1. 神田大介の経験
  2. ゲーセンは怖い場所だった
2024-04-25 10:14

ゲーセンは怖い場所だった

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ゲームっていうことで言うと、このファミコンの話にも出てきたように、やっぱりその単純なゲーム、純粋にゲームっていうことは、親御さんのなかなか理解を得にくいっていう社会の状況がありまして、
僕も別に、リアルタイムは知らないですけども、歴史的にはインベーダーゲームとかがね、あったわけですね。多分80年代前、70年代後半から80年代前半とかね、
スペースインベーダーとかね、タイトルのゲームがめっちゃ流行ってる。ブロック崩しとかもその前にあったんですよね。
そういう、だから、筐体型ゲーム。最初は喫茶店とかにちょっとゲーム機が置かれて、小手入りを稼ぐようになり、後にゲームセンターとかになっておくわけですけれども、
私が小学生だった頃のゲームセンターっていうのは、もう圧倒的に不良の倉屈っていうイメージでしたね。
ちょっと悪いヤンキーの兄ちゃんがタムロス。子供なんかが下手にやるとですね、金をかつあげされるっていうね。
かつあげって今もあるんですかね。やっぱ治安が今と全然違う感じがありますね。
なんか、金を捨ててかつあげされるとかっていうのは、わりかし日常的なことで、そんなところに行く方が悪いぐらいに、学校でも言われていたような社交版みたいなね、言われ方をしてましたもんね。
遊戯場、ゲームセンターね。 ただ、駄菓子屋さんとかにもゲーム機ってあって、まれにそのスーパー、スーパーマリオじゃない、普通のドンキーコングだ。
ドンキーコングなんかは、これはゲームウォッチじゃなくてね、筐体型ゲームのドンキーコングが置いてある駄菓子屋さんはありましたね。
あったあった。し、それから、ミスター・ドゥとかね。
ちょっとね、どんなゲームだったら全然覚えてないですけど、確かピエロが主人公で何かしらが行われるとか。
あとまあ、普通のワニワニパニックみたいなゲームもあったと思いますけど、でもやっぱりあれですよね。駄菓子屋にあったゲーム機っていうと、コイン入れてピコピコピコとかつって回って、ルーレットみたいなのが回るゲームとか、
ルーレットが当たりゃメダルがもらえるっていう。メダルゲーか、スグロックみたいなゲームか、なんかそんな感じでしたね。
ビデオゲームのとは、まあナムコのゲームはあったが、ギャラクシアンとかはあった気がしますね。
ギャラクシアンをファミコンだと家でできるわけですよ。あれは割と衝撃でしたよね。ナムコのゲームはすごいですね。
だからギャラクシアン、1がギャラクシアンだよな。3がマッピーで、2何だろう。マッピー、ディグダグ、ディグダグ5じゃない。数字の番号がついてたんですよ。ギャラガが4か。2何だろう。まあいい。
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ナムコのゲームはとにかく質が高くて面白かったですね。いろいろ思い出しますね。タイトーのエレベーターアクションとかもありましたね。あれもいいゲームだったな。
ドアドア、エニックス。チュンソフトですよね。後に風雷の試練とか出すチュンソフトが作ってたのが中村光一さんのドアドアはエニックス。
フォートピア連続殺人事件もあの頃なのかな。いろんなファミコンのゲームがありましたよね。アドベンチャーゲーム。あれ話がずれたな。
ただゲームって、インベーダーとかもそうなんですけれども、ちょっと不良のイメージあったんですよ。
最初は多分ヒッピー文化の流行みたいなのとかフォークソングとかかかってくるんじゃないですかね。知らない時代のことはあんまり言わない方がいいですね。
ただ喫茶店に行って、ピコーン、パコーンというインベーダーですよね。
それからゲームセンターになって、不良のたまり場的なイメージがあって、やっぱりゲームっていうのが人間をダメにするというか、良くない方向に持っていく的な雰囲気は確実にありましたね、当時。
だけど子供は好きっていう。
なんで任天堂とかセガとしてはそういう子供にゲーム機を買ってもらいたいわけだけれども、親の説得っていうところが一つ大きなポイントになってくるわけですよ。
私の家みたいに買ってもらえない家が出てくるわけで、そこで出てきたのが、MSXというパソコンなんですよね。
これはですね、結構すごいですよ。パソコンとゲーム機の中間みたいな存在だったんですよ。
ゲーム機は、前も言いましたけど、ファミコンとセガ、マークスリーとかマスターシステムとか、後にメガドライブとかですね、セガ、任天堂セガ、あとはだからカセットビジョン。
カセットビジョンってどこ?エポック社?エポック社とか、なんかそういう第三勢力はありますけど、ほぼほぼ任天堂が全部ですよ。
で、セガがちょびっとあるっていう感じ。コカ・コーラとペクシコーラくらいの感じですよね。
で、パソコンね。パソコンはNEC、それからフジツー、シャープ、この3つの三つ共ですね。
だけどNECがちょい出てる感じかな。当時の記憶で言うと、やっぱり会社で使ってるパソコンはNECが多かったかな。
でもフジツーも結構ありましたよね。病院とか行って、電子カルテシステム、今みたいなものじゃないですよ。すごい単純なものですけれども。
時期カードを読み込んだりしてましたけど、あれは全部フジツーでしたね。システムね。
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で、シャープはどこにあるんだ?シャープは多分ホビー用が多いのかな。
MZ2500とかね、X1シリーズね。ただシャープはパソコン算定っていう、カンムリ…カンムリじゃねえや。
だけど一社提供番組を持ってまして、もうシャープのパソコンのことしか取り上げないわけですよ。
小倉智明さんですよ、MCは。すごいですよね。後の徳田根の小倉さんですね。小倉さんがメインのMCで、
あと山下昭さんっていうね、すごいゲームに詳しい、若い、見た目のいい人がいて、
パソコン算定っていうのはもうシャープ一社提供だから、ひたすらX1とかMZ2500とか、後にX68000とかの話しかしないっていうですね。
だから結構でもその番組は私見てましたし、持ってないのにね。
パソコン買ってもらえない、パソコンじゃなくて当時マイコンって言ってましたけど、マイコン買ってもらえない人はナイコン族って言われてましたもんね。
コンピューターがないからナイコン族ね。でもその言葉があるぐらい当時のパソコンって高くて手が出ないんですよ。
マイコンが14800円で高いって言ってるのに、当時のパソコンは10万円では全然買えないんじゃないかな。
PC6001とかでそれぐらいかな。いいやつ。だから88、PC88、これがもうパソコン界のデファクトスタンダードみたいな感じだったんですけど当時。
とかFM7、88、FM7、X1って大体のきなみに20万円台はしたはずですよね。
全然桁が違うわけですよ。買ってもらえるわけないですよね。それからパソコンはやっぱり大人が使うもので、だからゲームってのは後からですよね。
ただな、だからログインっていう雑誌があってそれで見る88とかFM7とかで動くゲームは羨ましかったですね。
大人がやるような感じのゲームは多かったですけどね。とはいえな、全くうちなんかもうだってファミコンも買ってもらえないわけですけれども、
ただそこに教育っていう用途が乗っかってくるとさあどうだっていうのがファミコンでもありましたけど、
M6っていうのもまさにそれで、ゲーム機はおいやでしょう、皆様。パソコンの形してるんだけれどもカートリッジが刺さるんですよね。
ファミコンのカセットとかと一緒で、ゲームのカセットがそこに刺さる。ファミコンとその意味では同じ装置を抱えている。そんなパソコンないですから他に。
普通パソコンのデータっていうのは当時はテープですよね。データレコーダーっていう外付けの機器があってテープに録音する。
お金持ってる人はフロッピーディスクっていうのを買えて、5インチディスクとか3.5インチディスク。3.5インチなんていうのはまだまだ新しいですよ。
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5インチですよね。あと8インチっていうのもありましたけど、5インチかな。フロッピーディスクって高いんだよな。テープが基本でしたよね。
テープにBがあって、30分も40分も録音するとようやくそれがプログラム化で録音できるっていうそういうものでしたけど、
一応専用のテープとかもありましたけど、普通の音楽用のテープとかにも録音はできるんですけどね。
ただレコーダー自体はデータレコーダーっていう特別なものを買う必要があって、普通のラジオカセッジやプログラムは記録できないんですよ。
っていうような時代にカートリッジ、カセットをポンと刺すだけでゲームが動くっていうのは、明らかにあれはやっぱりゲーム機的な用途を見越している。
だけどファミコンやセガとは違って、キーボードが必ずついてますから、パソコンの形はしてるんですよ。
そこで取り込みを図っていったってことなんでしょうね。
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