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2024-02-27 20:30

2024/2/26 ありのままの生き方って

夢中教室 / ミーティング / 仏教 / Goodfeeling / ありのまま
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2024年の2月26日の声日記を始めます。この番組は、福井県の地域おこし協力隊のチャレンジ応援コーディネーターとして活動しているつかちゃんが、
一日の活動をグッド・バッド・ネクストの3観点で振り返っていこうという番組になっています。よろしくお願いします。
今日は、一日の活動でいうと、朝起きて、
朝起きて、朝起きて、朝起きて、朝起きて、
夢中教室の伴奏先生の講座が2個あったんですよね。
夢中教室っていうのが、不登校向けのオンラインの塾みたいな感じになっていて、
僕は今、それの伴奏先生っていう役割を持っていて、
生徒に対してやりたいことをめっちゃヒアリングするんですよ。
例えば、夢中のことを学びたいであるとか、恐竜のことをもっと深めたいとか、野球をもっと勉強してみたいとか、やってみたいみたいなのをどんどん伸ばしていくような形で、
授業を作っていくのをやってるんですよね。
僕、今はじめたてなんですけど、
2回目の授業の子と1回目の授業の子っていうのがいたので、それの授業をやっていたのが午前中です。
昼に移動して、福井市役所の女性活躍家の方とミーティングさせてもらって、
オバマに水族館を作りたいっていう大学生がいて、その子が勉強のためにというか、
実際にどうやって水族館を作っていくかっていう調査のために、国見クラゲ公民館っていう場所があるので、
そこの公民館の館長さんにお話を伺いに行っていたので、そこにちょっと同席をさせてもらって、
館長さんの話を聞いたり、大学生の話を聞いて、今後どうしようかみたいな話を聞いておりました。
そこから移動して、アケルハウスっていうシェアハウスに移動して、
そこの住人の人とか、5人、6人の人と食旅会みたいなことで鹿肉のカレー食べたりとか、
池田町っていう街で活動している人がいて、その人が持ってきてくれた漬物とか、
ジャム、マーマレードみたいなものを食べておりました。
めちゃくちゃ美味しかったです。
今日1日か、何考えてたかな。
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いろいろ考えたことはあるんですけど、
例えば、宇宙教室っていうオンラインの塾みたいな場所で行くと、
自分の力量不足みたいなところもあるし、
現場の子どもたちとどう関わっていくかって、やっぱり難しいところがあるなっていうのを感じたのが1個あるのと、
引き出そうにも生徒との壁ができてしまうと意味ないので、
生徒に対してどうやって声をかけていって、どう関係性を作っていくかみたいなテクニックというよりは経験値なのかな。
経験値が自分の中にあんまり引き出しがない感覚だったので、
自分の経験として伸ばしていきたいなと思っています。
日中、ポッドキャストを聞いていて、
最近、今シェアハウスに東京から、東京本郷とかいろんな都市からワーケーションキャンプという形で、
いろんな都市から一緒に住む人が6人くらい同居人が増えている状況なんですけど、
その人たちと座禅に行ったりとかしてるんですよ。
今日の朝とか座禅があったんですけど、
僕はちょっと、今日座禅をしに行ったら、
ちょっと睡魔にやられるんじゃないかと思って、
寝不足で死ぬんじゃないかと思ってやめましたけど。
で、なんかそういう兼ね合いもあって、座禅とかを考えたときに、
じゃあ仏教のことをもう一回勉強したいなと思って、
アースコープの番組で松並竜弦さんの仏教の話を改めて聞いていたりして、
まあ仏教ってこういう考え方なんだよなーみたいな、大正仏教の話ですけど。
そこで話されてたことで言うと、
いろんなこと、人生、いいことも悪いこともあるけど、
苦しみがあることがベースにあるよねって話をしていて、
例えばいいことがあったとしても、ちょっとした苦しみとかがあると、
そこに集中がいって、結局いいことも感じられなくなってしまうのが人生だよねと。
例えば美味しいものを食べるのは嬉しいけど、
でもそれが蝕があると、蝕でちょっと歯が痛いとかになってしまうと、
それはもう痛みがあって、その美味しいものも美味しく感じられなくなってしまうから、
苦しみをどう取り除くかっていうのが人生の課題というか、
苦しみをどう取り除くかをロジカルに考えた方がいいよねみたいな話をされていたはずです。
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これもね、要約すると難しいけど。
ただ僕はそう受け取ってます。
苦しみをどう取り除くかっていうための方法として、
修行があったりとか、お経を唱えることがあったりとかもあるし、
苦しみを取り除くためには苦しみの存在がどういうものであるかを認識しなきゃいけないから、
例えば虫歯だったとしたら虫歯だとしても、上の歯が痛いのか下の歯が痛いのか、
特定しない対処しようがないじゃないですか。
自分の痛みはどこにあるのか、どういう形をしているのかっていうのを特定しましょうよということが1個あるかな。
その悲しみとか苦しみとかを感じているのは自分自身であるので、
自分自身が決めているものであると。
そういうものはそもそも存在しないんだけど、
自分がそういう言葉を作り出すことによって、
現世に現れているみたいな感覚なのかな。
僕も言葉で説明がなかなかうまくできないけど、
例えば犬という言葉があるから犬として僕らは認識できるけど、
犬という単語がなければ耳がついていて鼻があって、
ちょっと狼みたいな雰囲気の動物っていうのを犬として認識できない。
そういう動物がいるなみたいな。
それをどういう区分にするかっていうのは我々自身。
自分たちが言葉で表現することによって認識しているよねっていう感じかな、おそらく。
なので自分の認識次第で苦しみっていうものも変わってくるよねと。
例えば、自分ってどこにあるのかって考えたときに、
自分の体から出てくるものはどこまでが自分でどこまでが物体になるのか。
汗とか出てくるじゃないですか。汗とか出てきて垂れた瞬間は自分じゃないのか。
汗出てきてる瞬間は自分だけど垂れたら自分じゃなくなるのか。
その境界線って結構曖昧だよねみたいな。
その境界線ってどこにあるのかなみたいな話もしていたし、
パフェを考えたときにいちごパフェっていうのがあって、
コーンフレークがあってその上に生クリームがあって、
アイスが乗っていて最後にいちごが乗ってたらいちごパフェとしていました。
でもいちごを取り除いたらそれはいちごパフェなのかとか、
いちごパフェでそれでクリームを取り除いた状態、
クリームを半分取り除いたらそれはパフェのままなのかみたいなね。
どのグラデーションまでがどの言葉になるんだろうっていうのも、
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ある程度自分の認識次第というところがあるので、
それが楽しみとか苦しみとかっていった感情の部分も、
自分が感じてるだけだよねみたいな話を仏教ではしていたかなと思っています。
なので今自分が感じてるものってどういう決めつけというか、
自分はどういうふうにその事象を切り取ってるのかなみたいなのは、
改めて感じたいなみたいなのを持っていて、
自分自身が眠い瞬間があったりとか楽しい瞬間があったりとか、
眠いっていうのは眠いという事象だけど、
楽しい事象があった時にそれを感じてるのは自分だけど、
それを与えてくれたのは他者だし、
その他者によって自分は活かされてるんだみたいなことを感じ、
そこまでは感じてないけどその瞬間には。
今振り返ってみるとそういう感覚なのかなみたいなのを、
仏教を考えた時に言いますねって感じかな。
あとなんだろうね、
今日同年代の話めっちゃしたんですよ。
最近96年会をやろうとか、
移住者交流会をしようみたいな話をちょっとしていて、
ご飯食べてる時に、
96年意外と福井県の中では集まり始めてるねみたいなことを言っていて、
その会はもう開かれそうと。
今日参加した人も僕含めて3人は96年生まれだったのかな。
でもこの同年代を集めたくなるっていうのも、
ぶっちゃけ意味はないんだけど、
でもなんとなく同じ年に生まれた人っていう区分があることで、
すごく仲良くなりやすいとか、
仲良くなりやすいとか、話の一個の種になったりとか、
なんとなく親近感がわくっていう、
このなんとなくさが一番大事かなと思っていて、
なんかいいよねみたいな話かな。
それが同年代の良さなのかなと思っています。
97年生まれの子がいつも近くにいて、
僕も混ぜてくださいみたいな話をするけど、
君を97年生まれじゃダメだみたいな話で疎外されるんだけど、
疎外される人がいるんですけど、
それは96年という結束をより強くするみたいな、
ナショナリズム的な感じもするけど、
我々は96年だから強いんだみたいな結束が生まれたら、
なんか謎に面白いよね。
ただただそんなに意味のない年齢という区分だけど、
そこに同じ属性というか同年代、
同じ年代の人が集まって、
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同じ年齢だから私たちは絆があるっていう謎の見えないものを見つけて、
それでもそれがパワーになったらすごく面白いし、
それの結諾によって新しい活動が生まれていったらめちゃくちゃいいなと思っているので、
なんとなくいいなと思うメンツと集まっていくのはいいなと思っています。
これはみんなの才能研究所ということでキャストで、
結局グッドフィーリングであることが大事って話をしていて、
何かあったときに何かいいよねみたいな状況が、
才能発揮するためには結構必要だよねって話をしていて、
なんとなくグッドフィーリングかバッドフィーリング、
何かを言語化できないけど良くない気がするっていうのはあんまり良くない。
自分の中に違和感があるものだから、
それの状態で進めるのはあんまり良くないよねって言ってるし、
逆に言語化できないけどいいよねっていう感覚があるんだったら、
それで進んでみてもいいんじゃないかっていうのを、
すごい簡単に言ったら言っていた回があったんで、
そのグッドフィーリングバッドフィーリングみたいなものを感じる中でいくと、
同年代の回っていうのは仲良さそうよねみたいなグッドフィーリングの状態なんで、
なんか進めていきたいなとずっと思ってます。
あとは最近、
昨日、今日の話じゃなくなっちゃうんだけどこれは、
昨日読んでた漫画の中に、なんか最近読んでる漫画の中に、
すごく印象的なフレーズがあって、
それがすごい頭の中に残ってるんで一応メモとして残しておきたいなと思ってるんですけど、
タイトルなんだっけな、
ゾンビになった世界でやってみたい100の事だったかなっていう漫画があって、
多分前の作者がすごい面白い漫画を書いていたんで、
それで読み始めたのがきっかけだったと思うんですけど、
その作者の前作、前回作がすごい面白い、
僕がめっちゃ好きだった漫画の一つだったので、
それを続けていう経緯で読んでた気がするんですけど、
そのゾンヒャクってやつなんですけど、
ゾンビになった世界で、
今までブラック企業として働いてた主人公がやりたいことを100個書いて、
ゾンビになってる世界なんでほとんどの人がゾンビなんですよ。
噛まれたらゾンビになるみたいな世界観なんだけど、
でもその中でどうにか自分のやりたいことを達成していくっていう漫画です。
今はいろいろ話が進んで、
自分のやりたいことを達成していく、
すごい能天気な主人公っていうのが最初にいたんだけど、
これネタバレになっちゃうけど、
その主人公が切迫感に駆られるんですよね。
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自分の大切な彼女みたいな人ができて、
彼女の身の回りの日常ってゾンビになった世界で、
前はすごい幸せそうだったけど、
ゾンビで世界が変わってしまって、
その幸せがなくなってしまったんじゃないかっていう、
主人公の彼氏が悩み始めるんですよ。
主人公は今まで能天気でやりたいことをやって楽しめればいいじゃんみたいな、
それこそまずグッドフィーリングみたいな状態で活動していたのに、
彼女のために早く世界を取り戻さなきゃいけないから、
ワクチンを早く開発しなきゃいけないんじゃないかみたいな悩み始めるシーンがあるんですよ。
そこから仲間の子がやってきて、
主人公君ちょっと待てよと、
昔私のおばあちゃんが言ってたことにそっくりだよみたいな話を始めるんですよね。
そのおばあちゃんどういう人だったかっていうと、
いつも幸せを求めてすごい旅をしている人でした。
すごい良い仕事に就いて、すごい活躍をしているおばあちゃんだったけど、
医者としてすごい活躍していたけど、
私にはもっと良い仕事があるかもしれないって言って、
すごい安定して良い生活をしていた場所を手放してまた次の場所に行って、
またその場所ですごく活躍して、
ぜひともこの村に残ってくれみたいな話になるんだけど、
いやもっと良い場所があるかもしれないって言ってまた移住して、
すごい良いパートナーに巡り合ったんだけど、
私にはもっと良いパートナーがいるかもしれないって言って、
その人とは結ばれずだったのかなっていうのをやっていたおばあちゃんがいて、
その人の教訓として話していたのは、
結局今まで幸せとかもっと良いものもっと良いものみたいなのを探し求めていって、
でもその瞬間って良いものがあるはずだみたいな、
存在しないものを追いかけていって、
結局無いものをねだりになって、
もっと良いものがあるもっと良いものがあるって言って、
その状態がいろんなところに転々しました。
その状態が幸せなのかって話を考えた時に、
そうでもなかったっていうのが漫画としてのストーリーとしてはありました。
僕が残っているフレーズで言うと、
そのおばあちゃんも結局気づいたんですよね。
いろんなものを探し求めて歩いていたけど、
ある村に行き着いた時に、
全然お金持ちとかじゃないんだけど、
でも今あるものをすごく感謝して、
今あるものがあることに感謝して、
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それが幸せそうな姿だったっていうのをおばあちゃんが見て、
そのおばあちゃんも返しにするんですよね。
無いものばっかりねだるんじゃなくて、
幸せっていう形のないものを追い求めるんじゃなくて、
今ある食べ物とか、
今そこに目の前にあるものとか、
持っているものに注目をして、
あるものを見つめる人生が幸せなんじゃないかっていうのを
そのおばあちゃんは気づいて、
主人公の仲間にその話を曲として残しているんですよね。
すごい僕として頭に残っているのは、
あるがままっていう言葉を使っていて、
それがありのままかな。
あるものを見つめて、
あるものに集中する人生がありのままの人生なんじゃないかっていう言葉を言っていて、
それがすごい頭の中に残っているんですよね。
今自分自身が福井という環境に来て、
移住してきて、
自分の、
別に今ないものねだり全くしてない、
全くしてないわけじゃないかもしれないけど、
ないものはないなと思っていて、
今自分の中に近くにあるものに集中している状況、
出会いやすい環境だ、
人と出会いやすいなとか、
こういう人と会って楽しいなとか、
こういう仕事ができて、
一日一日振り返りながらこういうことができたなみたいな振り返っている、
あるものに集中するっていう、
ありのままの人生っていうのがいいなっていうのを思ったっていうのが最近のトピックです。
今日の一日振り返りからいろいろ派生してしまったんですけど、
そんなことを思っていました。
またありのままのもので頑張りたいなと思っているので、
これから明日以降もまた頑張っていきます。
明日が予定としては、
午前中が2人、2件、
ポイントというか下にある予定があって、
午後は特に何か予定があった気がするけど、
午後から夜にかけて、
ちょっと不利な時間があるはずなんで、
その時間を使いながら、
自分のやりたいことを改めて深めたいなと思っております。
それじゃあ、皆さん今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい。
バイバイ。
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