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2024-04-23 10:08

初期型ファミコンとわたし

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ちなみに、親の名誉のために言っておきますと、ドンキーコングのゲームウォッチ、6908円の画面が2つに分かれているやつは、後に買ってもらいました。
だから、うちにありましたね。アビリフォンでやりましたよ。
わたしね、一、二年生小学校の当時、わりかし鍵っ子だったんですよね。鍵っ子って言葉なくなりましたね。
親に鍵を待たされている子供が鍵っ子って言って、わたしもまさにそれだったんですけれども、父親はもちろん仕事に行ってますよね。
母親もうちの場合は、結構日中いなかったんですよ。パートをやったり、ジャズダンスのレッスンをやったりですね。
日常生活をエンジョイしてまして、わたしは鍵持って家に入るっていう生活。だから、親いないんで、テレビも見られましたし、ゲームもやろうと思えばやれる環境だったんでしょうね。
あんまり覚えてないですけどね。親はその辺には応用だったように思いますが、その辺でわたし太りますか。
まあ、前から太っている。幼稚園ぐらいから太っているんだよな。うちの親ってあんまりそういうところに関心がなかったんですよね。
ゲームウォッチ、ドンキー工具があって、クリスマスに。最初は猫ドンドンですよね。クリスマスに買ってもらった。
ドンキー工具のゲームウォッチ買って、サンタクロースに頼んだら、猫ドンドンがやってきたっていう、その猫ドンドン。
小一のクリスマスだったと思いますけれども。猫ドンドン、ドンキー工具、親戚のおじさんに買ってもらった、あられちゃんのゲームウォッチね。
あとその後だから、ミッキーマウスだかドナルドダックだかが、消防士になって火消すみたいなゲームウォッチがあったように記憶してますけれども、それが終わりましたね。
ぐらいかな。当時はゲームウォッチってピコピコって言われてましたよ。本当に電子音するんだよな。ピッコッピッコッみたいなね。
ドンキー工具もそんな音だったと思いますよ。ピッコッピッコッババーッみたいなね。その程度。
あられちゃんのやつはね、ちゃんとBGMって言ってるじゃないですか。ちょっと音が出るんですよね。
テレッテレレレレレレレー。ピッコッピッコッババーッ。バラランバラバラバラバー。ババラバラバラバー。パパーパパー。こんな感じ。
なにこれ。あられちゃんのテーマソングではないですね。多分著作権的にできませんよね。
バンバンゲーム音が。ともあれ、そういうゲームウォッチと比べて、ファミコンは圧倒的に画面は綺麗。そもそも手元でやる携帯型のゲームとテレビに映すゲームなので画面の大きさが違う。
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ただね、画面の大きさって言いますけどね、当時のテレビって一般的な家庭にあるテレビってそんな大きくなかったですよ。
14インチとかが普通でしたもんね。14インチ、17インチ。これは今はパソコンのモニターとかのサイズであると思いますけれども、ノートパソコンでも11インチとかは普通にありますよね。
13インチだっていう人もいるんじゃないですかね。14インチだとそれとほとんど変わらないですから、いかに小さかったか。小さいと思ってなかったですけどね、当時のテレビ。
たまに大きいテレビがあるねって言う人だと21インチとか23インチ。あるいはね、これは金持ちだなって言う人だと27インチみたいな。もちろんブラウン管ですからね。液晶テレビとかありませんから当時。
ブラウン管のアナログ端子にね。だから当時ってファミコンをつなぐにもその後AVケーブルっていうのが出て、赤白黄色のケーブルを挿せばテレビに映るようになりましたけどなかったから、アンテナ線みたいなのをね、導軸ケーブルを剥いて、そこに何か入れるんですよね、線をね。
今よりも全然配線がめんどくさかったんですけど、なんだあれ、Y字のネジで止められるような金具がついてて、それを後ろの方でつなぐんですよね。小学生もそれぐらいではできた。
それでかな。僕未だにテレビの配線とかそれなりにできますけど、あんまり得意じゃないですけど、電気全然得意じゃないですからね。妻とか全然できないんですけれども、子供の頃にやってたからかも。女子もファミコンはやってたけど、でも言うとやっぱり男子の方がやってましたよね。
米原くん家でやるファミコンは、さっき言ってた前回言ったマリオブラザーズとかベースボールが基本なんですけれども、初期型のファミコンなんでボタン四角かったんですもんね。丸くないんですよ。その後出るやつは丸いんですけど、ゴム製の四角いボタンで結構壊れやすかったんですよね。
で、任天堂が設計を変えたっていう話でしたよ。丸いボタンは高橋名人とかでおなじみのプラスチックのボタンですごく連射がしやすいというかできるボタンなんですけど、四角いボタンはポコッポコッペコッっていう感じで全然連射できないっていうボタンでしたね。あれをいっぱい連射してみんな壊しちゃったんですね。
あと覚えてるのはバンゲリング・ベイっていうゲームがありまして、ハドソンから出てるんですよね。ハドソンのゲームはね、任天堂のゲームとはまた違った趣があって面白かったですね。BGMが良かったですよね、当時からね。バンゲリング・ベイはBGMはないか。でもね、あのゲームはアメリカのゲームの移植ですね。
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ローダーバンド、なんだっけ名前忘れちゃったな。まあなんかそんな名前のような会社。ロードランナーとか作ってた会社ですよね。すごい有名なアメリカのゲーム会社。ロードランナーも、あれロードランナー任天堂だっけ?ハドソンだっけ?ロードランナーもかなり初期のゲームで、あれもやってたな、そういえば米原くん家で。ただ画面がアメリカのやつと全然違うんですよね。後にチャンピオンシップローダー。あ、でもこれもあれか。日本のやつだ。
画がアニメっぽいんですけど、そういうんじゃなくてもっとストイックな画面なんですよね、アメリカのゲームのやつはね。パソコンのゲームだったからでしょうね、もともと。地面掘ってね、そこに敵を落として、これで踏んづけて歩いて近海を通って回るっていうゲームですね。ローダーナーありましたね。
結構難しいんですよね。50面とかあるんだよな。最初は38面だったかな。そういうゲームあったりとか。バンギリングベイね。バンギリングベイは説明ないとわけわかんないですね、あのゲームはね。何やっているのかよくわかんない。
敵の基地を爆撃していくゲームなんですけど、あんまり説明とかないんですよね、当時のゲームって。おそらく多くの当時子供だったおじさんたちが覚えているのは、ツーコントローラーのマイク。ファミコンはツーコンにマイクがついてるんですよね。何に使うのかよくわかんないですけど。
わーっとなって言うと、敵がいっぱい集まってくるっていうね、そういう裏技。そうですよ、裏技ですよね。当時のファミコンゲームは裏技、隠れキャラ、隠しキャラみたいなものが、もう本当に前世紀で、それがネタになって雑誌に取り上げられて、みんなゲームをやりたくなるっていう、そういう相乗効果みたいなのがあったんですよね。
だからみんなファミコン雑誌、ファミコンコンピュータマガジン、特魔書店がやっぱ最初はめちゃくちゃ強くて、裏技ゲームブームみたいなのがやってきて、いろんな出版社からファミコン雑誌っていっぱい出るようになって。
なんだ、何があったかな。ハイスコアとかね。ゲーム発明されるとすぐクリアしちゃって、それを雑誌に載せてたんで、さすがにやめてくれって話になって、それは裁判雑談になったんじゃなかったですか。載せられなくなったんですけれどもね。
ゲーム必勝本、マルカツとかね。あとファミ通ですよね。ファミコン通信ですね、もともと。あれはログインっていうPCゲームの雑誌があって、そこにもファミコン通信っていう1コーナーですよね。
ログインの中にさくらだよりみたいな感じでファミコン通信。ファミコンの世界は今こうなってますよっていうコーナーがあって、それが独立して雑誌になったのがファミ通ですよね、今のね。
裏技のページがやっぱりすごいボリューム多くて、ファミマ画の大義霖とかっていう裏技ばっか集めてるものすごい分厚い辞書みたいな本とかも出てましたもんね。懐かしいですね。
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あれなんかを見ながらみんなチクチクやるっていうのは、しかし初期のマリオブラザーズとかベースボードとかそんなもんなかったんですよね。どっから出たのかな。有名なのは多分コナミのグラディウスのコナミコマンドってやつですね。上上下下左右左右BA。いまだに暗記暗唱してるから大したもんですね。
隠れキャラは多分ナムコのゼビウスじゃないかな。ソウルは自分か。地上の適当なところにミサイルを撃ち込むとキャラクターが出てくるんですよね、隠れキャラもね。そういうようなことが当時は流行ってましたね。
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