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2024-09-17 10:28

情熱の薔薇

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私の中学校時代のことを振り返るとですね、やっぱり大きい影響を私も受けたなっていうふうには思いますよね。
特に、そうですね、私ももうすぐね、49歳で、来年には50歳になるわけですよ。
驚きますよね。自分が50歳まで生きられるとはね、人間50年ってやつですよね。
父親も父親の兄弟も40前に死んでる人が非常に多いので、私はもうそもそも40まで生きられると思ってなかったんですよ。
そこからさらに10年生きられましたからね。本当に行行としか言いようがないですね。
まあそういうのはいいんですけれども、それで思うのがですね、結局私40過ぎたくないからかな。
まあいろいろ考えるじゃないですか。そう、考えてるんですよ。
これもポッドキャストを仕事にしてるおかげなのかもしれないですけどね。やっぱり自分の頭で考えて、要はですね、記者を呼んで話を聞くっていうのが私の仕事なんですけれども。
その時にその記者は当然その分野をよく取材しているのでエキスパートなんですよね。
それに対して私が適切な質問をしないとですね、誘導をしないと。
私がやってるポッドキャストっていうのは記者のプレゼンテーションなんで、そのプレゼンを上手に引き立ててあげるっていうことが大事なわけですよね。
そうなってくるとそこで寛容なことの一つっていうのが、相手のことをよく知ってるというか、相手の、この場合は通常のことじゃなくて、相手が持ってくるネタのことをそれなりにちゃんとわかってるっていうことなんですよね。
なんでその収録をするときには必ずその分野の勉強をそれなりにしておくんですよ。
記事を読んでおくぐらいのは当然で、そこからさらに少しネット検索したりですね、して、情報を集める、論文を読んだり、統計を見たりしてるんですけど。
そういうふうにして自分の頭で考えて自分の顔をものさし、その分野に関するテーマに関する、なんでもいいんですけどね、アメリカ大統領選でもね。
それからインスタントカレーのことでもなんでもいいんですけれども、レトルトカレー持っておくっていうことが大事だと思って準備をするんですね。
考えるじゃないですか。これがね、意外と周りを見てもみんなやらなくなっちゃうんですよね。
20代30代ぐらいの頃ってやるんですよ。
ほっといてもね、みんなやるの。
だけどそれをね、やんなくなるんですよね。
結局のところそれって、年を重ねると役職は基本的には上がってきますよね。
私は別に平社員なんですけど、上がらなくても後輩っていうのに対しては基本的に偉そうにできるというか、後輩が尊重してくれるようになるじゃないですか。
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そうばっかりじゃないんですけど、なりがちじゃないですか。
そうなってくるとね、あぐらかえちゃうんですよ、やっぱり人間ってのはね。
自分の方がよく知ってるって思っちゃう。
事実そうっていうところもあると思います。
最近はそこに対してなんか変な遠慮みたいなの働いてて、それはどんなもんかなと思うんですけど、つまり正直若い人が今悩んだり、あるいはわからなくて困ったりしていることって自分が経験したことだなってよくあるじゃないですか。
それをアドバイスすると先輩風を吹かせてるってことになりがちですよね。
上から目線って言われがちですよね。
なぜならそれはやっぱり、君はまだ若いからわかんないだろうけど、それはこういうことだよみたいなね。
やっぱり嫌でしょ。
私も自分が若かった頃そういうの言われるの嫌でしたからね。
そういうことを言わない方がいいんだけども、言い方を変えればいいと思いますけど。
一方で、しかしそれはやっぱり年取る事実、そうなんですよ。
おおむねその人生のステージにおいて経験することってあるし、それに関して経験や知識があるのも間違いないんですよ。
亀の甲より年の豪大、よく言ったもんでね。
なんで、考えるっていうことをしなくなっちゃう。経験に頼っちゃうんですよね。
これが良くないなと思っていて、なるべくそういうことはしないようにというふうに日々心がけてるんですよね。
そういう中で、すごい私、結構ゼロから考えるのが好きで、例えば新聞社で働いてますけれども、新聞の役割っていうのをゼロから考えると。
普通の人は何か、普通の人は私もそうですけれども、記事を書いて読者の方に伝える。
その記事っていうのもやっぱりみんなが知らないことですよね。
新しいこと、新規性のあること。
だからそれは時事的に新しいことになりますし、あるいは新しい話じゃないんだけれども埋もれていた徳だねっていうやつですよね。
誰も知らなかったスクープだったり、あるいはちょっと別の意味でもあって、要は人知れずに涙を流している人っていうのが世の中にいるわけですよ。
そういう人たちの訴えを大きい声に覚醒する、拡大するっていうね。
そういう役割もあると思ってるんですよ。
いずれにしてもそういうもんだっていうふうに思ってたんですけど。
本当にそうかなっていうか、少なくとも今の時代においてそれでいいかなっていうのは問い直さなきゃいけないというふうに思ってましてですね。
こういうゼロから問い直すっていう発想自体も周りを見てるとやっぱりあんまりないんですよね。
みんなそれなりに現状を維持するっていうことが好きじゃないですか。
って言うとまたお前偉そうになりそうですけど、そういうことじゃないんですよ。
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だからなんで僕は逆に他の人と違って何でも物事をゼロから考えようとするのかな。
ちなみに僕新聞の役割ってもう人に物を伝えるっていうことではなくて、人と人とつなげるって役割じゃないかなって思ったんですけど。
それはまた別の話なんで別の機会にしたいですけど。
ゼロから考えるっていうことがどうして起きるのかっていうと、やっぱりこの世のことがそのまま行くと信じてないんですよね。
ブルーハーツの情熱の薔薇っていう曲が頭に思い浮かんじゃうんですけど、永遠なのは本当か、時の流れは続くのか、いつまで経っても変わらないそんなものあるだろうか。
いつまで経っても変わらないことなんかないんですよね。
それを通列に感じたのはやっぱり父親の死がまず最初でしょうね。
だから8歳から9歳になる頃なんですけれども、8月ですよね。
これ撮ってるのも8月なんですけど、それまで当たり前に続くと思っていた毎日っていうのがなくなるんですよね。
実際住むとこも変わったし、友達も全都会、大変でしたけど、そういう抗えない変化っていうのが世の中にもあるっていう。
いると思ってた人いきなりいなくなるっていうね。
私、父親もそうだし祖父母も私が大学生になるまでに全員死んだんですけど、死んだって言うとあるかな。
でもまあ亡くなったんですけどね。
その他にも友達も2人死んでますし、死っていうのに対しては本当に自分の身近にあったし、極めてフラットな感情で向き合えるようになったんですね。
これは幼い頃私はそういう経験をしてるからですよ。
父親が死んだ時になんかわーって騒いで祖父にたしなめられてみたいなね。
あるいは葬式の時に自分が遺族の母の隣だからほぼ代表みたいなところに座っている時の周りの様子とかっていうのを結構もうその時に俯瞰してみているんですよね。
それをすごく覚えてて。
どちらかというとその時に物事を俯瞰するっていう心持ちになっちゃったってことなんじゃないかなって思うんですよ。
結局そういうね、なんか自分の中で父親が死ぬっていうことの意味って当時あんまりよくわかってなかったんですけれども、そういうものを客観視するというか、なんか全身で受け止めたら大変じゃないですか。
まあ母とか大変だったと思いますけど。
それよりはやっぱり少しそこで優待離脱みたいにして、天井に視点を飛ばすみたいなことを自然としたんでしょうね。
たぶんね、子供ながらにね。
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っていうような経験があって、だから物事って変わるんですよね。
それはその小学校の今まで話してきた2年生や3年生の時のクラスでもそうでしたからね。
担任が変わったりとか、担任がひどい暴君だったりとかですね。
そういう経験があって、そういう小さい権力っていうものが、しかし崩れていく姿っていうのも目の当たりにした。
中学校でもそうですよ。
だから市内持ってね、教室来てた教師がヤンキーにボコボコにされて学校来なくなるみたいな、そういう場面も見ていて。
これは本当に比較するもんじゃないと思いますけれども。
なんというか、私の中では戦争を体験された方の方にダブるんですよね。
昨日までこれが正しいとされていた価値観っていうのがいきなり崩れちゃうっていう。
で、その学校の先生なんかも全くその昨日までのね、天皇は神であるっていう価値観とは違う民主主義みたいなことを唱え出すっていうね。
人間の世というのはそのようなものだなっていう疑いのまなざしっていうのは、私はそういう周りの人の死であるとか、学校から学んでいるのは間違いないですね。
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