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2024-05-26 15:28

#2 北米フリンジ演劇祭 その1/小心ズ・ヤノミさん②

小心ズ 主宰ヤノミさん インタビュー第2回!
北米フリンジについて伺ったら、めちゃ盛りだくさんになったので、3回に分けて配信!(多分)します

・フリンジに参加するようになったきっかけ
・5つの麺???(Google翻訳が出始めの頃)
・フリンジ演劇祭の魅力
などなど♪

自動翻訳、ネット検索が今ほど発達していなかった2007年から、チャレンジし続けるヤノミさんの大冒険、ぜひお聴きください!


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#アメリカ #カナダ #フリンジ演劇祭 #Google翻訳 #小心ズ #ヤノミ
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引いてかじってくすぐられ、おいでおいでよ劇場へ。
キキカジ劇場
言葉にしにくい舞台芸術やアートに関わる人にスポットを当てるポッドキャスト番組
キキカジ劇場
案内役は、舞台やアートが大好きなハルコです。
前回に引き続き、ゲストにシアターカンパニー小心ズ・ヤノミさんにお越しいただいております。
ヤノミさん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回はですね、小心ズの作品について、いろんなジャンルの作品がある、その違いと、逆にその共通点なんかについてもたっぷり伺いました。
今回はですね、もうすごく楽しみにしてきたんですけど、
ヤノミさんが2007年から挑戦を続け、たくさんの賞を受賞されている北米フリンジ、アメリカ・カナダのフリンジ演劇祭ですよね。
こちらについて伺っていきたいと思います。
今日もよろしくお願いいたします。
前回ですね、小心ズの始まりは、下北沢の外国の方がやっているお店で、外国のお客さんもすごく多かったから、無言劇からスタートしたっていうお話を伺ったんですよね。
なので、私、そうか、やっぱり外国に作品を持っていこうとする時に、内容が伝わるものを日本でもやってたっていうのは結構大きいのかな、なんていうふうに想像したんですが、
まず、そもそも北米フリンジ2007年に挑戦したきっかけっていうのは何なんでしょうか。
えっとですね、その前の年の2006年に、日本人の二人組のユニットの花賢吾っていう人たちが、花ちゃんと賢吾くんがやってたんですけど、すでにモントリオールフリンジに参加してたんですね。
それですごく面白かったっていうので、今年、花賢吾と小心ズで、日本だてで参加しないかというふうに誘ってくれたんですね。
ああ、誘われたんですね。
それでもう私たちは、ぜひ行きたいって言って、大体60分くらいの持ち枠を半分子にして、30分の作品を日本だてにして、一気にやるという。
花賢吾も完全に無言劇で、ノンバーバルと言われる作品で、小心ズもノンバーバルだったので、一緒にいろいろね、チラシを作ったりしていきました。
ノンバーバルっていうのは、言葉を使わない演劇のことを言うんですかね。
だから2005年に結成したので、小心ズは、わりとすぐ2年後には、初めての海外に行ったって感じですね。
早いですよね。
早いですね。
確かに。
勢いだけだね。
前回も、決めたらというか、行きたいって思ったら、そこから行くまでがとても短い短距離に行けるところが、矢野美さんのすごく魅力的だし、すごいな、面白いなって思うところだなと、また同じ話になりました。
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ありがとうございます。
フリンジアニメさん実際行ってみて、どうでしたか。
衝撃的で、そのモントリオルフリンジが、私の全人生を大きく変えたと思います。
その初回が。
初回が。
それがやっぱり、次の年、2008年にも行くことに繋がったってことですね。
2008年は、小心ズで行かれたんですか。
小心ズプラス、チェリー・タイフォーンという、当時の日本人のバーレスクダンサーだったんですけど、彼女とコラボ作品を作って、3人で行きました。
それもモントリオルに、カナダのモントリオルに行かれたってことなんですね。
フリンジ演劇祭とは、そもそも何かっていうのを知らない人は結構多いんじゃないかなと思うんですが、簡単にご紹介していただくと。
もともとは、スコットランドのエジンバラっていう町で、70年近く前ぐらいに始まって、つまり最初に大きな演劇祭が開催された時に、そこに呼ばれたのが国立劇場とか、すごく優秀ある大きな劇団とか、有名な人しか呼ばれなかったので、
そこで呼ばれなかったインディペンデントなインディーズとか、若手のアーティストとか、オルタナティブと言われる、まだ新しい表現のスタイルをやっている王道ではない人たちが、じゃあ俺たちも勝手に自分たちでフェスティバルをやろうぜって始めたのが、エジンバラフリンジと言われるもので、
フリンジっていうのはもともと周辺っていう意味なんですね。なのでセントラルとか真ん中でやっているものに対して、周辺でやろうぜっていうのがフリンジのスピリットです。
で、北米のフリンジは、主にカナダとアメリカなんですけど、そのエジンバラのフリンジと全くシステムが違っていろいろと、今世界中に何千ものフリンジがあるんだけど、その中でも北米は基本的には各地のフリンジフェスティバルがそれぞれ抽選のシステムを取っていて、
で、出たいアーティストとか劇団とかがまず応募すると、それが必ず抽選で選ばれるんですね。
で、それが何でかっていうと、どんな有名な人でも無名な人でも、ベテランでも、生まれて初めて舞台に立つ人でも、あるいは国籍や宗教や人種や民族を問わず、どんな政治的な主張を持っていても、全ての人間に舞台で表現する権利があるっていうスピリットのもと、
ジャッジをしないんですね。だから誰かが選ぶとか選考すると誰かの価値観に偏るじゃない。だからそうじゃなくても、全く公平に本当に抽選で、くじ引きで決まるっていう。
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団体の大きさとか歴史とか作品内容も何も関係なく一律の一票から選ばれる。
完全に運っていうことですよね。
そうです、完全に運です。
2007年8年は、その時ももう抽選だったんですか?
そうです、抽選でした。
そうなんですね。続けていけたのは運もすごい良かったってことですよね。
そうですね。またその多分、今は20年近く経つからだいぶフリンジも世界的に知られるようになって、今激戦になってるんですけど競争率が。
だけど当時はまだそこまでみんなに知られていなくて、割と当選率も高かったんじゃないかなと思います。
なるほど。じゃあ日本から参加していた人はその時いたんですか?他に。
少しいましたね。私が昔いたリュウザン寺事務所はそれより少し前に参加し始めていたと思うし、他にもちらっちらとはいたと思います。
あ、そうか。そうですね、矢野美さん、もともとは俳優さんで。
そうですね、俳優って言う子供はね、しさっぱでしたけど。
リュウザン寺事務所という劇団にいらっしゃったんですよね。
はい、6年間ほどいました。
そうですよね。
人生の最も良い時期を23歳から29歳ぐらいまでをね。
キラキラ寺事務所で。
怖いものが何もないといいですね。
はい、とても勉強させていただきました。
そうか、そうだそうだ。俳優さんになるきっかけは何だったんですか?
いくつかあるんですけど、一つには小学校2年生の時に子供会ですね、町内会の子供会で配品回収で拾ったガラスの仮面という漫画がありまして。
名作ですね。
演劇の漫画なんですけど。
はい、それの13巻と14巻を拾いまして、捨ててあったやつ。
拾った。また運命的ですね。
それでもちろんね、1巻からまた読むようになって。
それですごい演劇すごいなと思うようになったのと。
あとその小さい頃から、小学生ぐらいの時から人を笑わせるのが好きだったので。
何かしら演劇的なことには興味があったんですけど。
中学はバスケ部で、高校はカヌーブで、ずっと体育会系で来て。
今は体を鍛える方がかっこいいと思って。
体が動く、運動ができる方が、中学高校の時はなんとなく動物としてかっこいいと思って。
生き物として。
ピアノとかもやってたんで、音楽も好きだったんですけど。
芸事というか音楽とか演劇みたいなことは大人になってもやろうと思えばできるでしょうと思って。
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バスケとかカヌーブは今しかできないでしょうと思ってやってたんですね。
その時にそんな考えがあったんですね。
うっすらありましたね。もちろん将来演劇やるとは未知も思ってなかったですけど。
でもやっぱりスポーツは今しかできないと思って。
それが今すごく基礎体力としてめちゃくちゃ役に立ってるなと思うんですけど。
大学入った時に文学部の英文科だったんですけど、その学部の先輩が演劇に誘ってくれて。
やり始めてすごい面白い、やっぱりこれはと思ってハマって。
たまたまそのうちの大学はその当時すごく演劇が盛んだったので、他の学部にもいっぱいいろんな劇団があって。
だんだん横の交流もできるようになって、他の劇団にも出演したり。
なので私の同期というか、私の界隈の年代で同じ大学から東京に出てきて、今もプロとして演劇に関わってる人が結構な数いるんです。
そうなんですか。もうベテランですよね。
うちの大学は別に演劇で有名な大学では全くなかったんだけど、当時たまたま演劇をやってる人がちょっと多かったんだと思うんですよね。
盛んで。そこで人生決めた人も結構多かったってことですね。
そうだと思います。
学部とかに関係なくその後も演劇の道を進んでる方が矢野美さんのようにたくさんいます。
心強いですね。心強いですね。嬉しい。
素敵なことですね。
すごい話が飛んでしまいましたが。
全然いいです。
ブリンジに参加するには抽選に申し込む。
そうですね。
アメリカ、カナダに旅をして、旅をするだけじゃなくて舞台公演をするっていうのは、
いくら作品が無言劇だったとしても、それだけで何でもオーロケになるわけではなく、
行きたいなと思っても、まず言葉が…ってなるじゃないですか。
大学で英文科でいらっしゃったってことですが、やっぱり英語に関してはそこが大きいですか?
そうですね。例えばスタッフさんとメールとかで事前にやり取りをしなければいけないことが山のようにあって、
それはあまり困らなかったというか、そこそこ書いたり読んだりはできるじゃないですか。
ただ喋るのは当時まだそんなに得意ではなかったので、
現地に行っていろんな人と英語でやり取りをするときには、
やっぱりリスニングというかヒアリング能力がまだまだなかったので大変だったのと、
今みたいに、当時2007年ぐらいにようやくフェイスブックができたぐらいなんですよね。
カナダで。2006年だから。
まだ日本にはなかったんです。
そうでしたか。
日本語ではなくて英語でしかなくてフェイスブックって。
それもみんなからフェイスブックやってるかって言われて、
フェイスブックって何?みたいな状態で登録したりして、
あとスマホもなかったでしょ?
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なかったと思いますね。
なかったんですよ。
で、今はもう例えば翻訳アプリとかもめちゃくちゃ進化してて、
相当精度が高くなってるんだけど、
当時まだ翻訳機能が、
Google翻訳がちょっと出始めたかなぐらいだったと思うんですよね。
でも面白かったのは、
ハナ言語のハナちゃんが最初にスタッフさんとメールでやり取りをしてたときに、
ハナちゃんは全然英語が別に得意じゃなかったので、
Google翻訳とかを一生懸命駆使してたらしいんですよ。
で、何かのタイミングでハナちゃんが、
ごめんね、みたいな感じのことを書きたかって、
そしたらファイブヌードルズって、
5個の麺って、
英訳されて、
ファイブヌードルズって送ったらしくて、
そのまま?
そのまま多分。
それであちら側もファイブヌードルズってなんぞってなって、
それでゲラゲラゲラってなり、今5回も解けたときに、
それでお土産に日本から、
インスタント麺を5袋持っていったっていう。
ファイブヌードルズをお土産に持ってきたよ、みたいなこともありました。
ごめんね。
今だと絶対ありえない変換ミスだけど、
めちゃくちゃ可愛いですね。
だからみんないろいろね、苦労しながらというか、
いろいろ工夫しながらやっていきました。
鍛えられますね、なんというかね。
鍛えられます。
ウィットがね。
そうですね、本当に。
あと、モントリオールは2カ国語の町で、
フランス語と英語が2つとも公用語なんですね。
なのでフランス語を喋る人もめちゃくちゃ多くて、
逆に言うと英語がわからない人もたくさんいて、
そうなんですね。
フランス語しか喋らない人と、英語しか喋らない人と、両方喋れる人といて、
だから町歩いてても、宣伝がてら、メイクとか衣装着てね、歩いてても、
いろんな人にフランス語で話しかけられて、
何って言ってるか全然わからなくて、
例えばなんかジョリジョリってよく言われてて、
ジョリジョリって言われるけど何?って思ったら、
かわいいね、みたいなことだったりね。
知らなかった。
いろいろ面白かったですね。
面白い。
アドベンチャーですね、いつも。
じゃあ言葉は苦労しながらコミュニケーション、
それから何回も行かれてるじゃないですか、
そうですね。
フリンジには本当にトータル何回になるんだろうか。
数えたことありますか?
数えたことないです、ノーベル。
ノーベル何十分?
ちょっとですね、フリンジのお話がやっぱり盛りだくさんで、
とっても1回には収まらないので、回を分けて配信いたします。
次回も楽しみにしていてください。
ちなみに矢野美さんは数えたことがないとおっしゃっていたフリンジの数なんですが、
昇進のブログをたどって勝手に数えてみたところ、
2007年から2023年まで私調べで29回参加されていました。
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次回はフリンジに参加するって実際どんな生活をするのかなどについてたっぷりお送りします。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひ聞きかじってくださいね。
さようなら。
15:28

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