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こんにちは、カズです。先ほどなんですけど、なんかね、休日で時間はたっぷりあって、
で、何かこう、本を読んだりとか、有意義なことをしたいなぁと思ってたんですけど、何かわかんないですけど、ちょっと焦っちゃって、気持ちが。
で、落ち着かなくなってたんですよね。で、何をしたら一番、なんだろう、有意義なのかとか、
考えちゃって、でも、なんか、もっとリラックスしたいような気持ちもするんだけど、それだと、
なんか怠けてるような気がしちゃうし、みたいな、なんかね、無意識でそんなことを考えてたような気もするんですけど、とにかくまあ落ち着かなかったんですよね。
それで、たまたまね、最近ちょっとハマってる、あの当初シルバーのね、本を何気なしにパラッとめくってみましたら、
えーっと、なんかすごくいいことが書いてあって、それでね、落ち着いたんですけど、
あの、こんなことが書いてあったんですよね。 えーっと、
きっと大抵の人は、無意識のうちに至るところで彼女を探し求めている。 この彼女っていうのは、まあ、要するに神のことですね。
私たちは、これが目的地だろうか、もう肩の荷を下ろしてもいいだろうか、安心していいのだろうか、
ようやく自由になれるのだろうか、と言いながら、ひっきりなしに世の中に目を走らせる。
でもどこかで、この無常の銀河で、誰もどこもそんな逃げ道を与えてはくれないとわかっている。
何事も移り変わる。 何か特定の職業や生活の糧、あるいは人間関係を救いにはしたくなる。
するとたちまち、最も固く握りしめた者の奴隷になる。
しかし、神を自分の源とするなら、何も持たず、楽に健やかに人生を渡っていく。
なんであれ、望む者をやって来させ、去るべき者を去らせてやる。
っていう、このページのここですよね。なんかここを読んだ時にすごく、ああ、そうだった、みたいなね。
あの、なんか自分塾に戻ってこれたんですけど、なんか本当にこういうことだなと思いました。
えーと、僕たちは多分この世界っていう、なんかよくわかんない3次元体験のこの場所にですね、
まあ何か潜在的な不安を抱えてますよね。
で、だからその潜在的な不安があるから、今度こそ自分が本当に心から安心できるための何かっていうものを、
なんかずっと無意識に探し求めていて、で、そんな目でね、世界をずっと見渡して探してるんですね、それを。
無意識化で、ここがゴールなのか、もう肩の荷を下ろしてもいいのかな、もう安心してもいいのかな、ようやく自由になれるのかなっていう、
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こんな問題意識でずっと世界に目を配りながら、その何かっていうものをずっと探してるんだと思います。
で、その何かですけど、それっていうのは、例えばね、一生安泰だと言われてる一流企業への内定であるかもしれないし、
まだ見ぬ最愛のパートナーかもしれないし、最新の自己啓発プログラムかもしれないですし、
巷で悟りって呼ばれてるような、何かパーフェクトで神秘的な人間、人生へ変容することかもしれないし、
なんかね、いずれにせよ外側の世界のどっかにその何かっていうね、なんか天国へのマスターキーみたいなものですね、
その根が落ちてないかなって、ずっと多分無意識から探してるんですよ。
しかし、不安になる原因はまさにここだったんだっていうことに、この当社の本を読んで、
本当にそうだなって思い出したんですけど、
っていうのはね、その天国へのチケットみたいなね、何かっていうのは外側にはないっていうことなんですよ。
外側っていうのは、以前シャボン玉宇宙の話をしましたけど、
そのシャボン玉の、あなたが作っている宇宙ですから、あなたの作っている宇宙、シャボン玉宇宙の表面に映る、
そのね、シャボン玉の表面に映っている映像の中には、つまりこの世界の中にはですね、その何かっていうのはないんですよ。
っていうことなんですよ。
なんかね、外側のその映像の中、この世界でその何かが見つかると思って探している間は、ずっと不安なんですよね。
不安が消えないと思います。
なんだけど、なんかそれっぽい何かっていうもの、
さっき挙げた一流企業の内定だったり、最愛のこびつだったり、自己啓発プログラムだったり、
たくさんあると思うんですよね。ちょっとほっとするような、
もしかしたらこれで人生安心できるかもしれないっていう、私の人生大丈夫になるかもしれないって思う何かっていうものを時々見つけると思うんですよ。
なんですけど、
結局それでずっと安心安全で過ごすことはできないことに、そのうち気づかされると思います。
で、それに絶望して、じゃないですけど、
なんかその私が見つけたその何かは、
なんか一時的には良かったけれども、なんかわかんないけどまた満足できなくなってきた、不安になってきた。
じゃあ次の何かを探さなきゃって無意識かで思って、
また世界に目を向けて、何かは自分が本当の自由平安安心を得るための何かをこの世界の中に探してるんですよ、僕らは。
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なんですけど、不安の本当の根源はまさにその世界の中を探すこと。
シャボン玉打ちの表面の映像に答えを求めること。外側に答えを求めること。
不安の根源は本当にここだなって思うんですよね。
自分が心の平安を求めて、外側の幻想を漁っていただけだったんだって気づいて、
内側に戻ること。内側っていうかな、自分の心に戻るというか、
宇宙の中心は自分だったんだっていうことに気づくこと。ここに戻ること。
世界はここから生じて、今もここを中心に展開されているんだっていうこと。
こういうパラダイム、こういう視点に落ち着くこと。
このパラダイム、この感覚を離れたから不安になったんだっていうことなんですよね。
最初からここにいれば一切不安もなく、
自分が宇宙の中心で、自分が原因で世界が結果なんですから、
それが逆転してたっていうことなんですけど、
このパラダイム、この感覚に落ち着いた途端、すごく安心するわけなんですよ。
この世間的な常識のパラダイムだけで生きてきた人には、なかなか理解し難いことかもしれないんですけど、
でも、形を指定してはいけないっていう音声も前に録音したんですけど、本当にその通りで、
そのシャボン玉宇宙に映っている映像に固執する、執着すると、それは実は一番不安定なものなんですよね。
物質とか、その映像っていうのは人生のありよ、形っていうものは、実は一番そこが不安定なものなんで、
そこに自分の安心とかを求めてしまうと絶対うまくいかないんですよ。
なんですけど、一番内側に戻ればいいんですよね。内側っていうのはシャボン玉宇宙の内側です。
つまり、自分自身の心というか、自分が全ての宇宙の中心であり、原因だったんだっていう、そういう気づきですね。
ここに、この本当のゼロポイントみたいなところに戻ってくること。
これが、僕らが最初からずっとこの世界に血まなっこになってですね、目を走らせて、
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本当の安心はどこだ、自由はどこだって探し求めているのは、結局ここだったっていうことなんですよね。
なんかね、すごく言語化しにくい話だなと、僕も思い返して、ちょっとね、これどうしたもんかと笑っちゃうくらいなんですけど、
こういったことが、結局スピリチュアルの神髄であると思っているので、今後も楽しく気ままに情報を発信していきたいと思います。
じゃあ今日はこのくらいで失礼したいと思います。ありがとうございました。