宇佐見優奈
ではこの映画の概要と、どのようにして敬和学園大学での上映会になっていったのか、経緯を説明していただけますか。
一戸信哉
この映画は1回6月に新潟市内でシネウィンドというところで、1日だけ上映会があってですね。
そこに私も行ったんですよね。
その時に監督の深澤さんもいらっしゃったんですけど、榎並さんも登壇されて、いろいろ話していくうちに榎並さんは敬和学園大学を卒業されているということと、
あと今回同時に上映するんですけど、うちの卒業生、皆さんの先輩が作った作品もあるので、
じゃあそれを学園祭で上映しようかみたいな、そういう話になっていくんですけど、ちょっと概要は榎並さん説明してもらえますか。
榎並摂子
はい、ざっくり言うと、茶道鉱山で戦時中に働いた朝鮮人労働者の歴史とその記憶を受け継いできた人々を描いた映画です。
なるほど。宇佐見さんはわかりますか。
一戸信哉
私は先輩の作品について取材していたので、なんとなく記憶はあります。
そうですね。茶道協会とかに行って、愛川の協会をしたり、あとその寮ですよね。
榎並摂子
相愛寮。
一戸信哉
相愛寮のところの跡も回ったりして。
宇佐見優奈
ツアーみたいに案内してもらいましたよね。
一戸信哉
そうですよね。ぐるぐる回って、ここが水地場で。
宇佐見優奈
ここがトイレだったんですね。
榎並摂子
跨いで座りました?
宇佐見優奈
雨降った後とかなんかですごいぬかるんでて。
一戸信哉
ぬかってたよね。でも入って行ったよね。
宇佐見優奈
入って行った人はいました。
一戸信哉
入って行った人はいました。ちょっと危なかった。
私は行かなかった。
一戸信哉
映画は、深澤さんの映画はもっと踏み込んでいっていて、
私たちがインタビューしている中で聞いたんですけど、
佐渡で働いていた朝鮮人の人たちは、今ほぼ亡くなっていますが、
90年代はまだご存命の方が韓国にいて、韓国の人たちのところに茶道の人たちが訪ねていくんですが、
その訪ねていった時の映像も挿入されているので、生の声も入っているし、
茶道の側の人もいろいろ記憶、その当時もっといろんなご存命の方がいて、
一戸信哉
その方が喋っているのもあるし、
それからその時行った方で今ご存命の方にもいろいろお話を聞いてということなので、
私たちが大学生たちでこの間数年前に行った時よりも、
いろんな素材を総合的に組み合わせているので、
実際当時何があったのかということはかなり見えてくるような作品だと思いますね。
榎並摂子
私が一番素敵だなと思ったことは、
深澤監督が最初は記録としてインタビュー、私の父のインタビューに来られて、
映画を作っているつもりではなかったと。
榎並摂子
それが自分が調べていくうちに、
一人一人こうやって関わってこられた方たちの話を伺っていくうちに、
それが映像作品として積み上がっていった感じで、
佐渡金山の世界遺産の登録をめぐって、今いろいろ議論されていたりする、
榎並摂子
それを背景に歴史を対立としてではなく、
ツイートと市民たちが行っていた平和交流、その部分に光を当てたいということで、
もう一つの、というタイトル、佐渡、もう一つの世界遺産という名前にしたそうで、
視点を変えてね、すごくアートの作品なので、
榎並摂子
何か謝れとか、悪いことをしたとか、そういうことではなくて、
全部私たちがそれを知らないことを学んでいったりすることが大事なんじゃないの?って
交流していた市民たちの交流っていうこと自体がもう世界遺産になるんじゃないかということで、
お話しされていたのがとても印象的で、日韓の平和交流の歩みを静かに問いかけたいということでした。
一戸信哉
そうですね。その交流している90年代に訪ねていって、
いろいろ話を聞きに行っているメンバーがいろいろ出てくるんですけど、
大学生メンバーは、林道夫さんというですね、住職の方 数年前に亡くなられているんですけど、
道夫さんのことをいろいろ聞いていたんですが、いろんな人が行っていたっていうのは何となく聞いていたんですが、
そこでいろんな市議会議員の活動が、いろんな活動をされている方がいて、
何人かいらっしゃる中に金山共有さんという江南さんのお父さんが出てくるんですね。
それで江南さんが映画に登場することになるんですけど。
進藤奈緒子
佐渡の朝鮮人労働者の問題は、
佐渡金山の世界遺産認定の際に問題となりましたが、
えなみさんは以前から興味を持たれてたんですか。
榎並摂子
全く知らずに。
そういった問題があることは知っていたけれど、
父が関わっていたこととか、そこに興味を持って勉強することは全く知っていなかった。
一戸信哉
大学時代にそういう問題に触れる。
大学時代はまだそんなに話題になってなかったかもしれないけど。
一戸信哉
でもまあ、ありましたよね。
その年に、ちょうど91年入学なんですけど、
一戸信哉
その年、父が韓国に行ったと思うんですけど、
なんか言っとるなっていうレベル。
宇佐見優奈
先ほども少しお話しに出たんですけど、
えなみさんのお父さんの人生についても辿っているこの作品ですが、
取材に協力されるようになった経緯はどのようなものだったんでしょうか。
榎並摂子
そうですね。まず、深澤さんという方が、
監督が瀬戸さんに会いたいと言っているんですけれど、という連絡を
佐渡にあるニカラさんという独立系書店の店主の
ユキノさんというとても素敵な方なんですけど、
彼女から連絡をいただいてはーっとなって、
榎並摂子
ユキノさんは面白かったんですけど、
もしすごく嫌な思いをしたら、私に言ってくださいねっていう前置きをして紹介をしてくださって、
榎並摂子
でもそこで安心できたというか、そうだなと思って。
お会いしたら、深澤さん自身とても素敵な方で、
私はもう大ファンになって、
まず私のインタビューを取ったりして、
父もちょうどその頃ミトリ期間に入っていたのが、
毎日オイルマッサージに通っているうちに血液の循環が良くなったのか、
どんどん足のむくみが取れたり、
ミトリちょっとやめようかなってお医者様が言うぐらい元気になりまして、
ミトリ今日明日ですって言われてから3ヶ月。
そうなんです。
みなさん看護師さんたちもマッサージすごいねって、オイルの力。
それで私も毎日通ってもいいっていうことになったので、
父のマッサージに通わせていただいている中で、
そこにくっついていって、お父様にちょっとお話聞いてもいいですかっていう流れで。
一戸信哉
深澤さんが?
榎並摂子
カメラを持って。
多分これじゃないですか。
榎並摂子
こっちですよ。
一戸信哉
小さいGoProみたいな持ってらっしゃいましたよね。
こういうのを持って入ってきて撮ってた。
榎並摂子
そうですね。父は認知症も始まっていたので、
結構あんまり記憶がまばらなことが多かったんですけど、
深澤さんのその引き出し方というか話しかけ方、
榎並摂子
とっても上手なんだと思うんですけど、
不思議なくらいたくさんお話をして、
で、あの映像ができたんですね。
私の父はちょっと不思議なところがあって、
人見知りではないんですけど、
結構相手の気持ちを感じ取る力がすごくある人なので、
多分深澤さんのにじみ出る何か、
いい人だっていう何かが感じ取れたのかなと思ってました。
一戸信哉
積極的に話し始めたんですね。
榎並摂子
そうなんです。
一戸信哉
お父さんは、
指揮会議員をされてたんでしょうね。
韓国に行かれた時は。
榎並摂子
そうですね。
一戸信哉
ずっと佐渡で暮らしていらして、
ネタバレなのかもしれないけど、
でもルーツを探っていくと、
おじいさんが朝鮮半島から。
榎並摂子
そうですね。
おじいちゃんがテグから来て、
牛を売ってね、来たそうです。
一戸信哉
韓国で牛を売って、
榎並摂子
そのお金で日本に渡ってきた。
おじいさんは日本に何しに来ようと思ったかってわかってるんですか?
当時、植民地だったと思うんですけど、
その頃、日本に行って人稼ぎしようっていうことも多かったと思われるし、
榎並摂子
あと、これ後から私も聞いた知識なんですけど、
日本の政府が朝鮮の人たちの土地を奪ってしまったから、
タガヤス農家が亡くなって、
仕事を求めて日本にっていう話もあるんだよって聞いて、
私はびっくりしました。
その経緯だったかどうかはわからない?
榎並摂子
わからないです。
一戸信哉
いろんな経緯で日本に渡りたかった、渡らざるを得なかった、
そこはいろいろあっただろうと。
榎並摂子
家族を養うためにって聞きましたね。
日本でおばあさんに出会って、
宇佐見優奈
おばあさんは里で過ごしてた?
榎並摂子
おばあさんは里の人ですね。
竹細工をしたり、当時里竹がね、竹加工を編んだりして。
一戸信哉
里の中でもどの辺だったんですか?
榎並摂子
窓町というところなんです。
旧窓町で、窓御霊とか。
一戸信哉
行きました?この間。
雨降ってて行くの?
宇佐見優奈
喋りながら行かなかった。
一戸信哉
駐車場まで行って、駅が見ました。
榎並摂子
凄すぎて無理だって。
一戸信哉
その窓ですか?
榎並摂子
そうですね。
そこで、おばあちゃんの父親は山節をしていたそうです。
山節?
山節。
混合院というお堂があって、
木とお祈りしたりとか、薬草をせんじたりしたのか、
私の知識ではよくわからないんですけど。
一戸信哉
里ではよくある話ですか?山節。
宇佐見優奈
山節自体初めて。
榎並摂子
父が小さい頃、お堂に入ると、
シャクがあったりホラ貝があったりして、
怖かったってよく言っていたので。
宇佐見優奈
もって厳しい修行でしたね。
一戸信哉
そうです。
なるほど。
お父さんの教諭さんは、
政治家の家庭に育って政治家になった人ではないということですね。
榎並摂子
全くですね。
どちらかというと、
朝鮮人というか、在日の二世として生まれ育って、
なかなかつらい幼少期。
大変だったそうで、いじめられたりとか、せつなかったそうなんですけど、
そこから25歳で足を失う事故に遭うので、
また障害者としての差別みたいなものも多分感じていたようで、
榎並摂子
それが社会問題に目が向いたとか、
いろいろマルクスを学んでみたりとか、
みんなで若い人たちを我が家に集めて、
みんなで読書会、勉強会をしたり、
榎並摂子
朝起きると知らないお兄ちゃんたちがいっぱいいるっていう。
ちょっと怖い。
榎並摂子
楽しかったですよ。
一人っ子だったので、大きいお兄ちゃんがいっぱいできて、
みんながおんぶしてくれたりね。
一戸信哉
その韓国に行くというのが、この映画の中では一つのポイントになるんだと思うんですけど、
その時は50巻にはいらっしゃらなかったということですか?
榎並摂子
ちょうど競馬学園の第一期生の時、1年目の時だったと思うんですよね。
父が韓国に行くんだって、いいねって。
旅行に行くんだと思っていて。
NHKとかBSNまで出てくるような、
その頃はみなさん応援してくださってたそうで、
一大イベントというか。
一戸信哉
そのグループが韓国に行った時の様子はNHKが取材して放送しているはずですよね。
その当時はそういう出来事があったっていうのは、
今ほど語りにくい状態ではなくて、わりと普通に報道もされてた。
榎並摂子
大切なこととして、みなさん応援してくださる方たちもたくさんいらっしゃったし、
映像には金山の館長さんも、ゴールデンサートの方も出たりとか。
一戸信哉
だからもう90何年とかなんで、もう30年。
宇佐見優奈
見ているわけがないというか、私たちが。
榎並摂子
いません。
一戸信哉
みなさんいない時代に放送されています。
そういう情報も今回映画の中では大体盛り込まれていて、
当時どういうことがあって、世の中ではどういうものとして扱われていたかみたいなのも分かる。
進藤奈緒子
一戸先生はこの映画をシネウィンドの上映会で見たそうですが、どんな映画でしたか?
一戸信哉
いらっしゃっている方は、私が一番最年少じゃないけど、
でも私ぐらいより上の方が多かったかな。
みなさんの世代は、大学生で上映会に関わっている県立大と国際上大の学生がいたかな。
その学生たちはいましたけど、見に来ている人はもう大体私より上ぐらいの人が多かったですが、
一戸信哉
福田さんの、さっき榎並さんもおっしゃいましたけど、
概要を読むと、政治的にデリゲートな問題にグイグイ入っていく内容に見えるけど、
中身はそうでもないですよね。もうちょっとなんていうか。
榎並摂子
そうですね。だから多分私も警戒しなかったというか、
これがもし、徴用工問題についてどう思いますか?みたいな入り方だったら、
ちょっと私はわかりませんってシャッター閉めたと思うんですけど、
でもそうじゃなくて、彼が知りたいのは、当時の人たちがどんな暮らしをしたか。
例えばその佐渡近山で働いていた方たちの生活がどうだったかとか、
その後、親戚の方がまだ神奈川に生きていらっしゃる、その人に会ってみたいとか、
矢原木の歌を受け継いでる、井山さんという方に会いたい。
これ韓国語に訳して歌おうと思うんですけど、英語に訳した人はおるけど、韓国語もいいねって。
すべてが今生きている方たちと、当時の歴史をつないでいくような、紡いでいるような感覚になったんですよね。
榎並摂子
だから私自身、こんなお話するのは恥ずかしいですけど、
父が佐渡の家をゴミ屋敷にしてしまって、大変だったんですよ。
本当に後で写真をお見せしますけど、今その記事も書いていて、
映画をきっかけに繋がった、あの日シネウインドで6月14日にシェア会をした後、
集まった仲間たちで、この間フィールドワーク行ったりもして、その時に冊子を作ろうってなって、
今10月24日に合わせて持ってこれるようにしたいねってなってます。
でもゴミ屋敷の話してもいいですか?
本当に私腹を立ててたんです。10年かけて掃除して、もう全然父として進まない。
最初の初日なんか、お父さんを新潟に呼び寄せて、新潟で介護をし始めたんですけど、
榎並摂子
その後私だけ佐渡に通いつつ、よしって手に取った袋の中から小バイゴワーって出てきて、
キャーって叫びながら、私ずっとこれをするのかなって。
宇佐見優奈
本当のゴミですか?それとも本人からは大切だけど周りから見ればゴミみたいな?
一戸信哉
本人は大切なものですよ。
榎並摂子
それもね、もちろん書類が好きだから大切な書類もあるんだけど、
買い物してきて、ビニール袋に入ったままのお豆腐とかエビフライとかを、
そのまま3年くらい放置されてたりしたので、いろんなものが一緒に積んでたというか。
本当に冷蔵庫、お父さん電気をガチャッと切っちゃったので、
業者さんが開けて、あ、お嬢さんは見ないほうがいいです。
ナウシカの世界になってるんでって言われたぐらいすごかったらしいんですけど、
この父の集める癖、いろんなものを取っておいたりコピーしたりメモしたり、
その癖のおかげで、最終的に私、本当に怒りながら片付けて、
榎並摂子
業者さんに全捨てお願いして、全部捨てるって決めた時に、
3日間かけたんですけど、その業者さんは、この箱3つだけちょっと気になるんで、
やっぱり持ってかないでください。私がゴミ屋さんに持っていくので、
これはもう今日は置いといてくださいって言って、もうそれで作業を終了していただいて、
その後開いたら、茶道協会の三村博士から、
節子さん、どうしても探していただきたい資料があります。
榎並摂子
1ページと2ページ目がなくなっているものがあって、それを何とか見つけてくださいって。
でも無理でしょって思っていたその資料が出てきて、
コピーマーだから、コピー大好きで、きちんとそれをしかも何重にもくるんで、ビニールと。
だから悪くなってないんですよ。紙自体綺麗で、他の方のところにあった資料は全部ちょっと悪い状態にもなってたそうなので、
榎並摂子
本当に皆さん喜んでくださって、一緒にやってこられた。歴史的発見です。
宇佐見優奈
この3つの箱だけ何かなって思った理由とかあったんですか?保管と見た目は一緒なんですか?
榎並摂子
そうですよね。不思議なんですよね。何となくだったのかな。あんまり何も見た感じは一緒だし。
宇佐見優奈
テープで何か貼ってあったとかそういう意味じゃなくて。
榎並摂子
お父さんのそのゴミ屋敷がゴミじゃなかったっていうことを私の腹に落ちたというか。
お父さんのおかげできっとこれからまた何か大切な調査がまた始まるのかなって思ったり。
大嫌いが、お父さん偉いね。
本当に変わった瞬間でした。