1. 神田大介の経験
  2. ゲームの前にゲームがあった
2024-04-24 09:24

ゲームの前にゲームがあった

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その初期型のファミコンでやってたのは、他に何かな?と思うと、ジャレコのゲームとかですかね。
忍者くんとかそうですか?わかんない。いろいろ忍者くん、忍者ジャジャマルくんのシリーズがありましたけど、ジャジャマルくんまではやってないかな。
一機は何だった?どこだ?テコモか?ジャレコか?うん、わからない。一機あったな。でも多分米原くん家じゃないな。
坂爪くん家かな。肉の坂爪っていう肉屋さんをやってる坂爪くんって言って、実家が広島で広島カープファンなんですよ。
私は中日ドラゴンズファンというね。東京ですからね。ジャイアンツファン。ジャイアンツファンってそんなにたくさんいろいろあった気がするけど、ヤクルトファンとかがいる中で、全然みんな。
でも広島ファンは当時結構いたんだよな。強かったですからね。肉の坂爪。ここ行くとおやつにチーズ巻きみたいなのができるんですよ。
餃子の中にチーズ入ってるんですけど、餃子の皮でチーズを包んで揚げるっていうね。うまくてね。坂爪くん家に行くのが好きでしたね。さすが肉屋さんですよね。坂爪さん。うちのやつは多分一機かなっていう。
あとファミコンをやりに友達の家で遊びに行くっていう感じでしたもんね。他はファミコンも買ってもらわなかったからな。
後にそれで名古屋に転校するわけですよ。この間お話しましたけれども。名古屋でもやっぱり人の家に遊びに行くっていうのはファミコンをしに行くっていうのと重なってる部分がありまして。
最初はおじいちゃんおばあちゃん、祖父祖母と同居、そこに住ませてもらったんですけれども。家があって、そこが祖父祖母の家からもそんなに遠くない。自転車で5分ぐらいか。
そこにあるマンションだったんですけど、シティコーポミアっていう名前のね。もう今誰も住んでないですから別に行ったってどういうことないですけど。シティコーポミアって何なんだろう。
シティコーポなんとかっていうマンションはいっぱいあったんで、高段系なんですかね。すみませんよく知りません。
そこに住むようになってから同じマンション、うちは2階だったんですよ。低。5階、201号室だったんで、5階に1学年上の子が住んでて、兄弟、男の兄弟だったな。下の子は僕より年下でしたけれども。
今も住んでると悪いからあいくんとしとくか。あいくんのうちにはマレーに遊びに行く。全然別に親しくなかったですけど。
マレーに遊びに行くと、スーパーマリオブラザーズをやらせてもらってましたね。これ発売が1985年の9月13日ですって。私は当時9歳だけど10日後には10歳なんで4年生ですね。
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この時のスーパーマリオの遊び方っていうのが、まず伊沢くんちも共働きなんですよ。うちは当時はもうすでにシングルマザーで母親は働いてましたから日中もちろんいませんが、伊沢くんちもお父さんお母さん両方とも働いてたんで日中誰もいないんですよね家にね。
3人兄弟だったな。男男女だわ。5年3年2年とか1年とかそんなような構成だったと思いますけど。私が4年生ね。まずファミコンを探すところからゲームが始まるんですよね。
親御さんが留守中にゲームばっかりやられちゃえば困るっていうのでファミコンを隠すんですよ。押入れの上の方とか。それをね、伊沢の兄貴の方が探すところから始まって、守備よくファミコンを見つけ出せるとゲームにありつけるっていうですね、そういう二段構えの楽しさ。
だからね、当時はやっぱりゲームをやるのにもね、いろんな苦労やら駆け引きやらあったんで、一般に大人はゲームをやるということに対してはいい顔をしなかったですから。
何でしょうね、うちはわりかし放置されて、まあね、死んだ母親のことはあんまり悪く言いたくはないですけど、ややネグレット気味にいったところが東京の頃からありますよね。放っておかれてるもんな。
名古屋に来てからはあれですよ、働いてるから当たり前っちゃ当たり前なんですけど、ただそれにしてもね、あんまり伊沢くん家みたいなことはなかったんですよね。ファミコンはなかったけど、例えばお菓子は別にすぐに取れる場所とかに置いてあって、私それを食いっから貸してたんで太りましたもんね。
止めねえんだよな。あと刃の矯正とかも自分はやりたいって言ったんですけど、やらせてもらえなかったですからね。金がかかるって言ってね。ケチ臭いんだよな、猫どんどんの一件とかもそうなんですけど、このゲームウォッチ、ドンキーコングルゲームウォッチが欲しいよって言うのに2908円のやつ買うんだよな。特売でそれもしかも安くなってるっていうね。
親の悪口言うようであるんですけど、当時の価値観なのかな。しょうがないですね。父親は昭和20年、母親は22年の生まれですからね。
で、スーパーマリオ、これは大ブームでしたね。すさまじい人気で、これがファミコンの勝利を決定づけましたよね。一応だから、ライバルゲーム機って当時からあって、セガとかね。セガはマーク2からマーク3ぐらいの時代かな。
面白いゲームはありましたけどね。それで触発されて、スーパーマリオに触発されて作ったのがおそらくソニック・ザ・ヘッジホッグじゃないですかね。あれも売れましたけどね。マーク2、マーク3、マスターシステムの時代にはなかったですよね。何やってたんだっけな。
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それもね、友達が持ってて、みのろくん家にあったよな。何やってたかな。全然覚えてない。あと、じいちゃん家にあったような気がするな。競馬のゲームをもっぱらやってましたけどね。そうそう、そういうゲームあるんだよな。ファミコンもマージャンって最初の頃からありましたもんね。
ああいう大人を狙っていくっていうのが、子供買えないからお父さんもマージャンできるよなんつって駆動こうってんでしょうね。初期のファミコンは教育に使えるよっていうのを推してましたよね。ファミリーベーシックって言って、ベーシックって言うのは言語、プログラミング言語。プログラミング言語って言うほどのもんじゃない。
でも一応他のプログラミング言語の基本、基礎みたいなものだからベーシックって言うんですけど、わかりやすいんですよね、比較的。ベーシック、ファミリーベーシックってあったし、それからロボットとかね、ジャイロとか、要はファミコンをそういうプログラミングであったりロボットであったり、機械工作の制御に使うみたいな、そういう発想。
任天堂は出してましたもんね。ゲームに振り切ったのはスーパーマリオとかそうですけれども、総合的なそういう知的エンターテインメント的な雰囲気出さないと、なかなかやっぱり14,800円で当時出してもらえなかったんじゃないかなと思いますよ。
ただファミコンの性能は圧倒的で、セガはそれよりは全然画面とかきれいじゃなかったし、あとカセットビジョンってのがありましたね。
カセットビジョン、元祖カセットビジョンは本当にあの粗いドットしか表示できなくて、これも友達のうちでやったことがありますけどね、ヨサクとかいうゲームがありましたね。
ヨサクってあれいいのかと思いますけど、北島三郎さんの歌とは何も関係なくて、ヨサクっていう名前の木こりがいて、イノシシをひたすらぶなぐるっていう単純なゲームですよね。
あとスーパーカセットビジョンっていうのもあったな。それは多少絵が綺麗になっているんですけど、やっぱり絵の映像の美しさはファミコンは圧倒的でしたね。
すごい綺麗だったもの。動きも滑らかですね。
いろんなソフトハウス、ソフトメーカー、当時ソフトハウスって言い方してましたけどね、ハドソンとかジャレコとかいうところが入ってくることによって、どんどん切磋琢磨が進んでいく。
自分のところではないゲームがどんどんできるようになるわけですよね。そこで任天堂のファミコンのブームっていうのはどーんと盛り上がっていきましたね。
スーパーマリオもね、僕は友達の家でしか基本やったことがないんですよ。もちろん知ってますしクリアもしてますけど、なんか変な話ですよね。
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自分の家にないゲームをクリアしてるっていうのね。そういうファミコンをやりに行くっていうのはすごく普通の振る舞いだったなあ。
そうですね。当時うちにあったのはしかしファミコンじゃなくてMSXっていうパソコンだったんですけれども、これ話すとまた長いんでね。じゃあこの辺はまた次回にしたいと思います。
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