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聞いてかじってくすぐられ、おいでおいでよ劇場へ。キキカジ劇場!
言葉にしづらい舞台芸術や、アートに関わる人にスポットを当てるポッドキャスト番組、キキカジ劇場。
今回のゲストは、私がぜひにとお願いして、人形劇団ヒポポターム代表の永野むつみさんに、じっくりたっぷりお話を伺いました。
本編の前に、まずは永野むつみさんのプロフィールをご紹介します。
永野むつみさんは、山形県のご出身、フーク人形アカデミー、町田市障害者青年学級主事、人形劇団カラバスを経て、
1988年、片手使い人形専門劇団、人形劇団ヒポポタームを設立されました。
人形劇俳優としてだけでなく、役者、演出、脚本を手掛け、その活動の傍ら、絵本の会、むつみ塾も主催されています。
また、子育てとアートについての講演など、多岐にわたって活動を続けていらっしゃいます。
人形劇はもちろん、むつみさんが小さな人と呼ぶ子どもたちを含んだお客様にかける思い、貴重なお話をたっぷり伺いましたので、
何回かに分けてお送りします。
人形劇が好きな人も、一度も見たことがないという方も、新しい発見があるんじゃないかなというふうに思います。
それではどうぞ最後までお楽しみください。
本日は素敵な方にゲットに来ていただきました、人形劇一筋49年、人形劇団ヒポポターム代表の永野むつみさんです。
むつみさん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
実はですね、前回のゲストの矢野美さんがヒポポタームさんに客演をされていて、存じ上げるようになって、
作品を拝見したのは一度だけなんですけれども、見たことないお芝居だったんですよね。
そうなんですよね。私の頭の中にも人形劇って固定観念みたいなのがこういうものとか、
どうしても子供向けのものみたいなイメージがあったんですけど、拝見したのがチップとチョコという小犬の兄弟のお話ですよね。
で、お兄ちゃんと妹のこぜり合いとか、本当に日常のどの兄弟でも多分絶対やったことがあるだろうなっていうこぜり合いとか、
逆にお互いの思いやりとか、あと周りの大人との本当に何気ない関わり合いみたいなものが展開されていて、
なんか大きな事件が起きたりとかっていうことではないんですけど、なんか自分が子供の時の感覚を思い出すとか、
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この人形でこんなことが表現できるんだなっていうことにすごく感激して、
人形劇って一言で言えるものでもないんじゃないかなというふうに思ったのと、
いろいろホームページとかも拝見したり、ブログもいくつか拝見したりして、
どんな方なんだろうな、なんで今こういうことをやってらっしゃるのかなっていうのを伺いたいなと思って楽しみに参りました。
片手使いの人形劇を専門にしてらっしゃるっていうことなんですけど、
片手使いっていうのがあれですよね、聞いてる方がちょっとパッとわからないかもしれないですけど、
すごい平たく言うとパペットって言うとパッと思いつく形ですよね。
お尻のところから手が入って、
手袋式って言う人もいますね。
わかりやすいですね。
頭ってどの指入れてるんですか?
人差し指。
一本ですか?
小指と親指だね。
小指と親指ですか。
ちょっと手つりそうになった。
頭に人差し指入れて、両手、右手、左手に親指と小指を入れて操作するっていうお人形ですよね。
片手使いの人形っていろんな形があると思うんですけど、
できた時から片手使いの人形専門の劇団っていうことなんですか?
ずっとそう思ってたんです。
ヒップホップダームの人形劇の特徴は片手使いだと思ってたんですけど、
どうもそうじゃなくて、隠れて演じるっていうのが一番の特徴だと思う。
だから片手でやるのは隠れていて操作棒とか操作糸が見えないって世界にこだわってきたんだと思う。
なるほど。確かに舞台はちょっと高くなっていて、
人形の足元までしか見えないっていう舞台が設置されていて、
人形はもう下に完全に隠れて一度も出てこないんですね。
確かに棒も糸もどこからも見えないですね。
まるで人形が自分で動いているように見えるっていう、
見るときに人形しか見えないって世界が好きなんだなっていうのが近頃に辿り着いた。
そうなんですね。
人形しか見えない。人形の世界でも完結したものを見られるっていうことか。
したがって人形の大きさも限られるわけだよね。
したがって観客数も限られてくる。
特徴は小さな片手で使えるくらいの人形が見える人数。
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理想的に100名くらいの観客の前で隠れて演じるっていうのが多分うちの芝居の特徴だと思う。
人間が見える場合と見えない場合っていうのは何が一番?
私は基本的に優れた役者が演じていると、人形使いが演じていると、人形しか見えなくなると思います。
でも私はそれはできないだろうと思って、いっそ隠れた方がいいっていう。逃げかな。
でもやってみるとね、捜査棒や捜査の糸が見えない世界っていうのもね、
そうしたアニメーションではないのだと。
人の手ができることだったら何でもできるっていう、人の手は賢いのよ。
そして力強くて、そして優しくて、温かくて。
それはね、終わってから小さな人たちを送るときに、握手して送り出すときに、
握手したときに、突然小さな人たちが、この人形、骨があるって言って、私の骨を握って言うわけですよね。
この人形、あったかいって言うんです。
お人形さんと手をつないだり、握手したりして。
握手したり抱っこしたりすると、それはね、妙りっていうか、
握手したり抱っこしたりすると、それはね、妙りっていうか、
手で使うっていう、人形のマシンに役者の手が入っているっていう。
そして頭のところには一番体の中で、人を指し示したり攻撃したり、
限定したりする人差し指が入っていることの力がね、みなぎるから片手使いなんだと。
なるほど、あれ直接私も初めてちゃんと見て、びっくりしたのは、
その片手使いの人形が、こんなに今おっしゃったように、いろんなことができる。
こんなちっちゃいカップとか持ってたり、食べたり、すごくいろんな動きができるっていうのは、
まず結構びっくりしたことですね。
人の手は賢いのよ。
そうなんですね。
そしてあったかいの。
そうですね、要は人が入っているってことですね。
そうです。だからどちらかというと、糸操りは外側にいるでしょ。
私は仮面劇に近いかなと思うくらい、手を通して自分の体が人形の中に入っていくイメージなんです。
だから人差し指を曲げる、ちょっとうなずかせることは、自分がうなずいているイメージとぴったりで、
ちょっと似てるね、手と人間の体。
お話だと分かりにくいかもしれませんが、手を握るっていうのと、私たちが体をかがめるっていうのが似てるじゃない。
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手を反らすっていうのと、体を反らすと似てるじゃない。
一緒にやると分かりますね。
そうです。だから役者の体の動きのイメージを手に伝えやすいし、
手は結構確かに私たちの思いを表現してくれるんだよね。
だから片手使いが好きなんだと思う。
これは棒では私は操れない。内側から使う。
中に入っている感がね、包まれている感が。
中から動かしているところが見える。
好きですね。
好きなんですね。
なるほど。
作品はいくつもカエル君、カエル君とか、ネズミ女房とか、たくさん作品があると思うんですけど、原作があるものが多いですか?
ハリネズミと雪の花というのは、霧の中のハリネズミってノルシタイのアニメーションがあるかと思うんですが、
それの原作を書いた方が、雪の花という題で人形劇用の台本として書かれたものをロシアにもらってきました。
雪の花という、人形劇用の劇曲ってことですね。
ロシアは多いですね。人形劇に台本書きがいる国ですからね。
絵本をもとにしたのもありますし、一冊の絵本を発展させて、絵本の作品は冬という題でやって、
その途上人物が春、夏、秋というふうに、それはオリジナルでやっているものもあるし、いろいろですね。
新作は片山健さんという方と片山玲子さんという方の書かれた、
ノウサギのお話というのを原作にして、6冊あるんですけど、そのうちの3冊を使って、今新しく作っています。
今作っているんですね。
いつごろ発表される予定ですか?
来年の5月ぐらいの連休ぐらいかな。
作品ってどうやって選ばれるんですか?
次こういうのをやりたいという娘さんが考えて原作を探すという。
2つのタイプがあって、1つは物語の力を信じているので、始めがあって終わりがあるという、
一続きの物語、ハリネズミと生きる花みたいな物語のものと、先日見ていただいたチップとチョコは生活劇なんだね。
日常の中にある何でもない、それがドラマに満ちているのだと。
気象転結というのが物語だとすると、ドラマはもっと短くて、
AがCに飛ぶという、Bを通してCにパーンと変わっていくという、
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日常の中にある小さなドラマが描かれているものと、ストーリーがかかっているものと、
両方やっていると気分がいいんですね。
バランスが取れているみたいなことなんですかね。
それともう一つは、物は物のままで、女の子とボールという作品もあるし、
カラバスという時代でやったものなんですけれども、それは人形でしか演じられない。
物が物であって物じゃなくなるという瞬間を味わえる作品とか、言ってみれば3種類くらいあるかな。
それを交互にやりたいというのがあるんですけど、
うちは山梨の子というのが脚本を書くのが得意な方がいるので、
主にその人にガンガンこんなのやりたい、あんなのやりたい、こんなのいいな、あんなのいいなと言うと、
ぼちぼち書いてくれて、そしてみんなで動いてみて、そこで生まれるセリフやら、
状況はもうちょっとこっちがいいとか、あっちがいいとか。
最終的にまた台本を修正してもらって作っていく場合が多いかな。
カチッとできている台本でやったというのは、ネズミ女房なんかは脚本を書くことをプロとしている方にお願いをしたので、
基本その方の台本を尊重しながらやるようにしましたが、
絵本の場合には基本的に絵本の世界観を壊さないという。
チップとチョコも絵本を拝見したんですけど、本当にお話の世界が立ち上がったという感じでした。
そうですね。原作者が絵本を書かれた方がご覧になって、
これは私のじゃないっておっしゃらないように作ることを心がけています。
ただカエルくん、カエルくんなんかもそうなんですが、
お客様がドーッと笑ったりするのは、大抵こちらが足したところですね。
なるほど。
カエルくんが小駒くんと出会って嬉しくて楽しくて、ベッドでブンブン飛ぶというところなんかね、
とても子どもたちが好きで、ベッドブンブンみたいに書いたら必ず真似するんですけど、
それは絵本を読んで、このカエルこういうことするよねっていう、
世界観に従ってエピソードを作っていくっていうのがありますね。
ちょっと延長線上に、スピンオフじゃないけど、なんて言うんだろう。
そうそう、そうです。
端話を作るみたいな感じですね。
でもそれがあまり度が過ぎると、原作使うなよっていうことになりますけど、
原作を大事にしながら、ストーリーを膨らませていくっていうこともありますね。
そうです。だから設定をお借りするんじゃなくて、原作の世界観に惚れて、
その絵本を取り上げさせていただくっていうあり方ですね。
本当に、私はチップとジョコを拝見してから、本を見たので、
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あ、これだ!これだ!って思って、
チップとジョコを拝見してから本を見たので、
あ、これが立体に本当にそのままなった世界を見せてもらったんだっていうのが、
またそれは2回目の感激だったんです。
だから必ずしもエピソードがイコールじゃない部分もちょっとあるかもしれないし、
チップがどんな声で喋るのかとか、ジョコがどんな声で喋るのかってあるでしょ、イメージが。
なので、声を作らない。
いわゆる声優さんには申し訳ないけれども、声優さんっぽいセリフの言い方は禁じています。
ヒポコダウムでは、自分の声で。
できるだけキーを上げたり下げたりというのはあるけれども、奇妙に作ると、
その方のイメージを壊すと思うんですね。元々持っている。原作なんか読んできていれば余計に。
だとすると、できるだけ普通の言葉でお話しした方が、自分の中で増やせるんですよね。
そうじゃないよって言ってる方が、そうじゃないよって聞き取る人もいるかもしれないし、
そうじゃないよって聞き取る人もいるかもしれないっていうね。
余白を。動きも余白を。
だから私は人形の完成度を50で収めてくださいとお願いするんです。
演じて80にしますからと。
見てる人が120にも130にもしてくださいっていうのが好きな作り方で。
だからヒポコダウムの人形劇を見た後は、お腹いっぱいってもし鳴るとすれば、
私たちの芝居じゃなくて、私たち芝居を見て膨らましてお帰りになると、お腹いっぱいって。
だから膨らますのは苦手な人は物足りないと思うかもしれない。
でも小さな人たちはそういうことないと思う。
小さな人たちっていうのは子どもたちのことですね。
小さな人たちの時の心を持っている人は大丈夫だと思うんだけど。
物足りないぐらいはいいのだとさえ思ってます。
ちゃんと観客に委ねる部分を必ず持って演じられてるっていうことですね。
例えばカエルくんカエルくんなんてお芝居でね、ぬいぐるみのクマを拾うのよカエルくんが。
それで友達になって一緒に暮らそうって言うんだけど、
舞台の中のカエル村の仲間もそれよりもっと先に観客が慣れないよ人形だからって言うんです。
子グマはね人形だし喋れないし歩かないし。
友達なんか慣れないよって言うんですけど、よく考えればすでにカエルは人形なんですけどね。
そうですか。面白いですね。
人形のカエルが人形のクマを持ってるっていう設定なんですけど、
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分けてくれるんです。
カエルくんのお誕生日のお話1本目でやってるもんで、2本目で拾うっていう芝居が成り立ってるわけなんですけど。
そうすると立たせるシーンなんかで、私はカエルの役なんですが、
子グマくん立たせるでしょ。そうすると観客が望む通りにちゃんとバタンと倒れるわけですよ。
人形なんだからバタンと倒れるんです。
でもほっと手を離すと一瞬立つシーンがあるんです。子グマが。
その時役者の私は長野むつみは子グマくんの人形が立ったのを見てるんですが、ちょっと待つんです。
客席の子供たちが立ってるって言うんです。
その声を聞いてからカエルくんは立ってるって言うんです。
この何とも言えない、ここで客席にいる小さな人たちはカエルくんのドラマを進行してるのは自分だと思ってるんです。
ほらね立ったでしょとか、僕が教えてあげたんだよ。
お腹入っちゃってるんですね。
どんどんどんどん自分がこの物語を進行してるような気になるような演出であり演技であり。
だから芝居が終わって、たとえば幼稚園なんかで次の年違う作品で行ってるのに、むつみさんカエルくん元気?とか。
元気だよみたいな。
どうしてる?今日休み?
箱の中で寝てるんだよね、とか言ってくれたり。
そういう彼らの気づきの本当に僅かな間なんだけど、待つっていうか客席とともにっていうセロンに押されてっていうかセリフはセロンに押されて生まれるところがあるんだと思う。
セロンなの。
それをはーっと呼びかけてみんなどうだい?って言って引き出すんじゃなくて、思わず客席でポロポロポロポロと落ちるつぶやきをいただいて芝居が成り立つっていうのが好きなんです。
なんかそうなるともうどういう言葉が出てきても大丈夫な感じがしますね。
なんかこういうふうに見てほしいが、あんまりありすぎるとそうじゃないものを言っちゃいけないっていう空気って子どもって敏感に感じるじゃないですか。
だから委ねてくれるから余白を自分たちの分に残してくださるから。
そんなにずれないのよ。まるで大方園で来たかのようですよ。
ずれるってことで言えば小熊くんがいなくなっちゃうっていうシーンがあったときに、お父さんに頼めばいいとか、電話で探せとか、なんかいろいろ言ってくれる。
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そういうドラマが膨らむような矢嶋飛んできて、ごめんねこの世界に電話はないよっていうのは見てる人たちが気がつくわけよ。
誰か3歳児くらいの子も、電話だ電話だ電話かければいいって言うと5歳児は電話はないよってね。
客席のうちでここではないだろうって。
悟すのがまた小熊くん。
客席でやりとりが生まれるような、そういう習性があってとんでもない方向にお話はいかないのよ。
見事なので、ぜひその見事な観客としてどれだけ彼らが優秀で見事かっていうのを大人に見てもらいたい。
その見方ですね。
そこの前の方の席ひっくるめて全部舞台みたいな。
そうですそうです。
だから彼らのいわゆるやじと言っていいんだかつぶやきと言っていいんだかため息って言っていいんだか
そういうのも作品の中に組み込まれてなんぼの作りですよね。
でもチップとショコもそうだったでしょ。
黄色い花が出てきただけでまた黄色が欲しいって言うぞって誰かが。
人形劇を見る子どもたちの反応や観客同士で起こるやりとり。
面白かったですね。
次に見に行くときは子どもたちのすぐ後ろに座ってその反応も含めて楽しんでみたいと思いました。
次回はむつみさんが主催する絵本の回むつみ塾のお話や片手使い人形にかける思い
何度でも見てもらえるようにと心と手を尽くす作品作りについてお送りします。
次回もぜひ聞きかじってくださいね。
さようなら。