00:06
はい、こんにちはカズです。今日のタイトルは、さらにそれでもどうにもならない時は…ということでね、やっていきたいと思います。
これは以前の音声配信で、どうにもならない時はこれやってくださいっていうタイトルの音声を、この前上げたわけなんですけど、
その内容っていうのはね、苦境に立たされた時ですね、基本的にはワクワク楽しくご機嫌さんでいれればいいわけなんですけど、
そして恋したうわよっていうガイダンスに従って地球で遊んでれば基本的に無敵なんですけど、
なかなか人生いろんなことが起こるので、そうご機嫌さんにニコニコしてばかりもいられないっていうね、事態も必ずどっかのタイミングであるわけなんですよね。
だからそういう時にどうすれば、どう対処すればいいかという話をしたわけなんですよ。
そして、どうにもならない時はこれやってくださいっていう以前の配信では、こういうピンチの時は自分宇宙にとりあえず招き入れる、許可する、丸をつける、一家って言ってみるっていうね、そういうことをご紹介させてもらいました。
自分にとって好ましくないことが起こった時にそれを跳ね返すように、こんなこと起こるべきじゃないみたいな、こんなことは間違ってるみたいな感じで判断してしまうと、これ現状否定っていうことになってエネルギーがより重たくなっちゃうわけなんですよね。
だからそれよりかは、そうやって自分で抵抗を生み出しちゃってる感じなんですよね。
そうすると、現実を敵にしちゃうっていう感じになって、すごく苦しくなります。
なので、どうすればいいかというと、否定しないで、抵抗を生まないで、その抵抗を外せばいいわけなんですよね。許可すればいい。
だから現状肯定すればいいっていうことなんですね。
それが自分宇宙に招き入れる、その現象を自分で許可する、OKする、いいよ、自分宇宙に入ってきてもいいよ、みたいに自分宇宙に招き入れる。
例えば、ドラゴンボールで悟空が天下一舞踏会の時に父から結婚を迫られた時、結婚してくれ、みたいに父が言ってきた時に悟空はどうしたかっていうと、こういうノリなんですよね。
最初は戸惑うんだけど、まあいっか、よしじゃあ結婚すっか、みたいな感じで、すごい軽いノリで結婚したわけじゃないですか。
このノリにしちゃうといいっていうことですね。まあいっかっていうのはね。
03:06
そうすると心の抵抗が全くないので、苦しみが必要以上に生まれないっていうことなんですよね。
以前の配信ではそんなことをお話しさせていただきました。
でもここまで踏まえて、でもこれができない時もあるっていうことなんですよ。
これができないっていうのは自分宇宙に招き入れる、許可する、まあいっかっていう。
これができない時も現実問題あると思うんですよね。
現状肯定ができない時ですね。
そうした時にはどうすればいいかっていう、さらに深掘りしたような内容を今回は喋っていきます。
まあいっかが言えない時。
そんな時はどうしたらいいかっていうと、その時はこれをやってくださいっていうことです。祈るです。
これがもう最後の取り入れだと思います。祈る。
祈り方っていうのは別に何でもいいと思うんですよね。
宗教的なキリスト教とかいろいろ祈りのパターンがあるし、
だからそういう何らかのパターンがあればそれを使って利用してもらうのもとってもいいと思うんですよ。
祈り方ですね。
昨日僕の音声の配信で当社シルバーの祈りの言葉っていうのをあげさせてもらったんですけど、それもこの祈りのパターンの一つですね。
あれはね、最愛の神よ私を変えてくださいっていう、自分を変えてくださいっていう文の祈りなので、すごくいいなと個人的に思っているわけなんですけど。
別にパターンがないとか思いつかないなら別に何でもいいと思います。
祈るって言うとちょっと宗教チックになっちゃうんですけど、願うでもいいと思うんですよ。
あともう神様助けてだけでもいいと思うんですよ。
これが最後の取り入れだと思うんですよ。
これだったらどんな状況でもできるじゃないですか。
これ別に身体が満足に動かなくても、言葉がしゃべれなくても、つまり意図できればいいっていうことですから。
意識がある限り意図することはできるじゃないですか。
だからもう本当に最後の取り入れて、どんな状況でも祈る、願うっていう意図はできることだと思います。
僕も昔は人生のどん底にいる時なんかは、もう涙流して震えながら、神様助けてって心の中で叫びながら、むせび泣きながらスピーポーン読んでたりした時期もあったんですけど、
06:12
結構ね今見たらやべえなっていう感じなんですけどね。
でもそういうののおかげもあって、本当に人生がすごくゆっくりでしたけど、いい方向に全体的に展開していったなっていうのは今思うことなんですよね。
あの時の自分の、祈ったつもりもなかったんですけど、でも本当に心の中で救われたいって願ったんですよね。
意図したっていうか。
その時の思い、自分の思いっていうのは本気だったと思うんですよ。
だからあの時本気で、もうこんなのごめんだ救われたいって本気で思ったから、願ったから、人生いい方向に行ったんだろうなーって今なんとなく思うところはあります。
で、さっきも言ったんですけど、これがねやっぱりね本当に最後の取りで、だと思うんですよ。
どんな状況でもこの祈る、願う、意図するっていうのはできるわけなんですよね。
別に口に出さなくていいし、その意図するだけでいい、願うだけでいいっていうことですから。
で、これ何の意味があるのっていう話なんですけど、さっきもまあちらっと言ったんですけど、あの僕の例でね。
言ったんですけど、なんでこれやると祈る、願う、意図するがいいのかっていうと、
その理由はですね、あなたが宇宙の中心であってあなたが創造主だからなんですよ、っていうことなんですよね。
そのあなた宇宙の中心点であるあなたが全力で願うことができれば、あなた宇宙っていうのはその全体がですね、そちらの方向へ引っ張られる、そっちへ引き寄せられるっていう、なんかそういう力が働くっていうことなんですよね。
で、あなたが自分宇宙の創造主なんだから別にこれ、なんかミラクルなことでも実はなくて、実は自然なことなんですよね。
あなたがだって本気で願ったんだからそうなるに決まってるじゃないですかっていう感じなんですよね。
なので、なんか理屈的にはそういう感じかなと思うんですよね。
で、えっとですね、今回のこの祈るの話、祈る願うの話っていうのは、さっきも言いましたけど、どうすればいいんですかっていうね、ピンチの時どうすればいいんですかっていうのの答えとして、
以前の配信で自分宇宙に丸をつけてくださいよ、許可してくださいよっていう、まぁいいかって、その現状肯定をしてくださいねっていう話をしたんですけど、
それがさらにできないときに、じゃあどうすればいいのかっていう流れで今回の話は話してます。
09:00
という、だからこの流れをちょっとね、踏襲していくと、じゃあこれ、これってのは祈りですね。
祈り、願いができないときはどうすればいいですかっていう質問がね、その思考で考えたら出てきそうなもんなんですけど、
これはもうね、あのさっきもからずっと言ってますけど、もう最後の砦ということなので、事前の策っていうのはありません。
これはないと僕は思います。だから本当に祈る、願うっていうことがもう本当に最終防衛ラインというか、
もうなんか最後のハウツーというか、じゃあどうしたらいいの、最後の行き着く先、最後の砦は祈る、願うだなーって本当思いますね。
で、なんでこの事前の策っていうのがないのかっていう話をね、ちょこっと補足的に言っとくと、
これなんで祈る、願うの事前の次がないのかっていう話はなんでかっていうと、
ここまで来て祈ることができないとか、願うことができないとか、意図することができないんですよとか、どうしてもそう願う、本気でそう願うことができないんですよって言うってことは、
それはすなわちですね、本当にはそれを望んでないっていうことだと思うんですね。本当にはその状況が本気で嫌ではないんだなっていうこと、
本心ではその状況を自分自身で望んでいるんだっていうこと、そういうことを意味すると思います。
そういうピンチの時に祈ることができない、願うことができないっていうのはそういうことだと思います。
だからいくら現実が辛い辛いとか言ってても、その現実に嘆いていようが、生きどっていようが、こんなのもうごめんだって言ってようが、すごい旗から見て困り果てていようが、
だから状況的にどんだけ救われたがっているように見えても、その状況において祈らないのならば、願わないのならば、
その時はね、自分の深い心の奥底では本当の本音はその状況を自分で望んでいるんだっていう理解だと思うんですよね。
以前の配信で潜在意識とは本音のことだっていう、本音と言い換えても構わないよみたいな話もしたんですけど、そういうことだと思うんですよね。
これまあなんか厳しいこと言ってるようで、そうでもないと思うんですけど、もしそうだったら、それならそれでいいじゃないかっていう話だと思うんですよね、僕は。
だってその、生きどってたり、嘆いてたり、困り果ててたりするように、なんか外から見えても、自分の潜在意識的にそう思っていても、
12:05
でも祈ることをしない、願うことをしない、その後に及んで祈りも願いも意図することもしない、できないよって言うなら、自分は本当はそれ望んでないんですよね、きっと。
本心で望んでないんだったら、別に自分の本音で望んでないんだから、いいじゃんっていうことを言いたいわけなんですよね。
だから何も問題ないですよねっていう話だと僕は思うんですよ。
なんかね、この話をした時に、この話に抵抗を感じるというか、いやそんなことありませんみたいに言いたくなるっていう、
なんか祈ること、願うことはしてないんだけど、でも現実が気に食わないんです、こんなこと僕が望んでるはずないじゃないですかとかっていろいろ言う、でも祈ること、願うこと、意図することはできないんですよ。
そういうことを言ってくる人が仮にいたとしたら、僕はこれは自己欺瞞だと思うんですよね、これは。
だから自分で自分に嘘ついてるという状況なんだと思うんですよ。そうじゃなかったら祈る、願うっていうのは絶対できるはずですからね。
というわけで、まあつらつらしゃべってきましたけど、祈る、願うですね。意識があるなら体がたとえ動かなくても、しゃべれなくても、認知症でも祈る、願う、意図するっていうのはできます。
意識があれば意図できるっていうことだからなんですよね。
この意図するっていうのがこの意識というものの機能の本丸、本質なんじゃないかなと思います。意図するっていうことがね。
そういうわけで最後にちょっとまとめたいんですけど、だからちょっとまとめて今までの前回の配信まで含めておさらいさせてもらうと、ピンチになった時、不況にされた時っていうのはこのような三段構えをやってください。
まず一つ目、捉え方をなるべくポジティブなものに変えてみる。捉え方を変えてみるっていうのが一番目。
これはよくよく考え直したら自分って恵まれてるよね。感謝みたいに持ってきれば最強なわけで、これできるんだったらこれが一番いいので、まずこれをやってみようとしてください。
コップ、もう水半分しかないよってみるのか、いやまだ水半分もあるじゃないかってみるのかっていうことです。
15:01
これによって捉え方を、物事、現実の捉え方を自分が意識的に変えることで捉え直してみることで幸せになることができます。
これがまずやってほしい一つ目、それができないときは二つ目です。
二つ目は一家っていうやつです。OK出す、許可する、自分宇宙に招き入れる、OKする、つまり現状肯定ですね。
捉え方がポジティブな捉え方、いい捉え方にできなかったらせめて丸をつけてください。
一家っていう現状肯定してください。これが二つ目。
さらにそれもできない場合どうしたらいいかっていうのを今日話したんですけど、これが3段階目で祈る、願う、意図するです。
神様助けてくださいって本気で願うってことですね。これがもう最後のとりで。
4番目はありませんっていうことでした。その理由も話しましたね。
というわけでピンチの時はこの3段構えでやってみてください。
これかなり主観的幸福度のセーフティーネット3段階みたいなね。
この順番で対処していくのがすごくいいと思うので是非試してみていただければいいんじゃないかなと思います。
そういうわけで今日の話はここで終わりにしたいと思います。
お聞きくださりどうもありがとうございました。