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ながら聴きラジオ
おはこんばんちは、2月22日水曜日。ながら聴きラジオ、キコアベへようこそ。
この番組は、我々社会人演劇カンパニー、アーベイがお送りする、ながら聴き専用ラジオです。
というわけで、本日2月22日は、にゃんにゃんにゃんというわけで、猫の日というわけでございますけども、
何だかこの響きに大人な妄想をしてしまう、そんなJがお送りする、本日のキコアベは、Bさんのブダさん文庫をお送りいたします。
それでは早速参りましょう。キコアベ、スタートです。
改めまして、1MCJでございます。
本日2月22日は、にゃんにゃんにゃんで猫の日というわけでございますけども、2月22日、いろんな記念日があるようでございましてですね、
皆さん知ってますかね?本日はなんと、エグザイル・ザ・セカンド・デイでございます。
いや、シラデッツーノって話なんですけどもね。
これはですね、エグザイルの中心メンバーがやっておりました、2代目Jソウルブラザーズ。
そのメンバーたちで作られたユニット、エグザイル・ザ・セカンドにちなんで、制定された記念日らしいんですけどもね。
えー、なんでしょう、このグループ全く存じ上げてないわけでございますけどもね。
そもそもね、2代目Jソウルブラザーズというのがいたんですね。
3代目がいるんだから、2代目がいるんだろうってことで。
ってことは、初代もいるわけでございますね。
これね、親子3代にわたって頑張ってるブラザーズみたいでございましてですね。
あんまり私はね、存じ上げてないんですけどもね、日々頑張ってらっしゃるようで何よりでございます。
そんなエグザイル・ザ・セカンド・デイ。
さらにですね、2月22日は忍忍忍で忍者の日。
さらには、熱いものをフーフーフーと染ますからおでんの日なんでね。
なんともね、語呂合わせがしやすい日ですね、2月22日にね。
そんな記念日がもろもろございますと。
ただ僕ね、この今日は何の日ってやつが好きでね、結構調べるんですね。
そのたびにですね、頭の中でですわね。
今日は何の日ってメロディー付きで流れるんですけどね。
これ元ネタ何なんですかね。本当にこんな曲あるかわからないんですけどね。
毎回このメロディーでね、頭流れながらね、調べてるんですけどもね。
そんな私、Jの誕生日は8月3日でございます。
8月3日もね、語呂合わせでですね、ハサミの日ですとかですね。
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ハチミツの日なんてのがございます。
これまたね、なんかピンとこないね、記念日なんですけどもね。
さらにね、もう一つピンとこない記念日がありました。
それがね、司法書士の日でございます。
司法書士の日って何?
まあなんだかね、そういう司法書士が云々なんて制定された日らしいんですけどもね。
なんともピンとこない。
どんなね、ピンとこない日なんでございますけどもね。
ちょっとこれ聞いちゃうとね、びっくりしちゃうかも。
うん、びっくりしちゃう。
2月22日なんですけど、なんと行政書士記念日でございます。
ちょっと待って、司法書士と行政書士、すごい近くない仲間みたいでしょ。
これね、実はね、偶然と思わせてね、こんな繋がりがあったんですね。
つまりこのミッシングリンク、行政書士と司法書士が偶然繋がったってわけ。
そう、ファンドラの箱は開いちゃったってわけ。
つまり今年の8月3日、そう、人類にとって重大な日になるってわけ。
Jがなんと50歳になる、それが8月3日なわけ。
Jが50歳になるかならないか、それはJの病気次第。
なんつって。
というわけでですね、そんな繋がりがあるご日でございます。
なかなかね、あの記念日っていろいろありますんでね。
皆さんもね、ご自分のお誕生日なんか調べてみるとね、面白い発見があるかもしれません。
さて、番組の後半はBさんのブタさん文庫。
本日読むのは坂口安吾、安倍沙田さんの印象でございます。
あの、猟奇殺人事件を起こした安倍沙田のお話でございます。
どんな話になるんでしょうかね。
それはシングルの後、お楽しみに。
北海道でマイナス32度ですって。
そこから比べたら常夏じゃん。
寒さなんて気のせい。聞こべ。
安倍沙田さんの印象、坂口安吾。
安倍沙田さんに会った感じは、一番平凡な下町育ちの女という感じであった。
東京下町に生まれ、水商売もやってきたお沙田さんであるから、
山手の人や田舎育ちの人とは違っているのが当然なが、
東京の下町では最も当たり前な気も変もない女の人で、
むしろあんまり平凡すぎる、そういう感じである。
少しも擦れたところがない。
つまり、天性人見知りせず、気立ての良い明るい人だったのだろうと思う。
この春以来、僕の家の女中は3度変わった。
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そのうち2人は東京の下町育ちで、
一人は天理京、一人は向島の婆産芸者であるが、
この2人はどう見ても変質者としか思われず、
ひねくれたところや歪んだところがあったが、
お沙田さんには、そういう変質的なところが少しも感じられない。
全くまともな女なのである。
お沙田さんの事件そのものがそうなので、
実際は非常にまともな事件だ。
僕がお沙田さんに、何べん恋をしましたか?と言ったら、
たった一度なんです。それがあの人なんです。
三十二で恋なんておかしいかもしれないけど、
でも一度も恋をしないで死ぬ人だってたくさんいるんでしょう?
と、訴えるように僕を見た。
しかしこの恋という言葉は、お沙田さんの自分流の解釈で、
お沙田さんは男が好きだったことは少女の頃からあったのである。
けれどもいつも騙された。
相手がいつも騙すつもりで近づいてくる男ばかり。
いかにも女らしい、そして人の良い、こういうタイプの人々は、
だいたい男に騙されやすいタイプじゃないかと僕は思う。
つまり好きな男に好かれた。
それをお沙田さんは恋と言っているので、
それがあの人一人であったと言う。
思えば気の毒な人なんであるが、またお沙田さんの言う通り、
でも恋を知らないで死ぬ人だってたくさんあるんでしょう?と言う。
その通りである。好きな人に好かれる。
ある意味ではそんなことはめったにないのかもしれない。
だからお沙田さんがどんなに幸福で夢中であったか、
名誉も金もいらないという一途な性質のものであったことがうなずける。
思うにお沙田さんに変質的なところはないが、
相手の吉さんにはいくらかマゾヒズムの傾向があったと思う。
吉さんは恋の糖水の中で、
お沙田さんに首を絞めてもらうのがうれしいという癖があった。
一般に女の人々は、本当の恋をすると、
相手次第で誰しもいくらかは男の変質にお付き合いをじせない性質があり、
これは本来の変質とは違う。
女には男次第という傾向が非常に強い。
たまたまどこかの町会で遊んでいるとき、
遊びの果てに気づいてみると、
吉さんは本当に首を絞められて死んでいた。
ただそれだけの話なのである。
いつも首を絞められ、
その苦悶の中で恋の糖水を見ている吉さんだから、
お沙田さんも死んだことには気づかなかったに相応いなく、
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もとより気づいて後も殺したという罪悪感はほとんどなかったのが当然である。
むしろ愛しい人が愛しい、愛しいと思う挙句の中で、
喜んで死んでいった。
さだ吉一つというような激烈な愛情ばかりを無情に思いつのつたろうと思う。
そういう愛情の激烈な感動の果てに、
世界もいらない、ただ二人だけ、
そのわぎく男の一物を切り取って胸に抱いて出た。
外見は奇妙のようでも極めて当たり前、
同感同情すべき点が多々あるではないか。
あの頃は、ちょうど軍部が戦争熱を駆り立て、
クーデターは属質し、世相あんたんたる時であったから、
反動的に新聞はデカデカ書き立てる。
全くあれぐらい大紙面を使ってデカデカと戦場的に書き立てられた事件は、
僕の知る限り他になかったが、
それは世相に対するジャーナリストの皮肉でもあり、
また読者たちもあんたんたる世相に一抹の良気、
吐け口を喜んだ傾向のもので、
内心おさださんの罪を憎んだものなどほとんどなかったろう。
誰しも自分の胸にあることだ。
むしろ順情一つであり、
多くの人々は内々共感同情していた。
僕らの身辺は皆そうだった。
あんな風に戦場的に書き立てているジャーナリストがむしろ、
最もおさださんの同情者、共感者という具合で、
自分の本心と逆にただエロ的に煽ってしまう、
ジャーナリズムのやりがちな悲しい潔足であるが、
全く当時はおさださんの事件でもなければやりきれないような、
押しつぶされたファッショ入門時代であった。
おさださんもまた、ファッショ時代のおかげで反動的に、戦場的に騒ぎ立てられすぎた、
犠牲者であったかも知れない。
実際そうだろう。
おさださんの刑期は七年だが五年だが、どう考えたって長すぎる。
僕はせいぜい三か月か半年、
それも執行猶予くらいのところと思っていた。
人を殺した。
死体に傷をつけた。
といっても、どこにも犯罪的な要素はほとんどないではないか。
準は一途のせいであり、むしろ可憐ではないか。
やっぱり時代の犠牲であった。
あのセンセーショナルなところが、軍人時代に反発され、
領族に反するから、というような、
余計な刑期の浮き目を見た原因であったと思う。
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実際にまた、おさださんは時代の人気を集めたもので、
おさださんが出所するとき、警察の人々が特に心配してくれて、
特別に返命を許可し、返命の配給書類を作ってくれた。
その返命の配給書類で、おさださんは今日まで誰にも悟られず、
隣の人も知らなかった。
平凡に、つつましく暮らしてきたのであった。
どんな犯罪でも、その犯罪者だけができるというものはなく、
あらゆる人間にあらゆる犯罪の要素があるのである。
小平も樋口も我々の胸底にあるのだ。
けれども、我々の理性がそれを抑えているだけのことなのだ。
中にはとてもやれないような犯罪もある。
去年だか埼玉だかどこかの田舎で、
ママコを殺して三日に渡って煮て食ったという女があった。
こんなのは普通やれそうもないけれども、しかし犯罪としてやれないのではなく、
問題は味覚に関することで、
カエルの嫌いな人間がカエルを食う気がしないのと同じ意味において、
やる気がないだけの話なのである。
おさださんの問題などは、実は男女の愛情上の偶然の力占める部分が主で、
ほとんど反対の様子はない。
愛し合う男女は愛情の背中で、
おおお二人だけの特別の世界に飛躍して進むもの。
そんな愛情はノルマルではない。
いけない。そんなことの言えるべきものではない。
そういう愛情の中で偶然そうなった。
相手が死んだ。
そして、二人だけの世界を信じて一物を切って胸に秘めるという、
八百八百七の協練に比べてむしろ僕にはノルマルに見える。
偶然を差し引けば、
おさださんにはどこにも変質的な特別なところはなくて、
いたいたしく可憐であるばかりである。
思っても見たまえ。
それまで人生の裏道ばかり歩かされ、
男には騙され通し願望されてばかりいた悲しいおさださんが、
初めて好きな人にも好かれることができた。
二人だけの世界、思い余り思い切る。
むしろそこまで一人の男を思い詰めたおさださんに、
同情すべきのみではないか。
しかしおさださんが十年もたった今になってまたこんなに騒がれるというのも、
人々がそこに何か一種の救いを感じているからだと僕は思う。
救いのないただインスタントな犯罪は二度とこんなに騒がれるものではない。
おだいらの犯罪などは決してこんなに再び騒ぎ立てられることはないだろう。
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人間は勝手気ままのようで案外みんな内々の正義派であり、
エロだグロだと喜びながら、ただのエログロではだめで、やっぱり救いがあるから。
その救いを見ているから、騒ぎ立つようなバランスの取れたところがあるのだろうと思う。
おさださんは、もう今後は警察の許可してくれた変名もかなぐり捨て、
安倍定に帰って事業をやるそうだ。
そして、あの人が今はあんなにしている偉いものだ、
そう思われるような人々のためになる仕事に精魂を打ち込むのだと決意している。
全く遅すぎたぐらいのものだ。
堂々と本名を出していさざかも恥じる必要のないおさださんであったのである。
しかし全く恥恐れ隠れずにいられない。
平凡な大人しい弱々しい女らしい女のおさださんであるから、
隠れずにもいられなかったであろうが、
思いっけして世に名乗り出て人々のためになる仕事をやり、
あんな女が今ではあんなに偉いものだと言わせてみせるという、まことにうれしいことではないか。
しかしまた世の大方の人々がただの好奇心からおさださんをエロ本に仕立てて面白がる。
それもまた仕方のないことで、僕はそれをとかみたいとは思わない。
それは本当のおさださんとは関係のないもはや一つの伝説である。
それはそれでいい。
しかし今日、八百八百七がなお純情一途の比練として人々の共鳴を得ているのに比べれば、
おさださんの場合はさらにより深く、より悲しく痛ましい純情一途な比練であり、
やがてそのほのぼろとした温かさは人々の救いとなって永遠の語り草となるであろう。
恋する人々に幸あれ。
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大きなふんふんふんふんくださいみたいなね。
持ってっちゃったみたいなすごい事件でございますけどもね。
そんな印象しかないんですけどもね。
視点を変えてみるとですね、こうも違うもんだなと面白い話でございました。
次回のブタ三文庫も楽しみにしたいと思います。
それでは皆様来週まで元気にお過ごしください。
人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではありえない。
人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、
落ち抜くためには弱すぎる。
サンキュー。安吾 高口
長木イラジオ 紀子阿部 土場自由が、
今週のお相手は月一MCJでございました。
来週水曜日にまたここでお会いいたしましょう。
それではごきげんよう。
ばいちゃ。