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ケイシャのしゃべり場。
始まりました、ケイシャのしゃべり場。この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいお語り合いを発信するトーク番組です。
私、KOO-KI山内です。
KOO-KIヒージャーです。そしてゲストは前回に引き続き。
KOO-KIのプロデューサー、島村です。
Haremのコピーライター、岡田です。
よろしくお願いします。
25周年特別プログラム、KOO-KIの歴史を振り返るシリーズシャープ2ということで、前回は約20年の間、KOO-KIと一緒に仕事をしてきた岡田さんのあふれんばかりのエピソードで。
止まらない、止まらなくて。
前回も、ちょっとこの辺で終わった感じになるぐらい、次から次へとエピソードが止まらなかったんですけど。
今回はですね、KOO-KIのホームページにある遠隔をちょっと見ながら、この時代はこうだったよねみたいな、25年まるまる振り返ってみようかなという感じでね、お送りしようかなと思っております。
島村さんがKOO-KIに入ったのはだいたい何年くらいですか?
僕が入ったのは2011年ですね。
KOO-KIに2011年に入るまでは、別の会社にいらして、制作振興やプロデューサーとかといった形でKOO-KIと一緒に仕事をしてたという感じですかね、島村さんは。
そうですね。外部のディレクターとしてお仕事を依頼したりだとか、CGパートお願いしますとか、そういった外部から発注するという関わりですね。
そういう意味では外部の目線で島村さんもKOO-KIのことを知っているというか、見ていた時代もあるということで、意外と面白い面接で振り返られるんじゃないかなと思っているんですけど。
というわけでですね、ちょっと見てみましょうか。まず1997年に映像制作事業を開始ということで、12月12日ですね。有限会社KOO-KIモーショングラフィックに設立ということで。
社名が違ったんですね。
活性違いましたね。
映像制作事業を開始した後、2001年に江口さんが代表取締役社長に就任。最初にその1997年から2003年ぐらいが初めて岡田さんがKOO-KIと接触したのでは。
そうですね。最初にお仕事をお願いしたというか、打ち合わせに行ったのがその間だと思います。
その頃、2003年の時点で当時の岡田さんと一緒に行った広告代理店の方がKOO-KIの存在を知っているぐらいには実績がちゃんと積み上がっていたということですね。
やっぱり当時話題になっていたというか、やっぱりKOO-KIっていうちょっと面白い会社があってっていうのは、いろんな人から聞いていたし、僕の中ではロボット的なものが動いたりとかそういうのがCGだと思っていた中で、
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江口さんのピックウォークって単純に企画としては面白かったので、ちょっとそういう意味でも興味が湧いたというか。
CGの会社って言ってしまうと、ただ単に制作メインのそういうところに見えるのに、なんかその中で面白いことをやっている人がいるっていうのが。
やっぱりその当時から、その企画から。
そうですね、なんかぶっ飛ばしてたという感じは抱いてましたね。
岡田さんが江口さんと初めて仕事したその洋服のある山は、僕が江口さんと初めて仕事した仕事でもあるんですよ。
だから3人が揃った最初の仕事っていうことなんですけど、その時にはもう俺も、この人が江口館かと思いながら見てましたから。
作っているものは知っているから、見ているから、あれ作ったのがこの人か、みたいな気持ちだった気がしますね。
そこから2007年に社名を空気株式会社へ変更。
この辺りの2007年から2009年で江口さんが関ヌ国際広告祭で3年連続受賞という。
相模オリジナル。
東京のCMとかをガンガン作られてた時期ですかね。
そうですね、多分江口さんの仕事で見かけるものが、いわゆるみんなが聞いたことのある企業のものとかがすごく多くなっていってた時期じゃないでしょうかね。
この頃はちょっと僕は江口さんとはやや疎遠期というか、理由は単純で、頼みたくてもスケジュールが空いてなくて、頼めないというのもあったし。
江口さん自身は全然何も変わらなかったんですけど、僕らの方でちょっと江口さん忙しいよねっていう感じで、その後広島に行くまでの何年間かはちょっとそういう時期があるんですよね。
だから江口さんが活躍してる時は、僕は割と指を加えてそれを見ていたというか、江口さんこのまま東京とか行っちゃって仕事とかもできないかもなぁとちょっと思ったりもしてましたね、その時期は。
そのぐらい江口さんがもうライジングサンというか、あの時期はすごかったですよね。今でもすごいですけど。
そんな時期を経て、2011年にiOSアプリMr.Shapeのタッチカードリリース、そして島村さんジョインですね。
意外と新しいよね、なんかもっと前からいるような。
そうですか、やっぱ青山の時から集結してますから。
前から一緒だからやっぱそうなる。
セットっていうかその揃いでは、仕事はいくつかさせてもらってたので。
2003年頃からですね。
ですけど空気に入ったのはそうですね、2011年の後半でしたかね。
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改めてその2011年頃に空気に入る時の島村さんの中の印象というか。
そうですね、その時って江口さんとはだから外部の監督として何度か仕事もしていて、江口さんはこんな人っていうのは知っていて。
あとはね、モメンさんと白川さんと残るごく一部くらいは知ってはいたけど、ほとんど僕はそのぐらいの人しか知らない。
だからCGを作るチームの取りまとめをしている人とかとかはやり取りがあるけれど、
じゃあ具体的に手を動かしている人一人までよく知らない。人数としてはそこそこいることはわかってるんだけどみたいな感じの。
ちょっと割と謎の会社的印象はありますね。
CMとかも作ってるんだけど、突然あのゲームのオープニングなんだ今度はとか。
この2011年のその白川さんと高村さんで作られてたタッチカードが出た時はどんな感じでした。
僕はその映像とか広告とかしか見てきてないから、こんなもんを自力で作れるんだみたいな感じ。すげーって。
当時ね高村君とかはそのいろいろなんだろうなインタラクティブな例えばタッチパネルを使って何かこの働きかけに対して何か反応が返ってくる何かとか作ってる。
そういうのって普通の映像にはないじゃないですか。こういうこともできるんだみたいな素直に関心ですよね。
そういう人もいる会社なのか多いなあっていう。
空気のそのいろんな上のディレクターの人の話とか聞いてて面白いなって思うのが業界的にも社内的にも生存戦略的に自分の立ち位置をこうしていったらいいんじゃないかみたいな感じで
模索しながら自分の道を決めていってる人が多いっていうか自分は違うところで力を発揮しようみたいなところで
アニメーションとかゲームのオープニングとかをやりに行ったりとかそういう生存戦略的なところがなんか私はすごい好きなんですよね。
でもこのポッドキャストもそうなんじゃない?
確かに。
山内さんの発案だからね。
だってなんならこれが多分会社の人にokもらったのもこれは江口さんからもらったコメントですけど
映像媒体とかだったら多分いろいろ言いたいことが出てくるんだけど音声コンテンツだからもういいじゃん面白いじゃんやってみるよみたいな感じになったみたいな
そういうコメントをもらったことがあっておーなるほどーみたいな
みんな自分の得意分野とかだと口を出す自分ができちゃう人たちなので口を出したくなっちゃうけど自分のかぶらない領域だったらどんどんで面白いことが好きな人たちだから面白いからやってみろよみたいな感じになるというかそれが結構特殊かもしれないですね。
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そこから2013年に江口さんがテレビドラマ明太ピリリが放送開始ということであれですよねあの福岡の朝ドラ的な枠というか。
15分ぐらいでしたかね最初ね。
テレビシリーズでtncさんで放送されてさらに東京オリンピックの招致映像tomorrow beginsで跳ねるという。
無念になりましたね。
ディレクション上原さんのクリエイティブディレクションが江口さんという作品でね。
あれはもう編集が上原さんなんですけどシェイブのタッチカードがリリースされた後2012年に上原さんが空気にジョインってことですか。
僕よりちょいやそんなに空けずに上原さんが入って荷物をいろいろ持ち込んだのにすぐここへ引っ越しになっちゃって上原さん大変そうだなと思った。
人そばから引っ越しかと思った記憶があるんで。
上原さんが入ってすぐにその東京オリンピックの仕事が。
その年の年末とかじゃない。
ですよねだってあのCG作ってたのが生島さんとかあのハートのCGですね。
ですけど年末年始返上してみたいなっておっしゃってますか。
当時あのギリシャ人のCGのスタッフさんがいたんで。
なんでこんなに年末年始詰めて働くんだ。
周りからお前んとこの出し物のせいだろうがみたいな話。
なんとこ発祥の行事のせいだろうみたいな話。
みたいな笑い話みたいなやりとりがあった記憶がある。
だから終わったらお休みに寝ずらしてお休みするから頑張ろうみたいな話ですけど。
仕事も社員も国際職豊かな時期でしたねこの頃は。
確かに。
そしてその後2014年に代表取締役がモメンさんに大丸福岡天神店のキッズフロアハイタッチタウンプロデュースと
今は亡きイムズにて空気の個展。
大空気展ですね。
開催ということで。
うちの会社って割と一般に向けてのPRが製作会社にしては強いというか。
この辺もやっぱり江口さんの生存戦略を感じるというか。
感じる感じる。
やっぱ一位製作会社ではなく空気を名前だけでも覚えててやーみたいな感じがしますよね。
するするする。
この大空気展もコンテとか企画書とかをいっぱい展示して。
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そのCMを見てる側の人が見られないCMの裏側を見せる展示というか。
なかなかほら普段お見せできないその何だろうな各企業のまあ言ったら。
広告上の社外費資料とかばっかりなので本来は。
だから本当にご理解いただいて心よく。
その出来上がったCMをテレビで誰かが見るはともかくその手前の資料だったりするので。
いいですよと言っていただいた本当皆さんのおかげでやることができたんだろうなというふうに思っています。
みんなで一生懸命許可取りの連絡とかもしてましたしね当時。
私あれなんですよ。入る前なんで大空気展には行けてないんですよ。
そうなんですか。
名古屋にいたんですか。
当時そう名古屋にいたのでそうなんですよ。
私も行けてない。
多分インターンに来たのが2014年。2014年の夏とかだと思います。
空気展の後ですか。
ですね多分。
2015年に私が入社させていただいて。
なるほど。2015年か。
飛んでちょっと2017年に東京オフィス開設20周年を迎え。
2018年に福岡市科学館のスケスケ展を企画制作開始。
今北九州でやってます。
スペースラボで1月9日まで開催中です。
プロになるともう福岡市科学館だけじゃなくていろんな展示施設とかの展示物を作るというお仕事も割と増えてきて。
高村さんの仕事もタッチカードからワークワークから展示とかそういう体験ベースのお仕事をどんどん広げていっているっていうところですよね。
同じく2018年に映画ガチ星公開。
完全にもう江口さんは割と長編に行かれてる感じですよね。
そうですね。
さっきのスパーリングの話で言うとなかなかスパーリングができないんですよ。江口さんの物理的なスケジュールが取れないから。
だからメールで送ってそれでまとめて帰ってはくるんだけど。
もう2、3ラリーぐらいしたいところができなかったりとかして。
こちらがね理解が及ばないっていうのがあるんですけど。
前は対面でスパーリングしてたんだ。
そうですね。
前は忙しくてもうなんとか。
例えば江口さんがその撮影が何日も続いてるとかなると、僕らはもうねメールなりなんなりできる手段で送るけど、見て返事もすぐくれるんですけど、
そうかじゃあこういうことですかって言ってそうそうとかいやそうじゃなくて帰ってくるのはその日1日の撮影が終わった後の夜中とかするんですよね。
江口さんは別の撮影をしてるとかね。
そういうことがやっぱり長いものに入っていくと増えていくじゃないですか。
なってくるとどうするみたいなことの。
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広島の時とかは一緒にそれこそ新幹線で3人で乗って県庁に打ち合わせに行ってたし、
あと代理店さん呼んで空気さんで打ち合わせするときも意外と役に立つのは自分に言われてるんじゃなくて江口さんが他の人に言ってること。
他の人に言ってる言葉だったり考え方みたいなやつがすごくこちらのヒントっていうか血肉になるんですよ。
だからそれが江口さんと打ち合わせする最大の魅力の一つなんですけど、他の人に言ってることがものすごくためになるっていうか。
それはめっちゃわかりますよ。
例えば他の人にここはもうちょっとこうしてあしてって関係ないことだけどそれで全体像っていうか。
全体をどうしようとしてるかが掴めるというか。
江口さんって俯瞰力がすごくあるんですよ。俯瞰してその仕事全体を見れる力っていうか。
僕とかはやっぱりどうしても15秒とか30秒中心で生きてるからそんなに上に上がれないっていうんですかね。
その辺しか見えないからだから15秒30秒はいいんですけどその長尺とかもっとグランドデザイン的なことになるとちょっとやっぱり自分でもちょっと弱いところがあるので。
その辺を江口さんの考えを聞くことでなんかその景色を見てたみたいなところがあるから。
だからそのガチ星とかやってた頃はそれがなかなかできない時期ではあったんですね。
江口さんからすると知ったことじゃないよっていう話なんですけど。そんな知らないよっていう話なんですけど。
僕からするとちょっとこう、上手に手効率よくやらないとっていうのは意識はしました。
江口さんのステージが広がるに伴ってこういうところを頼りにしてたんだっていうところが改めて思い知るというか。
そういう時期でもありましたよね。
でもこの時期からモメンさんから岡田さん一緒に仕事やりましょうよっていう感じで増えていった時期だと思うんですけど。
モメンさんに関してはもうシンプルにやっぱり江口さんとの仕事、ひまむらくんとの仕事をモメンさんの目線で見てて純粋に使いたいと思ってくれたんだと思いますけどね。
逆に言うとモメンさんや上原さんもそうかもしれないですけど、
逆に言うとその純広告寄りではない育ちというかいう側のディレクターさんたちからすると、
逆に岡田さんはもうCM広告のエキスパートなんで、逆にそういったバランスの取りをもたらす存在としてつっているお願いの仕方。
だから江口さんとはちょっと違うお願いの仕方って感じがしますかね。
そうですね。
モメンさんもゲームとかモーショングラフィックス系からの出身で、
上原さんもミュージックビデオとか。
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そうですよね。
ミュージックビデオ畑からの空気ですもんね。
アイデアを形にするとかっていうところはいいとして、
じゃあ広告として着地するにはっていうところにやっぱり外部の意見、
自分以外の意見が欲しくなったときに誰にも相談するかというと、
岡田さんの名前が上がるという感じじゃないですか。
確かに山内さんが言われるように、そこからちょっとずつ、
モメンさんとか上原さんとか、もしくは空気の大阪とか東京とか、
ちょっと同じ空気さんの仕事でも別の座組っていうんですかね。
一方で島村くんとは島村くんでまた別のこととかもやりつつなんですけど、
ちょっとずつそんなふうになってはいった時期ですから、
ガチ星とかメンタビリーの映画の頃とかは、そのぐらいのタイミングじゃないですかね。
モメンさんに関して言えば、結構タレントさんで空気ディレクターリレーっていうのがあって、
例えば江頭2050さんは、一番最初は江口さんで江頭さんがパチンコ店の店長だったらっていう。
コア21。
江頭店長物語。
その後、TNCのキョキャンの江頭さんを使った後に、
その間に熊本にやたらパチンコ屋に強いタレントの営業がいて、
いっぱい取ってくるんですけど、また別のパチンコ屋で、
今度は江頭さんをもうちょっとキャラクターっぽく使いたいっていう企画があった時に、
モメンさんにお願いして、江頭さんがいっぱい増殖するみたいな。
あれもモメンさんのリールに確か入ってたと思うんですけど、そういうのをやったりとかしてます。
僕は僕でそのクーキーのディレクターの人の才能を利用させてもらっているというのはかなりありますね。
確かに過去のリールを見ると、
岡田さんのコピーのテイストとやっぱりクーキーの作るものって、
もともと似てるっていうか、相性がいい感じがグルーブがあって。
なんだろう、ダジャレとかね。
岡田さんのプランとかコピーってキャッチーさがすごいじゃないですか。
立ってる。
分かりやすいって言えば簡単ですけど、それだけじゃないとちゃんと印象に残るとか。
でも今、島村君と一緒にやってるやつはちょっとそれとは違うというか、
ちょっと少し大人の感じだよね。
そういうのもあります。
ちょっと哲学を感じるものがあります。
たまにはそういうのもやりますっていうのを一応アピールさせてください。
経営者のしゃべり場。
そんな2018年のスケスケ展とガチ星なんですけど、
2019年にはスケスケ展がね、先ほども言ったように巡回展がこちらからスタートしまして、
スケスケ展は最初、工科士科学館の企画展だったんですね。
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そこから全国、2019年から全国になって、
2019年には大阪オフィス開設、映画ザッファブル公開、明太ピリピリ公開、
2021年は映画ザッファブル殺さない殺し屋公開。
そして来年にはネットフリックスドラマサンクチュアリー。
もうあれですよね、トレーラー一部公開されてましたよね。
そうですね、この前。
あれ見ただけでも十分面白そうっていうか。
そういう口コミ多かったですね。
サンクチュアリーはオープニングとかテロップ周りとかも空気が。
そうなんですね。
オープニングは上原さんが出る。
素晴らしい。
そして来年の夏は、正式名称はまだ決まってませんけど、
映画明太ピリピリ2023、続編ができます。公開されます。
ちょっと遠隔をちょっとざっと選んでいったんですけど、
あれですね、島村さんと岡田さんがやっぱり江口さんとの仕事が色濃くされてるってことで、
空気の25周年というよりかは、かなり江口さんを振り返っちゃったなって。
そうなると思った。
でもちゃんと上原さんとも上さんとも。
そうですね、いただきました。
僕最近、大阪と東京の仕事があったので、8月9月は割と頻繁に、
特に大阪の空気の方に、久保田さんの方に行ってたんですけど、
やっぱり大阪の空気のスタッフも非常に活気があって。
全然違いますよね、福岡の空気と。
ノリが全然また、いい意味の関西ノリがあって、いけいけのノリがあって、
制作のスタッフとかも若いし、面白かったし。
江口さんが長編に行かれた後も、上原さん、茂名さんはどんどんどんどんやっぱり素晴らしいお仕事されてますし、
すごく外から見てるとパワーダウンしてないな。
広告は広告の勢いを維持しつつ、幅が広がったという印象ですね。
江口さんも全然広告辞めたわけじゃないよって言ってましたし、
相変わらずフラットな感じで、面白い映像を自分は作るだけなのでっていう、
そういうシンプルな、長編だろうがCMだろうが、面白ければやるっていう。
申し合わせてはいないんでしょうけど、多分茂名さんも上原さんも同じような、
さしてやられてるのかなと旗から見てて勝手に思うんですけど。
岡田さんがおっしゃってくれてた、全然パワーダウンしてないみたいな、
ちょうど私が入った時期が茂名さんが社長になったばっかりの時期だったりとかするんで、
やっぱそこからずっと社長茂名さんを見てきて、江口さんが代表されてた時の空気を受けての、
そこからの8年ぐらい見てると、かなり茂名さんもガムシャラに頑張られてたな、みたいな感じがすごくしてるんですよね。
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それを身近で島村さんも一緒に見てきたと思うんですけど、
スケスケ展とかに体験とかそういう領域にもいいじゃんいいじゃんみたいな感じで、
やっぱ前向きに推し進めてくれてたっていうのもあったのかなとかって思うんですけど。
ともすれば、江口さんの会社でしょって言われるのは、
そうなんですけど、それ以外の部分をどうしていこうかっていうのは、みんなが頑張ってた部分なのかな。
さらに江口さんがね、ずっと長いものを作ってるかもしれないし、そうでないかもしれないし、
でも江口さんずっと何かしらを作ってるでしょうから、
より幅が広がっているんだったら、いいことなんじゃないでしょうかと思いつつ。
何年か前のケスさんの会議の時とかに、毎年全員社集まって、
今年はこうだったり、来季はこうし、やっていきましょうみたいな感じの機習会的なものを行うんですけど、
その時に江口さんが、ご本人は出席されなかったんですけど、文章みたいなものが送られてきて、
空気っていうのはこういう会社でありたいよねみたいな感じのビジョンみたいなものとかを共有してくれてたような場面があるんですけど、
やっぱりそこから感じ、私が感じ取ったのは、江口さんも空気ってやっぱり江口さんの会社みたいなところが、
やっぱり私もそのイメージはやっぱりまだあるんだろうなと思うんですけど、
やっぱりそれを払拭しないといけないというか、江口さん自身もやっぱり俺の空気じゃなくて、
やっぱり俺たちみたいなところをすごくやっぱり大事にされてるんだなみたいな、っていうのをすごく感じるんですよね。
だから岡田さんから見た空気がパワーダウンしてない、むしろアップデートしているみたいな話を聞いて、ちょっと嬉しい感じがありましたね。
最近で言うと、白川さんの南朝、あれもすごくたくさん賞を取って、どんどんどんどんメディアにも取り上げられて、
さっきのスケスケ展もそうですけど、スケスケ展とか南朝なんとか、ランドマークになる仕事が次々とやっぱり空気の中から生まれ続けているっていうのはもう間違いない事実で、
それは江口さんがさっき言われてた、俺たちっていうところに、もうまさにそういうことなんじゃないかなと思いますけどね。
そこはもう、そこはやっぱり無名さんとか白川さんの中で負けてられないというか、
根底にあるね、その気持ちね。
いつも言ってますもんね。
そうそうそうそう。社長服社長がね。
本当にいい大人なのに。
でも、そこがすごいいいところというか、本当に面白いところだなとはすごい私も思うところではありますね。
じゃあ、こんな感じですかね。
じゃあ、これからも頑張っていきましょうということで、今回はこの辺で終わりたいと思います。
はい、ありがとうございました。