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7/23の敬和キャンパスレポは、和楽器奏者として活躍する卒業生の田村佑介さんへのインタビューをお届けします。敬和学園大学で学んでいた頃の話から、万代太鼓の起源、さらにはプロの演奏者として独り立ちするまでキャリア、国際的な演奏活動の様子まで、うかがいました。MCは宇賀田・山田。(担当:涌井)

00:02
宇賀田雛帆
敬和キャンパスレポ、この番組は、柴田市富塚にある
敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、
柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、敬和学園大学の提供でお送りします。
みなさん、こんばんは。この番組は、
敬和学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える
30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科2年の宇形日那穂と、
山田夏実
国際文化学科3年の山田夏実です。
宇形さん、いくつかナレーションなどでは参加してもらっているそうですが、
番組収録は、今日は初めてですね。
はい。
一言、自己紹介をお願いします。
宇賀田雛帆
出身は、上越市で、小学生のころから私はバトミントンを
ずっとやってきたので、運動が大好きな子です。
以上です。
山田夏実
バトミントンはどれくらいやりました?
宇賀田雛帆
高校まで続けていたので、10年間一応部活としては続けていて、
今でも社会人の方と打ったりはしていますね。
まだ一応続けています。
続けています。
山田夏実
今日は卒業生インタビューで、バンダイダイコがテーマだそうです。
宇形さん、バンダイダイコといえば何を思い浮かべますか?
宇賀田雛帆
お菓子ですね。
私も食べたことが何回かあるんですけれども、
それがバンダイダイコという名前で食べていたというのは知らなくて、
バンダイダイコという名前のお菓子だというのは知らなかったんですけれども、
見てみたら、これ見たことあるなとか食べたことあるなみたいな感じで、
名前がバンダイダイコというのは初めて知りました。
あれだよね、バームクーヘンの中にクリームが入っているやつだよね。
味も結構いろんな種類があって。
山田夏実
リモンとかイチゴとかいろいろあるよね。
というわけで、今日は京学園大学卒業生で創作は
和太鼓ユニット、和田楽心、新潟バンダイコ花流の代表である
田村佑介さんにおいていただきました。どうぞよろしくお願いします。
田村佑介
よろしくお願いします。こんにちは、こんばんは。
宇賀田雛帆
ではまず、私夕方から田村佑介さんのプロフィールをご紹介します。
1999年に、京和学園大学の国際文化学科に入学されて、
2003年3月に卒業されています。
在学中は、歴史学の田中俊之先生、
加納美紀夫先生の元でお並び、
03:01
宇賀田雛帆
フットサルサークルも作られたと伺っています。
バンダイ太鼓は9歳から始められて、在学中も続けていらっしゃいました。
バンダイ太鼓では、県内外をはじめ、
アメリカ、フランス、ロシア等海外公演を多数経験され、
G20新潟農業大臣会合では、レセプションのオープニング演奏を行われました。
また、篠笛奏者としても活動し、
新潟奏踊り、和楽器ユニット、音霊などに、
2010年、プロ野球オールスターゲームでは、
篠笛で国歌を演奏されています。
現在は、創作和太鼓ユニット、和伝楽、心、
新潟バンダイ太鼓、花流で、それぞれ代表を務められています。
以上ですが、田村さん、何か補足ありますでしょうか。
田村佑介
補足?はい、ありがとうございます。素晴らしい紹介で。
いいですね、ういういしい感じですね。
とてもよかったですね。新潟さんの場になりました。
山田夏実
和太鼓一筋といった経歴ですが、
京和学園大学在学中の勉強やサークル活動などで、
印象に残っていることはありますか。
田村佑介
そうですね。大学ももちろん楽しかったんですけど、
その頃所属していた太鼓チームは、すごく太鼓の出身が多くて、
大学の先生に頼んで高潔にしてもらって、
太鼓の出身に行ったとか。
山田夏実
高潔、できるんですか。
田村佑介
その先生だけですよね。
でもゼミの先生とよくしていただいて、
歴史学と男女の、今は当たり前ですけどジェンダーの、
そういうお話の先生だったんですけど、
卒論は、田村くん好きなのをかけなさいと。
君、太鼓とか笛が好きなんだからということで、
卒論のテーマは全然ジェンダーとか関係なく、
血の笛の話になってしまって。
そうなんですね。
そんなことで自分の笛を作っていただいたり、
有名な佐藤の古藤さんのプロ奏者の笛にも興味があったので、
作っている方と知り合うきっかけにもなったりして、
その点で大変ありがたくゼミの先生に感謝していますね。
英語は国際文化学科だったのでちょっと不得意でしたけど。
ジョイ・ウィリアム先生、今いませんか。
北島東郷先生とかいませんね。
全くいません。
誰もいませんよね、たぶんね。
山田夏実
知っている方いらっしゃらないですかね。
田村佑介
たぶんいないんじゃないですかね。
山田孝太先生がもしかして今学長なんですかね、奇跡の。
山田夏実
はい、学長ですね。
田村佑介
素晴らしいですね。
いろいろあったんですけどね。
山田夏実
学長になる前は普通に先生っていらっしゃいましたね。
06:00
田村佑介
教授でキリストを。
キリスト教学の時間ですって声で言ってたんですよ。
物語っぽく聞いたことで。
信原先生とか楽しい先生たくさんいたんですけど。
チャペルアッセンブリアワーで。
山田夏実
今ありますか、1年生。
田村佑介
あれで賛美化に目覚めてですね。
目覚めたというわけでもないんですけど。
我々の時の1年生は歌は始めだけなんですけど、
でも歌が好きで毎回歌わせてくれるみたいなことを言ったって思います。
宇賀田雛帆
バンダイ太鼓というのは新潟市内のバンダイ発祥ということなのだと思いますが、
その起源や太鼓演奏の特徴など教えていただけますか。
田村佑介
教えていただけますか。教えましょう。
バンダイという起源、バンダイ橋が起源なんですよね。
柳の木が新潟市内は有名な木で、それで竜頭橋、竜頭の竜は柳なので。
それで柳太鼓とか竜頭太鼓とかそういう案もあったらしいんですけど、
バンダイ太鼓というバンダイ橋からいただいて、
そのきっかけも新潟にそういう和太鼓の文化というかそういうのがあまりなかったらしくて、
当時の商工会議所の怪盗さんが石川県の温泉地に行ってみた太鼓に感動して、
当時商工会議所に勤められていたバンダイ太鼓の創始者の小泉浩二先生という方が、
ちょうどバンド流というアトリバンドを騙そうなのが皆さんご存知ですか。
わかんないですね。そういう先生でしたので、
じゃあ芸事はこいつだということで白葉の矢が立って、
修行に出てすぐに新潟にバンダイ太鼓を作ろうということになって、
今も50数年を数えることになってようやく伝統に近づいてきたかなという、そんな感じでしょうか。
山田夏実
ありがとうございます。
田村佑介
こちらこそ。
宇賀田雛帆
さてここで1曲お届けします。
今日の曲はこちらを用意しました。和楽器ユニット音霊草月。
こちらの曲はゲストの田村さんご紹介いただけますか。
紹介しましょう。
田村佑介
私はバンダイ太鼓、創作和楽器、いろいろな活動をさせていただいているんですけど、
その中で和楽器ユニット音霊は全員新潟市の出身で、
全て和楽器しか使わず、新潟では初じゃないかなと思っているんですが、
もしあったら申し訳ございません。
太鼓、しの笛、鳴り物、あと津軽三味線、京大三味線なので、これかっこいいんですけどね。
その中で作られた草月という青い月と書きますが、
その三味線のプレイヤーのお師匠さんの、お師匠さんと言うとちょっと古いので、
先生ですか、師匠ですね。
石野平教授みたいな、そういう感じですよ。
その方の曲をモチーフにして創作された曲と聞いてますけど、
09:01
田村佑介
それにしの笛のアレンジを加えたりしてできた曲でございます。
長い曲なので、どうしましょうか、今日は。
山田夏実
ちょっと短めで。
宇賀田雛帆
それでは聴いてみましょう。和楽器ユニット音霊、草月。
けいわキャンパスレポ
さて今日は、慶応学園大学卒業生で創作和太鼓ユニット、和伝楽、心、
新潟万代太鼓下流の代表である田村佑介さんにお話を伺っています。
さて、子供の頃から続けてきた太鼓のアーティストとして長らく活躍されてきました。
大学卒業の時にすぐにプロの演奏者として活動されるようになったのでしょうか。
田村佑介
ちょうど通っていた小学校に部活として万代太鼓というのがあってですね。
宇賀田雛帆
もともとあったんですね。
田村佑介
バトミントンの話でしたっけ、そういうのと同じ間隔の部活としてあって、
今は週休2日じゃなくて土曜日もあって、放課後朝アレンというのがあったので、
そのおかげなんですけど、本当は野球部に入りたかったんですけど、
ちょっと馬の合わない先輩がいらっしゃったりして。
山田夏実
人間関係の方で。
田村佑介
こいつと一緒にやりたくないなということで、
お祭り好きだし入ってみようかというのがきっかけで、
大好きで入ったということではなかったんですけどね。
でもハマるきっかけになったのが、
4年生に始めて5年生に上がる一番最後の練習の時に、
教えてもらっていた6年生にもうちょっと、
タイプって低い姿勢でガッツリ男らしく打ってみたいな感じがあって、
それが恥ずかしかったんですけど、
それをやってみろと言ってて恥ずかしいまぎれにやってみたら、
みなさんから拍手をいただいて、
そこでそういうことをよく言いますけど、
やる気スイッチじゃないですけど、スイッチみたいなのが入って、
そこからずっと太鼓付けでしたね。
そこからずっと、いろいろあるんですけどね。
いろいろあるんですけどね。
宇賀田雛帆
Kはキャンパスレポ。
山田夏実
あれですか、太鼓って私見た時、すごい腹筋みたいな感じでやるのあるじゃないですか。
そういうのをやるんですか?
田村佑介
そういうのは、バンダ大工ではやらないですけど、
創作和太鼓でいろいろなものを取り入れたりしてやる機会もあるんですけど、
そこではやってみたりしますけど、
私も年なので、
普段若手メンバーに20代の若手、
やりますね。
肌もババババみたいになってますから、
上半身、胸器の上は見せられますけど、
その下は見たことないということで、
やらせていただいて、
周りに恵まれたというか、
12:01
田村佑介
先生方、教授とか、もちろん両親、仲間にも恵まれて、
皆さんのおかげで何とか続けてこれたかなというのは。
はい、どうぞどうぞ。
山田夏実
学生時代からやっていらっしゃるということで、
プロになったら具体的にどういった活動をされていましたかね。
宇賀田雛帆
いい質問だなあ。
田村佑介
大学で出たらすぐプロ、一応私も正職というか、
大工が職業ということでやってきたんですけど、
ちゃんと食べれるようになったというのは30歳ぐらいで、
大学卒業した後は大学時代でやらせていただいた家庭教室。
山田夏実
バイトをね。
田村佑介
バイトをしながら、日中子どもたちの指導とかもしていたので、
そういう大工の活動にしようがない朝方のバイトを見つけたりとか、
そんな風にして、約10年ぐらいはね、そんな風にしてやっていましたけど。
どうしても新潟に残って万代代、地元の芸能自分がやらせていただいていた
芸能を中心にやっていきたかったので、
外を出ることは小道さんに行ってみたりとか佐渡に行ってみたりとか
いろいろあったんですけど、新潟を拠点にして、
いろんな先生とか地域に出かけていって、
外芸工という形というかね、教えてもらいながら、
いろいろな経験をさせてもらって、
30歳で今まで活動してきた団体を一回辞めてですね、
独立というか感じて、結婚も30歳だったので、
そんな感じでしょうかね。
山田夏実
今入っている団体は、前に入っていた団体とはまた別なんですか?
田村佑介
自分で立ち上げた下流というのは、
自分で万代芸工の中で新しく立ち上げて、
その中には京和学園の卒業生も一人いたり、
自分の弟子たち、ほとんど弟子たちなので、
みんなついてきてくれた若者もいましたので。
宇賀田雛帆
すみません、質問いいですか?
田村佑介
どうぞどうぞ。やったぜ。ようやく嬉しいですね。
いいですよね。
可愛らしいですね。
髪の毛も長くて、そういう方ですから。
宇賀田雛帆
どうぞ。
大学卒業で大根の職業につくって決めてらっしゃったんですが、
そういう稼ぐとかの、
稼ぐっていけないっていうのもあるじゃないですか、いきなり。
田村佑介
そういう不安とか?
ずっとありましたね。
でも本当に体育をやりたいと思ったのも小学生の時なんですよ。
漠然と俺もこういう道で食べていくのかなという感じは、
初めは社長になってハワイに行ってダイヤモンドをお母さんにプレゼントしたりとか、
そういうのもあったんですけど、
もう小学校の時からスイッチが入った時から、
なんか漠然とそういうのがあって、就職活動も全然せずに。
宇賀田雛帆
一つずつ。考えてないって感じですか?
15:01
田村佑介
そうなんですよ。頭悪いと思ってます?
宇賀田雛帆
いやいやいや、全然そんな。
田村佑介
本当に今は若い人の直感的なこの話、これが一番大事ですよね。
やっぱり稼ぐ、本当にうどんで食っていけるの?
食べていけるんでしょうかと、ちゃんとした言葉で言えば。
生活できるんでしょうかと。
でもそこは今でも不安がありますし、
だからそういうものはだんだん年を追うごとに、
20歳から30歳、30歳から40歳になるごとに不安が多くなってきて、
頭で考えて行動してるので、
若いうちに若い気分で世間があんまり分かってない状態で、
スパンと飛び出していく力は皆さんの世代しかないと思うので、
そこはいいと思います。
失敗しても30歳くらいまでになんとかなければ大丈夫だと思うので。
宇賀田雛帆
ありがとうございます。
締まる質問しましたね。
山田夏実
現在2つの団体の代表を務めていらっしゃいます。
音楽活動というのはコロナ禍で相当制限されてきたのではないかと、
思います。
普段の新潟での音楽活動についてや、
コロナ禍での音楽活動について教えていただければと思います。
田村佑介
はい、ありがとうございます。
本当に去年、昨年ですね、2月末に、
本当にその日に出演が決まってたんですけど、
そこで新潟市で1人出たっていうことで、そこから一平しまして、
そこで決まってた夏までの出演が一気にキャンセルになって、
でもそれくらいかなと思ったら、学校も、
なんて言うんでしたっけ、あれの。
宇賀田雛帆
休校入学。
休校出た。
田村佑介
休む、こうと書いて、休校。素晴らしいですよね。
休校ですよね。そうなんですよね。
休校になったりして、それで私も指導も含め、
それもお仕事だったので、本当にそこそこ分かりやすいことで言えば、
収入ゼロという時期が3ヶ月くらい続いて、
さあどうしようかと思ったんですけど、
でも今の中でできることはないか、
そんなふうに思ったのは、私のお世話になっている神社の管理者さんとよくお話しするんですけど、
こういうところで、なくなるやつは偽物だから、
田村佑介
とにかくやれることを頑張りなさいと、それでダメになったら仕方ないし、
求めてくれるんだったらそのまま頑張ればいいしと、
そうこうしているうちに少しずつ、昨年の末ぐらいですかね、
田村佑介
少しずつ状況も改善というか、少しはいい方向になってきて、
お祭りが日本からなくなったことで、
当たり前だと思っていたことが全然当たり前じゃないということに気づいて、
むしろいい権限があったかなという感じにプラスに考えればですけど、
とんでもない話ですよね本当はね、本当はとんでもなかったんですけど、
18:00
田村佑介
一応家族もいますし、
出演する機会対抗をやっている子たち、自分のチームにもそうですし、
そういう機会も与えてあげられなくて、いろいろ責任を感じている、
自分が責任を感じている、私が悪いわけではないので、
コロナが来ているわけでもないので、そうでもないんだけど、
そんなふうに思ったりして、いろいろ歴史積みがありましたけど、
大変だけどいい経験かなと、いろいろ考え直す、見つめ直すには良かったかなとは、
今思っていますけどね。
山田夏実
フェイスブックを私見たんですけど、写真で何か見たことがあるなと思ったんですよ。
フェイス館でしたっけね。
田村佑介
最近のやつですよね。
山田夏実
山形中学ってあって、おっと、これは私の母校じゃないかと。
田村佑介
素晴らしい。新潟市出身なんですね。
山田夏実
そうなんです。新潟市のギリギリ中学。
演奏とかを教えてたり、演奏したりとかしたんですか?
田村佑介
あそこは全然そういうことじゃなくて、いろんな縁があって、
この前はPTA行事で、ほんとは全国の予定だったんですけど、
コロナ禍なので3年生だけ、あまり昨年も行事がなかったので、
ということで演奏を見てもらって、太鼓も体験してもらおうと、
コロナ禍の感染症対策をちゃんとしてやらせていただいたんですけど、
こんな時期でも少しずつできてきたので、それは良かったですね。
宇賀田雛帆
新潟県の伝統音楽の代表活動として、
国際的な演奏活動にも取り組まれていて、
アメリカ、フランス、ロシアなど、海外公演など多く行われてきたそうですね。
そうですね。そうなんですよ。
田村佑介
今ちょっとコロナ禍で2年間行けてないんですけど、
中学生時代に1回子供たちだけで中国に行ったのが海外初めてだったんですけど、
ちょうど下流を立ち上げた頃に、中国に行った子供の時と同じ場所に
凱旋できたので、それが下流としての一番初めだったんですけど、
2015年に東アジア文化都市というのが新潟市で選定されたので、
みなさんまだ学生でバトミントばんばんやってたんで、
新潟市が選ばれて、新潟市の芸能としてバンザイ太鼓も
我々が一緒に行かせてもらったのがきっかけで、
日本に行かせて、韓国もそうだしね。
あとまあ、自分だけ一人で話してるのもあるんですけど、
海外に行けば和の文化ってどこでも受けがいいんですけど、
フランスはアニメも日本のアニメも特に人気があって、
半分ゲリラ的にここでやろうかって転送したら、
どこからともなく千人くらい広場に集まってきて、囲まれちゃったりして、
フランスの南都市って、これも新潟市としまい都市だったと思うんですけど、
21:00
田村佑介
そこが一番でしたからね。
カリオとしてバンザイ太鼓って言ったときも、
韓国でもスタンディグローベーションとかいただいて、
みんなで感動して泣いたっていうこともあったりしたんですけど、
まあ、いろいろね、国家間ではいろいろあるところも多いですけど、
文化のレベルで交流して、少しでもね、
なるべく仲良くするか、歴史上ちょっと難しいところもあるかもしれないですけどね、
できていければいいかなと。
優しい人も多いしね。
ということで、若い人は海外にどんどん行った方がいいんじゃないかと。
宇賀田雛帆
行きたいですね。
田村佑介
いかに日本が本当に、いろんな大人がエラそうにね、
日本でいるのはダメだよと、外に出てみろと、
エラそうなこと言ってますけど、いや本当なんですね。
いや良かったですよ。やっぱり環境も日本はいいっていうのも改めて分かるし、
意外と海外の人も優しかったり、本当にとんでもない奴もいたり、いろいろしますんで、
経験上国際職豊かな学校ですから。
宇賀田雛帆
さて今日は、慶和学園大学卒業生で創作和太鼓ユニット
和田楽 ココロ、新潟万代太鼓下流の代表である田村佑介さんにお話を伺いました。
今後もますます素晴らしい演奏で新潟を盛り上げていただけたらなと思います。
どうもありがとうございました。
田村佑介
こちらこそありがとうございました。楽しかったです。
浦田さんも頑張ってください。
スピーカー 4
ありがとうございます。
宇賀田雛帆
さてエンディングです。
山田夏実
浦田さんとは初めてのコンビでしたが、浦田さんどうでしたか?
宇賀田雛帆
はい、すごく緊張して言葉が全然出なかったんですけど、
やっぱりまだ自分の未熟さを感じ、
山田さんのようになれたらなとすごい思いました。
本当に。
山田夏実
私も浦田さんのフォローがうまくできたかどうかちょっと不安なんですけど、
今回のことを経てまた頑張ってほしいなと思いますね。
宇賀田雛帆
まだ伸びしろがあるということで。
伸びしろがあるということで。
頑張ってみたらなと。
山田夏実
頑張ってください。
スピーカー 4
ありがとうございます。
宇賀田雛帆
今日の県はキャンパスレポこれにて終了です。
みなさんおやすみなさい。
田村佑介
おやすみなさい。
宇賀田雛帆
県はキャンパスレポは、県は学園大学の提供でお送りしました。
23:31

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