秋の風と過酷な記憶のフラッシュバック
はい、かねりんです。
お風、秋の風だね〜。
僕は秋というこの気候で毎回トラウマ、フラッシュバックしてしまうことがあるんですね。
とっても嫌な思い出があってね、一生忘れることがない。
フラッシュバックってありますかね、皆さん。
もう嫌をなしにね、記憶が想起されるんですよね。
人生何回か死にたくなるような体験というか、ぶち殺してやろうっていう衝動に、
衝動じゃねえな、衝動的にぶち殺してやろうって思うことはないんだが、
そういったことを強く思った経験とかね、ありますかね、俺はあるんですね。
そういうすごい嫌な時期がたまたま秋だったんですね。
ちょうど9月の下旬から10月、11月、12月。
この辺、もうめちゃくちゃきつい思いをした時期があって、
一回だけだけどね、でもその一回が深く刻まれて、フラッシュバックのトラウマになってるね。
今思えばよく死ななかったなって思うし、誰も殺さなかったなって思う。
経験を積む順序と耐える力
偉いなって思うね。
似たような環境にいたやつ、その時何人か本当に死んだし、本当に何人か人殺してたもんね。
やっぱ人が本当に狂うレベルの殺人的な狂った環境に半年ぐらい身を置いて、
そこを生き延びてきたっていうのはある意味戦場から生還した気持ちなんですね、俺はね。
だからね、それが一個強い思い出ですけど、その数年前にはね、
その数年前にも俺一年間ぐらい、またちょっと違うんだけど、
同じように死にそうになっている時期があって、これも結構きつかったっすね。
それは幸い死人とか出なかったんですけど、
まあなかなかここの経験があったから多分俺は、
その数年後に襲ってくるクレイジーな戦場で命を落とさず、
そして誰も謝めずに済んだのかなって思ってます。
人間いろんな経験をするといいよなって言われますけど、
結構経験をする順序、大事だなと思いますね。
やっぱり段階があるから、許容範囲とかレベルみたいなものがあるとしたらさ、
ゲームでもそうだけどさ、いきなり最初からラスボスと戦ったら即死でしょ。
ちょっとずつね、経験を積んでいくっていうのはめちゃくちゃ大事だね。
めちゃくちゃ大事。
で、最近はさ、鬱病っていうものが心の弱さとは無関係で、
脳内で分泌される物質を特定されて、
これが強い負荷とかストレスがかかると鬱状態になる。
関連性があるなのか因果関係があるなのかちょっと詳しい言い方は分かんないんだけど、
つまり心が弱いとかそういう問題ではなくて、物質の問題だみたいな。
だから気合とかじゃ治んないから病院行って治しなさいみたいな。
気合と根性じゃねえんだよっていう。
そういうことが明らかになったりしたんだけど、
違いを前提にしたコミュニケーション
まあいろいろなね、同じようなことがあった時に、
耐えられる人と耐えられない人とっていろいろいるし、
大なり小なりで言えばさ、
自分はこれされても平気だけど、話してる相手の人はこれされたらめちゃくちゃ嫌かもしれないし、
それ分かんないんだよね、究極ね。
ほんと大なり小なりいろいろあるよね。
育ってきてる場所がさ、日本民族ってさ、
みんな一緒の生活して一緒の育ち方してるから、
当然お前もこれ一緒だよなっていう感覚でコミュニケーション通るじゃん。
まあアメリカ合衆国とかだと違うみたいよね。
そもそも肌の色からしてみんな違うんだからさ、
違って当たり前で、分からなくて当たり前なので、
違うことを前提としたコミュニケーションになるとか、
そんな話をよく聞くけど、
日本だと同じなのが当たり前だから、
なんか普通じゃない、相手は自分と違うんだっていうこと?
普通か普通じゃないかっていうともうみんな普通側だよねみたいな、
感覚でやっぱデフォルトで考えてるし、勘違いするよね。
だからそういう意味で相手のことを見ずに喋ってる、
相手のことを見ずにコミュニケーション通ることって多いなって思ってます。
あんま良くないよね。みんな違うんだからね本当はね。
で最近はさ、本当生活してる環境とかさ、浴びてる情報とか差が出てきてるよね。
今までSNSとかなかったらさ、みんな本当に確かに同じように小学校行って中学校行って高校行って、
大学行って就職してって似たような人生を送って、似たような生活してるんだから、
それは経験してることとか感じてることとかってそんな差はないよねっていう経験則成り立ったと思うんだけど、
今はネットをどういう風に使ってるか、スマホでどんな情報にアクセスしてるかとか、
オンラインでどんなコミュニティに属してるかによって、全然物の価値観とか溢れてる世界が違うよね。
こうやって公園のメディアだってさ、それでなんかちょっと極端なよくわかんない変な奴の話を毎日聞くこともできるわけでさ、
偏ってるし普通じゃなくなってくよね。普通に嫌な意味じゃなく普通じゃなくなってく。
だから差がどんどん際立っていくので、違うということを前提としたコミュニケーションを取らないとお話なんてできないよねっていうこと。
AIと五感・第六感の限界
だから今後AIで色々と便利になっているけど、人間同士の心を通わせるというタスクにおいて、
AIは結構無力よ。無力というか外役にもなり得るような。
AIなんかに人の心はわからないので、プラスアルファ、AIが学習しているデータって、
基本的に俺たちのこの多数派マジョリティの良しとされる情報を大量に学習してるわけでしょ。
初期の頃よくバイアスが問題になったよね。ジェンダーバイアスとかさ、
黒人が差別されているような内容で画像が出力されるとかさ。
色んな問題があったじゃない。そういうのが大成り章なりいっぱいあるし、
コミュニケーションの取り方だって、相手の情報100%全部知れるはずもないので、
分析チックなことができたとしてもね、そういうふうに補助的なツールとして、
相手のことを理解するための補助的なツールとしての使い方はさ、できるけれども、
でもAIっていうのは、情報を取り込む機関がさ、人間は五感、六感があるでしょ。
なんか雰囲気とか匂いとか、見た目の仕草とかなんか色んなものから総合的に判断して、
この人今こういう感情かも、みたいなのでダイナミックにコミュニケーションをリアルタイムに変えていくじゃない。
結構すごいことやってるのよね。対話っていうのはね、結構すごいことやってるのよ。
AIは当然だけどそんなことできない。何なら文字情報の受け渡ししかしてないので、
かなり情報の量っていうものは少ないのね。だからそんなところに頼っているとおかしくなるよねって。
今後目がついて、声の耳みたいなマイクがついて、目の前で眼鏡みたいなところで目であるカメラと耳であるマイク、
これで声のトーン調子から分析をして今こういう感情であるみたいなそのポリグラフ検査みたいなね、
警察の取り調べで嘘発見器って言われてるものだけど、見た目ではわかんないんだけど生体反応で出てくるもの。
この発管とかね指とかにセンサーつけるんだけど、嘘ついた時のなんか反応でさ、
心拍とか、発管、汗だよね、が増えたらなんだろうとか、いろんな指標があってっていうのもあるから、
逆に人間が五感六感では感じられない別のAIならではの機械ならではのセンサーでキャッチできるものがあればそれは拡張することができるということにはなるので、
補助的に使うのは良いと思うが、やっぱり人同士でコミュニケーションを取るというところがベースにある以上は、
五感をフルで、五感六感をフルで使いつつそこにプラスアルファする要素が何かっていう考え方をしないとさ、
五感六感を捨てて嘘発見器だけを元にして判断するとかね、それはねぇっていうところよ。
証拠能力、そのポリグラフ検査の有効性に関しては、そういう医学的な知見でね、
ほぼ100%ほぼ100%ほぼ90何パーセント合致してるだとかさ、DNA型が同じである可能性は何百兆分の1とかね、
例えばね、だったらもうDNA型が一致したらほぼ犯人でしょとか、指紋だともうちょっとヤグインで地球上に何人か同じ指紋の人がいるんですけど、
まあとかさ、そういう統計的な確率的なところで合理的に判断してみたいなところにはなっていくんだけれども、
感覚を鍛えることと知覚の拡張
基本その人と人の感性感覚、第六感っていうところを捨てちゃいけないだろうなっていうのは、
俺はずっと思ってるところですね。特に第六感ね、人が鍛えられるべきもの、最も鍛えがいのあるものは第六感じゃないかな。
耳とかもね、鍛えられるんですよね。鍛えられる。聞こえない音聞こえるようになりますよ。聞こえない音っていうか、聞こえてるはずなんだけれども認識できてない音だよね。
この間、落ち着きクラシックの柳川一郎先生は言ってたのは、目の視覚だよね。スクランブル交差点とかでさ、バーッと見てるときに全ての人の顔って認識できないけど、実は脳みそには全部ちゃんと入っていて、
で、脳にその顔の情報がバーッて送られたときに、パッとこの知り合いの顔がヒットして、こっちになんか知ってるのがいるみたいな、ヒットするらしいわ。柳川さんね。そっち見ると本当に知り合いがいたみたいな。
そういう意味ではそれも視覚能力の拡張だよね。それは訓練で拡張できるものなのか、特殊能力なのかっていうのはよくわかんないんですけど、でもなんかそれ聞いたときに、なんか人によってはスピリチュアルみたいな反応をされるらしいんだけど、スピリチュアルっていうより、やっぱりもう光が目ん玉から脳みそに届いてるはずだからね。
そういうのをバグっと中身がAIみたいになってて、バンってぶん投げたら、ピピピピって判定してみたいな、そういう脳みそが働いちゃう人がいてもおかしくないのかもね。
それで柳川さんに映画をお勧めしてもらって、脳みそ、通常人間脳みそ何パーだったかな、20パーセントぐらいしか使ってないとかで、この人間の脳、例えば20パーとか25パーとか30パーとか使えるようになったらなんかもう本当に超能力みたいな感じになるみたいなのを表した映画があんのよ。
見たんだけどそれ。それはちょっと現実離れしてるんだけど、面白い世界観だなと思ったね。
だからさ、なんか幽霊みたいなのもそうなのかもしれないし、オカルトチックな、スピリチュアルチックなものって、あんまり俺をにわかには信じてないけど、局所的にそういうことはあるんだろうなって。
スクランブル交差点から知り合いを一発で当てる能力があるって言われても、なんかスピリチュアルというよりは、なんか視覚情報がめちゃくちゃなんか通常20パーのところ30パーぐらい使えるような感じになってんだなこの人みたいな、そんな感じような。
DNA検査で知る得意分野と才能の活用
匂いとかもそうだよなんか。匂い。めっちゃ鼻の効く人とか、まあ遺伝的にあるけどね。DNA検査とかするとさ、遺伝的にどういう傾向かっていうのがいろいろ出て、あの舌の苦みを感じやすい感じにくい、甘みはどうだ、酸味はどうだとかいろいろあってさ、
そういうのを検査するとさ、例えばソムリエとかバリスタとかこういうのなるってなったときにそもそも有利なのか不利なのかっていうところを判定できる。その遺伝的特性で本当にその性質なのかって、そこを100%なのかってとこはちょっとよくわからないんだけど、
実際にその生身の体で検査した結果とは成功を取らないのかなって、ちょっと不思議には思っているんだけど、仮にそこが本当にDNAの検査の結果で、あなたは例えば太りやすいですよとか、味覚で言うとここは弱いです、強いですとかってあるとするじゃん。いろいろ出んのよ。
それを基にしてさ、自分の将来の仕事を決めたりとか、そういう風にした方が合理的だよなって、めっちゃ思う。だってもう自分のこのハードウェア、体というハードウェアはもう無理解できないじゃん。だったらこのハードウェアのことをみんな鍛えようって言って必死にやるけど、脳みその中身も鍛えようって必死にやるようにさ、肉体も鍛えるじゃん。
でも鍛えられない能力ってあるからね。もともとこの下の味覚でここが弱いっていうものはもう弱いんだからさ。鍛えようがない。最初から強い人には叶いこないっていう。
だとしたら、それでワインソムリーへ目指す?とかね。時間の無駄じゃね?って言ったらそれは弱いんだけど、一方でなんか別の、わかんないけど、例えばチョコレートの甘みを感別する能力が一町人に一人のレベルでクソ高いとかだったら、そっちやったら?って。
あなたのハードウェアはこれだよって。パワープロのさ、あなたの自分の操縦するこのハードウェアの人間、これのステータス表ちゃんと見てって。攻撃SSSで防御がCなのに防御係をこの世でやるっていう、そんな感じだね。もったいなくないって。
それを判別させるのにDNA検査って一個の指標でいいんじゃない?って思ってて。さっきも言ったようにDNA検査で出た内容って100%なのかってちょっと俺はよくわかってないんだけど。そこをちょっと調べて詰めた上で、ほぼ100%なんだとしたら、それを元にさ、なるべく小っちゃい頃からさ、どっちの方向行くっていうのはもう、ちょっと親がナッジをさせてやるっていうね。そっちにゆるーく誘導してやるっていうかさ。
才能と時間を掛け合わせる
結局この世は人より火出てるかっていう、この比較で色々とさ、価値とか決まってくるじゃん。この世界中にあなたしかできないことがあって、それは誰にも大体できませんっていうとめちゃくちゃな価値がつくわけで。
あなたは確かに得意かもしれないけど、それって別に2人に1人は皆得意ですよっていう作業とかだとしたら、そんなものに価値がつかないから、それでまあ資本主義だからお金稼げないんで大変ですよねっていう話になって。
資本主義だからなんだけどね、別に。例えばこの社会が別にお金稼がなくても全然OKでとか、ベーシックインカムでとか、社会主義の国でとかっていう世界であれば別に人よりも火入れたものを探してどうのこうのっていうことをする必要もなく、別に好きなことを好きなようにやってればよくっていう社会なんだろうけど、残念ながらそういう社会じゃないので。
いかに人よりも人のできないことはできるかっていうところで価値が相対的に生まれてくるので、そういうものに時間をベッドする。さらにそこに時間を掛け合わせるんだよね。才能と時間の掛け合わせ。
だから才能のないところに時間を掛けたって時間の無駄だし、苦手なところに時間掛けたって頭打ちだしっていうのがあるので、早いうちにDN検査したらいいんじゃないと思うね。はい、以上です。