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2026-02-07 23:13

【ゲスト編】「お布施にお礼は不要!?」ブッダガヤを訪れる巡礼者の姿にみるお坊さんと信者の関係性。

▼今回のトピック


世界中の僧侶が集まる聖地ブッダガヤの今/


「明るいタイ」に「物静かなスリランカ」?国ごとに違うお坊さんの個性/


観光と巡礼は何が違う?お寺での振る舞いに見る「敬い」の差/


お寺の作法を誰が教える?日本で失われつつある「家庭での伝承」/


「助けてと言って!」台湾の尼僧に叱られた、お布施への考え方の違い/


お布施を渡す側が「ありがとう」と言う、海外での驚きの体験/


僧侶は「善い行い(徳)を育てる田んぼ」?お布施をいただく側の責任/


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サマリー

このエピソードでは、日本の仏教信者の減少とブッダガヤでの巡礼者の特徴について掘り下げている。特に、各国のお坊さんとの関係性や信者としての振る舞いの違いが語られ、タイやミャンマー、スリランカなどの信者の参加スタイルが比較されている。また、ブッダガヤを訪れる巡礼者とお坊さんとの関係性についても語られ、在家信者とのコミュニケーションの違いやお坊さんが求めるものを伝えることの重要性が議論されている。お布施と感謝の関係に関しては、ブッダガヤを訪れる巡礼者の視点から立ち話があり、お坊さんと信者の関係性が深く考察され、互いに受け取り合う重要性が強調されている。

ブッダガヤの国々の僧侶
かんどう和尚のはじめての仏教。
今回も素敵なゲストにお越しいただいております。
インドと日本を往復するお坊さん、浄土宗僧侶清水良正さんです。
良正さん、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今回はですね、ブッダガヤで見る各国のお坊さんの様子とか、在家の信者さんの様子をお伺いしたいんですけれども、
ブッダガヤで一番見るお坊さんってどこの国の方が多いんですか?
多いと言うと、まずタイ。
タイですか。
タイは多いです。
あとミャンマー、スリランカ、やっぱり近い…
ジョーザブ系。
ジョーザブ系のインドに近いところ。
あとはもちろんチベット仏教ですね。
その方々、そこが一番多いかなと思いますね。
東アジアはどうですか?
東アジア、昨今増えているのがベトナムです。
ベトナムですか。
ベトナムの方々が一気に今増えております。
ここ2、3年ですね。
で、コンスタントに来られるのが台湾とか。
今中国の方ちょっと来れないですけれども、
中国とか中華系の方っていうんですか、
東アジアにいらっしゃる中華系の方々ですかね。
日本はどうですか?
日本はもう激減なんです。
なんで激減なんですか?
僕もそれは聞きたいんですけどね、なんで来てくれないのかと思いますけど。
でも本当に日本、ブッダガヤっていう街が発展したと言いましょうか、
聖地としてすごくホテルができたりとか整っていった経緯っていうのは、
日本の方々がバブル期とかにバーッと押し寄せたんですよね。
それが初めての、すごく観光巡礼でお金が落ちたっていう時期。
それによってブッダガヤが潤って、
巡礼地としてすごくホテルとかも完備されていったっていう流れはあるんですけれども、
そっから減り始め、代わりに他国が増え、
今は日本の方々はほぼすごく少なくなってしまっている状況です。
信者とお坊さんの関係
時期によっては各国のお坊さんたちがバーッと集まって、
一堂に会して、それぞれの国ごとにお坊さんが集まって土俵を奉養するみたいな。
あれは日本エリアではないんですか?
日本はしたいんですけどないですね。
基本的には大統の中、母大・母大寺の中っていうのはお願いと言いましょうか、
お願いすれば使わせてもらえるんですね。
この時期からこの時期、何月から何月何日の何月こういうことをしますと。
使わせてくださいっていう。
空いてれば別にいいですよ。
例えば母大寺の下の広いスペースとかも、
その時スケジュールが空いてたら早いもん勝ちですね。
使えることができるんですよ。
だいたいどの国の方々もほぼ決まってるんです。
だいたいルーティンというものが。
だいたい11月、12月の前半はタイ人とか定座部系の方々、10月からか。
ちょっと寒くなる12月過ぎになってくると、
チベット仏教の方々に色変わりをして、
1月終わりから2月の中頃、前半ぐらいまでがチベット職。
そこからまた定座部職に変わっていくとかっていう流れもありますし、
そういう時に各寺院とか、各宗派とかが10日間とか1週間とかっていう形で、
独教会っていうモンラムって言われるものを行ったりとか、
大きなものだとトリピタカチャンティングっていう三蔵経典独自奉養、
というものが今20年目かな今年で行われて、
毎年決まった日に行われてますね。
個人レベルで、それぞれの国のお坊さんとご友人いらっしゃると思うんですけど、
ちょっと特徴、それぞれでちょっと癖が違ったりとか。
スリアン家の方はお坊さんは結構ドンと構えるっていうんですかね。
あんまり笑わないし、ドンと構えた方が多いっていうんですかね。
もの静かと言いましょうか。
タイとか、タイのお坊さんはとにかく明るく。
すごくフレンドリーなイメージ。
ミャンマーのお坊さんたちは寡黙ですけど、仲良くなるとすごく仲良くしてくれるというんですかね。
ベトナムの方々もすごいフレンドリーですね。
ちょっと気候も関係してそうですね。
気候とお国柄だと思いますね。
気候が一番関係してると思います。
あとはそれぞれの国にリストコ的なお坊さん像みたいなのもあるんですかね。
あると思いますね。
やっぱりジョウザブンの本当に古くからの国、例えばスリアンかミャンマーやってくるとやっぱりドンと構えてるお坊さん。
お坊さんらしくっていうんですかね。
そういう状況ですし、タイとかだとやっぱりちょっとフレンドリーなお坊さんの方が好かれてるっていうんですかね。
そういう状況でもありますよね。贈り柄が出ますよね。
日本もじゃあフレンドリーな方があれですかね。
日本はどうなんですか。
私のイメージはそういうフレンドリーなお坊さんの方が人気がある印象があるんですけど。
やっぱりそれは大切ですよね。やっぱり人間同士ですから。
なるほどですね。
一方で仏教信者の方も仏陀会にたくさん来られると思うんですけども、どの国の方が多いとかも。
信者さんもでも同じですかね。
ただその信者さんでも例えばお坊さんと来るツアーとかそういう形で来るのと、個人レベルで来る方っていうのがあるんですよね。
やっぱりタイとかミャンマーもそうですしスリランカもそうかな。
そこの国の方々は個人レベルよりもお坊さんと一緒に来る。
お坊さんと一緒に瞑想したりとか修行をして帰るっていう方が多い気がしますかね。
もしくはタイの方だったらお寺を手伝いに来るとか。それで長期滞在されるっていう方が多い気がしますね。
今話を伺っている限りだと、お坊さんと信者の方の関係性っていうのがちょっとお坊さんの弟子じゃないですけど、そういう感じが受けますね。
やっぱりお坊さんが導いてくださるものなので、旅で来てるんじゃないんで。巡礼で来てたりとか修行に来てるので、遊びではないんですよね。
やっぱりそこで何をするかっていうことが大切なんですよね。
行くことが目的なだけじゃなくて、行ってそこで何をするかが大切なので、その辺を意識するとやっぱりお坊さんとの接点とか、お坊さんから話を聞くとか、お坊さんから説明を受けるとか。
お坊さんと瞑想をするとか、そこで瞑想を教えてもらうとか。
例えばそこにお坊さんにお伏せをそこで徳を積みに行くとかっていう、そういう感じの旅っていうか巡礼か。
日本の仏教信者の現状
そういうために来る方が多い気がしますね。
すごいですね。
豚ヶ谷の映像とか見てても、在家の信者の方でも古代当初の来拝みなさんすごくされるじゃないですか。
されますね。
あれとかの様子って日本ではまず見ないので。
私も知り合いのお寺に台湾の方が旅行でお越しになって、たまたま立ち入られたらしいんですね。
そしたらご本尊に対してちょっとお参りさせてほしいって言われて、いきなりそこで古代当初されて。
ちょうど日本の団家さんの法事の前か何かだったらしいんですね。
日本の団家さんたち、古代当初とか自分たちしたことないから、それを見てすごく面倒ったみたいな話を聞いて。
でもそうだよな。
だいたいどの国も、例えば仏教となります。
日本って生まれから仏教とのイメージがあるじゃないですか。
そうですね。
団家だからとか親がそうだからっていうところから入るじゃないですか。
でもやっぱりどの国の方も多くは、もちろん信者さん同士で教え合うのもあるんですけれども、一方でお寺に来たらこれをまずするんだよとちゃんと学んで、
順番もしたりするんですよね。
だからやっぱりその時に仏法僧が祈願するものであり、祈願の仕方っていうのはこういうことでありってちゃんと学んでられるっていうんですかね。
それが根底にあるっていうこと。
私もだから、例えば京都のお寺とか、タイの友人を案内した時もそうですけれども、夜間ライトアップをしている時に、ライトアップしているお寺に行ったんですけど、お金払って入りますよね。
普通にそれは別に普通のことなんで、入ってずっと歩いていくと。
お庭をライトアップしているところだって、でも本尊さんに一番先に挨拶するんですよね、どの国の方々も。
本尊さんはどこだ、本尊さんはどこだって探されて、ライトアップしている庭の反対側にあったんですね。
普通の日本の方ってライトアップ見に来てるんで、庭に入ってきてパッと開けて、目の前でライトアップをしているっていう、そっちを向かってみんな座るんです。
分かるな。
で、一緒にいたタイの方はまず本尊さんを探して、みんなが庭を向いている反対側を向いて、お祭せまずちゃんと入れて、合唱して座ってちゃんと参拝して、そっちに拝んでから見るっていうんですかね。
その横を日本の方々がさーっと通り過ぎていくみたいな、そういうのは体験したことがありますね。
対照的ですね。
私が日本の仏教で在家の一般の信者さんたちが、信者さんと談家さんってちょっと分けてもいいのかなと思うんですけども、
談家さんたちが仏教徒としての振る舞いかな、諸作とか、やっぱり皆さんご存知なかったりする方がたくさんおられるのが現状だと思うんですね。
坊さんと信者の関係性
それをお坊さんが教えましょう、それが役目だと思うんですけども、それ以外にもさっきおっしゃられたように在家の信者さんたちの中で代々教えていくみたいなのが外国ではあるわけじゃないですか。
ありますあります。
これが日本は断絶しているのも感じるんですけど、これはやっぱり各家族家ですかね。
だと思いますね。
各家族家と教える必要がないくなってしまっているという、あんまり意識されなくなってしまっていることなんですかね。
お寺でいろいろ生活している中で、談家さんからいろいろ聞かれることとかがありますよね。
例えばお札はどれくらいですかとか。
こういう話って、たぶん昔は、実際に私も肌感としてあるのが、私が来た今のお寺に入るのは15年ぐらい経ちますけども、その時ってそういうことあんまり聞かれなかったんですよ。
やっぱり地域の中にお詳しい方がいらっしゃって、その方が教えてくださってたんですね。
でも、そういう方々しかなくなって、今現状誰も詳しい人がいないから、お寺聞きに行きみたいな。私でも直接聞きに来られる。
それしかないからですね、本人たちからすると。
それが悪いとかではなくて、そういう現状がすごく増えたなと。
全部お寺が1から2、2、3、3って伝えるって状況が今なってて、いかんともしがたいし、誰が悪いとか話じゃないんですけれども。
仕方がないですよね。
聞いてくるだけまだありがたいと思いますし、そういう状況なので、それに合わせて伝えていくっていうことは大切かなと。
でも、台湾の二相さんに怒られたことがあるんですけど、
あなたは何で何も言わないのって言われて、何も言わないのっていうのは、その時は仏神寺のお寺が、そんなにお金がないお寺なので、
例えば修復ができなかったりとか、美品が買えなかったりもする時があるんですよね。
そういう時に、日本のお坊さんってあんまり言わないじゃないですか。
お金がないとか、あれ欲しいんですとかって、そんなね、なんか探査に気軽に言えないじゃないですか。
文化の違い
そんな癖ないじゃないですか。
それを、たまたま仲良い日本のよく来る友人と喋ってる時に、なかなかちょっと直したいけど難しいんだよねって話をしてるのを聞いた友人が、
泊まってる台湾の人に、お坊さん、あなたこれ悩んでるんだよって話をしたら、その話を聞いた台湾の二相さんがバーッと来て、
なんであなたは言わないんだと。言わないってことは、いらないことなんだよってはっきり言われて、はっきり言わないとダメなんだよと。
いやでもそんな、自分からお願いできないよと。
と言ったら、いやいや、お願いじゃまだいらないってことだよと。はっきり言わないとダメなんだよと。
っていうことも言われましたし、その言われるってことは必要だから言ってくれてると。
だから別にそれは 私利私欲で言ってるんじゃなくて
必要だから言ってるんだから それは喜んで助けるし
それもお伏せなんだから それでいいんだよというのは 言われたことありますね
私もやっぱり言いづらいところ たくさんあって
その部分で一つ私が今思ったのは
日本の場合って我々が言ったときに
反発される可能性もやっぱりあるじゃないですか 実際に
私自身はそのケースないんですけど
それはよそのお寺さんとかで聞いたことがあって
壊れてるからやりたいですよって言ったときに
必要ないだろうって言われてしまって
でもお寺側お坊さん側が シュンとなっちゃうみたいな
でも海外のお坊さんがそれ言えるってことは
そういう関係性じゃないってことですか
でもやるやらないは別の問題って言うんですかね
言うだけで言うと
言うしやるやらないかは段下さんの勝手
信者さんかですし
あとは海外であって日本でないというと
これが必要ですって結構壁に書いてあったりとか
こういうお寺の中にですね
こういう宿
例えば建物計画とか
こういうものを建ててこれだけ必要なんですっていうのが
至るところに書いてある
それを見てできる人がそれをやるっていう
目につくとこに書いてある
これは多分日本の
例えば大寺とかは修復とか
例えば変わらないしのうとか
そういうの書かれてたりもしますけれども
一般人レベルであんまりそういうのをしてたりは
しないんじゃないかなと思うので
その点がちょっと違うところかなと
いうのは思いますかね
在家の仏教徒さんとの関係性で
他にもふと思ったのが
向こうのお坊さんと在家の信者さんが海外ですね
割と関係性がお坊さんが
上下じゃないですけども
お坊さんの方がすごく尊敬される存在であって
お坊さんが言ったらそれに対して
例えば仏教法話とかでもそうですけれども
それに対して在家信者さんが
いやそれは違うんじゃないかとか
そういうことあんまりないって聞いたんですけど
あんまりないと思います
ゼロとは言いませんし
僕の見てる範囲なので
僕が見てるのは
ブダガヤに来る坊さんたちとか
信者さんの関係性なので
もしかしたら本国では
違っている可能性もあるので
ここはちょっとはっきりとは
言いづらいところもありますけれども
少なくともブダガヤに来てるところの人の感じだと
そのあたりっていうんですか
そのお子さんが言ったことっていうのは
やっぱり素直に聞いてられるというか
それまでに多分関係性がちゃんと構築されてて
っていうのがあるんだと思うんです
その言葉の信憑性と言いましょうか
うまく関係性が出来上がっているので
そうなるんだと思うんですけれども
そうか関係性ってのもありますね
やっぱりその付き合い
例えばだから
お坊さんの方が偉くはないですけれども
なんかこう接しづらそうじゃない
なんて言うんですかね
態度おとあいの人とか見てても
やっぱりリスペクトはしないといけないと
お坊さんに対して
ってなってくるとなんかこう
接しづらくなるんじゃないかなとか
気軽に喋れないものが
言えないんじゃないかなと思うんですけど
そこら辺はねすごいフレンドリーなんですよ
笑い話をいっぱいしてたりとかもするんですよね
LINEでやりとりを頻繁にしてるとか
一緒にじゃあカフェ行こうかみたいなことを
感謝の意味
されたりもするんですよ
なんかその距離感すごいなと思って
不思議ですね
なんかその辺がね
なんか不思議
なんか言えばこう
ある意味お互いに
線引きがうまくできてるというか
リスペクトするときはリスペクトするし
でもちゃんと密にコミュニケーション取るときは
ちゃんと密にコミュニケーション取るというか
仲良くするというか
あの辺の感覚では面白いと言いましょうか
すごいなっていうなんか思い
例えば女性の方が触れたらダメとか
物も直接受け渡しもダメだったりもするんですけども
それもさっさとされるっていうんですかね
なんか自然の流れでされていくと言いましょうか
堅苦しく感じてしまうじゃないですか
なんかもうそれがないっていうのは
なんかどうしたらその関係性ができ上がるのかなって
本当にずっと見れて思う時もありますけども
本当ですね
以前の良将さんの他のインタビューされてる記事かな
見たときに
奥瀬を受け取ったときに
お礼を言ったら怒られたみたいな話
あれはどういうことなんですか
あれは20後半のときですよね
インドで会った台湾の方々に
おいでおいでよって言われるの
どの国の方もおいでって言うんですよって
本当に行ったほうがいいんですよね
行くと喜ぶんで
本当に来たわってなくて
本当に来てくれたわっていう感じですね
本当に喜んでくださるので行くんですけど
そのときも行きまして
本当に合計で4,5人ぐらいの方が
有給1週間とって案内してくれて
私は1人の50代
40後半か
40後半の男性の方の家を泊めてもらって
ずっと泊めてもらいながら案内してくれ
お世話もしてくださって
帰るときですね
空港までザーッと車で送ってくれて
最後降りるときにパッと封筒渡されて
奥瀬っていうのは分かるので
ありがとうございますという形で受け取ったら
ダメだと
お前がありがとうと言うなと
いうこと言われて
ひょとんですよね僕からしたら
なんでだと
日本でそれ言わなかったら大変なことになるからと
そのときに言われたのが
あなたがありがとうって言ってはダメだと
感謝の重要性
私がありがとうって言わないといけないんだと
あなたがいるからは
奥瀬を渡すことができるんだから
あなたがありがとうじゃなくて
私がありがとうって言って渡さないといけないんだ
って言われたのは
本当衝撃的でしたね
でもありがとうって言ったほうが楽なんですね
なぜかというと解決しないので
すごい重大なことなんですね
全てを背負うじゃないですか
これをあと自分がどう使うかは自分次第みたいな
だからありがとうって言うと楽なんですよ
ありがとうって言えないって
実はすごい重大なことであって
重荷とかじゃないんですけども
逆になんかしっかりしないとっていう
そういう感覚に私はなりましたね
私も自分の話をしたら恐縮なんですけど
奥瀬で生活させていただいて
その中で奥瀬に見合うお坊さんでありたいってことは
やはり羽根寺に思うんですね
徳が高ければもちろんいいですし
そういうふうになっていきたいんですけども
なかなか自分自身
あんまり大したお坊さん
大したお坊さんじゃないって
自分で言うのもあれですけども
その中でできることは何かなって考えた時に
お酒飲むのを本当にやめようとか
私もお酒辞めて10年くらいになるのかな
そういうことをやって
自分自身が後ろめたい気持ちをなくしたい
多分おっしゃられたらそういうところもあると思うんですけど
堂々と奥瀬を受け取って生きていくために
そういう部分をなくしたいっていうのがあって
今お話伺いながら
そういうふうに思ったんですけど
意外と奥瀬って
高層だからいいとか悪いとかって
本当は違ったりもするんですよね
みんな奥瀬は一緒なので
その辺で結構あんまり相手の方は気にしない方も
いらっしゃったりもしますし
僕は本当にしっかりと受け取るってことをしてますし
食べ物とかも受け取ることがあるので
それもしっかり受け取って
しっかり食べるっていうんですかね
そういうのを意識するようにはしてますね
よく福田っていうふうに言うじゃないですか
お坊さんのことで
福の実る田んぼと
そこに奥瀬することで
大きなリターンが返ってくるんだと
それがやっぱり根本的に根付いてるんですよね
根付いてますね
なるほどですね
この辺はこれでも言いづらいですね
我々が日本でわざとさし福田ですよって
まず言わないといけないんだと思うんですけど
言わないといけないと思うんですよね
言えないって一応書いてあるので
信者との関係性
言えないわけはないんですけど
言えない理由はどこかって考えたら
多分自分に思い当たる不思議があるからなので
本当は自分がそこ言えないっていうのが
多分自分で自分のことを改めるよと
っていうところに行き着くんだとは思うんです
胸を張って福田んと
本当は言わないといけない
それは別に知りしおくとかじゃなくて
書いてあるので
でもだからそこ書いてあるからって言うんだったら
書いてあることを全部守れよっていう話にもなってくるので
こればっかりは難しいところはありますけれども
ただ先ほど言ったように
しっかりと受け取る
ある程度と言いましょうか
しっかりと防いでくださった方が
この方だったらとかっていう思いの
何て言うんですかね
権威としての名前とかそういう肩書きだけじゃなくて
雰囲気とか
その姿形って言うんですか
なんかこの人だったらお伏せしようとか
お伏せしてよかったなっていう
例えばそのもらった後の立ち振る舞いとか
喋ってる時の普通の喋り
その方話がいい方話じゃなくて
普通の喋ってる時の喋り方とか
雰囲気そういうものも
しっかりそういうところからしっかりしていくのが大切かなっていうのは
思いますよね
そうですね
本当に今日いいお話聞きました
ありがとうございます
長い時間お付き合いいただきまして
ありがとうございます
そしたらもうそろそろお時間でございますので
今回はこちらでおしまいとさせていただきたいと思います
どうぞインドに帰れてもお怪我のないように
ありがとうございます
お時代ください
頑張ってまいります
ありがとうございました
ありがとうございました
23:13

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