対話形式の偏見
ノートブックLMのですね、作ってくれる音声が男性と女性の掛け合いになっているんですよね。
これはまも見事で、なんかよくわかんないですけど、
説明役と聞き役みたいなのが、途中でくるくる変わる構造になっているんですよね。
別にいいけど、なんか分かりにくくないというふうに。
あと同じタイミングでいくつか作ってみたんですけど、
だいたい同じ感じで入れ替わっていくんで、不自然だなと思いましたけど。
実はですね、私本当に大変な偏見がああいうコンテンツにありまして、
どういうコンテンツかというと、二人喋りになってるでしょ、対話になってますよね。
でね、対話は別に私全然好きですよ、普通に。
ポッドキャストって二人でやってる対話のものが多いですし、
やっぱ一人でやってらっしゃるやつよりも、
二人で対話してるやつの方がグルーブみたいなの生まれやすいんで聞きやすいなと思って、
いつも聞いてますけど。
一人で作ったコンテンツを二人の対話形式にするものっていうのは、
私昔からどうも実は苦手でして、ありません。
それでウェブの例明記にもすごいあったんですけれども。
明らかに個人が、だいたいおっさんなんですけど、
男が一人で作っている文章を、
なんか女性二人だったり男女だったり、
女性と猫かなんかのキャラクターだったりの対話形式にしてコンテンツ化する、
なんか説明するみたいなのって、
すげーホームページ、ホームページですよ。
で、見たし、これ分かりますかね?伝わるのかな?
それが今、分配じゃないですけれどもなってんのは、
ゆったり解説みたいなやつ?ゆったりでいいんだっけ?
東宝のキャラクター使ってるやつですよ。
マリサとか出てくるやつですね。
なんか二人で対話する形で、
さわさわ、それな、みたいなやつ。
何かの事象を二人でのキャラクターがそれぞれ突っ込んだりしながら解説していくやつ。
もうあれって誰か一人が作ってるじゃないですか。
一人の声の重要性
対話形式にわざわざ。
あれはちょっと聞いてらんねえんだよ。
いやいや、個人の感想なんでね。
もちろん、大変たくさんの人に受け入れられててはよく知ってますよ。
東宝っていうキャラクターの得意性を。
一応その文脈は理解してる。
私は全然ハマってないですけど、理解はしてる。
あれだったらまだしもズンダモンの方が、
ズンダモンは一人で喋ってることもないか。
何々なのだとか言って、なんか突っ込んでるやついる場合もあるな。
なんであれみんな対話にさせようとするんですかね、一人なのに。
僕が言ってるのは、人間が二人で対話をしてるのは非常に良いコンテンツっていうか、むしろ大好きなんですけど、
一人だったら一人で喋ればっていう。
あと説明する文章とかコッドキャストにしても別に、一人喋りでいいし、
普通の文章にしてくれって思っちゃうんですよ。
なんであの対話がたりするんですかね。
これでも別に今始まったネットが始めたものでも何でもなくって、
雑誌の記事であるとか、単行本というのが新書みたいなのにも稀にありますよね。
で、稀にあるのを見てうへえって思ってるんですけどね。
なんか先生と女学生の対話みたいな形にしているような感じ。
うへえって思いますけどね。
授業を再録してるとかだったら別にいいんですよ、全然。
それは本当にあった会話。
そうじゃなくて、なんか自分の脳内で二人に対話させて成立させるコンテンツって、
なんか中二病感がある気がしているんですよ。
偏見です。完全にこれは私の偏見なので、一切気にする必要ありませんね。
それをノートブックLMにもちょっと感じてしまったっていう。
だって私が作った文章を二人は対話してるんですよね。
そこに対する気恥ずかしさというか、違和感があったんですけど、
さすがにちょっと偏見だと思ったんで、前回の話とは独立させました。
わかるって人いたら教えてください。