1. 物語で読み解く仏教
  2. ブッダの人生設計術!うまくい..
ブッダの人生設計術!うまくいく人はここが違う
2026-05-23 14:40

ブッダの人生設計術!うまくいく人はここが違う

今回は、あるものによって幸福を手に入れた青年の物語をご紹介しながら、ブッダが人生において最も重視したものについてお話しします。


【目次】

人生を決めるものとは?

ケチな男の物語

死んだ息子からのメッセージ

祖母がなくなったときの話

ダンマパダ(法句経)第二

心には三つの側面がある

ピレネー山脈で遭難した登山隊の話


【参考文献】

ダンマパダ・アッタ・カター


【サポーター申込はこちら】

https://kando-bukkyo.jp/mothlysupport/


【お問い合わせはこちら】

https://kando-bukkyo.jp/top-2/contact/


【大忍貫道プロフィール】

1987年、福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。尾張妙興僧堂にて修行。

臨済宗妙心寺派僧侶。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSを中心に仏教を発言し、Instagramのフォロワーは現在4万人を超える。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

ブッダは、人生を決めるのは財産や人間関係ではなく、心に基づいた「意思」であると説きました。極端なケチだった資産家アディンナ・プッタカの物語を通して、息子への愛情から自ら耳飾りを作った話や、病気の息子を救えなかった悲劇、そして息子が死の直前にブッダを見たことで天界に生まれ変わった話を紹介します。さらに、ピレネー山脈で遭難した登山隊が、実際にはアルプスの地図を頼りに奇跡的な生還を果たしたエピソードから、強い「意思」が人生を切り開く力となることを解説します。

人生を決めるものとは?
あなたの人生を決めているものって何だと思いますか。それは財産でも人間関係でもありません。
ブッダはある一つのものがすべてを決めている。こういうふうに断言されました。
しかもそれは、今この瞬間にも変えることができるものです。今回はそのお話をしたいと思います。
ケチな資産家アディンナ・プッタカの物語
物語で読み解く仏教。今回の物語の主人公は、アディンナ・プッタカという資産家です。
彼が子供を授かったところから物語は始まります。インドのサーバッティという場所において、アディンナ・プッタカという男性がいました。
アディンナ・プッタカという名前は、今まで与えたことがないという意味で、彼が極度の物惜しみ、基地であったことからそう呼ばれるようになったと言われます。
すごい名前ですね。そんなアディンナ・プッタカには一人の息子がおりまして、彼は息子を大変可愛がります。
一般的に子本能な親っていうのは、子供にいろんなものを買い与えますよね。物を与えるということによって、自分の愛情を表現するわけです。
では、ケチなアディンナ・プッタカはどのように我が子に愛情を表現したのか。ある時、彼は息子に耳飾りをプレゼントしようと思い立ちます。
しかし問題がある。職人に依頼すると賃金を払わないといけないんですね。それは嫌なんです。どうしようかなって試案した結果、よし、自分で作ろうと。
そう思いまして、自分で黄金を売って、美しい耳飾りを作りました。これすごい成功例だなと私思いまして、実は私も以前耳飾りじゃないんですけど、お寺の看板を自分で彫ろうと思いまして、
木の板はちょうどあったんですね。だから彫刻刀で彫ろうとしたことがあるんです。これ、業者さんとかに頼むと数十万ってかかるんですね。自分でやればただじゃんって思ってやったんですけれども、
思い返すと、学生時代、小学生の頃かな、彫刻刀使う。あれ、私めちゃくちゃ下手くそだったんですよ。
下手くそだったそういう人間が大人になって急に上手になるわけではなくて、やっぱり下手くそなままなんですね。素人がそういうことできるかって全然できないから、彫れたのは板ではなくて自分の指ばっかりが切れて、結局全く完成せずに終わりました。
だからよくわかるんですけど、素人が難易度の高いこういうふうな細工っていう耳飾りを完成させるっていうのは相当な執念がないとできないんですよ。だから絶対お金は払いたくないっていう思いと、そして我が子への愛情っていう、この2つの思いが相乗効果、シナジーを生んで完成させたものなんですね。
その甲斐もあって、息子は美しい耳飾りを持つものっていう意味のマッタクンダリンと呼ばれるようになりました。息子が16歳になった時、息子に横断の症状が現れます。横断っていうのは目とか肌が黄色くなるものですね。
消化器系の病気で起こることが多いと言われてますので、肝臓とか膵臓とかの病気だったのかもしれません。しかし父親のアディンナ・プッタカは、お医者さんを呼ぶと食事であったりとか謝礼を用意しなきゃいけないと思って、お医者さん呼ぶことを拒否するんですね。
細工の耳飾りの成功体験からか、お医者さんのところに行って、薬の配合を聞いて、自分で薬を調合して息子に処方するんです。でも全然良くならないんですね。日に日に病状は悪化していって、もう手の施しようがない状態にまでなってしまうんです。
その時になってようやくアディンナ・プッタカはお医者さんを呼ぶんですけど、もう手遅れだったんです。息子の死を誘ったアディンナ・プッタカはこんなことを考えるんですね。息子の最後を見とるためにいろんな人が訪れてくるだろうと。訪れた人々が家の中で私の財産を見るだろうと。それは嫌だなと。みんなから欲しがられるかもしれないと。
だから息子を家の外の縁側に出そうと。品種の息子にそういう仕打ちをしてしまうんですね。そのようにして、外に出された息子のところに偶然通りかかったブッダが訪れるんですね。息子はブッダの姿を見ると、その瞬間に心が清らかになります。
皆さんもお寺をお参りした時とかに御本尊を拝んだことで、なんか心が洗われた気がするなって、こういう心地がした経験があられるんじゃないかなと思うんですけども、仏像でもそうなるわけですから、本物のブッダだったらなお一層なるわけですね。
その後、命が尽きた息子は天の神様として生まれ変わります。仏教ではこの生き物というのは生まれ変わり死に変わりを繰り返すって考えるんですね。これは仏教だけじゃなくてインドがそうなんですね。その一番いい生まれ変わり先っていうのが天の神様になることなんです。
それでここ肝心なところになるんですけど、来世どういうところに生まれ変わるかは当事者の生前の行いによるって考えるんですけども、その中で最も影響を与えるのは死ぬ直前の行いなんだって考えるんです。
そして前回話したように、仏教では心に思うということも行為、行いだと考えますので、死の直前にブッダを見て清らかな心、意思を起こしたっていうこと、これが来世に天の神様になれた原因だっていうことなんですね。
このあたりは信仰の話なので受け入れがたい方もいると思うんですけれども、あまり枝葉にこだわると幹を見失ってしまうので、そういうものなんだと思ってお聞きいただければなと思います。
死んだ息子からのメッセージと悲劇の乗り越え方
神様になった息子は、自分を失った父が嘆き悲しむ姿を見て父親の悲しみを取り除いてあげようと父親に接触します。息子は人間だった頃の姿になり、父親に黄金でできた車輪が必要だと訴えます。
父親からどのくらいのサイズのものが必要なのかって問われると、息子は太陽と月くらいの大きさのものが必要なんだって言うんです。そんなものありませんね。
それを聞いた父親は、太陽は月はあるけれども、それを得ることはできないと、君は愚かだねっていうことを告げるんですね。
すると息子は、存在する太陽や月のために泣くものと、もう存在しない息子のために泣くものはどちらが愚かですかと父に語りかけます。
これなかなかきついことを言われているなと思うんですね。身につまされる思いがされる方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、この悲しみに暮れて立ち直るきっかけを失っているときには、このような正論が必要なこともあるのかもしれないですね。
こういう言葉が受け付けられない方もいると思うんです。でもその人は愚かだとは思いません。
気が熟していないだけ、きっと受け入れられるようになるタイミングが来るんです。
実際私もそういう経験があって、学生時代に目にした言葉で、人一人死んでもこの葉一枚微動だにしないというものがあります。
当時それを耳にしたときにはすごく冷たい言葉に思えて、ちょっと嫌悪感すら抱いたんですけれども、そこから10年ほど経ったときに祖母が亡くなりました。
祖母が亡くなったときに、お寺の前に祖母が住んでたんですけれども、お寺の本堂でお葬式をするということで、
私は葬儀の前日には祖母の住んでた家のところに行って、荷物を持ってお寺の本堂に運ぶということを繰り返しておりました。
祖母の家の前には県道が通ってて、交通量がそこそこあるんですけれども、そこに一台の軽トラックがさっそうと駆け抜けていきまして、それを目の当たりにしました。
そのときにこの軽トラックの様子がいつもと何ら変わりがなくて、まるで祖母が亡くなったことなんかなかったかのように見えたんですね。
そのときに私は10年前に読んだ、見た、さっき紹介した言葉を思い出したんです。
人一人死んでもこの葉一枚微動だにしないと。
ああと、この言葉を言った人は私と同じ思いをしたことがあるんだなって。
自分が大事な人が亡くなってすごく落ち込んで悲しいのに、世の中はそれがまるでなかったかのように当たり前に動いている。
その様子にこんな言葉を言ったんだなって。
だからこれはそういうタイミング、気がじぐしたことで私の中で理解される言葉になったんですね。
それと同じように先ほどの息子が父に言った言葉っていうのはもうすごく正論ですよね。
けれどもなかなか受け入れられない時もあります。
でもそれがいつか受け入れられる時が来る。
そしてこの父親の場合はそれがそのタイミングだったんですね。
このように言われた父親は、アディンナプッタカは、この青年が言っていることは正しいと。
ちなみにお父さんは息子ってわかってないです。
息子に似てるなぐらいしかわかってないんですね。
そして悲しみから立ち直ることができたんですね。
立ち直った父親はブッダに帰迎をして仏教徒になったと。
ブッダの教え:心と意思の力
そのことを踏まえてブッダはこんな言葉を残されているんです。
物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従うと。
影がその体から離れないようにと。
前回お話しした言葉と対比になっています。
仏教は心っていうものを極めて詳細に分析します。
なぜなら悟りっていうのは怒りや慢心をはじめとする心の不全な働きを立つことで実現されると考えるからです。
そのような分析の結果、心には3つの側面があるということを指摘します。
その3つそれぞれ、ちった、まなす、びじゅにゃーなというふうに呼びます。
ちったっていうのは、良いこととか良くないことを受け取って心がその影響を蓄える、そういう側面を言います。
次にまなす、これはああしようとかこうしようとか思いながら物事を計る、そういう側面、いわゆる意思ですね。
そして3つ目のびじゅにゃーなは、物事の特徴を捉えて見分けるという側面に着目しました。
例えば犬と猫が違うってわかりますね。
これはそれぞれの特徴を私たちが捉えている、だからそういう認識の側面ですね。
一つのものでもどの角度から見るかで見え方って変わります。
心もそうで、どの面に光を当てるかで仏教では呼び方が変わるっていうことです。
では今回紹介した詩で言われている心、これどの側面にスポットを当てているのか。
これ原文を読みますと、これまなすになっています。
ああしよう、こうしようっていう意思の働きですね。
今回の物語は私たちの持つ意思の力っていうのがどれだけ大きいかってことを示したものになるんですけれども、
ピレネー山脈遭難事故と意思の力
現代でもこんな話があって、ある登山隊がピレネ山脈を登山中になだれに遭遇してしまうんです。
隊員たちは一時的に意識を失って、意識が戻った時には背負っていた基本的な装備が全部失われてた。
一生懸命自分のポケットの中に何か残ってないかって探したら、もうろくなものがないんですね。
食料、チョコレートとかの非常食が少々あるだけ、最悪なことにコンパスもなくなっているんです。
もうこれは生きて帰れないなってみんな覚悟するんですね。
そういう中である人がポケットの中から一枚の地図を見つけます。
これを見ているとだんだんみんな元気が湧いてくるんですね。
あ、尾根はこういうふうに走ってて、周囲の地形がこうなっている。
ということは私たちはこの辺にいるんじゃないかと。
今、あ、太陽こっちから出てるなと。
じゃあこっちが東なのかと。
じゃあこういったら下山できるんじゃないかって。
地図の上に道をつけるっていう作業をみんなで始めるんですね。
ストーリーを組み立ててそれをみんなで共有するんです。
下山の過程では本当に困難があるんですけれども、地図の上につけた道筋を信じて、
それを頼りに困難を一つ一つ乗り越えていき、奇跡的に下山することができました。
あ、めでたいねっていう話なんですけれども、この話、オチがあるんですね。
このなだれの情報っていうのは麓にも届いてて、
この登山隊が遭難したんだなって考えた麓の人々は
捜索隊を結成します。
でも上空からの緊急捜索では見つからないんですね。
連絡も取れない。
これ状況から考えてこれはもう生還は絶望的だなって諦めるんですね。
そんなタイミングで登山隊が生きて戻ってくるんです。
もうみんな驚くわけですね。
登山隊のリーダーにあんな状況でどうやって帰ってきたんですかって尋ねたら、
リーダーは1枚の地図を取り出してこの地図のおかげだよって笑うんですね。
でもそれを見た救助隊の人たち驚くんです。
いやいや何言ってるんですかと。
この地図はアレプスの地図じゃないですかって。
そうこれはピレニエ山脈の地図じゃなくてアレプスの地図を頼りに降りてきてたんですね。
この遭難した直後の登山隊ってコンパスを失って絶望的な気持ちになってるんですけど、
地図を見つけたことで絶対に生きて帰るんだって強い意志を持ったんです。
その結果生還するっていう最高の結果を手繰り寄せたんですね。
仏教が言ってるのも本質的にはこういうことなんです。
自らの意志によって自分の人生が切り開かれていくんだと。
だからその意志を少しでも良いものにしていく。
そうすると人生も良い方向に進んでいくんだよと。
エンディング
今週も最後までご視聴いただきありがとうございました。
気に入っていただけた方は高評価、チャンネル登録もよろしくお願いします。
それではまた来週お会いしましょう。
14:40

コメント

スクロール