うどんの寓話の始まり
はい、こんにちは、カズです。
今日のタイトルは、「天国と地獄のうどんの話」ということでやっていきたいと思います。
天国と地獄のうどんの話です。これをしていきたいと思います。
これ、どういう話かっていうとね、元は仏教のお話らしいんですけど、
天国と地獄があるんですよ。それぞれうどんを食べてるっていう設定なんですね。
そのうどんなんですけど、すっごい熱々のうどんで、すっごい大きな釜に入ってるうどんなんですね。
熱々ですごく大きな釜にうどんがたくさん入ってて、それをみんなで包いて食べてるみたいな構図なんですけど、
でも天国と地獄で全く様子が違うんですよね。
そのうどんを食べるときにですね、すっごい大きな釜なんで、箸もすっごい長いものを使ってるんですよね。
1メートル以上ある長い箸なんですけど、その箸を使うとどうなるかっていうとね、
地獄だと自分で長いお箸を使って熱々のうどんを口元まで運んでね、食べようとするんですけど、
でもうまく食べられないんですよね、お箸長すぎて。
うまく口に入らなくて、熱々のうどんがポロって取りこぼしちゃって、体に当たって熱いみたいになって、
で、全然食べられないと。で、全然食べられなくて、熱いしイライラするし、みたいになってね。
で、そんな感じになっちゃうんですね、地獄の方だと。
で、それだけならまだマシなんですけど、もう地獄なので、やっぱり悪い人ばっかり地獄にいるので、
独り占めしたくなるんですよね。で、周りの人がそのうどんを食べるのを許せないっていう思いが湧いてきて、
で、その長い箸でね、悪くなると他人に攻撃したりとかね、しちゃうんですよ、つついて。
で、俺のうどんを食べるんじゃない、みたいな感じでね。
で、争いまで発展しちゃうっていう、これが地獄の様子なんですけど、
天国の様子
これに対して、じゃあ天国はどうなってるのかって視点を変えて見てみたら、設定全く同じなんですよね。
すっごい場がでかい釜に入った熱々のうどんで、相変わらず使ってるのは長い箸なんですよ。
なんだけど、みんなニコニコおいしいねおいしいねって言いながら、みんな満足して食べてる。
なぜかっていうと、その長いお箸を使って、自分は食べられないんですよ、うまく。
食べられないんですけど、長すぎるから。
でも、目の前の相手に対してなら、簡単に作ってあげることができるじゃないですか。
あなたお腹空いてる、そうだからはいどうぞって言って、うどんを食べさせてあげる。
それと今度は、向こうの人もありがとうございました、じゃあ今度は私がお返しに、はいどうぞってお互い熱々の釜のうどんを食べさせあって、
結果みんな満足してニコニコ笑っておいしいねって落ち着いて食べてるっていう、これが天国の様子なんですよ。
そういう話なんですね、天国と地獄のうどんの話でした。
こういうお話がありまして、この話のポイントはどこにあるかっていうと、大体わかると思うんですけどね。
環境としては天国も地獄も全く同じっていう、ここポイントなんですよ。
環境っていうのは与えられているものですよね、物質的なね、バカでっかい釜に茹でられている熱々のうどんで、
与えられているのは、一人一人に与えられているのは長い箸、自分じゃ食べられない長い箸ですね。
っていう全く同じ設備、環境を与えられているにも関わらず、もうまさにその結果はまさに地獄の様相と天国の様相とでもうはっきり分かれる。
じゃあ何が違うかっていうと、環境は同じなんだけど、そこにいる人たちの心ですよね。
心の清らかさと言ったらいいのかな。
この心一点の違いによって、まさにその場が天国になったり地獄になったりするっていうことなんですよ。
ここがポイントだと思うんですけど、そういう例え話です。
天国と地獄のうどんの話でした。
制限の星としての地球
本当にこの話、僕は好きで本質をついている話だなと思ってね、よく覚えている話なんですけど、
本当にね、世の中が良くなっていくためには結局ここだと思うっていうことなんですよね。
世の中が本当に良くなるためにはどうしたらいいのかなっていうのを僕なりによく考えたりするんですけども、
本当に結局はね、本当に何度考えても結局はここっていう感じがありますね。
この話で出てくる心のことを、僕はパワーかフォースかの方に習って意識レベルっていう言葉を使うことも多いんですけども、
結局ここっていうことなんですよね。
つまり、天国と地獄に与えられた環境は同じだったんですよ。
でも心が違ったことによってまさに天国になったら地獄になって、天地の差がまさに文字通り生まれたわけですよね。
ということで、だからいくら世の中を良くしたいからって言って、いくら法律を整備しても、いくら革新的な科学技術が発達していっても、
結局本質を突き詰めたら結局ここなんですよね。
その世界に住んでるメンバーたちの意識レベルが上がっていかないと、心が清くなっていかないと、
深夜に帰っていかないと、ワンネスに帰っていかないと、目覚めていかないと、いつまで経っても本質的には何も変わらないっていうことなんですよ。
こういうことがこの天国と地獄のうどんの話からは、わかりやすく端的に示されているっていう、そういう話なんじゃないのかなと思うんですよね。
ちょっとこれは僕はこの話を思いながら、打速で補足的に思ったことなんですけど、
このうどんの話の中で、なんで普通の箸じゃなくて長い箸なのかっていうね、ここもう一個ポイントだと思うんですよ。
なんで普通の箸じゃなくて1メートル以上のね、自分じゃ食べられない、使いこなせない長い箸を使っているのかと。
なんでそういう設定なんだっていうね、そこちょっと思ったんですけど、おそらくそれはですね、この地球っていうゲームの舞台設定にあると思うんですよ。
この地球というゲームの舞台設定が制限の星であるっていう、制限の星なんですよね、地球は。
というここに由来していると思います。
普通の箸じゃなくて長い箸を使っているっていう、この例え話でそういう設定なのは、この地球が制限の星だからなんですよ、それの象徴というかね。
地球は制限の星なんですね、地球にはこの制限というものを体験しにやってきてるんですよ、魂たちは。
なんで制限を体験しにわざわざやってきてるのかと言ったら、だってそうしなきゃ魂磨けないからっていうことなんですよね。
並木さんもよく言ってる通りですね、僕らの本質、本当の本来の意識は何でもできる完璧な意識だったんですよね。
やれないこととか一切ないし、行けない場所も全然ないし、もう何でもできるっていう完璧ですね、完璧な意識。
完璧な意識っていうか、つまり制限という概念すらないっていうね、そういう意識、そういう存在だったみたいなんですよね。
本当の僕らの魂の意識っていうのはね、本当はそういう完璧な存在だったんだけど、もっとレベルを上げていきたい、磨いていきたいってなった時にどうすればいいかっていうと、
地獄から天国への移行
だから一回地球みたいな波動の重たい制限がガチガチにかかったフィールドに一回ログインして、そこで制限のゲームを体験するわけなんですよね。
それによってより魂を磨いていきましょうっていう、地球っていうのはそういう場ということらしいんですけど、
こういうことなので、なのでメンバー一人一人の魂レベルを上げていきたいんだったら、このうどんの話でいくなら普通の箸を使わせたんじゃ、利他の心を学ぶことができないじゃないですか。
この天国と地獄のうどんの話で、地獄のメンバーたちがどうやったらこんな悲惨な浴び凶寒な地獄みたいな要素をもっと暮らしやすく、みんなが満足でお腹いっぱい食べられるようにできるのかって知恵を絞り始めたら、
その天国みたいにお互いに利他の心でうどんを食べさせ合うっていう形に持っていくしかないわけなんですよね。
だからそれに気づいて、魂を磨いていって、そういう形に落ち着けばみんなハッピーになれるっていうことを地獄のメンバーたちは学ぶ必要性があるわけなんですよ。
っていうことなんですよね。
なので、この天国と地獄のうどんの話だと、長屋橋っていう状況設定なんだろうなっていうことを僕は思ったんですよね。
そういうわけなので、21世紀ですけど、21世紀にもなって未だに人類っていうのは差別とか戦争を克服することができていませんよね。
こんな風に事件とか争いとか戦争とかそういうのが絶えないっていうのは、このうどんの話でいうところの、結局地獄状態に近いからっていうことだと思うんですよ。
だからどうせばこの世の中が本当に本質的な意味で良くなっていくのかなっていうことを考えたらですね、この分かりやすい天国と地獄のうどんの話で示唆されている通りですね。
地獄のうどんの状態から天国のうどん状態へ移行しようっていうこれなんですよね。
結局これを目指している、これを意味するのがスピリチュアルでいう意識レベルを上げていきましょうよとか、目覚めていきましょうよとか、アセンションしていきましょうよとかそういう言葉なんですよね。
地獄のうどん状態から天国のうどん状態へ移行していくことをですね、目覚めていくとか言いますよね。
そういうことなので、じゃあこれ主体となってやっていくのは誰かっていう話をさらに続けるとしたら、これ結局僕らが自分たち自身でやっていくしかないわけですよね。
地獄のうどんのシチュエーションから天国のうどんのシチュエーションへ移行するためには結局そのメンバーたちがやるしかないっていうのがわかると思うんですよね。
誰か外から来た神様とかイエスとかブッダとかの孔子の存在たちが、なんか魔法的な力を使ってこれをやってくれるわけじゃなくてですね、僕らうどん食ってるね、僕らメンバーたち自分たち自身でこれやんないとですよねっていうことなんですよ。
というわけなので、だから心をより良いものにちょっとでもしていくこと、意識レベルを上げていくこと、波動を上げていくこととも言いますけどね、この辺の表現だとちょっと僕的にはね、理解はすごいしやすいんだけど、なんとなくこの優劣の概念がつきまとってしまうって、なんか誤解が生まれる原因にもなるのかなってちょっとなんとなく思ったりもするので、
ご機嫌さんになっていくことっていうね、この表現が僕は好きなんですけど、結局これが意識レベルを上げていくことだし、波動を上げていくことだと思うんで、ご機嫌さんになっていくことですね。
これを引き続き、一緒にね、この音声をここまで聞いてくれてる人たちはきっと目指すところだと思うので、一緒に目指して参りましょう。ご機嫌さんに一緒になってね、地獄のうどん状態から天国のうどん状態へ、徐々に良いものにこの地球も作り変えていきましょうと。
そんなところで、今日の話は終わりたいと思います。どうもここまでお聞きくださりありがとうございました。