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こんばんはじゃなくて、こんにちは。最初から間違えてますね。
いつもライブ配信をするときは、しらたまちゃんとしらたまkannラジオをやっているので、
こんばんはって言っちゃうんで、間違えて今もこんばんはって言っちゃいましたけど、
突然ですね、先ほどのスペースに引き続き、同じタイトルでスタイフライブをするというね、
強行な手段に出ておりますけれども、お付き合いいただけたら嬉しいなと思います。
ライブ配信じゃなくてもいいんですけどね、もし聞きに来てくださる方がいたらなということで、
ライブ配信にしてみました。前回のしらたまkannラジオの録音をするのをね、
最後忘れてしまってて、なんかよくわからない設定になっちゃってて、できてなかったので、
せっかくこれ喋るのでね、最後までちゃんと気を抜かずに録音ボタンをね、ちゃんとアーカイブ残るようにしたいと思います。
アーカイブ残るのでね、後でまた聞いていただければいいかなと思いますが、
先ほどスペースで喋ったことと同じことをね、喋ろうと思います。
っていうのはですね、いつも卒業エディションのこととか、前回のくるみちゃんの時もそうなんですけど、
いろいろね、他のことを喋っていると、この寄付についてのお話が中途半端になってしまっていて、
一体どんなものなのかなって思っている方もいると思うんですよ。
ただ寄付っていうだけで、まあいいなって思ってくださる方もいると思うんですけど、
でもそうじゃなくてね、一応内容をちゃんと知っていただいて、そういう気持ちで寄付をしてくださる方がね、
増えたらいいなって思って、今日はね、ちょっと、
トローナさんこんにちは。休憩もう少しなので時間ある限り聞かせていただきます。
もう休憩なんですね。ありがとうございます。引き続き。
ざっくり話していこうかなと思います。
今日はね、私が寄付をする先のチベタンチルドレンズプロジェクトについて、
ホームページを見ながらね、お話ししていきます。
スペースを聞いていただければ、さっきの同じこと話しているので、どちらでも大丈夫なんですけど、
スタッフでもやっていこうと思います。ということで、
なんでこのプロジェクトに寄付することにしたのかっていうのは、何回もこれ言ってますけど、
私が2020年に一人でバックパックでネパールに行ったんですけども、2週間ほど。
そこで、チベットの難民の方の施設にね、訪ねることがあって、
そこで、この方々の存在って言ったら失礼ですけど、こういうことになっちゃってるんだっていうのを知ったんですね。
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スペースの方では旅の話もしたんですけど、ルートとしましては、
まず日本からカトマン、タイ、バンコク経営して、カトマンドゥ首都に入って、
カトマンドゥからルンビニっていうね、ルンビニってブッダ生誕の地があるんですけども、
ブッダのお母さんの生母のマーヤが祀られている場所ですね。
そこの村に行って、その後ポカラっていうところに飛んだんです。
ポカラは有名ですよね。
ヒマラヤ山脈のふもとにある、もうめちゃくちゃ外国人がパリピーもいるという町ですね。
湖があって、その湖の向こうにヒマラヤが見えて、すごく素敵な場所です。
すごく素敵。トレッキングの人もたくさんいて、
だいたいみんなポカラからヒマラヤのトレッキングコースを行ったりする人がいるので、
そういうお店もいっぱいあったりしますね。
あとはライブハウスとかレストランとかイタリアンレストランとかそういうのもあったりして、
おしゃれな町なんですけども、そこの町をちょっと外れるとね、
チベット難民の村っていうのがいくつかあって、
そこのお家の一つにね、ホテルのオーナーさんの紹介の個人ガイドさん、
ネパール人のね、おじちゃんと言っても私より若いんでしょうけど、
に案内してもらって行きました。
そこでネパールのね、女性ですよね。男性はちょっといなかったんですけど、
女性が旗織りをしていたりとか、
お土産物を作っている製作の場所とかにお見学させてもらって、
そこでちょっとお話をしたりしてね、いろんな存在を知ったんですけれども、
それから帰ってきて、一体どんな支援団体があるのかなとか調べたときに、
こちらの団体さんが、まずホームページの、
Googleの一番最初に上がってきたのかな。
調べていたら、すごく活動は素晴らしいし、現在もちゃんと活動している。
日本人の方が常駐して現地にいるとか、
日本の方のオフィス的なものもあって、しっかりしたところだったので、
こちらに寄付をしようと決めました。
というところでですね、すごく駆け足で喋っているのは、
なるべく早く、短い時間でお話を完結させたいと思っていて。
スペースの方は40分ちょっと喋ってて、40分ちょっとって長いじゃないですか。
なるべく30分ぐらいでお話したいなって思っています。
旅のこともいろいろ雑談挟みたいんですけどね。
雑談聞きたい方がいたら、
タロナンさんが今いてくれるのは、また質問とかしてください。
そう思ってライブにしてみたんですけど。
ということでね、進めていきますね。
ちょっと雑談すると、ネパールはね、人がやっぱりすごい穏やかですよね。
インドの方にも、20代の前半の時に1ヶ月行って、その後2週間行ったりしてるんですけど、
インドの方がやっぱりギラギラしてますね。
かなりインド人はギラギラしてますけど。
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ネパールの人はすごく穏やかで優しいですね。めちゃくちゃ優しいです。
丁寧だしね。全然違うなって。
インドの人に失礼ですけどね。
インドはインドでめちゃくちゃ刺激的ですごい面白いです。
ありえんことが起こるっていう。
人生めちゃくちゃ変わりますね。
結構インドに行って私も人生が変わりましたからね。
20代の前半で。
それはいいんですけど。
一人旅バックパックで、この年で行ってね。
まだまずバックパックがしょえるんだっていう喜びと、
一人で行っても大丈夫なんだっていうことと、
何もかも失ってもネパールに来ればきっと幸せに生きていけるっていうことがわかったので、
とてもいま気楽な感じで暮らしておりますっていうね。
そういう意味である意味人生、
BGモードにさらになったっていうのが、
2020年のネパールのためでしたっていう感じです。
なかなかいいですね。なかなか。
もうねこだわらなくなるしね。
別にバックパックでネパール行って、
なんかちょっと日本食レストランとかそういうところで働かせてもらって、
生きていけるんじゃないっていうね。
実際ね、でも向こうで暮らしている日本人の女性の方とも知り合って仲良くしてるんですけど、
まあいろいろね、現実は大変みたいですけど、
まあでも、それはそれで楽しいよって話はしてますね、彼女はよくね。
っていうところで話し進めていきます。
今ホームページを見ながらね、進めているので、
皆さんもこの、後でリンク貼っておきますけども、
チベタンチルドレンズプロジェクトっていうね、
団体のホームページを見れば全部書いてあります。
だけど読みます。音声で伝えていきますっていうところです。
まずホームページの方を見ると何が書いてあるのかというとですね、
TCPについて、これはチベタンチルドレンズプロジェクトの略ですね、TCPっていうのは。
TCPとはネパールで暮らすチベット人難民の支援を目的とした各種プログラムを提供するプロジェクトの総称です。
2009年3月児童入幼児を対象とした児童養護施設、
伝統的な予防医学を継承するチベット予防医学室教室を
ネパールの首都カトマンドルのチベット人住居地区スワヤンブナートにオープンしました。
って書いてありますね。
スワヤンブナート、私一旦行きましたね。
カトマンドルから車で10分くらいのところかな、タクシーで10分くらい。
ネパールなら歩けばいいじゃんと思うかもしれないんですけど、ネパールの道は歩くとこじゃないですね。
道路舗装されてないし、車バンバン通るし危ないし、
舗装されてないから砂埃がすごいんですよね。
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だから歩いてると多分全部吸い込んじゃうんですよ。
タクシー乗っててもね、運転手が窓開けたら関係ないんですけど、
でもとにかく10分でもタクシーで行った方がいいなっていう場所ですね。
スワヤンブナートは木の茂った大きな丘のある場所なんですね。
そこの頂上にはストゥーパっていうよく写真で見るような白い丸い半円みたいなものの上に四角い建物があって、
そこに目とか顔が描いてあって、
頭の辺が三角になってて旗がバーっとこうなっているよく見るネパールのお寺みたいなものがある場所ですね。
その建物がある場所は2箇所あるんですけど、
カトバンドルはスワヤンブナートにあって、
もうちょっと離れた、私の大好きなボダナートっていうところ。
ボダナートはもっと大きいんですけど、そこにもありますね、2箇所。
というところで、スワヤンブナートにこのTCPはありますよっていうことが書いてあります。
とてもいい場所だと思います。
次ですね、この団体について、TCPについてっていうところをちょっと見てみたいと思います。
あれ、なんだなんだ、パソコンの調子が悪い。
活動の概要を書いたので、それを読んでみたいと思います。
チベットの心を育むために、チベット小児はもちろん国籍を問わず、個人を運営しています。
また、チベット医学の継承者を育成しています。
チベットの心を学び、チベットの精神を引き継ぐ一人として、世界平和のために活躍できる人になるよう育てています。
って書いてあります。
一番大事なのは、チベットの心を学び、チベットの精神を引き継ぐ一人っていう、これがこの団体さんが目的としているところですね。
なんでこれが大事なのかっていうのは、後々のこの説明でわかると思います。
活動の概要の下にあるのが何をしているかっていうところなんですけども、まず一つは児童養護施設ですね。
児童養護施設をやってますよっていうことが書いてあります。
書いてある内容を読みますね。
養護を要するチベット人児童の健全な育成を目的とした施設です。
両親のいない子児や様々な理由で家庭での養育が困難な児童・乳幼児を保護し、養育する施設です。
子どもたちの生活指導、チベット文化の伝承や年間行事の指導は、兄、女性のお坊さんがやっていますと。
チベット予防医学はアムチっていう、多分これは先生ですよね。アムチって言うと思います。
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によって行います。
修学年齢に達する児童は、チベット亡命政府の難民学校、オロビスの児童に最も相応しいと判断される学校に通学します。
こちらの目的は、やっぱりチベット人としてのアイデンティティを育むことを目的としていますということが書いてあります。
こちらの施設の方は、日本人スタッフが1人常駐で子どもたちの世話をしていますと書いてありますね。
すごいですよね。日本人の人がずっとそこに住んでお世話をしているということで。
スタッフブログっていうのがあるんですけども、そこにも最近ね、子どもたちの髪の毛を切りましたとか、
そういうね、ちょっと微笑ましいエピソードが書いてあったりします。
もう一つやっているのが、チベットハーバルクリニックって書いてありますね。
これ私すごい興味があるんですけど、チベット医学医、アムチ。
チベット医学医、先生のことアムチと言うそうです。
アムチによる診察と予防に重点を置いたチベット自然薬の提供とアドバイスを行う施設って書いてありまして、
チベット難民のうちラマ、チベット農房さんのことをラマって言うんですよね。
お年寄り生活困難者に対しては診察料薬代を無料とします。
地域に目指したアムチの活動と深遠なチベット医学の伝統を支える施設です。
一人一人の症状、病歴、体質などに合わせた天然ハーブの調合、健康へのアドバイスは日本からも受け付けます。通訳付きって書いてあります。
これ私めちゃくちゃ興味があって。
脈診って言って脈を見ることでその人の病気のこととか今の病気とか病歴とかそういうことがわかるんですよね。不思議ですよね。
その脈診っていうのをやっていただきたいですね。
それに合わせて天然ハーブでヒマラヤにある薬草を使ったお薬ですよね。
それを日本に送っていただけるんですよね。きっとね。
ちょっとこれはね機会を見てちょっと頼んでみたいなっていうか経験してみたいなと思っております。
そんなことをやっている施設です。団体さんですっていうことです。
あとなんかさっき読まなかったけどこれもありますね。代表者のご挨拶とかありますけど。
それはいいかな。読んでいただければね。
代表者の方は向こうのお坊さんですね。
ダマの方がやられているんですね。
次ですね。ネパールのチベット難民についてっていう項目があるのでここすごく大事なので書いてありますけれども読みますね。
なぜチベット難民はネパールにやってくるのか。
1949年に中華人民共和国を建国した中国共産党はチベットの併合を進めました。
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1959年にチベット動乱が起こり、チベット人の心の拠り所であるダライラマ法王14世はインドへ逃れて亡命政府を受立しました。
その後ダライラマ14世は高度な自治を訴えていますが、中国政府は国の分裂を図っていると非難しこれを認めていません。
2008年にはチベットで大規模な暴動が発生し、中国とチベットでの暴力的な弾圧を行い締め付けは強化されました。
2009年以降中国政府に対し抗議の意思を示すための昇進自殺による抗議の連鎖が続いています。
ということでね、こういう歴史があるということです。
国を追われてしまったということでね。
ダライラマ14世すごく有名ですよね。
お顔を浮かぶ人も多いんじゃないかなと思います。
日本人っぽい顔されてますよね。
私フォローしてるんですけど、インスタグラムでチベットの方のページとか、ダライラマ14世のページとかあったりして、すごく貴重な。
タロナさんありがとうございます。聞いててくださったんですね。もう終わりかと思った。ありがとうございます。
すごく素晴らしいコメントとか、やっぱり仏教に則った抗議とか動画をアップしてくださっていて。
いってらっしゃい。頑張ってね。
やっぱり心に染みるような生き方的なことを説いていらっしゃってすごく好きなんですけど、ダライラマ14世ね。
という感じの歴史があるということですね。
次の項目はですね、ネパールでのチベット難民の暮らしっていうところです。
ネパールには現在も大小含め約2000ものチベット難民コロニーがあり、ほとんどはヒマラヤ山岳地帯に約2万人が暮らしています。
1100万人ですね。
チベット難民はネパール政府下の下、最低限の安全を保障されていますが、何十年ネパールに住み続けても正式な身分証明の発行もしてもらえないため、
外国渡航、商売、免許証、通学、銀行口座を開くことさえできず、さまざまな活動に必要な書類さえ入手することが困難な状況にあります。
さらには、大半がネパールまでのチベット人に対して、彼らが公的に存在することを認めようとしません。
一切の身分証明書を発行していないのは、偶然の大きな問題なのです。
さまざまな制約のある生活の中、彼らはわずかなチベット亡命政府からの援助や内職、小さな畑を耕しながらでも、今でもささやかに生活して生かされています。
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ここが一番の問題です。
ただ、これはネパール政府がひどいという話ではありません。
ネパール自体も貧しい国ではありません。
ネパールも貧しい国なので、最低限受け入れることをしてくれただけでも本当は素晴らしいことです。
そういう精神というのは、ネパールは信仰の深い国なので、人としてどうするべきなのかという最低限を考えた措置だと思います。
ここでもやはりするべきこと、やるべきこと、困っている人がいたら、自分のできる範囲で援助するとか助けてあげるという精神があるからこそ、ネパール政府はこういうふうに。
すごい数の人が来たわけですよね、何万人って。すごい偉いことですよね。
でも、その方々のためにいくつも難民コロニーを作って、村を作って、そこにいてもいいよというふうに了承してくれているというところが素晴らしいんじゃないかなと思います。
また、日本みたいにお金がある程度ある先進国なのに、受け入れをしない国もあるわけですから、そこは私すごく評価したいなって思いますね。
ただ、チベットの難民の方は学校さえ行けない、銀行口座も住所がないから行けないし、免許証も住所がないし、住民票的なものは全くないというところで、なかなか厳しいところで暮らしていますよね。
なので、この方々の生活というのは、世界各国のTCPのような支援団体さんが入って、いろいろ仕事を圧戦したりということでやっているんだと思いますね。
その最後の項目は、このTCPがトレーニングセンターを設立する理由というのがありますけれども、ここはちょっと省きますね。現在休止中になっているので省きたいなと思います。
ということで、ざっと話したんですけれども、すごく厳しい状況の中、生活されているネパールの方々、特に子どもたちですよね。ネパールで生まれたチベットの子どもたちがたくさんいるわけで、これから彼らの将来というのは支援にかかっていると言っても過言じゃないんだと思うんですよ。
親が何かしてあげたくてもできないという状況で、チベットの子の文化を受け継ぎながらやっていくという、それを選択して子どもたちを増やしていきたいという思いがすごく強いなと思っているので、私はそれを支援したいなというふうに考えております。
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あともうちょっとなんだっけな、チベットの難民についてじゃなくて、もっと詳しいことが書いてあったところがあるんですよね。活動の実績ではなくて、代表者の話とかではなくて、スタッフ紹介とかも書かれていて、
チベットの子の文化を残していきたいという思いがすごく強い方々、日本人の方もそうだし、もちろんチベット人の方はそれを望んでいるし、それを守っていきたい方がすごくたくさんいて、活動されているわけなんですけども、今こんな世の中なので、やっぱり支援が少ないっていうのがあるようです。
それもね、やっぱりあると思います。
この寄付でね、前回の寄付も13,900円だったんですね。売上げの10%ということで寄付させていただいたんですけども、ちょっとね、わずかではあるんですけど、ネパールでのこの金額っていうのは、とても割とまとまったお金にはなるんじゃないかなって思っていて、実際いった感じでですね。
だからコンスタントに何かのお役に立てるようにね、私も続けていきたいと思っております。そんな意味で、このチベット難民への寄付っていうのをエディションで実現していっております。
すごくざっくりなんですけど、これぐらいかな。
うーんと、なんかさっきスペースで私がいいなって思うこの内容を書いてあるところがあったんだけどな。どれだったんだろう。何を見たんだろう、私。TCPについてかな。
なぜこれをやっているのかっていうお話とか書いてあるところがあったんだけどね。見つけられずすいません。難民についてじゃないんですよね。
そうですね。またどこかで話したいと思います。やっぱりこれをやっている、設立している方も、チベット人の文化っていうのを忘れないでほしい、後世にも引き継いでほしいっていう思いがすごくすごく強いんです。
なぜかというと、さっきも話したように、中国がある意味侵略的なことになって、チベットにやってきたわけなんですけれども。
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そうだ、思い出した。国立、どこに書いてあったのか。ごめんなさい。ちょっと待ってね。ここをやっぱり読みたいなと思ったんですよね。これ読んでなかった。ちょっと話前後しますけど、これも読みますね。
さっき、チベット難民は何でネパールにやってくるのかっていう話をしたと思うんですよ。暴動が、中国政府に対して抗議の暴動が続いていますっていうところの続きでね。インドを目指すチベット難民の困難な現実っていうところをちょっとすっとばしてました。読みます。
インドへたどり着けない難民たち。2008年、チベットで起こった大規模な暴動の後、中国の治安体制は一層強化され、越境はさらに困難な状況になったものの、現在でも年間平均200人のチベット人が自由を求めて亡命してきています。
彼らの目的は、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラに行くことです。ではなぜインドではなくネパールに逃れてくるのでしょうか。それは、チベットネパールインドの位置関係とそこにおこたわるヒマラヤ山脈に関係があります。
ヒマラヤ山脈を挟んで向こう側がチベットなんですよ。こっち側がインドとか、手前側がインドとかネパールなんですね。そういう位置関係になります。難民たちがチベットから直接インドへと逃れるルートは標高が高く、またその道のりは厳しく、非常に越境が困難なのです。
チベットからネパールの越境ルートも困難ではありながら、チベットからインドのルートに比べると、さまざまな面で無事、亡命できる確率が高いのです。このような事情により、多くのチベット難民は一度ネパールへと逃れ、そこでチベット亡命政府の難民認定を受け、ダラムサラへと向かうのです。
その下、ひまわりを越えて逃れてくる難民の約半数は子どもたちです。半数は子どもたちなんですよね。すごくないですか。
ちょっと待って、これ。
これ子どもたちと離れ離れになるってことなのかな。それもちょっとすごいですね。悲しいですよね。
途中、さまざまな危険が彼らを襲います。闘傷になり、手足の指を失う人、命を失う人もいます。越境を中国警察に見つかり、連れ戻され、思想教育の施設に送られ、自由な行動を制限される人もいます。それだけの危険を犯してもなお、年間数百人のチベット人がネパールの方に入ってきています。
ちょっとパソコンがおかしくなっちゃったので読むのはここまでにします。
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ということがあってですね、やっぱり本当にすごい困難な状況を逃れてやってきているんですね。
やっぱり中国政府は、チベットの思想、仏教の思想、根強い思想をそこから変えていかないと自分たちの土地にはならないというところで、そういう精神的な苦痛を強いるような弾圧を繰り返しているようです。
だからこそ、チベット人の文化とか予防医学とかそういうものを途絶えさせたくないという思いが強いんですね。
ということで、その思いを叶えるために、この団体さんはチベット難民の子どもたちの教育の支援、この教育というのは読み書きはもちろん、医学を学べれば読み書きしなくちゃいけないので、もちろん読み書きも必要ですよね。
そういうもののベースから、予防医学とか仏教の思想とか世界平和とかそういうものを説いている、お坊さんのラマが説いていくという学校を設立して運営しているというわけですね。
私はこの卒業エディションの売上の一部をこの団体さんに寄付することで、その子どもたちの願いが叶うように支えていきたいなと思っております。
ざっくりと全体像としてはこんな感じの団体さんです。私はその思いに感動して、このエディションで寄付をしていきたいと考えております。
ということで今日はこれぐらいにしたいと思います。ライブ配信なのでアーカイブ残します。もしよかったら30分ぐらいにお時間あるときに聞いていただけたら嬉しいと思います。
嬉しいです。引き続き卒業エディションの方、かわいい聖楽の玉城ちゃん、まだまだお迎えお待ちしておりますので、ぜひご購入を検討いただけると嬉しいです。
ということでお聞きくださりありがとうございました。引き続き私たちもしっかりと自分自身を理して、自分が何をするべきなのか何をするべきでないのかということを基準に置きながら毎日生活していきたいなと思います。
皆さんもそんなふうなところに基準を置いて毎日過ごしていかれると、より幸せが増すんじゃないかなと思っておりますので、皆さんで頑張りましょう。
今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました。バイバイ。