前回は、うちの社長のモメンさんもお呼びして、TriFさんのサークルから始まったっていう成り立ちから、
モメンさんがスシポリスで麻生さんと知り合って、そのスシポリスの経験がメカ腕に行きた、みたいな話からね、
KOO-KIとTriFの関係について深掘ってきたんですけど、今回はそんなTriFさんの放送中のアニメ、
メカ腕について深掘っていきたいということで。
ちなみにメカ腕は今の配信の日には5話目が放送する。
そうですね。
そうですね。オカモトさんに初めに言っておくと、直近であった試写会に原山くんが参加して、その後大興奮で、
メカ腕めっちゃすごい!みたいな。
ありがとうございます。嬉しいです。
めちゃめちゃ勇気づけられたんですよね。こんな作品ができちゃうんだ、福岡でっていうのが。
嬉しいですね。
今回の2回目でオカモト監督がゲストということで、めちゃくちゃテンション上がってるんで。
メカ腕がどうやってできていったのかって話をお聞きしたいなというふうに思ってるんですけど、
ちなみにオカモトさんもメカウデ以前というか、KOO-KIと仕事したことがあられるということで、
オカモトさんが関わった作品としては、
熊本地震の南阿蘇村復興イベントのために制作された最終回の歌。
KOO-KIでは白川がディレクターを務めました。
アニメーション?
そうですね、アニメーターとして参加させていただきました。
確か作画のほとんどやってましたね。
最後のサビのところで、ブワッと花吹雪というか、あるカットがあるんですけど、
そことかすっごいしらかわさんが、やっぱりオカモトさんはすごいんだよみたいな。
って言ってたのをすごい記憶してます。
懐かしいですね。
あれは気持ちいいんだよね。
オカモトさんはアニメ気持ちいいんだよ。
光栄です。
いや、あれいいですよね。
私は熊本出身なんで、ちょっとウルっときました。
今でも会社説明会の時に紹介してます。
概要欄にも貼っておきますんで。
そのか私もCMとかで、オカモトさんに発注したことあると思います。
クルマテングとか。
クルマテング懐かしいですね。
クルマテングやって、オカモトさんにアニメーションを手伝いしていただいたりとか。
銀行のCM?
そうですね。
老金?
ろうきんかな。
結構いろんな、大小いろんなお仕事を一緒にさせていただいてて、
前回の話で言うと、スシポリスの美術設定とか背景とか、
そういうものをオカモトさんが担当されていたということで。
当時はすごいたくさん、背景を描いた記憶がありますね。
毎回国が変わってたんですけど。
いろんな絵が描けて楽しかったですね。
リアルなお寿司の絵をいっぱい描いた記憶がありますね。
楽しかったな。
そんなオカモトさんも交えて、今回話していきたいんですけど。
それでちょっと空気ともお仕事をしている、裏でじゃないですけど、
メカ腕の放送が、今回の今年の放送開始から、
約10年前に遡るみたいな話を聞いてたんですけど。
オカモトさんの落書きから始まったみたいな感じで、
試写会の時にちょっとお伺いしたんですけど。
その辺をお聞かせいただいてもいいでしょうか。
はい。
だいたい10年前、まだ学生だったんですけど、
その頃から空気さんにお仕事をいただいたりとか、
自主制作アニメを作ったりしてたんですけど、
それとは別に全く関係なく息抜きで、
人からメカの腕が生えたイラストを描いてたんですよね。
それもアニメにしようというつもりじゃなくて、
むしろメカとかって描くの大変ですし、
アニメにしようみたいな気持ちじゃなくて、
ただただ描いたことのないものを描いてみようという気持ちで、
息抜きで描いた絵だったんですけど、
その当時一緒に仕事してた麻生に見せたところ、
アニメ化しようという風に。
その時見せてもらったのが、
メカウデのヒロインであるアキちゃんのイラストだったんです。
本当に最初期に岡本監督がプライベートで描いたイラストっていうのは、
主人公のヒカルとヒロインのアキちゃんだった。
その中でも特にアキちゃんのイラストの魅力がすごかったので、
加えて既にも知り合った時には、
僕学でアニメ作ってたんですよ。
そうなんですか。
アニメとは言っても、ミュージックビデオみたいなの。
オリジナルのミュージックビデオみたいな。
1108。
11時8分って書いて1108っていう、
本当に独学で作った最初のアニメ。
そうですね、最初のアニメーション作品。
それをすでに見て、
岡本監督は自分でアニメを作る人っていうのを知ってたんで、
僕もつい後先考えずに、
このキャラクターが動いてるとこ見てみたい。
もちろん監督の力も借りつつですけど、
僕らとトリフで一緒にアニメ作って、
そのキャラクターの元にアニメ作ろうと、
その場でつい言っちゃった。
ストーリーも何もない状態ですよね。
キャラの名前すらなかったですよね。
何もない状態でした。
映画にも舞ってないぐらいの落書きだったんですけど。
それぐらい魅力的だったんですよね。
でもタイトルとロゴはもうあったんですよね。
タイトル、ロゴだけはなぜかメカ腕ってあって。
あのメカ腕の公式ロゴって、
監督自らが最初期に作ったロゴそのままなんですよ。
いつか誰か、デザイナーさんが整えてくれるんだろうなって、
私はずっと待ってたんですけど。
一回頼んだんですよ。
知り合いのプロのデザイナーに、
そういう会社のロゴとか作ってるデザイナーに、
これをちょっと整えてほしいんだけど、
これ完成度高いからこのままの方が絶対いいよって言われて、
整われたんですよ。
だったらもうこのまま行こうって言って、
今に至るまでずっと。
最近ちゃんと作ったのかと思ってたんですけど、
ずっとあったんですねあれは。
ずっとあったんです。
そっから2回ぐらいクラウドファンディングがあったと思うんですけど、
落書きから1回目のクラファンまでの間って、
どんな感じだったんですか?
どんな感じでした?
1回目のクラファンまでは、
まずその落書きから始まって、
これを元にアニメを作ろうってなったんですけど、
いきなり30分とかシリーズものを作ろうじゃなくて、
自分たちもアニメを、
私以外アニメを作ってきた人間でもないですし、
私も個人制作しかやってこなかったんで、
まずは30秒ぐらいのPVを1ヶ月という期間を設けて、
自分たちでどれだけできるのかやってみようということで、
1ヶ月間期間を設けて作ったのが初めで、
それが割といい感じにできたので、
そこからいろんな人の力を借りてクラウドファンディングに挑戦するという流れになりました。
まずは腕試しじゃないですけど、
そもそも自分たちにアニメ作れるのかというのを、
唯一アニメに挑戦したことがあった、
青川本監督にアドバイスとかをもらいつつ、
当時いた河村を中心としたメンバーで、
どうやったら作画アニメーションで作れるんだろうっていうのを、
ノウハウを追求しながら、まず30秒作った。
でもその時にはストーリーはあったんですか?
ほとんどなかったですね。
見たいシーンを切り取って、
主にキャラクターの紹介動画みたいな感じになってると思うんですけど、
こんなキャラクターがいたらいいなっていうのを並べた。
トリフさんのYouTubeに載ってる一番最初のPV?
そうです。
あれですか?
あれはちょっとだけクラウドファンディングする時に、
ちょっと30秒じゃ尺が短いからってことで、
少し追加シーンをやってるので、
一番最初のムービーではないんですけど、
それが一番近い。
最初のクラファンって海外のクラファンでしたよね?
はい。
北米を中心としたクラウドファンディングで、
Kickstarterで実施しました。
なぜ海外のクラファンに?
そもそもクラウドファンディングっていうものが、
国内で認知され始めたのがその頃だったんですけど、
当時は日本のクラウドファンディングがほとんどなかった。
そうなんですか!
ようやく海外でクラウドファンディングっていう文化が生まれたぐらいの時期。
クラファンやろうぜって言ったのは麻生さんですか?
あのですね、そうなんですけど、
ただきっかけはあって、
長崎のハサミ焼きを海外でPRするクラウドファンディングプロジェクトに、
僕らが携わったんですよ。
僕らはその時、広報のお手伝いとしてPRムービーを作ったんですけど、
その時、次はトリフさんもやってみませんか?みたいな。
クラファンっていう仕組みを使って何か挑戦してみませんか?って声をかけられて、
じゃあこのメカ腕っていうプロジェクトを海外で紹介したら、
これがどれぐらいみんなを引きつけるのかっていう、
いい指標になるんじゃないかなと思って。
正直、お金を支援してもらうことを目的というよりかは、
どれぐらい反響をもらえるのかっていうのを知りたかったんですよね。
それでありがたいことに、その時に作ったアニメのティーザーみたいなプロモーションビデオと、
岡本監督自身もカメラの前に立って、プレゼンというかメッセージの動画を作ったんですよ。
英語でプレゼンをしました。
英語喋れないですけどね。
本当は喋れないんですけど。
言語を用意して、すごい必死にカメラの前でこのアニメを作ってみたいから、
ぜひ支援お願いしますっていう。
その2つがすごいいい反応をいただけて、
キックスターターに関しては最終的に999人の支援が集まって、
合計すると当時の日本円のレートで700万円ぐらい。
正直、集まっちゃったって。
どうしようって。
返礼品とか送らなきゃとか。
もちろん送りました。大変でしたけどね。
あまり後先考えず。
海外ですもんね、皆さんね。
大変でしたね。
でもそれよりも返礼品はちゃんと返すことで、それよりも完成させないといけない。
そういうことか。
ゴールはどこに設けてたんですか?
30分の短編を1本作るっていうのをゴールにしてました。
この世界観、このメーカー腕という世界観やキャラクターで1本オリジナルアニメ作って、
それを皆さんにお披露目しますっていうのがゴール。
言ってみればそれまでは自分たちのペースでやってたプロジェクトだったので、
大雑把なキャラクターや世界観というのは用意してたし、
もし作るとしたらこれぐらいの期間かかりますよっていうのはちゃんと打ち出しておいたんですけど、
想像以上の支援が集まったので、
そこで一気に責任が生じて、
これは何が何でも完成させないといけないという風になったのはそのタイミングでした。
声優さんはその時に決まったんですか?
クラウドファンティングの時点ではこの方が演じますよっていうのはお伝えしてなかったんですけど、
この30分の作るにあたって声優さんにオファーして、
今のシリーズ化と同じ方々にオファーされてたんです。
支援が集まって本格的に作ろうってなってから、
ストーリーとかキャラクター設定とかを深掘りするにあたって、
その時に役者さんへのオファーを決めてたっていう感じですね。
クラウドファンティングをやる時点では、
役者さんもおろか、シナリオもキャラクターの名前すら決まってなかったですよね。
キャラクターの名前なかったですね。
主人公、敵、ヒロインみたいな、そんな感じでしたね。
今でもキックスタートのページで残ってるんですけど、
多分見に行ったら分かると思うんですけど、
キャラクターの名前書いてないですもんね。
デザインはもう出来上がってたんですけどね。
そこからシナリオや世界観ってどんな風に構築していったんですか?
フワッとあった世界観やストーリーを30分にまとめないといけないので、
これは本格的に考えないといけない。
そもそも先ほど役者さんの話が生産の話が出たと思うんですけど、
僕たち生産とお仕事したことなかったんですよね、当時。
どうやったら役者さんへのオファーとかできるんだろう?
お話よりも先に声どうするんだろう?音楽どうするんだろう?
その側の方が気になってましたね。
地元の役者さんとか、ローカルで活躍された役者さんとかの
ツテはあったんですけど、
やっぱりアニメに声を吹き込む、いわゆる声優という職業の方って
プロフェッショナルじゃないですか。
誰でもできる技じゃないじゃないですか。
だから本格的にアニメを作るにあたっては、
ちゃんとした技能と実績を持った役者さんに
お願いしないとっていうのはあったんですよ。
何のツテもなくて、方法もわからなかったので、
どうしようかなって思った時に、
同じ福岡で活躍されてるCyberConnect2の松山博司社長の顔が
真っ先に思い浮かんだので、相談しに行ったんです。
ご存知だったっておっしゃってましたね、試写会で。
キックスターターのフラファンを、
あ、そう、お話を聞く前に。
こんなのやってるんだなーみたいな。
すでにご存知だったので、話は早かったんですけど、
僕自身は10年ぶりぐらいに会ったので、
ちょっとアドバイスもらえればいいかなぐらいのつもりで、
相談したら、任せとけみたいな感じで。
最初はその役者さんへのオファーの仕方とか、
アニメの音響ってどうすればいいのかなっていうのを聞きに行って、
それを教えてもらうぐらいのつもりだったんですけど、
俺に全部任せとけみたいな感じで、
何でもアドバイスしてやるってことで。
最初呼ばれたんですよね。
サイバーコネクト2の本社に。
呼ばれて行って、僕らはまだその時は、
声優さんとかどうするんだろうとか、
それぐらいのつもりで行ったら、最初の一言が、
目標は何なんだって。
目標は30分アニメ作ることですけどって。
俺言ったはずだけどなと思って。
言ったら、そこから松山節が始まるわけですよ。
思い出作りなら、それでいいけど。
お前らそれでいいのか。
そんな思い出作りだけでいいのか。
お前らが本当に目指したいのは何なんだ。
テレビシリーズ作りたいです。そこで。
引っ張り上げられたわけですね。
それは岡本監督の心の底から、
12話作りたいっていうのが出てきたんですか。
12話かどうかは分からないですけど、
1本で終わらせずに、
世界観を広げていきたいなっていうのはあったので、
シリーズ化したいですっていう風に言いましたね。
すごい場面でしたよ。
それそれみたいな。
そこから毎週1回松山さんと話し合いが始まって、
そもそも僕らは目先の30分アニメを完成させて、
最初の支援してくれた方たちに、
30分のアニメをお披露目しなきゃいけないという、
そこだけでも結構なハードルだったのに。
期限も決めてたので、
いついつまでに30分作りますっていう風にお伝えしてたので、
まずそれを守らないといけないっていう気持ちが、
あったんですけど、
その30分作る前に、
シリーズ化を前提としたコンテンツとして、
シリーズ全編のシナリオ、プロットを決めていきましょうっていうのを、
毎週打ち合わせさせていただいてたっていうのがあります。
一気にハードルをグイッと上げられちゃって、
でも当然僕らもそれでやる気も出ましたし、
なんでそこから毎週1回のビーティングで、
そこから逆算して今何をやるべきかっていうのを決めてて。
それでもう1回クラファンをしたんですか?
12話作るために。
クラファンをもう1回したのは全然全く別の理由で、
最初に話した通り、
クラウドファンディングっていう認知度がまだ低かったんですよね。
まだ当時は日本でもそんな認知度が低かったんですけど、
メカオデを作っていく途中で、
だんだん日本でもクラウドファンディングの仕組みっていうのが出来上がってきて、
Kickstarterと同じようなサービスで、
国内でもCampfireというクラウドファンディングのサービスが立ち上がったんです。
最初のクラウドファンディングでは、
主に英語圏の人たちへのアピールだったので、
だったら日本語でもう1回日本国内でもしっかりとメカオデっていう企画をアピールして、
支援も是非いただこうということで、2回目をやったという感じで。
その時にキャラクターの名前も流石に決まっていましたし、
ある程度作っている途中だったので、こういうストーリーが決まったというのは。
1話目、制作中の間に日本でクラウドファンディングされた?
そうですね。
なるほどですね。
ちなみに、最初のほうがさっきの話だったんですけど、
1話30分を作るのにどれくらいかかったんですか?
制作に入ってからは7ヶ月くらいかかっちゃいました。
でもさっきの、いわゆるプリプロですよね。
仕込みの時間が、1話を作る仕込みじゃなくて、
全然12話を作るための仕込み。
準備ですよね。
実際の制作に入るまでのシナリオを練ったりとか、
シリーズ構成とか世界版とかキャラクターとかを練る時間に、
多分1年かかりましたね。
それプラス7ヶ月なので。
実際に完成したのは、パイロットエピソードが2018年ですね。
クラウドファンディングで、
最初のクラウドファンディングは2014年で、
2年後にパイロット版が完成した。
それまではあれですね、
TRIG STUDIOさんのメンバーがそこまで増えてないというか。
増えてない。
増えてないですよね。
岡本監督と河村含めてメインスタッフが6人くらいしかいない。
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
お手伝いとか言ってたら、
しかもその中のアニメーターとして絵が描ける人間は、
しかもその中のアニメーターとして絵が描ける人間は、
監督が1人だったの。
1人だった?
はい、アニメーターは。
1人で使ってる?
でも、1人で絵を描くことはできないので、
通常のテレビアニメのアニメーターのように、「0のラフから書き始めて、
1羽分を描いてからが当上の枚数なのかと思います。
一羽分書くのはさすがにあの難しかったので 俺こそカープ cg のカームラの力を借りたりしながらまず cg でレイアウトやラフを組ん
でそれをトレースしたり レタッチしたりっていう形であの380カット
かきましたそれでも380 やばい大体その
カーメラがあの cg で最初にレイアウトと動きを大体設計してくれて あとはもうすでにプロとして活躍されてた
アニメーターさんにお願いして ラフの動きだけつけた
それを監督自らが380カット全部聖書するみたいなもちろん 作画だけが役割者
あらゆることをやってますけど でもそのかもと監督的にこう動いた方が気持ちいいみたいなのがあられましたよ
ありましたねアニメーターですからね 自分でコントロールしながらかけてましたね
そうする最初のコンテみたいなのはかもとさんが書かれたんですけどもはい コンテは私の方で切ってそれをもとに cg レイアウト
あでもここで切ってないしあコンテって言うコンテじゃねーよではないですが v コンテ かもと監督が書いた絵をいきなり映像にしちゃって
うーん4本と監督がも自ら全キャラを声を吹き込んでこんな感じで行こう ウィッコンってプリビ図を絵コンテに逆に戻したしてました
a 主映画 コンテの必要性は分かって言ったんですけど
これ全部凍ってかない軽減ちょっときついよね 監督がやりたいことをもう速攻で映像にしちゃったん
ただ進めていくうちにコンテはコンテで必要ということになって 例えばその音響スタッフに効果音とか
あと役者さんのアフレコの時 コンテは必要だってことになったんでそのためだけに
後付でコンテを作ったそういう意味で戻すという作業だったんです それぐらい手探りでアニメ作ってたんですよ最初は
イオン未満でしたねーまでで自分たちのできる範囲で カーブラがやり方を考えてくれる
演出に関してはそのみんなでアウトコーダー言いながら感じで組み立てていったんです 何個重ねて繰り返しながら池出し合いながら決めていきました
イメージが固まったのはやっぱり監督がプリミズを作った映像としてブレーズ形にした時点で これ面白いのできあがるって実感したのそこでしょ
それまではコンテやシナリオの段階で あーでもないこうでもないみたいな感じで本当に面白いのかなーみたいな感じだったんですけど
監督がプリミズという一つの映像にしてくれて 面白いっていうのが初めて実感できた
そういうイメージがあったんですよ 監督がプリミズという映像にしてくれて