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おはようございます、まーくんでーす。
今日は9月20日の金曜日ですね。やっていきたいと思いまーす。
最近何度か紹介している、「心のティースプーン」という本。
カビエル・ガルダダさんというキリスト教の神父の方の教話をまとめた本で、
キリスト教系の学校に通う保護者向けた教話なので、
ガチガチのキリスト教チックな話ではなかったりする。
仏教の方だったりね、特に何も信じてませんっていう方も保護者の中にいたりするはず。
世間一般的にわかりやすいような話を、キリスト教の聖書の話も交えてしていきます、みたいな本なんですけど。
結構これ、僕好きで読んでるんですよね、今。
クリスマスの話してたんですよね。
クリスマスって、キリストが生まれたのが25日だったはず。間違えたらすみません。
クリスマスに近いときにやった教話の回の話だったんですけど、
キリスト教にとってのクリスマスってこういう日なんですよ、みたいな話から始まって、
神様をより近くに感じる日なんだ、感じられるようにしたい日なんだよね、みたいな。
神様とはいつも近くにいるはずなんだけど、それより近くに感じる日なんだ、みたいな話をしてて、
へーっと見ながら読んでたんですけど。
神様とより近くにいることを感じるとか、神様とより近くにあるためにこういうおまじないをするんだよね、みたいなことを言ってて。
ちょっと一時期あってるからなんですけど、主よ。神様ですね。イエス・キリストも主と呼ばれるんですよね。
主よ。あなたがおっしゃりたいことをこの人に言わせてください。っていうフレーズですね。
誰かとコミュニケーションする際に何か難しいこと?
例えば交渉の場?交渉の場で言うのかな?わかんないけど、親子関係で相手の耳に痛いことを言わなくちゃいけないとか、だと思うんですよね。
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そういうときに自分が何かを言おうとすると、ちょっとこじれそうなとき。
自分の主観が入り込みすぎて、気持ちが入りすぎて、自分の気持ちを相手に言うだけだと話がこじれそうなときに、
このフレーズを心の中に念じるといいですねって言ってたんですよね。
主よ。あなたがおっしゃりたいことをこの人に言わせてください。
結構これ僕好きで、なんかねコーチングっぽいなと。
もちろんテクニックとかメンタリティ、心構えを磨いて、プロコーチとして連達、キルを上げて、クライアントに臨んでいく。
そうするとその場に適した質問だとか、相手への向かい方とかできるはずなんですけど、
やっぱりね、どうしても今まで扱ってこなかったケースとか、すごい重いケースとか、どっかのタイミングで接することになるはずなんですね。
そうするときに、どうしようもできないよって思っちゃったときに、
なんかこのフレーズにもしかしたら助けられるんじゃないかなと思っていて。
自分で何かできるかわからないけど、神様なんとかしてください。
神ダメのみかよって言われちゃうとね、なんとも言えないんですけど、ただまぁそうだな。
わかんないですよ。僕はキリスト教の別に信者じゃないですけど、
全知天皇の神なら、この人にいい塩梅に何か俺に言わせてくれるはずっていう。
何かそういう最後の手段的なのはあってもいいのかなって思って、
このフレーズを頭の中に覚えておこうと思いました。
自分だけじゃもしかしたらなんとかならないかもしれないけど、
神様が私に言わせたことだったら何か意味があるはずみたいな。
なんかそういう手放し方、神様を持ち出してくるかはわかんないですけど、
なんかどっかのタイミングで、そういう自分の思いもしない、
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自分のアイディアを超えていくみたいな、自分を超越した何かことが起こるのを期待するっていうか、
そうなるはずというか、何かそういうものにすがらなくちゃいけないとか、
なんて言うんだろうなー、そういう自分を超越した何かの存在に抱かれていることを信じるっていうかね。
なんかあるんですよ、きっと。
すごい抽象的な話になってきましたけど。
神様じゃないにしても、タイトルになんとかなれって書いてあるんですけど、
ちいかわ僕好きで、ちいかわよく見てるんですけど、
ちいかわのすごくピンチになったときに、ちいかわの友達の8割が、
なんとかなれって言って何かやると本当になんとかなるんですよね。
なんとかなれって言ってるときは、めちゃめちゃピンチなんで、
見てるほうからしても、これどうするんだろうなーって思いながら見てるわけなんですけど、
なんとかなれってやるとなんとかなっちゃうんですよね。
なんとかなれって言ってるときに、
何かの自分の想像を超えた何かが起こることを最後にお願いしてなんとかなれってやってると思うんですけど、
なんかあれに近い気がする。
なんとかなれ。
主要のフレーズは、なんとかなれに近い気がする。
なんとかなれでやって、もうダメだったらしょうがないよーって。
ダメかどうかわかんない。
本当に長いスパンで見たらなんとかなるかもしれないしね。
わかんないですよ。
なんかそれに近い気がするんですよね。
なんとかなれ。
なんかそれとは対照的に、
昔国語でやった、中学校あたりで平家物語をやるんですけど、
平家物語のフレーズかな。
扇の的ってんがあって、船の上に扇が立ってる。
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それを射抜け。
なんでそうなったかちょっと経緯を忘れちゃったんですけど、
それで弓の名手が来るんですよね。
弓の名手、那須の与一が来るわけですよ。
那須の与一が扇の的を射抜くんですよね。
射抜くときにお願いするんですね。
神様にすげーお願いして、
これ外したら俺、弓を折って自害するっていう、
すげー覚悟を決めて撃つんですけど、
それは弓を射抜くっていうことについてお願いをしてる感じ?
なのでなんとかなれえと、その辺は対照的だなと思ったんですよね。
すげーこれやりたいんだ。
これを絶対やりたいんだ。
こうなってほしいんだってお願いするか、
とにかくなんでもいいのでこれをなんとかしてください、神様な感じでお願いするかは、
人それぞれスタイルがあると思うんですけど、しっくりくるやり方。
特に対人関係とか、僕コーチングやってくるにあたって、
何か結果を自分の中でこうなんなくちゃいけないって言って、
それを期待してお願いをする、お祈りするより、
なんとかなれえの精神で、自分の想像もつかない何かが起こる、
良いことが起こるのを期待して、主要のほうが、僕はしっくりくる。
神様を自分の中に置くかは置いておいて、
何かわかんないけどいいことが起こりますように。
短期的に何かいいことが起こってないように見えても、
長期的にいいことにつながっていくんだろうっていう、
何かそういう意味があるという見方をしていくといいのかなーという気がした次第です。
なんか抽象度高い話になってきちゃったんですけど、
なんか参考になれば幸いでーす。
ではまた明日。さよなら。