲間と言えるように。
逆に人と約束して飲むというよりは、行きつけのお店にパッと行って、常連さんたちがいてとか、そういう感じで。
なるほど、なるほど。
だいたい話すことも限られてくるというか、だいたい同じ会話が広げられるんですけど、
たまに全然違う話が出てきたりとか、違う人が来たりとかすると、全然違う展開になったりとかするんで。
そうですよね。
面白いですよね。
なるほどな、だからやっぱりそこ、人が好きっていうのが芯にあってみたいなんで。
そうですね。
そうですよね。
人が好きなのか、人が言ってることが好きなのかわからないですけど。
でも難しいですね。人が好きって言うと、すごく人間性あふれる感じになっちゃうけど。
不思議だなっていう感じじゃないですかね。
不思議だな?
一番よくわからないじゃないですか、人が。
柔軟な価値観の変化
あー、いっぱいいますけどね。
それが不思議っていう。
飽きないじゃないですか。
あー、でもそれはそうですよね。
たぶんね、いろんな人が常に話を聞いてるっていうのはそういうことなんだと思いますし。
一番ね、なんかこうコントロールできないじゃないですか。
この歳にもなると自分のこともあんまりわかってないですけど、自分の生活のこととか。
ある程度こうなるだろうなと思ったことはこうなることが多いですけど。
やっぱり人はずっとやっぱりわかんない。
だから面白い、人が好きって言うとなんか。
ちょっと違う感じ?ニュアンスが違う感じ?
そんなに自分のほっこりした人間じゃないっていうか。
そっかそっか。
いい人っぽくなっちゃうんですけど。
興味の対象ですね。面白いなって。
あー、そういうことですね。
そうなんだよな。
ライターさんをされてると本当にいろんな人に会うでしょうし。
いろんな世界、そんなことあるんですか?みたいな。
はいはい、おっしゃる通りです。
ですよね、世界の見え方が。
やっぱりそれで変わってくるじゃないですか。
そうですね。
こういう考え方あったら、今までの自分も。
僕も聞く人やってると、だんだん自分がなくなっていく感じが。
あー、そうですね、確かに。それはあるかもしれない。
ありますかね。
そうそう。
あらゆる視点とか見方とか、
善意枠とまでは言わないですけど、
判断基準なんて人の数だけあるから。
そうですね。
自分の中の価値観とかはどうでもいいやみたいな感覚。
そうですね、おっしゃる通り。
僕もそれはすごく、悪い言い方をすると、
自分の芯みたいなのが良くないというか。
よく言えば柔軟だということだと思うんですけど、
っていうのはある、感じてるんですよ。
だから、それこそいろんな人と話しても、
外部的な評価柔軟な人っていうのは言ってもらえることは多いです。
それは裏を返せば、芯がない、芯がない。
それが別に良いことか悪いことかわかんないですけど、
っていうのは、もともとの性質だったかもしれないですし、
それがさらにこの仕事を通して強化されたのかもしれないですけど、
他方で、これはぜひお伺いしてみたいんですけど、
年を取ると勝手に柔軟になると思ってたんですよね。
僕のイメージで言うと。若い子からし頃の僕のイメージで言うと。
どうやら、さっき言ったように柔軟である部分はありつつ、
それを表現はしてないんですけど、発露はさせてないんですけど、
許せないみたいなこととかも年々増えてきてるような気がする部分。
すごいちっちゃいことだったりするんですよね。
っていうのは、それがいわゆる行き着く先は老害だと思うんですけど、
いろんな意見を聞けば聞くほど柔軟になるのだとすれば、
年を取ると、いわゆる老害っぽい人って存在し得ないような気はするんですけど、
でもどうやら、僕もさっき言ったように、いろんな人の話を聞き、
年を取ってきて柔軟である一面もあるんですけど、
一方でちっちゃいところで、「うわ、これはないわ。」みたいなことが
昔より増えてきてる気がする。
これは別にそんなに相反することでもないような気がしますし、
別に譲れない部分は譲れない部分としてあって、
その他はより柔軟になっているということなのかもしれないんですけど、
そこら辺って同じような仕事をしているっていうことなんですけど、
どんなふうに感じられているのか。
僕自身は、結構いろんなことがどうでもよくなってくるっていう感覚があるんですよ。
そういうのが柔軟という表現に近いのかわかんないけど、
なんかこだわり的なものをどんどん脱いでいってるみたいな感じは感じてますね。
でもそれでも残る何かっていうのは、たぶん自分のこだわりに当たるんだろうなみたいな。
なんか一個パッて今思いついたのは、
出された料理をあったかいうちに食べるのが礼儀だみたいなのはちょっと思ってたりとかするので、
出してずっとそのまま置いてるのは、なんかすごい失礼だなって思ったりするのは、
たぶん一つの何かだったりするんですけど。
例えば。
でもそういうのも、もしかしたらそのうちどうでもよくなるかもしれないし、
なんかそこはありますね。
でも前の方、若い時の方が、もっとこれはこうじゃないかって思ってた気がするんですよ。
なるほど。
あとやっぱり、前職勤めてサラリーマン的な感じでやってた時よりも、
今フリーランスなので自由度は全然違うんですけど、
やっぱりどこかで自分が会社員みたいなものに自分をはめ込んでて、
その眼鏡で見てたっていうことにやっぱり気づくんですよね。
それはあるかもしれないですね。
そういうのって、やっぱりどうしても会社の一員みたいな。
することでお金稼ぐみたいなところがあるじゃないですか。
そこを外したことによっての世界の見え方とかは、だいぶ変わってきた。
そうですね。
会えば、人に会えば会うほど、それがどんどんどんどん、
もう本当どうでもいいんだ、何でもいいんだみたいな。
そんな生き方あるんだみたいなことに気づいていく。
もっと自由でいいよみたいなのは思うようになってますね。
それはすごく僕も感じてるというか、やっぱりいる環境というか、
自分が身を置いてる環境に価値観だったりとかは規定されると思いますし、
例えで言うと、さっき言った1社目ユニクロとかやっぱり成長が大事。
成長することが正義であるぐらいの勢いで。
もちろん一般的にも成長すること自体は、
もちろん悪いことだとか、最近は脱成長とかがありますけど、
基本的には別に悪いことじゃないってされてますし、
でもより強度が高いような環境だから、
やっぱり別に成長なんかとか、現状維持で良くないみたいな人のことは、
いやいや、みたいな感じだったんですけど、
今は別にそういう生き方というか在り方も、
全ての人間が成長しなければならないことは当然ないはずですし、
例えばですね、みたいなことがいろいろほぐれていって、
お言葉借りれば成長どうでもいいっていうことが増えていったような気はしています。
でも、その中で残るものが多分何かあって、
さっきの温かい物話で言うと、
飲み屋で一杯だけ頼んで立ち飲み屋さんとかで、
2,3時間ダラダラしてるやつがいるんですよ。
すごい許せない。
いやいや、君が帰れば新しいお客さんが入ってて、
その人は何杯か飲んで、お店側の利益が上がるはずなのに、
ダラダラそこにいるのは、言わないんですか?
思ってない。
面白い。
これが何と名付けるべきこだわりなのかもわかんないですけど、
お店側の迷惑は考えなきゃいけないっていうこだわりなのか、
商売をしている人の邪魔をするっていうこだわりなのか、
わかんないですけど、
そういうものはたぶん残ってる。
それ以外の道徳的なところは剥がれていってる感覚はありますよね。
面白いな。
そういうのって、どっかで自分に問うみたいなところが立ってる気がしてて、
じゃないと、怒ったりイラっとしたりするときって、
結構メタ認知するというか、
なんかいいじゃんみたいなのが思うとか、
多分それをしないというか、
そのままオイって怒っちゃうみたいなのになると、
老害の方にいっちゃうのかなみたいな。
客観視するみたいなことは、
それは仕事上のあれなのか、
もともと思ってたものなのかはわかんないですけど、
でもそれはすごく大事にしてる気がしますし、
それこそ何でなのかはわかんないですけど、
それはイラついてるのは先に言ったように、
その行為の何にイラついてるのかとか、
何に対するこだわりがあるのかとか、
みたいなことは、
飲みながらそんなこと考えるのは楽しいかもしれないですけど、
飲んだ後とかね、なんとなくぼーっと考えたりしますよね。
そっかそっか。
作者は基本的には誰かにお会いして、
インタビューのスタイル
何かっていうものを書くっていうのが基本?
何もない状態で自分から何かを書くっていうことはするんですか?
仲間との遊びでお題出し合って、
っていうのはないこともないですけど、
もう全然ほぼ。
仕事上でやってるのは基本インタビュー。
いわゆるエッセイとかコラボとか、
自分のあれとかは書いてないですね。
そっかそっか。
じゃあ人とお会いして、
基本は人とお会いしてみたいなことからで、
聞くみたいなインタビューをやってくる。
僕もインタビュー的なことやってるんですけど、
何か心がけてることとかあります?
こうしてるみたいな。
インタビュー中ですか?
中とか。
人と話していることが好き。
インタビューの準備と即興性
人が一番よくわからなくて不思議で飽きないというお話。
そんな和尚さんにお話を聞く際に
心がけていることを伺ってみます。
何か心がけてることとかあります?
こうしてるみたいな。
インタビュー中ですか?
中とか。
そうですね。
考えるのは、答えがあるわけではないので、
気をつけてることっていう質問に対する回答としては、
ちょっとずれてる場合がいるんですけど、
準備することと準備しないことのバランスみたいなのは
結構難しいなと思いながらやってますね。
僕らがインタビューする人、
例えばビジネスマンにせよ、学者さんにせよ、
人によっては既にいろんなインタビューがあるんですね。
世の中に出てたり、本とかもあったり。
もちろん準備はするので、読むんですよ。
それをきっちり質問項目、想定質問とかに反映させて、
もちろんさせるんですけど、
それをやりすぎると、
もともと本とかいろんなインタビューをその人がどう考えてて、
どんな結論になりそうかっていうのは予想できるじゃないですか。
もちろん企画として成立させるためには一定必要なんですけど、
ガチガチにやっていくと余白がなくなっちゃって、
もしかすると全然違うこと、
言葉とか話題とかが出てくる余地があったかもしれない。
ガチガチに準備したことによって、
それが失われてしまう可能性もあるんじゃないかなって思ったりもするんですよね。
でもとはいえ、準備するから深掘っていけるというか、
もしかしたらこういう考えで、
じゃあ例えばなんでそう思ったんだろうとか、
そのルーツはどこにあるんだろうっていう質問はそもそも準備してないとできないので、
深掘れないですけど、
じゃあどこに行こう、どれぐらいのバランスを持っていくのがちょうどいいのかなっていうのが都度悩みますね。
なるほど。これ結構永遠の課題的な感じしますよね。
そこな。
もちろんどれぐらいだって答えはないですし、
その人とか、
もちろん著作家がない人とかでそもそも準備もできないので悩む必要もないんですけど、
ガチガチに準備できそうなときとか、
それもやっぱり場合によっては、
定量的に準備しないの5とかって示せるものでもないと思うんですけど、
答え出すのは難しいんですけど、そこはやっぱり考えますね。
それはすごいわかりますね。
僕は基本的にほぼしないんですよ。
でももちろん和尚さんのフォートフォリオとか見させていただいたんですけど、
そのことに関して聞くことはおそらくしないんですよ。
なるほど。
フラットにパッてお会いした状態からスタートさせたって、
でもやっぱりインタビューとかの本とか聞く本読んでると、
準備しっかりしないとダメよってほぼほぼ書いてあって、
でもそれはそうだけどって思いながら、
確かにそうなんですよね。
そうしないと、ある違う余白みたいなものは出てこないんじゃないかと思うんですけど、
どっちかというと僕は即興性の方が好きで、
そっちのこのやりとりの中で、
もしかしたらどこかにもあるものだけど、
そこから奥に手を突っ込んでいけるんじゃないかみたいな感覚?
グルーブみたいな、会話のグルーブの中に何かがあると、
それはそれでいいのかなって思うので、
っていう結果、自分の中では準備ほぼしないっていう、
そこに落ち着いてますけど。
そこはでも、僕もベースとしては理想は、
本当にもう何なら想定質問も用意せずお会いして、
なんとなくその人の本とか読んで思ってたことをぶつけながら、
それこそセッションみたいな感じで、
ガーッとグルーブを作るみたいなのが一番面白いとは思う一方。
ある種のジレンマとしては、
こういう話をしてもらえる、
こういう話になるから、
っていうので企画を通せるっていうところがあるんですよ。
ある程度やっぱりガチガチの仕事とかっていう感じになると、
企画提案するときに、
この人にこういう話を聞いたの、
この人ならこういう話をしてくれるから、
企画としてこういう示唆が得られて、
読者の方々にこういうメッセージを発信できるはず、
ある程度やっぱり持っていかないといけないし、
全然180度違うことになったら、
全然違うんやってなって、
これ記事としてだって変だなっていう話になりうるので、
ある程度そこに持っていくための準備と、
それに伴う流れを作る、
事前に流れを作るというのはいるんですけど、
でも予想通りでそれが本当に面白いという感じもあって。
そうそう、本当にそれです。
知識と文脈の重要性
だから本当に自分がいい記事というか、
いい取材だったなと思うのは、
余白というか、思ってもないものが飛び出して、
かつ、ある程度想定していたメッセージというか、
企画として成立し得るトレーナーか、
他にもしてて全然その予想もしなかったみたいなのが
飛び出してくると、いい話聞けたなっていう感じになりますね。
そうですよね。確かに。
僕も聞いてて、今初対面の方が多いので聞きながらやってると、
その方が開くときがあるんですよ。
わかります?
あります、あります。
パカーンと開く。
で、するとなんかやったみたいな感じがあるんですよね。
その方が無邪気に喋り出して、
コーチングの用語で言うと、オートクラインという言葉があるらしいんですけど、
相手を鏡のように見て、自分の話を聞きながらっていう状態になってくると、
その人は自分の話をどんどんしながら、
ああそうだよな、俺そうだよなって言いながら、
いい話が展開していくみたいなのがあるんですけど、
そういう状態になると、やったみたいな感じがこっちとして。
僕も楽しいです。聞いてて。
で、聞き終わった後に、なんかちょっと話しちゃった、すいませんみたいな。
そうですね。話しすぎちゃったすいませんのときは嬉しいですね。
相手に言われるときは。
そうそう。で、こんなんでいいんですか?みたいなこともおっしゃっていただいて、
いや、いいですいいです、すごくって言って。
なんかその、そういう状態を作るためには、
逆に言うと言い方が当作的になりますけど、
そういう何か予期せぬ何かを引き出すための応答くらいの状態を作るためには、
ある程度準備が必要だと思って。
っていうのはやっぱりそのときに入ると、
あ、この人分かってくれてるんだとか、
この用語言っても大丈夫だとか、
ある程度共感みたいなものが必要なんじゃないかなと思って。
だから、なんか社会学の専門家の人が話聞いてるとして、
やっぱり僕は全くのそこに関して無知だと思って。
この人にそこまで深いこと言ってもしゃーないみたいな感じにならないと、
まあ、しくしくとなっちゃうんですけど、
これってこういうことですよねとか、
誰々がこういうふうに言ってますね、そういうことしたいことですかとか、
こういう著作もありますよとかっていうふうに、
そこまで詳しくなくたとしても、
この表層の薄いところだけでも提示すると、
ガーッと出してくれるっていうのはあるんで、
そういうぐらいの準備なのかなっていう気はします。
僕も全然専門家でもなんでもないんで、各領域の。
全然知らないんですけど、この辺の話で出しておいたら。
みたいなので、つけ焼き場の知識を入れておくことはありますね。
なるほど、そういうことですね。面白いな。
だからやっぱりクライアントさん、企業さんの要望にちゃんと答える状態で、
最低限のそこは抑えておいて、ということですよね。
さらに、その場をドライブするためのとしての予備知識、
みたいなものは、
そうですね、ややこしいテクノロジーの話とかも、
一昔前で言うとビットコインが出てきて、
ブロックチェーンが出てきた話も、全然知らないんですよ。
全くわからないぐらいなんですけど、ちょっと準備をして、
ある程度理解しておけば、
分かっている人が来たなという状態になってくるんで、
バーッと話してくれる。
確かに、そりゃそうだよな。
バーッと話してくれてる、そのバーッの部分が全然わからない。
ブロックチェーンの細かいところを言われてもわからないですよね。
うんうんって聞いて、なるほどとかって聞いてくれるんですけど、
それは後々終わった後に調べるんですよ。
後々は、なるほど、確かにとかって聞きますけど、一切わかってないんですよ。
面白そうなんだよな。
でも、よっぽど知らなかったら聞きますけど、
それ何ですかっていうのは聞くけど、
それぐらい知ってるだろう的なので、
分かんない時に困るんですよ。
この間、これ全然聞く人じゃない時に、あるところで現場で、
学生さん前にして、ちょっと前に立つ機会があったんですよ。
で、3人で立って、こっちは立ってて、
学生さんが20人の中で、学知科っていう言葉ができたんですよ。
で、僕わかんなくて、
思い返せば、あの現場で学知科知らないのはまずいと思ったけど、
みんな結構使ってて、こっちも知ってるし、こっちもみんな知ってる。
学知科って何だろうなと思いながら、話をそのまま聞かずに、
で、帰りの電車でこうして、
だからかと思った、ばれずに済んだんですけど、
その辺とかね、急に出てきて。
そうなんですよね。
そこがやっぱり難しいなというか、
それもまさにバランスの話になるかもしれないですけど、
この程度知っておかないというので、
分かんないこともたくさんあるんですけど、
それって何ですかって言ったら、おいおいって思われてしまうようなことは、
やっぱりお首にも出さないというか、聞き流すしかない。
で、後々調べるっていうことなんですけど、
でも話を深めるためには、
分かんない言葉、それって何ですかって聞かなきゃいけないというのがおそらく場面にあって、
で、さっきの分かるって話にまた返ってくるんですけど、
でも文脈でなんとなく理解できることってやっぱりあるじゃないですか。
学知化もどういう流れでできるか。
就職活動で学知化って言ってるから。
なんとなくこういう形で言うことで。
そうそう、ここら辺かなみたいな。
分かりますよね。
そこら辺の文脈を捕まえるみたいな。
文脈を捕まえる力って何なのって言われたらそれまた分からないですけど。
そっかそっか。
そういうのを鍛えておくと、
分かんないような世界の話でも、
ある程度は聞きながら、
全く理解不能になる手前ぐらいで、
人の話を聞き続け、
より深い話を得るみたいなことができるような気がします。
深い対話のための技術
でもそうですよ。
そうですよね。
だからあんまり検討次第の検討。
仮に学知化の話がちょっと深まって問われた時に、
就活で使うからこれこれこうで、
でもそれはまあいいんじゃないとか言っておけば、
なんかことは収まるみたいな、
ヒヤヒヤしながら。
そういうのは確かにさっきの本当に分かるっていう話のところでも、
そこも分かるっていう部分の一つの何かしらだから。
これはやっぱり今の興味あるところですね。
人が人の話をどうやって分かっているのか。
それはすごい大事なことですけど、
みんなある程度分かった体で過ごしてるじゃないですか。
最近AIの研究をしている方に話を聞いて、
今のいわゆる生成AIというかLLMという大規模言語モデルの
すごいところがノリで分かるようになってしまったという。
シンボリックAIという昔に作られた最初の方のAIは、
リンゴはリンゴ、リンゴイコールリンゴとか、
単語の意味を固定して、とにかくそれを学習っていうことだけど、
人間の会話って意味が別に固定されるわけじゃないじゃないですか。
例えば、あいつは鳥みたいなやつだよね。
つばめみたいなやつ。
例えば行ったところに留まらず、
フラフラフラフラしてるみたいな鳥っていうか、
そういうふうな表現があって。
でもその鳥ってまさにあの鳥じゃないじゃないですか。
そうですよね。
みたいなことを昔のAIは理解できなかったんです。
今はそういう文脈の中で意味が変わるっていうことを、
僕らの実際話してる言葉を今のLLも学習してるから、
こういうこともあるんだっていうパターンを無限にやって、
もちろん本当に人間と全く同じ理解になってるかっていうと、
それは別の話なんですけど、
でもアウトプットする言葉とか、
理解の仕方が単語と意味の一対一の環境じゃなくて、
流動的な、いわゆる僕らがノリで話してるような感じで話せるようになってきてるっていうのが今のすごさ。
面白い、それ。
面白いですよね。
周辺情報をちゃんと分かった状態でやるっていうことになってるってことですね。
まだまだ足りないところが、
例えば、先生の言葉を借りると、
パートナーがいたとして、あなたパートナーと暮らしてます。
明日、あなたが帰ってくると、
7時ぐらいに帰ってくると思うけど、その時間私いないからって前の日に言われました。
で、7時に帰ってくると、パートナーさんがいて、
お、いたんだって言ったとしましょう。
そしたら、このいたんだって主語も目的も全く何もないじゃないですか。
だけど、言われた側って、その関係性とか文脈によって、そこから意味を捉まえるわけですね。
例えば、関係性が悪かったら、何、いて悪いって。
とか、あるいは普通にいたんだ、
あ、そうそう、今日の予定何々さんと会う予定だったんだけど、キャンセルになったんだよね。
だから、いたんだに非難の意味もなければ、否定的な意味もないし、
理由を問うてる意味、理由を問うてる言葉でもないけれども、
人はいろんな文脈を、関係性とかいろんな文脈を誤解して、
いて悪いとか、いる理由を説明したりするとか、
っていうところまではまだできない。
ああ、そういうことか。
いたんだって四文字に適切な意味を見出すことはまだできない。
なるほどね。
だけど、徐々にそういう風に進化はしてる。
ああ、そうなんだ。
らしいですよ。
本当にまるで長年連れ添った夫婦間のような、
会話も、
いけるようになってきた。
なってきて、そのノリ、
そういうことですよね。
その場とか、いろんなものを加味した上での発話が、
要は理解もそうですけど、
じゃあ、いたんだっていうのが、
どういう情報をどういう風に僕らの脳は、
リアルなのを処理してアウトプットしてるかっていうのは、
もちろんまだまだ再現ではできてないんだけれども、
分かるって何だろうとか、
文脈を理解しつつ何だろうみたいなところが、
今そういう領域とかでは、
一つ重要なポイントになってるらしくっていう話を聞いた上で、
そういえば俺何で分かってるんだろうなっていうのになったっていう。
そういうことか。
すげえ面白い。
その話すごいですね。
面白いですよね。
面白い。
だからAIを考えてる先生たちの話を聞くと、
結局は人間理解というか、
人間の認知の仕組みとかが、
もう一緒に分からないことになってた。
人間理解を深めることなしには語れない、
研究は進んでいかないからっていうことを仰ってて、
良い記事と取材の要素
確かに僕らの分かるみたいなもの。
あんまり問題には、
なんとなくみんな分かるって言ってたけど、
分かるって何なのっていう問いも、
そういうところから出てきたりする。
そっかそっか。
面白いなって思います。
面白いですよね。
さまざまな流れが和尚さんの中には流れていく中での
今の疑問がワーッとある。
いろいろおっしゃる通りです。
いろんな文脈があって、
自分の強みってこれかもなと思ったのと、
他方で仕事の中でたまたま聞いた話が、
なるほど確かにそれもそうだなっていうので、
そうなってきて。
面白い。
そういうことですよね。
良い記事や取材には想定内のメッセージが取れたかと、
予測、予想外の発見が共存するというお話。
そんな取材を進めるための予備知識という言葉や、
AIの言語理解や、
ノリを捉えた発話の進化についてなど、
分かるって何だろうというテーマから日も解かれるお話が、
どんどんと広がり続けているように感じられました。
和尚さん、さまざまにお話をいただきありがとうございました。
それではまた次回。
弓縄さんの聞く人ラジオでお会いしましょう。
32:13

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