妻島優斗
かなりにぎわっていて、子供が多い印象でしたね。
高橋由翔
そうですね。お子様多かったですよね。
私も去年2日間とも参加したんですが、基本本部で、じっとしている側の人間でした。
妻島優斗
というわけで、今日は新発田市内で2024年6月15日、16日に行われるイベント、寺開き実行委員会から実行委員の三宅遥さん、斉藤遥さんにおいでいただきました。
三宅さんは株式会社花康のご所属、斉藤さんは寺開きにも参加される匠おじの副住職をされています。どうぞよろしくお願いします。
齋藤遼
お願いします。
高橋由翔
では早速、私高橋から三宅さんと斉藤さんのプロフィールをもう少し紹介させていただきます。
三宅遥さんは2019年に株式会社花康に入社されています。
もともと無料休憩所だった寺町溜り駅をお土産カフェとしてリニューアルオープンする仕事を手掛けられました。
また、花康の現社長渡辺康幸さん、しんぼ酒店のしんぼさんとともに、2020年11月、月岡ブルワリーをオープンされています。
私生活では2人の子供の出産育児を経て2回目の仕事復帰を果たされたところで、現在はそれぞれの店舗管理やイベントの運営を担当されています。
続いて斉藤遥さんについてです。
斉藤遥さんは1987年、新発田市ご出身で、現在寺町にあります拓明寺というお寺の副住職をされています。
趣味特技はギター弾き語りで、お寺のホームの傍ら、自作の歌を録音発表し、お寺でのライブ、イベント出演等もされています。
昨年の寺開き期間中にも路上でライブを行っていらっしゃいます。
妻島優斗
私妻島からは、春香さんが副住職をされている拓明寺というお寺について少しご紹介します。
拓明寺は1200年頃越前国に創建。
後に新発田藩初代藩主、溝口秀勝公の父である溝口勝政公の母大寺となり、
秀勝公の遺宝に随住して、慶長3年、1598年、加賀大正寺より現在の新発田に住したと伝えられています。
宗派は浄土新宿だそうです。
高橋由翔
新発田藩主となる溝口秀勝公と共に、加賀から新発田に入った花谷康兵衛さんが始めたという歴史ある総裁業の会社ですが、
最近、社名も株式会社花谷康新発田斎場から株式会社花谷康となり、総裁業のみならず様々な業種に進出されています。
三宅さんは先ほどのお話ですと、新規事業の開拓でかなり活躍されているとお見受けしました。
常に新規事業に挑戦するのは大変だと思いますが、大学生から見れば憧れる仕事というところもあります。
二度の出産・育児を経た経験も含めて、花谷さんでの取り組みを教えていただけますか。
三宅晴香
先ほどもご紹介いただきましたとおり、私たち株式会社花谷康は総裁業ではありますが、
新発田の指定管理施設寺町たまり駅の委託運営や、月丘でのクラフトビールの製造・販売、
こういった寺開きや一軸フェアなどの市内のイベント運営にも関わっております。
なぜ総裁会社かと思われるところがあるかと思うんですけれども、
葬儀の会社だからといって葬儀だけを行うというわけではなくて、
亡くなられる方がいい人生だったと思えるような、
そういった生前から葬儀の後まで長く長く関わっていきたいというのが今の社長の考えです。
人はいつ死ぬかわからないというところもありますし、
私だってこの後帰り道で、もしかしたら交通事故で死ぬかもしれない。
その時に自分がいい人生だった、楽しかったって思えるには、
こういう楽しいイベントだったりとか、イベントってやっぱり一人では楽しめないと思うので、
人と人がつながれる場所とかが必要だと思うので、
先ほど紹介いただいた活動を我が社では行っております。
高橋由翔
二度の出産・育児をご経験されたということで、
職場からちょっと離れている時期も長かったかと思うんですが、
実際離れてから職場に戻ってというのはどうでしたか?
三宅晴香
育児がすごい大変だという部分もあるんですけれども、
私自身が仕事が結構好きなので、子どもを連れて行って、
会社に顔を出したり店舗に顔を出したりしていて、
新規事業として立ち上げにずっと関わったんですけれども、
もう私がいなくてもお店はスタッフで回っているので、
それを見てすごい誇らしく思ったりもしていました。
高橋由翔
斉藤さんが副住職をされている竹芽王子についてですが、
妻島優斗
一緒正しいお寺ということは思っていますか?
一緒正しいお寺ということはわかりましたが、
水尾口秀勝公の移住に随住してというあたりがなかなか難しく、
昨年のご紹介でも担当者から質問が出ていました。
今回も改めて教えていただけますか?
齋藤遼
はい。竹芽王子は先ほどもご紹介いただきましたけれども、
新発田藩の初代藩主の水尾口秀勝公のお父さん、
勝政公のご大臣なんですね。
秀勝公というのは新発田に来る前は香賀の大正寺、
今の石川県の香賀市のあたりなんですけれども、
そこの代名をしていた方で、
秀吉さんの命令、新発田に行きなさいというふうに命令が出て、
それで新発田に移ってきたという代名なんですね。
そこにいろんなおかかりのあったお寺とか、
いろんな人がついて石川県から新発田の方に移ってきたということなんですね。
お寺で移ってきたのはうちの匠寺だけではなくて、
寺町にあります方向寺さん、
これが秀勝公以降の歴代藩主の母大寺となってまして、
方向寺様も一緒に移ってきてますし、
秀勝公の奥方の奥さんの母大寺、
図雲寺という寺町のお寺も、
図雲寺様も加賀から一緒に移ってきたと言われてます。
あと浄土神宗、うちと同じ浄土神宗のお寺で、
周縁寺山というお寺があるんですけれども、
齋藤遼
そこも一緒に移ってきたというふうに伝えられてますね。
ここ何軒か、寺町のお寺も加賀から新発田に入ってきたというお寺があります。
妻島優斗
みんな一斉に移ってきたっていう感じなんですね。
齋藤遼
そうですね。その時に秀勝公について移住してきたというふうに伝えられてます。
妻島優斗
母大寺というのはどういうお寺なんですかね。
齋藤遼
母大寺というのは、そこにお墓があって、
そこにお寺に入っていますよというようなところを母大寺って言うんですね。
だから秀勝公のお父さん勝政公は、
移ってくる時には亡くなられていて、お墓だったんですね。
お父さん一緒に移ってきたのではなくて、亡くなられている。
それで母大寺になったんですけども、
そのお墓ごと、お墓を加賀から新発田まで運んできた。
現在もうちの墓地に勝政公のお墓がありまして、
それは火炎型っていう火の玉みたいな、玉ねぎみたいな形なんですけど、珍しい形のお墓で、
それが今も400年以上前から移ってきて、今もうちのお寺にあります。
もしよかったらお墓、簡単に入れますので、
みんな見に来ていただいていただければなと思います。
妻島優斗
ありがとうございます。
高橋由翔
いろんなお寺も一緒にくっついてきたということで、
いろんなお寺が集まって、今の寺町が形成されたという感じでしょうか。
齋藤遼
そうですね。新発田藩になって、
寺町っていうのも民族自治体の手によって作られたというふうに言われてますね。
寺町って新発田お寺がいっぱいあるんですけども、
寺町の界隈は寺町通りがあって、そこにも10軒くらいお寺があって、
L字型で剣法寺さんから彫刻寺さんっていうところにお寺が配置されていて、
上から見るとL字型にお寺がワーッと並んでるんですね。
それが新発田城を藍津藩から、敵から守るために城壁となるような形で、
お寺が配置されているというふうに伝えられてます。
敵が攻めてきたときに、お寺を使ってそこにいろいろ軍を配置したりとか、
そういうふうに使えるようにお寺が配置されているんですよ。
それが寺町となっているというふうに伝えられてますね。
高橋由翔
お寺が単に集まってできたわけじゃなくて、お城を守るためにできたという。
齋藤遼
ちゃんと考えられてたんですね。
高橋由翔
さて、新発田寺開き、私たちも学生ボランティアで参加させていただいていますので、
すっかり新発田の6月の風物詩と感じていますが、
改めてどのようなイベントなのか、概要を教えていただけますか。
新発田寺開きなんですけれども、
三宅晴香
普段はあまりお寺に入ることってないと思うんですけれども、
そういった立ち入ることの少ないお寺でたくさんの出展者を集めて、
寺町通りを歩行者天国にして、
まず一つ目はお寺に馴染んでもらうというか、
新発田寺開きなんですけれども、
普段お寺に入ることって少ないと思うんですけれども、
そういった立ち入ることの少ないお寺にたくさんの出展者だったり、
寺町通りを歩行者天国にして一般開放することで、
お寺に馴染んでもらうということをまず第一の目的としております。